ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

一章十節 ~人間は一場には変わらない~(前編)

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匿名ユーザー

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 なんでこんなことをしてるんだろ、とロングビルは頭を抱えたくなっていた。足取り重く行く階段の先には、なるだけ長居したくない学院長室がある。
 二ヶ月ほど前にこの学院に雇われ、仕事にはすっかり慣れていたが、耄碌しかけの『振り』をしたジイ様のセクハラに関しては、慣れる、慣れないで割り切れない部分があった。尻を触られるくらいならまだ軽いほうで、最近では昼前のようなことが頻繁に起きるようになっているのだ。堪えられたのは初めの二回ほどで、あとは冷静に徹しきれない部分が、すぐに顔を出した。
 そういう行為をされることを仕事の一端として織り込めないのは、ロングビルが歳若い女性であることの証明なのかも知れないが、当のロングビルにはちっとも面白くない。いっそ無視してしまえれば、どれほど楽だろうと思っていた。
 周囲にはできるだけ平穏で、静かな環境を持っていたいというのがロングビルの願いである。平穏静かな環境とは、つまりは心を平静に保ち続けることのできる環境で、植物のように心を荒らげないことが前提になる環境だった。逆に、そうせずに済む環境でもある。
 その環境を作るためには、対人関係が何にも増して厄介な問題だった。何せ人間の心を一番揺すり、もしくは縛るのは、やはり人間である。それも近しい関係になればなるほど、そんなしがらみとでもいうべきものは、太く硬く身に纏わりつくのだ。拘束を緩めるためには、周囲の人間と近すぎず遠すぎない距離を置く必要があって、ロングビルはそれに努めてきたのだった。
 ただ、そんなことが周りに人間のいる環境で普通に続けられるわけもなく、普通の人間を大きく逸することのないロングビルは、ときには人恋しさを覚えることもあった。厨房の人間との面識が深まったのは、そんな時期である。
 深まったといっても、たまに厨房で食事をとっているうちに自然とそうなったというだけで、特別な歩み寄りがあったわけではなかった。食前にリキエルに語った以上のいきさつは無く、食堂での食事は何かと気の落ち着かない感じがして、好きではなかったというだけの理由で厨房に出入りし、その過程で厨房の人間と言葉を交わすようになったのである。初めの間こそ、関わりすぎたかもしれないと不安だったロングビルも、顔を合わせれば世辞や会釈を交し合うといった、浅い近所づきあいのような感覚の交わりに、思いがけず理想に近い関係を見出し、今は安堵していた。
 しかし、それでも何人かの例外はいて、シエスタなどがそうだった。ただしシエスタの場合は、人懐っこく寄ってこられるのは苦手だが、そこには年齢の違いや、メイジと平民との厳然たる差というものがあって、深い交友関係になることはそもそもありえないことだった。それに気がつくと、シエスタの屈託の無さは、構えることなく付き合えるという意味では何物にも代えがたく、つまりは良い意味での例外だった。
 ――その分、泣きつかれると弱いのかもね。
 不意に、これといった感慨も無く思った。あまり足を向けたくない学院長室にわざわざロングビルが戻ったのは、元をただせば、シエスタの半泣きの訴えに理由があった。すがるようなシエスタの声を、ロングビルは思い返している。
 昼食のあと厨房を出て行ったロングビルは、時間を気にする素振りを見せていたわりに、特に何をするでもなく、食堂と繋がるロフトで教師陣と歓談したりしていた。実を言えば、さしあたって時間を気にかける理由は無く、暇でさえあった。仕事がまるで無いわけでもなかったが、急務と呼べるものも無かった。
 その上で、ロングビルがいくらか急いた風情で厨房を離れたのには、無論わけがある。そのわけとは、リキエルのことだった。
