ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

第三十二話 『魅惑のアルバイター』後編

最終更新:

匿名ユーザー

- view
だれでも歓迎! 編集
 ウェザーたちが雇われた『魅惑の妖精』亭は一見ただの居酒屋だが、かわいい女の子が際どい恰好で給仕をしてくれるので人気の店であった。スカロンはルイズのその容姿に目を付け、連れ込んだのである。
 で、そのルイズはどうしているかというと、
「・・・・・・ご、ご注文の品、お持ちしました」
 引きつった笑顔を必死に浮かべて、ワインとグラスをテーブルに置いていた。目の前では、にやにやと下卑た笑みを浮かべた男がルイズを見ている。
「おう、来た来た。じゃ、注いでもらおうか」
 平民にへいみんにHEIMINに酌?貴族のわたしが?きぞくのわたしが?KIZOKUNOWATASIGA?
 屈辱に煮えたぎったルイズの頭はもはやまともな言葉を出すことすら困難であった。
「あん?どうした?いいから注げって言ってんだろ?」
 ルイズは おおきくいきを すいこんだ!
 深呼吸で気持ちを落ち着かせ、これは任務、任務、姫さまのため・・・・・・、と呪詛のように呟き、なんとか笑顔をつくる。
「で、ではお注ぎさせていただきますわ」
「ふん・・・・・・」
 ルイズはビンを持ち、グラスにゆっくりと注いでいく。が、怒りで震えていたために狙いがはずれ、ワインが男のシャツにこぼれてしまった。
「あ、テメ、こぼしやがった!」
「す、すいませ・・・・・・ん」
「すいませんですむか!・・・・・・・・・でもお前、胸はねえけど割と別嬪だな」
 じろじろと見つめられているルイズの顔から、さぁーっと血の気が引いた。
「気に入った。じゃ、ワインを口移しで飲ませてもらおうかな!それで許してやるよ!あっはっは」
 と、ルイズはその口にワインを含むと、笑っている男の顔面に向けて吹きかけた。
「なにすんだこのガキ・・・・・・え?」
 ドズン!とテーブルを踏みならして片足をかけたルイズの迫力に、男はたじろいでいた。
「げげげげ下郎。あああああたしはねえ、おそれおおくも、こここここ、こうしゃ――――」
 公爵家と言いかけた瞬間に、ルイズの後からスカロンのタックルが決まり、ルイズは軽々と跳んでいってしまった。
「ご~~~~めんなさぁ~~~~い!」
 男の隣にどっかと腰掛けると、逃げようとする男の腰を掴んで問答無用に男のシャツを布巾で拭き始めた。
「な、なんだよオカマ野郎・・・・・・てめえはお呼びじゃあ・・・・・・」
「いけない!ワインで濡れちゃったわね!ほら、ルイズちゃん!新しいワインを持ってきて!その間はぁ・・・・・・とっくべつにこのキング・オブ・妖精こと、このミ・マドモワゼルがお相手つとめちゃいま~~~~っす!」
「いや、それ普通はクイーン・オブ・妖精じゃ・・・・・・ちょ、ま、待て!や、やめ・・・アーッ!」
 逃げだそうと試みていた男だったが、スカロンの怪力の前にあえなく捕獲。問答無用の究極接待の餌食となった。周りの客も笑っているだけで、助けにはいかない。
 男の悲鳴で我に返ったルイズは、慌ててワインを取りに駆け出していった。

