久遠寺 那由他@ナニワアームズ商藩国さんからの依頼


 辺り一面に赤紫の花が咲き乱れている。
 穏やかな春風に導かれるように、二つの影がこの花畑の中に現れた。
 一人は、黒いズボンにイェロージャンパーを羽織った女だ。唐草模様の風呂敷包みを片手に持ち、もう片方で年端もいかない子どもの手を引いている。
 子どもの方は、クリーム色のトレーナーに緑の半ズボンを履いていた。オレンジのウエストバッグに提げた、黒いI=Dの人形のせいもあって少年のように見えるが、れっきとした少女である。
 髪は二人共に灰色で長さも肩の辺りまで。そして、やはり共に猫の耳と尻尾を生やしていた。
 女の左耳だけは黒かったが、それでも連れだって歩いている様は、仲の良い姉妹のように見える。
「やひろさん、ここが春の園ですよ。きれいですねぇ」
 女、久遠寺 那由他が少女に話しかけた。
 やひろと呼ばれた少女が、うん、と笑顔で大きく頷く。
「お花たくさんあるね」
 一面の花畑がよほど珍しいのだろう、やひろは緑の目を輝かせて辺りを見回している。
「蓮華ですねぇ。正式には、レンゲソウですが」
「れんげ?」
「ええ、この花の名前です」
「れんげはきれいだね」
 「そうですね」と返しながらも、那由他の心はここにあらずだった。やひろほどではないが、琥珀の瞳を彷徨わせている。
「我が石田隊長と大阪さんは、いずこへおいででしょう」
 心中がぽつりと漏れた。
 この那由他という女、石田咲良に惚れ込んでいる。どれほどかというと、前日などは緊張のし過ぎで魂が抜けているかのような状態に陥るほどだ。
 本人曰く、初めて会った時よりはマシな緊張の程度、だったそうだが、誰もそんなことは信じまい。やひろにまで心配されていたのだから。
 一方のやひろは、大阪万博に好意を持っていた。この娘、そもそもナニワアームズ商藩国逗留理由自体が、大阪を見かけたから、というひどいものである。
 ともあれ、やひろの保護者をやれる程度には回復していた那由他は、本日の約束の相手たちを探していた。
「きっとすぐ見つかるよ。えーっと……」
 那由他に答えながら、やひろも花ではなく人を探すように見回し始めた。
 石田を見つけたのは那由他だった。嬉しそうに蓮華を集める石田に、那由他は安堵する。
 那由他としてはすぐにでも石田の方に駆け寄りたかったが、ぐっとこらえて大阪探しを続けようとした。
 と、やひろが那由他の手を引っ張った。やひろを見下ろせば、やひろは那由他の隣を見て首を傾げている。
 釣られて那由他が隣を見ると、大阪がいた。ただし半裸で寝そべっている。
 那由他は眼鏡のズレを直した。
「大阪さん……あー、なんというか」
 何を言うべきか言葉を失っていると、やひろが口を開いた。
「ねえ、あついの?」
「大人になれば分かるさ」
 やひろは更に首を傾げた。
 那由他を見上げるが、那由他は那由他で「あー」と言うと、小さく咳払いをした。
「そうでした、この前は危ないところありがとうございました。
 これ、よろしければお召し上がりください」
 風呂敷の中から濃紺のギフトバッグを取りだして大阪に差し出す。
 大阪は半裸で寝そべったまま笑った。那由他、大阪のセクハラまがいの行為には無視を決め込んだのか、まったく動じない。
「ま、俺が守ってやるから、安心しな」
 那由他からギフトバッグを受け取り、大阪は早速バッグの口を開けた。中から出てきた手作りのチョコレートを、遠慮なく食べ始める。
「ふふふ。頼りにしています。
 それでは申し訳ありませんが、やひろさんをお願いいたしますね」
 石田はようやくこちらに気づいたのか、立ち上がって走ってきた。手に蓮華を持って、嬉しそうに笑っている。
