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②五年前のことを思い出す

(今から五年前……)

私は自分の机の上にある、写真立てに目を向ける。
春樹は私の視線を追いかけるように立ち上がると、その写真立てを手に持った。

「この写真、姉さんも飾ってるんだ」
(うん。居間に飾ってあるのと同じなんだけどね)

私と春樹の会話を聞いて、周防さんは春樹の手元を興味深そうに見つめていた。
「家族の写真……か。俺にもよく見せてくれ」
(構いませんよ。春樹、周防さんに渡してあげて)

春樹は「どうぞ」と言って、五年前に撮った写真を手渡した。

「ほうほう。まだ二人とも小学生か? にしても春樹……お前さん、なんて無愛想な顔をしてるんだ。
写真なら、もっとにこやかに笑うものだろう?」
「たしかに酷い顔ですね。でもあの時は……笑えるような心境じゃなかったんです」
「ん? どういうことだ?」

疑問に思った周防さんは、顔を上げて春樹を見る。
春樹は苦笑いを浮べながら、再び座布団に座った。

「五年前、俺は親の再婚に反対していたんです」
(春樹が再婚に反対していたのは、お継母さんがまた暴力を受けないか心配だったからだよね?)
私はチハル伝いに、今までの春樹が言っていた言葉を確認する。
「まぁね。だけど、それだけじゃなかったんだ」

過ぎた話を蒸し返すのも躊躇われて、私たちは今まで詳しい話をほとんどしたことがなかった。
春樹は少しだけ口をつぐむと、心の中の秘密を打ち明けるようにポツリと話し出した。

「この写真を撮る半年前、再婚の話を母からはじめて聞いた時……俺はすごく嫌な気分になったんです。
再婚を望む母さんがまるで違う女の人みたいに見えてしまって。継父さんや姉さんは母さんをそそのかした敵だと思いました」
(私とお父さんが敵……だから私達に全然会ってくれなかったんだね)
「うん。どれだけ母さんに会うように言われても、二人の顔すら見たくなったんだよ」
「このくらいの年頃だったら余計ややこしく考えたりするしな。親の再婚となれば、なおさらだろう」

周防さんは庇うように言うと、写真立てを春樹に返していた。

「ずっと反対していましたけれど、とうとう悩むのに疲れてしまって、俺は自暴自棄を起したんです。
『再婚でも転校でも母さんに従うよ』と、そう伝えました」
(春樹の言葉をお継母さんは……半年間説得して、やっと認めてくれたんだと勘違いしたんだね)
「そうなんだ。本当に再婚が決まった時は、言葉も出なかったよ」
「すれ違い……か。母親といっても間違いはあるしな。
子供の意見を無視せず、ちゃんと認めさせようとしていた伯母上を責めるのも可哀想だよな……」
「今の俺なら、色々な事に対して折り合いをつけることも出来ます。
母が継父を好きになって、一緒に居たいと思った気持ちも痛いくらい理解できる。
だけど俺はまだ子供だったから……姉さんと継父さんを言葉の暴力で酷く傷つけてしまったんです」

春樹は小さくため息を吐くと、指先でそっと写真をなぞっていた。

私は……
①春樹に話しかける
②周防さんに話しかける
③チハルに話しかける

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①春樹に話しかける

春樹に最初に会って言われたのは、『お前らなんか必要ない!』という言葉だった。
そのときはショックで、私は泣いてしまったのだ。
春樹が言っている言葉の暴力はその事を指しているのだろう。

(あの時のことは、もう気にしてないよ。私だって……今まで一杯春樹に酷いことを言ったもん)
「そんな事はわかってるよ。ただ、情けない俺も姉さんに知って欲しいと思うんだ。
今まで気付かれないように隠してきたのに、なぜだろうね……」

そう呟くと、春樹は力なく笑顔を向けてきた。
そんな切ない笑顔をされると、私はどうすればいいのか分からなくなってしまう。

「五年前、家族になることを拒んでいた俺が一週間後に突然『家族を守る』と言っただろう?
最初の話に戻るけど、その時の理由が俺の思い描く強さの正体に近い気がするんだよ」

