ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

ゼロと奇妙な隠者-60

最終更新:

匿名ユーザー

- view
だれでも歓迎! 編集
 レコン・キスタの奇襲により開始されたタルブでの会戦は、二日も経たず終わりを迎えた。
 トリステイン王国王女アンリエッタ・ド・トリステインと、アルビオン王国皇太子ウェールズ・テューダーの手によるオクタゴンスペルにより、アルビオン軍は艦隊及び地上軍の大半を喪失。
 竜巻の直撃と、竜巻に巻き込まれた艦隊の直撃を受ける事無く、幸運にも辛うじて生き残った兵達は、始祖の子孫達の恐るべき魔力を目の当たりにした為にそのほぼ全てが投降、もしくは逃走を図った。
 タルブ平原に駆け付けたトリステイン軍は、逃走したアルビオン兵の捕縛に杖を振るう事となった。
 その顛末を、ルイズは知らない。
 タルブ平原に艦隊を突き立てた竜巻の後に発生した、まるで太陽が地表に生まれたかの様な光球を生み出した張本人である彼女は、ジョセフが操っていたゼロ戦が空に見えなくなったのを見届けた後、身体の底から湧き上がる激情に押され戦場を後にしていた。
 自分が伝説の虚無の担い手である事も、敬愛するアンリエッタを救えた事も、今のルイズには何の価値とてなかった。

 ――失った。無くしてしまった。

 自分の手で、使い魔を、ジョセフ・ジョースターを帰してしまった。
 もう二度と会う事が出来ない。
 別れを交わす事も出来ず、感謝を述べる事も出来ず。
 あんな『ひこうき』で来なくてもいい戦場までやってきて、最後の最後まで関らなくてもいい危険に関ってきた恩人に、何も自分は報いてやれなかった。
 鞍の上でルイズは、人目がないのをいい事にひたすら泣きじゃくっていた。
 涙が枯れ果てても、喉が嗄れ果てても、それでも悲しみは涸れなかった。
 日が落ち、二つの月と無数の星だけが照らす夜道を一人、ただ馬を進ませ、悲しみに暮れる以外ルイズは何もしなかった。
 魔法学院に帰り着いたのは、東の空が僅かに白み始めた頃。寝ぼけ眼を擦りながら出てきた馬子の前で馬から下りた後は、幽霊の様なおぼつかない足取りで寮へと向かうしかない。
 鉛の様に重い身体を強引に引っ張り上げる様な気持ちのまま、やっと辿り着いた何日ぶりかの自室のドアの前で、ドアノブに手を伸ばそうとし、ノブを握ろうとし、扉を開けるまでの段階でそれぞれ重大な決意を経過した後、ドアを軋ませながら開いた。
 双月の光だけが部屋を照らす中、つい数ヶ月前までそうだった部屋を見れば、また悲しみが膨れ上がる様に込み上げてくる。
 ジョセフがいない。ジョセフがいない。もう、帰ってこない――
 サモン・サーヴァントで図体のでかい老人を召喚してしまった時の失望から、掛け替えの無い存在になるまで、本当にあっと言う間だった。
 使い魔はメイジの半身だ、と言う言葉の意味を、ルイズはひたすらに痛感していた。
「う……うあっ、ううぅ……」
 もう泣きたくなんて無いのに、体の中から嗚咽が昇ってくる。
 ベッドに突っ伏し、布団を被り、枕を抱き締めて泣きじゃくろうとベッドに向かう直前に、机の上に残されたジョセフの帽子が目に入る。
 それと同時に、帽子の下に置かれた便箋が目に入ったのは、ほんの偶然だった。
「……手紙……?」
 ぐす、と鼻を啜りつつ、ジョセフが残して行ったのが明白な手紙を今読もうとする気になれたのは、馬の上で十分に泣いていたからだろう。
 帽子を摘み、きゅ、と両腕で抱いてから、便箋を手に取る。
「…………?」
 内容自体はすぐに読み終わる。
 しかし、意味が判らない。
 文法が支離滅裂だとか、字が汚くて解読不能だからではない。
 走り書きで書かれた文面は、これだけだった。

【ルイズへ。わしが元の世界に帰ってから15日後、もう一度サモン・サーヴァントを行え。出来れば広い場所で。コッパゲと、ジェットに選ばれた友人達も立ち合わせとけ】

「ん、んんんん……?」
 今の今まで悲しみばかりに支配されていたのも、どこかへ消え失せてしまった。
 ジョセフが何を意図してこの最後の手紙を書いたのかが、全く判らなかったからだ。
 一度使い魔になった動物は、死ぬまで使い魔のままだ。
 使い魔がいるメイジがサモン・サーヴァントを唱えても、ゲートが開く事は決してない。ゲートが開く場合は、使い魔が死んでいなければならない、が。
「……ジョセフが自殺するとか、有り得ないし」
 誰に聞かせる訳でもなくそう呟くと、ベッドに腰掛けて眉間に皺を寄せる。
 ルイズには確信があった。
 ジョセフ・ジョースターは、そんなつまらない事で死んだりしない。
 いくら可愛がっている主人の為とは言え、新しい使い魔を呼び出させる為に自分で死を選ぶ人間ではない。
 では、自分は死なずに向こうの世界で生きているとこちらに知らせる為?
「……だったら、15日後でなくていいじゃない」
 そう、意味が判らないのはわざわざ15日後と指定している事。
 自分の生存表明をさせる様なイヤミをするはずがないのも、ルイズは十分に承知している。
 では、一体この別れの挨拶が意味しているものは何なのか。
 そして、自分一人ではなく、友人達も立ち会わせる理由は何か。
 意味の判らない事をするとしても、意味の無い事をジョセフはするだろうか?
「…………この手紙を書いたのは……、この部屋を出て行く前よね」
 急いで部屋を後にしなければならない状況の中、これだけの文章を残せれば自分の目的を果たせるとジョセフは判断したと言う事だ。
「…………判らない、判らないわ」
 この手紙を残す意図が判らない。
 別れの挨拶にしては、余りに情緒がない。最後のメッセージとしては、余りに意味が判らない。
 ルイズは手紙の意味を考えるのを放棄した証拠として、背中からベッドに倒れ込んだ。
 生まれて初めて自分の系統に基づいた正しい魔法を行使した身体は、ルイズが考えているよりも強烈な疲労を蓄積させていた。
 そのまま深い眠りに落ちた結果、ルイズがもう一度目覚めた時には夜闇の中で月が煌々と輝いており、丸一日完全に眠りの中で過ごしたと気付くのにもう少しばかりの時間を要する事になったのは、また別の話である。

