梨田昌孝

1953年8月4日生まれ 島根県出身
1971年ドラフト2位で近鉄バファローズ(当時)に入団

現役時代に打席で両腕をくねくねさせるいわゆる「こんにゃく打法」を開発してから長きにわたり
近鉄バファローズの正捕手の座となる。1988年まで近鉄一筋で活躍し、引退。
引退後は一時期解説者となるが1993年に古巣近鉄にて一軍作戦兼バッテリーコーチとして復帰。
その後は二軍監督→一軍監督となり、2004年にオリックスと合併するまで務める。

2005~07年まで解説者に復帰していたが、2008年からヒルマンの後を継ぎ、ファイターズを率いる駄洒落ダンディ。
サウナでさっぱりええ男。

謎采配や中田冷遇、試合後コメントの語り口などから叩かれる事も多いが、大阪近鉄・北海道日本ハムと2球団をリーグ優勝に導いたんだから名監督なんだろう…たぶん。

2011年シーズンを以て退任。その後は解説者に復帰したが、2013年WBC日本代表の野手総合コーチに就任することとなった。
そして2015年オフには楽天の監督に就任。自身として初の日本一を実現できるかどうか。

選手とのカンケイ?

  • 中田を冷遇してるように見えるが本当は「可愛くて翔(しょう)がない」らしい。
  • 稲葉の頬を心配して、皮膚科を紹介している。
  • 二岡の身体を心配して、二岡は感謝を述べている。

いてまえ打線と機動力の野球

~失った場所での経験~
2000年、梨田監督は近鉄時代からつなぎと機動力、守りの野球を目指していたが、近鉄というチームがいてまえ打線という物理攻撃チームで不得意な術の習得でMPが切れてしまい、六位と失速。その後、いてまえ打線の復活で01年にリーグ優勝、Aクラスとチームに貢献する。ただし監督は安定しない物理攻撃は嫌いだったらしい。
~場所は変わって日ハム~
ヒルマン監督時代、06〜07年の秘術スモールベースボールは打線が弱く(と言うが、06年は以外にビックバン打線7割、犠打、盗塁によるつなぎの打線3割とどちらかというと物理攻撃を主体で攻めていた。現にホームランはリーグトップ。)07年は日本シリーズで中日と戦い、歴史的な完敗と日本中に攻撃力の低さを露出してしまった。
梨田監督が就任後、08年は打率こそ低いが犠打、二塁打、本塁打を増やし、ビックバン打線(いてまえ打線?)の融合(ハイブリット化)に取り組んだ。そして、09年は走・攻(巧)・守に長けたチームを育てリーグ優勝した。

語録

  • 「ファンは宇宙一」
北海道初総理大臣のあだ名が「宇宙人」なのでそれに引っ掛けたんじゃないだろうか?それとも、ヒルマン監督が「「ホッカイドウノ ミナサンハ セカイデ イチバンデス」と言ってしまったからそれ以上の言葉がなく宇宙一が出てきたのかも。ただ、共通して言えることはファンサービス精神はヒルマン監督に負けず劣らずのところがある。

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最終更新:2015年10月19日 11:17