『人定法の裁定』
ここに訳出する『人定法の裁定』の著者は、ワッハーブ派の名祖ムハンマド・ブン・アブドルワッハーブ(西暦1791年没)の直系の子孫で、元サウディアラビア王国ムフティー(イスラーム教義最諮問官)ムハンマド・イブラーヒーム・アール・アル=シャイフ(ヒジュラ暦1389年西暦1969/70年没)のファトワーで、ヒジュラ暦1380年(西暦1960/1)年に初版が発行されたものです。
翻訳の底本としたのは、訳者が在サウディアラビア日本大使館に勤務中に入手したヒジュラ暦1411年(西暦1990/1)発行の「出版権は全てのムスリムに属する」と記されたダール・アル=ワタン出版による第3版です。翻訳に当たってはこの版を底本とし、Dr.サファル・アル=ハワーリーの注釈『人定法の裁定・注釈』を参照しました。
ムハンマド・イブラーヒーム師は、本書の中で、西欧法を継受したイスラーム諸国を不信仰の最悪の形態の多神崇拝を犯すもの、として激しく批判していますが、実は、イスラーム法裁判所長官であったヒジュラ暦1375年(西暦1956年)にサウジの商工会議所設立令の布告に当たってそれが人定法の裁定に当たるとして断固拒否する書簡をリヤド州知事に送っています。
それゆえ、ムハンマド・イブラーヒーム・アール・アル=シャイフの名は半ばタブーとなっており、その業績を知っている者も多くは口を噤んでいます。『人定法の裁定』の注釈を書いたサファル博士も、訳者のリヤド勤務中に、逮捕され長く監禁生活を送っていましたが、幸い『人定法の裁定・注釈』はネット上で読むことが出来ます。
 本書を読めば、政治が宗教と不可分であり、しかも単なる行為規範の問題ではなく、信仰の根幹に関わること、そしてそれが一般に非政治的だと思われているサラフィー主義、ワッハーブ派の当代最高権威によって、解釈の余地なく明らかにされていることが理解できるかと思います。アッラーフアゥラム
(http://hassankonakata.blogspot.com/2010/12/blog-post_17.html)
最終更新:2010年12月18日 12:51