 ☆

 ――ジョセフが日食の輪を潜り抜けてから、15日後の昼。
 あの日サモン・サーヴァントでジョセフを召喚したアウストリの広場に集まったのは、ルイズとコルベール、そしてジェットに選ばれたキュルケ、タバサ、ギーシュの合わせて五人。
 ウェールズ本人は今となってはアルビオン亡命政府の長、つまりはアルビオン王国の王となっている。
 共に手を携え、アルビオン軍をウェールズとアンリエッタの二人で撃破した華々しい物語は、トリステインのみならず近隣諸国にも轟き渡った。
 アンリエッタ王女の政略結婚は土壇場で解消し、改めてトリステイン、ゲルマニアの軍事同盟にアルビオン王国が加盟する事がつい先日決定した所である。
 トリステインはほぼ壊滅したアルビオン神聖帝国の数少ない残存兵を取り込んで、現在はアルビオン大陸の簒奪者達を如何に仕留めるか、そして気が早い者はアルビオン大陸を如何に切り分けるかを話し合っている真っ最中。
 晴れて王冠を戴き、トリステインの新たな女王となったアンリエッタは、最愛のウェールズ国王との婚姻の儀を挙げる為、多忙な日々を過ごしているのだった。
「しかし、僕もジョジョが残した手紙の意味がついぞ判らなかったな。何にせよ、ルイズがサモン・サーヴァントを行えばその意味も判るんだろうけれど」
 穴の中から頭と両前足を出しているヴェルダンデを抱き締めたまま頬擦りしながら、ギーシュが今日集められた全員の気持ちを代弁する。
 ジョセフが指定した面々に手紙を読ませてみても、ジョセフが意図しているであろう目的を考え付いた者はいなかったのである。
「まあ、後はちゃあんとルイズがサモン・サーヴァントを成功させるって言う最大の難関が待ち構えているんだけど。大丈夫、ラ・ヴァリエール?」
 相変わらず、ルイズを小馬鹿にした笑いにも、ルイズはふんと鼻を鳴らして答えた。
「御心配痛み入るわ、ツェルプストー。これでもコモン・マジックは成功する様になったのよ。いつまでもゼロだとか言われてるだけの私じゃあないって事よ」
 いつも通りの口喧嘩が始まるのは華麗に無視し、タバサは地面に座ったまま読書を続けていた。
 虚無の系統に目覚めてから、正しい魔力の使い方を身体が理解したのか、初歩的な魔法を使うのに不自由は無くなった。四大系統の魔法は何一つ使えないにせよ、ルイズにとっては大きな進歩だった。 
 とは言え、虚無の担い手である事はアンリエッタにも話していない。
 伝説の系統に目覚めた事を自慢して回る気には、どうしてもなれなかったのだ。
 ゼロのルイズで無くなった喜びは確かにあるが、ジョセフとの別れを引き摺ってしまっている事が何より大きく、それに加えて手紙の謎が気になっているのもあった。
 あの日から何度も何度も読み返した手紙をポケットから取り出すと、もう一度文面を読み返してみる。当然意味は判らない……が。
(……今になったら、この手紙は本当に助かったわ。もっと意味が判る手紙だとしたら……まだ部屋で泣いてたかもしれないもの)
 主人が泣き腫らして部屋に帰って来る事を考えて、ジョセフはこの手紙を書いたのだろうか。
 だとすれば、随分と気配りが行き届いていると言うか、全てお見通しと言うか。
 スカートのポケットの中に入れている手紙を、愛しげに指先でもう一度触れてから、進級試験の日と同じ面持ちで立っているコルベールに、ルイズは静かに視線を向けた。
「準備はいいかね、ミス・ヴァリエール」
 コルベールの問い掛けに、ルイズはしっかり頷く。
 ルイズの一連の仕草を見つめ、コルベールは知らず微笑を浮かべていた。
 あの進級試験の日とは、ルイズの態度は比べ物にならないほど堂々としたものだった。
 ゼロのルイズと馬鹿にされ、劣等感の塊だった少女はもういない。
 ここに立っているのは、貴族と呼ばれるに相応しい立派なメイジの一人だった。
(ジョースター君。君がミス・ヴァリエールの使い魔で、本当に良かった。たった二ヶ月足らずの時間を分けてもらったお陰で、彼女は救われる事が出来たのだから――)
 日食の輪の向こうへ去った友人に、心の中で礼を述べる。
 そして教師としての眼差しで、ルイズを見やる。
「では、ミス・ヴァリエール。サモン・サーヴァントを」
「はい」
 すう、と一つ息を吸い、ゆっくりと吐き出す。
 ジョセフがいつも行っていた波紋の呼吸の様に、大きく長い深呼吸。
 そして愛用の杖を掲げると、朗々と召喚の呪文を唱えていく。
「我が名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。五つの力を司るペンタゴン。我の運命に従いし、"使い魔"を召喚せよ!」
 呪文の完成と同時に、勢い良く杖を振り下ろす。
 次の瞬間――白く光る鏡の様なゲートが、完成した。
 誰かが息を呑んだ音が、無闇に大きく聞こえた。
 契約した使い魔が生きている場合、ゲートは開かれない。
 ゲートが開かれていると言う事は、つまりジョセフは死んだと言う事実を厳然と示すものだった。
 サモン・サーヴァントのルールを知らない者は、ここにはいない。
「ル……ルイズ!」
 ゲートを閉じるんだ、と続けようとしたギーシュの言葉が、思わず飲み込まれた。
 ルイズは、ゲートから目を背けていなかった。
 そこには、“信頼”があった。
 盲目的でも依存でもなく、ジョセフ・ジョースターと言う人間を信じる輝かしさ。
 ゲートから照らされる光だけではなく、ルイズの立つ姿そのものから光が発せられている様な、そんな錯覚さえギーシュは感じてしまった。
 ゲートが開かれてから、ほんの数秒。しかし、これから何が起こるのかを固唾を呑んで見守る全員には、とんでもなく長い時間が経過した様に思われたその時――


