ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

9 皇帝崩御下 後編

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 ティファニアの声を遮って、エルザの目の前でワルドが体を起こした。
 鋭い視線がホル・ホースとエルザの二人に向けられ、僅かに怒気を孕む。

「突然何者かに攻撃されたかと思ったら、貴様らか……」

 治療を受けてすぐに意識を取り戻したワルドは、頭を軽く振って周囲を見回す。
 血の臭いに顔を顰めると同時に、グリフォンの死体が目に入った。

「……これはどういうことだ。事故か?それとも、故意か?」
「事故だ。夜食に鳥を落とそうと思ったんだが、遠目には分からなくてよ」

 いけしゃあしゃあと無実だと主張するホル・ホースだが、嘘は言っていない。
 裁判にかけられても、神に誓ってありのままに証言できるだろう。腹が減ったので鳥を落としたら、鳥の上に誰かが乗っていた、と。
 ワルドはそんなホル・ホースの目をじっと睨み付けると、その後ろで退屈そうにしている人物を見つけて、目を見開いた。

「……っ!き、きさ、いや、ウェールズ皇太子!?生きておられましたか!」

 慌てて飛び起きて地面に片膝を突いたワルドが、地下水の前に頭を垂れる。 
 そこで、あちゃあ、とホル・ホースは手を額に当てた。
 ウェールズの存在は、ワルドが王党派側でも貴族派側でも、厄介でしかない。王党派の陣地に連れ戻されることを地下水が許容するはずはないし、貴族派に体を殺されるのを望むはずも無いのだ。
 シャルロットの知人であるために手荒なマネをするわけにもいかず、かといって、ワルドにウェールズを連れ戻されるというのも看過できない。
 やっぱ助けなきゃ良かったな。
 事故ということで誤魔化してしまえばよかったかと心の中でホル・ホースがぼやいた時、何かがぶつかるような鈍い音がホル・ホースたちの鼓膜を揺らした。

「僕はなんと幸運なのだ。王だけでなく、貴様たちの首もこの手で取れるとはな」

 ワルドの手に握られたレイピアが、地下水の操るウェールズの胸に突き刺さっていた。肋骨の隙間を縫うように、胸の中心線から僅かに左に逸れた位置にある心臓を正確に貫いている。
 血が、ワルドの持つレイピアの刀身をゆっくりと伝って行き、鮮血の滴を落とした。
 しかし、それだけではなかった。

「貴族派だったのか、テメエ……、って、あれ?」
 攻撃されたことに反応したところで、なぜか胸の辺りが熱いことにホル・ホースは気が付く。
 酷く不快な熱さに視線を下ろすと、何かが肺の辺りに突き刺さっているのが見えた。
 青白い光を宿した、木の棒。いや、杖だ。

「ふ、ははははは!まったく、間抜けな男だ!ウェールズを僕の目の前に用意し、自身も無防備な体を晒すとは。たった一回分のちっぽけな魔力をこれほど有意義に使えたことは、生まれて初めてだよ!」

 右手にレイピアを、左手に木で出来た短い予備の杖を握ったワルドは、その両手から伝わる肉の感触に歓喜の声を上げた。
 一つは任務の達成。もう一つは、ラ・ロシェールで受けた屈辱の清算。思いもよらず、二つの懸案を片付けられた。ニューカッスルから敗走してしまったことは残念だが、溜飲を下げるのに十分な成果だ。
 ここ数日、感じたことの無い愉快な気分に、ワルドは更に声を高くする。

「お、お兄ちゃん……?」
「いやああああああぁぁぁぁっ!!」

 呆然とするエルザの隣で、ティファニアが両手で顔を覆って悲鳴を上げた。
 胸から杖を生やしたままホル・ホースが倒れ、地下水もそれに続くように地面に横たわる。
 赤い色が、夜の闇の中でしっかりと草原を色付けていた。

