ミーア@愛鳴藩国 様からのご依頼品


/*まだ知らぬ時に*/


 視界に入る空は相変わらず青い。まぶしさに目を細めたくなるような景色を、草原に横たわりながら、一人の男が眺めていた。長い黒髪。いささかやせ気味の体は、すらりと伸びた長身によく似合っていた。そんな人物が草原に横たわり空を見上げているとなれば、それは旅人か、物語に聞く魔法使いではないかと思うかもしれない。
 ただし、服に隠された腹部の大穴に気付いたならば、全ての者が彼を後者だと思ったに違いない。
 その男、バルクは、ゆっくりと呼吸をして目を瞬かせた。空に小さな影が見える。いささか霞んだ視界をもう一度瞬きしてシャープにすると、その形が、見覚えのある鳥であることに気付いて、バルクは微笑んだ。小さく口が動く。名前を呼んだのかも、しれなかった。
 やがて鳥は警戒するように弧を描きながら降りてくると、何事かをつぶやいて、一人の女性の姿をとった。それは火の色の髪をした人物であり、名前をミーアと言った。彼女が心配そうな顔をしてこちらをのぞき込む。バルクは安心させてあげようと微笑んだ。
「良い腕です」
 先ほどの、鳥の事を言ったらしい。ミーアは少しだけほっとした風に表情をゆるめた。
「先生がいいからですよ。大丈夫ですか?」
「大丈夫です。すぐに直りますよ。……ただ」
「ただ?」
「お腹がすきました」
 ミーアは一瞬きょとん、とした後、苦笑気味に言った。
「お疲れ様です……美味しいもの作りますね」
 そう言ってバルクの手を取るミーア。
 草原の風に揺れながら、倒れた男と、その横に座る女。一枚の絵のような風景が、久方ぶりに訪れた、再会の景色であった。


 場所は変わる。あの後、二人は一軒家の宿舎に向かった。道中、あまり会話は無いが、さほどに空気は悪くない。穏やかな雰囲気に包まれたまま、家に入る。するとバルクはふいに立ち止まって聞いた。
「井戸はありませんか、近くに」
「井戸ですか?」首をかしげるミーア。水が飲みたいのかしら、と少し考えた。
「体が汚れているので、水浴びをしたく」
「なら部屋にお風呂が」
 あるかしら? あるんじゃないかな。たぶんある、と思う。ミーアが考え込んでいるのに気付かず、バルクが聞いた。
「かしていただけますか」
「あ、はい」
 こっちかな、と思って案内した場所にお風呂があった。ここです、と言ってからミーアはそそくさと台所に向かっていく。おなかが空いたと聞いていたので、何か作ろうと思ったのだ。何ができるかな、と考えていると、背後から呼びかけられた。
 え、背後?
「はい?」
 振り返ったら、そこにはバルクが裸で立っていた。うわー、えーと、と内心でつぶやきながらあまりあちこち見ないように目をそらす。ふいに脳裏によみがえってくる記憶。以前海辺で鎧を脱がしたとき全裸にひんむいてしまった事を思い出すと、あのときよりも成長したんだなーと何か妙な感嘆にふけった。あのときは慌てたあまりきゃーと悲鳴を上げてしまったのだった。
 油断すると思い出し笑いがこみ上げてきそうだったので、ミーアは注意しつつなんですか、と聞いた。
「風呂場の道具の使い方を教えてもらいたいのですが」
「え? あ、はい。わかりました」
 そうか、そういうのも知らないんだな。いろいろ知っているのに、いろいろ知らないんだ。ミーアはぼんやりとそんなことを思いながら、シャワーの使い方を教えた。それから石鹸とタオルの場所もてきぱきと教えていく。
「ありがとうございます」バルクは少し笑った。礼を言う。
 ミーアはぺこりと頭を下げた後、二秒考えて、言った。
「……背中ながしましょうか?」
「大丈夫です」バルクは言った。「お恥ずかしい話ですが、食べ物を用意していただけませんか」
「はい、では頑張って作りますね! お風呂ごゆっくりどうぞ」
 どれが恥ずかしい話なんだろう、という事はあえて考えないようにして、ミーアは張り切って台所に向かっていく。


