それぞれの『意思』



ヘルモーズが、沈む。
全長20キロの巨大戦艦が、凄まじい炎と共に落ちていく。
炎はやがて大地に激突し、地獄の業火となって周囲の全てを焼き尽くした。
それは大地だけに飽き足らず、空をも血のような紅い色に染め上げる。
その光景は、世界の終焉を思わせるほど壮絶なものだった。
ラミア・ラヴレスは一言も発することなく、その一部始終を見届けていた。
落下場所から数十キロ以上離れた、彼女のいる場所からでもはっきりと見えた。

私の行為は正しかったのか。

ラミアは自らに問いかける。
自分の行為が正しいと確信している人間などいない……ミオ・サスガはそう言った。
そして、それでも生きている自分達は動かなければならない、と。
だからこそ……問わずにはいられない。

私は、何をしているのだろうか。
そして、何をすればいいのだろうか。

「ラミアちゃん」
不意に声をかけられ、我に返る。ブラックサレナからの通信……ミオの声だ。
「一旦降りよ。いつまでもここにいても仕方ないし」
「……ああ、わかった」
ブラックサレナに連れられるままに、ラーゼフォンは地面へと降りていった。



ヘルモーズを脱出した4体の巨人は、E-5の地へと降り立った。
そこは既に禁止エリアに指定されている場所である。
もっとも、首輪の枷から逃れた彼らには、今や意味のないことではあるが。
「全員、無事に脱出できたようだな」
ジ・Oに乗るシロッコはそう言うと、自機以外の3体のロボットを一瞥した。
ミオのブラックサレナ。フォルカのソウルゲイン。そして……
(ラミア・ラヴレスか……)
ラーゼフォンに視線が移ったとき、表情は自然と険しくなる。
結局、彼女が自分に見せたユーゼスへの反逆の意思はフェイクだった。
当初から薄々勘付いていたとはいえ、シロッコが彼女への警戒を緩めないのは当然だろう。
ヘルモーズの共闘は一時的なもの、あくまで成り行きでしかない。
『共通の敵』の存在があって、初めて成立した関係に過ぎないのだから。
それはフォルカ・アルバークについても同じことではあるが。
「ラミア……答えは出たのか」
フォルカがラミアに切り出す。
「そう簡単に……割り切れるものでは、ない」
「……そうか」
ラミアの回答に一言返すと、フォルカはそれ以上を問い詰めようとはしなかった。
「……君達だけで話を完結させられても、困るのだがな」
しかし事情のわからないシロッコとしては、勝手に話を進められるのは面白くはない。
空気を読まないことを承知の上で、シロッコは彼らの中に割って入った。
「一先ずの危機は脱した。ここらで互いの情報を交換したいと思うが……
 機体から降りて話をしたい。構わんな、フォルカ・アルバーク」
「ああ、俺は構わないが……」
「ラミア・ラヴレス……君もだ」
シロッコの鋭い視線がラミアを貫いた。向けられたプレッシャーに、ラミアは気圧される。
脆い。少し前までの彼女と比べると、あまりにも脆すぎる。
(さて……何があった?その真意、確認させて貰うぞ)


それぞれの機体から降りて集まるシロッコ、ラミア、フォルカ。
ミオだけは、シロッコの指示でブラックサレナの中に残ったままである。
周囲への警戒は勿論だが、何と言っても彼女は現在イレギュラー的立ち位置にある。
ゲッター線を通じて多くの真実を知る、言うなればキーパーソン。
その上、彼女は未だユーゼスがその生存を把握していない可能性がある。
ラミアの真意が判明するまでは彼女の前にミオの姿を晒させるのは危険――
シロッコは石橋を叩き、そう判断した。
実際はヘルモーズで両者は既に接触していたが、それはあくまで通信機越しのこと。
彼女の重要性を考慮すれば、用心するに越したことはない。

