ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

一章二節 ~ゼロは使い魔と相対す~

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一章二節 ~ゼロは使い魔と相対す~

漫然と身を任せるまま、ルイズの部屋に連れてこられたリキエルだったが、道すがら、
停止状態にあったその思考は回復の兆しを見せるようになっていた。少しずつ、身に起きた異常に心が向き始めたのである。
 心身ともに整理のつききっていない状態ながら、リキエルはとりあえず事情に明るそうな人間、ルイズに話を聞くことにした。聞いて、まず困惑した。してから、当惑した。いくつかの質問を投げかけたが、返ってくる答えは要領を得ないものばかりで、混乱を助長するものでしかなかったのだ。
「メイジ? 召喚? 契約? 使い魔? 意味がわからないぞ。ここはどこだって?」
「あんた何、まさか魔法を知らないわけ? いったいどんな田舎から来たのかしら。着てるものも変だし、ついでに言えば髪型……っていうより髪の毛も変よね。ここはかの有名なトリステイン魔法学院よ。田舎者っていっても、名前くらい聞いたことあるでしょ?」
 呆然とした面持ちで――内心も同じ心持ちで――確認するような口調のリキエルに対し、ルイズはぞんざいな口ぶりで、滔々と言いたいことだけを言った。
「聞いたことがないからこーして訊いてるんだ。大体なんだ? 魔法ってよぉ。それに田舎だって? フロリダは有数の観光地だ。宇宙センターもあれば鼠と夢の国もある州だぜ、それなりに興業はうまくいっているし、総生産も七千億を超えてる。これは五年前のことだがな」
「ふーん、そう。五年前っていうと、わたしまだ十一歳だわ」
「じゃあお前は十六なのか。って、そんなことはどーだっていいんだ! というより、惚気の入り混じった面白くもない恋愛相談を聞くような、露骨にどーでもいいって顔をするんじゃあない!」
「今お前って言ったわね? 言葉には気をつけなさいよ、平民のくせに」
 会話は、一向にかみ合う気配すらなかった。
「平民だって? またわけのわからないことを……。ともかく! どうやって連れてきたのかはこの際どうでもいい。お前達の目的も正体も知ったことじゃあない。オレをもと居た場所に帰してくれッ!」
――ん? そうだ、オレはどうやってここに来たんだ? オレは事故って……。
 愚痴っぽく言いながら、リキエルは同時に疑問を抱く。それは思考能力の復旧作業が、今しがたになって完了したからだった。そうなると、自身の現状をより深く考えることもできるようになる。しかしそれはリキエルにとって、決して喜ばしいことではなかった。
――鏡……いや、鏡らしきものか。それが向かってきて、違う。向かってったのはオレだ。それで意識が、左手に奇妙な文字が、イギリスにあるようなやたらとでかい城が見えて、でかいといえば、あの月はなんだ? 大きさはともかく2つある理由は、ってそうじゃない。どうしてオレは……。

「言葉に気をつけなさいって言ったでしょ。還すなんて無理よ。もう契約しちゃったし、呼び出すことはできても、元に戻す魔法なんてきいたこともない……ってちょっと聞いてるの? 主人の話くらい聞きなさいよ!まったく、使い魔としての自覚に欠けてるんじゃないの? いい? 使い魔っていうのはね」
 思考の渦にはまり込んだリキエルの耳には、ルイズのそんな声はほとんど入らず、ムスッとした顔も目に入らないようだった。
――そうだ、ああそうだ。いやそうじゃない。なにがだ? なにが、オレは事故って、左手に激痛が……人が飛んで、魔法だと? あ? 魔法だ? わけがわからなく、わけ、あ、まずい。わからねえ。これ以上はやばい。これ、わけが、これ以上は、うう! やばい、まただァ!
 息が荒れ、汗が噴き出す。
「主人の目となり耳となり、秘薬やその素材を見つけてきたり、主人の身を守ったりする存在なんだけど、どれもあんたには……あんた、ど、どうしたのいったい」
「やべえぜッ! 手から汗が、ビショビショだ。まぶたが下りてくる!」
 リキエルが突然大量の汗をかきながら取り乱すのを見て、使い魔の役割について講釈していたルイズは狼狽する。
――バイクで、左手が、月が2つ、魔法が、事故って、使い魔で、人が飛んでッ! 手に激痛、手、手が汗で、激痛、ふかないと! 目が、前が見えねえ! タオルは? ここはどこだ!? うおぁあまぶたが!
「い……息苦しいッ! 汗をふきたいッ! タオルはどこだッ!?」
「ちょ、ちょっと落ち着きなさいよ! どうしたっていうのよ!?」
――落ち着け? 落ち着け!? 落ち着けるわけがねえ! くそ、息苦しい! タオルはどこだ。ここはどこだ! 駄目だ、考えるんじゃあない! またいつもみたいに、また、また! ああくそ。苦しい! くるし、考え、息がッ!
 リキエルの意識の中には既に、ルイズの存在など影も形もない。それどころか、自分が正常な意識を保っていられるかどうかさえ、リキエルにはわからなくなってくる。
 正気が保てない。そう思った瞬間リキエルは、首の後ろだけを無重力状態にされたような、嫌な浮遊感を伴う恐怖にさらされた。
「まぶたがッ! どんどんおりてくるんだぜッ! 見えねえッ!」
「なんなのよ……いったいなんなの!」
はいつくばり、ゲドゲドの恐怖面で滅茶苦茶に手探りをするリキエルを前にして、ルイズの方もパニックを起こしかける。
リキエルの思考は止まらない。
――鏡が、事故って、バイトの、召喚、激痛、考えるな、激痛、正気が、正気が、使い魔、汗をふきたい、タオルは、また、考えるな! まぶた、息苦しく、前が見えねえ! 正気が、ちくしょおお!

