ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

11 戦場へ行く者、離れる者 前編

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匿名ユーザー

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 遠く戦場とはかけ離れ、未だ平和を享受して能天気な日常を送るトリステイン魔法学院の一角では、一人の少女が頭から煙を噴出しながら歩いていた。
 抱えた“始祖の祈祷書”に挟んだ羊皮紙をちらちらと見ては、深く溜め息を付く。
 任じられた王女殿下の婚姻の詔は、結局納得の行く出来に仕上がることは無く、とうとう期限としていた日が訪れたのであった。
「どうしよう、どうしよう、どうしよう……」
 敬愛する姫殿下の頼みを達することの出来ない重圧に、ルイズはこのまま部屋に篭って何もかもから耳を塞ぎたい気分になっていた。
 しかし、逃げるわけにはいかない。
 本塔に繋がる渡り廊下から学院の入り口を覗いてみれば、そこにはもう婚姻式の出席者を待つ迎えの馬車の姿があるのだ。ルイズは、あれに乗ってゲルマニアで行われる式に出席しなければならないのである。
「き、きちんと専門の人が修正してくれるのよね?笑われたりしないわよね?ああでも、お父様やお母様も出席なさるのに、せっかくの晴れ舞台なのに、ちゃんと出来ないなんて……」
 ぶつぶつと不安から来る独り言を呟いて、ルイズは渡り廊下を越えて本塔の階段を登る。
 まずはオールド・オスマンに今ある詔の下書きを提出して、ある程度の添削を受ける必要がある。綺麗に形を整えてそれらしいものに仕上げる作業は、ゲルマニアへの道中で行われる予定だ。
 しかし、オールド・オスマンはボケが始まってしまったし、専門職であっても、この自分で見ても相当酷い出来である詩を時間内に修正しきれるかどうかは、正直疑問だった。
「なんでこういう時に限ってミス・ロングビルは留守なのよ!頼りにしてたのに、ご家族と旅行だなんて……」
 才人と喧嘩をしてからというもの、部屋に引き篭もって詔の文面を考えていたルイズは、食事のために食堂に出たときに、噂話としてロングビルの夫と子供が学院を訪問し、そのままロングビルが出かけてしまったと聞いていた。
 学院で働く使用人達の口から広まったロングビル既婚疑惑は、既に学院全体に事実として認識されている。一時は噂を種に学院中が騒動となったが、年齢や見た目の良さ、学院長秘書という立場を考えれば別に不自然なことでもないと、密かな思いを抱いていた一部を除いて、すぐに受け入れられたのであった。
 ルイズもまた、本人が聞いたら卒倒しそうな噂を信じている一人で、ミス・ロングビルには出来れば明るい家庭を築いて欲しいと本気で思っている。魔法の使えない自分をゼロだと馬鹿にしない、年の近いほうの姉に似た素晴らしい先生だと心の底から信じている。
 ただ、今だけは自分の都合を優先して欲しかった。
「でも、資料は用意してくれたし、わたしがここまで出来ないとは思ってないだろうし……」
 才能が無いのを理由に他人の家庭に亀裂を入れるほど、ルイズは傲慢ではない。草案を作るのに苦労しないだけの下準備を整えてくれたロングビルを責めるのは、まったくのお門違いであるということくらい、分かってはいた。
 それでも、憂鬱であることに変わりはないのだ。
「失礼します」
 いつの間にか到着していた学院長室の扉をノックも無しに開けて、いつも熱い茶を啜っている隠居間近の爺さんに顔を向ける。
 そこでルイズは、信じられない光景を目にした。
「……え?」
 ガリガリと削るような音が連続して、それが途切れたと思うと紙が宙を舞って部屋のあちこちに詰まれた紙の山の上に降下する。かと思えば、何かを叩きつけるような音が断続的に響く。
 音の発生源は、執務机に並ぶ書類に猛烈な勢いで羽ペンと印章を叩きつけるオールド・オスマンであった。
「あ、あれ?」
 ボケたのではなかったのか?
 失礼なことを考えて、ルイズは固まった。
 ロングビルの愚痴では、日向ぼっこと茶を啜ることしか出来なかったはずだ。いや、それ以前に、こうまで必死に仕事をしている姿など一度として見かけた覚えは無い。
 ボケた人間が元に戻らないというのは、地球でもハルケギニアでも大体同じである。大昔では、始祖ブリミルが長生きをし過ぎた人間の心を御許に招いてしまったのだ、などと信じられていた時代だってある。
 現在は脳の病であると解明されたが、それでも治らないものは治らない。
 なら、目の前で精力的に働いている人間は誰なのか?
