ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

第十二章 白の国アルビオン

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第十二章 白の国アルビオン

「アルビオンが見えたぞ!」
翌朝、鐘楼の見張り台にいる船員が、声を張り上げた。
リゾットは訓練を止め、船員の指差す方向を見た。それきり絶句する。
「ん、どうした相棒?」
デルフリンガーの声に反応することもできない。
雲の切れ間から、黒々と大陸がのぞいていた。大陸ははるか視界の続く限り延びている。地表には山がそびえ、川が流れていた。川は空に落ち込み、そこで白い霧になって大陸の下半分を包んでいた。
「驚いた?」
騒ぎに起きてきたルイズが言った。
「ああ……ここまで巨大だとは思わなかった」
「浮遊大陸アルビオン。ああやって洋上を浮遊しているわ。でも、月に何度か、ハルケギニアの上にやってくる。大きさはトリステインの国土ほど。通称『白の国』」
「由来は霧か」
ルイズは頷き、説明を加える。
「あの霧が雲になってハルケギニアに雨を降らすの。私たちにとっても重要な大陸なのよ」
しばらくリゾットは大陸の威容に見入っていたが、やがて今日の予定を確認することにした。
「港に着いたらニューカッスル城まで、包囲を突破して一気に行くんだったな……」
「そう。トリステインの貴族にそう表立って手を出すとは思えないけど……捕まったら終わりね」
ルイズが緊張した顔で呟く。リゾットが声をかけようとしたその時、見張りの声が甲板に響き渡った。
「右舷上方、雲中より船が接近中! 旗、なし! 空賊です!」

一斉にそちらに視線が向く。そこには黒塗りの船体が、二十数門にも及ぶ砲門をこちらの船に向けていた。途端に船中は騒然となる。
「逃げろ! 取り舵いっぱい!」
「ダメです。既に射程内! 逃げようとすれば、撃沈されます!」
その言葉を裏付けるように砲門の一つが火を吹き、リゾットたちが乗った船の進路上の雲が吹き散らされる。
こちらの船の砲門は三門。位置も相手が上空を取っている。船長は完全に勝ち目がなくなったことを瞬時に悟った。
唯一の勝機があるとすれば隣にいる『風』のスクウェアメイジだが……。
「魔法はこの船を浮かべるために打ち止めだよ。あの船に従うんだな」
「OH MY GOD……」
ワルドの落ち着き払った声に、船長は破産を確信し、停船命令を発した。

ルイズは停船した自船と、不穏な雰囲気を振り撒く黒船に怯え、思わずリゾットの後ろに寄り添った。無意識にリゾットのコートの裾を握り締める。
やがて、警告を発すると、黒船から空賊たちは船の間にロープを張り、それを伝って乗り込んで来た。
船に乗り込もうとしている男たちはおよそ数十人。いずれも手に斧や曲刀などで武装しており、黒船側には弓やフリント・ロック銃を持った男たちがこちらに狙いを定めている。
(抵抗は不可能だな……)
規律正しい男たちの行動をみながら、リゾットは考えた。メタリカを使えば男たちの無力化は可能だろう。しかし、砲弾を防ぐことはできない。撃沈されれば、それで終わりだ。
前甲板に繋ぎ止められていたワルドのグリフォンが空賊たちを威嚇する吼え声を上げると、その頭が青白い雲で覆われ、倒れた。背後に来たワルドが呟く。
「眠りの雲か……。どうやらメイジもいるらしいな」
やがて、甲板に空賊たちが降り立った。無精ひげに左目に眼帯をした、ぼさぼさの長い髪の男…頭領だろう…が声を出す。
「船長はどこでえ?」
「私だが…」
震えつつ、精一杯の威厳を保とうと努力しながら、船長が手を上げる。頭領は船の名前『マリー・ガラント』と積荷を確認すると、船と積荷を自分の支配下におくことを宣言した。

その後、甲板のワルド、ルイズに気がつく。
「おや、貴族の客まで乗せてるのか」
ルイズに近づき、顎を手で持ち上げる。
「こりゃあ、別嬪だ。お前、俺の船で皿洗いをやらねえか?」
男たちが笑い声をあげた。ルイズはその手をぴしゃりとはねつける。元々侮辱に対しては過敏なこともあり、怒りが恐怖を吹っ飛ばした。
「下がりなさい、下郎!」
「驚いた! 下郎と来たもんだ!」
頭領はひとしきり大声で笑ったあと、ルイズとワルドを指差した。
「てめえら。こいつらも運びな。身代金がたんまり貰えるだろうぜ」
男たちが、ワルドたちから杖を、リゾットから剣とナイフを取り上げ、連行していく。リゾットは抵抗せず、その様子を無言で観察していた。

三人は、船倉に閉じ込められた。『マリー・ガラント』号の船員は自分たちが乗っていた船の曳航を手伝わされているため、ここにはいない。
周囲には酒樽や穀物の詰まった袋や、火薬樽、それに砲弾などが雑然と置かれている。
ワルドは興味深そうにそんな積荷を見て回っている。
リゾットはメタリカを使って脱出することも考えたが、ある可能性を考慮し、まずはおとなしくすることに決め、右腕の包帯を変え始めた。それを見てワルドが呟く。
「君の右腕の仕掛け弓はどうしたんだい? さっきも取り上げられなかったようだが」
「……この腕では装着できない。船室において来た」
答えながら、包帯を解いていく。現れた右腕を見て、ルイズが思わず短い悲鳴を上げた。
『ライトニング・クラウド』によって与えられた火傷は時間経過と共に右腕のいたるところに水ぶくれを作り出し、肩は引きつったように痙攣している。
「酷い火傷じゃないの! どうして昨日、言わなかったの!?」
「問題ない、と言ったはずだ。見た目ほどは酷くない。……応急手当はした。薬品が足りなかっただけだ」
リゾットはあくまで淡々と返したが、ルイズは取り乱し、ドアを叩いて叫び始める。
「誰か! 誰か来て!」

