地を吹き払う、ほどの拳足の風が、砂塵を巻き起こしていた。
びょうびょうと裏路地に吹き込むビル風にも似た強力なそれを、轟と拳が砲弾ほどにも太く突き破った。地を、震、と踏みしめる。そこに裂帛の気合いはない。ただ、動きの型を確認しているだけだ。
街中で大剣を振り回すわけにもいかず、さりとてそれではどこで振り回せるのかというと、言ってしまえばなんだが所詮小さな島国であるところのレンジャー連邦に、そんな剣呑の許される場所はなかった。国民に開放されたスポーツセンターはおろか軍の訓練施設だって彼の本気のトレーニングに耐えうるような設備は用意してないだろう。
日に焼けた肌。風俗に従い剥き出しにされたへそのある、野太いほどの胴。薄い衣は彼の逞しい肉体の稜線を覆うには到底役者が不足しており、まるきり分厚い壁が、そこに立っているような存在感が、見た目の大きさだけでも発揮されていた。
谷口は別に気迫を込めているわけではない。仮想敵を目標に八方を休むことなく薙ぎ払う、そんな竜巻の如き烈なる風は、起こしていない。今、やっているのはその逆だった。
風を相手に、立ちはだかる。
難しいことだった。
なにせとらえどころがない。とらえるどころか、打っても、蹴っても、到底ききやしないだろう。どこから吹くかもわからない。王都の周りをぐるりと取り巻く高い塀が風を蹴ってはじき出しているのだが、それでも街道沿いに開かれた門のあたりや上空から、吹き込んでくるのは止められず、それが、ちょうど道の交錯したこのあたり、この場所で、面白く流れ込んでくるのだ。
災害になるような強さではない。洗濯物が飛ばされるかどうかも怪しい。だが、読みづらい。
それにあわせて体を動かす。
自分はどうも体が大きい。体が大きい分、人より力がある。力があるのを生かすために柔道の技を生かそうとしたが、学兵になってからは、腕力や体術はさほど役には立たなかった。立ったのは、体をどう動かせば効率的に動けるかという思想体系と、体力だけはどれだけあっても困らないという現実に対する目途だった。
力任せになる。
ばかりではなく、作戦を立てては動いている。動いているのだが、その基本になるのが、己の力なのだ。
自分はどうも、偏っているなと思う。その偏りにこだわりはないが、力がある分、その力の入れ具合をコントロールする術だけは、いくらでも身につけておいてもよいとも思った。
だから、こうして精妙な反応が必要になる鍛錬を行っている。
風の、真正面を捉えて打ち抜く。
たったそれだけ。
鍛錬の内容にこだわりはないが、鍛錬が面白いなと思ったのは久しぶりのことだった。
今日、思いつきでやってみたのだが、続けてみてもいいかもしれない。
ただ、それが出来るのはここにいる間だけのことだろう。
果たしていつまで続くか……
「ん」
ふと、見上げると、窓の明かりがかげっていた。横山が、こちらをのぞきこんでいたのだろう。ほんの一瞬の動きだったが、谷口はその変化を見逃さなかった。そうか、もう、そんな時間か。
あたりは明かりを落として寝入り始めていた。星も、いつもより彼が長くトレーニングを続けていたことを教えている。相変わらず風は吹いていたが、身を中心から外すと、小さなつむじ風が砂埃を捲き上げて、竜巻みたいな形を取ったかと思えば、すぐにそれも散ってしまう。ちょうどここに何かが立っていないと、風は渦を巻けないのだ。なめらかに、すりぬけあって、やわらぎあってしまう。見つけたのはほんの偶然だが、偶然を利用してトレーニングに生かすようにしたのは谷口自身の工夫の賜物だった。あとはこれでもうちょっと負荷のかかる運動が出来ればいいんだが…。
ぼうっとしていると、いつまでも続けてしまう。訓練は、密度が大事だ。
咲良が着任してきたばかりの頃、まだまだひよっこだった第108警護師団の仲間達に、そんなようなことを言って無茶な訓練を課したことを思い出す。あの頃はまだ渡部も使い物にならなくて、どころか航ぐらいしか頼れる奴がいなかった。
懐かしいな…そう、思い出に浸りながら、“ターニ”は鍛錬を切り上げて宿へと戻っていった。
その日に飲んだゴントファリア茶は、いつもの通りにうまかった。
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砂漠の夜はとても静かだ。
だから、つい、余計なことを考える日もある。
6年。
旅を重ねてきた間のことを、思い出すことも。
「…………」
目をつむったまま谷口は、その6年にあった、いくつもの戦いや、いくつもの出会いや、いくつもの再会を、一つ一つ、なぞっていった。どれも忘れることのない、道のりだ。
旅は、まだ終わっていない。
6年。
横山に言われたことを思い出す。
俺は、変わっただろうか。
変わることで目的に近づけるなら、それでいいとも思う。
だが、どこかでかたくなに、変わることを拒んでいる自分がいるのを“谷口”は知っている。
ターニと呼ばれるようになって、久しかった。
旅の中で得た、もう一つの名前。
いくつもの手をつかんで引き上げてきた名前。
それが当たり前だと、“谷口”である自分は知っている。
自分は、自分が死ぬかわりに姉たちを生き延びさせようと思って、学兵になったのだ。
学兵になってからは、体が大きい分、3人ぐらいはやはりかわりに生き延びさせられると思って、やってきた。航と、横山と、咲良だ。
今は違う。
自分が死ねば助けられないものがあると知っている。だから、自分の命を絶対に手放せない。
それが、ターニという名前の、重みだった。
誰かを助けるとは、そういうことなのだ。
誰かを守るとは、そういうことなのだ。
自分に与えられた大きな体は何のために。
何のために。
答えは、思い出すまでもない、確かめるまでもない。
そのことだけを考えると、よく、寝られるような気がしてきた。
谷口は大あくびをする。
もう、余計なことは考えなかった。
いびきもかかず、谷口は眠った。
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「いってくる」
の一言で、いつものように街へと情報収集に出た谷口は、その日小さな悲鳴を聞きつけた。途端に両の足に力が漲る。地を蹴り、一息に建物の屋根の上まで飛び移ると、一直線に悲鳴のありかへ駆けつける。着地する直前、目に飛び込んできた状況に情報を絞りこみ、悪党がどちらか判別して手を出した。
拳、一閃。
それで敵は蹴散らせた。横山と昨晩話した通りだ。まったく最近はこの国も治安が悪い、大戦が、終わった油断につけこまれているのではないだろうか。
「おい、大丈夫か…」
驚いて腰を抜かしそうになっている小さな子供の顔を見ながらそう言って、谷口は、今度は自分が驚くことになった。
「吉田、か」
「副隊長……」
うたかたの夢のような日常は、その唐突な再会によって打ち破られた。その日から、再び谷口は、横山と共にファンタジーの英雄“ターニ”としての、戦いの中に戻っていくことになる。
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~小笠原冒険ツアー番外編:レンジャー連邦の日々・谷口竜馬の場合~
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-The undersigned:Joker as a Clown:城 華一郎
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最終更新:2007年09月27日 00:53