ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

仮面のルイズ-73

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匿名ユーザー

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”白炎のメンヌヴィル”達による、トリステイン魔法学院襲撃から数日。

敵陣の中に乗り込み、貴族子女を人質に取る大胆かつ卑劣な行いに、ある者は恐怖しある者は怒りをあらわにした。
魔法学院には、トリステインだけでなく近隣小国の血筋も在籍しており、アルビオン帝国討つべしとの声はますます高まっていった。

「こんな大事なときに、何もできなかったなんて、僕は…」
そんな中、王軍の士官候補生が寝泊まりしている宿舎で、ギーシュ・ド・グラモンは己の不甲斐なさに落ち込み、枕を涙でぬらしていた。

王軍への申し込みを行った生徒たちは、即席の士官教育を受けている真っ最中であり、これが終わり次第各軍に配属される。
ギーシュは、トリステイン貴族としての責務から王軍への参加を決意したが、守るべき子女を守るからこその王軍である、戦うべき男が戦う機会も得られず、魔法学院が襲撃されたと聞いては落ち着いては居られなかった。

しかも、ギーシュがこの噂を聞いた時には、銃士隊の手で事件は解決しており人質は皆解放されている。
銃士隊数人と、教師一人が命を失ったものの、生徒への被害はほぼゼロであった。
ギーシュはその事にほっとしながらも、肝心な時に何もできなかったと悔やんでいた。
あの『ゼロのルイズ』が死んだという事件が、死へのリアリティを増していった、モンモランシーが死んでしまったら自分はどうしただろう?
今までにないほど、ギーシュは己の無力を責めていた。

ゼロのルイズが死んだあの事件は、良くも悪くも、魔法学院の学生達に影響を与えていた…。

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


同じ頃、トリステインの王宮では、アンリエッタが多数の報告書に目を通していた。
右の肘を肘掛けにつけて、欠伸をするアンリエッタを、隣に座るもう一人のアンリエッタがたしなめた。

お返しとばかりに、欠伸をしていたアンリエッタは、ため息をつきながら書類に目を通すアンリエッタの頬に指を当て、柔らかく、魅力的な感触を楽しんだ。
「なあに?」
「ため息が癖になる前に、殿下の所へ行って気を休めてきたら?」
「…そ、それはできませんわ。殿下もアルビオンから亡命した方々の対処に、空軍への協力要請に応じたり、それはもう忙しいのですから、今はもう休んでいるでしょうし、私が行ったらかえって迷惑を」
「あらあら」
殿下、と聞いただけで顔を赤くするアンリエッタを見て、まるで少女のようだと思えた。
近しい者が見比べても、どちらが本物のアンリエッタか、すぐには解らないだろう。
あえて区別するなら…お淑やかなのがアンリエッタ本人でで、どこかラフな雰囲気を漂わせているのがルイズの変装、アンリエッタの影武者である。

「それにしても、きりがないわね」
書類の束に目をやり、ルイズが呟いた。
ルイズは高等法院リッシュモンの事件から今までの事を整理しつつ、書類に目を通していく。
リッシュモンは『逮捕に抵抗し死亡』したが、王宮の発表では『自殺』したことになっている。
勘のいい貴族はリッシュモンが自殺したなどと考えないだろう、動かぬ証拠を突きつけられ処刑されたか、自殺以外の道を封じられたと思うはずだ。
事実、リッシュモン以外にも汚職に手を染めた貴族がいるのは解っているのだが、密約や取引の決定的な証拠が隠され、見つけられないのだ。
また、商人との結びつきが強く、独自のネットワークを持つ地方貴族に対しては、ほとんど手を出せないのが実情であった。
中には慣習として、半ば公認になっている賄賂や寄付、贈答の挨拶と言ったものもあり、国庫から流出した金、物品を追跡するのは不可能に近い。

そこで活躍したのが、トリステインの財務卿、デムリである。
銃士隊、ルイズ、ワルド、監査の役割を与えられた魔法衛士隊が集めた、膨大な資料に目を通し、汚職と思しき点をピックアップしていった。
その裏を取るのがアニエス率いる銃士隊の面々である、アンリエッタ直属とされている銃士隊も、多くは元女傭兵であり、彼女らが根を張った傭兵同士のネットワークは商人に及ばないまでも優秀であった。。
護衛として雇われる傭兵は、頭数をそろえるため互いに情報交換をしており、金の動きに敏感なのだ
メイジのみで構成された『白炎のメンヌヴィル』率いる傭兵団などは、仕事が向こうからやってくるのだが、これは別格である。