「見てみて、花が一杯」
 だが、その表情もすぐに不思議そうなものに変わった。傍に寄った那由他が、どこか心配そうに尋ねる。
「石田隊長、どうかなさいましたか?」
「あついの?」
 石田の視線は、案の定大阪に向いていた。
 那由他は心の裡で、微かに笑った。
「あー、大人の嗜みだそうです。お気になさらない方が」
 石田は那由他を見て、やひろを見た。同じ質問をした二人が、鏡のように首を傾げる。
「うるさいところだな。ここは」
 大阪は起きあがると、いそいそと服を着た。純粋な質問が二つも続いては、流石に耐えられなかったらしい。
 それから立ち上がって、皆から数歩離れた。
 那由他はやはり心の裡だけで微かに笑うと、「石田隊長」と呼びかけた。
「この前お約束した物なのですが、これ……。
 時期遅れですがチョコレートも、お召し上がり頂けると嬉しいです」
 風呂敷から二つのギフトバッグを取りだして、石田に差し出した。
 ひとつには今言ったばかりのチョコレートが、もうひとつには手編みのミトンが入っている。
 石田は感嘆の声を上げたが、すぐに蓮華の花束が手を塞いでいることに気づいて、困ったようにギフトバッグと花束を見比べた。
「あ、お持ちしましょうか?」
「ありがとう!」
 那由他の顔が耳まで真っ赤に染まる。
 緊張でぎこちない動きになりながらも、石田から花束を受け取り、代わりにギフトバッグを渡した。
「お気に召していただけると、嬉しいのですけれど」
「うん! 食べる」
 笑顔でその様子を見守っていたやひろが、唐突に「あっ」と声を上げた。
 那由他が譲るように一歩下がり、やひろが石田の前に出る。
「わすれてた。今日は来てくれてありがとう。初めまして、やひろです」
 やひろはぺこりとお辞儀した。
「やひろ? 私、石田」
「石田。なんて呼べばいい?」
「隊長!」
「分かった! 隊長、よろしくね!」
 上機嫌の石田に、笑顔で返すやひろ。
 那由他はついに見ていられなくなったのか、切羽詰まった表情で切り出した。
「あ、じゃじゃあわたしは。
 我が隊長、とお呼びしても良いですか!?」
「いいよ?」
「わぁ、ありがとうございます!」
「なーちゃ、よかったね」
 那由他が石田を、石田に隠れて「我が隊長」と言って憚らないことを、ナニワの民ならばやひろでも知っている。
 だが、そんなことを知るよしもない石田は、笑顔を浮かべつつも不思議そうである。
「やひろさんもありがとうございます」
 よほど嬉しかったのだろう。そのまま飛んでいってしまいそうなほど、那由他の耳はぱたぱたと動いている。
 やひろはうん、と頷くと、ひとり下がっていた大阪に駆け寄った。
 那由他はやひろを見送って、少し離れた場所を手で示した。
「我が隊長、あちらで花摘みでも。首飾り作ってみませんか?」
「うんっ、やる!」
 石田と那由他は蓮華畑の中に座り込んだ。
 やひろは大阪を見上げると、石田の時と同じように言ってお辞儀をした。
「今日は来てくれてありがとう。初めまして、やひろです」
「守備範囲外なのが残念だな」
 顔を上げて、不思議そうに大阪を見る。シュビハンイガイという言葉が、よく分かってないようだ。
 だが、大阪が優しく髪に触れると、すぐに嬉しそうに笑った。
「ねえ、名前は? なんて呼べばいい?」
「俺の名前かい?」
「うん」
「……だ。秘密だぞ。普通では大阪と言え」
「うん! だれにも言わないよ。ひみつだね。おおさか、おおさか」
 忘れないようにか、繰り返し名前を口にするやひろ。
「頼む」
 念を押す大阪に、笑顔のままこくこくと頷いた。