ラミアは一言も発することなく、沈んだ面持ちで俯いたままだった。
少なくとも、シロッコと共に行動していた時からは考えられない姿である。
(私と別れてから今に至るまでの間、彼女の中に何らかの変化があったことは間違いない。
 それも、彼女の価値観を壊しかねないほどの大きな変化が、だ)
そこまで察していながらも、シロッコは決して彼女に同情的な感情は抱かない。
何せ彼女は、元はユーゼスのスパイである。いや、未だ現在進行形である可能性も否定できない。
哀れみすら誘う今のこの姿すらも、こちらを欺くための演技であったとしたら?
かと言って、必要以上の疑心に囚われない点は流石というべきか。
あくまで心をニュートラルに保ち、シロッコはラミアの本心を探ろうと試みる。
「君は私やフォルカと共に、あの人形と戦ってくれた。
 それは、君を信用していい……と受け取って構わないかな?」
鎌をかける。信用など初めからありはしなかったが。
それに対するラミアの答えは、シロッコの予想に反するものだった。
「信用……しないほうが、いい」
「……ほう」
憂いを帯びた瞳で俯く女の姿を、シロッコは素直に魅力的だと感じた。
「ラミア……?」
「勘違いするな、フォルカ・アルバーク。確かに……私はお前達と共に戦った。
 自分が人形であるということを否定した。だが……そこに、それ以上の意味はない」
重苦しい表情のまま、ラミアはフォルカに自分の意を告げる。
「私は今でも、ユーゼス様の部下だ。私の忠誠に変わりはない。
 主であるユーゼス様を……裏切ることは、出来ない」
「それが……お前の選んだ道なのか」
「……どうだろうな。実際に私が取った行動は、主への裏切り以外の何でもない」
そう言って、ラミアは自虐的に笑った。酷く痛々しい微笑だった。
――本当に彼女はラミア・ラヴレスなのか?
フォルカにそう思わせるほどに、彼女には覇気がない。
ヘルモーズで共闘した時に感じた強い『意思』が、今の彼女からは感じられない。
(ラミア……お前は)
「……話を続けるぞ」
シロッコは二人の会話に割って入る。これ以上蚊帳の外に放置されてはたまったものではない。
しかし今のやり取りで、ラミアの精神が如何なる状態にあるかは、彼にも把握は出来た。
だが、事は精神論で片付けられるような段階ではない。
「ラミア、君がどういう考えに至ったかに関わらず……
 君に対しては、然るべき対応を行わなければならない」
「……そうだな」
『然るべき対応』――シロッコの口から出たその言葉は、酷く不穏な響きを持っていた。
妙に素直に肯定するラミアとは対照的に、フォルカは眉間にしわを寄せて聞き返す。
「……どういうことだ?」
「彼女はユーゼスの創造物……それを抱え込む危険を、理解できないわけでもあるまい」
シロッコの目の奥が光る。それが何を意味するかを読み取れないほど、フォルカは鈍くはない。

「待ってくれ!もう少し……猶予をくれないか」
シロッコが下そうとしている判断が、一概に否定できるものではない現実も承知はしていた。
それでも、フォルカはその選択を良しとしなかった。
「フォルカ、だったな。我々同様、君もユーゼスに抗うべく行動しているのだろう?
 ならば、後顧の憂いは今のうちに完全に断たねばならん」
「わかっている。俺がいかに甘いことを言っているかも。だが、彼女の戦いに嘘は……」
「……この場合、彼女の意思など問題ではないのだよ」
シロッコは、フォルカの言葉をあっさり一蹴した。
別に疑念に取り込まれているわけではない。ある程度疑ってかかってはいるものの、
ヘルモーズにおけるラミアの行動は状況から考えれば、信用とまではいかずとも、
自分達を欺く演技である可能性は薄いと考えていた。
しかしシロッコの着眼点は、そもそもそんな場所には存在しない。
問題なのは、ラミアがユーゼスの人形であるという事実と、そこから導き出される可能性。
「彼女を通じて、こちらの情報がユーゼスに漏れていたら?」
「まだ、彼女がスパイ活動を行っているというのか?」
「言っただろう。ここでは彼女の意思は問題ではないと」
意を解せぬといった表情のフォルカに、シロッコは一から説明を始める。
「忘れたか。彼女は人造人間……いわば、ユーゼスが造り出した人形」
シロッコが『人形』という言葉を発した時、ラミアの表情が一瞬曇った。
男達はそれに気付かない。シロッコは話を続け、フォルカはそれに耳を傾ける。
「彼女の見たもの、聞いたもの、感じたもの……
 それら全てが、そのままデータとしてユーゼスのもとに流れていたら?」
シロッコはそう言うとラミアの方向に向き直り、鋭い眼光で彼女を射抜いた。
「そう……あのエルマというロボットが、そうだったのではないかな?」
「エルマ、だと!?どういう意味だ」
突然飛び出した名前に、フォルカは思わず目を見開く。
「君もあのロボットを知っていたか。ならば話は早い。
 そもそも、『ユーゼスが用意した支給品』である、あの自律型AI搭載のロボット……
 その存在自体が不自然だと思わんかね?」
「……言いたいことがあるなら、はっきり言ってくれ」
回りくどいシロッコの物言いに、フォルカは苛立ちを覚える。言葉の語尾に僅かに怒気が感じられた。
緊張感が走る。それを物ともせず、シロッコは単刀直入に切り込んだ。
「エルマはユーゼスの監視カメラの役割を果たしていた。私はそう推測する」
「馬鹿な!エルマがスパイだったというのか!?」
短い間とはいえ、エルマもまたフォルカの仲間だった。
今は亡き彼に嫌疑をかけるようなシロッコの言葉に、フォルカは憤りを表に出す。
「もっとも、私はあれが動いているところを直接見たことはない。
 あのロボットについては君のほうがよく知っているのではないか」
「ああ。彼がそんな行動を取っていたとは思えない……!」
「そう。そこが盲点となり得たということだ」
「エルマが俺達を欺いていたと言うのか!?」
「いや……むしろエルマ自身すら、それに気付いていなかったのではないかな」
「……シロッコの推測とおりだ」
感情を昂ぶらせるフォルカに、ラミアが静かに肯定の声を発した。
「エルマのカメラが映し出した映像は、逐次ヘルモーズに送られる仕組みになっていた。
 あれは、ユーゼス様の送り込んだスパイ……そして、エルマのAI自身も、その事実を知らない」
「な……それでは!?」
「あのロボットは自分の与り知らぬ所で、ユーゼスに利用されていた……ということだ」
ラミアの説明に、シロッコが補足を付け加える。
愕然としつつも、フォルカはシロッコが何を言いたいのかを理解する。
――ラミアもまた、エルマと同じである可能性がある、ということだ。

