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■登場する国々・地名



Britannia (ブリタニア)王国

 名前からも想像がつくが、イギリスと見るべきである。「Dover(ドーバー)から上陸」という表現、北イングランド湖水地方一の<Windermere(ウィンダミア)湖>が登場するあたり、まず間違いないだろう。
 神聖フランドル帝国による聖戦が始まったのは、ブリタニア暦627年のこと。
 アヴァロン王朝としての暦であるとすれば、かなりの長寿王朝である。フランドル王国が180年ちょっとであることを考えれば、その前後に幾度もの戦乱があったに違いなく、アヴァロン朝の代々の国王は、それらを全て退けてきたのであろう。

 年数は特定できないが、女王ローザがまだ王女であった頃、国を治めていたのは、やはり女王であった。
 これまた断言できないが、その女王こそが、暴戻無類の仕業のひとつとして、かの詩人Ballad(バラッド)を虜殺した「強く美しき女王」であろう。 自分が世界で二番目に美しいと讃えられたことにマジ切れした、あの薔薇の紋章の女王だ。

 この先代の女王は、絶対的権力を振るう暴君であったという。
 それだけで 完全な中央集権国家であるとは断言できないが、6世紀も続いてきた王朝だけに、王権の力は相当であったと思われる。
 それほどの絶対君主を打倒したという王女ローザは、いったいどのように戦い続けたのだろうか。
 作中の彼女の表現からして、どうも大貴族や大騎士団に担がれての挙兵ではないようだ。彼女は、薔薇の紋章を胸に、民衆と苦楽を共にするという下からの革命軍を率いたらしい。
 きっと一朝一夕で成るような宮廷革命の類ではなく、国を割っての辛い革命戦争であったに違いない。
 
 ちなみに、フランドル軍の侵略に対した際、ブリタニア軍は最低でも六個の騎士団を編成している。(王女ローザの革命戦争により国中が戦乱に巻き込まれた直後なので、欠番もあるかもしれないが)
 一個騎士団がどの程度の兵力かは不明だが、大陸軍の侵攻に対して、迎撃に一個騎士団(4th)が充てられたこと、後背への備えとして、やはり一個騎士団(6th)が充てられている事から鑑みるに、歩兵輜重を含めて数百から数千、あるいは1万といった戦略単位であったと思われる。
 この編成が、冬薔薇の時代からのものなのか、ローザ女王により軍制改革されたものかは不明だが、諸侯名を頂かずナンバリングされた軍団編成など、ブリタニア王国の中央集権ぶりの証左となるであろう。
 革命戦争時、これらの騎士団が両派に分かれて対立したのかもしれず、このあたりの革命譚も、ルーナ・バラッドが克明に記しているだろうから、是非是非、聞かせて頂きたいところだ。

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 この革命戦争が何年で終結し、それから何年後にフランドル軍の聖戦が始まったかは語られていない。  
 たとえば革命戦争時にローザ16歳と仮定し、革命戦争終結まで5年費やしたとすれば、その時点で21歳。それから国家の回復に5年ほどかかったとすれば、聖戦の時には26歳。萌えるべきかどうか迷う年代だ。

 だが、後に敵将アルヴァレスが「ブリタニアの女王は若い娘であると聞いていたが…」と呟いているのだから、まだ20になるかならないかという妙齢であったに違いない。
 となると逆算して、革命戦争勃発~聖戦開始までの間は、5年と経っていないことになる。フランドルの躍進期とはほとんど同時進行と考えてよく、ブリタニア国民にとっては、短く激しい戦乱の時代であったろう。

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