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秋森良樹編 第四話『ずっとそばにいてくれたキミ』(1 前編)

 何が原因だったのか、今はもう覚えていない。
 けれど、それはほんの些細な事だったはずだ。
「話しかけんなよっ!」
 蔑んだ目で子供が俺を怒鳴りつける。俺の、友達だった子だ。
 その言葉が信じられず、俺は回りにいるはずのほかの友達を見る。
 けれど、帰ってきたのは侮蔑と悪意の視線だけだった。
「いいザマだな」
「あたしたち、なんでこんなのと一緒にいたのかしらね?」
「なあ、みんな行こうよ。こんなのと一緒にいるなんて、時間の無駄だよ」
「そうそう。こんな生きてる価値もないようなのなんて、ゴミだもんね」
「いこーいこー」
 子供たちは、あざけるように笑いながら俺から離れていく。
「どうして……?」
 俺の口から、声変わりする前の、子供子供した呟きがもれる。
 走り去る背中に伸ばした手は、ぷっくりとした子供の手。
 ……ああ、夢だ。俺は気付く。
 昔あった事。
 出来れば思い出したくない記憶。信じていた友達からの理由もない、突然の裏切り。顔見知りの
主婦達から受ける、謂れの無い白い視線。
 俺が転校を余儀なくされた、忌まわしい思い出。
「なんでだよ……」
 知らない街で、俺は一人歩いている。唇をゆがめて、こぼれそうな涙を我慢して。
「どうして、こんなところにこなきゃいけないんだよ……俺がなにしたって言うんだよ……」
 口から出るのは悔しさのにじむ嗚咽のみ。もう誰も、信じられるとは思えなかった。信じても、
いつかは裏切られてしまうから。

 俺の歩調に合わせて、景色がゆっくりと流れていく。
 知らない風。
 知らない街。
 知らない家。
 知らない人。
 知らない……知らない……
 学校にも、生まれた街にも居場所をなくした俺は、両親の勧めで遠くの町に引っ越した。
だから、ここにあるものはみんな、俺の知らない、俺を知らないモノばかりだ。
「う……」
 ふいに俺は、世界にたった一人取り残されたように感じて、その場にうずくまる。
こらえていた涙が、ぽつりぽつりとアスファルトに染みていった。
「だれもいなよぉ……オレにはだれもいないよぉ……」
 一瞬にして移り変わった真っ暗な世界で、俺はむせび泣く。
 泣けば泣くほど、暗闇に体温を吸われるように体が冷えていった。俺は自分自身を
かき抱きながら、それでも泣くのをやめられなかった。
 抱きしめる自分の腕の温度も感じられなくなっても、俺は泣いていた。このまま泣いていれば、
俺はこのまま死んでしまうのだろう。それがわかっても、俺は泣き続けた。
 誰かと一緒にいることも怖ければ、一人でいるのも嫌なのなら、それで良かった。
 このままでいるなら死んでも良い、本気でそう思った。
 ふいに、俺は背中から抱きしめられた。くっついた場所から、じわじわと暖かい物が
冷え切った俺の体に伝わってくる。
 前に回されているのは小さな手。お菓子のような、甘くて良い匂いがする。多分、
俺と同い年くらいの女の子だ。
「わたしがいるよ」
 鼻にかかったような舌っ足らずな声が、首のあたりから聞こえた。どきっとして、
冷たくなっていた体が、お風呂にでも入ったように温まってくる。
「わたしが友達になってあげる。だから、キミは一人じゃないよ」
 凍りつく体を溶かすようなその声に、俺はゆっくりと振り向いた。
「おまえは……」


 飛び込んできたのは、見慣れた天井。カーテンの隙間から入ってくる日差しで、
白いはずのそれがうっすらと青く見える。
「……夢……か」
 俺はため息をつくと、右手で目から耳に向かって流れた水の痕跡をぬぐう。
 頭上で起床をつげるベルが鳴った。