だが、現実は彼に更なる衝撃を与える。
「エルマだけではない。あのマイ・コバヤシという参加者にも、同様の疑惑がある」
「ッ……!?」
立て続けに取り上げられる自分の仲間への疑惑に、フォルカは動揺を隠しきれない。
「一つの器に、明らかに異なる二つの人格……しかし、あの感覚は不自然すぎる。
 あの、レビと名乗った好戦的な人格……あれは後天的に植え付けられたものではないか?
 恐らくは、ユーゼスの手で」
「……お前の推測している通りだ。マイの中のもう一つの人格、レビ・トーラーは……
 ユーゼス様が植え付けたものだ。殺し合いを促すために、な」
淡々と続く二人の会話の中で、次々と判明する事実。
フォルカは自分の周囲で、様々な悪意が渦巻いていたことを思い知った。
そして、それに気付けなかった自分自身の無力さに、悔しさが込み上げてきた。
「彼女達だけではない。クォヴレー・ゴードンの記憶喪失、木原マサキの凶暴性……
 彼らの精神への干渉も、全てユーゼス様が仕組んだことだ」
(まさか……アクセルの記憶喪失も、ユーゼスが……?)
フォルカの握った拳に、力が込められる。
ちなみにアクセルの件だけは違うが、本人が死んだ今となっては、その是非にはもはや何の意味もない。
「そう……私とて例外ではない。
 シロッコの言う通り……私にも、どんな罠が仕込まれているかわからんな?」
「ラミア……お前は……」
再びラミアに視線を戻した時――フォルカは一瞬、背筋を寒くした。
正視することすら憚られるほどに痛々しい、虚ろな目で薄笑いを浮かべている女の顔がそこにあった。
「もうわかっただろう、フォルカ。我々はお前達の運命を弄び続けてきた……
 信用などするな。憎まれこそすれ、信用を受ける価値など私にはない」
あまりにも見るに耐えない――フォルカは思わず目を伏せる。
ラミアは視線をシロッコに移す。シロッコは真っ直ぐに彼女の目を見ていた。
「シロッコ、私の処遇はお前に任せる。殺したくば殺すがいい」
「ラミア!自暴自棄になるんじゃない!」
フォルカは思わず声を張り上げていた。
「語弊があるようだが……私は別に、ここで君を殺すつもりはない」
シロッコもまた、理性的にラミアの言葉を否定する。だが。
「どの道、同じことだ。お前の言った危険を防ぐなら、私を消すのが最も有効な手段だ。
 後顧の憂いを断ちたいのだろう?」
抑制のない口調で淡々と述べる。まるで以前の人形の彼女に戻ったかのように。
いや、無理してそう振舞っていると言ったほうが正しい。
(……傷心の女性にかける態度ではなかったか。それにしても、これは重症だ)
自虐、いや自己破壊的とすらいえるラミアの態度。
シロッコは、彼女の精神が極限まで追い詰められていることを悟った。
「落ち着くんだ……お前は本当に望んでいるのか」
「望み、など……人形にそんなものは存在しない」
フォルカの声も、もう届かない。目を据わらせ、まるで自分に言い聞かせるかのように唱える。
「人形、だと……?お前はそれを、自分で否定したんじゃなかったのか!?」
「そんな思考も行動も、所詮はプログラムの一環でしかない。
 意思も、望みも、感情も……そんなものが、私に存在するはずがない……!」
「ラミア!」

