伯牙@伏見藩国さんからのご依頼品


またね (小笠原ゲームログ『憤怒の貝』より) ―伯牙さまに捧ぐ―

/ * /

――おはようと言った彼の顔が、なぜだか少しだけ悲しそうに見えた気がした。


なんでこんなことになったのか、全然わからない。
かすみは、パニックに陥っていた。
二人で、海にきて。
二人で、虹を見ようとして。
二人で、水しぶきを上げていただけだったのに。
虹が見えたと、二人で喜んでいただけだったのに。
なんでどうして、あんなにたくさんの蛇がかすみと伯牙を取り囲んでいるのだろう。
蛇は嫌。
蛇は怖い。
どうしてか抑えられないその恐怖で、かすみは必死で伯牙にしがみついた。
気がつけば首をしめてしまっていたような気もする。
伯牙は一生懸命何かを言っているみたいだったけれど、かすみの耳には全く入ってこなかった。
ついには気絶して、その間も、なんだか蛇に追いかけられるような気がしていた。
だから、目が覚めてすぐ伯牙の顔がそばにあって安心したけれど、でもまだ蛇に囲まれているような気がして咄嗟に伯牙に飛びついた。

「こ、こわかったぁ……!」
「…ゴメンな。何にも出来なくて」

伯牙が頭を撫でてくれてはいたけれど、まだ心臓がドキドキしてる。
体の震えもとまっていない。
なんでこんなに怖いのか全然分からないけれど、自分ではどうしようもなかった。
抱きついている伯牙の肩越しに、穏やかな海面が見える。
きらりと陽の光が反射した瞬間、またあの蛇の姿が見えた気がして、悲鳴を上げた。

「かすみ!ほら!落ち着いてって」

伯牙がかすみを落ち着かせようと肩に手をかけるが、すでにかすみの意識は再び失われていたのだった。



/ * /



――彼女が笑ってくれるなら、どんな犠牲を払ってもいいと思ったんだ、本当に。


なんでこんなことになってしまったのか、全然わからない。
いや、わかりたくないと言ったほうが正しいのかもしれない。
かすみに、嫌な思いをさせたくなくて。
かすみに、海を嫌いになってほしくなくて。
かすみに、ずっと笑顔でいてほしかっただけだったのに。
いや、そんなことは今となってはもういいわけにしか過ぎないのかもしれない。
目の前にいる貝は、すでに怒りを纏っている。
だが嫌だ。
渡せない。
他の何は渡せても、すでにかすみのものである本当の名だけは渡すわけにはいかない。
それは、すでに自分のものであって自分のものではないのだから。

「自分の本当の名前は、彼女だけのものです。それだけは」
「許さぬ! 許さぬ! 差し出せるものを差し出さぬなど! 契約不履行だ!」

手を差し出そうとも、神の怒りは治まるどころか激しさをましたようだった。
だが伯牙も引くわけにはいかない。
ここで、名前を渡すことはできないのだ。

「かすみと、彼女を想う気持ちは差し出せないと。言いました。この気持ちを差し出せない限りは、自分の名前は彼女のものです」

かすみが笑ってくれるなら、かすみとかすみを想う気持ち以外の何でも渡すつもりだった。
その誓いに偽りはない。
けれどそれは神にとって詭弁にすぎないのだろう。
呪われろ、という呪詛の言葉を残して、貝は海へ消えた。
伯牙は、貝の消えた海に叫ぶことしかできなかった。



/ * /



「ふわー。なんかいつのまにか眠ってしまったみたい」

かすみは、嫌にすっきりした気分で目を覚ました。
どうして自分は寝ていたのだろうと首を傾げる。
伸びをしながら伯牙を見ると、ふと目が合った。

「……おはよう?」

そう言って笑った伯牙の目が妙に穏やかで、かすみは少しだけ落ち着かなくなった。
とりあえず、にこっと笑い返す。

「おはよう。ごめんね、寝ちゃって」
「いや、いいよ」

気にしていない、と言う風に笑われてかすみは内心首を傾げる。
どうしたんだろう。
なんだかいつもと違う気がする。
訝しげにしているかすみには気づかず、伯牙は立ち上がると砂を払った。

「砂浜で座り込んだから汚れちゃうな」
「あ、ほんとだ」

見ればかすみも砂だらけだ。
立ち上がって慌てて砂をほろう。

「今日はつきあってくれてありがとう」
「ううん、こちらこそ! 楽しかったよ」

楽しかったよ、と言った瞬間、伯牙の顔が安堵に満ちた。
また感じるちょっとした違和感。
なんだろう。
そういえば、海で何をしていたんだっけ。

「さて、と。ごめん、かすみ。もう帰らなきゃいけないんだ」

送っていけないから、と謝る伯牙に気にしないでと首を振った。
別に一人で帰れるし。

「じゃあ……」

そう言って手をあげると伯牙はかすみに背を向けて歩き出した。
さくさくと砂を踏みしめる音。
遠ざかる背中に、何か焦燥を覚えて、かすみは思わず叫んでいた。

「伯牙、またね!」

伯牙の歩みが止まる。
1秒。2秒……
伯牙がゆっくりと振り向いた。

「うん、また」

光の加減でよく見ることはできなかったけれど、その顔がなんだか泣き笑いだったような気がして。
伯牙の姿が見えなくなったあとも、かすみはその場にしばし立ち尽くしていたのだった。



少し遅れましてすみません。
完成いたしましたので提出いたします。

えー、後半一部捏造しておりますが、お許しいただければ幸いです。



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最終更新:2008年04月09日 03:13