ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

外伝 『Shallow guy』

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外伝 『Shallow guy』

 朝日の射し込む廊下をカツ、カツ、カツとブーツを鳴らして歩く女が一人。
 高い背に豊満な体つきをしており、胸などは今にもシャツからこぼれ落ちそうな程だ。さらには褐色の肌とルビーのように赤い瞳が蠱惑的な雰囲気を醸しだし、それらをまとめて彩る鮮やかな炎髪は情熱に燃えている。
 その美女の名はキュルケ。ここ、トリステイン魔法学園の生徒である。そのキュルケがある扉の前で足を止めた。そしてノックもせずに勢いよく戸を開け放ち、部屋の主の名を呼んだ。
「ターバサ!」
 タバサと呼ばれた少女はベッドの上で何やら作業をしていたようだが、キュルケの声にゆっくりと視線を動かした。
 タバサは実年齢よりも幼く見せる小柄な体躯と、人形のように作りのいい顔に眼鏡と澄んだ青髪を持つ青眼の少女だ。
「・・・・・・何?」
 それだけだった。それもいつものことなのでキュルケは今さら気にはしない。そしてタバサの許可を得ずに部屋へ上がる。これもいつものことなのでタバサは今さら気にはしない。
「あら、荷物なんかまとめて旅行にでも行くの?」
 ベッドの上には旅行用のカバンと荷物が積まれており、タバサはそれを詰め込む作業の途中だったらしい。もっとも、荷物の大半が本で埋まっており、衣服などはほとんど見あたらない。
「ちょっとちょと!あなたそんな荷物でどこ行く気?隣の家に遊びに行くにしたってもっとマシな荷をつくるわよ!」
 キュルケはそう言うとタバサからカバンをひったくり、中の本をベッドにぶちまけた。そして空になったカバンを持ってタンスを開け、勝手に服やら下着やらを物色し始めたのだ。
「せっかくの旅行なんだからおめかししなきゃダメよ。いい男はどこにいるかわからないのよ!あなた基はいいんだからもっと飾りなさいっていつも言ってるでしょ?ほら、突っ立ってないで日用品を持ってきなさいな」
 ぽけーっとキュルケの背中を見ているだけだったタバサだが、そう言われてとことこと最低限必要なものをカバンに入れる。その時こっそりと本を一冊忍ばせようとしたが、次の瞬間には見つかってしまった。
「旅行は普段と違うことしなきゃ意味ないわよ。それよりあなた、同じシャツしか持ってないのね・・・・・・キャー何この下着!後にクマさんが縫いつけてあるわ!あん、そんな恥ずかしがらないでよ、カワイイ趣味じゃない。
 ・・・『今は普通のを穿いている』?普通って今あたしが穿いてるみたいな黒くてエロ・・・・・・冗談よ、そんなふくれっ面しないの。でもせっかくだからこの下着は持っていきましょう」
 そんなやり取りをしながらも、数十分後には荷造りが完了していた。タバサはベッドに積まれた本の山を見ている。押し問答の末、一冊だけ持っていくことを『許可』されたのだ。そしてそのキュルケはというと、
「忘れ物はない?ハンカチは持った?旅先で困ったらちゃんと人を頼りなさいよ?」
 タバサの身を整えていた。その様子は姉妹というよりは母と娘と言った方が適切である。
 と、そこでふとキュルケはタバサがどこに行くのか聞いていない事に気が付いた。
「ねえタバサ、そう言えばあたしあなたがどこに行くのか聞いていなかったわ」
「・・・実家」
 少しの逡巡があっての答えだった。しかしタバサの口数の少なさから、いつものことであるように聞こえるが、それでもキュルケにはその少しの逡巡に何か異質を感じていた。そして、次の瞬間には言葉が口から紡ぎ出される。
「あたしも行くわ」
 キュルケが少しの迷いも見せずに言うものだから、タバサはしばしの硬直の後に『許可』してしまった。
 行動派のキュルケはそうと決まればと指を鳴らした。しばらくしない内に廊下からザザザザと擦るような音が聞こえ、フレイムがタバサの部屋に顔を出す。
「交通手段はどうするのタバサ?」
「迎えがもうすぐ来る」
「そ。まあ荷造りと休暇願を出す時間はあるわね。フレイムー」
 ご主人様の声にきゅるきゅると答えると、火トカゲはちょこちょこと可愛い動作で、しかし迅速に走り去っていった。キュルケはフレイムに簡単な荷造りを命令したのだ。そしてキュルケは窓に寄りかかって外を見る。
「あたしはあそこの人に休暇願を出せばOKね」
 視線の先には朝早くからゼロ戦に張り付いているコルベールの姿があった。
 タバサを先に門に向かわせてキュルケはゼロ戦に足を運んでいた。季節は夏に入り始め、朝でも少しむあっとする。日はまだ天上に差し掛かってはいないとはいえそれでも日差しが刺さるようだ。
「今年の夏は猛暑になりそうね・・・」
 手で日を遮りながらひとりごつ。そして気付けばゼロ戦の目の前に付いてしまっていた。
 暑さで思考が緩くなっているのかもしれないと思いながら、操縦室のコルベールに声をかけた。しかし返事がない。
(そんなに熱中してるのかしら?ただでさえ暑いって言うのに・・・)
 ゼロ戦を叩いて見たり揺すってみたりするが、どれも反応がなかった。しかたなくキュルケは自ら登ることにした。作業用にと立ててある梯子を使い、開いた風防を覗く。
「ちょっとせんせ・・・・・・あら」
 なんと、コルベールは操縦室の中で眠りこけていたのだ。計器類でも見ていたのか、席に座った状態から大きく俯き、重心が前に傾いている姿勢で眠っているのだ。起きたら間違いなく首の筋を違えているだろう。
 眼鏡は器用に鼻に引っかかり落ちるのを防いでいたが、工具とおぼしき物は手から滑り落ちて、手だけが持っていた形で固定されている。
 キュルケは少し身を乗り出して俯いた顔を覗き込んだ。油で汚れた服や顔。寝不足からか少しこけた頬とうっすらとしたクマが見て取れるが、なぜだろうか、キュルケにはとても楽しそうに笑っている気がした。
秘密基地遊びをする子供のように、無垢で好奇心に満ちた笑顔とでも言うのだろうか。とにかく、心地よさそうな疲労なのだと理解できた。
「・・・・・・・・・」
 知らず知らずのうちにキュルケは手を伸ばしていた。そしてあとほんのわずかで触れそうだというところでコルベールが身をよじった。驚き慌てて手を引っ込める。
(あ、あたし何やろうとしてたのかしら・・・)
 引っ込めた手を見つめながら葛藤するキュルケ。この鼓動の速さは果たして寝返りに驚いたからだろうか?
「・・・・・・・・・ふむ」
 そう呟くと、すでにタバサを待たせていることを思い出して梯子から飛び降りた。タバサを待たせてから五分くらいだろうか。
「ごめんタバサ。ちょっと遅れちゃうわ」
 心の中で友に謝りながらキュルケは急いだ。