 そして大阪の視線はやひろから外れた。
 やひろが首を傾げて視線の先を辿ると、石田がいた。
「まず一つの花の茎をよじってこう、これを繋げていきます」
 石田は那由他の花編みを、穴が空くほどじっと見ていた。
 那由他の手から、蓮華の花紐が素早く作り出されていく。
「良い長さになったら端を留めて……。出来上がりです!」
「すごい!」
「ふふ。子どもの頃はシロツメクサでよく遊びました。我が隊長もやってみますか?」
「うんっ、やってみる」
 そう言いつつも、那由他の手先から石田の視線は外れない。
 那由他は石田の隣に座り直すと、言葉と動作で丁寧に編み方を教え始めた。
 一本一本の蓮華を丁寧に摘み、那由他の真似をして少しずつ石田は花紐を編んでいく。
 やひろがもう一度大阪を見上げると、大阪はやはり石田を見て、笑っていた。
「おおさかは隊長が好きなの?」
 まるで天気を尋ねるような調子で、やひろは聞いた。
「いや。俺はみんなが好きだね」
「おれも?」
「ああ」
「ありがとう! おれもおおさかが好きだよ」
 やひろは笑顔で言った。
 だが、大阪は聞いてるのかいないのか、どこか遠くを見て目を細めた。
「だが愛とは強欲だ。俺はいつも、誰かの一番になりたがってる。馬鹿な話だな」
「なれるよ」
 やひろは微笑んだ。
 笑ったのではない。まったく見た目に釣り合わない優しい表情で、微笑んだのだ。
 だが、それも一瞬。大阪がやひろを見るよりも早く、やひろはその表情を消した。代わりに誰にも向ける、よく似合った笑顔になった。
「ありがとうさん」
 大阪も笑って、やひろを撫でた。嬉しそうに撫でられるままになるやひろ。
 那由他は花を編みながら、心の裡で復唱していたことを口に出した。
「そういえばこの前と今日と、甘い物を召し上がっていただきましたが、我が隊長は好きな食べ物とか、ありますか?」
 石田からの返事はない。
 気になって那由他が石田を見ると、石田は花編みに夢中になっていた。
 集中していると何も聞こえなくなる性質なのだろう。
 那由他は微笑んで、石田を見守った。
 だがしばらくすると、はっとして手を頬に当てた。自分が笑っていることが、信じられないようだった。
 そして、気を取り直して口元をほころばせ、那由他は蓮華を摘んだ。石田から預かっていた花束を揃えて、茎の部分を蓮華でひとくくりにする。
 なくさないようにか、花束は大切そうに風呂敷に包まれた。
「できたー!」
「おお、見せてください」
 石田が勢いよく立ち上がった。花輪を掲げて、くるくると回る。
 那由他は笑顔で拍手をして、石田を褒める言葉を紡いだ。
 やひろも笑って、石田たちを見ていた。
 大阪だけが寂しそうだった。
 やひろは大阪を見上げて、数秒だけ微かに表情を曇らせた。
「あのね、しゃがんでくれる?」 
 言われるままにやひろの前にしゃがみ込む大阪。
 やひろは大阪を抱きしめた。応えて大阪がやひろを抱きとめる。
「どうした?」
「ぎゅーしてほしそうに見えた。ちがった?」
 大阪は笑ってやひろを離した。
「違うね」
 言ってやひろの両脇に手を入れて体を持ち上げると、自分の両肩の上にやひろを座らせた。
 やひろは小さく驚きの声を上げて、バランスを取った。大阪の頭の上に、小さな両手が載せられる。
 大阪が立ち上がり、やひろの視界が上がる。赤紫の蓮華畑が、遥か遠くまで綺麗に見えた。
「わあ、たかーい!
 すごいね。おおさかはすごいねー!」
「そうか」
 大阪は満面の笑みで石田の傍へ寄った。
 石田の前で膝を折ると、石田は分かっていたように自分の作った花輪をやひろの頭に載せた。
「さんきゅ」
「隊長! ありがとうー!」
「うんっ。私は最高最新の新型だ」
 大阪はゆっくり、石田たちの周りを歩く。花冠を載せたやひろを肩車して。
「楽しそうですね~。大阪さん」
 那由他は微笑んで言うと、腕時計を一瞥した。
 楽しい時は早く過ぎてしまう。那由他とやひろがここにいられるのも、あと僅かしかなかった。
 小さな緊張を隠して、那由他は言う。まだ、とびっきりのものを渡してなかったのだ。
「そう言えば我が隊長、この前お会いしたあと、絵本を書いてみたのですが。
 ご覧になりませんか?」
「うんっ、見る。絵本は大好きだ!」
 石田の返事に心からの笑顔を見せ、那由他は風呂敷に残っていた絵本を取りだした。
 蓮華の上に自作の絵本を広げれば、石田が歓声をあげて絵本の前に座り込む。
 那由他もすぐ隣に座って、読み聞かせ始めた。
「むかしむかし、あるところに……」
 食い入るように絵本を見る石田と、穏やかな表情で朗読する那由他。
 二人の姿を優しく見下ろして、やひろも自分のウエストバッグに手を掛けた。
 バランスが崩れて不安定になり、慌てて大阪の頭の上に手を戻す。
 何かを察したのか、大阪が頭上のやひろに尋ねた。
「降りるか?」
「うん!」
 大阪がやひろを降ろすと、やひろは飛び跳ねるようにして大阪の前に回った。
 バッグから取りだしていたのは、リボンのかかった小さな箱。
「えっとね、バレンタインデーなんだって。もうすぎちゃったけど。
 だから、チョコもらってくれる?」
 大阪は嬉しそうに笑って受け取った。
「今年第一号で最後だな。ありがとう。大事にしておくよ。
 いや、さっき食べたから第二号か」
「えへへ。みんなにはひみつだよ。ほかのひとにはあげないんだ」
 笑顔で髪に触れられ、やひろも大阪に笑い返した。
 一方、何とか絵本を最後まで読み上げきった那由他は、石田の顔を見て言った。
「……という、おはなし。いかがでしょう? 我が隊長。
 このおはなしの終わりはどうなると思いますか?」
 那由他の声に気づいて、振り返るやひろ。
「意味不明。続きを急げ」
「はっ。了解いたしました」
 那由他は敬礼した。
 那由他の口から、物語が溢れ出す。頭に浮かんだ絵本の最後は、あたかもページが続いているかのようなリアルさを伴って読み上げられた。