 ロングビルが教室でリキエルを介抱したのは、初めはひとえに人情というものが動いたからに他ならなかったが、リキエルが落ち着き、使い魔として召喚されたと聞いてからは、それが憐憫に変わった。この平民は右も左も明日をも知れない場所に、前触れも無く放り出されたのだと考えると、パニックを起こしていたことも含めて不憫に思えた。薄幸で哀れな男だと思った。
 昼食にリキエルを誘ったのは、そのまま放っておくことに気が咎めた他に、その哀れみをできるだけ見栄えの良い形で外に出そうという、ある種の打算が働いていたからでもある。そういう思考がいつごろから身についたものかロングビルは覚えていないが、打算的思考はどんなときも身を助けた。往々に負の方向へ傾かない、高い打算だった。
 その打算に当てはめれば、ただの平民であるリキエルとの係わり合いは、ロングビルには損にも得にもならないもので、日常に紛れ込んだ、ほんの少し変わった出来事でしかなかった。それでなければ、素直に助け起こしたりはしていない。
 素直にというのも実は怪しいもので、助け起こそうとする意識の側面には、面倒なことになりはしないか、と打算以前に保守的な考えが終始へばりついていた。それでも駆け寄ったのは、結局のところ、心に後味のよくないものを残すことは損で、人助けは得で徳のはずと、常識的な考えに思い至ったからだった。どうせ損得が無いのなら、人情に任せた行動をした方が、心の平穏を得やすいのは当然である。
 ――けど、紅茶まで淹れたのは行き過ぎだったかもしれない。
 紅茶の味を褒めちぎられているとき、そのことに対する喜びよりも、『踏み込みすぎた』ことへの後悔がロングビルの頭をよぎっていた。あまりにも不注意だったことに気がついたのである。
 考えてみれば、平民で使い魔などと、リキエルはよくわからない存在だった。
 平民でありながら、ある意味メイジと強い関係を持つ存在が、何をどう転がすか、まるで予測がつけられなかった。出会いからして、普通とも言えないようなものだったのだ。唐突に、これ以上の係わり合いが危ういものに感じられて、気づけば逃げるようにして厨房を出ていた。
 それから食堂に行き、教師たちとの談笑の中で頭が冷え、そんな大それた話でもなかったかなと思い始めた矢先に、シエスタは駆け込んできたのである。
 何事かと思いながら話を聞けば、生徒が決闘騒ぎを起こしているとかで、その相手は平民だという。何か、悪い予感はした。
「誰か行って止めさせて来い」「決闘は禁止のはずだ」「放っておいてもいいのでは」「誰が行く」「何かあれば責任は」「どうやって収める」「けしからんことだ」「妨害にあうかもしれない」「あなたが行かれてはどうです」「所詮は子供の喧嘩でしょう」「貴族にあるまじき」「あなたこそ」「『眠りの鐘』を使いましょう」「相手が平民なら問題は無い」
 教師陣は浮き足立っていた。めいめいが好き勝手にものを言い、意見のすり合わせもままならない。憤慨して杖を抜く初老のメイジがいれば、それよりもいくらか老けた印象のメイジはあくびを噛み殺たりしていて、そそくさとその場を立ち去る者までいた。
 ともあれ『オールド・オスマンに報告を』という流れになり、それは自然、秘書であるロングビルに任された。気乗りしない心うちはひた隠して、ロングビルは学院長室へと踵を返した。
「ミス・ロングビル」
 教師たちの輪から抜け出し、食堂からも出たロングビルに、シエスタが追いすがってきた。涙の混じった声と目がまっすぐに見上げてきて、ロングビルは目をそらせなかった。悪い予感が当たったと直感的に思った。
「何かしら」
「リキエルさんなんです、平民って。決闘の相手って。あのあと食堂で私の手伝いをしてくれてて、それで、何かあったみたいで、こんなことになっちゃって。……ミス・ロングビル、お願いです。リキエルさんを助けてあげてください」
「……」
「私、もうただ怖くて、リキエルさんのことも止められなくて……」
「……大丈夫ですよ」
 言いながらロングビルが薄く笑いかけると、シエスタは泣きながら頭を下げてきた。お願いします、お願いしますと嗚咽を挟んで繰り返される懇願に背を押されて、規則的なロングビルの足音は少し乱れた。
