VZA@キノウツン藩国様からのご依頼品




一番昏い暗いのは夜明け前



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 もう何度目になるのか。
 通い慣れてしまった病院の、すっかり顔なじみになった受付に軽く頭を下げてVZAはゆっくり階段を上った。
 キノウツン藩国民VZA。
 取り立てて何か派手な戦功を上げたわけでもなく、容姿も十人並み、至って普通の学生に見える彼を、だがしかし人はその胸に抱いた情熱を以てスカーフの人と呼び習わす。
 その名の由来となった右腕に巻いた女物のスカーフが彼の歩みとともに揺れた。
 そのスカーフと彼にまつわる物語について今ここでは語らないことにする。
 ただ彼がスカーフの人と呼ばれている、それだけが重要だと覚えておいて欲しい。
 照明の抑えられた廊下。
 かつかつと靴音を響かせるリノリウムの床。
 薄緑色の壁。
 薬品の匂い。
 生と死の入り混じった匂い。
 病院の匂い。
 彼はそんなものに慣れていく自分と、その中に身を浸すようにして生きている少女を想った。
 身体が覚えているような歩みで、目指す病室に続く廊下に出ると、隆々とした巨躯を窮屈そうに緑色の制服に押し込んだ偉丈夫が立っていた。
「浅田ならともかく…。
なんでおれが…」
 同国のメイド長浅田を引き合いに出し、苦笑いを浮かべた偉丈夫谷口、またの名をターニにVZAは軽く頭をかいて答えた。
「あ、あははは。
 いや、すみません。警備とかその辺のプロといったら谷口さんしか頼れる人がいなくて。
 ああ、そういえば浅田が遥さんのことえらい気にしてたんですが、元気にしてますかね?」
「わからん」
 谷口は気難しそうに腕組みして頭を振った。
 第5世界の1999年当時、青森で幻獣軍との戦争に明け暮れていた彼等108師団の学兵は、数奇な運命の末キノウツン藩国へ辿り着き、かつての戦友達と再会を果たしていた。
 谷口にとって浅田とVZAは吉田ら戦友を介した共通の友人なのである。
「あらら。また浅田がたおれるなあこりゃ」
「吉田は隠れてねばりだすと強いぞ。
 一年二年はねばる」
「ははは、まあ浅田もいがいと執念深いですから、大丈夫ですよ。
まあ今はそれより真央に会わないと。
…正直僕も他の人のことを心配できる状態ではないですから」
「おにあいだな」
 心からの口調で短くそう結ぶと谷口はVZAに場所を譲るようにして背中を預けていた壁から身体を起こし、会釈した彼に手を振って廊下を曲がり歩み去った。
 VZAの願いによって真央を守るために。
 再び一人になって静寂が支配する薄暗い廊下でVZAは深呼吸を一つ、努めて自然な笑顔を浮かべる。
 二度、病室の薄いドアをノック、一拍を置く。
 返事がないことは予想していたのでそのままゆっくりとドアを開いて室内に入った。
 外と同じように殺風景で薬の匂いに満ちた病室。
 その中央に設えられたベッドの上、艶やかで長い髪の少女が上半身を起こして透明な視線で空を見ていた。
 視軸は間違いなく窓の外に向いているのに、その向こうにある何も目に入っていないような、身体をここに置いて魂でどこか遠くをみつめているような、そんな眼差し。
 彼はそんな彼女をただ美しい、とだけ思った。
「やあ、真央。
……調子は、どうかな?」
 こうして生きて会える喜びにざわめく心を抑えて笑みを送ると、ベッドの上の少女、真央も視線を窓から彼に移して小さく笑った。
 鈴木真央は長い戦争の末疲弊した世界の生まれだ。
 そのような日々で荒んだ同級生達に筆舌に尽くしがたい虐待を受け心を壊してしまっている。彼はそんな彼女のために全てを投げ打つ決意をし、決して少なくない時間を彼女とともに過ごしてきた。
 ゆっくりと、少しずつ、癒しを求める日々。
 行きつ戻りつ、時に事件に見舞われつつも献身的な彼のお陰で回復の兆候を見せ始めた矢先、彼女は何者かによって暗殺されそうになった。
 反射的に盾になったVZAの機転で一命は取り留めたものの、誰が、何の目的で彼女を狙っているかは未だ良く解っておらず、その懸念故に谷口に護衛を依頼したのだった。
 その時二人の腹部を貫いた銃創は今も重ね絵のように残っている。
 心の傷のみならず命に関わるような怪我を負った彼女を見て、一瞬沈痛な面持ちになったVZAは努力して笑みを取り戻すとパイプ椅子を引いて彼女が横たわるベッドの傍らに腰掛けた。
 シーツの上に投げ出された手を取る。
 元が華奢なのだろう、長い入院生活で瘠せ衰えた指は抜けるように白い肌を透かして静脈が見えて、触れれば壊れそうな印象を彼に与えた。
「……真央、その、さ」
 笑みを絶やさず瞳をみつめる彼に彼女は何、という風にみつめ返している。
 それは綺麗に澄んでいるけれども、まるで暗天を映す湖のように、静かで表情のない瞳。
「また、あえてよかった」
 小さな、滑らかなでいて冷たい陶器のような彼女の手に温もりを分け与えるように優しく握ってそう言うと、彼女は不思議そうに首を傾げ、そして顔を背けた。
 例え何となくでも彼女の感情が解る。それだけでも前進してるよな。
 彼は心の中で呟くと辛抱強く言葉を重ねた。
 心からの言葉と繊細な触れ合い。
 彼にはそれ以上の薬を持ち合わせていなかった。
「はは、いや、そのさ。真央と一緒にいられることが、こんなにも大切だって気付いただけだよ」
「……っ」
 声にならない短い吐息。
 はっとして手を放すと彼女の表情が劇的に変わっていた。
 つまりは激しい痛みによって。
 苦痛に顔を歪ませ浅く息をつきながら横向きにベッドに倒れ込み身体を二つに折る様子を見て、彼は慌ててナースコールのボタンを押した。
「真央っ、ああ…」
 彼の短い呻きを圧してけたたましく駆けてくる看護士の足音が近付いてくる。