「後は女のガキが二人。魔力は尽きていても、始末することなど容易いものだ」

 ワルドが高笑いを上げ、右手に握られたレイピアをティファニアに向ける。
 口元に浮かぶ歪な笑みを前に、ティファニアは小さな悲鳴を溢して一歩後ろに下がった。
 それを追うようにワルドが足を踏み出し、足元に転がるホル・ホースの体を邪魔臭そうに蹴り飛ばした。
 エルザの瞳が、赤く染まる。

「貴様あああああぁぁぁぁぁっ!!」

 幼い体のどこからそれだけの声量が生まれるのか。森の奥にまで響き渡る猛獣のような咆哮を上げて、エルザは子供だと侮って背中を見せていたワルドに飛び掛った。
 口の奥に隠れていた犬歯が伸び、ワルドに掴みかかると同時に首筋に突き刺す。
 ホル・ホースの血を吸うときには、傷を作って流れ出る血を舐めとっていた。だが、今回は違う。殺しても構わないという意志の下で行われる吸血は、犬歯によって穴の開いた血管から大量の血を一瞬で引きずり出す。血に限らず、体液と呼べるものを全て飲み込むそれは、血を吸われた者がミイラのような骨と皮だけになる、本当の意味での捕食行為だった。

「ぐ、あああ、こ、このっ!!」

 咆哮と同時に走った首筋の痛みに、ワルドは瞬時に反応してエルザの額を拳で殴りつけた。
 戦闘を想定した魔法衛士隊の手袋には、内側に薄い鉄板が仕込まれている。鍛えられた人間の拳でそれを打ち付ければ、吸血鬼とはいえ、まだ体の幼いエルザの額を割るだけの十分な威力が生まれるのだ。
 額の痛みと衝撃に悲鳴を上げたエルザの小さな体が、ワルドから強制的に離される。

「このガキ、吸血鬼だったのか!?クソッ!亜人の分際で!」

 一瞬の吸血ではワルドの体力を奪うことは出来なかったらしい。首筋から流れる血を手で押さえつつ、ワルドは額を押さえて睨み付けるエルザの即頭部を蹴り飛ばした。
 頭から跳ねるように、エルザの体が草原を転がる。

「エルザちゃん!」
「貴様も、ああなりたくなければ動くな!」

 転がった先で動かなくなったエルザに駆け寄ろうとしたティファニアに、レイピアの切っ先が突きつけられる。
 目の前に光る銀色の光に、ティファニアは何時か似たような体験をしたことを思い出して手足が震えるのを感じた。
 踏み込む兵隊。母の悲鳴。押し込められたクローゼットが開けられる瞬間。杖を突きつける男たち。
 血塗られた記憶が呼び覚まされ、恐怖が全身に襲い掛かった。

「いや、いやあぁぁ……」

 父と母を失った事件を思い出して、ティファニアはボロボロと涙を溢しながら地面に膝を突いた。
 自分に手を差し伸べてくれる、あの暖かい義姉の手が今はどこにも見当たらない。
 恐怖と不安が自分の心を塗り潰していくのを、ティファニアははっきりと感じ取っていた。

「どういう事情でこいつらと同行していたかは知らんが、運が無かったな」

 エルザが動かないことを確かめながら、ワルドはレイピアの先をティファニアの帽子のつばに引っ掛ける。
 夜中だというのに帽子を被っているのが、どうにも気になったのだ。
 自分の人のことは言えないのだが、これは魔法衛士隊の正装であるために習慣となっているだけの話。一般人が帽子を被り続ける理由が、いまいち思いつかない。
 そんなことを気にしていないで、さっさと殺してしまうべきだ。頭の中で理性がそう告げているのだが、気に入らなかった相手を仕留めたという事実が、高揚感を伴って本能を動かしていた。
 レイピアの切っ先が持ち上がり、帽子を夜風に飛ばした。
 長く尖った耳が、ワルドの瞳に映りこむ。それは、エルフの証明だった。

