影法師@ながみ藩国様からのご依頼品


/*枯れ草と水やり*/


 最初に目覚めたときは、まだいささか記憶が混乱していた。暖かい海の中をぼんやりと漂っているようなイメージ。仮に空気の中を泳げるとしたら、きっとこんな感じなのだろうと思わせた。白い天井、蛍光灯の冷たい輝きをぼんやりと眺めている自分を、遙か遠くから眺めている。どれだけ頭を働かせようとしても、決して動かない。
 そんな状態が一秒だか、一日だか、あるいは一週間だか続いた。あまり感覚ははっきりしていなかった。
 それがようやくはっきりし始めた頃に、彼は現れた。
 彼は最初に「貴女の手下です」と言った後、「憶えてませんか?」と不安そうに言った。憶えているも何も、まったく、初めてだ。
 その後彼は影法師と名乗り、短い会話をして、部屋を出て行った。たぶん、この病院の患者なかなにかだろうと思い、自分にしては優しく相手をしたと思う。あるいはそう、単にまだ、元気がなかっただけかもしれない。
 いや、元気がないと言えば以前からそうだった気もする。ああ、どうなのだろう。あまりはっきりとしない。たぶん、その程度の事だったのだろう、と思うことにした。
 ただ。あの日以来、少しだけ頭がはっきりしてきた。自分がいまどういう状況にあるかと言うことも理解できるようになり、時間感覚もしっかりしてきた。しばらくしてからは、一人で出歩くようになった。体調がほとんど完全に回復すると、フランク・ヤガミという男がやってきて、退院を告げた。しかししばらくはこちらの様子を見るために、彼に保護される事になると説明された。その頃には、狭い病室で生活するのにもうんざりしていたので、外に出られるならば何でも良かった。
 そうして。アララ・クランは退院した。


 久しぶりに病院にやってきたとき、影法師はわずかに鼓動を早くしていた。相変わらず慣れないなーと心の中でつぶやく。別に、病院に来ることが、ではない。そこにいるはずのアララに会うことがである。
 しばらく前の一件以来、記憶をなくし、さっぱり忘れられてしまい、影法師はやや途方に暮れていた。いや、途方に暮れると言うよりは、いろいろな意味で、参っていた。まさか、完全に忘れられているとは……。そう思うと、昔のことを思いだして、少し、悲しくなった。
 いや、やめよう。首を振って気持ちを切り替える。忘れているなら忘れているで、普通に会って、挨拶をしよう。それから……それから、そう。今日はプレゼントがあるから、うまく渡せるといいのだが。
 そんなことを考えながら、影法師は病院に入っていった。ロビィでうろついている人たちを避けて受付に行き、挨拶をする。受付に立っていた人はこんにちはーと気軽に挨拶を返した。
「たびたびすいません。アララ・クランさんに面会は可能でしょうか」
「アララさんは退院されてますよ」
 なんと。体が傾くのを感じる。試練の時といい、とにかく、すれ違うというか、行き違うというか。顔がいささか引きつったことを感じる影法師。受付が困ったように笑った。
「そ、そっちで来たか……。通院とかする予定あったりしませんよね」
 頷く受付に、それから、いささか迷ってからアララの連絡先を尋ねてみた。答えてもらえるかどうか不安だったが、受付は案外あっさりと応じてくれた。
「フランク・ヤガミさんという方が保護司になっているようです」
「あー…」
 フランク・ヤガミ? また妙な名前が出てきた……。確か、廃役ACEにまつわる不穏な噂の絶えない人物だったはずだが。
「ありがとうございます。流石に連絡先って伺えませんか? 住所だとか、電話番号だとか」心の中で焦りを感じながら影法師は聞いた。
「どうぞ」受付は手近な用紙になにやら書き込むと、渡してきた。
「ありがとうございます」
 そうして影法師は教えてもらった連絡先に向かって行った。