「ゲートの前からどいとけッ! デカいのが行くぞォーーーーッ!!」


 聞き間違えようが無い。
 ゲートの向こうから聞こえた叫び声は、ジョセフの声だった。
 そして次の瞬間、メイジ達は信じられない光景を目の当たりにする事になる。
 爆発にも似た轟音が断続的にゲートの向こうから聞こえ、ゲートが奇妙に大きく引き伸ばされたかと思うと、見た事の無い“何か”がゲートの中から現れてくる。
 タバサが杖を一振りし、風のロープでルイズを掴んでゲートの前から引き離した。
 ゲートを潜り抜けて来たのはピカピカと鮮やかな紫に輝く、巨大な物体。その大きさと言えば、まるでちょっとした建物並。そんな物体がスムーズにゲートを潜り抜けてくる。
 紫色の部分が出終わったかと思えば、その後ろからは紫の物体に負けず劣らず巨大な、銀色の長方形。紫と銀の物体には、人の背丈程もある黒々とした車輪が幾つも連なっており、巨大な物体達には似つかわしくないスムーズな前進を可能としていた。
 一つの長方形が出終わったかと思えば、その長方形に繋がってまた同じ形の長方形が出てくる。そして合計三つの銀の長方形が出終わると、召喚を終えたゲートは閉じてしまった。
「な、な、な……」
 生徒達を見守り指導するコルベールでさえ、想像を絶する召喚に意味のある言葉が出ない。
 年若い少年少女達に至っては、度肝を抜かれたと言う言葉そのものの表情で、ただ出てきた物体を見上げる事しか出来なかった。
 それはアメリカントラックと呼ばれる、アメリカの緩い規制の産物とも言える巨大トラック。日本では「コンボイ」と呼ばれる事が多く、ロボットにトランスフォームするトラックとして有名な、トラックであった。
 だがしかし、ここにいる全員はそんな名前など知る由も無い。
「……ぅぉーぃ」
 鳴り止まないエンジン音の中、微かに聞こえる呼び声に気付いたのは、風のメイジであるタバサだった。
 召喚されたコンボイの先頭、紫の物体の中からその声は聞こえてくる。
 よく見てみれば、紫の物体の正面上側には巨大なガラス窓がはめ込まれており、横側には数段の階段が取り付けられたドアが付いている様だった。
 タバサは短い呪文を一言唱えると、ガラス窓の高さまで浮き上がって中の様子を窺った。
 ガラス窓の向こうには黒光りする座席があり、その上にはジョセフが腰に佩いていた大剣、デルフリンガーが鞘から半ば抜かれて横たわっていた。
 宙に浮いて自分を見つめるタバサに気付いたデルフリンガーは、かちかち柄を鳴らす。
「おお、久し振りだな。とりあえず横のドア開けてくれっか、うるさくて仕方ねぇだろ」
 タバサはこくりと頷くと、そのままドアに連なるステップに着地し、ドアノブだと思われる凹みに指を掛けてドアを開いた。
「んじゃあ、そこに鍵が掛かってるだろ。それを捻ったらエンジンが止まる」
 その言葉に視線を巡らせると、確かに穴に刺さった鍵がある。華奢な手を伸ばし、鍵を捻ると鳴り響き続けていたエンジン音がゆっくり途絶えて行った。
「さぁてと、だ。元の世界に帰った相棒からお前らに手紙とプレゼントを言付かってるんでな。いいモンばっかりだぜ、俺っちがありもしない腰抜かすくらいにな」
 くく、とデルフリンガーが笑う。
 タバサは軽口に笑う事もなかったが、興味深そうに青い瞳を剣に向けた。
 剣の横には手紙の束が置かれており、その一番上に置かれた封筒には『わしの親愛なる友人達へ』と書かれているのが見えた。
「一番上の手紙は全員で読んでほしいってよ。それぞれの手紙は別に書いてあるぜ」
 タバサは無言で手紙の束を手に取り、今までに触った事のないつるつるした手触りの紙に一瞬だけ視線を留まらせてから、自分とデルフリンガーに風を纏わせて運転席から地面へと降りる。
 手に持った手紙の束から一番上の封筒を取り出し、ルイズへ向けて静かに差し出した。
「……この手紙は、あなたの使い魔が書いたもの。なら、あなたが語って読むのが筋」
「――そうね」
 差し出された手紙を受け取ると封筒を破り、中に入っていた数枚の便箋を取り出す。
 便箋に書き連ねられた文章は、確かにジョセフが書いたそれ。
 文面に視線を寄り添わせながら、内容をゆっくりと語り始める。
『この手紙がお前達に届いたと言う事は、わしの計画は全て上手く行ったと言う事だ。――ろくに別れの挨拶も出来なかったが、手紙で済ませる不義理を許してほしい』
 ルイズの声で紡がれるジョセフの口調に、その場にいる全員がしっかりと耳を傾け。ルイズも時折息継ぎを挟みながら、使い魔からの最後の手紙を読み上げていく。
『そうそう、もし心配しているのならわしは無事に元の世界に戻り、お前達が手紙を読んでいる今も元気にピンピンしとるので心配せんでいい。わしからの手紙とプレゼントを贈る為、そしてルイズに使い魔を返す為にわしは考えた』
 そこまで読んでから、不意にルイズの眉根が寄る。数度同じ箇所を読み返し、んん、と疑問めいた声を上げるルイズに、続きを待ち兼ねたギーシュが怪訝げに問いかけた。
「どうしたんだねルイズ。文章の綴りが間違ってるのかい?」
 何度も同じ場所で視線を行ったり来たりさせているルイズに全員の視線が集まった所で、ルイズは文章の理解を諦めた。
「…………ねえ、私には理解が及ばないわ。誰か私の代わりに理解してくれないかしら」
 そう言うと、その問題の箇所を指で示しながら全員に便箋を見せた。
 文面を読んだ全員の視線が、ルイズと同じ様に何度も往復する動きを見せる間、余り表情を変化させない事に定評のあるタバサでさえ、その端正な顔に紛う事のない疑問を浮かべている。
 他のメンバーに至っては、これ以上ないくらいに「理解不能」と顔全体で語っていた。
 そこには、こう書かれていたのだった。
『……メイジと使い魔は一心同体、どちらかが死ぬまで使い魔の契約が切れる事はない。つまりルイズとの契約を破棄する為には、わしが一度死に、もう一度蘇生しちまえばいいと考えた――』
「……ん、んんん?」
 何度も文章を読み返す中、必死に理解しようとする誰かかの吐息めいた声が知らず漏れるのを咎めたりする者もおらず、次の文章は更にメイジ達の理解を拒んでいた。
『どうせそっちに行くほんのちょっと前には、わしの爺さんの身体を乗っ取った吸血鬼に全身の血を抜かれて四分ほど心臓が止まった後に、吸血鬼の死体から取り返した血をもう一度身体に入れてから、心臓を無理矢理動かして蘇生した事もある。
 たかだか一分くらい心臓止めただけで、わしが死んだとルーンが判断した時には少々拍子抜けもした』
 さして長くもない文章が、大量の奇妙を内包している。
 長い沈黙を経た後、意を決して口を開いたのはギーシュだった。
「……ここで一番僕達がすんなり納得できるとすれば、ジョセフが大分とホラを上乗せしているんだと考えるのが自然だと思うんだが、みんなはどう思う」
 今まで培ってきた常識が根底から置いてきぼりにされた中、キュルケが辛うじて言葉を絞り出す。
「……そもそも吸血鬼に全身の血を抜かれて、取り戻した血をもう一度身体に入れて、心臓をもう一度動かして蘇った、って一連の言葉の意味が全く判らないわ。今までそんな言葉聞いた事ないもの」
 ハルケギニアで初めて紡がれた言葉は、全員の脳裏に共通の疑問を生み出した。
 ルイズは全員を代表するつもりもなく、生まれたばかりの疑問を口にした。
「……ジョセフの世界って一体どんな世界なのかしら」
 『ひこうき』もそうだが、まるで想像も出来ない様な世界である事は疑い様もない。
 ルイズは一つ小さく息を吐くと、考えても判らないジョセフの世界について考えるのを一旦放棄した。
「ほら、手紙の続きに戻るわよ。これ以上考えても多分判らないもの」
 その言葉に、それもそうだと区切りを付けた全員に向けて、ルイズは朗読を再開した。
『が、それ以上に、これでルイズに残した手紙に書いた約束を守れる安心の方が大きかったのはマジなとこじゃ……』
「って何よこれ。いきなり砕けて来たわね」
「ここまで真面目な文体で書いてきたけど、そろそろ飽き始めてきてるのが目に見える様だわ」
「ジョジョにしちゃ大分もった方だと僕は思うなぁ」
 口さがない部類の友人達の寸評を受けながらも、文面は唐突に終わりを迎えていた。
『そこで無事に帰れた記念に、わしの可愛いご主人様と掛け替えない友人達にささやかなプレゼントを用意した。それぞれに向けた手紙にわしからのメッセージと目録を書いてあるから、ケンカせずに仲良く分け合ってくれ』
 ルイズがそこまで読み終えると、全員の目はコンテナへと向けられたのだった。