そうだ。すれ違いは1週間もすれば消えていたのだ。
春樹の心にどんな変化があったのかわからない。それが強さだというのだろうか。
ただ一週間が過ぎた頃、春樹は約束してくれた。
『母さんだけでなく姉さんも、義父さんも守れるくらいに強くなる。ずっと守る』恥ずかしそうに、私にそう言った。
あれから、春樹はちゃんと約束を守り続けてくれている。

「ちょっと待ってくれ。突然『家族を守る』と言ったって何だ?」

周防さんが食い下がるように、問いかける。
春樹は周防さんに、私たち家族のことを尋ねられるまま答えていた。

私はその言葉を聞きながら、連鎖のように五年前の自分の記憶を思い出していった。

新しい家族が増えるかもしれないと父から聞かされたのは、私が小学校六年生になったばかりの時だった。
まだお母さんが生きていると信じていた私は、父から再婚の話を聞かされた時、驚くと同時に、悲しくなった。
お父さんはお母さんをこのまま忘れてしまうの?と、すごく悲しくなったのだ。

だけど、私は再婚に賛成した。
父は幼かった私の世話をするために、疲れて帰ってきてから家事をしてくれていた。
高学年になった私も家事をして助けていたつもりだけど、管理職に就き多忙になった父の負担は増えるばかりだった。
なにより私が寝た後に、晩酌をしながら母の写真を見ていた父の姿を目撃していた。
その寂しそうな背中を私だけでは埋めることが出来ないのは知っていた。
母が失踪して五年間、ずっと待ち続けていた父が新しい女の人に心を移しても責めるなんて出来なかったのだ。

それから約半年間、私はお父さんとお義母さんとで遊園地に行ったりしながら、少しずつ打ち解けていった。
お義母さんは優しくて会えばすごく楽しかったから、この人が新しい母親なら良いかなと思うようになっていた。
いつも疲れていた父も、お義母さんの前では少年のように笑っていた。
けれど、なぜかその場には弟になる子の姿は無かった。
私はその事が気がかりで、何度尋ねても、お義母さんは曖昧な返事しかしてくれなかった。

父と義母の再婚が決まったのは、秋の終りだった。
私は新しい家族を迎えるその日に間に合うよう、家族四人分のマフラーを編むことに決めた。
みんなお揃いの物を身につければ、きっと喜んでくれると思ったからだ。
特に始めて会うことになる一つ年下の弟は、すごく驚くかもしれないな、と心を躍らせていた。
一目一目が慣れない作業だったけど、わくわくしながら編んでいった。

私は……
①続きを思い出す
②二人の話を聞く
③チハルを見る

853
①続きを思い出す

十二月に入り、私たちは家族になった。
お母さんの事は忘れられないけど、私の心の中だけに仕舞っておこうと決めた。

会ったらすぐに渡しそうと、私は完成したばかりのマフラーが入った紙袋を抱きかかえた。
この紙袋の中には、真っ白なマフラーが四つ入っている。
白を選んだのは性別を選ばない色で揃えたかったし、何にも染められていないところが相応しい気がした。
不安もあるけれど、せっかく一緒に暮らすのだから仲良くしたい。
私の贈り物を、お義母さんも弟もきっと喜んでくれるはずだ。

父も落ち着かないのか、私たちは家から出て一緒に待つことにした。
寒そうにして待つ父に、まず最初にマフラーを渡した。
父は少し驚いていたけど、二人にも渡すのだと言うと黙って頭を撫でてくれた。

しばらくすると、引越しの大きなトラックと一緒に、お義母さんと春樹がやってきた。
タクシーから出てくる、お義母さんと弟を出迎えた。
それが、春樹との出会いだった。

春樹を見た瞬間、思わず釘付けになってしまったのを今でもよく憶えている。
カッコいいと思ったのもあるけれど、一つ年下なのに雰囲気が他の子とはまるで違っていたからだ。
優しそうな顔立ちなのに、冷たい視線。落ち着いているけれど、やり場のない怒りを抱えているような瞳。
そんなアンバランスな危うさを持った子供を見たことがなくて、私はとても動揺してしまった。

