伯牙@伏見藩国様からのご依頼品

 灰色の空が重くのしかかり、アスファルトの溶ける嫌な臭いが周囲に立ち込める。
足を一歩出す度に溶けたアスファルトが粘つく感触を靴底で感じて、神楽坂かすみは嫌な顔をした。
身体にはあまりよろしくなさそうな空気の中で走ることは正直なところ気持ちのよいものではなかったが、それでもかすみが足を止めなかったのは炎の中に見えた猫が気になったためと、伯牙が楽しそうに見えたためである。
加えて、走っている間は教室にも自室にも、今この瞬間も持っているスケジュール帳にも記された、「12月30日、補習」の文字を忘れることが出来たためでもあった。

「この先って中央分離帯な、」

 住み慣れた島の地図を頭の中に描き、かすみは走る。
袖を口と鼻にあて、何かよくわからないガスのようなものを吸わないよう気をつけながら。
数歩後ろを走る伯牙の方に顔を向けて角を曲がり、肌が焼けるような熱気を全身に浴びて弾かれるように前を向いた。

「……わぁぁぁ。」

 向き直った先では炎があがっていた。
バランスを崩しながらかすみが腕を振って速度を落としていく。
盛大に燃え上がる緑地に、かすみの頭が真っ白になった。
あまりにも現実離れした光景に、つい頭が見たばかりの猫を忘れ、タバコのポイ捨てでもあったのだろうかと考えはじめる。
熱気で目が乾いたが、瞬きの仕方を忘れてしまったかのようにかすみは立ち尽くしていた。

「かすみッ!!」

 名前を呼ばれて我に返った時には、かすみは道路に座っていた。
正確には道路に横たわる伯牙の上に、である。

「大丈夫!?」

 自分自身があまり大丈夫ではなさそうな格好で道路に転がりながら、伯牙が叫ぶ。
おそらくは抱えられて後ろに大きく飛んだのだろう。かすみの身体に痛むところはなく、顔に当たる空気はひんやりとしていた。
乾いた眼球を潤そうと、かすみが何度も繰り返し瞬きをする。
後ろから聞こえていたサイレンの音が変わったのを聞き、手を握っては開くことを数回繰り返して、頷いた。

「うっ、うん。」

 口の中まで渇いていたようで、言葉を発した拍子にかすみの喉から妙な音が鳴った。
ショックで青くなっていたかすみの顔が赤くなっていく。
口を手で隠して半ば奪うように伯牙からオレンジジュースを受け取り、一気に飲み込んだ。

「聞いた?!」

 顔を真っ赤にして叫ぶかすみ。
間の抜けた空気の抜ける音は、今度は鳴らなかった。

「……何が?」
「なっ、ならいい!ありがとっ!」

 伯牙の反応に、かすみはごまかすように勢いよく立ち上がって服を払う。
消防車が放水している横で少し足首を伸ばし、両手を握る。
再び走り出そうとして長く伸びる溶けたアスファルトの道を見てしまい、表情を強張らせた。
ゆっくりと伯牙に向き直り、泣きそうな顔で頭を抱えてしゃがみこむ。

「ど、どうしよう。考えてみたら絶対おいつけないかも!」

 溶けたアスファルトが緩やかに冷めていく。
少し涙目になったかすみの腕をとって、伯牙は笑った。

「大丈夫。絶対見つけよう。信じて動けば見つかるし、止められるッてね。」

 えー、という顔のかすみの前で伯牙はコンビニの袋から水を出して目を閉じた。
風がかすみの頬を撫でていく。火事に集まった野次馬の一部が、不思議そうに伯牙を見ている。
先程より強い風が、かすみの髪を吹き飛ばした。

「……。」
「ままー、あのおにいちゃん…、」
「シッ、見ちゃいけませんっ!」
「……………。」

 伯牙はいまだに目を閉じているが、風が吹いたきり何も起こらない。
様子を見ていたかすみは、野次馬の視線に耐え兼ね伯牙の腕を引いて走りだした。

「分かったー!分かったから、追いかけよう!」
「ごめん、雨、降らないみたいだ…。」
「さすがに雨は無理でしょ!」

 器用にうなだれたまま走る伯牙にかすみが溜息をつく。
溶けたアスファルトの道が向かう先の空が赤くなっているのを見て、息をのんだ。

「わ、…わー。」
「くそっ…!」

 国道の終わり、行き止まりの倉庫街は、明々と燃えていた。
煙が灰色の雲に溶けていく。煤だか炭だか分からないものが飛び、空が夕焼けよりも赤く染まる。
緑地から移動してきた消防車が無線で応援を呼び、燃える建物からは人が避難していた。

「あちゃー。」
「中の人は、大丈夫か?!」

 消火の邪魔にならない程度に離れた位置から避難してきた人々を目で数えて、かすみが頷く。

「大丈夫みたいだね……あー。プレゼントだけ? おくってくれたの?」
「と、後はメッセージも。プレゼントはおそろいのこれ自作だけど、と後はバスケットシューズね。」

 息を吐きながらその場に座り込んで、伯牙が右手のミサンガをかすみに見せた。
笑ってみせるかすみ。少し眉が垂れている。

「ごめんね。」
「ううん。いいよ、また作ればいいし。シューズは買えるしね。こっちこそゴメン。渡しそこねちゃって。あと、この惨事…。」

 慌てて伯牙が手と頭を降る。かすみの眉が少し上がった。

「ううん。なんだったろうね……あれ。」

 同じように手と首を降るかすみ。
揃ってこちらこそ、とばかりに手を降り続ける伯牙とかすみを野次馬が追い抜いていった。
人波が随分少なくなり、かすみが首を掻いて伯牙を見上げる。