「……は、ははは!吸血鬼の次はエルフか!!なんとも珍妙な集団だったのだな!暗殺者に王子、吸血鬼にエルフ!サーカスでも開くつもりだったのかね?ふむ、実際に開かれれば、中々に盛況だったろうに。ううむ、実に残念だ。全員、ここで死んでしまうとはなな」

 ティファニアを殺し、動かないエルザにも止めを刺す。そう言うワルドに、ティファニアは目を閉じて心の中で祈りを唱えるしかなかった。
 脳裏に浮かぶ人の姿はたった一人しかいない。自分を保護し、今日まで助けてくれた美しくも逞しい義姉の姿だ。
 四年前の事件のとき、あの暖かい手に引かれることで父と母を失った悲しみに耐えられたことを思い出す。
 二度も助けてくれなんて、都合の良い事を望むのは愚かしいように思える。
 しかし、頼れる人はもう義姉しかいないのだ。
 昨日知り合ってばかりの人たちは皆、血を流して倒れている。自分の指輪があれば、まだ助かるかもしれない。
 ホル・ホースたちは、内心で目の前の男を見捨てようとしていた。それを押さえてまで傷の治療をしたのは自分だ。この事態を引き起こしたのは、自分の責任でもある。
 だからこそ、都合が良い事だったとしても、助けて欲しい。
 自分のためではなく、目の前で死んでしまおうとしている人たちのために。
 だが、その祈りが間に合うことはないようだった。
 森の向こうから誰かが近づいてくる気配を感じたときにはもう、ワルドはレイピアを振り上げ、突き出そうとしていた。
 その剣先は、瞬きをする間もなく自分の胸元に届くだろう。
 間に合わない。
 空気を切る音と共に、ティファニアの鼓膜を肉の弾ける音が震わせた。
 赤い液体が草原に注がれ、大地に染み込む。
 これで、草に覆われた丘は四人目の血を飲み込んだ。
 明日には、ニューカッスルでもっと多くの血が流れ、土はその全てを平らげるだろう。
 その前菜のような赤いワインを飲んだ大地は、戦争という祭りを祝うかのように僅かばかりの時間、低く鳴動した。

「……?」

 痛みが無い。
 体に感じる振動と、胸に突き刺さったはずのレイピアの感触がまったく感じられないことを不思議に思ったティファニアは目を開き、自分の胸元に手を触れた。
 傷など、一つも無い。
 では、先ほどの生々しい音はなんだったのか。
 答えは、目の前に倒れていた。

「貴様あぁぁぁあ!まだ生きていたか!!」
「ひ、ヒヒ……、オレは、女には世界一優しい男だぜ?殺されそうになってる女が、目の前にいるのに……、見捨てられるかよ……!」

 倒れたまま右手を出して何かを握っているホル・ホースを、踵から血を流したワルドが奥歯を噛み鳴らしつつ、憎しみを込めて睨み付けていた。
 至近距離で放たれたエンペラーの弾丸が、ワルドの重心となっていた足を打ち抜き、レイピアの動きを逸らしたのだ。
 しかし、それが最後の力だったらしく、ホル・ホースの右手の人差し指が何度も引かれているが、なにか変化が起こることは無かった。
 踵の痛みに耐えつつ起き上がったワルドは、ティファニアを一瞬睨み付けて、ホル・ホースに視線を戻す。

「そんなに女が好きなら、その女を先に殺してやろう!貴様の奇妙な力も、もはや使い物にならないようだからな!」

 再びレイピアの先がティファニアに向けられ、殺気が飛ぶ。
 だが、ティファニアの祈りが、それを打ち砕いた。

「そこまでだよ!人が寝てると思っていい気になりやがって!あたしの家族に手を出したことを、死んだ後まで後悔しな!!」

 緑色の長い髪を振り乱し、森の中から姿を現したフーケが杖を手に怒声を上げた。
 真実はティファニアの祈りには無い。エルザの咆哮が、森の奥で眠っていたフーケを呼び起こしたのだ。
 背後の森がざわめき、何かの足音が響く。
 木々から伸びる枝を掻き分け、葉を散らし、眠っていた鳥たちを強制的に叩き起こした存在は、全長20メートルを超える巨大な土のゴーレムだった。
 ティファニアが感じた近づく気配と大地の鳴動は、フーケとゴーレムのものだったのだ。