 数十分後。
 処置を終えた看護士に『無理をさせないように』ときつく釘を刺された彼は彼女の傍らに居続けている。
 新たに鎮痛剤を投与する点滴を受けている彼女は、痛みの余り呆然とした視線で天井を見上げている。あるいは鎮痛剤か脳内麻薬が効きすぎているのか。
 何となく彼女と同じ天井を見上げた彼は、何にもあるはず無いじゃないか、と苦笑してから懸命にこちらに首を動かそうとしている彼女に気付いた。
 椅子を寄せて上半身を傾け、覗き込むようにして視線を合わせると、彼女は安心したように微笑んだ。
 微笑んだような気がするのではなく、はっきりと笑みを口元に浮かべている。
 血の色の抜けたその唇が微かにわなないて、何か言葉を発しようとしていた。
 一緒に口を動かして、声にならない言葉を聞き取ろうとする。
『す
 き』
 彼女はただその二文字を繰り返し、繰り返し、口にしていた。
 胸を突かれるような思いに捉えられつつ、微笑みを返す。
「僕も、真央が好きだよ」
 その言葉を聞いて、そっと瞼を閉じる彼女。
 微かに震える長い睫毛が、白い肌にか細い影を落とす。
 彼は額に落ちかかる髪をかき上げると、優しく唇を重ねた。
 微笑みを刻んでわずかに上気した唇にもう一度。
 彼が心から愛する少女の唇は、どうしてか血錆の味がした。
 その背中をかき抱くように、痛みに震える彼女のか細い腕が緩慢に上がりかける。
 その腕をそっと押しとどめ、チューブが当たらないように戻してから彼は自分から身を寄せた。
 少しでも痛みを感じないように。
 優しく微笑みながら艶やかな髪を何度も撫でる。
「真央。身体が治ったら、また、どこかに一緒にいこう」
 掌に伝わる生きている柔らかさと温もり。
 絡み合う視線と交わされる微笑み。
 今の二人の間には例え言葉は通じていなくても、心は通じ合っている感触が、確かにあった。
 どのくらいそうしていたのか、凪いだ湖のようだった彼女の瞳が細波を立てるように潤んで、わずかに薄紅色に染まった頬と唇が、自分を求めているのをはっきりと感じた。
 その刹那身の裡に湧き上がる彼女を守りたい、癒したいという気持ちと壊したい、一つになりたいという激情が鬩ぎ合いどうしようもない衝動となって彼を呵んだ。
 自分が泣き喚きたいのか、それともただ滅茶苦茶に暴れたいのか、よく解らないままに激情はやがて過ぎ去り、後にはただ嵐の後に照り返しを受ける海のような慈しみが彼の中には残っていた。
 傷に障らないようにベッドに一緒に横たわりそっと寄り添う。
 伝わってくるのは彼女の吐息と少女特有の甘いミルクの香り。
 病院着の薄い布地越しの華奢な身体とぬるい体温。
 見れば寝乱れた病院着の合わせからは血の滲んだ包帯が覗いていて、それが一層彼に深い悲しみと慈愛を自覚させた。
「……真央、僕は、君を愛してる」
 横たわったまま髪に指を通して囁くと彼女は不思議そうに瞳をみつめてきた。
「他のどんなものよりも好き、ってことかな。
 少し違うけど、そのうち分かるさ」
 解らない、と言うように再び天井を見上げた彼女に一瞬寂しそうに微笑むと彼は静かに身体を離してからもう一度優しく、その額に口づけた。
 それから闇の中に意識が滑り落ちていくのを恐れているのか、中々寝付けないらしい彼女の傍らでその横顔を何時までも見守り続けた。
 空が白むまで、何時までも。
 夜明けは、近い。