「…えっと、帰ろうか?」
「って、そうか。これ、あげるよ。」

 同時に口を開いてお互いに苦笑する伯牙とかすみ。
伯牙がミサンガを外して、かすみの右手につける。手首についた輪を見て、かすみは微笑んだ。

「遅いけど、Merryクリスマス。」
「ありがとう。大事にするね」
「うん。ありがとう。」

 照れくさそうに笑う伯牙の隣を、ミサンガを見ながらかすみが歩く。
背後で燃える炎のせいで地面に長く長く伸びる影は、仲良く並んで歩いていた。

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 倉庫街から離れて数分。オレンジジュースの残りを飲みながらかすみが口を開いた。

「……さっきのことなんだけどさ、」
「さっきって?」

 首を傾げる伯牙。指を組んで腕を伸ばしながら、かすみが笑う。

「分離帯のところのこと。その、…止まれるから、ね?」

 しばらくの沈黙の後、伯牙が頭を抱えて身悶えた。
ごろごろと転がりまわる伯牙は、それでも興味対象としては燃える倉庫街に充分負けるらしく、二人が来た方へ走る野次馬は伯牙を無視して通り過ぎていく。

「そっか、そうだよね、ごめん…!」
「いや、謝らなくても……。」

 蒼白になって頭を下げる伯牙に、小さく噴き出すかすみ。伯牙に近寄ってしゃがみ、笑う。
地面に伏せたままかすみを見上げる伯牙の瞳が不安げに揺れた。

「私は、かっこよかったと思うし。」
「あ、……あり、がとう。」
「どういたしまして。じゃあ、帰ろう?」

 微笑んで立ち上がり歩き出すかすみの後ろで、伯牙が盛大に転んだ。

おまけ

 夜8時、小笠原は神楽坂家。

「ああっ! やっぱり溶けてるー!」

 昼過ぎにあった大惨事のせいでいまだに明るい夜空に、かすみの絶叫が響いた。
玄関で頭を抱えてうずくまるかすみ。
玄関には乱暴に脱ぎ捨てられたようなシューズが一組転がっていた。
のろのろと頭を上げ、転がったシューズを拾い、真っ青な顔でまた落とす。
ぱくぱくと口を開け閉めしているかすみの手からこぼれたシューズは、ごろごろと玄関を転がっていた。
靴底のゴムが無惨に溶け、そこに彫り込まれていたはずのブランド名はとてもではないが読み取れない状態になっている。

「うあああぁ…。」

 腕を伸ばしてシューズを回収し、絶望したような呻き声を搾り出しながらかすみは靴底にへばりついたタールを慎重に剥がしていく。
黒い塊を剥がしとったのと同時に、パリッという軽い音を立ててタールと同化していた靴底がはげた。

「うわぁぁぁ!!」
「近所迷惑!」

 目をぐるぐるにしたかすみが再び絶叫する。
家の中から家族に注意されてがっくりと肩を落とし、無言で靴を差し出した。
吊り上がっていた母親の眉が怪訝そうに寄っていく。

「…アンタ、最近よく物壊すわね……。」

 溜息まじりに呟かれてかすみの背が跳ねた。首を激しく左右に振り否定する。

「事故だから! 大事にしてるから!!」
「つい最近も制服…、」
「!! そっ、それも事故っ!」

 制服が駄目になった時のことを思い出してかすみの顔が耳まで赤く染まる。
シューズを見ていた母親はかすみの変化に気付かなかったようで、フローリングの廊下にシューズを並べ、溜息交じりに部屋へ戻っていった。
 母親の背中を見送ってかすみが深く息を吐く。
考えてみれば確かに、物が頻繁に壊れるようになったのも妙な出来事が起こるようになったのも、全て最近――伯牙に出会ってからのことであった。

「……おのれー。」

 手首につけたミサンガを睨みながらかすみは頬を膨らませる。
途端に伯牙の笑顔が思い浮かんで、勢いよく頭を振った。
ぶつぶつと唇を動かし、恨めしげにミサンガを見る。咳払いを一つ。

「…慰謝料として、もらっておくから。」

 誰にともなく言い訳じみた呟きをもらし、かすみは再び咳払いをする。
シューズを引き寄せてタールを剥がしはじめ、チラチラと視界でミサンガが揺れる度、あー…だの、うー…だの唸った。
 頭を抱えて身悶えた拍子に、バキッ、と嫌な音を立ててシューズの底が割れる。
穴からから玄関の扉が見えてかすみが三度絶叫した。

「お……、おのれ伯牙ー!!」


作品への一言コメント

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  • か、カッコいい!ありがとうございます!!当日はかなりバタバタしてたのに、カッコよくなってて嬉しいです!(笑)/そして、おまけSSをみてかすみにもう一速早めにバッシュをプレゼントしないとと思いました。。ごめんなさいッ、と。(笑) -- 伯牙@伏見藩国 (2008-03-08 23:49:40)
  • ありがとうございますー! 変な人っぽい描写が多くなってしまったのですが(笑)、喜んでいただけたようで安心しました。またかすみちゃんとラブラブ出来るようになるのを願っています。 ご依頼ありがとうございました。 -- 高神喜一郎@紅葉国 (2008-03-13 17:06:17)
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最終更新:2008年03月13日 17:06