黒崎克耶@海法よけ藩国様からのご依頼品
春うらら
4月某日。天領、宰相府藩国。
今日の黒崎はソウイチローを伴って先頃一般公開が始まったばかりの春の園にある梅園にデートに来ていた。
春の園はその名の通り年中春の気候で様々な花が楽しめる人気のエリアだが、ここ梅園は他の園と違ってどこかしっとりとした雰囲気を持っていた。それはこの場所に咲き乱れる梅が、桜のようにぱっと散るような派手さを持たない代わりに静かに春の訪れを告げて伸びゆく命を内包しているせいかもしれない。
桜園の花見客の物らしい喧噪も遠く、耳に届くのは枝を揺らす春風とどこからか風にのって流れてくる楽の音ばかり。
「さてさて、いい天気だな」
「いい天気ですねー」
「そうだな」
ソウイチローと黒崎は薄く色づいた梅の花を眺めて歩きながらのんびりと言い合った。梢を通して差し込む光は柔らかく、二人はうららかな春の日を満喫していた。
「ああ、戦闘参加お疲れ様、怪我がなくてよかった」
「医者として働くほうが多かった。意外に前に出る医者は役に立つな」
黒崎が隣を歩くソウイチローを見上げて思い出したように言うとソウイチローは怪我がないことを示すように笑って右腕を上下に振って見せた。
いわゆるバレンタイン戦役での出撃のことである。パイロットとして勇名を馳せたソウイチローだが、黒崎と出会ってからは感化されたのか前線でも医師としての活動が多いらしかった。
「やっぱり怪我人が多かったんですね…。
自分も手助けできたらよかったんですけど」
「ま、最近じゃ人間嫌いも多い。
気にするな」
それは事の発端が人間、この場合は第7世界人の過ちだったことに依る。二人の母国であるよけ藩でも被害は大きかった。
少ししゅんとした黒崎を元気づけるようにその頭をぽんぽん、と軽く叩くとソウイチローは何かを聞きつけて眼鏡の奥の視線を高いところに彷徨わせた。
「塔の上から楽の音が聞こえるな」
「どこでしょうー」
黒崎がきょろきょろ辺りを見回すと、二人の歩く先にそびえる中国風の望楼の頭が見えた。
方向としては桜園との境辺りか、ここからでもその天辺は梢の先を越えて高い。
「せっかくだし音のするほうへ行ってみましょうか」
そうだな、と頷いたソウイチローの手を引いて黒崎は楽の音を頼りに歩き出した。程なくして梅園の林が途切れてぽっかりと空いたところに木造7階建ての望楼が姿を現した。
中を覗き込んでみると奥の壁に階段が設えられている以外は何もないがらんとした空間が広がっている。
望楼というのは元々が見張り台なのでこのような作りになっているらしい。
「上にいってみます?ソウイチローさん」
「いくか」
「うん」
7階分の登りというのは一見大したことないように見えるが、それはエレベーターなどがあればの話である。
高さにして約40m、これを徒歩で登るのは中々に大変だ。
内壁の四方をぐるりと巡る木造の階段は二人が歩く度にぎしぎしという不吉な音を立ててわずかに揺れる。
「う、うわー…なんかお、おとが…」
「怖がりだな」
黒崎は恐る恐るといった感じで階段の端からなるべく離れようとソウイチローに寄り添って手を握る。
ソウイチローはそう言って笑っているが、何しろ手すりすらない。下を見ると怖いので上を見上げれば行く手には最上階からのものらしい光がうっすらと見えた。
「えええ、だ、だって高いしなんかぎしぎしいってるしー」
「はいはい」
「にゃーーー!」
ソウイチローは足の止まってしまった黒崎を壁際に移そうと立ち位置を変えようとした。一際大きく階段がきしんで思わずソウイチローに抱きつく黒崎。
そのままの姿勢で階段の中程に立ち止まり黒崎を抱き留めて苦笑するソウイチロー。
「戻るか?」
黒崎を落ち着かせるように髪を撫でる。
「い、いや、折角だから上にいきたい…。
つ、連れてってください」
黒崎はソウイチローの胸に顔を埋めたままそう言った。語尾が震えてたりするが怖がりの割に根性はあるのが彼女であった。
いつもと同じ大きくて暖かな手の感触にある意味落ち着きを取り戻すが別な意味でどきどきしそう。