ルイズが目を通している、銃士隊からの特別な報告書は、汚職に関する最終報告とも言うべきもの。膨大な金額の羅列に嫌気が差しそうになるのも、無理はない。

しばらく書類を読み進めていたルイズは、ふうんと鼻を鳴らした。
「手紙を読む限りでは、大義名分を気にしているのは貴族だけね。解っては居たことだけど…」
と言いながら、報告書の束をアンリエッタに渡す。

これは王軍の下級士官から師団長への上申書であり、本来ならアンリエッタの元にまで届けられるような物ではない。
大将命令で部隊を編成することになった士官が、予定額の予算を与えられず装備が調えられぬので監査を願う、という内容である。
また他の書簡には、傭兵の数が多すぎて士官が足りず、命令系統に著しい混乱をきたすのは明白である、といった古参兵からの意見もあった。

資料には監査の役を与えられている魔法衛士のメモ書きが添えられ、『封も開けられず処分されていたもの』と書かれている。

先ほどまでルイズが見ていた書類を、アンリエッタが手に取る。
中身を一通り読むと。
「これらの意見、吟味された上で却下されるならまだしも、封も開かずに処分されるなんて…」
嘆かわしい、と呟いてため息をついた。



アンリエッタが、自分の手に届かないはずの書類に目を通しているのには、訳があった。
遠征軍の出立は内々で既に決まっており、年末ウィンの月の第一週、マンの曜日がその日である。
しかし魔法学院が襲撃されるなどの事件が起こり、レコン・キスタ許すまじ、アルビオン帝国討伐の世論が広まっていき、遠征を前倒しにする声が高まっていく。
ヴァリエール公爵を筆頭に、少数の有力貴族が『戦争の前倒しは兵を混乱させる』という立場を取ったお陰で予定を崩さずに済んだが、ここでまた別の懸念が浮かび上がってきた。

アルビオン人への強烈な嫌悪である。

ルイズはまた別の書簡と、それに関連する報告書を纏め、アンリエッタに手渡した。
「アルビオン人への印象は非常に悪いわね。タルブ戦以前にラ・ロシェールに疎開した人に暴行…えん罪。いくら何でも印象が悪すぎるわ」
「…彼らが戦争を起こしたわけでもないのに」
報告書に目を通したアンリエッタが、悲しそうに呟いた。
「民が噂に左右され、暴徒と化すなんて、歴史をひもとけばよくあることでしょう。レコン・キスタはその『噂』を武器にしてトリステインを揺さぶっているのよ」
ルイズは報告書に目を通しながら、自分の考えを語る。
「………」
アンリエッタは沈黙した。得体の知れない噂に左右されて道を誤った貴族も少なくはない、もしかしたら自分も…と考えてしまったのだ。
黙っているアンリエッタの隣で、ルイズは何かに気づき、特定の報告書と貴族からの書簡を重ねてアンリエッタに見せた。

「アン、ちょっとこれ見て」
「…これは?」
「この書簡は、ラ・ロシェール駐屯のメルクス男爵の部隊から、方面司令宛に届けられた書簡よ。内容はね…
『ラ・ロシェール内の酒場でアルビオン人とトリステイン人の衝突があり、兵がこれを鎮圧。主犯と思しきアルビオン人は発見できず、風説を流布し混乱を誘う間諜の恐れがあるためトリスタニアに於いても注意されたし』って所ね」
「ラ・ロシェールでもそんな事が起こっているのですか…」
アンリエッタの言葉に頷きつつ、ルイズが次の報告書を見せる。
「そしてこっちが、ラ・ロシェールに派遣した銃士隊見習いの報告書よ…ええと。
『昼頃、傭兵と思しき集団からアルビオン人に投石があり、市民に波及。
アルビオン人に負傷者が出るもラ・ロシェール自警団が仲裁に入り、夕方には収まる。
夜、一連の騒ぎをアルビオン人による窃盗が原因として、駐屯するメルクス男爵以下十数名の部隊が、疎開したアルビオン人のあばら屋を包囲。
翌朝、騒ぎの責任を取る名目でアルビオン人の一団体およそ24名がラ・ロシェールを出立。
女子供は野に放り出すのは忍びないとして、奉公先を斡旋された模様』」