扉の向こうで看守が起き上がった。
「何だ?」
「水を! あと、『水』系統のメイジを呼んで! けが人が居るのよ! 治してちょうだい!」
「いねえよ。そんなもん」
「嘘! いるんでしょう!? さっき、『眠りの雲』を唱えたじゃない!」
ワルドは呆気を取られて、ルイズを見つめている。リゾットはルイズの肩を掴んだ。
「あまり騒ぐな。俺なら大丈夫だ」
「嫌よ、信じられない! だって、あんた、いつも平気そうじゃない! 何で痛いときも苦しいときも平然としてるのよ!」
怒鳴っているうちにルイズは何だか悲しくなってきた。涙が溢れそうになる。しかし、ルイズは唾を飲み込んで、それを耐えた。
「それは確かに俺が悪かった……。だが泣くな…」
「泣いてなんかないもん。使い魔の前で泣く主人なんかいないもん」
リゾットはもう既にルイズが泣いているところを見ているのだが、そこはこの際伏せておくことにした。
「分かった。お前は泣いていない……」
ルイズは壁際まで歩くと、そこにしゃがみこみ、顔を抑えてうずくまった。泣いているのか、体が震えている。
リゾットはそんなルイズを見ながら、女性の扱いの難しさを改めて痛感していた。

やがて、水と食事のスープが運ばれてくる。運んできた太った男はルイズにアルビオンに何の目的で行くのか尋ね、旅行と聞くと馬鹿にしたような顔で去っていった。
リゾットは毒が入っていないことを確認した後、渋るルイズとワルドにスープを譲り、水を使って包帯の交換の続きをする。だが、左手しか使えないため、やはり苦労する事になった。
すると、ルイズがやってきて、リゾットの手から包帯を奪い取る。布を水に浸して患部にあて、包帯をリゾットの右腕に巻き始めた。

「おい…」
「何よ。あんたは私の使い魔なんだから、言うこと聞きなさいよね」
ルイズは泣きはらした目のまま、それ以上、何も言わずに黙々と包帯を巻く。はっきり言って手つきは下手だ。

巻いている途中、また扉が開き、今度は痩せた空賊が入ってきた。楽しそうに三人を見回す。
「おめえらは、もしかしてアルビオンの貴族派かい?」
三人は黙ったまま、じっと空賊を見つめている。
「おいおい、だんまりじゃわからねえよ。でも、そうだったら失礼したな。俺たちは、貴族派の皆さんのおかげで、商売させてもらってるんだ。王党派に味方しようとする酔狂な連中がいてな。そいつらを捕まえる密命を帯びているのさ」
「じゃあ、この船はやっぱり、反乱軍の軍艦なのね?」
「いやいや、俺たちは雇われているわけじゃねえ。あくまで対等な関係で協力し合っているのさ。まあ、おめえらには関係ねえことだがな。で、どうなんだ? 貴族派なのか? そうだったら、きちんと港まで送ってやるよ」
ルイズの視線が険しくなる。立ち上がると、決然と空賊に言い放った。
「誰が薄汚いアルビオンの反乱軍なものですか。バカ言っちゃいけないわ。わたしは王党派の使いよ。
 まだ、あんたたちが勝ったわけじゃないんだから、アルビオンは王国だし、正統なる政府は、アルビオンの王室ね。わたしはトリステインを代表してそこに向かう貴族なのだから、つまりは大使よ。だから、大使としての扱いをあんたたちに要求するわ」
「………」
ルイズはリゾットの視線に気づき、きっとにらんだ。
「何よ? 文句でもあるの?」
「いや……まさか正直に答えるとは思わなかったからな……」
「うるさいわね! こいつらに嘘ついて頭下げるくらいなら、死んだほうがマシよ!」
そのやり取りを聞いて、空賊は笑う。
「正直なのは、確かに美徳だが、お前たちはただじゃ済まないぞ。頭に報告してくる。その間によく考えるんだな」
男はそういうと、扉を閉めて立ち去った。

部屋に沈黙が訪れる。
「……ほら、腕、貸しなさいよ」
そういうと、ルイズは再び包帯を巻き始めた。やがて、不器用な巻き方ではあるが、包帯が巻かれる。稼動範囲がかなり狭い。それでもリゾットは礼を言った。
「感謝する…」
「別に……。使い魔が怪我をしたら治すくらい、ご主人様として当然よ」
リゾットの礼を聞くと、ルイズは顔を赤くしつつ、顔を背けた。

「一つ訊きたい。今のでここで死ぬことになっても……お前は後悔しないのか?」
「この任務を受けたときから死ぬかもしれないって覚悟は出来てるわ。でも、私は諦めない。だからといって、あそこで嘘を言ったら私の貴族としての『誇り』が消えるのよ!
 ……そりゃ、平民のあんたを巻き添えにしたのは悪かったけど、主人と使い魔は一心同体なんだから、我慢しなさいよね」
「そうか……」
今まで成り行きを見守っていたワルドが寄ってきて、ルイズの肩をたたく。
「いいぞルイズ。流石は僕の花嫁だ」
ルイズは複雑な表情を浮かべて、うつむいた。
やがて再び扉が開く。先ほどの痩せた空賊が入ってきた。
「頭がお呼びだ」