 ☆

『コルベールセンセへ。
 センセへのプレゼントは、トラックとトラックの設計図。それからゼロ戦を一機用立てようかとも思ったんじゃが、流石にムリじゃった。わしの世界じゃ五十年前の骨董品で、残存数もほとんど無かったモンですまん。
 代わりに、新品のセスナと設計図、ゼロ戦のエンジンのレプリカを用意した。二番目のコンテナに積んであるから、好きなだけ研究してくれ。いずれそっちでも飛行機が飛ぶのを期待しておるよ』
 コルベールの研究室の横に、新たな掘っ立て小屋が建築された。
 その中には固定化の魔法を施されたセスナが堂々と鎮座しており、コルベールが今までに見た事もない素材で作られた座席が彼の最高の居場所になっていた。
 ジョセフからの贈り物であるセスナの設計図と、何度も分解しては組み立てて構造を把握したエンジンを見比べながら、もう二度と会えない友へ言葉を向けるのは最早日課となっていた。
「なあ、ミスタ・ジョースター。君の贈り物は決して無駄にはしないぞ。魔法に頼らず、誰にでも仕える立派な技術を開発してみせる。それが君に出来る、私からの返礼になるだろう……」
 そしてコルベールは羊皮紙に向き直る。
 自分自身で作り上げる新たなエンジンの開発の為に。

 ――ジャン・コルベールはジョセフから送られたセスナとエンジンを研究し、パトロンの協力を得て飛空船オストラント号を開発。後年、ハルケギニアで初めて作られた飛行機での飛行に成功する。