アンリエッタは頭に?を浮かべた。
「報告書では自警団が間を取り持ったのに、書簡では自分の部下が騒ぎを収めたように書いてあるのですね」

「私は、これが気になるの」
「確かに、こういった矛盾があっては困りますけど」
「この男爵…メルクス男爵は風説の流布を気にして調査を頼むとか、ちょっと切れが良すぎるわ」
アンリエッタは書類を見比べると、ルイズに質問をした。
「…地方貴族の書簡と、銃士隊からの報告書に矛盾があるのは少なくはありませんわ。それに間諜を気にしているのは士官なら当然でなくて?」
ルイズは額に人差し指を当て考え込むような仕草をしてから、こう言った。
「考え過ぎかもしれないけど…。騒ぎの責任を取るため、アルビオン民がラ・ロシェールを離れるのは解るわ、でも子供が奉公先を斡旋されても、具体的な斡旋先が書かれてない。
これってラ・ロシェール以外の場所に斡旋されたんじゃないかしら。これ、騒ぎに乗じて合法的に女子供を”商品”にしようとした商人と、兵士が結託してるんじゃない?」

そういえば…と、アンリエッタが呟く。
「そういえば、メルクス男爵の長男が魔法衛士隊に入れなかったと…誰かから聞いた覚えが…」
「それよ、ワルドの話では、魔法衛士隊に推薦されたものの、結局は訓練に耐えきれず脱走したのよ、確か、ブレッスン…だったかしら」
「その推薦は誰が?」
「リッシュモンよ」
アンリエッタはハッとして、書類を見た。
「タイミングが良すぎるのよ、『私には何のやましい事はありません、国防のため調査隊に来て頂きたいのです!』って、不出来な劇みたいじゃない?」
「言われてみればそうかもしれません、でも、ああ、どうしたら」
「考え過ぎかもしれないけど、遠征前にこの件だけ私が調査してくるわ。ブレッスンには賄賂の疑いはないはずだけど、メルクス男爵は王立魔法研究所にも”寄付”してるじゃない?地方貴族にしてはちょっとねえ」
ルイズの言葉に驚いたのか、アンリエッタが顔を覗き込む。
「貴方が直々に?遠征前の大事な時期なのだから、トリステインに居てほしいのだけど…」
「この間捕らえたアルビオンの間諜も、商人のフリをしてラ・ロシェールから来ているけど、下手に兵を動かしたら逃げられるかもしれない、大事になれば難民との衝突が起こって国内に不穏の種を蒔くことになる。こういう時こそ私が動けばいいのよ」
「そうだけど…今更だけど、あまり危険なことはしてほしくないわ」
困ったような顔でアンリエッタが呟く、するとルイズは不敵な笑みを見せた。
「私がここに居続けたら、女王陛下を甘やかしては困ります!って言われちゃうわよ、枢機卿に」
アンリエッタは、手に持った書簡で口元を隠すと、わざとらしく目を泳がせる。ルイズがその仕草を見て、思わず吹き出した。



「悪いわねアン、貴方の公務手伝えなくて」
書類を纏め終えたルイズが申し訳なさそうに呟くと、アンリエッタはため息をついた。
「ああ、また私一人で財務卿の書類に目を通したり枢機卿のお小言を聞かなければならないのね。ルイズが徹夜で手伝ってくれるからずいぶん体も楽になりましたのに」
昔のように、子供っぽく拗ねるアンリエッタを見て、ルイズが笑った
「良いじゃない、私なんて命がけで敵地に乗り込んだりしてるのよ?」
「王宮で暗殺された王族も少なくないのよ?」

二人はくすりと笑った。
「お互い様ね」
「お互い様ですわ」

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


翌朝、ルイズは朝日が昇る前に練兵場へとたどり着くべく、フード付きのマントを着て王宮を出た。

念には念を入れ、フードの中に見える顔も変わっている。以前、魅惑の妖精亭で『ロイズ』を名乗っていた時の姿であった。
身長も166サントに伸ばし、アンリエッタより8サントほど高い、胸は元よりは大きいが、あまり目立たぬよう控えめにしている。
頭髪は水で洗い流しても落ちぬ特殊な染料で茶色く染められており、髪の毛は肩口で切りそろえ、顔立ちも普段よりほんの少し鼻が高く、面長になっている。
口元には黒子もあり、彼女を一目でルイズだと見抜くことはできないだろう。
背中には、デルフリンガーを背負っているが、150サント近くある剣である、どうしても目立ってしまう。