三人が連れて行かれた部屋は、船長室だった。豪華なディナーテーブルがあり、一番上座には先ほどの頭領が腰掛け、その周囲には空賊たちがニヤニヤ笑いながら、ルイズたちを見ている。
頭領は大きな水晶がついた杖をいじくっていた。メイジのようだ。

「おい、お前たち、頭の前だ。挨拶しな」
ここまでつれてきた痩せた空賊が促すが、ルイズは頭領を睨むばかりだった。頭領はにやりと笑う。
「気の強い女は好きだぜ。子供でもな。さてと、名乗りな」
「大使としての扱いを要求するわ。そうじゃなかったら、一言だってあんたたちになんか口を利く者ですか」
「王党派と言ったな?」
お互いに相手の言うことを無視しているため、まるで会話がかみ合っていない。このままだとラチが開かないと思ったのか、ルイズが答える。
「ええ、言ったわ」
「なにしに行くんだ? あいつらは、明日にでも消えちまうよ」
「あんたたちに言うことじゃないわ」
頭領は、歌うような楽しげな口調でルイズに言った。
「貴族派につく気はないかね? あいつらは、メイジを欲しがっている。たんまり礼金も弾んでくれるだろうさ」
「死んでもイヤよ」
その時、リゾットはルイズの体が震えていることに気がついた。
(まったく、フーケのときといい、今といい……)
リゾットはルイズの恐怖に負けない精神力を見直すと共にその強情さに呆れた。この娘は自分の中の大事なもののためなら、決して後には引かないのだ。
誇りのために死を覚悟してボスに反逆した自分たちに、その姿が重なる。
「もう一度言う。貴族派につく気はないかね?」
頭領の言葉にルイズが答えるより早く、リゾットが口を開いた。
「もうそろそろいいだろう……。茶番は終わりにしないか…?」

頭領がリゾットを睨みつける。その眼光は人を睨みつけることに慣れ、普通の人間なら黙ってしまうような苛烈なものだった。だが、リゾットは意に介さない。
「貴様は何だ?」
「この娘の使い魔だ」
「使い魔? ふん、トリステインでは妙な使い魔がいるのだな…。茶番とは何のことだ?」
「お前たちは俺たちを殺すつもりも、身代金を取り立てる気もない。なぜなら、お前たちは王党派だからだ」
『!!』
リゾット以外の全員が驚愕の表情を浮かべた。
「ちょ、ちょっとリゾット、それ、どういうこと?」
「彼らは王党派だ。……つまり、俺たちの味方だ……。目的は空賊に化けることによる撹乱と……敵の補給の妨害および物資調達か?」
その途端、頭領を含めた空賊たちが大声で笑う。頭領は黒髪のカツラを取り、眼帯を外し、付け髭を外す。すると、凛々しい金髪の若者が現れた。
「その通りだよ。名乗りもせず、無礼を働いたこと、許してほしい。私はアルビオン王立空軍大将、本国艦隊司令長官……。まあ、艦隊は本艦『イーグル』号しか存在しないのだがね…。そちらの肩書きより、こう名乗った方が分かりやすいかな?」
若者は居住まいを但し、威風堂々、名乗った。
「アルビオン王国皇太子、ウェールズ・テューダーだ」
ルイズはあんぐりと口をあけた。ワルドは興味深そうに皇太子を見つめている。リゾットも皇太子だとは思っていなかったので、多少、驚いた。
「さて、御用の向きを伺う前に、そちらの使い魔殿に是非とも尋ねたい。いつ、どのようにして我々の正体に気づいたんだい?」
リゾットはしばらく黙っていたが、ルイズにせっつかれて口を開いた。
「……最初におかしいと思ったのは、お前たちの動きだ。規律を何より優先する、訓練された動きだった」
「だが、それだけではまだ王党派とは判別できない。内乱に乗じて軍が私的に略奪を行う、というのはありえる話だからね」
ウェールズの言葉に、リゾットは頷き、自分たちを連れて来た痩せた男を示す。

「それはこの男の話で決定した。『王党派を捕まえる密命を帯びているから、貴族派ならば逃がしてやる』。私腹を肥やしている軍ならば、自分たちとのつながりを隠したがる。
 さらに、この言い方は俺たちに『貴族派だ』と言うように誘導している。お前たちが貴族派ならば、嘘をつけば助かるような言い方はしない…。俺たちを試すつもりだったんだろうが、不自然になりすぎたな…」
リゾットは続ける。
「最期に……お前たちは品が良すぎた。本物の賊はこんなに紳士的ではない…。騒ぎ立てる娘がいたら、黙らせるために一人、撃ち殺すくらいはする…」
「なるほど。ずいぶん空賊の真似も板についてきたと思っていたんだけどね……。まだまだというところか」
ウェールズは苦笑した。
「いや、大使殿には、大変な失礼をした。本当に味方か、慎重に確かめる必要があったのでね。まさか、外国に我々の味方の貴族がいるなどとは、夢にも思わなかった。許してほしい」
「え、ええ……」
まだ信じられないといったルイズに代わり、ワルドが前へ進み出る。
「アンリエッタ姫殿下より、密書を言付かって参りました」
ワルドは優雅に一礼して言う。
「ふむ、姫殿下とな? 君は?」
「トリステイン王国魔法衛士隊、グリフォン隊隊長、ワルド子爵。そしてこちらが姫殿下より大使の大任をおおせつかったラ・ヴァリエール嬢とその使い魔の青年にございます、殿下」
「なるほど! 君たちのような立派な者たちが私の親衛隊に十人もいたなら、このような惨めな今日を迎えることもなかっただろうに! して、その密書とやらは?」
ルイズが慌てて、胸ポケットからアンリエッタの手紙を取り出した。恭しくウェールズに近づいたが、途中で立ち止まる。それから、ちょっと躊躇うように、口を開いた。
「あ、あの……その、失礼ですが、本当に皇太子殿下でしょうか?」
ウェールズは笑った。
「まあ、さっきまでの顔を見れば、無理もない。僕はウェールズだよ。正真正銘の皇太子さ。何なら証拠をお見せしよう」
ウェールズは自らの薬指の指輪をはずすと、ルイズの指の水のルビーに近づけた。二つの指輪は虹色の光を発して共鳴する。