 門の前で待つこと十分弱。タバサは本を開きながら友が来るのを待っていた。傍らにはすでに荷物を持ったフレイムとシルフィード、屋敷から派遣された御者が手持ちぶさたにしている。
 御者などは火トカゲと竜に挟まれて肩身が狭そうだが、タバサはまったく動じていない。と、やおらタバサが本を閉じた。そして図ったかのようなタイミングで学園の方から真っ赤な髪を揺らしながらキュルケがやってきた。
「ゴメンゴメーン」
「問題ない」
 舌を出すキュルケに短く答えて馬車に乗り込む。キュルケもそれに続く。シルフィードはフレイムを背に乗せると羽ばたきと共に空に舞い上がり、それを合図に馬車が動き出した。
「・・・遅かった」
 再び本を開いたタバサは視線を上げることもなく呟いた。
「何をしていたの?」
「ん?ああ、ちょっと厨房にね」
 この後、目を覚ましたコルベールがゼロ戦の翼の上にハンカチと休暇届、そしてコーヒーが置いてあるのを見つけるが、それはまた別の話。

 魔法学院から延びる街道を南東へひたすらくだり続けてどれくらい経っただろうか。すでに日は真上に差し掛かり、気温も上昇の一途を辿っている。しかしキュルケは暑さにめげている様子もなく窓から顔を出してきゃあきゃあと騒いでいた。
「タバサ、ほら見て!すごい!牛よ!牛!ほら!あんなにたくさん!」
 街道のそばには牧場があり、そこでは牛たちがひたすら平和に草を食んでいる。
「草を食べてる!もー、もーもー」
 牛たちは見向きもしないのだがお構いなしにキュルケは鳴き真似をした。しかし、それだけ騒いでも牛以上にタバサはそちらを見向きもしない。相変わらず本を読んだままだった。キュルケはつまらなそうに、両手を広げた。
「ねえタバサ。せっかく学校をサボって、帰省するんだからもっとはしゃいだ顔をしなさいよ」
「来てよかったの?」
 予想外の切り返しに反応まで少し変な間ができてしまった。
「・・・ああ、ウェザーたちのこと。まあ、大丈夫でしょ。ああ、あの女騎士のことなら全然問題ないわよ。気にならないって言ったら嘘になるけど、あの手のタイプはあんなアプローチの仕方しないもの。あたしが言うんだから間違いないわ。どうにも裏がありそうなのよね」
 そこでふとキュルケはウェザーのことを考えてみた。
 初めはルイズが召喚した変わった平民だと思っていた。ギーシュを一蹴した時、いつもの情熱が沸き上がってきて誘惑もした。だが、その情熱は今までにない燃え上がり方だったことは確かだ。
 だけれどフーケ討伐やアルビオンへの旅にタルブ、さらにはスタンド使いとの激しい戦いを経た今はどうだろうか。
 うん、確かに情熱は燃えている。途中、平民やエルフといった誤解もあったが自らの力と過去を話してくれたりと信頼は上がっている。事実頼りになるし。だがそれは戦友にたいする情であるようにも思えてしまう。今だってお付き合い出来るのならしたいと思っているのに。
 黒衣に不思議な帽子という神秘的な恰好。見た目からは絶対にわからない実年齢。そしてその年齢に相応しい落ち着きと、それに反するような若く荒々しい一面を持っている。
 対してコルベールなどは年齢相応といった感じで、頭頂部が目立つ。着飾らない服装に見た目も中身も大人しい。しかも研究好きときている。ただ、好きなことを見つけるとまるで宝物を前にした子供のように夢中になるそのギャップがいいのだが・・・
 って!なんでそこであの人が出てくるのよ!
 頭の中がもやもやとしてきたキュルケは気を紛らわすために無理矢理話題を変えることにした。
「そ、そうそう!あなたのお国がトリステインじゃなくって、ガリアだって初めて知ったわ。あなたも留学生だったのね」
 それはタバサの荷造りの際に見た国境を越えるための通行手形でわかったことだ。キュルケもタバサの陰には薄々気付いてはいた。タバサは、トリステインとゲルマニアと国境を接する旧い王国――ガリア王国の出だったのだ。