 行き先は葬儀屋だった。簡素な作りの建物。建物の前ではお供えのための花が売られている。奥には受付があり、黒服を着た人々が数人見られた。
 葬儀屋。葬儀屋か。影法師は苦い顔をした。
「なんか2回に1回はこういう展開になっている気がする……」
 ため息ひとつ。まあ今更ため息くらいで幸福は逃げないだろうと思って、影法師は建物に入っていった。
「失礼しますー。どなたかいらっしゃいませんかー?」
「ここは処分場だ。帰れ」
 入って早々に、フランク・ヤガミが現れて言った。ぶっきらぼうな口調。視線はどこか冷たく、入ってきたばかりの影法師には一切の興味がないと言わんばかりの態度を振る舞った。
「帰りません。アララさん、どこですか?」影法師はきっぱりと言った。「俺は会いに来たんです」
「アララー?」フランクは顔をしかめる。やや眼を細めて、何かを思い出すように遠くを見た。「処分したかな……」
「廃役にはなっていないはずなんです」
「ああ」それで思い出せたのか、フランクはぽんと手を打った。「そいつは処分してないな。今はどこか放浪してるだろう」
「あ、あれー…。受付の方にあなたが保護司だと……」
「まあ、処分する予定だったからな。だがまあ、廃役ではなかった」
 そう言ってフランクは苦笑した。早とちりだったと冗談じみてつぶやいているような気がした。それから一転、彼は何か考えると、淡々と口にした。
「宰相府の果ての砂漠で倒れているな。眠っている」
「倒れている? 無事なんですね?」ぱっと顔を明るくする影法師。「ありがとうございます! アポも無しに押しかけて申し訳ありません!」
「死んだら新しいのだせばいい」鼻で笑うフランク。
「いや、それ勘弁してください。マジで」
 フランクは意味ありげに笑った。それからもう言うことはないというようにきびすを返す。
「うー…。ありがとうございました! ちょっと行って来ます!」
 そう言うと、影法師は駆けだしていった。


 有り体に言ってしまえば、退屈だった。
 退院はした。それからしばらくはフランク・ヤガミの世話になった。彼の方は、たびたび「手違いだった」「しくじった」という事を口にしていたが、まあいいと諦めた様子でしばらくは相手をしていた。だが、彼の住処が気に入らなかったことと、彼が好みでは無かったことが相まって、アララは勝手に出て行った。フランクの方もさして気にしていなかったようで、引き留めたりはしなかった。
 それから適当に歩き回った。宰相府を見て回り、いちゃラブしまくっているカップルがなんとなくむかついて吹っ飛ばしつつ、あまりにも退屈で、外に出た。外は果ての砂漠という場所で、一面が茶色い砂の丘になっていた。
 乾いた土地を、一人、歩いた。ざり、ざりと足の裏で砂のこすれる嫌な音が響いている。
 この乾いた土地は、自分の心境にぴったりだと思った。アララは笑う。退屈さ。空虚な心。気持ちの中心にぽっかりと空いた穴のようなモノが、呼吸する度に、からからと音を立てる。その音を聞くと、アララは何もかも捨てて消えてしまいたい気分になった。
 歩き続けていると、やがて、何もかもが面倒くさくなってその場に寝転がった。熱せられた砂が肌に触れ、じりじりと焼く。汗を掻くくらいの熱さが心地良い。しばらくすると、体が火照ってきた。少しだけ熱い息を吐く。
 しかしそのわりに、体の中は冷え切ったままだ。あるいはそれは、暖めるべきモノが空洞になっているせいかもしれなかった。
 どれだけこうしていれば、体の内まで暖まるだろう。それとも、それよりもはやく枯れて果ててしまうだろうか。
 それならそれでもいい。
 さあ。どちらが先か。アララは目蓋を閉じると、小さく笑って、眠ることにした。
 そして、夢を、見た。
 熱くなった体。ほとんど砂に覆われた自分。腹部にかかった砂の重みで、呼吸をするのが少しだけつらい。どんよりとした重さが頭の中で凝っている。静かに繰り返す呼吸。
 意識がもうろうとした感覚は、病院で意識を取り戻したばかりの頃と同じで、これが現実だという感覚がまるでない。
 このまま枯れて消えるんだなと思っていた。
 だが、突然、自分の上から砂の重さが消えた。そして、冷たい水がかけられて、誰かに抱きかかえられて運ばれた。
 でも、夢。これは夢。そうやって納得させようとする。本当の自分は砂の中に埋もれていて、とっくに枯れて死んでいる。
 そう思い込もうとしたけれど……。
 それでも、まあ……、
 抱きかかえられるのは、悪くない感じがした。