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 明かりの消えた二階の一室を見上げた谷口は、今夜の所は何もなさそうだな、と呟いて殺風景な病院の中庭に視線を戻した。
 厚い雲に覆われた夜空は真っ暗で、遠くにぽつんと水銀灯の明かりが見える以外に光源らしいものは何もない。
 まばらに植えられた木に寄り掛かり、自らを闇にとけ込ませて護衛の任を果たした谷口の耳は聞き覚えのある足音を捉えた。
「横山か」
「当たり。見張り、ご苦労様。
 差し入れ、コーヒーだよ」
 先にかけられた声に導かれるようにして、谷口と同じ緑色の制服に身を包んだポニーテールの少女が湯気を立てるコーヒーの紙コップを手渡した。
 病院の自動販売機から持ってきたものらしい。
「すまん。正直冷えてきたところだった」
「あはは。谷口、寒いのには強いと思ってた」
 故郷の冬を思い出したのか、快活に笑った横山は谷口の隣にしゃがみ込んで自らもコーヒーを口にして一つ息をついた。
 暫しの沈黙。
 コーヒーの立てる湯気と二人の吐息だけが白い靄になって漂い、消えていく。
「あいつら、上手く行くと良いな」
「うん」
 ぽつりと言った谷口に短く答えると横山は飲み終えたコーヒーのカップを握りつぶして勢いよく立ち上がり巌のような背中をどやしつけた。
 あつっと言いながら背中を丸める谷口。
 飲みかけのコーヒーがかかったらしかった。
「平気平気!あれだけの想いがあれば、通じないはず無いよ。
 真央にも、世界にだって」
「そうか?」
「だって私は前例、知ってるし」
 ちょっと愁いを帯びた表情を見せないように、くるりと谷口に背を向けて後ろ手を組んで空を見上げた。 
「そうか。
 横山が言うならまあ、そうなんだろう」
「そうだよ」
 同じ空を見上げているだろう、谷口に優しく答えて横山は瞳を閉じた。
 目を瞑っていれば世界は暗い。
 雲が厚くて星月の光は届かない。
 だけどその向こうにはちゃんと光が、満天の星空が広がっていることを誰もが知っている。
 それぞれ胸に思い描く誰かを抱えて影のようにたたずむ二人。
 東の空に、一筋、光が差し込み始めた。



拙文:ナニワアームズ商藩国文族 久遠寺 那由他



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  • 元ログより、あまりいやらしくならないよう気をつけたつもりですが、逆にタイトル通り暗めの話になってしまったかも知れません(;´ρ`)提出後は自サイトへの掲載を予定しております。何か些細なことでも気になりましたらお知らせくださいませ。メッセ&メール nayuta☆aurora.ocn.ne.jp -- 久遠寺 那由他 (2008-04-14 22:00:56)
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製作:久遠寺 那由他@ナニワアームズ商藩国
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最終更新:2008年04月14日 22:00