とりあえず頭を振って気を取り直すと、私はお義母さんと春樹にマフラーを渡した。
お義母さんはすごく喜んでくれたけど、春樹は緊張しているのか無表情のままだった。
お父さんの提案で、私たちは家族になった記念に写真を撮った。
四人で同じマフラーをしていると、まるで血の繋がった家族みたいだった。

私は早く弟と仲良くなりたくて、すぐに遊びに行こうと誘った。
お父さんは「疲れているだろうから、ゆっくりさせてあげなさい」と言ったけれど、春樹は「いいよ。行こう」と言ってくれた。

まずは幼馴染の隆を紹介することにした。男の子同士だし、隆だったらすぐに仲良くなってくれるかなと思ったからだ。
けれど、紹介している時にも春樹は黙り込んだままで、終始不機嫌そうだった。
いきなり隆に会わせた事で、きっと弟は怒ってしまったんだ……。
そう思った私は、早々に陽の落ちた薄暗い児童公園に着いたところで春樹に謝った。

春樹は私の横を静かに通り過ぎると、枯れた藤棚の下にあるベンチに座った。
そのすぐ後に返ってきた答えは、私の思っていた言葉とは全く違うものだった。

私は……
①続きを思い出す
②二人の話を聞く
③チハルを見る

854
①続きを思い出す

「どうして君が謝るの? 意味がわからないんだけどな」

さっきまで相槌くらいしか話をしてくれなかったから、始めてちゃんと声を聞いた気がした。
私よりもきれいに通る高めの声だったけど、語気は思ったよりも強かった。
暗がりのせいで、ほとんど弟の表情は分からない。
ただ私が作った白いマフラーだけが、はっきりと浮き上がって見えた。

「無理に……私が幼馴染のところに連れて行ったから、怒っているんだよね。
疲れてるのに急に誘って……春樹くん、ごめんね」

私はここで嫌われちゃいけないと思って、もう一度謝った。
すると、春樹はつまらなさそうにクスクスと笑い出した。

「やめて欲しいな。そんなくだらない事で、怒ったりしないよ」
「もしかして……私が嫌なことを言っちゃった?」
「別に言ってないよ」
「それなら、どうして怒っているの?」

怒っていなければ、こんなに不機嫌にはならない。その理由を聞かないことには、直す事もできない。
身を切るような北風のせいで、耳が冷えて痛くなってくる。
沈黙の後、白いマフラーが少しだけ揺れると、弟の声が聞こえてきた。

「君……まわりの友達から、「いい子ちゃん」とか「真面目だね」って何度も言われてきたでしょ?」

馬鹿にするような、からかうような言い方だった。
たしかに何度か言われた事があった。だけど、香織ちゃんや隆がそのたびに庇ってくれた。

「どうしてそんな事を言い出だすの? 怒っている理由を教えて欲しいだけなのに……」
「姉がどんな性格なのか知りたいだけだよ」
「そうなんだ……」
「だから、僕の質問に答えてよ。君は他人の顔色ばかり気にする、つまらない子供なんだよね?」

今まであまり考えたことはなかったけど、言われたらそんな気がしてきた。
すると、自分がどうでもいいような人間に思えてくる。

「そうかも…しれない…よ」
「このマフラーだって、本当は僕や母さんへの点数稼ぎなんだろ?」
「そんなこと……」

そんなこと「ない」と言いかけて、私は言葉を飲み込んだ。
喜んで欲しいと思う気持ちの裏側に、嫌われちゃいけないという打算があった。
春樹の言うとおり、私は他人の顔色ばかり気にする、つまらない子供なのだろう。

春樹はベンチから立ち上がると、ゆっくりとした足取りで近づいてくる。
首に巻いていたマフラーを解いて、パッと手を離す。
白いマフラーは音も無く、春樹の足元に落ちた。