「この指輪は、アルビオン王家に伝わる、風のルビーだ。君が嵌めているのは、アンリエッタが嵌めていた、水のルビーだろう? 水と風は虹を作る。王家の間にかかる虹さ」
「大変失礼しました」
ルイズは一礼して、手紙をウェールズに渡した。
ウェールズは受け取った手紙の花押に接吻してから、丁重な手つきで手紙を取り出す。真剣な表情でそれを読み進め、顔を上げた。
「姫は結婚するのか? あの、愛らしいアンリエッタが。私の可愛い……従妹は」
ワルドが無言で頭を下げ肯定する。再びウェールズは手紙に視線を下ろした。
最期の一行まで読むと、微笑む。だが、リゾットはその笑顔に隠された悲しみを見出した。
「……私にとってあの手紙は何より大切なもの。しかし、姫の望みとあれば、お返ししよう。だが手紙はニューカッスル城にある。多少面倒だがご足労願いたい」

ウェールズの船『イーグル』号は、貴族派たちの艦隊の目を避け、雲の中にある大陸の下部の抜け穴を通り、ニューカッスルの秘密の港に入港した。
老メイジが出迎えに現れ、戦果を確かめると、喜びの声を出す。
「これは硫黄でございますな! 火の秘薬として使えば、我らの名誉も守られるでしょう!」
硫黄と聞いて、他の兵士たちも歓声を上げる。ウェールズもまた、にっこりと笑った。
「ああ、これだけの硫黄があれば、王家の誇りと名誉を、叛徒に示しつつ、敗北することが出来るだろう」
「栄光ある敗北ですな!」
リゾットは周囲を見渡した。二人の会話によると、明日の正午には最終決戦が行われるらしい。だが、彼らの表情に恐怖はない。そこには純然たる『覚悟』のみがあった。
(彼らはもう……、決めているわけか……)
リゾットは苦々しく思った。死中に活路を見出すのと、死ぬために進むのでは、似ているようで違う。彼らは『栄光』に向かって努力し、『成長』するという生の責任を放棄しているように見えた。
パリーと名乗った老メイジは今夜、最後の晩餐を開くことをルイズたちに告げ、立ち去った。
「さ、行こうか」
ウェールズの後に続きながら、リゾットは暗澹とした気持ちが自分の中に広がるのを感じていた。


粗末なベッドと椅子と机、それに壁にタペストリーが飾られただけの質素な部屋が、ウェールズの居室だった。
ウェールズは机の引き出しから、宝石が散りばめられた小箱を出す。粗末な部屋の中で輝くそれは、まるで誇りと名誉だけを残すのみとなった王党派そのものを象徴しているようだった。
鍵のかかった箱を開き、中から何度も読まれてボロボロになったのであろう、手紙を取り出す。
万感の愛おしさを込めて口付けをし、最後にもう一度だけ読み返した後、ウェールズはそれを差し出した。
「さあ、残った君たちの任務はこれを持ち帰るだけだ。明日の朝、非戦闘員を乗せた『イーグル』号がここを出港する。それに乗って、トリステインに帰りなさい」
ルイズはその手紙をじっと見詰めていたが、そのうち決心して口を開いた。
「殿下……。さきほど、栄光ある敗北とおっしゃっていましたが、王軍に勝ち目は無いのですか?」
「ないよ。わが軍は三百、敵軍は五万。歴史上、これだけの戦力差で寡兵が勝った事はなくはないが、それは地の利や天候、それに歴史上稀に見る英雄たちの味方があってこそだ。
 だが、叛徒たちもこの辺りの地理や天候は熟知している。わが軍にも人はいるが、英雄といえるほどの者はそういない。
 我々にできることは、はてさて、勇敢な死に様を連中に見せ、今まで死んで行った部下たちや叛徒に、勇気を示すことだけだ」
しごくあっさり、ウェールズは答える。しかし、その回答にたどり着くまでに幾度も勝利の可能性を探ったであろうことは、城内を通ったときに散見した戦略図やその他、様々な分析を記したであろう紙から見て取れた。
「殿下の、討ち死になさる様も、その中には含まれるのですか?」
ルイズは俯き、疑問を口にした。
「当然だ。私はまっさきに死ぬつもりだよ」
その言葉に、ルイズはウェールズに深々と頭を下げた。ただ一つ、アンリエッタに誓った友情と忠誠にかけて、言わねばならないことがある。
「殿下……、失礼をお許し下さい。 恐れながら、申し上げたい事がございます」
「なんなりと、申してみよ」

