ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

ゼロと奇妙な隠者-52

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匿名ユーザー

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 ジョセフを追い出してから、太陽がまた同じ位置にやってきた頃。ルイズはあれから部屋に閉じこもったまま、泣きじゃくるか泣き疲れて寝るかの繰り返しを続けていた。
 睡眠の時間こそは普段より多いくらいだが、眠り自体が浅く断続的に寝たり起きたりを繰り返す睡眠が良質なものであるはずもなく、ルイズは目覚めていても薄ぼんやりとした靄が頭に掛かったままになっていた。
 そんなろくすっぽ機能しない頭でも、丸一日考える時間があれば、なんとつまらないことで使い魔を追い出してしまったのだろうという後悔に至るのは容易いことだった。
 客観的に見れば、自分がいない間に、部屋でメイドと一緒に食事してただけである。
 別にベッドの上でいかがわしいことをしてたわけでもなく、メイドにパイを食べさせたフォークで自分もパイを食べただけでしかない。
 だがそれがどうしても許せない。理由は判らないが、どうしても許せないのだ。
 怒ったりする事ではないというのはとっくの昔に理解している。ジョセフをクビにして追い出してしまったのは明らかな失策だなんて、言われなくても判っている。
 けれども、言葉に出来ない感情は正論なんか吹き飛ばす荒々しさをまだ失っていない。
 悲しいのか悔しいのか、それとも憎いのか。その全部のようで、その全部ではない。
 ベッドに倒れ伏したまま、自分の中の渦巻く感情の正体を探ろうとする。何度も試みて、何度も答えの見つからない問い掛けをしようとしたその時、ドアがノックされた。
 ジョセフが帰ってきたのだろうか。
 鏡は見ていないが、泣き続けた自分の顔なんか例え使い魔と言えども見せられたものではない。もう一度ノックが聞こえる前に、ルイズは頭を隠すように毛布に潜り込んだ。
 それから間もなく、部屋の主の許可もないうちにドアが開いた。
 ルイズは毛布の隙間から視線だけをちらりと入り口にやる。
 ドアを開けて入ってきたのは、キュルケだった。燃え盛る火のような赤毛を揺らし、褐色の肌を制服へ窮屈に詰め込んでベッドへと歩み寄ってくる。
「……誰が入っていいって言ったのよ」
「入っていいなんて言うつもりなかったくせに、何言ってんだか」
 そう言い放つと毛布に包まったままのルイズの横に座った。

「あんた達が昨日の夜から王子様の部屋に来ないから、余った食事はシルフィードのエサになってるのよ。で、どうするの。ディナーは二人分の食事をキャンセルしていいのね?」
 ジョセフの姿が昨日から見えず、真面目なルイズが授業を休んでいるとなれば、何かしら二人の間に起こったという答えに辿り着くのは、容易なことだった。
 だがこの時点で何故ジョセフが不在なのか、という理由を言い当てることまでは出来ない。
 と言う訳で、ルイズの部屋を一番訪問しやすい立場にあるキュルケがやってきたというわけだった。
「まあ、詳しい事は判らないけれど。なんでダーリンがいないのかしら?」
 問いかける声の余韻が消えてしばらくしてから、もぞり、と毛布が動いた。
「……ジョセフが……」
「ダーリンが?」
「……メイドと、部屋でごはん食べてた」
「ふんふん、それで? お腹も膨れたところでメイドをベッドに連れ込んでたの?」
「……違うもん」
「じゃあ何よ。まさかメイドと一緒に食事してただけで追い出したの?」
「……違うもん」
「……じゃあ、キスくらいしてたとか?」
「……違うもん」
 もどかしい謎当てをさせられることになったキュルケは、豊かな赤毛をかいた。
 その場面を目撃したルイズが怒ってジョセフを追い出しそうなシチュエーションを幾つか想像してみる。
 一緒に食事するより重くて、キスするよりは軽い場面……
「……ええと。ダーリンがメイドにあーんしてたところを見ちゃった?」
「…………」
 返事がないということは、正解だと理解する。そして導き出された正解のあんまりにもあんまりな下らなさに、キュルケは思わず深々と溜息を吐いた。
「……あのねルイズ。そのくらいで使い魔追い出してたら何十回使い魔召喚しても追いつかないわよ」