『ギーシュへ。
 お前へのプレゼントの一つ目は、わしの世界で流通しとる金属だ。名前はアルミニウム、軽くて丈夫で加工し易いのが取り柄だが、精製するのにえっれえエネルギーを必要とするのが玉に瑕ってトコロじゃな。
 二つ目はアルミニウムの原料になるボーキサイト。熱帯雨林や熱帯雨林があった土地辺りによく鉱床があるらしい。コイツの粉末を吸い過ぎると肺をやられて四年くらいで死ぬから、取りに行く時はマスクをちゃんと付けておけよ。
 三つ目がアルミニウムから作ったジュラルミン、四つ目がジュラルミンを更に強化した超ジュラルミン、五つ目が超ジュラルミンを更に強化した超々ジュラルミンじゃ。
 コンテナもこの超々ジュラルミンで作られておる。お前も軽いだけの男でなく、軽いくせに使い勝手のいいアルミニウムの様な男になれよ』
 一旦そこで文章は締められていたが、便箋とは別に小さな紙片に走り書きされた追伸も添えられていた。
『あ、そうそう。浮気とかマジやめとけ。甘く見とると命落としかねんぞ』
 ギーシュに贈られたのは、未知の金属のインゴットと、その原料になる原石。それと何やら、切羽詰った忠告。
 時折親愛なる友人からの手紙を読み返す度、ちょっとした苦笑は抑えられない。
「なんだい、破天荒な英雄にしちゃ随分と至らない所があるじゃないか」
 たった二ヶ月の付き合いで、一生忘れられないインパクトを残して去って行った親友。
 故郷に帰った時に、きっと修羅場か何かあったのだろう。アルヴィーズ大食堂での一悶着など比べ物にならないような、本物の修羅場が。そうでなければ、わざわざ本文とは別の追伸を書いて渡すはずがない。
 後先考えず、昨日今日出会った友人を守る為に未知の敵との戦いを恐れない男でも、ちょっとした欠点がある。
 ギーシュが様々な壁にぶち当たり心が折れそうな時、手紙を読み返してジョセフと愉快な友人達との騒々しい日々を思い起こし、心の支えとする。
 あの騒々しい年甲斐のない友人と別れてから、もう十年以上になる。
 最後の追伸を自分の胸の中だけに秘めておいたのは、親友への情けであった。
「きっと君は元気にやってるんだろう。僕もそれなりに元気にやってるし、モンモランシーも泣かせたりはあんまりしてない。長生きしたまえよ、ジョジョ」
 もう二度と会う事のない親友に思いを馳せながら、手紙を左の胸ポケットへと仕舞った。

 ――ギーシュ・ド・グラモンはグラモン家の四男として様々な戦功を挙げると共に、新種の金属『グラモニウム』の発見、開発に成功する。後に「グラモニウム」の二つ名を名乗り、愛妻との間に数人の子を生し立派な軍人となる。


『タバサへ。
 お前へのプレゼントは、わしの世界で一番旨い牛一頭分の肉と、その牛の番いじゃ。
 既に食える処理はしてあるから、マルトーに料理してもらえ。それと食べる時にはミスタ・オスマンにもお裾分けするといい。もしあんまりお気に召さんかったら、番いも潰して適当に食べてしまえばいい。
 じゃが、食べた後にタバサはこう言うじゃろう』
「――私が今まで食べていたのは、サンダルの底だった」
 手紙の最後に書かれていた言葉を読んだ上で、改めて口にしなければならないほど旨い牛。
 ただ切って焼いただけのシンプルなステーキだと言うのに、熟れた果実を切る様にナイフが通り、噛めば噛むほど上質な脂が口一杯に迸る肉。
 これに比べれば今まで食べていた“牛肉”など、サンダルの底でしかない。
「こいつぁすげえ……。俺達料理人の仕事は、そのままじゃ食べられない材料に手を掛けて食べられる様にするのと、より旨い飯に仕立てる事だ。まさか、材料の時点から手を掛けるだなんて、その発想自体が目から鱗ってヤツでさぁ……。
 この牛があれば、ハルケギニア中の料理が全部引っくり返るのは言うまでもありませんや」
 実際にこの牛肉を調理したマルトーが、同席しているオスマンに感嘆を惜しまない声を掛ける。
 オスマンに出されたステーキがタバサのより明らかに小さいのは、三桁以上の年齢を重ねた老人が食べるにはパンチがあり過ぎると言う配慮ではあったが、オスマンは構わずぺろりとステーキを平らげていた。
「確かに旨い。わしも長く生きてきたが、こんなステーキは食べた事がない。しかし……これだけの牛を育てるのには、それに見合った手間がかかるようじゃな?」
 口ひげに付いた肉汁をナプキンで拭きながら問い掛ける言葉に、タバサが小さく頷いた。
「――手紙に同封されていた手引書に寄れば、トウモロコシを食べさせ、ビールを飲ませ、毎日全身を決まった工程で刺激する。なおストレスを与えない為に、音楽を聞かせる、と書いてある」
 淡々と告げられる言葉に、マルトーがカーッ、と声を漏らして顔に手を当てた。
「ちぇっ、いずれ潰されて食われる牛だってのに、まるでお貴族様の様な生活じゃねえですかい。いや、これだけの肉になるにゃそれだけの手間を掛けなくちゃならねえってことなんでしょうがね」
「ハルケギニアにいる牛も、それなりの味にする為の方法も提示されている。彼がもたらした牛には劣るだろうが、それでもこれまでに比べれば、きっと革命を起こすのは確実」
 二人の言葉に鷹揚に頷くと、オスマンは料理長に視線をやった。
「まあとりあえず、今度はもっと分厚いレアで焼いてもらおうかの。わしはまだまだ長生きするつもりなのに、これだけ旨い肉を食う機会を無くしてしまうのは、余りに惜しい」
 愉快げな笑みを浮かべるオスマンに、マルトーは満面の笑みで答えた。
「承知しました、そちらのお嬢さんもで?」
「次はこの牛の内臓が食べてみたい。適当な所を見繕って出してほしい」
 表情を変えないまま、貴族が口にしない下手物を所望する小柄な少女にマルトーは恭しく一礼すると、厨房へと戻って腕によりを掛ける事にした。

 ――タバサは後に、オスマンとの共同研究により動物や植物の品種改良技術の基礎を確立する。その中で『黄金より貴重』とまで言われる最高級牛の繁殖に成功した。
 なお余談ではあるが、使い魔である竜へ事ある毎に最高級牛の品種名である「コービー」の名を付けようとして必死に拒否されるのは、タバサをよく知る者なら全員知っている奇癖であった。


『キュルケへ。
 わしがお前にプレゼントするのは、わしの世界での最新ファッションのカタログとヘアカタログを一揃えじゃ。普段使い用の他に、お前の実家の宝物庫に収める分もワンセット用意しておいた。
 前にシエスタを助ける為に譲ってもらった家宝の本の代わりと言う事で、勘弁してほしい。
 ルイズの家と長年の恩讐があるのは知ってるし、国境を隔てたお隣同士っつーのは非常に仲が悪いのもよく知っちゃおる。知っちゃおるが、それでもやっぱりルイズは可愛いわしの孫なんでな。仲良くしてくれとまでは言わんが、お手柔らかに頼む。
 お前はとても魅力的だし、自分がそうだと言う事もよく知っているだろう。
 それならトリステインの小さな領土を取りに行くよりも、ゲルマニアの広大な領土を取りに行った方がずっと効率的だろうとわしは思ったりするが。
 まあ、わしの贈り物がちょっとでも役に立ちゃ幸いじゃ』