「いつもだ! ストレスが重なるといつもこうなる。使い魔だって? オレにはなんの力もない! こんなオレに何ができるっていうんだ!? ちくしょう、ここにタオルはねーのか! 死ぬかもしれないッ!」
処理しきれずに断片的になり、乱雑に思い浮かぶ記憶の奔流に精神をかき乱され、リキエルは耐え切れずに悲鳴を上げた。


「え?」
 メイジの存在すら知らない平民を使い魔にしなければならない理不尽と、その平民が目の前で何の前触れもなしに取り乱し、喚きだすという理不尽に苛まれ困惑し、小刻みに震え立ち尽くしているだけのルイズだったが、その平民の悲痛な叫びで、半強制的に意識をゆり戻された。
ルイズは考える。この男は自分の使い魔だ。平民であろうと人間であろうと、自分の召喚した使い魔だ。その使い魔が苦しんでいる。突然池のど真ん中に放り込まれた蟻のように苦しみ、もがいている。使い魔を見捨てるメイジがいるだろうか。そうすれば、自分の理想とする貴族の像はどうなる。自分の憧れ、姉達ならばどうするか。
「……」
 改めて彼の様子をうかがってみると、その苦しみようがわかる。
目を覚ましたときから閉じられたままだった片目は気になっていたが、いまや両のまぶたが下がったまま痙攣している。汗はまさに滝が流れ落ちるようで、両手で押さえられた喉からはヒュウヒュウと、取入れ損なった空気がもれ出ていた。
「……」
 厳しいが優秀な上の姉なら、こともなげにその冷静さで対処するだろう。病弱だが優しい下の姉なら、その優しさでもって献身するだろう。自分にはそれはない。ないが、できることがないわけではなかった。
「タオルは、タオルはねェーのか! くそ、正気が、息が……はっ! こ、れは」 
 むなしく空を掻くだけだったリキエルの手のひらに、ごわごわとした布の感触が触れる。
「お、落ち着きなさいってば! ほら、タオルよ。ゆっくり息を吸って、汗をふきなさい!」
「ヒック、ヒッ、クァ! はぁ―、はぁ―。あがが、はぁ―」
 リキエルは渡されたタオルで一心不乱に両手をふく。タオルはよく汗を吸い、驚くことに、絞れるまでになった。
「はぁ―、はぁ―、がが、かっ、はぁ―、すまない」
尋常ではない量の汗が流れ、まぶたも上がっていないが、少しずつ息が整ってくる。なんとか話ができるようになったリキエルは、喘ぎながらも謝辞を述べた。

「ほ、本当よ、感謝しなさいよね。大体、しし、死ぬだなんて大げさなのよ。ちょっと、ちょっとだけびっくりしたじゃない。いったいなんなのよあんた」
 プライドからか、動揺を隠すため、ルイズはかき集められるだけの威厳を声に乗せて、どもりながらもそう言った。なんなのよ、とは抽象的だったが、リキエルは、その言葉の意図するところを汲み取った。
「はぁ―はぁ―、クッ、はぁぁ――――」
 最後にひとつ大きく息を吐き、もう一度「すまない」と言ってから、リキエルはポツポツと、自分の元いた場所とこの場所との差異、この場所に来るまでの経緯について語り始めた。