 シャワーを浴びると、暖かい水に全身の汚れが流されていった。際限なく降り注ぐ湯が頭に触れて、つややかな黒髪やしっかりとした肩をつたって床に落ちていく。目をつむりながら、バルクはタイルにはねる水音が雨のようだと思った。
 頭から湯をかぶり、一通り体を洗ってからその間に風呂に貯めた湯に入る。こういう暖かい水浴びもいいなと思う。湖や川の水は、時々冷たすぎる。特に冬は。
 目をつむると、様々な記憶がよみがえってくる。多くは戦場だったが、中にはそうでない場所もあった。まだ戦いが終わり、次の戦いが始まるまでのわずかな間隙。新たな土地を目指すその一瞬に、時々、思いがけない経験をすることがあった。
 ミーアとの出会いも、いわばそういうものなのかもしれない。いや、そうなのだろう。戦いの間隙に見る泡沫の夢だ。
 だが、そうであるとしても、悪くない、と思う。自分を慕ってくれているし、そう、話している時間はなかなか楽しい。時々、困ったことを言うけれど、聞き分けが悪いというわけでもない。良い人だと思う。
 そして今はどうだ。自分は一人湯船につかり、その間に食事を作ってもらっている。まったく、自分は王様か何かになってしまったのだろうか? 精進が足りないな、と思う。このお礼は今度どこかでしなくてはならないだろう。
 ただ、どうやって、というところは考えるのが難しい。喜んでもらいたい。以前、鯨を見たときの事を思い出す。あれは喜んでもらえた、と思う。他にはどうだろう。
 自分がこれまでにしてきたことを思い出す。こういった時期にはよく考えることだ。戦災孤児を預かり、彼らの面倒を見ているときはしょっちゅうだ。子供達は楽しいこと、喜ぶことにかけては何よりも容赦なくて厳しい。油断しよう物ならば、あっという間に機嫌を損ねてしまうのだ。
 不器用な自分は、うまく相手をすることができなかった、と思う。いや、エノーテラのようになついてくる者もいることを考えれば、案外大成功だったのかもしれない。もっとも、いささか行き過ぎなところを感じないでもないのだが、それはそれ、である。好意に罪は無いだろう。
 あのとき自分はどうしていただろう――以前はなんといって子供達の、あるいは戦災に傷ついた人々と向き合っただろう。
 ――そして、一つ、思い出した。
 誰だかは覚えていないが、その人物は、ひどく子供に慕われていた。いいや、子供だけではない。大人も、老人も、あるいは動物も。その人物を見るとき、いつも一人ではなく、街にいれば人々が、森にいれば動物たちが、海にいれば魚や鳥と共にいた。
 その人物は、彼らと共にあるときには、良く歌を歌ったものだった。
 ――気付けば、記憶にあるメロディをなぞっていた。ただ思い出にしか存在しないその歌は、確か、バロも時々口ずさんだ音だ。そしてそれが聞かれていると知ったとき、決まってあの人物はしまったという顔をする。それが妙に印象的で、いつの間にか癖が移ってしまったのだろう。
 記憶をたどるように歌いながら、バルクはゆっくりと考える。
 自分が知っていることは多くない。できることもまたそうだ。腕はまだまだ。目指した者の何一つにもまだこの手は届いていない。努力しなければならない。
 そんな未熟な自分では、人を喜ばせるなんて大それた事が、難しく思えるのも当然かもしれない。
 何となく、楽しくなってくる。歌に引っ張られるように、バルクは少し笑った。
 ならばいつも通り。困ることは何もない。できる限りの努力をしよう。なんだ、簡単なことではないか。
 さしあたっては、そろそろ、風呂を出ることにしようか。


 風呂から出て行くと、ミーアはまだ台所で調理中だった。しかし、良いにおいがすでに漂ってきていて、それはバルクの食欲を撫でるようにくすぐっていった。
 ミーアはこちらを見ると、少し目を大きくした。
「髪の毛乾かさないと風邪引きますよ?」
「そうですね」
 バルクは頷くと、髪をタオルで巻こうとした。するとミーアがとことことやってきて、見慣れぬ機械を持ち出した。
「ドライヤーがありますよ、つかいますか?」
 ドライヤーとはなんだろうか。バルクは微笑みつつ、少し首をかしげた。ミーアはその様子に気付いて、にこりと笑って口を開いた。
「髪がすぐ乾きます、やってみましょうか?」
「はい」
 ミーアの指示をうけてバルクは椅子に座った。彼女はその背後に回って、ドライヤーのスイッチを入れる。風が送り出される音と共に、暖かな風が後頭部を叩いた。ミーアは髪の毛を指で好きながら、丁寧に風を当てていく。バルクの髪が、さらさらと流れた。乾き始めると、すぐにつやが出てくる。
「ほんとにキレイですね、バルクさまの髪」
「そうですか?」バルクは聞いた。それから少し笑って言う。「花臭くなければよいのですが」
「お花はお嫌いですか?」髪を一房手にとって持ち上げるミーア。臭いをかいだ。微笑む。「私はいいにおいだと思いますよ」
「エノーテラが、すぐに私の髪にすきこむのです。小さい時から、どうにも直らない癖で」
 はて、あんな知識を与えたのいったい誰だったのやら。そんなことを考えていると、背後でミーアが羨ましそうに言った。
「バルク様お顔もきれいだから、飾ってみたくなるのかしら」
「どうでしょう。怒られるのが好きなのかもしれません」肩をすくめるバルク。「ありがとう、かわいたようです」
「どういたしまして」
 バルクは髪を振った。天使の環が見える。背後でミーアが目を大きくして見とれた。小さくため息をつく。
「なにか」バルクが後ろを向いた。
「あ、いえ、キレイだなって、はい」顔を赤くしながら答えるミーア。「ごはんにしましょう!」
「そうですね」
 バルクはニコッと笑った。実は、かなりお腹がすいていた。
 それからすぐに料理が用意された。テーブルに並べられているのは鳥と豆をトマトソースで煮た物や、数種類の野菜を混ぜたサラダ、それからご飯だった。赤い煮物からふわりと香りが漂ってきて、それがこちらの食欲を異様にそそる。空腹の時の食事は偉大である。
「おまたせしました。お口に合うといいのですが」
「ありがたくいただきます」
「めしあがれ」
 バルクは凄い勢いで食べ始めた。実は、腹部の怪我も含めて、体の再生に大量の食事が必要だったのである。無心に食べるバルクの姿を、ミーアは感心するような、呆れるような表情で見つめる。それにしても量足りるのやらという不安やらを抱いた。
「満足しました。食べ物に感謝を」
 おおかた食べ終えると、バルクは満足そうに言った。ミーアもにこりと笑って返す。
「それはよかった。食べ物に感謝です」