 そしてもう一度目を覚ました時には、アララは病院のベッドに横たわっていた。
 柔らかいベッド。清潔なシーツ。白い天井に白い蛍光灯。ただし蛍光灯は今は消されて、窓から差し込む陽光が室内を淡く照らしていた。開け放たれた窓から、そよ風が入ってくる。心地よさに眼を細め、それからアララは首を振った。
 まって。なんで私はここにいるの?
 砂漠で倒れたはず。そう思っていると、看護士がやってきた。体調を調べているようだったので、それに応じながら事情を尋ねる。どうやら影法師という男が自分を見つけ、ここまで運んでくれたらしい。
「あの男が? なんだってそんな余計なことを!」
 苛々とアララが言うと、看護士は窘めるように言った。
「余計なこと、ではないですよ。もう少し遅かったら危険なところだったんですから。もう少ししたら来ると思いますから、ちゃんとお礼を言ってあげてくださいね?」
 それこそ、余計なことだとばかりにアララは看護士を睨みつけたが、看護士の方は素知らぬ顔で部屋から出て行った。
 そしてほとんど入れ替わりくらいのタイミングで影法師がやってきた。彼は目の下に熊を作っている。睡眠不足なのか、少し不機嫌そうな顔だった。それでもアララがベッドで起きているところを見ると、ほっとしたように表情をゆるめたのだった。
「死のうと思ってたのに」
 開口一番、アララは言った。影法師がかすかに表情を変える。
「何故ですか?」
 ――それに答えられる完結な言葉はなかった。しかし、ちゃんと説明しようとすると、とても長くなってしまう。とてもそんな面倒なことをする気にはなれなくて、アララはそっぽを向いて言った。
「……なんとなく」
「そんな理由で……。俺は、2回も大切な人を失いたくないんですが」
 影法師の声が切実なのはわかった。だから一度睨みつけてやって、何か言おうとして、結局不満を口にした。
「それは貴方の都合でしょ?」
 相手は答えない。アララはふんと鼻を鳴らすと、ベッドに寝た。これは八つ当たりだな。心の中でそう思った自分がいたが、認めるのが癪だったので、そんな考えはどこかに追いやってしまった。
「もういいわ。今日はなんのよう?」
「……。お見舞いに来ました」
「見舞いね……」
「それとずっと渡せなかったものを渡しに」
 アララは影法師をちらりと見た。
「敵とかくれるの?」
 反射的にそう言ってから、アララはひとつ思いだした。そうだ。敵。敵がいれば、この空洞も埋められるのかもしれない。けれど影法師は苦笑して首を振る。
「敵をあげたらちゃんと生きてくれるなら、次持ってきます。残念ながらただのイヤリングです」
 やや気恥ずかしげに彼は言った。アララは黙って影法師を見る。冗談――というわけではないらしい。
 それなら、悪くないセンスだ。最良では、無いけれど。
「いいわね。光ってるものも好きよ? 男や敵ほどじゃないけど」
「…だいぶ不恰好なんですけども」
 そう言うと影法師はポケットを探ってイヤリングを取り出した。二つとも飾りが違う。一つは、赤い小さな球体がサクランボのように連なっている。もう一つは、いくつかの金属的な輝きの球体と、赤い球体が取り付けられたモノだった。
 アララはそれを受け取ると、指に挟んで光にかざした。それは確かに、彼が自分で言ったように美しく綺麗というモノではなかった。むしろどことなく不器用な感じさえする。
 ただ。悪い気はしなかった。
 悪い気はしない? いいや、それだけではない。
 ほんの少しだけれど。あの空虚さに、ほんのりと暖かいモノを感じた気が、した。
「…誕生日、おめでとうございます。遅れてすいません」影法師が言う。
「貰っておいてあげる」微笑んでアララは言った。「不恰好だけど、思いはわかるから」
 影法師はほっとしたように笑った。「ありがとうございます」
「お返しはなにがいいかな……」
 なにかないか。探すまでもなく、部屋にはたいしたモノは無い。
 ああいや、ひとつだけあった。
 アララはくすりと笑うと、少し口調を変えて聞いた。
「お姉さんの服の下がみたい?」
「見たいです。凄く」
 アララは笑った。なんとも素直な子。それからすぐに、服を脱ぎ始めた。


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引渡し日:2008/5/15


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最終更新:2008年05月15日 01:29