 留学に何か理由があったであろう事は想像に難くない。それが大なり小なり・・・だ。
 ハルケギニアは大洋に突き出たゆるやかに弧を描く巨大な半島だ。ウェザーの世界で言う、オランダとベルギーを合わせた程度の大きさのトリステインを挟むように、北東のゲルマニアと南東のガリアが位置している。
 それぞれの国土の面積はトリステインの十倍ほどもある。トリステイン人が自嘲気味に『小国』と母国を呼ぶのはそんなわけだ。
 さらに南の海に面した小さな半島群には、かつてのゲルマニアのような都市国家がひしめき覇権を争っている。それらの一つに宗教国家ロマリアもあり、法王庁があるそこは始祖ブリミルと神に対する信仰の要だ。
 ハルケギニアを東に進むと蛮族や魔物の住まう未開の地が横たわる。その先には広い砂漠が広がり、その不毛の土地を切り開く能力を持ったエルフ達が『聖地』を守っている。そしてさらに東にあるのがロバ・アル・カリイエ――『東方』である。
 大洋とハルキゲニアの上を行ったり来たりしている浮遊大陸アルビオンはまた別だ。あれはあくまでアルビオンであって、厳密にはハルケギニアではない。
 探りを入れるようにキュルケが尋ねた。
「なんでまた、トリステインに留学してきたの?」
 しかし、タバサは答えない。じっと本を見つめたままだ。そのときキュルケは気付いた。本のページが、出発したときと変わらないことに。めくりもしない本を、タバサはじっと見つめている。
 キュルケはそれ以上尋ねるのをやめた。留学とこの帰省になにか事情がある、にせよ話したくなったときに自分から口を開くだろう。この子の不思議な雰囲気の正体もそのときわかるだろう。
 正確も年齢も違う二人が親友なり得たのは妙に馬が合うとうだけでなく、触れられたくないことにお互い無理矢理踏み込んできたりはしないからだった。タバサはそのあまり開かれることのない口によって。キュルケは年長の気配りで。
 留学という点において、二人にはそれなりの理由があるのだ。
 今向かっているガリア王国は、噂によると内乱の危機を孕んでいるらしいとのことだった。外憂よりも内患で手が回らないからなのかアルビオン侵攻にも中立を保っている。そんなドロドロの内政で、要人の暗殺、テロなどということはよくあることだ。
 まさかタバサは――――
 しかしキュルケはその考えを頭ごと振って取り払った。そんなことがあるはずがない。それに、もしそうだとしてもどうと言うことはない・・・・・・はずだ。
 陰鬱とした気分を晴らすために空を見上げると、シルフィードが風に乗って宙返りを決めていた。ちなみにその背にはフレイムも張り付いているのだが。

 国境までの旅をゆるゆると進め、ようやく関所にたどり着いた。トリステインの衛士に通行手形を見せて石門をくぐると、もうそこはガリアである。ガリアとトリステインは言葉も文化も似通っているために、『双子の王冠』と並んで称されることも多い。
 そして石門を挟んでガリアの関所がある。今度はガリアの衛士に手形を見せることになる。衛士は開いた馬車の扉に顔を突っ込み、タバサとキュルケの通行手形を確かめて、言いにくそうに告げた。
「ああ、この先の街道は通れないから、迂回してください」
「どういうこと?」
「ラグドリアン湖から溢れた水で街道が水没しちまったんです」
 ラグドリアン湖と言えば、ハルケギニア百景を言えと言われれば最初の三つのどこかで出てくるほど有名な名所だ。穏やかな場所のハズだが、氾濫したのだろうか?
 街道をしばらく進むと開けた場所に出た。街道のそばをゆるやかに丘がくだり、ラグドリアン湖へと続いている。だが、そのラグドリアン湖の浜は見えず、花や木が湖面から恥ずかしがるように顔を覗かせている。明らかに水位が上昇していた。
「あなたのご実家、この辺なの?」
「もうすぐ」
 タバサはずいぶんと久しぶりに口を開いた。しかしすぐに黙りだ。街道を山側へと折れた馬車は一路タバサの実家へと進む。
 森の中へ入りしばらく進むと、樫の木が繁っている場所に出た。木陰で休む農民の脇にはリンゴの籠が置いてあり、それを見つけたキュルケが馬車を止めさせ、農民を呼んだ。
「おいしそうなリンゴね。いくつか売ってちょうだいな」
 農民がかしこまってリンゴを取り出すと、キュルケは引き換えに銅貨を渡した。
「こここんなにもらったら、籠一杯分になっちまいます」
「二個でいいわ」
 キュルケは一つをタバサに渡すと、その赤く大きな果実にかじりついた。シャクッ、という小気味いい音と共に果汁が溢れる。
「おいしいリンゴね。ここはなんていう土地なの?」
「へえ、この辺りはラグドリアンの直轄領でさ」
「え?直轄領?」
 王が直接保有、管理する土地のことだ。
「ええ、陛下の所領でさ。わしらも陛下のご家来様ってことでさあ」
 農民たちは笑った。確かに土地の手入れは行き届いた、風光明媚な場所である。王様が欲しがるのも無理はない。
 ん?待てよ・・・
「直轄領が実家って・・・・・・タバサあなたもしかして・・・・・・」
 タバサは黙って俯いたままリンゴを見て動かない。と、そこへ農民が声をかけてきた。
「でも、最近はよくねえ事続きなんでさあ。ラグドリアン湖の水は増えるし、神隠しはおこるし・・・・・・いったいどうなっちまうのかって、あっしらは不安でしょうがないですよ」
「神・・・隠し?」
「そうでさぁ。もう何人も、何軒もやられてる。家の中にいた一家全員が一瞬にして消えちまったり、でっけえ牛がいなくなったり・・・この辺りじゃ女子供は危ないからって家の中にいるんですけど、密室でも神隠しは起こりやして、手だてがないんでさあ・・・・・・」
 なかなかにショッキングな事件だが、今はタバサの方が気になって仕方なかった。