「……それだけじゃないもん。あーんしたフォークで自分もパイ食べたんだもん」
 間接キスも追加された。だからどうしたと言うのだ。
「なるほど。話を総合すると、自分の部屋でメイドなんかと二人きりで食事して、あーんまでして、しかも間接キスまでしたのが許せなくて思わずダーリンを追い出した、と」
 再び無言を貫くルイズを見下ろし、キュルケは大きな呆れの気持ちの中に少しばかり安堵の気持ちを混ぜこぜていた。
 ヴェストリ広場の決闘があってから、キュルケの照準ド真ん中にジョセフは収まっている。
 最初のうちはヴァリエールの恋人を寝取るツェルプストーの伝統に従った、軽いお遊びのようなものだった。
 それがフーケ追跡やワルド戦、アルビオン国王と三百人のメイジを騙してのニューカッスル城の爆破解体と岬落としを目撃した今となっては、本気でジョセフをツェルプストーに引き込もうと考えていた。
 どんな人生を歩んできたかは知らないが、どうやらジョセフの中に蓄積された知識と知恵は並大抵のものではないということは嫌と言うほど思い知った。もしあの知識を然るべき場所で使えるなら、ツェルプストー家が大きく隆盛するに違いない。
 未だに平民の地位も低く、メイジにあらずんば人にあらずという風潮が色濃いトリステインでこれだけの能力を死蔵させるより、平民でも実力と財力があれば貴族となれるゲルマニアに来ればすぐにでもジョセフは貴族になれるだろうと思っている。
 ツェルプストーにジョセフを引き込む為に必要ならば、キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーをジョセフの花嫁にしてもいいとすら考えていた。
 しかしキュルケ本人の覚悟がそこまで固まっていても、その覚悟を表に出すには幾つかの障害が余りにも大きすぎるということも彼女は理解していた。
 一つは、ジョセフが煮ても焼いても食えないジジイだということである。
 ゼロのルイズが召喚した平民の老人という状況から、決闘騒ぎという踏み台はあったものの、口八丁手八丁で学院中の人間の心を貴族平民問わず我が物にしてしまえる手腕。
 お調子者のように見えるが、よくよく観察していると下手に深みに嵌らない様に周囲との距離を上手に調節しつつも、周囲にはそれを悟らせない人間関係構築の巧みさ。

 今ではクラスメートの大半はジョセフの友人になっているし、平民の使用人に至ってはジョセフを嫌う人間なんかいないのではないかという領域に至っている。
 下手に手を出すと逆に丸め込まれたりしかねないので、いかに攻めるかをしっかりと考えなければならない。胸元見せたり足を組んだりするだけでホイホイついてくる同級生とは比べ物にならない強敵だという認識はある。
(胸元見せたら鼻の下伸ばすけれど)
 オールドオスマンもそうだが、男と言うのはいくつになってもスケベだから困る。
 ジョセフ本人は故郷に妻もいるし孫もいると言っていたが、キュルケは直感的に「押したら何とかなりそう。バレなきゃセーフだと考えてるタイプ」と判断している。
 次にルイズとジョセフが『バカ主従』だということ。
 ジョセフはルイズをそれはもう猫可愛がりしている。アルビオン行では事あるごとに可愛がりっぷりを披露されて胸焼けがしたくらいだ。
 しかもルイズもそれを嫌がるどころか悪く思っていないのは誰が見ても明らか。口では「そんなの関係ないんだから!」と言っておきながら、嬉しそうに緩む顔をなんとか隠そうとする努力には頭が下がる。
(そんなのどうせ周りにばれてるんだから諦めればいいのに)
 何度もその言葉が口をつきそうになったが、言ったところで顔を真っ赤にして頑張って否定するだけなのは目に見えてるので言わないことにしている。
 それなのにいざジョセフが他の女と仲良くするとこうやって怒り出す。
 フリッグの舞踏会の夜にフレイムと話していた予想がこれ以上ないくらいに大当たりしていた。これが自分の部屋に連れ込んだりしていたら①どころか②か③の二択になっていたところだった。それもこの様子なら、かなりいい確率で②になりかねない。
 事を急いて下手に手を出してなくてよかった、というのが安堵の気持ちであった。
 ――そして最後の一つ。
 キュルケは溜息を吐き出して、毛布から出てこないルイズを一瞥し、足を組み直した。
「このキュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・アンハルツ・ツェルプストーは……」
 昔、劇場で見た歌劇の主人公が言っていたセリフを思い出しつつ、独り言を始める。