「この任務を仰せつけられた時の姫様のご様子は、尋常ではございませんでした。そう、まるで恋人の身を案じているような……。それに、先ほど殿下の宝箱の内側には姫様の肖像画が描かれていました。
 手紙をご覧になっている際の殿下の物憂げなお顔といい、もしや、姫様とウェールズ皇太子殿下は………」
ウェールズはルイズの言いたい事を察し、微笑みを浮かべた。
「君は、従妹のアンリエッタと、この私が恋仲であったと言いたいのかね?」
「そう考えました。とんだご無礼をお許し下さい。しかし、そうするとこの手紙の内容は……」
ウェールズは、額に手をあて、言おうか言うまいか悩んだようだった。しかし、結局この正直な大使に告げることにする。
「恋文だよ。君の想像しているものさ。それはアンリエッタが始祖ブリミルの名に永遠の愛を誓ったものだ。知っているように、始祖に誓う愛は婚姻のときでなくてはならぬ。
 それが貴族派の連中の手に渡り、ゲルマニアの皇帝に知られたら彼女は重婚の罪に問われる。そうなれば、ゲルマニアとトリステインの同盟は白紙となり、トリステインのみであの恐ろしい貴族派連中と戦わねばならぬだろう」
「とにかく、姫様は殿下と恋仲であらせられたのですね?」
「昔の話だ」
遠い笑みを返す。昔を懐かしむと同時に、現在、遠くにいる恋人に向けられた笑みだった。それを見て、ルイズの感情は弾けた。
「殿下、亡命なされませ! トリステインに亡命なされませ!」
ワルドが寄ってきて、ルイズの肩に手を置いた。だが、ルイズの剣幕は収まらない。
「それはできんよ」
ウェールズは笑いながら言った。
「殿下、これはわたくしの願いではございませぬ! 姫様の願いでございます! 姫様の手紙には、そう書かれておりませんでしたか? わたくしは幼き頃、恐れ多くも姫様のお遊び相手を務めさせていただきました!
 姫様の気性は大変よく存じております! あの姫様がご自分の愛した人を見捨てる筈がございません! 仰ってくださいな、殿下! 姫様は、たぶん手紙の末尾であなたに亡命をお勧めになっている筈ですわ!」
首を横に振り、ウェールズは苦しそうに言葉を返す。
「姫と私の名誉に誓って言う。ただの一行たりとも私に亡命を勧めるような文句は書かれていない」
それは表情を読むまでもなく、ルイズの指摘を裏付けるものだった。

「お願いでございます! ただ一言! 我らと共にトリステインへ行く、と仰って下されば、我ら、一命を賭して殿下をトリステインへ護送いたします!」
「アンリエッタは王女だ。自分の都合を国の大事に優先させる訳が無い。そして、私も滅びかけているとはいえ、この国の皇太子なのだ」
リゾットにはウェールズの気持ちが理解できた。十八歳の時、リゾットは従兄弟の子を轢き殺した犯人に復讐した。『恩には恩を。仇には仇を』、この信条に従う彼にとって目の前で彼女の命を奪った犯人を、懲役四年程度で許すことはできなかったのだ。
だが、殺人者が家族の下に戻ることはできない。罪が明らかになれば、リゾットの家族は皆、殺人者の家族として社会的に抹殺されるだろう。だからその日以来、リゾットは名を変え、裏の世界に入って行ったのだ。
ウェールズがトリステインに逃げ込めば、トリステインはより早く貴族派に攻め込まれるかもしれない。大切だからこそ、その対象から離れなければならないこともあるのだ。
ルイズはウェールズの意思が果てしなく固いことを理解したのか、うな垂れた。そんなルイズの肩にウェールズは手をおく。
「ラ・ヴァリエール嬢、君は正直な、いい子だ。だが、忠告しよう。そのように正直では大使は務まらぬよ。しっかりなさい」
寂しそうに俯くルイズに、ウェールズは微笑んだ。他人に安心を与えるような、限りなく魅力的な笑みだった。
「しかしながら、亡国への大使としては適任かもしれぬ。明日に滅ぶ政府は、誰よりも正直だからね。なぜなら、名誉以外に守るものが他には無いのだから」
その名誉ゆえに嘘をついた皇太子は、机に備え付けられた、水の張られた盆の上の針を見つめた。それが時計だということを、リゾットは知識から引っ張り出す。
「そろそろ、パーティーの時間だ。君達は我らの王国が迎える最後の客だ。是非とも出席してほしい」
ルイズとリゾットは部屋を出て行った。一人残ったワルドはウェールズにある願いを申し出で、ウェールズはそれを快諾した。

パーティは城のホールで行われた。玉座には年老いたアルビオン王、ジェームズ一世が腰掛け、皇太子ウェールズがその脇に控える。
老王は残った家臣たちの今までの忠節を労い、逃亡を促すが、家臣たちはそれを笑い話として流した。
そしてパーティが始まる。明日滅びが待ち受けているにも関わらず、底抜けに明るく、和やかなパーティだった。
こんなときにやって来た三人はやはり珍しいらしく、貴族たちが代わる代わるやって来て、明るく料理を勧めたり、酒を勧めたり、冗談などを言ってきた。
そのうち、リゾットのところへウェールズがやってきた。
「やあ、使い魔殿。楽しんでいるかい?」
「ああ……」
「お蔭さんでね」
デルフリンガーが声を出すと、ウェールズは剣に目を移した。
「君の剣はインテリジェンスソードだったのか。客人は四人だったとは、気づかなくて申し訳ない」
「いいってことよ。俺は客扱いされても飯を食ったりするわけじゃないしな」
「ウェールズ皇太子、質問と忠告が一つずつある」
「何だい?」
「何のために死ぬ? お前を含め、この城の者たちが覚悟を決めているのは分かる。だが、『覚悟』とは犠牲の心ではない。お前たちの死は何かに繋がるのか?」
ウェールズは質問の意図を考えるように沈黙した後、やがて口を開いた。
「……我々の敵である『レコン・キスタ』はハルケギニアの統一と、はるか東方にある『聖地』を取り戻すという理想を謳っている。
 理想を掲げるのはいいだろう。だが、その理想のため、流される民草の血を考えぬ。国土の荒廃を考えぬ」
ウェールズは手にしたグラスに一度視線を落とした。ワインの赤が民の血であるかのように、悲しそうな視線だった。
「だからだ。我々は勇敢に戦い、ハルケギニアの王家がまだ健在であることを見せ付けねばならない。彼らはそれで理想を捨てることはないだろう……。
 だが、そうすることで、他の諸国の王家も我々の名誉と勇気を受け継ぎ、敢然と戦い、民草を守ってくれると思っている」
リゾットは目の前の皇太子が、自らの価値観の中で責務を果たそうとしていることを悟った。