◆ ◆ ◆

「つまり、月がひとつで貴族もメイジもいない。あんたはそんな場所から来た?」
「Exactly(そのとおりだ)」
「……遠くから来たっていうのはなんとなくわかるけど、さすがに信じられないわ」
「オレだって同じだ。信じられるか、こんなファンタジックでメルヘンなことが」
 ベッドに座り、リキエルの話に耳を傾けていたルイズだったが、その内容は彼女の価値観でいえば突飛すぎるもの、非現実的すぎるものだった。田舎者の無知な平民と考えていたが、自らの使い魔となったその平民は、ひょっとすると予想外に厄介な存在なのかも知れない。
先ほどのリキエルの取り乱しようから、少なくとも、彼のいた場所とトリステインには、その生活様式から常識に至るまでさまざまな差異があることはわかっていたが、その場所が異世界ともなると、話の段階が変わってくる。
 ――もしかしたら……。
担がれているのかも知れない。あるいは、リキエルの精神が異常をきたしているとも考えられた。先ほどのリキエルの様子を見たあとでは、そんな可能性もないとは言い切れない。むしろそう考えた方が、より現実的とさえ思えルイズには思えた。
 しかし、相変わらず片方のまぶたが下がったままで顔色もよくないとはいえ、今のリキエルの受け答えは健常者のそれだった。困惑しているようではあるが、混乱もしていなければ、特別おかしなところも見受けられない。
担がれるにしても、そんなことをする理由は初対面のリキエルには無く、第一あの苦しみようが演技ならば、トリステイン領内にある劇団のほとんどはお遊戯会もいいところだ。
――って、お芝居を見たことはなかったわ。
答えも出ないまま思考が逸れる。思考が散漫になってきているらしかった。
結局のところ、リキエルの言うことを信用できるかといえば、やはりその内容が非現実的すぎるのである。
もし本当だとしても、どうするべきなのかルイズにはわからない。送り返すべきかもしれないが、自身が言ったようにその術を知らない。聞いたことすらない。だいたい、話の内容がどう考えても非現実的すぎる。

 ――アレ?
気づけば、ルイズは堂々巡りの第一歩を踏み出していた。
ここまで考えたあたりで、ルイズは一度考えるのをやめた。リキエルそのものには気の毒という感情も湧くし、先ほどの様子を目の当たりにした以上、あまり無体な扱いをするのも気が引ける。それでもやはり平民のためにあれこれと悩むのはなんだか癪だったし、精神的にも肉体的にもなんだか疲れてしまっていた。
 そんなルイズの悩みの種、一方のリキエルはというと、こちらもあれこれと考えている最中だ。
 ルイズと話をする過程で、図らずも思考の整理がついたため、驚きこそすれ、先ほどのようにパニックを起こすことはなかった。なかったが、それでもこの事態にはついていけなかった。ただ漠然と、ここはどうやら異世界らしい、ということが理解できてしまっただけである。
 輝く鏡に魔法に貴族。おまけに目の前の小娘の言を信じるなら、自分は召喚された使い魔らしい。普通ならば、新手の悪徳募金収集か? と耳も貸さないだろうが、実際に目の当たりにした諸々の出来事を鑑みれば、そう思うよりなかった。
理解を超える事象には無理やりに理屈をつけず、流されるままそれを受け容れるか、夢の中だと思う方が楽だ。一種の現実逃避だが、今のリキエルにそのことについて深く思考する気力はない。なるようになれである。
 そういったこともあってか、リキエルは使い魔をやってもいいような気がしていた。捨て鉢な気持ちだが、それだけというわけでもない。
 ――コイツに。
 助けられた、とも思うのだ。偶発的なできごとであれ、分離帯に突っ込まずに済んだのは大きい。やけに高飛車な態度はあまり好かないが、先ほどパニックの発作を起こしたときに、自分を気遣ったことから――使い魔に対してはそれが当然なのかもしれないが――さほど性根の悪い人間でもないらしい。
それに、話を聞いた限りは元の世界に帰る方法は目下のところ不明で、その方法がわかるまではこの世界で生活することになる。当面は自分は養われる側で、他に選択肢が無い。
そして何よりの理由として、今は疲れているし、いろいろと考えすぎてまたパニックに陥りたくもなかった。
ハァ……
 黙考を続けていたルイズとリキエルは、ここ数時間のうちに増えた悩みを思い、同時に心の中で嘆息した。