 ――そんな夢を経て、バルクは、船を漕いだ拍子に目を覚ました。
 軽く頭を振る。まだ昔と言うほどの事でもないのに夢に見てしまうとは。少し苦笑する。
 頭がちゃんとしてくるまで待って、バルクは周りを見ようとした。が、肩が妙に思い。視線を向ければ、ミーアがこちらの肩にこてんと頭を乗せたまま居眠りをしていた。下手に動かない方がいいかな、と思いながら彼女の顔を見る。静かな寝息を立てている顔は、やや赤い。ほんのりと香のは先ほどまで飲んでいた彼女持参のお酒の臭いだ。
 このまま寝かせてあげるべきかな、と思ったが、しかし寝違えるかもしれない。それに、このままでは寒いだろう。バルクはできるだけゆっくりと体を動かし、ミーアの体を揺すった。
「あっ……ん……あ。なんでしょう? えと、そもそも、もしかして私、寝てました?」ぱちっと目を開くミーア。
「お互い、飲み過ぎましたね」笑いながら言うバルク。「立てますか?」
「あ……ごめんなさい、まだお酒が回ってるみたいです」
「では、ベッドに案内します。今日はそこで休んでください」
「え……でもバルク様は?」
「お気になさらず」
 いいながらバルクはひょいとミーアを抱えた。軽いな、と思いながら、夢の続きを思い出した。そういえばあの後も、彼女を抱えたのだった。理由は腹をくすぐられたからだったけれど。
「おや」
 そんなことを考えていると、ミーアはそのまま首に腕を絡ませて抱きついてきた。バルクは微笑んで、なんでしょう、と問いかけた。
「幸せです」
「私もです」
 お互い、小さく笑みをこぼす。バルクはそのままベッドに向かうと、彼女を横たわらせようとした。しかし、ミーアはからませた腕を外さない。
「どうしました?」
「もう少しこのままでいたいんです。駄目ですか?」
「まだ酔ってますね?」
「そういうことにしてください」顔が赤くなるミーア。
「わかりました」
 バルクはミーアをおろす代わりに、彼女を抱えたまま自らがベッドに腰掛けた。
「そういえば、前にだっこしてもらいましたよね」
「そうですね。同じ事を考えていました」
「あのとき、子供扱いしていたでしょう?」
「すみません」バルクは苦笑して頭を下げる。
「あ、本当にそうなんですか?」睨んでくるミーア。
「ええ。あのときは、好きだと言われるのも、なついてもらっている、というように思っていました」
「今はわかってくれているんですよね?」
 バルクは頷くと、彼女の耳元に口を寄せた。それから囁くように、言う。
「大好きですよ――カイエ」
 瞬間、さらに顔を赤くするミーア。好きと言われるのには慣れてきたと思ったけれど、まだまだだったらしい。
 ミーアは照れ隠しするように、バルクにキスをした。
「ここ、ベッドの上ですよね?」ミーアは小さく言う。
「あ、ええ、そうですね」
 言われて、顔を赤くするバルク。少し慌てた。
 まだ良いが残っているのかもしれない、と彼は思った。
 もちろん、前と違って、何もかもわかった上での思い込みだった。
 まだ知らなかった頃とはもう違う。
「……カイエ?」
 もう一度、名前を囁き帰る。返事を期待した。
 けれど、かえってこない。
 あれ、と首をかしげると、彼女は再び寝息を立てていた。
「……やれやれ」
 いろいろ言いたいことはあったが、その全てを飲み込んだ。自分は大人だな、と妙なことを思うバルク。
 そしてバルクは彼女をベッドにおろそうとして―――
 もうしばらく、このまま、彼女の寝顔を眺めていることにした。





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引渡し日:2008/04/08


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最終更新:2008年04月08日 07:02