「分かった……。お前がお前なりに責任を果たそうとするなら、俺から何も言うことはない……。だが、アンリエッタ王女に何か言い残すことはあるか?」
その言葉を聴くと、ウェールズは目を瞑る。しばらくそうした後、目を開いた。
「ただ、こう伝えてくれたまえ。ウェールズは勇敢に戦い、勇敢に死んでいったと。それだけで十分だ」
「分かった……。確かに伝えよう」
「で、忠告というのは?」
「その前に……皇太子の系統を訊きたい」
「『風』だが……」
「ちょうどいいな。では忠告の前に頼みがある…」
ウェールズに頼みを聞き届けてもらうと、そして、リゾットは話し始めた。

ウェールズが座に戻ると、リゾットはいつの間にかルイズがいなくなっていることに気がついた。
探しに行こうとすると、やっと解放されたのか、ワルドがやってきた。リゾットの前に立ちふさがるように立つ。
「君に言っておかねばならない事がある。明日、僕とルイズはここで結婚式を挙げる」
「……そうか。それで?」
リゾットの表情は動かない。
「君は明日の朝、すぐに船で発ちたまえ。僕とルイズはグリフォンで帰る」
「分かった」
「では、君とはここでお別れだな」
「そうだな……」
頷くと、リゾットは立ち去った。

真っ暗な廊下を、蝋燭の燭台を手に、リゾットはルイズを探していた。可能性は低いが、決戦前に暗殺者が入り込んでいることがありえるからだ。
ルイズはテラスで一人、泣いていた。
「ルイズ、一人でいるのは危険だ」
リゾットが声をかけると、ルイズはごしごしと涙をぬぐう。だが、後から後から涙が出てきた。
とりあえずルイズの無事を確認した後、リゾットが油断なく周辺を見渡していると、突然胸に軽い衝撃を感じる。見ると、ルイズが抱きついていた。
「どうした…?」
リゾットは困惑した。どうにかしなければならないのは分かるが、こんなルイズにどうしてやればいいのか分からない。
結果、しばらくそのまま周囲に対する警戒を続けることにした。ルイズはしばらく泣いていたようだが、やがて話し始めた。
「いやだわ……、あの人たち……、どうして、どうして死を選ぶの? 訳わかんない。姫様が逃げてって言っているのに……、恋人が逃げてって言っているのに、どうしてウェールズ皇太子は死を選ぶの?」
「そうすることが……彼らの責任を果たすことだと信じているからだろう」
「何よそれ……愛する人を生きて守るより、大事な責任がこの世にあるっていうの?」
「大事だと思う相手の望むままにふるまうことが、必ずしも相手のためになるとは限らない…」
「納得できないわ……」
ルイズは思いついたように顔を離し、リゾットを見た。
「あんた、死のうとして、やめたんでしょ? だったら、皇太子を説得して!」
リゾットは首を振った。
「……無理だ」
「どうしてよ!?」

「……俺は逃避するために死のうとしていた。だが、ウェールズ皇太子は違う……。彼は自分が死ぬことで、残された者たちに何かを受け継がせようとしている。
 それが受け継がれるのか、俺には分からないが、彼がそう信じている以上、説得に耳を貸すことはないだろう」
自分たち暗殺チームも、死ななければ任務が果たせないなら死を選ぶだろう。最期まであきらめるわけではないが、それだけの覚悟をして任務に挑んでいた。
それが反社会的であろうと、非人道的であろうと、そうすることが正しいと信じて戦っていたのだ。ウェールズもまたそうなのだ。
「そんな……」
「もしもあの男の決意を動かせるとしたら、それは彼の心に深く根を張っているアンリエッタ王女本人の言葉だけだろうな……」
「でも、私が姫様の意思をお伝えしても、皇太子は動かなかったじゃない! 手紙だってあったのに!」
ほとんど叫ぶようにして、ルイズが言う。
「何かに託された言葉では彼に届かない。王女が直接会って、説得すればウェールズも動くかもしれない。だが、それは無理な話だ…」
「でも……」
「もうやめろ、ルイズ。これ以上、彼の覚悟を汚すな。これ以上の説得は、彼自身を苦しめるだけだ…」
淡々というリゾットに、ルイズはついに感情を爆発させた。
「もういいわ! あんたも皇太子もこの国もみんな、大嫌い! 残される人たちのことなんてどうでもいいんだわ! そんなに死にたいなら勝手に死んじゃえばいいのよ!」
走り去るルイズを、リゾットは追わなかった。ふと、地面に落ちた缶が目に止まる。
リゾットはそれを拾い上げ、中を改める。軟膏が入っていた。
「ありゃ、それぁ火傷を治す水の秘薬じゃねえか」
デルフリンガーが呟く。
「…………」
「あの貴族の娘っ子、相棒にそれを渡すつもりだったんじゃねえの?」
「…………」
リゾットはその缶を手にし、じっと見つめ続けた。