「君、鈍感そうだよね。僕が怒っている理由を、特別に教えてあげるよ。
よく見ていてね」

そう言うと、春樹は地面に落としたマフラーを思い切り踏みつけた。
突然の出来事に、私は声も出ない。意味が分からず、ただ涙が溢れてくる。

私は……
①続きを思い出す
②二人の話を聞く
③チハルを見る

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①続きを思い出す

「こんなもの、気持ち、悪いんだよ……」
「……やめ…」
「お前ら、なんて、絶対に、認めてやるもんか」
「……やだ……やめて……」

私の願いは届かず、春樹のマフラーがボロボロになっていく。
悪意を込めて、春樹はなじるように踏み続けた。

「そうやって、女は、すぐに、泣くんだ。おい、ちゃんと見てろって言っただろ!」
「どう…して……ひどいよ……」
「泣けばいいと思ったら、大間違いなんだからな。母さんだってそうだ。お願いだから認めて欲しいって泣いて……。
毎回泣かれたら、諦めるしかないじゃないか。だけど、僕は絶対にお前らを認めないからな!」
「……やめて! もう、やめて!」

ようやく我に返って叫ぶと、私は春樹を突き飛ばしながら、マフラーにしがみ付いた。
何度も踏みつけられたマフラーを、私は必死で抱きしめる。真っ白だった色は土色に薄汚れていた。

突き飛ばされた春樹は一瞬よろけたが、息を荒くしながら無言で私を見つめた。
その視線は私を射るように鋭く、怒りに満ちていた。
と同時に、視界の先に父の姿が目に入ってきた。私は縋るような思いで、父に駆け寄っていった。

「お父さん!」
「帰りが遅いから迎えに来てみたんだ」
「お父さん…あのね、春樹くんが……」
「……ん?愛菜、泣いてるのか。一体、どうした?」

父は私の顔を覗きこむと、慌てて尋ねてきた。

「春樹くんが……春樹くんがね……」
「いい子ちゃんは、そうやってすぐに大人にチクるんだ……」

近寄って来た春樹は、私の言葉を遮るように呟いた。非難されたようで、私は何も言えなくなってしまう。
涙に濡れた目を手の甲で擦ってみても、次々とあふれ出てきた。

「春樹くん、一体、どうしたんだ。愛菜に何があったのか教えてくれないか?」

父は泣いてばかりいる私に尋ねるのを諦めたのか、今度は春樹に声を掛けていた。

「なんでもないです」
「泣いているのに、そんなはずないだろう。姉弟喧嘩でもしたのか?」
「姉弟? そんな言い方、やめてください」
「何を言うんだ。春樹くんと愛菜は姉弟になっただろう?」
「……そんなの、大人の勝手な都合じゃないか!」

細い肩を震わせて、春樹は言い放った。
さすがの父も、これには言葉を失ってしまったようだ。

春樹は私と父を交互に見据え、唇をかみ締めていた。
そして、目に涙を浮べながら、怒りを爆発させるように大声で叫んだ。

「お前らなんか必要ない! 家族だなんて、絶対に認めないからな!!」

一人で走り去っていった春樹を、私は呆然と見ることしか出来なかった。

私は……
①続きを思い出す
②二人の話を聞く
③チハルを見る

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①続きを思い出す

私とは違い、父はすぐに行動を起こした。
公園を出て行く春樹を、ものすごい速さで走って追いかけたのだ。
しばらく公園で待っていると、父が春樹を連れて戻ってきた。
とりあえずベンチに座るよう春樹を促しながら、父は努めて穏やかな口調で語りかけていた。

「春樹くん。私と愛菜が必要ないとはどういう事かな。これから皆で暮らしていくのだから、もう少し歩み寄ってみないか」

父の言葉を聞いても、春樹は押し黙ったままだった。
それでも父は諦めることなく、言葉を続けていた。

「すぐに家族として認めてもらおうとは、思っていない。
確かに、春樹くんにも愛菜にも再婚のことで無理をさせてしまっただろう。
だからこそ、互いが認め合えるような家庭を築いていきたいと思っているんだよ」