 考えているうちに、ロングビルは学院長室の扉の前に立っていた。部屋の中には何やら慌しい気配があったが、緊迫したものではなく、どこまでも弛緩した空気が、扉の隙間から漏れ出てくるようだった。
 いい気なものだわ、となんとなく忌々しく思いながら、ロングビルはドアをノックした。気分が表に出たのか、少し乱暴なたたき方になる。
「なんじゃ?」
 答えたのは、オスマン氏の声である。ロングビルは一通りの経緯を話した。
「グラモンとこのバカ息子か、おおかた女の子がらみのいざこざといったところかの。じゃが、それがどうしたのかね? その程度の問題であれば、教師がちょいと杖を振ればカタがつくとしたものじゃろうて」
「それが、大騒ぎになっているようで、生徒による妨害も予測されています。教師たちは『眠りの鐘』の使用許可をと」
「アホか、たかが子供のケンカで秘宝を使うなどと。放っておきなさい。いざとなれば、それこそ杖を振れば事足りる」
 大方の説明を終えて、返ってきた答えは「静観しろ」というものだったが、ロングビルはヴェストリの広場へ行く気になっている。シエスタの願いもそうだが、個人的にも、顔見知りになった人間が折檻されていると思うと、かなり寝覚めの悪い話だった。
「……わかりました」
 そう言って、足早に学院長室を後にしながらロングビルは額を押さえた。わずかに開いた口からは、疲れたため息が漏れる。精神的な疲労は、とうとう頭痛を引き起こすまでにつのってきたらしい。もう一度ため息をついた。
 見たことか、と押さえた額とは違うところから声がした。これだから油断ならないのよ。どうしてこう、繋がりってものは面倒なのかしら……。
 日が傾いたのか雲が出たのか、本塔の中はどこも薄暗くなっている。食堂の喧騒も届かない暗く静かな廊下に、かつかつと乾いた音が響き、やがて聞こえなくなった。

◆ ◆ ◆

 跳ね橋が下りるみたいだ、とギーシュは曖昧な思考の中で思った。くずおれるでもなく膝を突くでもなく、直立の形を保ったままで仰向けに倒れこむ姿は、進む意志を最後の最後まで、敗北の後も貫き通した証にも見えた。
 勝敗が決してから、随分な時間が流れたようにも感じたが、リキエルの倒れるどさりという音は、たった今耳に届いたものだった。いよいよのところで手放された剣は、鈍く光を反射しており、見た目には初めとなんら変わりがなかった。切れ味にも、おそらく大きな変わりは無いだろう。そういった意味では、ギーシュの魔法はなかなかに優秀といえた。
 反面、決定的に違うところもある。ギーシュには、少し前まではまさに触れるものを斬り抉り、刺し穿つ牙だったものが、いつも矮小な棒切れと馬鹿にしている、金属の塊に戻った気がした。
 顔を伏せたルイズがとぼとぼと歩き、リキエルのそばまで行って座り込んだ。自失した面持ちでそれを眺めながら、ギーシュは自分が、この決闘に勝ったのだと漸く思い当たった。いつ吸ったのかもよくわからない息を、思い切って吐き出した。体にこもったままだった力が、どっと抜けた。
 途端である。急に、勝利の安堵を味わう間もなく、ギーシュの全身をあわ立つような悪寒が襲った。冷や汗が背を伝い、全身の産毛の一本一本までが太っていると思われた。
 肌から染み入ってきた寒気は、すぐ熱に変わってうねり、身体の内側の隅々までかき回した。みぞおちに巣食った虚脱感と、足の指の先まで覆う疲労感のために、ギーシュは這い蹲って身悶えしたくなる。そんな無様は出来ないと堪えると、今度は強い吐き気がしてきたが、吐こうとしても何も出て行かなそうな、ただ吐き気だけがある異様な感覚だった。
 こうなった理由にはおおよその予想がついて、先ほどまでの、重苦しく張り詰めた空気のせいだろうと思われた。
 濃密で異様な空気の中にいると、自分の感覚が次第に研ぎ澄まされていくのを実感として捉えられた。ほんの少しの気も抜けない緊張感の裏には、抑えのきかない何らかの激情があって、それに身を任せるだけで周囲のものがまるで気にならなくなった。平民との決闘に本気を出すのが、貴族にあるまじき醜態であることも、いっとき頭から抜け落ちた。