 それから十分程度でタバサの実家の屋敷が見えてきた。旧く、立派な造りの大名邸である。門に刻まれた紋章を見て、キュルケは思わず息を呑んだ。交差した二本の杖。そして"さらに先へ"と書かれた銘。まごうことなきガリア王家の紋章である。
 だが、近づけばその紋章に×の傷が付いているのが見えた。不名誉印だ。王族でありながらその権利を剥奪された家・・・・・・
 玄関前の馬周りにつくと、一人の老僕が近づいてきて馬車の扉を開けた。恭しくタバサに頭を下げる。
「お嬢様、お帰りなさいませ」
 他に出迎えの者はいないのを訝しみながらキュルケも続いて馬車を降りる。と、そこでキュルケは老僕に尋ねた。
「お宅ってトカゲは出入り禁止かしら?」
「家のどこかに尻尾を置き忘れなければ構いませんよ」
 キュルケの意を汲んでくれたのだろう、老僕はキュルケに合わせた。しかしこの冗談にもタバサは無反応だった。いつもならダメ出しなりなんなりするはずなのに。
 二人とトカゲ一匹は老僕に連れられ、屋敷の客間へと案内された。赤を基調にした絨毯にシックな家具が備え付けてある。壁のデスクの上にはシンプルな花瓶と花が一輪。手入れの行き届いた綺麗な邸内だ。が、しんと静まり返っており、まるで葬式か通夜だ。
「まずは父上にご挨拶したいわ」
 しかしタバサは首を振る。「ここで待ってて」と言い残して客間を出ていってしまった。取り残されたキュルケはソファーに体を預けた。視線の先、窓の外ではシルフィードがとぐろを巻いて休んでいるのが目に入る。影の長さがもう夕方近くだと教えてくれる。
「それにしたって静かね」
(オーク鬼に襲われたあとの街だってもうちょっと賑やかでしょうな)
 キュルケの声に答えたのは床に腹這いになっているフレイムだった。手入れの行き届いた絨毯がお気に召したのか目元が緩んでいる。
「そう、確かに手入れはされてるわ・・・・・・だのにこの息苦しさは何かしら。そう、まるで換気していない教室みたいな、停滞して澱んだ空気・・・・・・」
 その時、先ほどの老僕が入ってきてキュルケの前にワインとお菓子を置いた。しかしそれに手をつけることもなくキュルケは尋ねた。
「このお屋敷、随分と由緒正しいみたいだけど、あなた以外に人がいないみたいね」
「挨拶が遅れまして。このオルレアン家の執事をつとめておりまするペルスランでございます。おそれながら、シャルロットお嬢様のお友達でございますか?」
 キュルケは頷いた。オルレアン家のシャルロット。それがタバサの本名らしい。オルレアン家と言えば、ガリア王の弟、王弟家だったはずだ。
「どうして王弟家の紋章を掲げずに、不名誉印なんか門に飾っておくのかしら」
「お見受けしたところ、外国のお方と存じますが・・・・・・、お許しがいただければお名前をお伺いしても?」
「ゲルマニアのフォン・ツェルプストー。タバサの・・・まあ、親友よ」
 キュルケの言葉に老僕は切なげなため息を漏らした。
「お嬢様は『タバサ』と名乗ってらっしゃるのですか・・・・・・ふむ。お嬢様がお友達をこの屋敷に連れてくるなど、絶えてないこと。お嬢様が心許すかたなら、かまいますまい。ツェルプストー様を信用してお話しさせていただきます」
 ペルスランは深く一礼をして語りだした。
「この屋敷は牢獄なのです」

 タバサは屋敷の一番奥の扉をノックした。返事はない。いつものことだ。この部屋の主がノックに対する返事を行わなくなってから五年が経っている。その時タバサはまだ十歳だった。
 タバサが扉を開く。大きく、殺風景な部屋だった。ベッドと椅子とテーブル以外、他にはなにもない。開け放した窓からは爽やかな風が吹いている。
 この何もない部屋の主は自分の世界への闖入者に気付いた。乳飲み子のように抱えた人形をぎゅっと抱き締める。
 それは痩身の女性だった。もとは美しかった顔が、病のために見る影もなくやつれている。彼女はまだ三十代後半のはずだが、二十も老けて見えた。
 伸ばし放題の髪から覗く目が、まるで怯えた子供のようだ。わななく声で女性は問うた。
「だれ?」
「ただいま帰りました。母さま」
 タバサは女性のそばで深々と頭を下げた。しかし母と呼ばれた人物はタバサを娘とは認めない。どころか、目を爛と輝かせて敵意を剥き出しにして言い放つ。
「下がりなさい無礼者。王家の回し者ね?わたしからシャルロットを奪おうというのね?誰があなたがたに可愛いシャルロットを渡すものですか」
 タバサは身じろぎ一つせずに頭を垂れ続けた。
「おそろしや・・・・・・この子がいずれ王位を狙うなどと・・・・・・誰が申したのでありましょうか。薄汚い宮廷のすずめたちにはもううんざり!わたしたちは静かに暮らしたいだけなのに・・・・・・下がりなさい!下がれ!」
 母はタバサにテーブルの上のグラスを投げつけた。タバサはそれを避けなかった。頭に当たり床に転がる。母は抱き締めた人形に頬ずりをした。何度も何度もそのように頬をすりつけられたせいか、人形の顔はすり切れて綿がはみ出ている。
 タバサは悲しそうに笑う。それが今の母の前で見せる、唯一の表情だった。
「あなたの夫を殺し、あなたをこのようにした者共の首を、いずれここに並べに戻って参ります。その日まで、あなたが娘に与えた人形が仇共を欺けるようお祈りください」
 開けた窓から入ってきた風がカーテンを揺らす。猛暑だというのに、湖から吹く風は避暑にはもってこいの涼しさだった。だが、タバサには肌寒かった。