「ダーリンの世界はすごいわねえ。もう何て言うか、あたし一人じゃ一生かかっても全部のドレスを試せそうにないもの」
 かつてジョセフに請われて渡した、たった一冊の薄っぺらい「召喚されし書物」の代償としては、その重さも内容も比較するまでもない。
 まるでその瞬間を切り取った様に克明な絵と、指さえ切れてしまいそうに薄い紙。この本だけでも好事家に売れば城でも買える金貨が手に入るだろう。
 しかしキュルケにとっては、このカタログは何物にも勝る贈り物である。国一つと引き換えと言われれば交換を考えないでもないレベルの価値が其処にあった。
 しかしハルケギニアでは想像もしないくらいに多種多様なデザインのドレスやヘアスタイルは、キュルケには似合わないものも多くある。
 そこでキュルケが目を付けたのは、彼女の親愛なる友人であるタバサやルイズである。
 キュルケとは種類の異なる美少女である二人は、キュルケの審美眼に拠って魅力的に着飾らされる羽目になり、圧倒的多数の男子と少数の女子からの恋文攻勢に立たされる破目にもなった。
 そんな中でも特に彼女の目を引いたのは、「ブラジャー」と呼ばれる胸当てだった。
 この下着は乳房を支えるのが主目的だが、デザインを工夫すればただでさえ大変な胸元がより大変になる事に気付いたその時、キュルケの野望は具現化したと言っても過言ではなかった。
 今までも大きく広げていた制服の胸元がより大きく広げられ、これまでより更に深まった胸の谷間を彩る真紅の胸当ては、学院の男達の視線を以前とは比べ物にならないレベルで集めたのは言うまでもない。
 学院を卒業するまでに流した浮名の数は、長い学院の歴史でも長く語り継がれる事になるのだが、それはキュルケと言う稀代の美女を語る上では序章でしかなかった。

 ――キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーは、火の魔法と彼女自身の美貌を存分に駆使し、後に故郷ゲルマニアの女王として君臨する。
 特定の配偶者を持たず、数多くの愛人と恋人を終生侍らせ続けた彼女は“処女王”の二つ名で呼ばれる事となる。


『わしの可愛いルイズへ。
 この手紙を読んでいると言う事は、お前は魔法をきちんと使える一人前のメイジになったと言う事だろう。まーそーでなくとも、一度はわしを召喚しているのだから、もう一度くらいは召喚に成功してもバチは当たらんはずじゃ。
 こんな形で別れる事になったのに心残りがないと言えば、嘘になる。お前に直接別れを告げられなかったし、お前が困っていても24時間以内に駆け付けてやれないのはとても辛いが、それは言っても詮無き事じゃから、な。
 わしがたまたまお前の使い魔になった事も、短い間でさよならを言わなくちゃならなかった事も、それはきっとそうなるべくしてなった事なんじゃろう。だからもう、わしの事は気にするな。
 わしはわしの世界で生きていかなければならんし、お前はお前の世界で生きていかなければならん。だから、もうわしらの手から離れた事をずーっと書き連ねても意味がない。
 ルイズ・ド・ラ・ヴァリエールはわしと言う使い魔を失ったかも知れん。しかし、わしといた二ヶ月でルイズが手に入れた物はそれ以上に沢山ある。今のお前には良き友人も教師も間違いなくいる。お前が何と言おうとな。
 それは間違いなく、これからのお前にとってとてもとても大切な事じゃ。
 わしも長い事生きてきたから、無二の親友を戦いで失いもしたし、わしを育ててくれたエリナおばあちゃんやスピードワゴンを見送りもした。しかし、それ以上にわしはもっと沢山の大切な物を手に入れてきた。
 もしわしが大切な者を亡くした悲しみに捕らわれ続けていれば、お前と出会う二ヶ月も無かっただろう。お前達との二ヶ月間は本当に色んな事があった。じゃが、本当に楽しい二ヶ月だった。
 異世界で出会った掛替えの無い友人達を、わしは死ぬまで忘れる事は無いじゃろう。
 これからお前の行く道には色々と厄介事があるかもしれんが、今のお前は一人じゃあない。
 お前は友を助け、友にお前を助けてもらえ。
 最後になったが、わしがお前にしてやれる最後の贈り物を用意した。
 わしの代わりに、お前の使い魔になる様な動物はどんなのがいいのか一生懸命考えた。ドラゴンやらグリフォンやらが実在する世界で、果たしてわしの用意できる程度の動物でいいのかと思ったが、まあカエルとかネズミとかの使い魔の方が一般的みたいじゃし別によかろう。
 何はともあれ、これからのお前が幸せである様に祈っておる。
 わしもお前に心配されん程度に、幸せにやっていくからな。
 ルイズを愛するジョセフ・ジョースターより』