「まだ仲間がいたのか!?クソ、ドットならまだしも、あれほどのゴーレムを作り出せるメイジを相手にするのは、今の状態では自殺行為か……!」
「なに小さい声でガタガタ言ってんだい!いまさら命乞いをしたって、許しはしないよ!!」

 フーケの振るう杖の動きに合わせてゴーレムの巨大な足が一歩踏み出し、大地を振動させる。
 それに怯えるようにワルドは下がり、さらにゴーレムが足を出した瞬間、体を反転させて背中を見せた。力の上手く入らない右足を庇う様に走り出し、丘を駆け下りていく。向かう先には、シティ・オブ・サウスゴータの町があった。

「逃げられると思うんじゃないよ!このままゴーレムでぶっ潰してやる!!」
「待って、姉さん!それを走らせないで!傷が……、ホル・ホースさんたちの傷口が開いちゃう!」

 ゴーレムを伴って走り出そうとするフーケを、ティファニアは涙を溢しながら首を振って制止させた。
 巨大なゴーレムが走る振動は、倒れているホル・ホースたちの体を直撃する。今でさえ、まだ生きているかどうか分からない状況だというのに、これ以上傷を深くすれば手遅れになりかねない。
 フーケの視線が倒れたホル・ホースたちに向き、悔しげに唇を噛んで拳をゴーレムに叩き付けた。

「ありがとう、姉さん」
「感謝されるようなことはしてないよ。それよりも、早く怪我をなんとかしてやりな」

 フーケの言葉にティファニアは頷き、ホル・ホースに駆け寄った。
 その途中でティファニアの目が地下水の方に向けられたが、心臓の位置に開いた穴を見て逸らしてしまう。
 指輪には、死んだ人間を生き返らせる力は無い。見捨てたくは無くても、助かる人を優先しなければならないことくらいは、ティファニアにも分かっていた。
 ホル・ホースの傍らで膝を突き、指輪を体に近づけて詠唱を始める。
 だが、それを無骨な手が遮った。