この姿を特に気に入ったつもりはない、しかし、自然とこの姿を選んでしまうのは、自分がこの姿に何らかの思い入れがあるからだろう。
吸血鬼の肉体は人間超越の象徴であり、あらゆる束縛から解放された喜びがある、それは理解できる。
だが、魅惑の妖精亭で平民に混じって働いたこの姿にまで、どうして喜びを感じているのか自分でも解らない。
楽しかったのは事実だが、そもそも、どうして働くことが楽しかったのだろう。ルイズはほんの少し首をかしげた。



日の出前の、もやのかかった大通りは滅多に人が居ない。すれ違うのは、沢山の木箱を乗せた馬車ぐらい。
かぽっ、かぽっ、と石畳を踏みしめて進む馬車から、新鮮な命の香りがして、ルイズはフードの下で微笑んだ。
野菜独特の青臭い香りに、果物の甘い香り、腸詰めにされた肉類の香りが鼻孔をくすぐる。それだけの事なのに、夜明け前の街に命があふれている気がしてくるのだから、不思議なものだ。


夜明け間近、魔法学院の中庭より広い練兵場では、風竜の準備を終えたワルドがルイズを待っていた。
風竜が首を上げ、門の方を見た。
「待たせたみたいね」
「ちょうど準備が済んだ所だ」
門の脇にある通用口から練兵場へと入ったルイズは、風竜を見上げつつ、ワルドに手荷物を渡した。
「任務にあたっての餞別よ」
両手の平に乗るぐらいの袋だが、持ってみるとかなりの重量がある。中身は金貨かと思ったが、それにしては音に違和感がある。
「ほかの街で金貨の両替なんてしていたら、盗賊に目を付けられるからって、両替済みを準備してくれたわ。財務卿のミスタ・デムリが苦心して下さったそうよ」
「なるほど、ありがたいな」

ワルドは金貨の入った袋を開け、ある程度小分けにすると荷物の中にしまい、風竜の背に乗った。
ルイズもまた、無言でワルドの手を取ると、ワルドの後ろへと乗り込む。
「この姿では僕の前に座らせるのは難しいな」
「背に抱きつかれるのより、小さい子を座らせる方がお好み?」
「どちらも男の醍醐味だな」
軽口をたたきつつワルドが手綱で合図をすると、風竜は静かに空へと舞った。


ふわりと空に上がる、風竜はその名の通り飛行に特化した力を持つ、ルイズが後ろを振り向けば、練兵場は既に小さく、間もなくトリステイン全景が見渡せた。
「ヴァリエール公爵が、僕たちを捜しているようだな」
風竜の上でワルドが呟く。
「そうね。公爵家と魔法学院関係は鬼門だから、アンも気を遣ってくれているわ」
「その割には、君は相変わらずおてんばだな。危険な任務をやりたがる」
「人間を見るのは、楽しいもの」
「そうかい? 僕は、嫌なことの方が多い、人間を見るのは好きじゃないよ。君を見ていた方がずっといい」
「嫌なことにまみれていなければ、私なんかが良いとは思わないでしょう?私が輝いて見えるのなら、それは貴方の生き様そのものよ」
「そうだな…そうだ。今更だが、僕は力がほしかった、それと同じぐらい『納得』がほしかったんだ」

ルイズは改めて前を向き、ワルドの背中に抱きついて鼻をひくつかせた。
背中に顔を押しつけて臭いをかぐと、香水の香りに混ざる汗の臭いだと解った。
「…ああ」
「どうかしたか?」
ルイズはワルドの背中に密着して、右の耳元に顔を近づけた。
「良い香りがしたの」
「言われるほど、良い香水は使っていないんだが、好みにでも合ったかい」
「違うわ、人間の生きた香りよ。朝の街で野菜や果物の臭いを嗅いだわ…それと同じ、生きている臭い」
「…もしかして汗臭いかな」
「私の鼻が特別なのよ。普通の人間じゃ気にもしないわ」
「なら、いいんだが」

(私には無い、においだ)