「そういえば、あんたどうして片方のまぶたが下がってるの?」
「……ああ、まあ、気になるよなァ~」

 ひと段落ついたところでルイズは、抱いていた疑問を投げかけた。
ルイズにしてみれば単純に疑問を口にしただけなのだが、リキエルにとってその質問は、トラウマのスイッチを入れるキーワードである。それなりに安定していたリキエルが、みるみるうちに沈む。
「最初は16の頃からだ……学年末の試験の会場だったよ。両方のよォー、まぶたがストーンと急に、俺の意志に関係なく落ちてきちまってよォー」
 語りながら、リキエルの顔は少しづつ青ざめていった。額には早くも玉の汗が浮かび、呼吸も荒くなってきている。
「はッ! もしかしてやな予感。まま、まさか、また!? もういいわ。は、話したくないならもういいから!」
 リキエルの様子に気づき、また先ほどのようにパニックを起こされてはたまらないと、ルイズは叫ぶようにして、あわてて彼の話を遮った。
「ハァ――、ハァ――」
リキエルは額に掌をあて、汗をぬぐいながら深く息をする。
未然にリキエルのパニックを阻止し、ルイズも安堵して冷や汗をぬぐう。やはり厄介な平民を使い魔にした、と思った。
――使い魔といえば。
リキエルの呼吸が整ったころ、ルイズは使い魔の仕事についての話が途中だったことを思い出した。納得がいこうがいくまいが、この平民に使い魔をさせるしかなかった。ならば、その役割について教えておかなければならない。
そう思い、ルイズは口を開いた。
「で、改めて使い魔の仕事につい――」
「ちょっとルイズ、あなたさっきからぎゃーぎゃーうるさいわよ。隣付き合いはデリカシーを大切にしなくちゃあね。それにお子様はもうそろそろ寝るお時間じゃなぁい?」
と、そのとき唐突に部屋の扉が開き、ルイズよりいくつか年上と思しき女生徒が無遠慮に踏み入ってきた。ボリュームのある赤い髪と、情熱そのものを閉じ込めたような紅い瞳が褐色の肌に良く映える、ルイズとは違う種類の美人だ。ルイズが顔美人ならば、こちらは色気美人といった具合だろうか。プロポーションに至っては完全に対極である。
「だ、誰の体が、なんですって……? 誰の体型がお、おおお子様みたいですってええ!? 確かに聞いたわ! じゃなくてツェルプストー! なに勝手に入ってきてるのよ! 学院内で『アンロック』を使うのは禁止のはずでしょうが!」
「ご挨拶ね、あなたが心配だから見に来てあげたのよ? どうやら平民を使い魔にしたらしいじゃないの。落ち込んでるんじゃあないかってね」
「なっ! あん、た……い、いけ、いけしゃあしゃあぁ……ッ」
ルイズはいろいろと言いたそうだが、言いたいことがまとまらないのか、口元をわなわなと震わせているだけで声がでていない。頭に血が上ると、舌が回らなくなる性質らしい。
そんなルイズを捨て置いて、グンバツな女生徒はリキエルに視線を向けた。

「あなたお名前は? 私はキュルケっていうの。二つ名は『微熱』」
「オレはリキエル」
 リキエルは唐突に入ってくるなりルイズと口論――食って掛かっていたのは主にルイズだったが――を始めた女に面食らっていたが、どうやら隣人であることがわかると、こういったこともさして珍しくはないのだろうと判断した。
キュルケはリキエルを値踏みするように上から下まで観察した後、ルイズに視線を戻し、挑発するような笑みを顔に浮かべた。
「本当に平民なのね。因みに私はサラマンダーだったわ、正真正銘、火竜山脈のね。好事家に見せたらまず値段なんてつかないでしょうね~」
「ぐ、だからなんだっていうのよ! そんなこと言いに来たんなら、さっさと自分の部屋に帰りなさいよ!」
 サラマンダーを召喚したという言葉にルイズは一瞬たじろいだが、すぐに持ち直してキュルケ部屋から追い出そうとする。キュルケも長居するつもりはなかったらしく、「乱暴ね」などと言いながらも出て行くそぶりを見せた。
「そういえば、キスのお味はどうだったのかしら? まさかあれが初めてじゃあないわよね? まあどうでもいいけど。じゃ、おやすみなさいね~」
が、ただで出て行くつもりもなかったようで、非常に強力且つ、主にリキエルにとって危険な爆弾を放り投げていった。その爆弾は、理性によってなんとか抑えつけられていたルイズの怒りを、ものの見事に爆破した。
「ぬう~~~っ! ツェル、プス、トオオオォォオオオオ!」
 言葉を発するもままならず、ルイズは獅子の咆哮もかくやそう叫ぶと、乱暴に服を脱ぎだし、これまた乱暴にネグリジェへと着替えだした。
 なぜ脱ぎだす? だとか、繊維を傷めるんじゃあないのか? だとかをリキエルが考えている間に、ルイズは着替えを終え、呆けた顔のリキエルに小山ほどの量の何かを投げつけた。
「もうっ! 寝る! 疲れた! 洗濯!」
 色々と抜け落ちた言葉で叫ぶと、それを最後にルイズは本当に寝てしまった。
 使い魔の役割を話すことはおろか、リキエルを気遣うような思考も、とうの昔に白河の底である。いや、多少なりともそんな思考があったからこそ、そして疲労が溜まっていたために、リキエルは怒鳴られる程度で済んだのかもしれなかった。
これが普段のルイズであれば、リキエルが無事に次の朝を迎えることはなかっただろう。とりあえず鞭で十六連打された後、延髄蹴りに部屋から蹴り出されていたはずだ。
 なぜルイズがそこまで激昂するのか? その理由は使い魔とメイジとの契約の儀、『コントラクト・サーヴァント』の方法にある。
 その方法というのが――勿論リキエルの与り知るところではないが――口付け、有態にいえばキスなのである。