「オレは、後で良い。エルザと、地下水を先にしてくれ」
「まだ意識が……!?でも、ホル・ホースさんも胸に穴が開いてるんですよ!?それに、地下水さんは、もう……」

 助からない。と言おうとしたところで、どこかで聞いたことのある声がティファニアに向けられた。

「勝手に殺すな!まだ生きてるぞ!心臓は止まっちまったが、血流は他の筋肉を動かしてなんとか回してる。穴さえ塞げば、この体はまだまだ使えるぜ!」

 ウェールズの体に握られた地下水の本体が、刀身をカタカタと鳴らして自己主張する。

「流石だぜ、地下水。ヒヒ……」
「そ、そんなデタラメな……!?」
「……化け物だねえ」

 完全に体を乗っ取り、操作するという能力が功を成していた。血流を生み出すポンプの役割を他の部分で代用するという無茶が、地下水にだけは出来たのだ。

「そういうわけだ。オレは、後にしろ……」
「……わ、わかりました」

 この人は、まだ大丈夫。
 そう信じて、ティファニアは地下水の治療を始めた。



 不覚だった。
 シルフィードの背に乗って空を駆けるシャルロットは、ボロボロになった衣服に視線を落として、心の中で呟いた。
 ワルドを追ってニューカッスルの城を飛び出したのは良かったが、ワルドが貴族派と結託していたことを失念していたのだ。
 速度を上げてワルドの姿を遠目に捕らえたとき、唐突に現れた三騎の竜騎兵とシャルロットは遭遇した。待ち伏せに遭ったのだ。
 いや、敵も驚いた様子だったから、待ち伏せではなかったのかもしれない。
 一騎目はこちらから攻撃を仕掛けることで打ち落とすことが出来たが、残りの二騎を相手にするには、流石に魔力が心許なかった。
 ワルドとの戦いを想定して魔力を節約した戦い方をしたために、体は傷つき、今も必死に飛んでくれている使い魔も無傷ではない。怪我の痛みを誤魔化しつつ無理に飛んでもらっている状態だ。ワルドに追いついても、戦えるかどうかは怪しいところだった。
 せっかく魔力を節約したというのに、これでは本末転倒だ。
 それでも、手紙は取り戻さなければならない。政治的な問題に首を突っ込む気は無いが、手紙はルイズが身を挺して守ろうとしたものだ。その思いを無駄にはしたくはなかった。

「きゅい!お姉さま、あそこでなにか光ってるのね」

 シルフィードが声を上げ、視線をどこかに向けている。
 目の向きを追ってシャルロットも光を探すと、シティ・オブ・サウスゴータに続く街道から外れた場所で、青白い光が淡く輝いている姿が見えた。
 とても小さい光は、スヴェルで多少暗くなった夜でなければ見逃していたかもしれない。
 地上に落ちた星の瞬きのような光は、こちらを誘うように輝いている。
 竜騎兵との戦いの間に見失ったワルドを、覚えていた進行方向を辿って追っていたが、最終地点であるシティ・オブ・サウスゴータは目前。もう、追いつくのは難しそうだった。
 なら、一抹の希望を託して、寄り道をしてみるのもいいかもしれない。ワルドがなんらかの理由で地上に降りた可能性も考えられるのだから。
 シャルロットの脳裏に、こういうときに騒動を起こしそうな人物の姿が浮かんだ。
 もしかしたら、彼が足止めをしているかもしれない。
 任務とはまったく関係なく動いている人物が偶然に関わって来るなどとは思えないが、それでも、その奇跡的な偶然を実現させるのがあの男だ。ほぼ負けが確定している賭けに乗ってみるのも、悪くは無い気がした。

「あの光の場所へ」
「きゅい!?ワルドはどうするのね!シルフィ、お姉さまたちが頑張ってたから痛いのも我慢して飛んでるのに!」
「いいから。行って」

 シルフィの文句を有無を言わさず却下して、シャルロットは急げとばかりに杖を振る。

「もう、この小娘は勝手なことばかり言ってからに!ちょっとはシルフィのことも考えて欲しいのね!」

 不満そうに声を上げるシルフィードを無視して、シャルロットは光の位置に視線を固定した。

「急いで」
「はいはい、分かりました!まったく、竜使いの荒い娘なのね!きゅいきゅい!」

 シルフィードが翼と尻尾を動かして進路を変え、青白い光に向けてゆっくりと高度を下げた。
 背の低い草に包まれた小高い丘の上に光はあるようだ。
 近づくにつれて、光の下に何人かの人影があることにシャルロットは気が付いた。
 女性が二人、子供が一人、それに、男が二人。そのうちの三つは、見知ったものだった。
 シルフィードが近づいてくることに向こうも気がついたのか、こちらを見て驚いたような様子を見せている。
 そのうちの一人、何故ここにいるのだろうと思う相手が、ナイフを手にシャルロットを出迎えた。
 緑色の長い髪に、成熟した体の女性。トリステインにいるはずの、フーケことミス・ロングビルだ。

「よう!二日振りだな、シャルロットの姐さん!なんか、随分酷い有様じゃねえか?」
「気にしないで。それより、なぜ、ミス・ロングビルがここにいるの?前の体、ビダーシャルはどこへ?」

 着陸したシルフィードから飛び降りたタバサを、フーケが地下水を手に迎えたことで、シャルロットは若干の混乱を見せていた。
 ビダーシャルの身柄は、母の治療薬を手に入れるのに重要な存在だった。本人が協力的ではないため、地下水に体を操らせたままでも意味は無かっただろうが、それでも、手放すには惜しいものだ。
 なのに、ビダーシャルを失い、しかも、今度はトリステイン魔法学院の学院長付きの秘書を務めているロングビルに体を変えている。
 意味が分からなかった。