 一方ウェザーはと言うと・・・
「~~~~♪」
 鼻歌交じりに食器を洗っていた。ウェザーも宿を借りている身なので当然なにかしらで返さなければならない。そしてそれが店での下働きであった。
 店は繁盛しているので山のように食器が運ばれてくるというのに余裕の表情である。
 それもそのハズ。店の刺繍が入ったエプロンを身につけたウェザーの手の動きはかなり素早い。しかもそれだけではない。皿洗い用の布につける洗剤は限りなく少量。水も新しいものを流すのではなく限界までためた水を使い節水を心がけている。
 皿を洗う際は汚れを落とすための強さで洗い、決して食器を傷つけることは許さない。そして洗い終わった食器を手早く拭いていき、丁寧に重ねていく。そこまでの流れは破壊力E(汚れを落とす力はA)・スピードA・精密動作性Aであった。
 気づけばあれだけあった洗い物はウェザーの手際の前に全滅していた。ウェザーは洗い終えた食器を一枚手に取りその面を指で擦る。きゅきゅっ、という小気味いい音が耳朶に届き、思わず笑みがこぼれる。
 するとそこへ派手な格好の少女が現れた。長いストレートの黒髪に太い眉が活発な印象を与える可愛らしい子である。年の頃はルイズと同じか少し上だろうか。いや、そもそもルイズの見た目は当てにならなかった。
 胸元の開いた緑のワンピースを着ており、その開放された地区の谷間は否応なしに目に入ってしまう。
「ほーら新入り、お皿追加――――って、もう終わったの!?」
 少女は驚いた様子で食器を置くとウェザーの手から皿をひったくりウェザーと同じように擦って確認した。むむむ、と神妙な顔つきで唸ってからころっと笑顔に変えて皿を返す。
「すごいじゃない!完璧よ完璧!慣れない新人君に手解きしようかと思ってきたのに、これじゃあ逆にあたしの『自信』ってヤツが粉々だわー」
「ふふん、舐めるなよお嬢ちゃん。俺はこう見えて皿洗いの経験は豊富なんだぜ」
 そう。ウェザーは貧しい家の育ちゆえに、多くのバイト経験を持ち、皿洗いやウェイター、運搬などは完璧にこなせたりするのだ。多くの経験と努力の積み重ね。たかが十円に一喜一憂した日々。これがッ!これがッ!これが『時給戦隊アルバイター』だッ!
 すると少女は感心したように目を見開くと、からからと笑い出した。
「あっはは、すごいねあなた。即戦力は大歓迎だよ。でもあたしはお嬢ちゃんじゃなくてジェシカって言うんだ。おにーさんは?」
「ウェザー」
「ヘンな名前」
「面と向かって言うかよ・・・」
 そんなやり取りをしていたらジェシカがウェザーの横に立ち皿洗いを始めた。ウェザーほどではないがそれでもかなりの手際である。ウェザーも手を動かし始める。今度はさっきよりも速度を落としてジェシカに話しかけながらだ。
「しかしお前こんなとこで油売ってていいのか?」
「いいのよ。だってサボりに来たんだもん」
 疲れちゃってねー、と屈託なく笑うジェシカ。
「素直でよろしい」
「お、話が分かるねー」
 その後も下らない話をしながら二人で皿をかたしていく。
「そう言えば皿洗いの経験豊富みたいなこと言ってたけど、やっぱワケあり?」
「まあな。ウチは貧しかったから、働いて家に入れないといけなかったし、欲しいものとかデート資金とかのためにもっと働かなきゃならなかったからな」
「へー、大変だったのね。でも、ここにいる子はみんなワケありなんだから特にいじられたりはしないよ。で、ワケありと言えばあの子、ルイズって何者なの?ていうか、兄妹はないでしょー」
「あー・・・・・・わかっちまうもんか?」
「そりゃあね。似てるところがなさすぎ。信じてる人いないわよ。そもそも、ウェザーってお兄さんって歳じゃないでしょ?」
 ウェザーの手が思わず止まる。
「あたしの見立てでは三十そこそこってところなんだけど、どう?当たってる?」
 ウェザーはジェシカの顔をまじまじと見つめてしまった。
「・・・年齢がばれたのはお前が初めてだよ」
「あたしってここの女の子たちのまとめ役だしさ、仕事柄色んな人見てるから、人を見る目には自信があるんだ。あ、それとパパもとっくに気づいてるわよ」
「ほー。・・・・・・パパ?」
「そ。あったしー、スカロンの娘だもん」
 ウェザーの手からスポンジ代わりの布がずり落ちて、べちゃっと床に張り付いた。ウェザーは頭を押さえて考えてから尋ねる。
「それは・・・養子的な意味で?」
「ううん。実子よ。正真正銘」
 あのモンスターからこんな可愛い子が生まれるとは・・・・・・
「じ、人類の夜明け・・・・・・」
「?何それ」
 と、そこへスカロンが顔を表したのだ。噂をすれば何とやら。
「こーら!サボってたらダメでしょジェシカ!働きなさい!これからが本番よ!」
 はーい、と答えたジェシカは店の方に向かう。と、途中で振り向いて、
「でもあたしって結構年上好みなのよねー。おじさんの相手ばっかりしてるからかしら?」
 と言って花のような笑顔で手を振り出ていった。もっとも、職業柄のおべっかだろうが。