 机に向かって羊皮紙にペンを走らせているルイズの耳に、ノックの音が聞こえた。
「開いているわ」
 ペンは止めず、ドアに視線を向ける事も無く短く答える。
「失礼致します」
 短い挨拶と共にドアを開けて入ってきたのは、シエスタだった。
 手にはティーセットを乗せたトレイを持ってきており、ルイズの指示を受ける前に手馴れた様子でテーブルの上に茶の用意を済ませていく。
 二人きりの部屋の中、さして互いに言葉を交わすでもなく、ペンが走る音とティーセットが微かに音を立てるだけの静寂の中、カップに注がれた茶が緩やかに湯気を立て出した頃にシエスタはルイズの背に向けて声を掛けた。
「ミス・ヴァリエール。お茶の用意が整いました」
「そう。じゃあ頂こうかしら」
 ペン立てにペンを挿し、椅子を軋ませて立ち上がるとテーブルへと足を向ける。
 テーブルの上にはティーカップと、クックベリーパイがツーピース乗った小皿。
 ルイズの足取りに合わせてシエスタが引いた椅子に腰掛けると、まずは茶を一口。
「うん、いい案配ね」
「恐縮です」
 矢鱈に視線を合わせはしないが、それぞれの口元は柔らかく綻んでいる。
 二人を引き合わせた張本人であるジョセフはもういないが、シエスタはタルブの戦以来、タルブを守った英雄であるジョセフに返せなかった恩をほんの少しでも返すべく、ルイズに甲斐甲斐しく仕えると決意した。
 ルイズはそれを嫌がるでも厭うでもなく、特に何も言わずシエスタを自分のお付きメイドとして扱う様にし、現在に至っている。
 夏季休暇も終わり、そろそろ秋の気配が見える頃になっても、二人の会話の糸口は決まっていた。
「ジョセフさん、お元気にしておられるでしょうか」
「アレがそうそう耄碌するはずがないじゃない。だって私の使い魔だったんだもの」
 殆ど毎日交わした決まり文句を口にしてから、パイを一口食べる。
「ところでシエスタ。貴方の故郷の様子はどうなってるの」
「ええ、平原はメチャクチャになっちゃいましたけど……フネの残骸やら何やらで結構な臨時収入が出来ましたので。来年にはまたブドウの作付けも出来るかと思います」
 シエスタが笑みを浮かべながら答える言葉に嘘がない事を、ルイズは知っている。
 今のルイズは、タルブの復興状況を知る立場にある。ジョセフからの手紙を受け取った後、ルイズは一人トリスタニア城へ出向き、自らが虚無の担い手であるらしい事をアンリエッタとウェールズに告白し、二人に宛てられた手紙を渡した。
 アンリエッタは驚きながらも、親友が落ちこぼれのメイジどころか伝説の系統の使い手だった事を喜び、そして虚無の系統に目覚めた事を他言しない様に厳命した。
 新たな女王の役に立ちたいと願うルイズと、親友を禍々しい権力闘争に巻き込みたくないアンリエッタの押し問答を押し留めたのは、アルビオンの王となったウェールズだった。
 虚無の力を使う決断はアンリエッタに任せ、ルイズの独断で力を行使しないこと。この条件にまだ納得しかねたルイズに、ウェールズは少しばかり悪戯っぽい笑みを向けて説得した。
「あのジョセフ・ジョースターは、自分の力を濫用したりしなかった。しかし力を用いるべき時には、全力で事に挑んだ。だからこそ、私が今こうして生きて愛する従妹と婚約を結ぶ事が出来たのだ。
 君の愛した使い魔は、君が無闇矢鱈に死地へ向かう事を願ったりはしないだろう。私達は、彼から貰い受けた多くの物を返す事が出来なかった代わりに、彼が大切にした少女を彼と同じ様に大切にしたいと考えている」
 王としてではなく、友人として語り掛ける穏やかな口調。
 それでもなお、でも、と反論しようとしたルイズに、ウェールズは僅かに口調を変えた。
 友人の名誉を守ろうとする男の声で、静かに言葉を紡ぐ。
「あのジョセフ・ジョースターは、愛する主人に『国の為に力を使い尽くして死ね』なんて言うだろうか? もし彼がそう言うと思うのなら、君を私達の手駒とする事に異論はない」
 そう言われてしまえば、ルイズにそれ以上歯向かう言葉など存在しない。
 悲しげに俯いたルイズに、アンリエッタはすぐさま羽ペンを取ると羊皮紙に文面を書き連ねる。それはルイズを女王直属の女官とする許可証だった。
 許可証をルイズに手渡すと、その手を離さないまま優しげな笑みを無二の親友へと向けた。
「今のわたくしには、愛するウェールズ陛下がおります。ですがルイズ、あの奇妙な使い魔と初めて出会った夜に言った言葉をもう一度、貴女に送ります」
 女王から臣下に向ける為の表情ではなく、幼い頃からの親友に向ける為のアンリエッタの声色で、ルイズの手を握る手に力を込め、ブルーの瞳を潤ませて真正面からじっと見つめた。
「友達面で擦り寄ってくるだけの宮廷貴族達とは違う……私に真に忠誠を誓う貴女が、私には必要なの。今はもういないジョジョの分まで、わたくしの友人でいてほしいのよ、ルイズ!」
 身に余る言葉を受け取ったルイズは感極まり、涙を流しながらアンリエッタに抱きついた。
「――女王陛下!」
「ああ、ルイズ! ルイズ! わたくし達だけの時はそんなよそよそしい呼び方をしないで! 昔の様に姫さまと呼んで!」
 ひしと抱き合いながら、二人で気が済むまでおいおいと泣き合う姿を、ウェールズは目を細めながら眺めていた。
 ルイズは感極まって泣き続けながらも、頭の何処かで何故こんなに涙が止まらないのかを理解した。
 自分がメイジであるかどうかなど関係なく、自分を必要だと認めてくれる。
 そう、ジョセフもそうだった。魔法が使えない落ちこぼれを馬鹿にする事無く、ルイズはただのルイズでいいのだと認めてくれた。
 虚無の力ではなく、ルイズ本人を必要だと、敬愛する女王陛下とウェールズ陛下に認めてもらえた。
 別れの手紙に書いてあった事は嘘ではなかった。今の私は一人ではないのだ、と、確信出来た喜びの涙だと、判ったからだった。
 その日からルイズは、アンリエッタ達の前で『虚無』を口にする事はなくなった。
 アルビオン大陸への封鎖作戦が進行しているとは言え、表向きは今すぐに戦争を仕掛けようとはしていないので国もそれなりには平穏を保っている。
 休日には朝早く学院からトリスタニアへと向かい、アンリエッタの公務中は何をするでもなくただ女官として女王の側に立ち、時折出来る暇に言葉を交わし、慌しく短い食事の時間を共にしてまた学院へ帰る。