「黙れッ!!」
響き渡ったラミアの叫びに、場の空気が凍りついた。
気圧されるフォルカ。シロッコも、突然の出来事に口を挟めないでいた。
「知った風な口を利くな、フォルカ・アルバーク……お前に何がわかる!?
 自分に向けられた悪意にも気付かなかった男が……!」
ラミアの、かつて誰一人として聞いたことがないような、感情的な叫びが木霊する。
何故だか、無性に目の前の男が苛立ってしょうがなかった。
この男の、他人を気遣えるだけの余裕が、とにかく癇に障った。
「一つ教えてやる。フェルナンド・アルドゥク……いや、アルバーグは。
 お前を最も憎悪していた時間軸から、この世界に召還した……」
だから彼女は、真実を話し始める。彼に対してあてつけるかのように。
「な……!?」
「何を驚いている。まさか同姓同名の別人などと、おめでたい考えでも持っていたか。
 我々はあの男を、お前に殺される前の時間から召還していたのだ」
ラミアの中に、どす黒い感情が芽生え始めていた。
それは人間こそが持ちえる闇の一つであることは、彼女はまだ知らない。
「お前を殺すためなら、どんな手段や犠牲も厭わぬ頃を選んで、あの男を呼んだ……
 ここまで話せば、お前にもその意味がわからんわけではあるまい……!」
醜く表情を歪ませ、言霊を刃にしフォルカに向けて斬りつける。
「そもそも……お前は、この戦いで何をしていた?
 フェルナンドどころか、一体どれだけの参加者と遭遇した?どれだけの悪意を見てきた?」
斬りつける。何度も何度も、斬りつける。
「もし、お前とあの修羅が遭遇し、殺し合う状況に追いやられていたら……!
 いや……お前が、少しでも現実が見えていたら……!」
何度も、何度も。
自分が知っている限りの惨劇と、可能な限りの悪意を、毒としてその刃に塗りこんで。
「人が疑い、狂い、壊れていく姿を!殺しあう光景を、少しでもその目にしていたら!!
 本当の恐怖や絶望を、お前が少しでも感じていたら……!!」
斬って斬って、斬りまくる。
「それでもお前は、そうやって正常を保てるのか……!!」
まるで、自分の中の闇に呑まれるかのように。
「そんな軽口が叩けるか!!お前はッ!!」
「……ッ!!」

言葉がなかった。返すことができなかった。
フォルカは知らない。バトル・ロワイアルの、本当の恐ろしさを。
マイやアクセルといった混乱する人間を抑えて。
デビルガンダムやユーゼス、ゼストといった、明確に敵である相手と戦って。
……それだけだった。幸いにも、彼は遭遇することはなかったのだ。
誤解。憎悪。狂気。疑心暗鬼。死への恐怖。それらから生み出される――破滅。
殺し合いにおいて曝け出される真の恐怖を、彼は目の当たりにすることがなかった。

一頻捲し立て終わると、気まずい沈黙が場を支配した。
あまりにも重苦しい空気が、その場にいる者達に圧し掛かる。
「……すまない」
暫しの沈黙の後、ラミアはばつが悪そうに謝罪した。
「話が逸れたな。シロッコ、私の処遇はお前に任せる。この場で殺してくれても構わん」
「……先程も言ったが、私はそういう手段に出るつもりはない。君にはまだ、聞きたいことがある」
「……そうか。そうだな」
シロッコの言葉に何かを納得したかのように呟くと、ラミアは二人に背を向けた。
「しばらく席を外させてくれ。私がいてはし辛い話もあるだろう。
 ラーゼフォンには戻らん。ユーゼス様への報告も……行うほどのものはない。
 我々がヘルモーズから生還したことくらいは、ユーゼス様も把握しているからな」
普段の淡々とした口調に戻る。ただし口数は不自然に多い。
今となっては、それが虚勢であることは誰の目にも明白だった。
「怪しい動きを見せれば、遠慮なく攻撃してくれても構わない」
そう言って、ミオが乗ったままのブラックサレナを見上げて……
ラミアは二人から離れていった。