 そういう疑問にルイズの思考が行き着いたのは、ある意味仕方の無いことだった。
「あなた、何者!?本物のオールド・オスマンをどこへやったの!?」
 抱えていた祈祷書を放り出して、スカートに挟んだ杖を取り出したルイズが、眼前の不審人物に問いかける。
 学院に忍び込み、学院長の身柄を隠し、さらに入れ替わるなどという手際を考えれば、この老人は素人ではないだろう。いや、老人ですらないのかもしれない。
 男か女かも分からない相手に、ルイズの喉が鳴る。
 メイジの巣窟ともいえる学院に入り込んだのだ。それだけ実力に自信があるのだろう。もしかすれば、あのワルドに匹敵する相手ということも考えられる。
 考えるだけでアルビオンで受けた数々の傷の痛みを思い出してしまい、ルイズは思わず体を震わせた。
「……は?なにを言っとるんじゃ」
 書類処理の手を止めたオスマンが、ルイズに顔を向けて首を傾げる。
「白を切ろうとしてもダメよ!あなたが偽物だって、わたしには分かってるんだから!狙いは何?オールド・オスマンに化けて式に出席するつもり?そんなこと、このヴァリエール家が三女、ルイズ・ド・ラ・ヴァリエールが許さないわよ!!」
 杖を突きつけ、ルイズは威嚇するように強く言い放つ。
 だが、内心では恐怖と不安が渦巻き、手足の震えが表に出てしまいそうだった。
 相手がワルドと同程度の力の持ち主なら、ルイズに勝ち目は無い。それは既に、アルビオンで証明済みだ。だが、敵を前にして逃げ出すなんて選択肢は、ルイズには存在しなかった。
 とにかく、この不審者を倒して捕縛する。
 ルイズに考えがあるとしたら、それだけだった。
「なにを勘違いしとるか知らんが、少し落ち着きなさいミス・ヴァリエール」
「あっ、動かないデゥっ!?」
 ルイズが反応するよりも早く執務机に立てかけた杖を取ったオスマンが、空のインク壷を念動で飛ばしてルイズのおでこを強かに打ちつけた。
「うっ、うぅぅぅぅ!?いったあああぁぁぁぁいっ!」
 額を両手で押さえてしゃがみ込んだルイズを呆れた目で見詰め、オスマンは水パイプの先を咥える。
 ぷか、と煙が円を描いて空中に浮かんだ。
「痛くしたんじゃから、当然じゃ。そんなことよりも、詔は完成したのかの?」
 オスマンは杖を再び振って、ルイズの足元に落ちた祈祷書を引き寄せる。そして、白紙の祈祷書から挟まれた羊皮紙を引き抜き、文面に視線を落とした。
「お、オールド・オスマン?」
「なんじゃ、ミス・ヴァリエール」
 羊皮紙を読み進めながら眉の形を変えて、オスマンはちらりとルイズを見た。
「本物……、なんですか?」
 涙目で疑惑の視線を投げかけつつ、ルイズは握った杖に力を込める。対するオスマンは、そんなルイズの態度を気にした様子も無く、また水パイプを吸って煙を吐いた。
「当たり前じゃろ。ワシはワシじゃよ。他の誰と間違えるというのじゃ」
「でも、こないだはボケて……」
「ありゃ、演技じゃよ」
 暗にボケ老人呼ばわりしているルイズに、オスマンはなんでもないことのように否定した。
 また、ぷかり、と煙が宙に浮かぶ。
「セクハラを禁止されたんで、八つ当たりにボケた振りしとったら、ロングビルがワシの代わりに仕事をぜーんぶ片付けてくれるのでな。このままボケ老人の振りを続けとけば、楽ができるんじゃないか?と思ったわけじゃよ」
 と言っても、こうして裏切られてしまったわけじゃが。と言葉を続けて、オスマンは悲しげに笑った。
「ボケた振りって……、それはそれで問題があるんじゃ……」
「なあに、基本的なことは全部教えてあるでな。時たまこそっと、仕事がちゃんと出来ておるか確認しておったが……、うむ。ミス・ロングビルは、ワシより有能じゃの。おかげで、ワシのやることが一つも無い!……まったくない。ほんとに……、ひとつも無い。ひ、一つも無いんじゃよ!本当に、本当に一つも……!!ワシの仕事、一つも残っとらん!このままじゃ、ワシは要らないって言われてしまう!必要とされておらんジジイは、どうすればいい!?どこへ行けばいい!?ワシは……、ワシはああぁぁぁぁっ!」