「えー、では、お疲れさま!」
 店が終わったのは、空が白み始めた朝であった。慣れない仕事にフラフラのルイズは、ウェザーの裾につかまって半分寝ていた。瞼を開いているのが苦痛でしょうがないのだ。
「みんな、一生懸命働いてくれたわね。今月は色をつけといたわ」
 歓声が上がり、店の女の子や厨房のコックたちに給金が配られ始めた。どうやら今日は給金日であるらしい。
「はい、ルイズちゃん。ウェザー」
 わたしたちももらえるの!とルイズの顔が輝き、袋を逆さにしてみた。わたしったら貴族なのにこんなことさせられたんだから、それ相応の額よね!と期待に胸を膨らませながら。ところが、出てきたのは紙切れ一枚だった。
「なに、これ?」
「請求書よ。ルイズちゃん、あなた何人のお客さんを怒らせたと思ってるの?」
 なんてことだ、と意気消沈したルイズはウェザーを見上げた。こいつもきっとガッカリしてるんでしょうねー、なんて事を思いながら。だが、ウェザーの手の中のものを見て、ルイズは我が目を疑った。
「あ、あんた何でそんなにもらってるのよ!」
 ウェザーの手の中には確かにお給金があった。なぜ自分だけ請求書で使い魔のウェザーには給金を出すのかと、ルイズはスカロンに食ってかかろうとしたが、出鼻を挫くようにスカロンは言った。
「ウェザーは皿洗いだけじゃなく、頼まないでも掃除をしてくれたりと大変お店に貢献してくれたから、ミ・マドモワゼルからの感謝と愛の分が入ってるわ」
「愛の分はさっ引いてくれ」
「でも、いいのよルイズちゃん。初めは誰でも失敗するわ。これから一生懸命働いて返してね!」
 項垂れるルイズに、スカロンは優しく諭したが、ルイズはそれにため息でしか答えることは出来なかった。

 その夜、二人にあてがわれた部屋を見てルイズは再びため息を付いた。
 そこは屋根裏部屋で、どう控えめに見ても人が暮らす機能を備えてはいなかった。埃っぽく薄暗いそこは、壊れたタンスに歪んだ椅子、酒瓶の入った木のケースや樽と言ったものが雑多に置かれた、ようするに物置であるらしい。
 奥の方に粗末な木のベッドを見つけて、ルイズが腰を下ろすが、足が折れてどすんと傾いた。
「なによこれ!」
「ベッドだろう。廃材じゃなければな」
 蜘蛛の巣を払ってウェザーが小さな窓を開けると、蝙蝠たちが雪崩れ込んできて梁にぶら下がった。
「なによそれ!」
「同居人だろう。先客だから上座は当然なんだろうな」
 ウェザーに動じた様子が全くないことにルイズの苛立ちは大きくなるばかりだ。ウェザーは無言で毛布の埃を払い、ベッドに敷き直す。
「ほら、寝るぞ。スカロンが言ってたろ。俺は昼には起きて仕込みだから。お前は店の掃除な」
 ベッドに横になったウェザーがぺしぺしと自分の隣を叩いて促す。その仕草にルイズの顔が赤くなっていった。
「い、一緒のベッドで寝る気なの?」
「そりゃあこれしかベッドがないからな。仕事があるから俺もグッスリ寝たいし・・・・・・だいたい湖の時に一緒に寝てたろ?」
 あれは勢いというか、他のみんなも一緒だったからできたある意味奇跡だ。アニエスに対抗したと言ってもいい。ルイズはむ~~、とか、う~~と唸っていたが、やがて観念したかのようにベッドに潜り込んだ。
 もぞもぞと動きながら枕を探すが見あたらない。見ればウェザーが一人で使ってしまっているのだ。ご主人様を差し置いて枕を独り占めするとは何事かと、「枕」と強めに言い放った。
「ん?ああ、そうか。すまんすまん」
 そう言って差し出されたのはウェザーの腕だった。一瞬、ルイズの思考が止まる。それからちらっとウェザーを見たが、すでに目を瞑って寝ようとしているらしい。結局ルイズは頬を熱くしたまま腕を枕に横になった。
 すると、ウェザーが頭を撫で始めたのだ。最初は戸惑ったルイズだったが、その温かさに安心感を持ち始めていた。
(まあ、夏期休暇中ずっと一緒にいられるのは・・・嬉しいかな。もしかしてウェザーも・・・・・・なんてね)
(親子か・・・・・・あながちはずれてねえな。俺も人の親になれるんだよなあ)
 噛み合わない二人は、疲れに引き込まれるようにゆっくりと眠りについていった。