 普段なら考えもしないだろう、勝つための戦い方が思い浮かんだ。そのために、体面も何も捨てるつもりになった。いつしか、ギーシュはただ闘うことだけに意識を埋没させていた。
 そうさせた空気が霧散して、今になってリキエルに対する恐怖や驚きが甦ってきている。もしかしたら、リキエルが万全なら自分が負けていたかもしれない。ワルキューレの胴を切り飛ばすほどの撃剣が、自分の腹を斬り割っていたかもしれない。その不安が身を責め立てていた。
 ――違う、そんなもんじゃない。
 なぜか思い直して、ギーシュはもう一度、リキエルの足元の剣を見た。やはり牙には見えなかったが、今度は棒切れにも見えなかった。剣は剣でしかなく、触れるだけで何かを傷つける凶器だった。それでわかった気がした。剣は牙なんかじゃないんだ。
 牙は勝手には食い込まない。単なる凶器にはならないのだ。意志と力があるからこそ突き立つのである。ギーシュがリキエルに牙をよこしたのではなく、意志によって、リキエルが凶器を牙に変えていたのだ。
 絶対的に有利なはずの魔法がギーシュにはあり、体力にも精神にも十分な余裕があった。意志の強さだけが圧倒的にリキエルのほうが上で、決闘への没頭も凄まじかった。それだけの差のために、自分は追い詰められたのだとギーシュは思った。そこに理解のつかない不気味なものを感じ、また途方も無いものを感じとって、同時に恐怖したのだった。ギーシュの気分の悪さは、いったいにその『わけのわからないものへの恐怖』からきている。
「ルイズ」奇妙な焦燥に衝き動かされて、ギーシュはルイズに駆け寄った。
 横目でリキエルを見ながら、ギーシュは言った。
「彼は何者なんだ? この僕のワルキューレを倒すなんて」
 ルイズは俯いたまま答えた。
「……ただの平民でしょ」
「ただの平民に、僕のゴーレムが負けるなんて思えない」
「あんたが納得いかないだけじゃない」
「そうは言ってもだね、こんな怪我なんだぞ?」
「――いのよ……」
「え?」
 うまく聞き取れず、ギーシュは聞き返した。すると、ルイズは突然立ち上がってギーシュに向き直った。長い髪に隠されて、鼻から上はうかがえなかったが、強く歯を噛み締めているところを見れば、穏やかな表情はしていないようだった。
 一際強く歯を噛んでから、ルイズは吐き出すように叫んだ。
「そんなこと、どうだっていいじゃないのよッ!」
「……!?」
 ルイズの声に気を折られ、ギーシュは抱えていた焦燥を取り落とした。ギーシュだけでなく、周りでことの推移を見守っていた生徒たちも、一様にうろたえる風である。一度弛緩した広場の空気が、また意外な形で重くなっている。
 この状況をつくり出した張本人としてなんとかしろ、とこれも重い空気を周囲にぶつけられて、ギーシュはまた気分が悪くなってきた。
「あ~……、えと、突然どうしたんだね」
 なんとか取り成そうとギーシュはルイズに声をかけたが、ルイズは聞いていなかった。声を震わせて、ルイズは喚き続けた。
「決闘には勝ったんでしょ。それで満足でしょ! こんなバカのことなんて知らないわよ! ただの平民かどうかなんて知ったことじゃないわよ! ちょっと目を離したらすぐ勝手なことばかりして! 使い魔のくせに、平民のくせに、貴族に勝てるわけないのに! こんなになるまで! こいつが何かなんて私が知りたいくらいよ! 何よ! 何なのよ瀬戸際って……! 平民のくせに、バカじゃないの……ッ? バカじゃないのよッ!」
 矛盾だらけの、むちゃくちゃなことをルイズは言っている。自分で何を言っているのか、ルイズにもわかってはいないようだった。
「……」
 気炎を吐いたルイズは、それきり完全に口を閉ざしてしまった。俯いて、時折びくりと肩を震わせるだけである。しゃくりあげているのは、誰の目にも明らかだった。ギーシュはいたたまれなくなったが、それといってどうすればいいのかは分からず、せわしなく目を動かすことくらいしかできなかった。
 目をさまよわせていると、その先で人垣が動く気配がした。