そう言うと、父は私の持っていたボロボロになったマフラーに触れた。
私は胸に抱いていたマフラーを父に渡す。
父はマフラーをそっと広げながら、誰ともなく問いかける。

「なぜ……こんなに汚れてしまったんだ? 二人の間で何があった?」

私は春樹が怖かったけど、包み隠さずすべて話した。
いい子ちゃんと馬鹿にされても構わない。
悪いことをした訳ではないのだし、隠す必要なんてないと思ったのだ。

父はちゃんと私の話を聞いてくれた。
春樹は否定も肯定もすることなく、鋭い目つきで私たちを見ていた。
そして、馬鹿馬鹿しいという顔で首を振ると、ゆっくり立ち上がった。

「そうですよ、僕がやったんです。この子鈍感そうだから、何をしても無駄だって分かり易く教えてあげたんですよ」
「春樹くん、今すぐ愛菜に謝りなさい」
「嫌です。さっきから綺麗事を並べ立てて、丸め込むつもりだろうけどそうはいかないですから。
現実は……もっとずっと息苦しいんだ。もう父親なんて…要らない……」

そこから春樹の声が聞こえなくなった。
私も父も、お義母さんから春樹が実の父親を憎んでいることを聞いていた。
だから父親を要らないという理由も、私たちを拒む理由も少しだけ理解できた。
とはいえ、どうやって春樹の心を解けばいいのか、見当もつかない。

「わかった。春樹くんが私を認めないというのなら、君に選択権を一任しよう」
「選択権……ですか?」

突然の父の提案に、春樹は面食らっている。自信があるのか、父は構わず言葉を続けた。

「ああ。私達の運命を君に託すんだ。春樹くんの一声で、家族を終える事を約束する。その代わり、条件が二つある」
「二つの条件?」
「そうだ。一つ目は愛菜を姉として認め、守ること。もう一つは、中学卒業までは選択権を使わないで欲しい」
「……四年後、ですね」
「今の春樹くんでは、公平な判断もできないだろうし、視野も狭い。そんな状態で運命を託すことは出来ないからな」
「……大人になるまで待てってことですか」
「中学卒業でもまだ子供だが……五年以上は長過ぎるからな。それに、四年あれば私を父親と呼ばせる自信もある」

春樹は再びベンチに座り直すと、身動きひとつせず考え込んでいた。
私は不安になって、自信たっぷりに言い放った父の腕をギュッと握り締めた。

私は……
①続きを思い出す
②二人の話を聞く
③チハルを見る

857
①続きを思い出す

「僕が中学を卒業する時に、まだ父親と認めていなかったら……母さんと離婚するって事ですか?」

やっと口を開いた春樹は、確認するように父に尋ねた。

「春樹くんが望むなら、そうしなくてはならないだろうな」
「そんな簡単に……」
「簡単に決めるのも、よく考えて決めるのも春樹くんだよ」
「僕だけ別の場所で暮らしたいと言ったら、どうしますか?」
「思うとおりにするといい」
「じゃあ、お前だけ出て行けって言ったら、一人で出てってくれますか?」
「ああ、約束だからな」

どうして父がこんな無茶を言い出したのか、理解できなかった。
私達を要らないという春樹に任せてしまったら、未来までボロボロされてしまう気がした。
だけど、きっと父には深い考えがあるのだと信じ、私は見守ることに徹したのだった。

「もう一つの条件は、姉を認めて守ることですよね」
「条件は二つとも満たさなくてはいけないよ」
「わかってます。実際にどうやったら姉を守った事になるんですか?」
「それは春樹くんが自分で考えるのさ」
「僕が考える……」
「どんな方法でもいい。私を拒絶するのは構わないが、愛菜のことは姉として認めるんだ」
「でも……母さんがこんな賭けのような真似、許すはず無いと思いますけど」
「必ず私が説得するさ。愛菜もいいよな?」
「うん。お父さんを信じるよ」
「愛菜もいいと言っている。さぁ、春樹くんはどうするんだ?」