 しかし、ルイズの安息は長くは続かなかった。
 次の日からもウェザーは裏で、ルイズはホールでそれぞれ仕事をしているのだが、ある日、ルイズは客たちの自分への評価を理解した。
 一つは色々と小さいルイズを見て、この店はガキを使っているのかと怒る連中。
 もう一つは、特殊な性癖の持ち主で、積極的にルイズに絡み、お触りに挑戦する連中。
 共通点としては、どちらも結局ルイズのサービスによって両の頬に真っ赤な手形をつけて帰ることだろうか。もちろん、その後でルイズはスカロンに呼び出され「ここで他の女の子のやり方を見ていなさい」と隅に立たされるが。
 見てみれば、なるほど、他の子たちは巧みだった。ニコニコと微笑み、決して怒らない。相手を誉め、持ち上げ――――しかし決して一線を越えさせはしないのだ。男たちはそんな娘たちの気を引くためにチップをはずむ。
 たとえチップを貰えようとも、あんなことできるわけないじゃない!
 メイジは貴族のこの世界、生まれたお家はヴァリエール。恐れ多くも公爵家!領地に帰ればおひいさま!のルイズである。たとえ世界が一巡したってあんなお愛想はかませない。
 わたしは何をやっているのだろうかと疲れが増した気がしたルイズは、ウェザーの所にでも行くかと厨房の方に体を向けた。
 しかし、そこにいたのはジェシカと楽しげに話しているウェザーの姿だった。
 ウェザーが大仰な仕草で冗談でも言ったのか、ジェシカはその長い黒髪を揺らして笑い転げる。お腹を押さえながらウェザーの横っ腹を小突いてまた笑い出す。二人で。とても会って数日とは思えないような親密度だ。
 なによ、ご主人様が屈辱に歯噛みしているっていうのに、あんたは女の子と楽しく雑用ですか。ああそうですか!ここに来てから毎日色んな娘と話してるわよねえ、あのスケベ・・・・・・
 気づけばルイズの足は床を踏み鳴らしながら進んでいた。