「道を空けてください。失礼します、道を空けてください。道を――」
 その場に埒を明けたのは、意外な人物だった。
 声のしたほうにギーシュが顔を向けるのと、物静かを通り越して無表情になっているロングビルが人垣から出てくるのは、ほぼ同時だった。ロングビルはまずギーシュを見、それからルイズへと視線を移し、最後に血まみれのリキエルを見て眉をひそめた。
 リキエルに歩み寄って、逡巡するように動きを止めてから、ロングビルは跪いた。それから仔細らしくリキエルをみる。眉間のしわが一層深くなって、表情がさらに険しくなった。
「これは……酷いですわね」
 静かな声で、ロングビルは誰かに言い聞かせるように呟いた。
「手遅れになるかもしれません」
「へぇっ?」
 素っ頓狂な声を上げたのはギーシュである。
「そ、そんなに?」
「見た目にも血を流しすぎていますが……。よほど無茶に動いたのですね。折れた腕の骨が、内側で突き刺さっています。脚にいたっては、これで動けたのが信じられないわ。砕けた骨がめり込んでズタズタです。中は血の海でしょう。血を失ったショックで、最悪の場合は死に至ります」
「……」
 まさかという気持ちがギーシュにはある。それはもう酷い状態にはしたが、見た限りでは、リキエルは穏やかな顔で倒れたのである。それも、異様なほどの生気をたたえてだった。死相こそ表れてはいたが、いま死ぬすぐくたばるといった風情には、とても見えなかったのである。
 その一方で、やっぱりという気もしていた。常識的に考えればロングビルの言ったように、あの体でまともに動けるわけがないのだ。
 どだい、立ち上がった時点で普通ではなかった。思い返してみれば、リキエルはその時から左足を引きずっていたのである。おそらく、もう脚がうまく動いていなかったのだろう。闘いで見せた変則的な動き方も、脚をかばっていたのだとすれば納得がいった。
 リキエルの意志の強さを、改めて目の前に突きつけられた気がして、ギーシュはめまいがした。
「スクウェアのメイジによる治療でも、脚か腕か、どこかが動かなくなるかもしれません。もう起き上がれなくなるかもしれません。いずれにせよ、このまま放っておけばそうなりますわ。すぐに治療する必要があります」
 瞑目してこめかみを押さえるギーシュを意に介するでもなく、杖を取り出しながらロングビルは言った。感情の起伏にとぼしい、淡々と告げるロングビルの声は、かえってギーシュの心を落ち着けた。
「医務室に運びながら、私が応急処置します。気休めかもしれませんが。……そこのあなた、この方にレビテーションをかけていただけますか」
 声をかけられたのは、何の因果かマリコルヌだった。多分に漏れず、ここに来ていたのである。いきなり声をかけられてあたふたとしながらも、マリコルヌは杖を一振りし、リキエルにレビテーションをかけた。それから、意外といえば意外だが、リキエルを運ぶ役目をわざわざ買って出た。リキエルの闘いぶりを、天晴れとでも思ったようである。
 傷に響かないよう、試行錯誤しながらリキエルを移動させるマリコルヌと、治癒の魔法に専念するロングビルのあとを、少し遅れてルイズがついて行った。ギーシュはそれを、かかし然としながら見送った。
 ――手遅れかもしれないとロングビルが言ったときも、ルイズは顔を上げなかったな。
 無言のまま去っていく、ゼロのクラスメートの背を見つめながら、ギーシュはふと思った。誰の目から見ても小さな背中には、何か重い感情が動く気配があった。それが使い魔を失いかけていることへの悲しみなのか、それともまた別の感情なのかは、ギーシュには想像もつかなかった。
 ルイズたちが去ると、生徒たちの壁も次第に薄くなって、とうとうギーシュと何人かが残るだけになった。それもいなくなると、ヴェストリの広場はまた森閑とした、寂れた空間になった。空気は今や重くも軽くもなく、ただそこに流れるだけである。
 一陣の強い風が、ごうと音をたてて吹き過ぎる。


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