「ラミア……!」
追いかけようとするフォルカを、シロッコは手で制した。
「……今の彼女にこれ以上踏み込むのは、あまりにも無粋だ」
河の方向へと消えていくラミアを見届けて、シロッコは遠い目をしながら言った。
フォルカは膝を折り、拳を地面に突き立てる。己の無力さを呪うかのように。
「俺は……何もわかっていなかった。この3日間、何が起きていたか……
 それを理解することすらできずに……俺はどの面を下げて!!」
「……運が良かったのだよ、君は。それは責められることではない」
「しかし……!!」
「そういうものだ。全てを理解できるほど、人は万能にはなれんよ」
そう言って、シロッコはフォルカの肩を叩く。彼なりのフォローだったのだろうか。
「ここで項垂れていても仕方がない。我々には一刻の猶予もないのでな。
 まずは、互いの情報の交換を行いたいと思う。……構わんか」
それでもあえて事務的な口調を心がけ、シロッコはフォルカに持ちかけた。
下手に相手の感情に踏み込むのは、彼にとっても辛いことだろうと判断して。
「……わかった」
フォルカに返事に一つ頷くと、シロッコはメモとペンを取り出し、話し始めた。


 * * * * * * * * * * *


ラミアは歩いていた。フォルカ達から、少しでも離れるために。
今はあの二人とは顔を合わせたくはなかった。
彼らと話していると、現実に向かい合わなければならなくなる。
次第に足早になり、いつしか彼女は走り出していた。

何故、フォルカにあれほどまでに辛く当たってしまったのか――
あの時、彼に浴びせた罵声。その際に自分の中に生まれた、どす黒い何か。
あれは何だったのか。何故あんなものが自分の中に生まれたのか。
――やはり、おかしい。自分が、わからない――

どれだけ走っただろうか。もっとも、時間にすれば数分に過ぎないが。
いつしかラミアは、河のほとりまで辿り着いていた。
陽の光が水に反射し、きらきらと輝いている。
その光を、ラミアは眩しいと感じた。

――結論から言ってしまえば、彼女にとってフォルカは眩しすぎたのだ。
羨ましかった。
自分の意志をあれほどまでに純粋に貫くことができる、彼を。
その意志の力で、修羅の世界に新たな未来を示した彼を。
それと同時に、彼女は自分とフォルカを比較して、激しい劣等感を抱いた。
何故なら、彼女は意志を貫くことも――そもそも自分の意思というものが何であるか、
どれを指すかすらもわからない、ただの人形でしかないのだから。
それらは彼女の無意識が抱いた感情であり、故にラミアは自覚することができなかった。
その理解不能な思考により、ラミアの思考回路に狂いが生じていく。


彼女は人形であることを拒んだ。自我を選択した。……そのつもりだった。
だがゼストを倒した時――即ちユーゼスの目論見を阻んだ時、彼女の中に後悔が込み上げてきた。
主を裏切ったという背徳感が、彼女を締め上げた。
ユーゼスへの忠誠心。あるいは、依存心も含まれるのかもしれない。
それらが自分の中に強く根付いていることを、ラミアは自覚する。
同時に彼女は、自分の思考と行動に存在する決定的な矛盾に気付いてしまった。
(……どこまで行っても、私は壊れた人形)
目覚めた自我と、刻み込まれた忠誠心。相反する二つの間を不安定に揺れ動く。
その癖、フォルカのように自分の意志を貫く術すら知らない、中途半端な存在。
それが、今のラミア・ラヴレスという存在。
(どれだけ自分が人形であることを拒んだとしても……人形である現実は、変えることは出来ない)
エルマやマイのように、自分の知らない何かが組み込まれている可能性。
それをシロッコから指摘された時、自分の中の熱い何かが、急速に冷めていくのを感じた。
自我を選んだところで、決定された現実は変えられない。
今のこの自分の思考すらも、組み込まれたプログラムの一つでしかないかもしれない。
そこに辿り着いた時――ラミアは自分の内に巣食う悪魔を抑えられなくなった。
ヘルモーズでフォルカと戦う前、彼女を蹂躙した無意識の破壊衝動。
それが再び顔を出し、今度はヘルモーズの時とは全く逆の切り口から、彼女を壊し始めた。
決して変えることの出来ない現実と共に、彼女を負の極地に向けて追い込んでいく。
皮肉なことに、これらは全て、自我が生まれたからこそ発生したものだった。
そして考えれば考えるほど、深みへと嵌っていく。

私は――何をしているのだ?