「いわゆる好色のレッテルを貼られているわ」
 ルイズから視線を外し、何もない空間に視線をやりながら言葉を続けていく。
「つまらないやっかみでケンカ売って来た相手を必要以上にブチのめしちゃって病院から未だに出てこないのもいる。伝統と慎みを語るだけで恋人を繋ぎ止める努力もしないんで気合を入れてあげたレディはもう二度と学院に来てないわ。
 私の興味を引けなくなった殿方にはすぐにさよならするなんてのはしょっちゅうよ」
 そこまで言って、ルイズがくるまっている毛布が身動き一つしていないのを確認し。
 息を一つ吸ってから、淡々と語っていた声色に少しずつ熱を篭らせていく。
「けれどこんな私にも、手を出してはいけない相手はわかるわ」
 細く長い指を毛布にかけると、有無を言わさず毛布を引き剥いだ。ネグリジェ姿のルイズが窓から差し込む夕日の光に晒される。
「な、何をするのよツェルプストー!」
 当然上がる抗議の声にも構わず、キュルケはやっと顔が見えたルイズに向かって一喝する。
「ただ泣いて世話してもらうだけの赤ん坊を可愛がっているお爺さんは寝取れないわ!」
 予想もしなかった鋭い舌鋒に、ルイズは思わず次に上げようとしていた抗議を飲み込んでしまった。
 これがキュルケの最後の理由だった。
 恋人を寝取るのは特に問題ない。
 本当に相手を大切に思い、相手に大切に思われているなら、たかが色仕掛け一つで靡くはずもないからだ。
 ゲルマニア貴族からしてみれば、トリステイン貴族はでんとふんぞり返って相手からの寵愛を求めるばかりで、自分からは何も与えようとしない高慢ちきな怠け者でしかない。
 だからトリステイン貴族の雛形のようなヴァリエールは、ツェルプストーに恋人や婚約者だけではなく配偶者まで寝取られるんだ、とツェルプストー一族は考えている。
 しかし、そんなツェルプストーの家風を色濃く受け継いでいるキュルケも、ジョセフへ本格的にアプローチしないのは、ジョセフはルイズの恋人ではなく、保護者でしかないと考えているからだった。

 ツェルプストーの家に生まれた者が、いけすかない女から恋人を寝取ることはあっても、赤ん坊を可愛がっているおじいちゃんを寝取る訳には行かない。
 保護者を取り上げられた赤ん坊がどうなるかなど、考えなくても判る。
「ましてやメイジにとってパートナーであるはずの使い魔を大切にしないで追い出した……あんたがやったのは、そういうことよ!」
 矢継ぎ早に繰り出されるキュルケの言葉に、ルイズは唇を噛み締めることしか出来ない。
 それから数拍ほど間を置いてから、キュルケは静かに立ち上がった。
「あんたが赤ちゃんのうちはダーリンには手を出さないであげるわ、ラ・ヴァリエール。でも良かったわね、その様子だとダーリンはずっとアナタのものだもの」
 淡々と語られる言葉は、普段の情熱的な振る舞いのキュルケからは程遠いものだった。
 だが、キュルケは怒りが高まれば高まるほど、声は落ち着きを強めていく。いかにも熱を持っていそうなオレンジの炎よりも、青く輝く炎の方が遥かに温度が高いのと同じように。
 悠然とした足取りで部屋を去っていくキュルケの背をただ黙って見送るしか出来ないルイズは、静かに閉められたドアを悔しげに睨みつけ……そして、赤ん坊のように泣くことしかできなかった。