「その辺は、まあ、おいおい説明するさ」
「というかさ、あたしは別に操られてるわけじゃないよ。勝手に無機物の体にしないでくれないかい?」

 フーケの意識はそのまま残っているらしい。喋っているのも、普段は操る体の口を借りているのに、今は地下水の本体だった。
 ますます事情が分からない。
 首を傾げるシャルロットに、地下水はカタカタと刀身を鳴らして軽快に笑った。

「それよりも、姐さん。悪いが、旦那の治療を頼めねえか?ちょっとヤバイ怪我しててよ、本人の希望でエルザの治療を優先したんだが、順番が来るまで持つかどうか微妙なんだ」

 地下水の言葉に、シャルロットは視線を横に向ける。 
 自分を誘導した光の元となったものが、エルザを抱える少女の手元にあった。淡い光を放つ指輪の持ち主が長い金髪の下から尖った耳を覗かせていることに僅かに驚き、そういうものを招き寄せる連中だったなあ、と冷静になる。

「なにがあったの?」
「それも後回し。とにかく、今は旦那の治療を頼むぜ」

 エルザの額についた血の後を見て尋ねるが、これもすぐには答えてくれないらしい。
 酷く焦っているようにも、どこか達観しているようにも見える地下水に、シャルロットはなにをどう言えばいいのか分からず、言われるままに倒れているホル・ホースの元に向かった。
 隣には、金髪の見慣れない青年が倒れている。こちらは、妙なところの破れたシャツを着ているだけで、眠っているだけらしい。
 怪我をしているのは、ホル・ホースとエルザだけのようだ。
 ただ、ホル・ホースの方からは、見た目の変化は特に感じられなかった。
 うつ伏せに倒れているから、怪我をした場所というのはお腹の側なのだろう。

「……っ!?」

 無遠慮にホル・ホースの体をひっくり返したシャルロットは、そこにあったものを見て全身の血を冷たくした。
 胸の中央から、杖らしきものが刺さっていた。胸元は赤く染まり、錆び付いた臭いが唐突に鼻に付く。
 生気の無い青褪めた顔が、シャルロットの瞳に焼きついた。
 杖が根元の辺りで折られているのは、うつ伏せの状態でもこれ以上刺さらないように、ということなのだろう。不用意に動かさないように、地下水たちは杖の処理だけをして放置したようだ。
 シャルロットはそれを知らずに、かなり強引にホル・ホースの体を仰向けにしたのだ。
 たったそれだけの動作で死んでもおかしくない位置に刺さる杖を見て、シャルロットは自分の腕を爪で引っ掻き、自身の迂闊な行動を後悔した。
 もう少しで、自分の手で殺してしまうところだった、と。

「驚いてる暇はねえぜ。その状態で、もう何分も経ってるんだ。刺さったままの杖のお陰で出血は少ねえが、位置が不味い。血は吐いてないから肺は傷ついてねえだろうけど……」

 心臓の場所からは僅かに外れているが、胸の中央は太い血管の集まる位置だけに楽観は出来ない。もし、大動脈などの重要な部分を傷つけていたら、手遅れかもしれないのだ。

「まだ、かろうじて呼吸はしてる。水の系統を使えるのは姐さんだけなんだ」
「こっちも、もうすぐ終わりますから!それまで、ホル・ホースさんをお願いします!」

 地下水に続いて、エルザの治療を行っていたティファニアがシャルロットに声をかける。
 それに頷いて返したシャルロットは、自身の大きな節くれだった杖を握ってホル・ホースの胸元に翳した。
 癒しの力を持つ魔法の勉強は、母を助けるために嫌というほどした。生きているのなら、絶対に助けてみせる。
 手遅れなんて言葉は認めない。
 杖を握る手に力を込めて、シャルロットは治療の力を持つ水の系統魔法を唱えた。