深夜、見張りを除いて皆が寝静まったはずの城内で、リゾットは目を開いた。
腰のナイフに手をやって確認した後、傍らに立てかけておいたデルフリンガーを手に取る。
「やめときな、相棒」
歩き出したリゾットに、デルフリンガーが声をかけた。
「……何をだ?」
「相棒が今考えてることをさ」
「……俺が何を考えてるのか、お前に分かるのか?」
「分かるさ。暗殺だろ?」
リゾットの足が止まる。
「驚いたかい? 俺はな、相棒。六千年も前から剣をやってる。
 つまんねーことも多かったが、そんな中でもいろんな連中を見てきた。
 敵の裏をつく戦法、斬撃の威力よりも相手の急所を狙う攻撃、身のこなし、その他もろもろの戦術。
 相棒のそれはまっとうな戦士の戦い方じゃねえ。少なくとも騎士様の戦い方じゃねえ。暗殺者の戦い方だ」
「……暗殺には反対か?」
図星を当てられてなお、リゾットの声は淡々としていた。
「どうしても反対してるわけじゃねえさ。相棒がやると決めたことなら俺ぁ従うよ。何せ俺は剣で、相棒はその使い手だもんな。
 だがね、暗殺ってのは自分の心も体も切り刻む。まともな神経で続けられる仕事じゃあない。
 人間の心ってのは人を殺し続けられる様にはできてねえんだからな……。
 もし暗殺なんていう仕事を平気でずっと続けられる奴がいるとしたら、そいつぁ狂ってるんだろうよ」

「…………」
リゾットは黙って耳を傾けている。デルフリンガーは覚悟を決めて言っている事が、表情が見えずとも分かったからだ。
「まして相棒、お前さんは他人が思ってるより、自分で思ってるより優しい奴だよ。その優しさに流されない冷静さも持ってるがね。
 そんなお前さんに、自分の心を傷つけて欲しくねえんだよ」
「相棒がその気になりゃ、連中を暗殺できるのは分かってるさ。だがね、そんなことして、あの皇太子さんの名誉は守られるのかね?」
「暗殺ってのは薄汚ねえ手段さ。少なくとも貴族連中はそう思ってる。そんな手段で生き延びたとして、だ。彼らの誇りは守られんのかねえ? このアルビオンって国は、国体を保てるのかねえ?
 名誉より命って考えも俺は分かるよ。だがね、そいつぁ俺やお前の価値観で、彼らの価値観じゃあない」
「……もういい、デルフ」
「…………」
リゾットの声に、デルフは押し黙った。
「依頼もなしに暗殺しようとするのは暗殺者のやることじゃない。気遣いは感謝する……」
「ああ、もう寝ろよ。眠っちまえ。お前さんのやろうとしてるもう一つのこと。そいつぁ、俺も反対しねえよ」
「分かってる」
「ああ、喋りすぎたな。俺もお節介な剣さ…」

翌朝、ルイズはワルドに連れられて、始祖ブリミルの像が置かれた礼拝堂に来ていた。
皇太子の礼装に身を包んだウェールズが二人を迎え入れる。他の人間は皆、決戦の準備に駆けずり回っているのだ。
ルイズは昨夜、ウェールズや死を覚悟した人々、それにリゾットの態度がルイズを激しく落ち込ませ、ろくに眠っていなかった。
そして今朝早く、ワルドに突然起こされた。リゾットの行方を尋ねたが、先に帰ったと聞き、ついに見放されたのかとさらに落ち込んだ。
自暴自棄な気持ちと寝不足のまま、ルイズをワルドに連れられ、ここに来たのだった。
「今から結婚式をするんだ」
そう言いながらワルドはルイズの頭に、アルビオン王家から借り受けた新婦の冠をのせる。
続いて、マントもいつも着用している黒いマントを外し、新婦のために用意された純白のマントに取り替える。

ワルドに着せ替えられている間も、ルイズは無反応だった。ワルドはそんなルイズの様子を、肯定の意思表示と受け取った。
始祖ブリミルの像の前に立ったウェールズの前で、ルイズと並び、ワルドは一礼をした。
「では、式を始める」
ウェールズの声が礼拝堂に朗と響いても、ルイズはまるで聞いていなかった。
「新郎、子爵ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド。汝は始祖ブリミルの名において、この者を敬い、愛し、そして妻とすることを誓いますか?」
「誓います」
「新婦、ラ・ヴァリエール公爵三女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。汝は始祖ブリミルの名において、この者を敬い、愛し、そして夫とすることを誓いますか?」
自分の名が呼ばれたときでさえ、ルイズの心は深い思考の中に沈んでいた。
「新婦?」
ウェールズの声に、ようやくルイズはのろのろと顔を上げた。やっと脳が動き始める。
ルイズは戸惑った。いつの間にか式は進んでいる。どうすればいいのか、まるで検討がつかなかった。
「緊張しているのかい? 仕方が無い。初めての時は事が何であれ緊張するものだからね」
にっこりと笑って、ウェールズは続ける。
「まあ、これは儀礼に過ぎぬが、儀礼にはそれをするだけの意味が有る。では繰り返そう。汝は始祖ブリミルの名において、この者を敬い、愛し、そして夫と……」