「継承争いの犠牲者?」
 キュルケがそう問い返すとペルスランは頷いた。
「そうでございます。今を去ること五年前・・・・・・先王が崩御なされました。先王は二人の王子を遺されておられたのです。現在王座についておられるご長男のジョゼフ様、そしてシャルロットお嬢様のお父上であらせられたご次男オルレアン公のお二人です」
「あの子は、王族だったのね」
「しかし、ご長男のジョゼフ様はお世辞にも王の器とは言いにくい暗愚なお方でありました。オルレアン公は王家の次男としてはご不幸なことに、才能と人望に溢れていた。したがって、オルレアン公を擁して王座へ、という動きが持ち上がったのです。
 宮廷は二つに分かれて醜い争いを始めました。結果オルレアン公は謀殺されました。狩猟会の最中、毒矢に胸を射抜かれたのでございます。さぞや無念であったでしょうに、ご不幸はそれだけにとどまらなかったのです。
 ジョゼフ様を王座にと担ぎ上げた連中は、次にお嬢様を狙いました。将来の禍根を断とうと考えたのでしょうな。連中は王宮で酒肴を振る舞うからと奥様とお嬢様を呼びつけました。そして当然のようにお嬢様の料理には毒が盛られておったのです。
 奥様はそれを知り、お嬢様をかばいその料理を口にされたのです。それはお心を狂わせる水魔法の毒。以来奥様は心を病まれたままでございます」
 絞り出すような老僕の告白に、キュルケは言葉を失っていた。
「お嬢様は・・・・・・その日より言葉と表情を失われました。快活で明るかったお嬢様はまるで別人のようになってしまわれた。しかしそれも目の前で母が狂えば無理からぬこと。
 そのお嬢様は母とご自分の身を守るために、進んで王家の命に従いました。困難な、生還不能とまで言われた任務に志願し、見事果たして帰ってこられたのです。王家への忠誠を示したのです。
 だがそれでも王家はお嬢様を冷たくあしらいました。本来なら領地を下賜されてしかるべき功績にも関わらず、シュヴァリエの称号のみを与え、外国に留学されたのです。そして心を病まれた奥様をこの屋敷に閉じこめた。体の良い厄介払いというわけです」
 ペルスランは口惜しそうに唇を噛んだ。
「そして未だに宮廷で解決困難な汚れ仕事が持ち上がると、今日のようにほいほい呼び出しこき使う!父と母の仇に牛馬の如くに!これを悲劇と言わずなんとしましょうか!人は・・・どこまで人に残酷になれるのでしょうか」
 キュルケはタバサが口を開かぬ理由を知った。決してマントに縫いつけぬシュヴァリエの称号。馬車の中で本を眺め続けていた理由も解った。
 『雪風』。それが彼女の二つ名だ。心の中に吹き付けるその風の冷たさ、それだけはキュルケには知ることは出来ない。
「奥様もお父上もお忙しい方でした。幼い頃のお嬢様は随分と寂しい思いをなされたことでしょう。そんなお嬢様に奥様が人形をプレゼントなさったのです。お忙しい中、ご自分で街に出て下々の者に交じり、手ずからお選びになった人形でした。
 その時のお嬢様の喜びようと言ったら!その人形に名前を付けて、まるで妹のように可愛がっておられました。今現在、その人形は奥様の腕の中でございます。心を病まれた奥様はその人形をお嬢様と思いこんでおられるのです」
 キュルケはハッとした。
「『タバサ』。それはお嬢様が、その人形におつけになった名前でございます」
 扉が開いてタバサがあらわれた。
「王家よりの指令でございます」
 苦しそうに懐から手紙を取り出すペルスラン。タバサはそれを受け取り、無造作に封を開いて読み始めた。そして、軽く頷く。
「いつ頃取りかかられますか?」
 まるで散歩の予定を答えるように、タバサは言った。
「明日」
「かしこまりました。そのように使者に取り次ぎます。御武運を・・・」
「ちょっと失礼」
 いきなりキュルケがタバサの手から手紙をひったくり読み始めた。タバサは咎めるようにキュルケを見上げた。しかしキュルケはその視線を気にすることもなく読み進める。
「ふむふむ、成る程ね。オーケー、あたしも手伝うわ」
 タバサとペルスランは驚いて目を見開いた。
「手伝っちゃダメだなんて、一文字も書かれてないわ」
「危険。ここで待っていて」
「ごめんね。ペルスランさんに全部聞いちゃったの。だから、あたしもついていくわ。まして、危険ならなおさら、ね」
 タバサは答えず、俯いてしまった。ペルスランはその二人の様子に感動でもしたのか、目の端に水滴を浮かべている。
「っ・・・失礼。いやはや、年をとると涙腺が緩んでしまいますな。では、私はお夕食の用意をいたしましょう」
 そう言って部屋を出ていった。

 バ オ ン !