 机に突っ伏してオイオイと泣き出したオスマンに、ルイズは困ったように表情を崩した。
 精力的に働いていたかと思ったら、実はただの書類整理だったらしい。印も朱肉は付けられておらず、気分を出すためだけに押していたようだ。
 学院長の座はボケたふりをしている間にロングビルに奪われ、オスマンは今現在、雑用係の地位に落ちぶれていた。
「……えーっと」
 このボケ老人をどうすればいいのだろうか。
 困惑するルイズだったが、ふと手元の杖を見て、一つだけ対処法を思いつく。
 自分の使い魔にもよくやっている、爆破処理。
 実に効率的で、状況を変化させるのに向いている方法だ。
 善は急げ、思いつけば即実行。
 ルイズが杖を振り上げるのに、迷いは無かった。
「ファイアー・ボー……」
「オールド・オスマン!居られますか!?」
 突然、学院長室の扉が叩かれ、魔法を使おうとしたルイズの肩が驚きに跳ね上がった。
「なんじゃ、騒々しい。ワシは惨めな老人の気分に浸るのに忙しいから、後にしてくれ」
「み、惨めな老人……?よく分かりませんが、緊急事態です!」
 部屋に人が居ると分かると、扉の向こうの人物は入室許可も取らずに部屋に踏み入れる。
 学院長を爆発させる現場を見られそうだったルイズが、ドッキンドッキンと鳴る胸を服の上から押さえて息を吐き、入室した人間の姿を目に映した。
 王宮の人間のようだが、学院の入り口で待っている迎えとは別らしい。相当に急いでいたらしく、息が上がっているが、衣服の乱れは殆ど無い。トリステイン貴族らしい、見栄っ張りな性格がこんなところでも表れていた。
「緊急かね?少し待ちたまえ、ミス・ヴァリエール、退出を……」
「戦争です!アルビオンが、トリステインに宣戦布告をしました!既にタルブは陥落、アルビオン軍はラ・ロシェールに向けて進軍中です!」
 オスマンの両目が開かれ、執務机にペンが転がった。
「なんと!?ついにやりおったか!し、して、王宮はなんと?」
「アンリエッタ王女殿下の指揮の下、王軍を立ち上げ、戦場へ向かっております!しかし、戦力は心許無く、諸侯及び勇士諸君は速やかに参軍せよとのお達しです」
「義勇軍まで立てるおつもりか……、となれば、最初の戦いこそ決戦となるな」
 国中の戦力をかき集めての戦いを臨むのであれば、敗北はそのまま敗戦に繋がる。
 アンリエッタは、アルビオンにこれ以上の侵攻を許すつもりは無いようだ。いや、港であるラ・ロシェールに橋頭堡を築かれれば、アルビオン軍を止められなくなることを悟ったのかもしれない。
 二国間における戦いを、他国の援軍を待つことなく終わらせる意気込みが見えていた。
「お、オールド・オスマン?戦争って……」
「ミス・ヴァリエール。この事は他言無用じゃ。儂が然るべき時に、然るべき方法で皆に発表するでな。しかし、恐らくはこれを使うときは訪れまい」 
 ルイズの言葉に頷いて、オスマンは引き寄せたときと同じように始祖の祈祷書を念動でルイズに渡した。
 アンリエッタがゲルマニアと結ぶ予定であった婚姻は、来るべきアルビオンとの戦いに向けた政略結婚だ。それがアルビオンの早期の侵略によって意味を成さなくなるのであれば、確かにルイズの考えていた詔の出番は無くなる。
 胸に抱いた祈祷書とその間に挟まる詔を書いた紙を見て、これを出さなくて済むのかと一瞬ホッとしたルイズは、すぐに表情を硬くした。
 流れは、アルビオン王ジェームズ一世の言った通りになっている。アルビオンは、ゲルマニアの勢力の介入が入る前にトリステインを制圧しようとしているし、ゲルマニアは漁夫の利を得る機会を窺っている。
 やはり、トリステインは一国での戦いを強いられるのだ。
「オールド・オスマン。わたしは、これで……」
「うむ。あまり詳しくは聞かぬ方が良かろう。行きなさい」