いまや自分の気持ちを汲み取り、評価し、守ってくれる使い魔はいない。どうすればいいのか、助言を求めることも出来ない。
そう思うと、急に孤独がルイズを包んだ。そして気づく。少なくとも、ワルドといても、孤独は癒されないのだと。
そこまで考えたとき、ルイズはウェールズに首を振った。
「新婦?」
「ルイズ?」
「ワルド、私、貴方とは結婚できない」
怪訝な顔をしているワルドに、ルイズは悲しそうな表情を浮かべながら、そう言った。
ウェールズは首をかしげながらもルイズに問いかける。
「新婦は、この結婚を望まないのか?」
「その通りです。お二方には大変失礼をいたすことになりますが、私はこの結婚を望みません」
ワルドの顔に、さっと朱がさした。ウェールズは困ったように首をかしげると、ワルドに残念そうに告げる。
「子爵、誠に気の毒だが、花嫁が望まぬ式をこれ以上続けるわけにはいかぬ」
しかし、ワルドはウェールズに見向きもせずに、ルイズの手を取った。
「……緊張しているんだ。そうだろルイズ。君が、僕との結婚を拒むわけが無い」
熱っぽいワルドの口調に、ルイズは首を振る。
「ごめんなさい、ワルド。憧れだったのよ。もしかしたら、恋だったかもしれない。でも、今は違うわ」
するとワルドは、今度はルイズの肩をつかんだ。
「世界だ、ルイズ。僕は世界を手に入れる! そのために君が必要なんだ!」
その表情もいつもの優しいものではなく、爬虫類を思わせる、冷たいものに変わっていた。
「私……世界なんかいらないもの……」
「僕には君が必要なんだ! 君の能力が! 君の力が!」

その剣幕を見かねたウェールズは、間に入ってとりなそうとする。
「子爵……、君はフラれたのだ。いさぎよく……」
「黙っておれ!」
ウェールズはワルドの暴言に驚き、立ち尽くした。ワルドはルイズの手を乱暴に握る。その手は冷たく、まるで蛇に絡みつかれているようだった。
「ルイズ! 君の才能が僕には必要なんだ!」
「私はそんな、才能あるメイジじゃないわ」
「だから言っている! 自覚がないだけなんだよ、ルイズ!」
ルイズは手を振りほどこうとしたが、物凄い力で握られている為に、振りほどくことが出来ない。ルイズは苦痛に顔をしかめた。
「そんな結婚、死んでもいやよ。今、分かったわ。貴方は私を愛してなんかいない。貴方が愛しているのは貴方の頭の中にだけある、在りもしない私の魔法の才能だけ。
 こんな侮辱、他にはないわ。そんな理由で結婚しようなんて、死んでも嫌!」
ルイズが暴れる。見かねたウェールズはワルドの肩に手を置き、二人を引き離そうとした。しかし、ワルドは今度は突き飛ばした。ウェールズの顔に怒りが走る。
「なんという無礼! なんという侮辱! 今すぐにラ・ヴァリエール嬢から手を離したまえ! さもなくば、わが魔法の刃が君を切り裂くぞ!」
ウェールズに杖を向けられ、やっとワルドは手を離した。そして、どこまでも優しい笑顔を浮かべる。だが、その笑みは嘘に塗り固められていた。
その顔を見て、ルイズは初めて、『ワルドはいつも仮面を被っている』といっていたリゾットの言葉を理解した。
「こうまで僕が言ってもダメかい? ルイズ、僕のルイズ」
ルイズは怒りに震えながら返事をする。
「いやよ、誰が貴方と結婚なんかするものですか!」
ワルドは天を仰いだ。
「この旅で、君の気持ちを掴むために、ずいぶん努力した……。あの男に邪魔されがちだったがね…」
両手を広げ、首を振る。
「こうなっては仕方ない。ならば目的の一つはあきらめよう」
「目的?」

ルイズの疑問に、ワルドは唇を吊り上げ、笑った。
「そうだ。この旅における僕の目的は三つ。そのうち二つは達成できるだけでもよしとしなければ」
「達成? 二つ? どういうこと?」
「まず、一つめ。ルイズ、君を手に入れることだ。しかし、これは果たせないようだ」
「当たり前じゃないの!」
ルイズは胸のうちに広がるいやな予感を抑えながら叫んだ。
「二つめ。ルイズ、君のポケットに入っている、アンリエッタの手紙だ」
ルイズははっとしてポケットを押さえた。
「三つめ……」
『アンリエッタの手紙』という言葉で全てを理解したウェールズが杖を構えて呪文を詠唱した。
しかし、ワルドは二つ名「閃光」のように素早く杖を引き抜き、呪文の詠唱を完成させる。杖が青白く発光した。
ウェールズは呪文を唱えつつ後ろに跳ぼうとするが、それよりも早く杖はウェールズの胸へと伸びる。
そして、空中で杖が止まった。金属音が静寂に包まれた礼拝堂に響く。
「………とうとう正体を現したな、ゲス野郎め」
空中から声がした。ワルドの杖の先端から、細かい粒が一つ一つ落ちていくように、デルフリンガーの刃が明らかになる。
その粒子の落下はデルフリンガーを握る人物の姿をも描き出す。ワルドが驚愕の声を漏らした。
「貴様は……!」
「リゾット!」
ルイズは使い魔の名を呼んだ。そこにはリゾット・ネエロがその暗黒の瞳に冷たい怒りをたたえ、剣を構えていた。
リゾットはワルドから視線を離さず、ルイズに言った。
「薬は受け取った……。ありがとう」

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