父は相変わらず強気の姿勢を崩さなかった。
こんな約束、父の不利にしかならないはずなのに。

「すぐには決められません。一週間、考えさせてください……」
「わかった。このままでは二人とも風邪をひいてしまう。寒いし、早く家に帰ろう」

父の言葉で、私達は家に向って歩き出した。
頑なに拒んでいた春樹だったけれど、私達の後を黙ってついて来たのだった。

私は……
①続きを思い出す
②二人の話を聞く
③考える

858
①続きを思い出す

あれから数日が経ったけど、春樹とはほとんど言葉を交わすことなく過ぎていった。
春樹は二学期の終わりまで、今までの小学校に通い続けていたからだ。
三学期の初めに転校してくるまでは、別々の小学校に通うことになっていた。
春樹の学校は電車で三十分以上かかるらしく、朝は私よりも早く出て、帰りも私より遅かった。

いつものように、春樹は何も言わずに玄関の扉を開けて家に入ってきた。
私が出迎え「おかえり」と言うと、そこでやっと「ただいま」と小声で返してくれる。
相変わらずの無愛想で苦手だけど、ちゃんと挨拶をすれば返してくれるし、仲良くなれるかもしれないと私は思い始めていた。

春樹の小学校の制服から、私服に着替えてリビングに下りてきた。
そしてキッチンでゴソゴソと何かを作り始めていた。
いつもだったら自室に閉じこもってしまうのに、何をしているんだろうと不思議に思った。
しばらくすると、今度はコートを着て玄関に向っていた。

「春樹くん。どこかに出かけるの?」

玄関で靴を履いている春樹の背中に向って、私は話しかけた。

「少しね」
「少しってどこ? もう暗くなってきているよ」
「どこでもいいだろ。母さんが帰ってきたら、僕が出て行ったこと言っといてよ」

それだけ言うと、春樹は家を出て行ってしまった。
私は急に不安になっていく。もしかしたら、家出かもしれないと思ったからだ。
慌てて靴をはき、急いで春樹の後を追いかけていった。

走って駅まで追いかけていくと、春樹は定期を使って中に入っていくところだった。
偶然ポケットに入っていた小銭で切符を買うと、私はその後を見つからないように追いかけていく。
知らない駅につくと、春樹は迷うこと無く電車を降りていった。
それに倣って、私もその駅で電車を降りた。

春樹は改札を抜け、早足で知らない町に消えていく。
自動改札で切符を入れて追いかけようとしたところで、突然、行く手を阻まれてしまった。
改札機の扉が閉まって、「ピコン、ピコン」と警報音がけたたましく鳴り響いたのだ。

駅員さんが私のところまでやってきて、「どうしたのかな?」と話しかけてきた。
どうやら私の買った切符ではお金が足りず、『のりこし精算』というのをしなくてはいけないらしい。
私は今まで経験したことの無い事態に遭遇して、どうしていいのか分からなくなった。
知らない町で一人ぼっち。おまけにポケットのお金では、駅員さんの言う金額に足りない。
私はただオドオドとすることしか出来なかった。

私は……
①続きを思い出す
②春樹をみる
③周防さんをみる

859
①続きを思い出す

「あの……何かあったんですか?」

落ち着いているのによく通る高めの声が聞こえ、私は顔を上げた。
すると見失ってしまったはずの春樹が、駅の構内に立っていた。

「君は?」と尋ねる駅員さんに、春樹は「この人は僕の姉です」と説明していた。
自動改札で動けなくなっている私を見て状況を飲み込んだのか、春樹は駅員さんと何かを話していた。
結局、春樹が足りない金額を支払うことで、私はようやく解放された。

「こんなところまで、何しに来たの?」
冷ややかな視線を向けながら、春樹は私を見ていた。

「……春樹くんが家出をしたのかと思って、追いかけてきたんだよ」
恥ずかしさのあまり、肩をすくめて私は答えた。

「お金も持たずに追いかけてきたの?」
「うん。とにかく見失わないように、必死だったから」
「僕が家出なんて、馬鹿な真似する訳ないだろ」
「そうだよね。私の勘違いだったよ……」
「まぁ、いいけど。ところで君、これからどうするの?」
「どうするって言われても……」
「せっかくだし、僕と一緒に来る?」