 ルイズが退室を望むと、オスマンはすぐに了承して杖を振った。
 背後の扉が開き、ルイズは身を滑らせるように廊下へと出て行く。ばたん、と音を立てて閉まった扉から、鍵のかかる音が響いた。
「……あれは確か、ベッドの下に」
 ジェームズ一世から渡されたものを思い出して、ルイズは強く祈祷書を抱き締める。
 トリステインが孤独ではないことを、アンリエッタ王女に伝えなければ。
 出立の準備の為、自室へ向かって駆け出したルイズの背後で、オスマンと王宮の使者とのやり取りは続く。
「学院の人間が、現地に居ると?」
「アストン伯からの報せによれば、そうです。男女合わせて8名。教職員と、生徒であると聞いておりますが……」
 使者の言葉に、オスマンは空席となっている秘書官の執務机に目を向ける。
 一応、休暇届のようなものは残されていた。
 職員用の物には目的地や理由などが記されていたが、そこにラ・ロシェール地方に繋がる文章はひとつも無い。全て私情で埋め尽くされて、何処へ何をしに行ったのかはサッパリなのだ。
 しかし、ボケ老人のフリをしている間に聞いた話の内容を考えれば、有能な秘書を含めた魔法学院の在籍者が戦乱に巻き込まれていることは容易に想像できた。
「学院の関係者であれば、迎えをやらねばならんのう」
 言って、オスマンは溜め息を吐く。
 多分、迎えと一緒に志願兵も送ることになるだろう。それが憂鬱なのだ。
 使者がここに戦争の始まりと関係者が現地に居ることを報せに来たのは、参戦する人間をより多く集めるという魂胆があってのこと。戦場があり、そこに勲功を得るチャンスが転がっていれば、名を上げることに貪欲な若者達を止める手段は無い。
 こう言ってはなんだが、簡単な扇動で学院の生徒達は戦場へ突撃するだろう。若い貴族は勲功を得ることを夢見て、戦場に出る日を今かと待ち構えている。
 ならば、まだ何も知らず落ち着いている間に、オスマン自身が必ず生きて戻ってくると確信出来る者たちを選定した方がいい。
 だとしても、選ばれなかった者の恨みを買ってしまうだろうし、犠牲が出ればオスマンの責任となる。どちらにしても、やりきれない選択であった。
「それでは、自分は他にも伝え歩かねばなりませんので……」
「うむ。ご苦労じゃった」
 部屋を出て行く使者の背中に労いの言葉をかけつつ舌を出したオスマンは、執務机の隅に置いた湯飲みを取って、温い茶で喉を潤した。
 自分で入れておいてなんだが、不味い。
 ミス・ロングビルが嫌々ながらも入れてくれた茶の美味さを思い出して、オスマンはやはり見捨てられはしないと、部屋にある姿見に向かった。
「まずは、状況を知らねばな」
 枯れ木のような杖を一度振り、姿見の鏡面に波紋を描く。
 その向こうに、ここではない遠くの景色が映し出された。


 アルビオンがトリステイン艦隊を撃沈し、宣戦布告をして二日。
 竜騎士隊の全滅が響いたのか、それとも地上軍の進軍が遅れているだけなのか。アルビオンの軍勢は未だにラ・ロシェールに到着することなく、岩壁を切り出して作られた町は次々と到着するトリステイン軍の手によって着々と要塞化が進められていた。
 岩を積み上げたような砦の壁には矢窓や砲門が覗き、殆ど完成している足場の確認の為に何人ものメイジや騎士が歩き回っている。空には召集された魔法衛士隊のグリフォンや竜が警戒の為に飛び回り、世界樹の港では軍艦に混じって、徴収された民間船に武装が施されている様子が見えた。
 アルビオン軍の進軍が遅れれば遅れるほど、トリステイン軍は戦の準備を整え、より軍備を拡充していく。奇襲ともいえるアルビオンの攻勢は、ここに至って意味を失いつつあった。
 そんな張り詰めた空気の流れるラ・ロシェールの街。その外側では、また別の戦いが繰り広げられている。
 ぐうぅ、と鳴る腹の虫との一騎打ち。飢餓と死神を相手にした、生きるか死ぬかのバトルロワイヤルだ。
「し、死ぬぅ……、腹が減って、し、シヌ」
