瀬戸口まつり@ヲチ藩国様からのご依頼品
/*触れ得るもの*/
やけに眩しい青い空。風は弱く、広い川は緩やかに海へと水を流し込み続けている。
川をまたぐ橋の手前に交差点がある。そこで一人の学生が信号が変わるのを待っていた。平日の昼間、見事に学校をサボった青年はあくびを噛み殺しながら信号を待ち続ける。
そして、色が変わる。横断歩道をとぼとぼと渡り始めた。
直後、
ものすごい勢いで軽自動車が駆け抜けていった。
タイヤがアスファルトの上ですれる甲高い音と、突風のような強い風だけが取り残される。
「……何があったんだ」
呆然とつぶやく青年の声に答える者は誰もいない。
さて、何があったのかというと……。
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所はヲチ藩、天気は快晴。その中を軽自動車がのんびりと走っていく。街道は広く、緩やかな道を走る車の数は不思議と多くない。正面に見える山は高く、その真ん中を削るようにして大きな川が降りてきている。
高之は助手席でのんびりと景色を眺めていた。そういえば、ヲチ藩に来るのは初めてである。損なことを考えながら、高之はあるものを探していた。しかし、あまりいいタイミングがない。いかにもリラックスした雰囲気を装いながら、仕方ないと、高之は機を待つことにした。
待つなら待つで、もう少し有意義に。
「いい景色だな」
そう言いながらまつりを見た。彼女は今日は私服姿だ。白いワンピースで、蒼い花柄があしらってある。うっすらと化粧をしており、車通りの少ない道をのんびりと進めている。それでも時速は70キロ以上出ているのだが、これだけ広い道ならこんなものだろう。
やがて都市部を抜けて、橋に向かっていく。向かうにつれて徐々に交通量は増えていく。いつだって、川によって二分された土地では、それをまたぐ橋が交通の要となる。ヲチ藩国でもそれは同様であり、これまで信号をノンストップで進んでいたこのまつりも、ついに橋の手前の交差点で信号待ちをすることになった。その後ろに、車がぞろぞろとならび始める。
サイドブレーキをかけてシートに背中をぺたりとあてる。信号早く変わらないかなぁといった顔で前を向いている彼女に、高之は不意に声をかけた。
「指はだせるか?」
「え、あ……手?」
まつりは戸惑ったようにつぶやいた後、前を見たまま左手を伸ばした。助手席に乗っている高之は、ポケットから指輪を出すと、そのまま彼女の指にはめた。
「え」
目を丸くするまつり。そのままじっと、うっすらと青い宝石のついた指輪を見つめた。
「信号、変わったぞ」
「や、やぁん」
かなり慌てているらしい。妙な声を出すと思い切りアクセルを踏み込んだ。サイドブレーキを無視して発振する車。急いでブレーキを放したらさらに加速。ようやくアクセルを話した時には、もう橋の半ばまで来ていた。先頭に停車していて良かった。
「やだ、もうー」
どう聞いても照れているようにしか聞こえない声に、高之は何も返さず、外を見ている。その顔に楽しげな微笑がひらめいたのを、まつりは見られなかった。勿論、代わりに、彼女が顔を真っ赤にして隠しきれない笑みを浮かべていたことも彼は見られなかったので、この場合、おあいこと言ったところだろう。
「こ、この町に小学校があります!」
「ああ」
うわずった声の説明に返す声は楽しげだ。まつりはこっそり深呼吸をしながら車を進め、農業区域の砲へ向かっていく。高い建物はどんどん無くなっていき、平たい土地、円形のドームなどがならび始める。高之は窓を開けて風を浴びた。
やがて到着したのは、ある一軒家だった。二階建てで屋根が急勾配の、ごく普通の北国の家屋に見える。
今日の目的地、まつりの購入した家である。
「……はぁ。ど、どう?」
緊張した声。高之は家を見上げた後頷いた。
「いいじゃないか」
「うん。中に入りましょう」
顔を見なくても、ぱっと明るくなったのがよくわかる。高之は内心でくすくすと笑った。そしてまつりを先頭に、二人は家に入っていく。そして今度はまつりの横を歩く高之を見て、それから自分の指に目を向けた。
そこには小さな石のついた指輪がある。シンプルなデザインの、うっすらと青みがかった宝石がついている。後で聞いたところ、その石はアクアマリンというらしい。
再び高之を見る。
「……」
その手にも、同じ指輪があった。
「高之さん」
振り返る高之。少し目に涙が浮かんでいるまつりを優しく見つめた。
「ううん。呼んでみただけ」微笑むまつり。「どうぞお先に」
「もっと高いのもあったんだがな」
「値段なんか」
そう言ったあと、まつりはもう一度高之の手の指輪を見た。
とん。
気付いたら抱きついていた。顔を埋めるように肩にあたりにくっつけて、両手は広い背中に回している。高之はしばらく黙った後、口を開いた。
「洒落た台詞はいいあきたから、態度だけで」
「ん」小さく頷くまつり。
「愛してる」
「私も」
そして面を上げる。まっすぐ顔を見て、まつりは言った。
「愛してます。貴方を」
「ああ」
そして高之も同じように背中に手を回してきた。どこか包むような感触が、意外な柔らかさを感じさせた。
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家を見て回った。黙っていると、いろいろと説明をしてくれた。玄関から入って廊下を曲がってすぐの部屋は、キッチンと和室の続いた部屋。扉はなく、奥の階段まで一望できる。その意図がわからないでいたら、「仕切のない家にしたかったの」と彼女は言った。
「家に入って、階段を上がるには必ず居間を通るのよ」
「いいね。将来的なことが考えてある」
「ええ そりゃもう 大事な家ですもの」
そして二階に上がると、すぐにバルコニィに出られる。そこからはまだ手つかずの庭を見下ろすことができる。下草が生えているだけの庭を見て、盆栽でもするかなとか、温室を作りたいと言った話をする。
「そうか」
そして高之はそういうと、ふいにまつりを抱きしめた。背中から前へと腕を回してきて、抱き寄せられる。まつりは不思議そうな顔をして後ろを見た。
「どう、したの」
「なんとなく」
そう、本当になんとなくだった。
なんとなく、自分は幸せだと思って、
なんとなく、それを確かめたくなった。
「キスしてくれてもいいですよ」
少し期待するような目を向けてくる。
「やめとくよ」
高之は悪戯っぽく笑った。
「俺のキスは高いんだ」
「……いつの間にか値上がりしたのね」すこしジト目のまつり。
「でもそうだな」頷く高之。そしてわずかに小首をかしげて「頼まれたら」
短い沈黙。彼女は頬を赤くしながら言った。
「キスしてくださる?」
高之は微笑むと優しくキスした。
確かに、幸せだ。確認するまでもなく、高之はそう思った。
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引渡し日:2008/08/28
最終更新:2008年08月28日 20:39