呼び出した使い魔が人間で平民で、さらにその平民にキスしなければならない。ルイズは初めそれに明確な拒絶を示し、再度の召喚を猛烈に望んだが許されず、結局リキエルにキスする破目になったのだ。
しかも実をいえば、それはルイズのファーストキスだったのである。うら若き乙女の初接吻ともなればその重要性は語るに及ばず、それを見ず知らずの馬の骨、もとい牛の皮に捧げざるを得なかったルイズの苦悩は、推して量って知れずとも知るべしである。
そして、あくまで使い魔との契約のためなのだから、あれはキスのうちにカウントしないはず、と半ば以上無理やりに納得し、忘却の向こう側へ押し込もうとしていたところにキュルケの爆弾である。たとえルイズでなくとも、堪忍袋の尾が切れることこれ必定也、である。


「気をつけた方がいいかもな、これは」
 知らず知らずのうちに命拾いしたリキエルは、それでも本能的に危険を察知していたようで、ルイズはキュルケを敵視しているらしいということを心に刻んだ。ついでに、身体的なコンプレックスがあるらしいことも、備考として刻む。
 それから渋い顔をして、先ほど投げつけられたものを拾い上げた。衣服の類と……下着にしか見えない白い布。これを洗えということらしい。どうやら、身の回りの世話や雑務全般を押し付けられたようだった。
「……まあいいか」
 嘆息しながらも、リキエルは自分を納得させる。
 高飛車で高圧的な態度は、生きた封建という制度と年相応のわがままで話が付く。洗濯は仕事と思えばどうということもない。何もできないと言ったのは自分だし、本当のことだ。これくらいのことは当然と思えばいい。恩云々を置いておくにしても、上下しか分からないこの世界では、薄く寝息をたてるこの少女に頼るしか、他にないのである。
「男にこういうのを洗わせるってのはどうかと思うがな。貴族ってのはそういう奴らってわけか?」
 ルイズに言ったものか、そう皮肉気につぶやいたリキエルは、とりあえず寝床を探し始めた。今から洗濯をするほどの気力は残っていない。今日は寝て、明日の朝早く起きしてやればいいだろうと、リキエルは思ったのだが、
「あ……なんだ? 毛布の一枚もないぞッ! 床で、しかも布切れ一枚かぶらずに寝ろってことかよッ! これも貴族と平民の差ってやつなのか!?」
 使い魔の仕事もやぶさかではないと思っていたが、それもやはり間違いだったかと、リキエルは身の不遇を嘆きながらも床に寝転がった。そうすると、まだ少し脳が興奮しているのか、取り留めのない考えが浮かんでは消えていく。
(冷たい床だな。石だからだろうな……お、体温で温まってきたなァ。冷てェ! 寝返りはまずかったか。自転車のサドルとかも、こんな感じで冷たいよなァ。朝方とかよォー。そういや、バイクはどうなったんだっけか。ま……いいか。乗っても、また事故るだけ、だろうさ。床は冷たいが、寒くは、ないな。秋か、春か、この世界にも、季節とか暦ってのは……あるんだろう、なァ)
 ふと、目じりのあたりに痺れるような感じがしたので、リキエルはまぶたを少し強く閉じた。すると、強い虚脱感が体を襲う。興奮の裏に潜んでいた抗いようもない睡魔が、リキエルの腕を掴み、引き込もうとしているらしかった。
 リキエルはまた、漫然と身を任せた。


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