 腹を押さえて悶えるように体を揺らしたホル・ホースが、痩せた顔に冷たい汗を浮かべていた。
 場所はラ・ロシェールから伸びるトリスタニアに続く街道の脇。戦の臭いを嗅ぎつけた傭兵達のキャンプが並ぶ平野の端っこである。近くには水筒の水で必死に口の中を漱いでは吐き出しているエルザとミノタウロスの肉体に雑草を食わせている地下水、それに、ぽつんと立った樹木の陰で唇をカサカサに乾燥させたウェールズが、食欲を睡眠欲に無理矢理変えて眠っていた。
 三人と一匹は、避難民と一緒にラ・ロシェールまでやって来たのだが、街に入る途中で兵隊に止められ、吸血鬼やミノタウロスを従えた怪しい人間を軍が陣を張る街の中に入れるわけにはいかないと追い出されたのである。使っていた馬も盗品疑惑が持ち上がって取り上げられてしまい、空っぽの財布では腹ごしらえも出来ず、こうして空腹と戦っているのだ。
「ああああぁっ!空腹に耐えかねて摘み食いなんてするんじゃなかった!口の中が油を飲んだみたいになっちゃったわ!傭兵なんて下品な職業の連中ってのは、血の味まで下品ね!」
 タダでさえ空腹で貧血のホル・ホースから血を奪うわけにもいかず、周囲の傭兵のキャンプを襲って血を吸っていたエルザが、悪態を吐いて不満を顕わにする。
「八つ当たりに金目の物を奪って来ようかと思ったら、目ぼしいものは何にも無いし。警戒が強くなって別のを襲うのは難しそうだし……、踏んだり蹴ったりだわ!」
 収穫といえば、二日前に放り捨てたまま行方知れずの帽子の代わりにと、布を一枚盗って来たくらいだ。頭に適当に乗せているだけだが、汚れ果てたドレスとは程よくマッチしている。
 声が聞こえているのか、焚き火でスープを温めている近くの傭兵がエルザをじろりと睨んでくる。彼らも、仲間を襲われたとなれば黙っているつもりはないようだ。
 が、そんな連中に地下水がミノタウロスの顔を向けると、すぐに目を逸らされた。流石にメイジ数人がかりでも梃子摺るような亜人と喧嘩をする度胸は無いらしい。
 しかし、敵を増やすのも良くないと、地下水はエルザに注意を呼びかけた。
「声がでかいぜ、お嬢。襲撃犯と知られたら、この平野に群がってる傭兵達が全部に敵になるんだ。夜もおちおち眠れなくなるぜ……。うおっぷ、……もぐもぐ」
「反芻すんな!」
 エルザの投げた木製の水筒が、ミノタウロスの頭に当たって跳ね返る。
 ゴツン、という音と共に、空腹に悶えていたホル・ホースが沈黙した。
「牛の習性なんだから、仕方ねえだろ。体を操るってのは、肉体に適した行動を取るっていう面倒臭い作業もしなくちゃならねえんだよ」
 黄泉路に旅立ったホル・ホースに気付いた様子も無く、地下水は話を続ける。
 どうやら、ミノタウロスの内臓は人のものよりも牛に近いらしい。草木を食べる際には、繊維質を効率的に分解する為、反芻という摂食行動が必要なようだ。
 ハルケギニアの生物知識に加えられる、偉大な新発見である。
「酸っぱい臭いが気に入らないから、我慢なさい」
「自分だってゲロ吐きまくってるくせに……」
「なんか言った!?」
「いいや、なにも」
 機嫌の悪いエルザに小さく陰口を呟いて、地下水はまた別の雑草をミノタウロスの口の中に放り込む。
 草に混じった石が噛み潰されて、硬い音が響いた。
「むぅ、この変な感じが治んないわね。……仕方ない、最終手段を取るわ」
 ヘドロを口の中に詰め込んだような最低な不快感に耐えられなくなったエルザの目が、気絶したホル・ホースに向けられた。
「おいおい、本当に死んじまうぞ」
「大丈夫。ちょっとだけだから。本当に、ちょっとだけ……」
 ちょっと、とは言っているが、瞳を欲望に輝かせていては説得力が無い。
 そろり、そろりと近付いて、気絶したホル・ホースの首筋に狙いを定めると、エルザはそのままいただきますも言わずに噛み付いた。

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