主を裏切って、敵の下でおめおめと生き延びて。
何故、私は生きている?

私はユーゼス様から、死を命じられたというのに――


 * * * * * * * * * * *


(光の巨人、ゾフィー……か)
フォルカと情報交換を行ったシロッコは、彼の体験に興味を示す。
意外なことに、その内容に対する驚きは少ない。
「……随分とあっさり受け入れるのだな」
「ミオの情報もある。それに、ここまで来れば多少のことでは驚かんよ」
立て続けに押し寄せる超常現象の波に慣れ始めていることを、シロッコは自虐的に笑った。
一方で、頭ではそれらの情報を冷静に整理・分析する。
驚くべき適応力である。いや、そうせざるを得ないと言うところか。
(彼のゾフィーからの情報は、ミオのもたらした情報と符合する点がいくつもある。
 こうまでこちらの情報と一致すれば、嫌でも受け入れざるを得まい。全く……)
持ち寄ったパズルのピースが集まり、一つの絵を形成していく。
出来上がろうとする絵は、想像以上にオカルティックで、現実離れしたものだった。
ただ、この非常識な真実を緩和させたのが、ユーゼス本人の驚くほどの人間臭さである。
人間に絶望しながら、未だ自分が人間であることを捨てきれぬまま、神への道を模索する男。
その姿は、シロッコから見れば滑稽でしかない。
(ユーゼス・ゴッツォ……奴も所詮は俗物だったか。これでは、神の器には程遠い。
 だが、ゼストの力は興味深い。然るべき人物がその力を使えば、あるいは……)
口元がつり上がる。ほんの僅かにではあるが。
それをフォルカに悟られないよう口元を手で隠し、シロッコは話をまとめにかかった。
「では、ここまでの情報を総合するにあたって……む?」
そこで、シロッコは一旦言葉を切る。
思い詰めたような表情で俯くフォルカを、目に留めて。

――今の俺に、ラミアの生き方に如何こう言える資格はあるのか?
そして……ユーゼスの行為に口出しできるような資格は……?
人の持つ闇を見てこなかった俺が、人間に失望したあの男を説くことなど――

(……心ここにあらず、か。よくない傾向だな)
恐らく、ラミアの言葉が後を引いているのだろう。
フォルカの精神の乱れは、シロッコに取っても他人事ではない。
彼の戦闘力は高い。乗機であるソウルゲインとの相性も良く、ユーゼスとの決戦において
の主戦力になりえると、シロッコは考えていた。
そんな強力な『駒』である彼に、今迷いを抱かせるのは避けたい。
彼をユーゼスにぶつけ、心置きなく戦って貰うためにも、そうした感情は禁物だ。
ユーゼスは人の負の感情を力とするのだから。

「フォルカ……この世界に呼ばれる前の君がどういった人間だったか、私には知る由もない。
 しかし、たかだかこの二日三日で否定されてしまうほど、君の半生は薄いものか……?」
シロッコはここで初めて、彼の内面に一歩だけ踏み込んだ。その声にフォルカが面を上げる。
「要はどれだけ心を平静に保てるか、だ。どんな境遇に置かれようともな」
立ち上がると、シロッコはフォルカに一つの質問をする。
「フォルカ……君がヘルモーズで、彼女に求めたことと同じことを尋ねる」
「……?」

「君の『意思』は、何処にある?」

まるで相手を試すかのような目で、シロッコはフォルカを見下ろす。
「君が現実を見えているかどうかは、ここでは別に置いておく。
 そうだな……ラミア・ラヴレスに対して、今、君はどう考えているか。
 そしてどうしたいと考えているか、答えてもらいたい」