「……?おかしい……、なんで?」

 あるべき変化が起こらないことに、シャルロットが戸惑うように呟いた。
 魔力はまだ残っているはずなのに、魔法が発動しなかったのだ。
 もう一度詠唱を繰り返してみるものの、やはり、魔法は効果を発揮しない。
 延命のために少しでも傷を癒さなければならないのに、このままでは死んでしまうのに、なぜか魔法が使えなかった。
 虫の羽音よりも小さな呼吸音が、更に小さくなっていく。
 エルザの治療は、まだ終わらない。
 自分が頑張らなければならないところで、なぜもたつくのか。
 原因が分からずに、シャルロットは何度も何度も、治癒の魔法を唱えた。
 それでも、やはり魔法は発動しない。
 だからといって諦めるわけには行かないと、シャルロットは同じ詠唱を繰り返す。
 魔法は、どうやっても発動しなかった。
 まだ続けようとするシャルロットに、専門外のことに手の出せないフーケが、唐突に疑問を挟んだ。

「それ、本当に治癒の魔法かい?聞いたことの無い詠唱だけど……」

 盗賊家業が元だったが、トリステイン魔法学院で働いていた期間もそれなりであるために魔法に対する知識を深めていたフーケは、呪文の内容に心当たりが無いことに気付いたのだ。
 シャルロットが驚いたように肩を震わせ、今度こそ、正しい治癒の魔法を唱えた。
 杖の先が光り、暖かい燐光がホル・ホースの体を包み込む。
 今度は、成功したようだった。

「……そうか。そういえば、そういう関係なんだったっけ」

 震える手で杖を支え、必死に残り少ない魔力を使ってホル・ホースを治療するシャルロットの姿を、フーケは眩しそうに細めた目で見詰めた。
 シャルロットがホル・ホースと親しい間柄にあることを、フーケは思い出したのだ。
 勿論、それはエルザも同じだが、少しだけ色合いの違う感情があることは、フーケは予想が出来ていた。
 シャルロットの中では、異性と家族の中間をホル・ホースは行ったり来たりしている。そういう微妙な位置づけなのだろう。はっきりと異性として認識出来るわけでもなく、かといって、家族と言うには情の形が少しだけ歪。
 例に挙げるなら、仲の良過ぎる兄妹といったところか。同性の家族ならともかく、異性でありながら大人になっても一緒にお風呂に入るような、普通という枠から一歩はみ出したような関係だ。
 それだけ、シャルロットはホル・ホースという男に心を開いているということだろう。
 そんな相手が、今にも命を落とそうとしているのだから、表面では冷静を取り繕っていても内面までは冷静ではいられなかった。
 そのせいで、呪文を間違えていたのだ。
 間違えていることにも気づかないで。

「もうちょっと、もうちょっとでエルザちゃんも治ります!そしたら、ホル・ホースさんの治療を!」

 額に開いていた傷の影が無くなったエルザに、地下水とフーケの視線が集まる。
 汚れは残っているが、顔色は随分と良くなった。この分なら、エルザは大丈夫だろう。
 一方で、シャルロットはホル・ホースの体内から感じる水の流れを知るにつれて、表情を少しずつ悲しみに染めていく。
 ふらりと、握った杖の穂先が揺れる。
 出血を抑えるために刺さったままの杖は、心臓の動きを僅かながらも阻害していたのだ。動脈も傷つき、体の中に血の溜まり場が出来てしまっている。
 流れ出た血が各部の神経や血管が圧迫し、血流を阻む。もう、体の末端には血が通っていないはずだった。
 絶望。
 その二文字が、シャルロットの頭を過ぎった。
 諦めてはいけない。諦めたら、絶対に後悔する。父と母に守られ、何も出来なかった過去の自分のように。
 シャルロットは嗚咽を堪えて魔法を使い続けた。

 まだ、生きてる。
 まだ、心臓は動いている。
 まだ、死んでいない。
 まだ、助かる。
 そう信じて魔法を使い続けるが、ホル・ホースの体からは血と共に暖かさが抜け落ちていくばかり。
 使い慣れた水の魔法も、今は役立たずに思えた。