 *


 それから二日間、ルイズの部屋の扉を潜ったのは食事を運んでくる使用人だけだった。
 とは言え、食事も少しばかり手を付けるくらいで、ほとんど食べ残していた。
 一人きりの部屋の中でルイズがやっていたことと言えば、そのほとんどが泣きじゃくるか眠ることだけ。
 ジョセフが他の女と仲良くしていた事、つまらない事でジョセフを追い出してしまった事、にっくきツェルプストーから今までにない罵倒を受けてしまった事。
 そのどれもがルイズを何度も叩きのめしていた。

 涙が枯れるほど泣けば、当然喉が乾く。乾いた喉を潤す為に水を飲めば、喉を潤すのも程々に再び涙が滲み出てきて、またベッドに戻って泣き続けるという繰り返し。
 あんまり泣き続けていると泣くのが癖になって泣き止められなくなるが、今のルイズは正にそれだった。
 しかし泣き続ける中でも、ルイズの中には反省しようという思いが芽生えていた。
 謝りたい。つまらない事で怒って、つまらない事をしてしまってごめんなさい、と。
 けれど当の使い魔はもう三日も帰ってきていない。本当に自分に愛想を尽かして、他のどこかにいってしまったのではないかという嫌な想像がどんどん重く圧し掛かる。
 感覚の共有も出来ないから、どこに行っているのかなんて少しも判らない。
 考えても何も判らないし、考えれば考えるだけ悲しくなるので、考えてしまう時間を出来るだけ減らす為に眠くもないのにベッドに横たわって目を閉じ、ひたすら眠気が来るのを待ち構える。
 しかもそのまどろみも、浅い眠りとキュルケからの批難が相まっているためか、ジョセフが他の誰かの使い魔になっているという悪夢じみた夢ばかり見てしまうものだから、どれだけ眠っても逆に疲れる有様だった。
 ギーシュの使い魔になっていたこともある。ジョセフの主人になったギーシュは使い魔の平民に決闘を挑まれてボロ負けするというはなはだ不名誉な事態になったが、それからは友好関係を深めていたらしい。
 毎日のようにギーシュと額を突き合わせてはよく判らないデザインのワルキューレを多く作り、つまらないことで二人とも盛り上がっていたようだった。
 それにしてもモンモランシーがいつも二人を見てよだれを垂らしていたのはどうしてなのだろうか。
 タバサの使い魔になっていたこともある。ジョセフを召喚したはずなのに、何をどうしたのかは知らないが当然の様にシルフィードもいた。
 タバサは読書を続け、シルフィードはエサを食べ、ジョセフはふらふらとそこらをほっつき歩いていて……特に現実と変わりがないように見えた。
 一番腹立たしかったのがキュルケの使い魔になっていた時だった。