 ウェザーがゴミを裏口から外へ運び出したとき、ゴミの山のてっぺんにやけに綺麗な封筒が落ちているのを見つけた。いや、置いてある、と言うべきだろうか。そこには"ウェザーへ"と書いてあったのだ。
 ゴミを置いてからその封筒を手に取る。別段変わった風でもないが、少し重い。中に何かが入っているようだ。ウェザーは警戒するでもなく封を切り、封筒の中を手のひらにひっくり返した。
「これは・・・・・・土?」
 その土はウェザーの手の中からこぼれて地面に落ちる。ウェザーはしばしその土と睨めっこをしていたが、やがて封筒を破り捨てて戻っていってしまった。
 戻って早々、何度目かの皿がひっくり返される音を耳にして、ウェザーはため息をついた。案の定ルイズがやらかしたのだ。何をやってるんだあいつは。
 その時、いきなり視界が何かで塞がれて真っ暗になってしまった。
「だーれだ?」
「・・・・・・またサボりか、ジェシカ」
 目を覆っていた手を掴み振り向けば、イタズラっぽい笑みを浮かべたジェシカが立っていた。後から飛びついて手で視界を隠していたのだ。
「よくわかったわね」
「そりゃあお前・・・・・・こんなガキ臭いことするのはここじゃお前だけだからな」
 さすがに胸が当たってたからとは言えなかった。
「え~?本当は胸でわかったとかじゃないの~?」
 確信犯か、こいつ。
「ま、これもサービスサービスぅ!」
 ジェシカは胸を寄せて上げてみせる。それも面白いくらいに谷間が強調されるのだ。
「あ、そうそう!あったしー、わかっちゃったのよねー」
 得意げに指を立ててそう言う。ウェザーが促すと、自信満々に続けた。
「ルイズ。あの子、貴族でしょ!」
「その心は?」
「あの子ってばお皿運びの仕方も知らなかったのよ?おまけに妙にプライドが高いし、何だかあたしたちのこと見下してる節があるのよね。微妙なところだけど。どう?あたしってば人を見る目は人一倍なのよ!」
 まあ、確かにルイズの平民っぷりは酷いものがある。遅かれ早かればれるかと思ってはいたが、予想以上の早さにウェザーは苦笑いするしかなかった。そしてジェシカはそれを正解だと受け取ったらしい。
「だーいじょーぶ!誰にも言わないから。でも、何か事情があるんでしょ?なになに?」
 まるで好奇心の塊だ。にかにか笑いながらウェザーに詰め寄ってくる。どうやってはぐらかすか。
「ふう・・・・・・ばれちゃあしょうがない。そうさ、俺とルイズはただの平民じゃあない。実はだな、胸に七つの傷を持つ男を捜しているんだ」
「それってパパのこと?」
「伝承によれば、『ホクトアラワルルトキ ナントミダレル』・・・なにィッ!?」
「うっそー。無いわよそんな傷。商売柄パパも肌には気を遣ってるからねえ」
「肌って・・・・・・あれが店に出ること自体が営業妨害じゃねえか・・・・・・」
「ひどいわね。あれでも優しい、良いパパなのよ。お母さんが死んじゃった時に、じゃあパパがママの変わりにも努めて上げるって言い出して・・・・・・」
「トレビアンか」
 ジェシカは頷いた。
「で、パパのことはいいのよ。ウェザーが貴族の娘と何をしてるのか、それを知ることだけが満足感よ。だから、ねえ・・・」
 ジェシカは体をくねらせてウェザーの体にすり寄ってきた。わざわざ胸が腕に当たるように調整している辺りが確信犯的だ。
「下心丸見えの誘惑に乗るほど飢えてねえよ」
「あっそ」
 あっさりとジェシカは引き下がった。と、まさに紙一重のタイミングで今さっきまでジェシカの頭があった場所にグラスが飛んできた。目標を見失ったグラスはそのまま壁にヒットして粉々になる。
 ウェザーが視線を移すと、真っ白なキャミソールを着たルイズがグラスを投げた姿勢のまま震えていた。
「ちょっとルイズ、あんた何してんのよ!店のグラスを投げるなんて!だいたい接客は?まだ仕事中でしょ?」
「うっさいわよ!だいたいアンタだってサボってるじゃないのよ!」
 するとジェシカは、ポケットから銅貨を一掴み出して見せた。
「あたしは休憩してるの。ちゃーんと仕事した人間には当然与えられるべき権利よ。で、ルイズは?どれだけ働いたのか、教えてみなさいよ」
「か、関係ないでしょそんなの!」
「大ありよ。わたし、女の子の世話役でもあるんだから。迷惑なのよ。客は怒らせるわ注文一つ取れないわ、グラスも投げるし」
 ジェシカのもっともな意見にルイズはそっぽを向いて唇を尖らせる。
「ま、ガキに酒場の妖精は務まらないって事ね」
「ガキじゃないわよ!十六だもん!」
「え?あたしと同い年だったの?」
 ジェシカは本当に驚いたのか、目を見開いていた。そしてルイズの胸を見て、自分の胸を見る。ぷっ、と口を押さえる。
「ま、頑張ってー。期待してないけど。でも、これ以上やらかしたら、クビだからね。たとえどんな身分だろうと」
 ルイズの肩を叩きながらそう言って、ジェシカはホールに足を向けた。
「じゃ、まったねーウェザー!」
「しっかり稼げよ」
 ルイズに見せつけるかのように投げキッスのおまけを付けてジェシカは去っていった。しかしルイズの怒りは収まらないようだ。
「な、なによ・・・・・・なんでバカ女っていうのは揃いも揃って胸を比べるのよ!ちょっと、ウェザー!あんたもなに普通にいちゃこいて馴染んでんのよ!わたしたちの目的を忘れてんじゃないでしょうね」
「情報収集のためには当然だろう?それから、ジェシカの言うとおりだ。お前ちっとも店に馴染もうとしない。暴れて目立って・・・お前の方が目的を忘れているんじゃないのか?真面目にやれよ」
「やってるわよ!」
 ウェザーは黙ってルイズの目を見つめる。その視線に気圧されてしまったルイズは、とうとう癇癪を起こしてしまった。
「もういいわ!やってらんない!」
 肩を怒らせながら二階への階段を上がっていってしまった。姿が見えなくなってから、ウェザーはため息を一つつく。
「やれやれ・・・・・・」