 その瞬間、まるで馬車にでも引っ張られるかのような勢いでペルスランが扉の影に吸い込まれていってしまった。
「え?ちょ・・・と!」
 慌てた様子のキュルケにタバサも顔を上げた。
「ちょ、ちょっと・・・あなたの執事さんが吸い込まれていっちゃたんだけど・・・・・・」
 二人は慌てて吸い込まれていった場所を見てみるが、いたって普通の扉だった。ただそこに、ペルスランの靴が落ちていなければだが。
「ペルスラン?」
「今さっきそのペルスランがここに吸い込まれたように・・・・・・あたしには見えたんだけど」
「きゅるきゅる!」
 二人の後にいたフレイムが声を上げて二人を呼ぶ。
「どうしたのフレイム?」
(窓の外を見てくれ)
 促されるままに見たそこには、先ほどまで横たわっていたシルフィードがいたはずだ。だが、あの一瞬で消えてしまっている。羽ばたきの音も無く、飛んだとも考えられない。タバサが感覚の共有をしようと試みるが、
「・・・・・・ダメ」
「意識がないってこと?」
一体何が起きているのか。目の前で人が消えていく。これではまるで田舎の伝承の神隠し――――
「神隠し・・・・・・そうか、このことだったのね」
 農民が話していた神隠しとは恐らくこの事だったのだろう。確かに実際あってみて解るが、理解の外だ。神の仕業だと混乱するのも頷ける。
「けど、生憎とあたしの信心は薄くてね、神隠しだなんて信じないわ。取り敢えず状況整理を――――」
「母さま・・・・・・母さまッ!」
 タバサがかつてないほど焦りを見せていた。汗を額に浮かべて呟いているかと思うと、廊下に向かって駆け出した。
「タバサッ!」
 廊下に飛び出るすんでの所でキュルケがタバサの腕を掴む。しかしタバサは自分の腕が千切れてでも駆け出しそうな勢いで、止まる気配を見せない。
「落ち着いてタバサ!」
「放して・・・・・・放してッ!」
 咄嗟の行動だったのだろう。タバサは振り向きザマに杖を振ってしまった。そしてその先端がキュルケの頬をしたたかに打った。ガギッ、という鈍い音でタバサはようやく我に返った。
「あ・・・・・・」
 キュルケは口の端から一筋の血を流しながら、それでもタバサの腕を放しはしなかった。そしておもむろにタバサの腕を引いて抱き締めた。
「落ち着いて、タバサ。大丈夫だから・・・・・・」
 キュルケの声が、体温が、鼓動がタバサの心を落ち着けていくのがわかった。タバサはキュルケの胸を軽く押して離れる。
「もう大丈夫・・・・・・ごめんなさい」
「いいのよ。気にしてないわ。友達だもの」
 和やかな雰囲気だが、フレイムの声が場の緊張を再び戻した。
「きゅるきゅる!(ご主人!タバサ嬢!お互いに離れないで!背中を預け合って死角を消すんだ!)」
 フレイムの指示通りに三人は部屋の中央に集まりそれぞれが外を向いて構える。
「いい、タバサ?あなたのお母上はまだ無事よ」
「なぜ?」
「もしこの犯人が話をどこかで聞いていたりして、あなたの母上を先に神隠しに遭わせたのならば、人質に使うでしょう?ペルスランには悪いけど、使用人じゃ人質にはならないってことがわかってるみたいね」
 キュルケの言葉にタバサは頷いた。それを確認してキュルケが改めて切り出す。
「取り敢えずは状況の整理からね」
「メイジの可能性がある」
 タバサの言葉に頷くと、二人はディティクトマジックを部屋に向けて放った。しかし反応はナシ。魔法は使われていないということは――――
「まさか・・・・・・スタンド使いとか?」
「可能性はある」
 だとしたら最悪だ。攻撃は見えない上に、遠隔操作型の場合は本体への攻撃がほとんど不可能に近い。射程はどれくらいか?攻撃方法は?本体は近くにいるのか?
(射程は恐らく二~三メイル程度だろう)
「フレイム、何で解るの?」
(この部屋の中央から老僕が引き込まれた扉までがちょうど五メイルくらいだが、敵の攻撃が無いと言うことは敵の射程は長くてもその程度だと言うこと。そしてシルフィードさえも捕まえてしまうということは神隠しに大きさは関係ない、と見るべきでしょう)
「と言うことは、敵は近距離型で、この近くに潜んでいる・・・ってこと?」
「扉だけとは限らない。恐らくはこの部屋のどこか・・・・・・」
 キュルケたちはすでに敵の胃の中に入ったも同然というわけだ。どこから攻撃が来るのか、どうやって攻撃しているのか、それらの未知が恐怖を呼び、精神を蝕み体力を奪っていく。
「目的は物取りかしら?農民の言う牛も盗っていったところを鑑みるに、殺人が目的ってワケじゃなさそうだけど・・・・・・」
(だからといって捕まるわけにもいかないでしょう。農民が殺されているのは事実です)
「じゃあ、ペルスランもシルフィードも?」
 最悪の映像が浮かぶ。だが、タバサはそれを否定した。
「まだ生きている」
「どういうことタバサ?あなたわかるの?」
「ウェザーが言っていた。『直接姿を見せないと言うことはそれ自体が弱点でもある』。戦闘自体に自信がないのなら、保険として人質は残しておく」
 そして人質の数は多ければ多い方がいい。タバサはすでにいつもの冷静さを取り戻していた。静かに辺りに目を配る。
 だが、のんびりもしていられなかった。持久戦になればこちらが明らかに不利だし、タバサの母親の様子も気になる。
「・・・・・・ねえフレイム」
 キュルケが視線を部屋に向けたままフレイムに呼びかける。
(同じことを考えていましたよ。ただ・・・・・)
フレイムも呼ばれるのがわかっていたかのように淀みなく返事を返す。
「わかってるわ。敵の攻撃方法が解らないと・・・・・・耐えきれなくて敵の位置が掴めないわね」
 その言葉にタバサが反応した。
「掴める?敵を倒せるの?」
「え、ええ・・・多分。けれど、敵の攻撃方法が解らない以上はダメね。取り敢えず手当たり次第に攻撃でも・・・・・・」
「謎を解かなければ攻撃してもやられるだけ」
 タバサはそれから少しだけ考え込むように黙り込んだ。それから、チラリとキュルケを見た。
「あなたにはまた『借り』ができた」
 そしていきなり扉に向けて走り出したのだ。
「『敵』を倒せるんでしょう?お願い・・・・・・」
「タバサッ!あなたいったい何を!」
 みるみる扉に近づいていくタバサにキュルケは焦っていたが、フレイムは冷静にその行方を見ていた。そしてタバサの手が扉に触れた。
「タバサ!」
 キュルケが息を呑む。だが――――何も起きない。
「え?」
 これはタバサも予想外だったのか、怪訝な顔をしながら一歩退いた。

 ガ オ ン !

 まさにその瞬間だった。扉の横の壁に掛けられた絵画がガタンと浮き上がるのと同時にタバサの背中に穴が空いたのだ。
「タ・・・タバサ!」
「こ・・・これ、は・・・・・・」
「魔法で逃れてッ!タバサッ!」
 キュルケが駆け出すが、タバサは額縁の裏に引き込まれてしまった。からんっ、と乾いた音を立ててタバサの杖が転がる。
「そ・・・そんなッ!タバサァ!どうしてしまったの!」
 それでも額縁に駆け寄ろうとするキュルケの足をフレイムがくわえて止めた。
(その額縁には触らないでください。いや、下がっていろ!あのお嬢さん、冷静なだけだと思っていたが、さすがはあの青いの、シルフィードのご主人様。奇抜というかクレイジーと言うか・・・・・・)
「・・・・・・・・・でも」
(だからこそ落ち着くんだご主人様。タバサのお嬢さんの行動を無駄にしたくはないでしょう?だからご主人様、その額縁に触れるのはいけない)
「・・・そうね」
 フレイムに促されて元の位置に戻った。
(とにかくこれで敵の攻撃方法が『何かの影から穴を開ける』ということはわかった。用意はいいかご主人様!)
「いつでもいいわよ」
 キュルケの言葉を合図に、フレイムは大きく息を吸い込み、火炎の息として吐き出した。狙いは額縁のある壁。火炎の息は壁を焦がし絵画を焼き落とした。だが、そこには何もなかった。
(こ、これは・・・・・・)
 信じられないと言った足取りでよたよたとフレイムが壁に近づいた瞬間、袋に穴を開けるような音がフレイムの首筋から聞こえてきた。
「フレイム!」
「きゅ・・・きゅる・・・(こ・・・こいつは・・・)」

 ガ オ オ ン !