 ジョセフを召喚してから一週間後、キュルケはそそくさと魔法学院を中退して故郷に帰ってしまった。そんなキュルケを口さがない生徒達は好き勝手に中傷した……が、数年後に再会した時、ゲルマニアは女王の治世を迎えていた。
 褐色の肌を持つ女王の横に、宰相の服を着てニヤニヤ笑っているジジイが立っているのを見た途端、ルイズはベッドから跳ね起きた。
 他にも色んな知り合いの使い魔になっている夢を見続けたルイズは、たった二日で大分やられてしまっていた。
 今日何度目の目覚めなのか数える気もないルイズは、カーテンを閉じたままの窓を見る。日の光が差し込んでこないところを見ると、夜になっているのは判るが今のルイズにはあまり関係ないことだった。
 努力の甲斐あって眠りにつこうが、数時間ほどしか時間は進まないのが判っていても。ほんの一時の逃避を求めて、ルイズは今日何度目になるか判らないまどろみに落ちていく。
(……本当に私、赤ん坊だわ。自分じゃ、泣くか寝るしか出来ないんだもの……)
 くすん。と鼻をすすり上げながら、頭に浮かんだ思いは、やっと訪れた眠気に掻き消えた。
 ――そして、次にルイズが目覚めた時。
 重い瞼を開いて最初に見えたのは、まだ日の光も差し込まないベッドの上で、途切れないいびきをかいている使い魔の横顔だった。
 ひ、と息を飲んで跳ね上がった心臓を抑えるように薄い胸に手を当て、何度か大きく深呼吸をする。
 そぅ、と手を伸ばして頬をつついてみる。
「んぁ」
 マヌケな声を漏らして首を揺らす仕草を見れば、ふわりと頬が緩み、安堵が広がった。
 しかしその柔らかな気持ちも、すぐさま込み上げてきた言い様のない怒りに塗り替えられていく。怒りに任せて右手をぴんと伸ばし、親指を手の平にぎゅっと押し付け――
「おふっ!」
 脇腹に渾身のチョップを叩き込まれて無理矢理眠りから覚まされたジョセフが、恨めしそうに主人を見やった。

「……人が気持ちよく寝てるのに何すんじゃ」
「……ご主人様ほったらかしてどこに行ってたかと思ったら、なんでご主人様のベッドで勝手に寝てるのか。納得の行く説明をしてもらおうかしら」
 そう言う間もルイズのチョップはひっきりなしにジョセフの脇腹にめり込み続けていた。
「おぅっ。ちょっと待て、説明してやるからチョップを止めてくれんか」
 なおも手刀を放とうとしたルイズの手をつかんで攻撃を止めさせると、ジョセフは苦笑しながら身を起こした。
「いやな、ちょっと買い物に行ってきた」
「買い物って……お金はどうしたのよ」
「ちょいとトリスタニアで賞金稼ぎの真似事をな。あの辺りは仕事が結構ある」
 枕元にあった帽子を被りつつベッドから降りると、テーブルの上に置いてあった紙袋を持って再びベッドに戻ってくる。
「ほらルイズ、お土産じゃ」
 紙袋から取り出した何かが、ルイズの手の上に置かれた。
 反射的に受け取ってしまったそれが何か確認しようとするルイズの頭からは、既に眠気は吹き飛んでいた。
「……帽子?」
 どこからどう見ても何の変哲もない帽子。
 具体的に言えば、ジョセフの頭の上に乗っている帽子と全く同じデザインの帽子だった。
「何を買って来ようか悩んだが、この前、わしの帽子かぶっとったじゃろ。じゃから、この帽子買った店で買ってきた」
 ニューカッスルで帽子を無くしているので、今のジョセフが被っている帽子はトリスタニアの帽子屋で買ったものである。
「わしの新しい帽子をルイズに買ってもらったお返しって言ったらヘンな話じゃが、この前なんか知らんがルイズを怒らせたお詫びも込めて、ということでどうじゃ」
 自分がいない間、主人がどうしていたかなんて少しも想像が出来ていない、暢気な物言い。
 普段ならここでかんしゃくを起こして怒り出す流れだった。

 しかしルイズは、受け取った帽子を黙って被る。
 ルイズの頭のサイズより少しだけ大きい帽子は、主人より背の高い使い魔の視線からルイズの顔を隠す。
 両手でつばを掴んで更に帽子へ頭を埋もれさせると、ルイズは何も言わずにジョセフの胸へ帽子越しに額を押し付けた。
 普段の高慢ちきでけたたましい主人とは違うしおらしい態度に少しだけ目を丸くしたが、今回は減らず口を叩かず胸の前にいる主人の頭を優しく抱いた。
 陽だまりの様な匂いがする腕の中に抱かれながら、ルイズはジョセフには判らないよう、ブリミルへ感謝の祈りを捧げるうち、知らずに眠りについていた。
 この眠りは夢も見ない、深い安らかな眠りだった。