 ルイズは部屋に入るといきなりベッドにダイブした。ぼろいベッドが不安定な悲鳴を上げる。
 なんでわたしがこんなことしてるの?なんでこんなことしなきゃならないのよ!わたしは『虚無』のメイジでしょうに、こんなところで燻っていて良いはずが無いじゃない!
 投げ出した手足をばたつかせて暴れる。が、すぐに虚しくなってしまいやめた。急に静かになった室内には、階下からの明るい騒ぎ声が届く。それがまた、ルイズを虚しい気持ちにさせるのだ。
 寝返りを打って窓の方を向いてじっとしていると、空が微妙に明るくなってきているのがわかった。そろそろ店仕舞いだろう。階下の音も小さくなっていく。と、床の板が開きウェザーが顔を出した。
「飯だぞルイズ。しっかり食わないと、昼からまた仕事だぞ」
 その手にはまかないであろうシチューの皿があった。しかし、ルイズは窓の方を見たまま言い捨てる。
「いらない。もうお店にも出ないから」
「にしたって食わなきゃ死ぬぞ。ほら・・・」
 ベッドに腰掛けたウェザーがルイズの口にスプーンを運んでやる。だが――――かしゃん――――ルイズはその手ごとスプーンを払い除けた。ウェザーの手から飛ばされたスプーンが床に落ちて悲しい音を立てた。
「いらないっていってるでしょう!わたしはこんな所でバカやってるような立場じゃないのよ!『虚無』よ、『虚無』!もっと相応しい任務があるはずよ!こんな汚らしい仕事は、汚らしい平民にでも任せて――――」
 パキィッ
 乾いた音が部屋に響いた。ウェザーの拳によってルイズの左の頬が赤く腫れる。一瞬放心してしまったルイズだったが、すぐにウェザーを睨み、叫んだ。
「っあんたッ!なにすんのよッ!」
 だがウェザーはルイズの言を一顧だにせず、ルイズの襟首をひっつかんで上半身を引き上げた。
「この大バカ野郎がッ!その態度はなんだッ!俺はオメーは他の貴族連中とは違うと期待していたんだぜ?ええ!?」
「でも・・・あたしは貴族よ!」
「ああ・・・確かにそうだな・・・こんなに早くに『貴族』だってバレるとは、お前の演技力を差し引いてもジェシカのやつ、大した観察眼を持ってるよ!だがそんなことは遅かれ早かれバレるだろうってのは承知の上なんだよ。
 まだわかんねーのか、ママッ子野郎のルイズ!いいかッ!俺が怒ってんのはな、テメーの『心の弱さ』なんだルイズッ!そりゃあ確かに、今まで蝶よ花よと育てられてきた貴族が平民に交じらなきゃならねえんだ、不貞腐れるのも当然だッ!
 誰もお前を貴族扱いしないんだからなッ!
 だが!お前は姫さまの力になりたいとあの時言ったはずだッ!俺達の仲間の他の奴ならッ!自分の力が大切なモノのために使えるってこの時に、任務の『でかい』か『小さい』かを気にして不貞腐れたりしねえッ!
 たとえバカにされようが、平民扱いされようともなッ!
 オメーは『ママッ子』なんだよルイズ!驕ってるんだ・・・・・・慢心してんだ!わかるか?え?俺の言ってる事。
 任務の内容のせいじゃあねえ。心の奥のところでオメーには驕りがあんだよ!伝説の力を手に入れた自分は特別なのだと!自分は上位人種なのだとッ!無意識のうちに!だから『虚無』の話にもシエスタを呼ばなかったんだ!
 『成長』しろ!ルイズ。『成長』しなきゃあお前はいつまで経っても『ゼロ』のルイズだ!そしてハッキリと言っておくぜ。
 この店の奴らは誰一人、学院の廊下や角で『授業かったりい』『親のコネがあるからどうでもいいや』って日々を無為に過ごしてるような負け犬じゃあねえ。一生懸命やってるやつは汚くなんかないッ!
 『成長する』と心の中で思ったならッ!その時すでに行動は終わっているんだッ!」
 一気に捲し立てられて、ルイズはその気迫に全身の力が抜けてしまった。
「わ・・・わたしは・・・・・・」
「これは『試練』だ。お前が『成長』できるかどうかのな」
 ルイズを解放したウェザーは部屋を出ていこうとする。ルイズは止めようとするが、力が入らず声が上手く出ない。
「これは・・・・・・お前が一人で乗り越えなければならない『試練』だ」
 ウェザーは振り返ることなくそう言い残して、部屋を後にした。残されたルイズは動かなかった。朝日が窓から差し込んできてようやく、自分が泣いていることに気がついた。