 授業がある日には友人達と軽口を叩き合ったり一方的にからかわれたりしつつ、アンリエッタから届いた手紙に返事を書き、伝書フクロウに託す。
 アンリエッタに送る手紙を書く手を一旦止めて、毎日の習慣となりつつあるティータイムを今日もまた過ごしていた。
 空になったカップをソーサーの上に置くと、シエスタは慣れた手つきでそっとお茶を注いでいく。
「ジョセフさんの世界って本当にすごいんですね、ミス。贈られた軟膏でアカギレもひび割れも出来なくなっちゃいましたし、お腹の調子を悪くしてもあの丸薬ですぐに治ってしまいます」
 シエスタにもジョセフからの手紙とプレゼントは贈られていた。
 竜の羽衣のお陰でタルブを守れた事、無事に元の世界へ帰還できた事、シエスタの祖父の遺言通り、祖父の生まれた国へと返還した事、初めて会った時から親身になってくれた事。それらについて丁寧に礼が述べられた後、シエスタへのプレゼントも添えられていた。
 見た事もない素材で作られた箱にたっぷりと詰められた、これまた見た事もない素材で作られた小さな筒に入った軟膏と、茶色の小さなガラス瓶に入った茶色の丸薬。そして軟膏と薬の作り方と材料。
 ジョセフの世界の単語で言えば、ダンボール箱にたっぷり詰まった日本製の軟膏と正露丸。
 軟膏の実物は学院中の使用人全員が毎日使っても二年分は優にあり、使用人の肌環境を劇的に改善させる事となった。
 正露丸は魔法も必要とせず、ただ飲んだだけですぐに腹痛を治めてしまう。使用人のみならずメイジ達にもその評判は流れ、軟膏や正露丸自体やその材料の研究も流行の兆しを見せている。
「……そうね。あいつはいっつもそう。自分は他人の為に走り回ったくせに、あんなに一杯贈り物なんか贈ってきて。腹が立つわ」
 ジョセフの話題になると時折零れる刺々しい言葉は、ジョセフへの思慕の情が漏れそうになるのを隠そうとするパフォーマンスである事は、シエスタのみならずルイズの主従関係を知る友人達にとっては周知の事実だった。
 その証拠に、刺々しい言葉とは裏腹に、かつての使い魔を語る口調はいつもとても柔らかい。
 しかしその柔らかな口調は、すぐに言葉に似つかわしい刺々しさを持つ事になる。
「……で、あいつは一体どこほっつき歩いてるのかしら」
「さあ……厨房からここまで擦れ違いませんでしたし、いつもの様にどこかで昼寝なさってるんじゃないでしょうか」
 本格的な棘が発生しても、シエスタはどこ吹く風と言わんばかりにしれっとルイズの言葉を流す。
 それがまたルイズの気に障り、見る見る間にテンションを上げさせて行く。
「あいつあたしの使い魔でしょ!? なのにいっつもご主人様の側にいないでほっつき歩きっぱなしってどう言うことかしら!」
 それから一通りきーきー喚いている所に、ドアがギィと押し開けられた。
 部屋へ入ってきた姿を見たルイズが、勢い良く椅子から立ち上がると鞭を“彼”へ向けた。
「一体今までどこブラブラしてたのよ! 使い魔がご主人様の側にいないって、アンタ本当に使い魔としての自覚あんのジョセフ!?」
 しかし“ジョセフ”は意に介さず、後ろ足で首の後ろを掻いた。
 その悠然とした態度が更に癇に障り、しばらく散々喚いて疲れたルイズがじとりとした目で“ジョセフ”を見下ろした。
 ジョセフ・ジョースターがルイズへ贈ったのは、自分の代わりの使い魔になる動物だった。
 ジョセフがスピードワゴン財団に無理を言って用意させたのは、虎の仔。地球に生息する虎の中でも最大級の体格を持ち、尚且つ生息する個体数も少ない貴重なアムールトラをルイズへと贈ったのだった。
 無論ルイズはその虎にジョセフと名付け、使い魔として契約を果たした。
 しかしこの虎は色々と小生意気で、コントラスト・サーヴァントも行ったにも拘らず、主人を主人と思っていない様に自由奔放に振舞う。
 トラックのコンテナに設置された檻の中にいた時は猫程度の大きさだったのが、良く食べ良く寝て良く走った結果、あっと言う間に大型犬よりも大きくなっている。これで更に大きくなったら果たしてどうなるのか、今からルイズの頭痛の種だった。
「まあまあそう怒るなよ娘っ子」
 部屋の隅でかちかち唾を鳴らし、能天気な声で取り成す剣の声が更に怒りを増幅させる。
「うるっさいわね! アンタはいいわね、前のジョセフの時も今のジョセフの時ものうのうと隠居暮らしが出来て」
「な! おめえそれは言っちゃなんねえ事だぞ! 大体娘っ子もお前らも伝説の剣を何だと思ってやがる!」
 貴族と剣の言い争いも恒例行事。黒髪のメイドは意にも介さず、まだ手の付けられていないパイを手に取ると、ジョセフへと差し出した。
「ふふっ、ジョセフさん。沢山食べて大きくなるんですよー」
 大きく開けた口の中へパイを落としてもらい、ジョセフは嬉しそうにパイを飲み込むとシエスタの足元へ身を摺り寄せた。
「あっ! こらジョセフ、何ご主人様以外の女に媚売ってるのよ!」
「あらミス、ジョセフさんと私はとーっても仲良しなんですよ? こんなに可愛い虎さんをしかってばかりの怖いご主人様より、ご飯上げて可愛がっちゃう私の方がずーっといいですよねー?」
 がぁう、と虎が暢気に鳴いて、四つ巴の口喧嘩が発生するのもまた日常茶飯事。
 伝説の担い手と伝説の使い魔は、そんな肩書きなど関係なくじゃれあっていた。

 ――シエスタはそれから学院のメイドを数年勤めた後に故郷のタルブ村に帰り、丈夫で働き者の夫を得てブドウ栽培とワイン作りに専念する。
 シエスタが完成させ、村の恩人である英雄の名を冠した「ジョースターワイン」は、ヴァリエール家の晩餐会に供され、トリステインでも屈指の高級ワインとして名を馳せる事となる。

 ――ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは、ウェールズ王と共に手を取り合うアンリエッタ女王の側に付き従い忠誠を誓う女官として、使い魔である巨大虎と共に歴史書に名を残す事になる。
 彼女が虚無の担い手であった物語は世間に聞こえる事は決してなかったものの、彼女の誇り高い生涯はヴァリエールの子孫達に語り継がれていくのだった――


ゼロと奇妙な隠者 完

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

記事メニュー
目安箱バナー