 *


 次の日の朝。
 キュルケは今日も変わりなく身支度を済ませると、フレイムを従えて自室の扉を開ける。
「ほら何してんのよジョセフ! 早く行かないと朝食に間に合わないわよ!」
「そんなに慌てんでもまだ大丈夫じゃて!」
 すると、少女と老人の騒がしいやり取りが聞こえてきた。
 薄く化粧を乗せた顔が、優しく緩む。
「……ま、雨降って地固まるって言ったところかしら。大体予想通りの結果だわね、賭けるのもバカバカしいくらいのオッズだけど」
 せっかくだから部屋から出てきたところをからかってやるとするか。
 そう考えたキュルケは、緩く腕を組んで壁に凭れ掛かり、ルイズとジョセフが出てくるのを待ち構える。
 サイレントの魔法も掛かっていない部屋からは何をしているのかは知らないが、どったんばったんと騒音が聞こえてくる。

「ほら、行くわよ!」
 一方的に出発を宣告したと同時に、扉が開く。
 そしてキュルケの視界に次に飛び込んできたのは――
 ジョセフと同じデザインの帽子を被ったルイズだった。
 あんまりにも予想を超えた大穴の出来事に、キュルケは完全に虚を突かれた。
「そんなトコで何してんのよ」
 思わず呆然と突っ立ってしまっていたキュルケを、帽子の下から訝しげな目で見やるルイズ。百戦錬磨のキュルケにしても、ここまでとは全く考えが及ばなかった。
「……ええと。……その、帽子は?」
「ジョセフのお土産」
 顔を赤くもせず、恥じらいもせず、ごまかしもせず、きっぱりと言い切った。
「ちょっとサイズが大きいけれど、そのうち慣れるわ」
 扉の鍵を閉めると、ジョセフを引き連れて凛とした足取りで廊下を歩いていく。
 そして階段に差し掛かったところで、まだ一歩も動いていなかったキュルケに視線を向けると、何でもないことのように言った。
「どうしたのキュルケ……朝食を取りに行くんでしょう?」
 言葉の余韻が消えないうちに、ルイズは階段を下りていった。
 ルイズとジョセフの姿が見えなくなって数秒してから、キュルケは無意識に息を呑んだ。
(まるで10年も修羅場をくぐりぬけて来たような……スゴ味と……冷静さを感じる目だわ……、たったの二日でこんなにも変わるものなの……!)
 つい二日前まで赤ん坊と変わりなかったルイズは既にいないことを、キュルケは悟った。
 そしてジョセフを寝取ることがどうしようもなく難しくなったことも、悟る。
「ふ、ふふふ……」
 しかし、艶やかな形よい唇から漏れたのは。
「ふふふふふ……そうよ……そうじゃなくっちゃあいけないわ、ルイズ。ツェルプストーの因縁の相手が泣いてるだけの赤ん坊じゃあ面白くもなんともないわ……」
 これから待ち構える展開を待ち望んで笑う声だった。

「いいわ、ラ・ヴァリエール! アンタは赤ん坊でいる事ではなく自分の足で立つ貴族である事を選んだという訳ねッ!」
 その時、キュルケが露にした歓喜の理由は、彼女自身にも理解できない。
 しかし、確かに彼女の中に歓喜の炎を灯したのはルイズだった。
 一頻り溢れ出した笑いが止まった頃、傍らで静かに佇んでいたフレイムの頭に手を伸ばし、優しく撫でつけた。
「さあフレイム、今日から忙しくなるわよ」
 きゅる! と嬉しそうに鳴いたサラマンダーは、主人の後を付いて歩き出した。



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