 鍵を確認して家を出る。いつもよりも少し早い時間だ。
 普段は目覚ましがなってもすぐには起きずに、まどろみを楽しむ事にしている俺だが、
今朝のあまりの夢見の悪さにそんな気は起こらなかったからだ。
 見上げれば薄雲のたなびく空で、春の太陽がうららかな日差しを投げかけている。朝独特の
喧騒や三々五々に登校中の学生達も、どこか浮かれ気味に感じられる。
 けれど、俺はそんな気分にはなれなかった。
 今朝の夢……どうしようもないほど悲しかった、昔の出来事。
 ガキの時分、俺は気がついたら孤立していた。友達だと思っていた連中が手のひらを返したように
俺を冷たい目を向け、誰もが無視した。近所のおばさん連中も、俺を見ればひそひそと声を潜めて
話していた。俺のことを気にかけてくれたのは両親くらいだった。
 理由なんてその時は分からなかったし、今も思いつかない。多分、俺が気付かないうちに何か
妙な、子供にとってはとんでもない事をしでかしたんだろう。子供なんてものは、
なんでもない事を大げさに取だたすものだから。
 しかし、当時の俺はそんな事は分からず、態度を豹変させた友達にうろたえ、悲しんでいた。
そんな俺の環境を変えようと、両親は自分達の仕事を辞めてまでこの街に引っ越してくれた。
そのせいで、いまでも両親は家にいない事が多いんだが……。
 小石を蹴る。ころころと転がって、ごみ捨て場のポリバケツにぶつかって軽い音を立てた。
 結局、理由はなんだっだろう。極力忘れようとしていた事を不意に夢に見たことで、
疑問が頭をもたげてくる。けど、10年近く前のことなんて、正確に思い出せるはずもない……。
 ……いや、そうでもないか。俺は無意識にポケットの中の『スペアポケット』に触れる。
『宇宙完全大百科』なら、そういった情報も載っているはずだ。すぐにでも俺の知りたい事を
検索してくれるだろう。それを知れば……。

 ……知ってどうしようと言うんだろう? 俺に非があったとしても、そんな昔の事を
いまさら引き合いに出したところで、何かが変わるわけでもないだろうに。
 『タイムベルト』で昔に戻って『タイムふろしき』で子供に戻って謝るなりすれば、
これは有効な手段だろう。けれど、そんな事をしてしまえば俺は『今』という時間を失ってしまう。 俗に言うタイムパラドクスだ。
 あの事件は確かに辛い事だった。けれど、こっちに来たからこそ出会えた人たちもいる。
時人、亮輔、長久、美久……それに真里菜姉さん。それを無くすような真似はしたくはない。
 けど……あの事件が、もし、他の誰かが俺をハメようとしたのだとしたら……。
「許せねぇな……」
 口をついて出た言葉。それを意識したとたん、あたり一面に降り注ぐ春たけなわの日差しを
さえぎるように、俺の意識が、黒い影のようなものに覆われていく。
 正直なところ、あの楽しかった日々を求める気持ちは、七輪の底に残った炭火のように
くすぶっている。
 それを奪った奴を突き止めるのは簡単だ。報復手段もいくらでもある。……復讐は容易い。
 眠っている間に、恐竜のいた時代に送り込んでしまってもいい。センサーを壊した
『宇宙救命ボート』に乗せて飛ばしてやってもいい。一家離散ですら、すぐにできるだろう。
それから……
 いつしか、俺はいるかどうかも分からない相手に、どうやって落とし前をつけさせるか、
という事に没頭していた。
 歩きなれた道だ。真っ黒い思考に包まれて何も見えなくなっていても、体は機械的に
道を選んでいく。
 暖かな太陽も、のどかな町の喧騒も、今の俺には届かない。すぐ隣で殺人事件が
起こったとしても、俺は気付くことはないだろう。それほどまでに、俺は目隠しをしたような
自分の世界に入り込んでいた。

 ふいに感じる、甘い匂い。後ろから吹いてきた、お菓子のような匂いを含んだ春風が、
俺の視界にかかった闇色のベールをはためかせた。
「おはよ、良樹っ」
 目に飛び込んできたのは、ふわふわしたボブカットに包まれた笑顔。美久だった。
「あ、ああ……おはよ」
 俺を覗き込むように見ている美久に驚きながら、挨拶を返す。美久はそんな俺の様子を
じーっ、と見詰めている。
「良樹……なにかあった? 元気ないよ?」
「なにもない」
 気遣わしげな視線から逃げるように顔をそらす。
 長年幼馴染やってるせいか、こいつはちょっとした表情から、恐ろしく正確に俺の心理状態を
割り出す。それはもう、お前はエスパーかと言いたくなるほどに。だから、
被害妄想的な怒りと歪んだ思いが表に出てるだろう顔は見られたくなかった。
「ふーん……」
 美久は俺の顔を見詰めたままに首をかしげると、微笑を浮かべて俺の左側
――顔を背けた方とは逆――に回り込む。木陰と木漏れ日で、美久の顔にまだらが浮かんだ。
「それにしても珍しいね、良樹がこんな早く家出るなんて。いつもは遅刻ぎりぎりでしょ?」
「妙に早く起きちまってな。せっかくだから、余裕ある登校でもと思って」
「でも、三日と続かないんだよね~。しかも、早起きした次の日は必ず遅刻してるし。
なるかっ、早起きの翌日は必ず遅刻のジンクス打破っ!」
「うるせぇっ! そう何度も遅刻してたまるかっ!」
 笑みを深くして右の人差し指を立ててのたまう美久に、俺は右手の鞄を持ち替え、『鉄菱』を
握りこんでこめかみをぐりぐりしてやる。親指を中に入れて中指の間接だけを押し出す形になる
この拳は、こういう事をするのに非常に都合がいい。
「あう~、痛い痛い~」
 案の定、美久は可愛い悲鳴をあげて身を縮める。顔は笑っているから本気で痛がってはいない。
 ひとしきりお仕置きをくれてやって、開放する。美久はこめかみをさすりながら、
少し困ったような、それでいてどこか嬉しそうな顔をした。
「よかった、いつもの良樹だ」
「あ?」
 ぼそりと呟かれたそれが聞こえず、聞き返す。美久は「内緒だよ~」と
ふんわりと広がった髪をふわふわと揺らしながら俺の数歩先に歩いていく。