「終わりました!」
 ティファニアの声に反応してフーケが治療の終わったエルザを受け取り、すぐにティファニアをホル・ホースの治療に向かわせる。
 治癒魔法を使い続けるタバサの横に座り、ホル・ホースの頭を膝の上に乗せたティファニアは、指輪を傷口に翳して刺さったままの杖に手を伸ばした。
 不思議な旋律の言葉が、指輪の力を解放する。
 青白い光がホル・ホースの体を包み込み、ゆっくりと染み渡るように暖かい何かを注ぎ込んでいく。
 間に合った。
 そう思ったティファニアは、肉体の再生の邪魔になるだろうと、ホル・ホースの胸に刺さる杖を掴もうとしたところで気が付いた。
 指先に触れた部分が、足りていない何かを冷たく伝えていた。

「……し、シャルロットさん?」

 初めて会った相手の名前を地下水たちの会話から聞き取っていたティファニアが、確認するように声に出す。
 これは、問いかけだった。
 いつから気付いていたんですか、という。
 治癒の魔法を使いながら、シャルロットはティファニアに視線を向けた。

「続けて。治療を……、続けて」
「でも……」

 縋るような目を向けるシャルロットに、ティファニアは戸惑いつつも首を横に振る。
 フーケと地下水も、奇妙な空気を感じて意識を向けた。

「お願いだから、続けて」

 言葉を繰り返すシャルロットを見て、ティファニアの目に涙が浮かんだ。
 助けたいのは、自分も同じだ。
 もう少しで殺されそうだったところを、無理をしてでも助けてくれた人だ。ほんの短い時間だけど、義姉が間に合うまでの時間を作ってくれた、命の恩人。
 なんとしてでも助けたい。
 でも。
 ティファニアは、指輪の光を見詰めて、杖に触れていた手で顔を覆った。

「もう、ホル・ホースさんの心臓は、動いてません」

 顔を覆った手の平に、涙が零れた。
 杖に伸ばした指先からは心臓の鼓動が感じられず、膝に乗せられた頭には体温が感じられなかった。
 フーケは肩を落として肺の中の空気を全て吐き出し、地下水は口を閉ざした。
 死んだのかい?
 抜け殻のような声が、フーケの口から零れた。
 呟きのような大きくも無い音に反応したのか、フーケの腕の中で小さな体が動き出す。

「……あれ、ここは?」

 目を覚ましたエルザが、むくりと体を起こして視線をきょろきょろと動かした。
 フーケの姿を見て、その手に握られている地下水に首を傾げ、寝息を立てるウェールズに眉を寄せ、大きな体で何かを見守っているシルフィードの姿に驚き、そして、青白い光を放つ二人の少女の姿と、胸に杖を生やしたまま動かない最愛の人物に呆然とする。
 ティファニアの目元から零れ落ちる涙が、顔を覆う手をすり抜けてホル・ホースの頬を叩いていた。
 女を泣かせるなんて、らしくないじゃない。
 そう言おうとして、エルザは自分の口がまったく動かないことに気が付いた。
 おかしいな。何で動かないのかしら。
 頭ではきちんと喋っているつもりなのに、零れるのは冷たい息ばかり。
 心臓が痛いほどに高鳴り、息苦しくなってからやっと、エルザは頬を伝う冷たい滴があることを知る。
 わたし、なんで、泣いてるのかしら?
 よく分からないまま目元を拭うが、涙は次々と溢れてくる。
 目を閉じても、もっと強く歯を食いしばっても、涙は止まらなかった。
 やがて耐え切れなくなって、エルザが張り裂けそうな声で泣き声を上げ始める。
 つられて嗚咽を漏らすティファニアの襟首を、シャルロットは杖を握っていない手で掴んだ。

「続けて……!治療を、続けてよ……!」

 シャルロットの悲鳴のような声が、アルビオンの丘に響き渡った。

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