 キュルケの手は空を切り、フレイムも壁の隙間に吸い込まれてしまった。
「そんな・・・・・・い、いや!イヤァァァッ!」
 キュルケはまるで錯乱でもしたかのように手当たり次第に壁に物を投げつけた。テーブルや椅子に始まり、お菓子は潰れ、ビンごと投げたワインは中身を部屋中にぶちまけて割れてしまった。
 投げる物がなくなり、キュルケが無言になって初めて声が聞こえてきた。
「フ、フフフ・・・窓の外・・・花が咲き始めてるなぁ~夕方なのに。夕顔が咲いているって事はよォ・・・・・・・・・」
 男の声のようだが、声の聞こえてくる方向が掴めず、まるでこの部屋自体が喋っているような錯覚に陥りそうだった。
「フフフ・・・フフフフ・・・・・・ここはもうそろそろ夏ってことか?まあ関係ないが。とうとうひとりぼっちになっちまったな、お前・・・フフフ」
「あ、あなたいったいッ!」
「あっあ~~♪待て待て待て、あっあっあ~~♪」
 キュルケの動きを牽制するように声を被せてきた。
「しゃべんのはこのオレだ・・・オレが仕切る。オメーは黙ってろ!メソメソした女は嫌いなんだよ。強気の女を屈服させなきゃ面白みがねーんだ。オレが質問して答えろって命令するまで口を塞いでろ!
 耳クソをカッポじるのは許可してやるがよ、フフフ・・・・・・いいな!」
「・・・・・・・・・・・・」
「よーし、フフフ・・・・・・オレはオメーをワザと最後まで残してやったんだぜ?オメーのことはいつだって自由に始末できるし、オメーの仲間はみんな生きてる・・・いや、『生かして』ある『仮死状態』だ・・・・・・
 ありがたく思え・・・殺して湖に捨てることも出来たんだ・・・お魚さんたちが食べやすいように細切れにしてなあ~~~。それでだ・・・・・・おまえさえ素直なら仲間は元通りになる事もできる・・・・・・」
 男はそこで一拍置いた。
「この辺の奴を襲って、寝食には困らねえんだが・・・・・・いかんせんもう一つが満足しねえ。三大欲求って言うくらいだしなぁしかたないんだが・・・困った事にこの辺にはオレ好みの女がいない。
元々この屋敷は襲うつもりだったが、まさかそこにお前みたいないい女が現れるとわな。だから、オメー、今からここでストリップショーしな・・・・・・ウヒヒヒ!オレの目の前で真っ裸になれば仲間は解放してやるぜェ――――ッ!」
 下卑た笑い声が部屋中から聞こえてくる。
「あなた・・・・・・ガリア王家の放った刺客・・・?」
「ああ?・・・・・・・・・・・・何か・・・オメー・・・わかってねーなあ~~~~~・・・ブッ殺すぞッ!テメーッ!コラッ!」
 キュルケはその時確かに何かが近づいてくる気配を感じた。そしてそれは足下にやってきて――――通り過ぎていった。
「いいか・・・・・・テメーが声に出して良いのは『はい』だけだ!それ以外の『言葉』をひとっ言でもその便器に向かったケツの穴みてーな口から吐き出して見ろ!
 『一言』につき仲間一人殺す!『何?』って聞き返しても殺すッ!クシャミしても殺すッ!命令に逆らえばまた殺すッ!」
「・・・・・・・・・」
「いいな!注意深く神経使って答えろよ・・・それじゃあ改めて命令するぜ・・・オメーは今からここでストリップショーを・・・・・・するんだ」
「夜顔よ」
 キュルケの答えに一瞬時が止まってしまった。
「?・・・・・・あんだと?」
「だから、夜顔よ・・・あれは夕顔じゃないわ。夜顔よ。どうやって見分けるか?実をならすのが瓜科の夕顔よ。あれは朝顔昼顔でお馴染みの夜顔。実はならないわ」
「・・・・・・ひとりブッ殺すッ!」
「やってみなさいなッ!あなたがどこにいるかわかったわ!火傷しても構わないって言うならねッ!」
 キュルケの声が起爆剤にでもなっていたのか、タイミング良く壁に火の手が回る。勢いよく燃えさかる炎はあっという間に部屋中を包んでしまった。
「な・・・何をやってるッ!テメーッ!」
「さっき物を投げたのは錯乱したからじゃあないわ・・・・・・『練金』で油に変えたワインを部屋に撒き散らすためよ!さすが王弟家、良いアルコール使ってるのかしら、よく燃えるわ」
「へ、部屋に火を放っただと!」
 男の声は明らかに慌てている。それはそうだろう。すでに自分のケツにも火が着いているのだろうから。
「フレイムの攻撃は不発じゃあないわ。火炎はワインで火を広げるための種火。フレイムはわざと隙を見せてあなたに捕まったのよ。意識が途切れる瞬間、壁と壁の隙間に吸い込まれる映像が見えたわ」
「見えた・・・・・・だとぉ?」
「そう。メイジは自分の使い魔と感覚を共有できる。貴族を狙うにしては予習が足りなかったみたいね。もうバレたんだし、焦げるのがいやならさぁ――――出てくる事ね!」
「あああじいいぃッ!うぐううぅあッ!あっちいいいいい!」
 すると、部屋がぐらりと揺れた。壁には亀裂が走り、それは徐々に部屋全体に広がっていき、まるでヘビが古い皮を脱ぐかのように部屋が崩れ落ちた。
「部屋は『二つ』あったッ!」
 その光景はだまし絵のようでもあった。崩れ落ちた下には先ほどと全く同じ部屋があったのだ。
「部屋の中にもう一つ部屋を薄っぺらに被せて隠れていたわけだ。家具も何も同じ薄っぺらくして、あなたはその表面の薄っぺらな部屋の中を移動してあたしたちを攻撃していた・・・・・・解らないはずね。そこだけは尊敬してあげる」
 男が壁のデスクの影から這い出て来る。体の所々に火傷が見受けられた。周りを気にする余裕もないのか、かなり荒っぽい動作だったために花瓶が倒れて割れてしまった。
「屋敷中に火をつけずに済んだわね・・・・・・」
「テメーいかれてんのか?仲間が死んでもいいのか!」
「死なないわよ。隠れてシコシコするしか出来ないインポ野郎は自分の身を守る盾をそう簡単に手放したりはしないでしょう?」
 キュルケがそう言うと、男はポケットから薄っぺらくなったタバサを取り出した。キュルケにはスタンドは見えないが、首筋に何かを突き立てているのはわかる。
「そばに来るんじゃあねーっ!仲間をブッ殺すぜ!」
「あたしがそんなシャバイ脅しにビクつくような女に見えて?やめれば許してあげる。でもタバサを刺した瞬間にあなたを燃やし尽くすわ」
「ナメんな!メイジが魔法を使うには呪文がいるんだろ?それぐらいは知ってるぜ!確かにオレのソフト・マシーン、格闘には向いちゃいねえが、テメーの魔法が届く前にこのガキの喉をカッ切るくらいはできるぜ!」
「無駄よ。周りが見えていないあなたじゃね・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
 ガンマンが早撃ち勝負をするような心境。先に動いたのはどちらだっただろうか。
「きゃはははあ―――ッ!」
 男はタバサの喉をカッ切ろうとして――――炎上した。だがキュルケは炎を飛ばしてはいない。
「あっばぁあああぁぁあッッ!」
「『練金』」
 キュルケが唱えたのは『練金』だった。呪文も短く発生も早いこの魔法で、男の倒した花瓶――――の中の水を油に変えた。それにより燃えさかる壁の炎が男に一気に燃え移り焼き払ったのだ。
「ウェザーの言ったとおりね。隠れて攻撃するって事はそれが弱点・・・・・・遅いわ」
 男は最早スタンドの力を維持できないのだろう。ポケットからフレイム、シルフィード、ペルスランが次々と元に戻って現れる。もちろんタバサも。
「炎を『出す』だけが能じゃないわ。炎を『操る』から『微熱』なのよ。あなたじゃあたしの情熱は受けとめきれなかったみたいね」
 だが男からの返事は無かった。横たわった黒こげに一瞥をくれてキュルケは呟いた。
「ウェルダン通り越して黒こげね。ご自慢の三半規管みたいな髪型が見る影もないわ・・・・・・」