 部屋を出たウェザーは階段を下りながら頭をかいた。
「・・・・・・外で頭冷やすか」
 冷静になってみて、顔を叩いたのはやりすぎたかと思い直したのだ。ついカッとなったが、波が引けば残っているのは掌の熱さだけ。
(まあ、これが何かのきっかけになってくれれば幸いだがな。まったく、世話のかかる娘だ)
 反抗期の娘を持つとこんな感じなのだろうかと、奇妙にまとまらない頭を引きずって一階についた。
「・・・・・・?・・・・・・・・・ッ!」
 すると、厨房の方から声が聞こえてくる。こそ泥かとも思ったが、近づいてみるとどうやら言い争っているらしい。角からこっそりと中の様子を覗くと、ジェシカともう一人の女の子が何事か言っていた。
「ジャンヌ!あんたまた"薬"やってたなんて・・・・・・どういうつもりよ!ここに来た時にやめるって誓ったじゃない!」
 作業台の上には何やら重曹のような、白い粉が落ちている。近くにはすり鉢が置いてあるのを見るに、"薬"とやらをあれで粉状にして使っていたようだ。
「ジェシカには・・・関係ないでしょ」
「大ありよ!あたしはここのみんなの――――」
「まとめ役・・・・・・でしょ?」
 ジャンヌと呼ばれた少女は口の端を歪め、バカにしたようにジェシカを見る。
「いっつもそれよ・・・・・・本当迷惑。知ってた?あなたみんなからうっとおしがられてるってさあ。ちょっと人気だからって調子に乗ってるオカマの娘」
「ジャンヌ・・・・・・」
「・・・・・・もういいでしょ。わたし疲れてるの」
 ジャンヌはジェシカの視線を避けるかのように下を見て、厨房を後にした。ウェザーは壁に張り付いていたが、どうやらそれに気づく余裕もないらしい。その姿が見えなくなってからウェザーは厨房に入った。
「ヒック・・・・・・なんで、うう・・・・・・」
 ジェシカは作業台に突っ伏していた。ウェザーは何も言わずにそばまで近寄り、その背を撫でてやる。ジェシカが落ち着くまで、ずっと。