フォルカにとって、これは試練だ。この狂ったゲームを終わらせるための、試練のひとつ。
これまでゲームの中で起きてきた出来事を考えれば、きっと取るに足らない壁だろう。
しかしこの壁を越えられなければ、全てを終わらせることなど出来はしない。
フォルカもまた、自分自身を見つめ直す時が来た。
シロッコの問いに対する彼の答え、それは――

「俺は……彼女の生き様を、見届けたい」

例え打ちひしがれていようと、彼の根本に揺らぎはなかった。
「彼女がしてきた罪は、決して許されるものではないことはわかっている。
 だが、ラミアは今、自分の足で歩き出そうとしている……
 本当の自分の生き方ができるかもしれないんだ」
ラミアが聞けば、甘い戯言だと罵られるだろう。
結局は、何も知らない人間の勝手な押し付けに過ぎないのかもしれない。
それを承知してなお、フォルカは希望から手を離そうとはしなかった。
「人間になったピノキオが、幸せになれるという保証ないぞ?
 現に今の彼女の自我は、現実に押し潰されようとしている」
シロッコはその芯の強さを試すように、客観的に現実を述べる。
「だが……それでも俺は、彼女を人形のまま終わらせたくはない……
 でなければ……あまりに悲しすぎる」
「……成程」
フォルカの揺らがぬ信念に、シロッコは彼の甘さと、そして強さを感じ取った。
それは、過去何らかの壁を乗り越えた人間のものか。
ラミアが言ったような真の恐怖を味わったとしても、その意志は折れることはないように思えた。
しかし、だからこそ……彼では、ラミアの説得は難しいとも感じた。
フォルカはあまりに生真面目すぎる。ラミアと正面から向き合ってしまう。
……今のラミアに、それは酷と言うものだ。
シロッコもまた、ラミアの抱く感情の正体を漠然と察していた。
「ラミアは今、一つの壁に突き当たっている。だが、我々がそれに対してできることはない。
 その壁を超えることができるのは、彼女自身しかいないのだからな」
「ああ……それはわかっている。だから俺は、それを見守りたい……」

(超えられればいいが、な。
 今の彼女では、その前に……自分を破壊しつくしてしまうかもしれん)
そんなことを考えながら、シロッコはラミアの向かった河の方角に目を向けた。


 * * * * * * * * * * *


『死ぬことを許す。もう会うこともないだろう』

――そう。私が選ぶべき道は――死。

葛藤の果てに、ラミアはその選択肢に辿り着いた。

ここにいては、自分は主を裏切り続けることになる。
シロッコは自分の持つ情報を求めている。フォルカとて、突き詰めれば同じことだ。
彼らにとって、自分の存在価値などその程度でしかない。
それ以上を、求めてくるはずがない。そんなことはあってはならない。
何故なら私は、ユーゼス様の忠実な僕なのだから。主と敵対する彼らとは、決して相容れない。
もし、私が彼らを受け入れれば。そのまま、主の情報を彼らに流せば……
それは主への裏切りに他ならない。
そうなれば――自分は、これ以上自分を許せなくなる。
そんな事態を引き起こす前に――自ら命を絶つ。
ユーゼス様は、死を許可した。今さら躊躇うことはない――

彼女が乗り越えるべき壁は、あまりにも大きかった。
せっかく産声を上げた自我が、再度崩壊してしまうほどに。
だが、今の彼女の行動は、単なる『逃げ』でしかない。

ラミア本人の体内にも、ユーゼスの手で自爆装置は取り付けられている。
それを発動させれば、全ては終わる。
本来ならば、自爆の際にフォルカ達をも巻き込ませるのがベストな選択だ。
しかしラミアはその方法を選ばず、一人で死ぬことを選ぶ。

彼らと、特にフォルカとは顔を合わせたくない。
合わせれば……きっとまた、迷う。さらにおかしくなる。そして、判断を鈍らせる。
そうなる前に……ここで独りで、全てを終わらせよう。

彼女の全てを終わらせるコード。
今、それを発動させる。

――ユーゼス様、どうかご武運を――


ASH TO ASH―――





「おいっす!」

場違いにも程がある少女の声が、その発動を遮った。
「!?」
その声に振り返ると、そこには青髪のツインテールの少女が立っていた。
ラミアは驚きを表情に出す。どうやら少女の存在にも気付かぬほど、ラミアの精神は疲弊していたらしい。
「お前は……」
「あーほら、照れないの!映っているのは背中だけよ!」
「……は?」
ラミアの口から出た声が、酷く間抜けに響いた。




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最終更新:2008年06月02日 20:25