 その夜、キュルケとタバサは同じ部屋で寝た。気が張りつめて疲れたのか、タバサはすぐにベッドに入って眠ってしまった。キュルケも疲れてはいたが、逆に目が冴えてしまい、ソファーの上で頬杖付いて考え事をしていた。
 結局あの後、火は消し止められ、被害はあの部屋一つだけで済んだ。一応謝ってはおいたが、犯人を倒すためにはしかたなかったと言うことで特にお咎めはなかった。むしろペルスランには感謝され、豪勢な夕ご飯を振る舞って貰ったくらいだ。
 タバサの母親も無事だった。けれど、安否を確認するときのタバサの悲痛な顔を、キュルケは忘れることが出来そうになかった。
 犯人は取り敢えずの応急処置を施して縛り上げてある。ガリアで起きた問題ゆえ、ガリアに引き渡すのかと聞いたところ、タバサは首を横に振って否定した。
「あの男にスタンド使いを渡すのは危険すぎる」
 そう呟いたタバサは唇を強く噛んでいた。結局、トリステインまで運んで処罰して貰う事で話はまとまったのだった。農民にしてみればどっちで裁こうが大した違いではないのだろう。とくに問題はなさそうだった。
 あるとすればそれは明日からの任務か。
(正直疲れたわ・・・・・・しっかり休まないと命を落とすかもね)
 強がってみせたが、実際精神的にはきつかった。ゲルマニア出身のキュルケに死はそう遠い存在ではないが、死なないに越したことはない。改めてウェザーが味方にいるありがたみを噛み締めた事件でもあった。
 そんなことを考えていると眠気がやってき始めた。ベッドに入ろうかと立ち上がると、タバサが寝返りを打った。眼鏡を外した寝顔は、どこまでもあどけない少女である。
「母さま」
 タバサのこぼした寝言にキュルケがぴくんと反応した。
「母さま、それを食べちゃダメ。母さま」
 寝言でタバサは何度も母を呼んだ。額にじっとりと汗が浮かんでいる。
 キュルケはベッドに入り込み、タバサを抱き締めた。
 その温かさに気付いたのか、タバサが身をよじってキュルケの胸に顔をうずめる。キュルケに母を感じたのかもしれなかった。そして、しばらくしないでタバサは再び静かに寝息を立て始めた。
 キュルケはタバサと自分がどうして上手くいくのか、その理由が解った気がした。
 タバサの心は凍てついてなどいない。本当は春のような朗らかな心の持ち主なのだ。それが、母を失った悲しみにより冬が訪れてしまったのだ。雪風と言う名の孤独が、その心を閉じこめた。
 子供をあやす母の声で、キュルケは優しく呟いた。
「いいわ、シャルロット。あたしの微熱で、あなたの心の雪風を取り払ってあげる。吹かせてあげるわ、春一番。だから安心してお休みなさい」

 キュルケのこの誓いは、次の日彼女達が湖で再会した仲間たちと共に果たされることとなるが、それはまだ先の話だった。

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