 と、思い出したように引き返してきた。
「良樹、今何分?」
 そういうと、返事も聞かずに俺の左手を取る。中学の頃――俺が腕時計をし始めた時――からの
こいつのクセみたいな物で、自分のを見るより先に俺の手から直接確認する。
常々自分のを見ればいいと思うのだが、なにを言ってもこいつはやめようとしない。今はあきらめて
好きなようにさせている。
 時計を見た美久が首をかしげた。
「……良樹、この時計、どうしたの? いつもと違うけど」
「ああ、それか?」
 少しだけ答えに迷う。
 自分の時計に『タンマウォッチ』やらなんやら、色々と秘密道具を合成し、外形を整えたそれは
ダイバーズウォッチなどよりもゴツイ外観をしている。まさか本当のことを
話すわけにもいかないし……。
「ええと、随分前に雑誌の懸賞に応募した事があってさ、それが当たって、昨日送られてきたんだ」
 我ながら良い言い訳だ。買ったにしろもらったと言ったにしろ、その後の言い訳が必要になる。
こう言っておけば角も立たないだろう。雑誌の名前を聞かれても、「忘れた」で通るしな。
「ふぅん……」
 美久はすこし不審そうな顔になると正面を向き、手を離して、両手で鞄を持ち直す。
足の動きに合わせて真新しい通学鞄が揺れ動く。
 ……やべぇ、これは俺の隠し事をどうやって聞き出そうか考える時の仕草だ。その後に来る、
遠まわしな誘導に、なんど引っかかった事か……。
「そーいや、美久、今日朝練どうしたんだ? 月曜は休みじゃないんだろ?」
 突っ込まれないよう話題を変える。美久は微笑んで話に乗ってきた。
「まだ仮入部だもん、朝練は強制じゃないんだ」
「珍しいな。お前なら自主練習でも参加するだろ」
 美久の答えを、少し意外に思う。

 美久の部活は中学の頃から陸上だ。短距離スプリンターで、三年の夏には全国大会に
出場している。成績は予選落ちと冴えなかったが、その練習量は自主的に休日返上した、
かなりのものだったのを俺は覚えている。時人たち、仲のいいメンツでこいつの慰め会やった時、
「しかたないよ。やっぱり全国の壁って厚いね~」と泣き腫らした目で笑っていたのが
印象的だった。
 美久は苦笑を浮かべる。
「今日はお弁当作ってたからね……そうそう、それで良樹にお願いがあるんだけど」
「試食か?」
「うん。ミニグラタンとかいろいろ新作作ってみたから、お願いできる?」
「いいぜ。昼飯代が浮くしな」
 二つ返事で了解する。
 前にも言ったと思うが、こいつは料理が上手い。ごくたま~にとんでもないものを
作ってくることがあるが、それ以外は安心して食える。
 試食といいながらも、いつもちゃんと俺が満足できる分量を用意してくれるあたり、良い奴だ。
 美久は嬉しそうな笑みを浮かべて俺の前に回りこむと、覗き込むようにしながら後ろ向きに歩く。
「それにしてもビックリだよね。良樹がこんな時間にここを歩いてるんだもん。ついわたしまで
出る時間を間違えたかと思っちゃったよ」
「いつも遅刻してるみたいに言うなっ」
「えー、だって似たような物でしょ~?」
「時間ギリギリでも、遅刻はしとらんっ!」
 脳天めがけて振り下ろした拳骨を、美久はひょい、と軽いフットワークでかわす。
勢いをつけすぎたのか、俺はその場でたたらを踏んだ。
「あははっ、残念でした~」
 美久は小憎らしげに笑い、たたた~、と駆けて行く。
「待ちやがれっ」
 その後を、俺も笑いながら追う。これが俺たちのコミニュケーションのやり方だ。……普段なら。
 ピタリ、と美久の動きが止まる。周りにも動く物は無い。時間が止まったからだ。

「色々と言ってくれやがって……こいつはお仕置きが必要だな?」
 俺はすぐに美久に追いつくと、ふわふわの綿毛みたいな手触りの髪に手を乗せて、
天真爛漫な笑顔を覗き込む。俺はいたずらっ子のような笑みを浮かべ、
どんな事をしようかと想像を巡らすのだった。