不意に、光が差した。
日の出の明かりが二人を包む。
ルイズはその明かりに、何かを思い出した。

幼い頃、母が乗るマンティコアに乗せられ、赤い空を見た。父親が私を抱き上げ、夕焼けを見せた。
フラッシュバックするその光景は、ルイズの眼から一滴の滴を垂らさせた。

「朝日か…」
朝日に照らされて、朝靄にいくつもの光線が走るのを見て、ワルドが呟いた。
ルイズはフードを被り直し、ワルドの腰に手を回して体を預ける。
「綺麗。でも、目にしみるわ」

◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

ラ・ロシェールが見えてくると、風竜は高度を下げ、低空飛行に移った。
ルイズは、デルフリンガーをワルドに渡すと、ワルドの体に手を回しデルフリンガーのベルトを取り付けていく。
「預かってて。任務の邪魔にはならないわよ」
『よろしく頼むぜ』
「こちらこそ」
カタカタと鍔を動かして、デルフリンガーが喋る。ルイズがふと何かを思い出し、刀身を半分ほど引き抜いた。
「デルフ、念のため綺麗になっていなさい。実用性のなさそうな格好でもいいわ」
『ん-、こんな感じか』
デルフリンガーは二人の目の前で鈍く輝き、刀身に黄金で彫金されたような、豪華な剣へと変貌した。
「貴族の前に出るんだから、これぐらいのカモフラージュはすべきでしょ」
「なるほど、模様を変えられるのか。長さも変えてくれれば扱いやすいんだが」
ルイズからデルフを受け取り、鞘に仕舞う。
『そう言うなよ』
「冗談だ」

二人のやりとりを見ていたルイズは、ほほえみを見せて呟く。
「じゃ、行ってくるわ」
「また後でな」
ふわりと体を翻し風竜から飛び降りる、低空飛行しているとはいえ、人間が飛び降りて無事では済まない高さだ。
だが、ワルドもデルフリンガーも心配する素振りは見せず、風竜をラ・ロシェールへと進めた。

ルイズは地面に落下する途中、木々の隙間に手を伸ばし枝を掴み、枝のしなりを利用して落下速度を落としていった。
そのお陰か、地面に着地してもドスンと音がするだけで、ほぼ陥没はしてない。

「さて…」
地面に降りたルイズは、ラ・ロシェールに向かって走り出した。
今回、ワルドは要人警護を兼ねた監察任務を与えられている為、同行はできない。
虚無の魔法『イリュージョン』を使って直接ラ・ロシェールの兵舎に入ることも考えたが、それよりは、麓から上がっていった方が気が楽だと思えた。

「まずはアニエスの知古と接触…豪快な人だと言ってたけど、大丈夫かしら?」



街道を通り、ラ・ロシェールの街へと登ったルイズは、街の活気に驚かされた。
トリスタニアとは違う、交通要所である港町独特の活気に包まれている。
笑顔で道行く人に声をかけ、果物や雑貨を売ろうとする街角の店々、そららには一様に笑顔が浮かんでいる。
(案外、街の人は苦しんでないのか)
そんな考えが頭をよぎった。

「この野郎!俺の財布をすろうとしやがったな!」
ルイズの楽観的な思案は、街角から聞こえてきた怒声にかき消された、人だかりの向こうから聞こえた声の主は、身長180サント程の浅黒い男であった。労働を主としているのか傭兵か、それなりの筋肉質で、角張ったあごが目立ち、口のまわりには無精髭を生やしている。
年の頃12歳ほどの少年が、男に腕をつかまれ、宙に浮かせている。
少年の服装はお世辞にも綺麗とは言えない、すすで灰色になった帽子を被り、所々が破けた薄茶色の上下を着ている。
じたばたともがく姿は、罠に捕らえられた小動物を連想させた。

「ちがう!俺じゃない!ぶつかっただけだ!」
「この野郎、暴れるんじゃない!」
ルイズが人混みをかき分けて近づくと、男は少年を地面に押しつけて、服の中をごそごそと探り始めた。
「見ろ!これは俺の財布だ、薄汚いガキが、兵隊に突きだしてやる!」
「そんなもの!取ってない!」
男が握りしめた財布を見て、群衆がどよめき始めた。

「またスリか」
「アルビオンの連中がきてから、増えたなあ」
「あのガキも難民じゃないか」
周囲から聞こえてくる声には、あからさまにアルビオンの難民がスリだと印象づけるようなものもあった。


(今の声、誰が?)
声の主を捜し、視線を移していく…すると、数人が『見せ物に飽きたように』人混みから離れていった。
(不自然よね)