 ――いいよ。くろみみねこ。おひめさまは黒耳猫ににっこり笑うと手を差し出しました。
 ありがとう、ありがとうございます。おひめさま。黒耳猫は嬉しすぎて目が回りそう。
 二人は仲良くおしゃべりしてお花を摘んだりおやつを食べたり、楽しい一時を過ごしたのでした。

「おしまい」
「いい話だ!」
「はっ。ありがたきしあわせ~!」
 はしゃぐ石田と自然に笑っている那由他を見て、やひろは誰にも分からないほど小さな溜息を吐いた。
 やひろは、那由他が今日何を持ってきているのかを知っていた。絵本が未完成だったことも。
 それから大阪を見上げようとして、
 ――ありがとう。
 ふいに大阪の声が聞こえた気がした。
 それがひどく優しく響いたようにも思えて、やひろは驚いて振り返った。
 そこには一面の蓮華畑だけが変わらずにあって、他の何も――足下の自分ではなく、どこか遠くを寂しそうに見ていた青年は――見あたらなかった。



 エピローグ

 春の園、蓮華畑からの帰り道。仲良く手を繋いで歩く、姉妹にも似た二人がいた。
「花束預かってたままでした」
 はっとして唐草模様の風呂敷包みの中を確認して、姉の那由他は途方に暮れた。
 過ごした時間があまりに穏やかで楽しかったため、返すのをすっかり忘れていたのだった。
「おれもお花もらったままだよ。おそろいだね」
「そうですね」
「えへへ。えっとね、ドライフラワー? にするときれいなままなんだって。
 かんむりもきれいなままかなぁ。なーちゃ知ってる?」
 那由他は微笑んだ。妹のやひろに似合っている蓮華の花冠は、我が隊長の習作でもあった。
 やひろの頭と冠に触れれば、やひろは笑顔で那由他を見上げた。
「帰ったら、やることがたくさんありますね。絵本も、完成させませんと」
「すてきなえほんになる?」
「ええ、もちろん。
 おひめさまと黒耳猫たちは、四人で仲良くおしゃべりして、お花を摘んだりおやつを食べたり、楽しい一時を過ごしたのでした。
 めでたしめでたし」
 わあ、と声を上げて、やひろは嬉しそうに笑った。
「おひめさまよかったね。ともだちが三人もふえたね」
 肯定の返事をして、那由他は心の裡で苦笑した。
 やひろさんも我が隊長と同じで、分かっていないんだろうな。
 そんなことを考えながら、左の黒い猫耳を動かした。

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御発注元: 久遠寺 那由他@ナニワアームズ商藩国
http://cgi.members.interq.or.jp/emerald/ugen/cbbs_om/cbbs.cgi?mode=one&namber=185&type=123&space=15&no=


引渡し日:2008/04/06



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最終更新:2008年04月06日 10:13