早く帰れと言われるのかと覚悟していたのに、正反対の答えが返ってきた。
私は思わず春樹の顔を覗きこむ。

「えっ、いいの?」
「別にいいよ。大した用事でもないしね」
「本当にいいの?」
「で、来るの? 来ないの?」
「行きたい。春樹くんと一緒に行きたいよ」
「じゃあ、行こうか」

そう言って春樹は駅を出てると、夜のとばりが降りた街を歩き出した。
私の知らない街を、春樹は当たり前のような顔をしながら歩いていく。
私にとっては見慣れない不安な道でも、春樹にとっては思わず足取りが軽くなるほど見慣れた場所なのだろう。

住み慣れた土地を離れ、もうすぐ友だちとも引き離されてしまう春樹の心を始めて覗いた気がした。
本当は私や父が憎い訳じゃなくて、多くの事があり過ぎて受け入れられなくなっているだけかもしれない。
そう思うと、春樹の存在が遠いものから近いものへと変わっていく気がした。
なんでも知っているような大人びたクールさの下に、歳相応の悩みを隠している。
今もマフラーの事は謝ってくれないけど、このまま許してあげてもいいかなと思えたのだった。

私は……
①続きを思い出す
②春樹をみる
③周防さんをみる

860
①続きを思い出す

しばらく歩いていると、街から住宅地へと景色が変化していった。
さらに進むと民家が途切れ、目の前に急坂が現れた。
もしも自転車で来ていたら、とてものぼれそうに無いほどきつい傾斜だった。
機嫌良く歩く春樹の後について、私は黙ってその坂道をあがっていく。

やっと坂道が終わり、視界が広がった。
私達が登ってきた坂道の頂上には、立派な建物の学校があった。

「ここ、春樹くんが通ってる小学校?」
「そうだよ」
「すごく大きいね」
「あっちの山側にある校舎は中学校なんだ。隣接してるから大きく見えるだけだよ」
「こんな遠いところまで毎日通っているんだもんね」
「あと少しでこの坂道ともさよならだ。今度の学校は登校でヘトヘトにならずに済みそうだし、得したのかもね」

そう呟く春樹に、「本当は転校が嫌なの?」と問いかけようとして思いとどまる。
両親も春樹の負担を考え、近い小学校の方がいいと思って決断したに違いない。
初日に比べれば、春樹の様子も確実に変わっていた。

「じゃあ、春樹くんはこの急な坂道が苦手なんだね」
「面倒だけど嫌いじゃないかな。今はこんなだけど、春になったら桜がすごいんだ」

自慢げに話す春樹が言うには、桜の木は坂道から校庭までずっと続いているらしい。
よく見ると、校庭と校舎を繋ぐ道まで公園のように整備されていた。
学校の名称が書かれた校門は私の通っている小学校より大きく、奥の敷地も広そうだった。

「校門が閉まっているね。これじゃ、春樹くんの忘れ物が取れないかも……」
「忘れ物?」
「だって、学校に用事があったんでしょ?」
「違うよ。僕の用事はもっとこっちだよ」

春樹は私の手を取ると、突然、わき道を逸れていった。
街灯も極端に少なくなっていき、木が覆う小道をズンズンと入っていく。
枯れ葉を踏みしめながら暗い道を通り抜けると、小さな神社を見つけた。
朽ち果てた社に、倒れた灯篭。月明かりに照らされたその場所には、当然だが人影はなかった。

薄気味悪くて、私は春樹の影に隠れるように身を縮める。
一方の春樹は持ってきた鞄を探り、中から包みを取り出していた。

「春樹くん。一体なにをするの?」
「ご飯をあげるのさ」

包みを解くと、手の平くらいの容器に大量の鰹節のかかったご飯が入っていた。
これって確か、ねこまんまって言うんだよね……。

「もしかして、ネコにあげるの?」
「うん。ミケって呼んでるんだ。居るかな……」

春樹は這いつくばりながら、お社の床下を覗き込んでいた。
「あれ……居ないみたいだ」
「なら、少し間待ってみようよ。せっかく来たんだもん」

氷のように冷えた石段の上に座ると、私達はミケという名前のネコを待つことにした。

私は……
①続きを思い出す
②春樹をみる
③周防さんをみる

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