「俺じゃ、俺じゃない!スリなんかするか!」
「うるせえ!」
男の拳が頬に当たり鈍い音が聞こえ、少年は「ぶっ」と声を漏らした。抵抗する気力を失ったのか、地面に顔をこすりつけたまま動かない。
「うっ、ううぅ、うう…」

人混みの喧噪にまみれながらも、少年の嗚咽だけははっきりと聞こえた。
ルイズにはどうしても、小ずるいスリの悔し泣きにも、罪を誤魔化す演技にも聞こえなかった、聞き覚えがある気がしてならないのだ、その鳴き声に。

間もなく騒ぎを聞きつけた衛兵が現れ、男が少年を引き渡すと、見物人は興味を失ったとばかりに散っていった。
(あの子には悪いけど、あの男…気になる)
フードを被り直し、ルイズは『財布をすられた男』の後を追った。


◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


夜。

ルイズは古ぼけた酒場の二階で、傭兵時代のアニエスが世話になっていた『コーラ』という女性に会っていた。
彼女はアニエスより年上で、声も腕も太ければ体も太い、豪快で誰からも頼りにされる女将であった。
「あはははは!なんだいアニーの奴手紙なんかよこして、偉くなったもんだねえ!」
アニエスからの手紙を受け取ったコーラは、満面の笑みでルイズの背中を叩いた。
「トリスタニアからじゃ時間がかかったろ?とっておきのエールを入れてやるからちょっと待ってな」
「ええ、あの、ええと」
ルイズは戸惑いながらも、これが”肝っ玉母ちゃん”なのかしら?と、どうでも良い感想を抱いた。

ラ・ロシェールの中では比較的古くから使われている宿らしく、岸壁に作られた倉庫をそのまま利用した部屋は、以外と湿気が少なく快適であった。
「この部屋は昔武器庫だったのさ、奥行きがあったからそのまま住居にしてる。表にせり出した酒場は後から作ったもんなのさ。おかげで建物は小さく見えるけど、奥行きがあって使いやすいのさ」
「そ、そうですか」
女将の迫力に戸惑い、ルイズは話を始めるきっかけを掴めない。その戸惑いが通じたのか、女将はアニエスからの手紙を開き、読み始めた。
「何…なかなか厄介なことになってるねえ。アルビオン難民に暴動を起こさせようと計画している間諜がいるだなんてねえ」
「それで、昨日までこちらに居たエメリーを急遽トリスタニアに呼び戻したのです。代わりに私がラ・ロシェールに滞在することになりました」
「そうかい、まあ無茶はするんだろう、少しならあたしにも手伝えるから、上手くやっておくれ」
「はい」
ルイズは頷いたが、コーラに、ひいてはコーラが女将をしているこの酒場に迷惑をかけるつもりはない。
挨拶を済ませたら宿を転々とするつもりであった。

エールを飲み干して、ふうと息をつく。ふとコーラの表情を伺うと、先ほどより幾分か神妙な面持ちをしていた。
「ところで…一つ、頼みを聞いちゃくれないかい?」
「私に出来ることでしたら」
「実はこの、アルビオン難民に関することなんだよ。ラ・ロシェールの麓の生まれで、アルビオンで酒場を開いた奴がいてねえ。そいつから子供を疎開させてほしいと頼まれたんだ」
「疎開?」
ルイズの脳裏に何かが浮かんだ。

「もうラ・ロシェールも戦火にまみれてる。別の村にでも疎開させようとしたんだけどねぇ……酒場で働きたい、父さんみたいになりたい!って言って聞かなくてねえ」
「アルビオンから、酒場の子が、疎開…」
ルイズの脳裏に、ちくりとする何かが浮かび上がった。

「そうさ。あたしは行ったことも無いんだけどね。アルビオンの首都にほど近い、街道沿いの場所に酒場を開いて、繁盛していたらしいよ」
「アルビオンの首都、ロンディニウム…」


『ジョーンズ、マスターに会ったのはいつだ?』

『…月ぐらい前だ、ブルリン、お前は?』

『俺もそれぐらいだ…なあ、マスターの息子はどうなったか知らないか』

『一足先にラ・ロシェール近くの村に疎開してるよ、マスターの故郷らしい。ところでマスターは?』

『…カウンターの裏で、瓦礫に潰されて…』



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