「落ち着いたか?」
 それから数分でジェシカは顔を上げた。今は厨房に二人並んで座っている。
「うん・・・・・・あ、あはははー。恥ずかしい所見られちゃったなあ!このことは二人だけの秘密って事で・・・さ」
 赤い目で精一杯笑うジェシカにウェザーは視線で頷いた。
「・・・・・・"薬"、と言っていたな」
 作業台の粉を指で掬って尋ねる。ジェシカは俯いて、ゆっくりと話し出した。
「ここの女の子たちはわけアリだって前に言ったでしょ?ジャンヌもそう。詳しい過去なんて誰も知らないし、本人も言わないけど。でもジャンヌは元々超がつくほどの引っ込み思案なのよ。普段はあんなこと言えるわけがない。
 両親がいないジャンヌは、日銭を稼いでしのぐ日々を続けていたわ。辛さは当然あったし、抜け出したい気持ちはなおさら。そんなところにある男が声をかけてきたらしいの。男は"楽になりたいか?"と尋ねた。
 ジャンヌは当然"はい"と答えた。そして男はジャンヌに"薬"を渡したのよ。"君の気持ちを軽くしてくれる"なんて言って。実際それはスゴイ気持ちよかったって言ってたわ。引っ込み思案が治るって、ね。
 でもそれは魔法の薬でも何でもない、心を壊す薬だったのよ!あの当時からそういったものが出回っていたっていうけど、ここは首都で職を求めて貧民が集まるからね。かっこうの狩り場だったんだろうね。
 あたしとパパがジャンヌを見つけたとき、完全にラリってて、ナイフを持って恐喝してきたの。でもパパに返り討ちにあって、捕まるのかと思ったんだろうけど、パパは"ウチで働かない?"って」
 スカウトされたあの時のスカロンの顔を思い浮かべる。恐らくはジャンヌの時と違っていないだろう。
「それからはみんなで協力して、必死に薬抜けしたのに・・・・・・なんでまた・・・・・・」
 俯いたジェシカの目からきらきらと滴が零れる。
「怖いの・・・。あたしはこの街が好き。みんなが好き。賑やかでバカやってるここが大好き。でも、何か真っ黒なモノがこの街にやってきて、全部持っていってしまう気がして怖い・・・・・・怖いよぉ・・・」
 そこには、あの気の強いタニアっ娘の姿はなく、年相応の少女がいるだけだ。ウェザーは肩を震わせるジェシカの頭を抱いた。
「お前は優しいな・・・。心配するな。絶対に大丈夫だから・・・・・・」
 柔らかく言葉をかけるウェザーの胸にしがみついてジェシカは泣いた。

 朝露が香る石畳をウェザーは踏みしめた。朝日がうっすらと街を包み始める時刻。朝雲を見るだに、今日もよく晴れて暑くなりそうだ。
「・・・どこか行くの、ウェザー?」
 声のした方を向けば、スカロンが腰をくねらせ立っていた。
「ジェシカは店で寝かしてあるから。それと、しばらく帰ってこれねえかもしれない・・・・・・ルイズのことも頼む。ワケは話せねえが、あいつはやればできるやつなんだ・・・・・・」
「そんなこと知ってるわ。じゃなきゃお店に出さないもの。それに理由も聞かないし、わかってるから」
 スカロンは全て解りきったと言う顔で、ウェザーを見つめている。
「男には行かなければならない時がある・・・・・・だから、行って来なさいな。そして、何があっても帰ってくるの。這ってでもいい惨めでもいい。ただ、帰ってきてくれるだけであの子は幸せだから」
「・・・・・・まったく、お前といいジェシカといい、ここには何でこんなにイイ女が揃ってるんだろうな」
「それが『魅惑の妖精』亭のヒ・ミ・ツ。でも、それでもルイズちゃんの心配なんて、本当親馬鹿ね」
「ガハハ、かもしれねえな。だが、拾われた命だ。せめてあいつが巣立つまでは見ていてやりてえ」
「大丈夫。あの子は飛べるわよ。高く高く、ね。これ、女の勘だから」
「百発百中だな」
 ウェザーは軽く笑って、スカロンに頭を下げた。そして、まだ眠る街に消えていった。
 その背を見送ったスカロンは、店の屋根を見上げた。そこで眠るお姫様を。
「どんなときでも女の子の心配だなんて、まったく、本当男ってバカよね・・・・・・」

To be continued...


タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

記事メニュー
目安箱バナー