ソウイチローはしょうがないな、という風に笑うと黒崎の額にキスをして体を入れ替えた。彼にしてみればこういう大変な目にあっても頑張ろうとする所が好ましくもある。
「はいはい。抱いて行きたいが、ちょっと無理だな。ゆっくりいこう」
「うん。
ありがとうー」
ソウイチローは今度こそ黒崎を壁際に、寄り添って肩に手を回しゆっくりと歩き出した。が、何処を触ったものか迷っているらしく、左手が微妙に落ち着かないのが黒崎には解った。
「ふふふ、どこさわっても大丈夫ですよ?」
少し余裕を取り戻した黒崎がそう言うと、ソウイチローは昔良く見せた意地の悪そうな笑いを浮かべた。黒崎の鼻をきゅっ、とつまんでこうか?とでも言いたげににやりとする。
「にゃー」
「じゃ、ここでもいいな。いくか」
「ひどい~」
黒崎が鼻声で非難するとソウイチローは快活に笑い声を上げて手を離した。
何処を触っても、と言うとこういう反応を返してくる辺りが彼らしい。
「鼻の先が赤くなってる」
「え?そ、そう?」
黒崎が鼻の頭をさすったりしていると、ソウイチローが赤くなったところを覗き込むように顔を近づけてくる。 何気に吐息が近い。
「ああ」
「つまむからですよ~」
言いながら少し膨れるとソウイチローはそのまま優しくキスをした。ちょっと悪かったか、と反省を込めて長めに。
「悪かった。機嫌直せ」
「大丈夫冗談よー、怒ってるわけじゃないから」
勿論機嫌はすぐに直る。微笑みを浮かべてしがみつくとソウイチローは強く抱き返した。
「こんなところでこんなことやるのは俺たちだけだぞ」
「あはは、そうねー」
そのまま暫く互いの体温を感じている。ソウイチローの体温は黒崎の体温よりも高い。これも触れ合っていなければ解らない彼の事。
「あったかーい」
「そうか?」
「うん。
あったかいですよ?」
「お前の口の中のほうが暖かったな」
「そう?」
先程のキスのことを言っている。無論の事彼の舌が感じた感想である。
言ってしまってからその内容に気恥ずかしくなったのか、ソウイチローは笑った後、黒崎の手を引いて最後の何段かを上りきった。
途端に視界が大きく開け、春の園の全域を見渡すことが出来た。見れば遠く近く、梅園を中心としてこの望楼と同じようなものが他に3棟建っているのが分かる。
二人は知る由もないが、望楼はそれぞれが四方を守護する四神と陰陽五行に基づいて建造されている。
例えば今二人が登ってきた望楼は東方青龍を司り、木の属性を持つ。階段まで含めて木造なのはこのためであった。
ちなみに困難な状況や人間関係のトラブルを改善するという御利益がある、らしい。ある意味この二人にはもってこいかも知れなかった。
わざわざ長い階段をつづら折れに上り下りするのは四囲を踏み固め、踊り場で四方を結ぶという魔術的な要素を含むためである。
四方を守護し、春の園、ひいては宰相府そのものの加護を願う。春の園に展望台ではなく古めかしい望楼が建っている理由がこれであった。
「高いですねー」
「そうだな」
「音楽もいいですし」
二人をここまで導いてきた楽の音は長椅子にもたれた女性が奏でる胡弓から流れ出ていた。胡弓を弾く女性は塔と同じように中国風のゆったりとした裾の長い服を着ている。
「いい曲だな」
「そうですねー」
どこか哀切を含んだ胡弓の音色を耳に二人は暫し様々な花に彩られた春の園の景色に見入った。桜のピンク、蓮華の赤紫、たんぽぽの黄色、波打つ緑の絨毯は小麦畑だろうか。
ゆったりと流れる穏やかな時間に二人が微笑みを交わすと春風がふわりと髪を揺らして吹き抜けていった。
「幸せですね、こういう時間は…」
「好きだ」
ぽつりと思わず漏れたソウイチローの言葉に黒崎は髪を抑えながら聞き直した。隣に立つ彼の顔を見上げる。
「え?
それは…?」
ソウイチローは笑った後、なんとなくそう思った。とだけ言った。ほんとうに、ぽろりと心の奥から零れ落ちてきたような、シンプルで真心のこもった言葉だった。
「ふふふ、こういう時間もすきですけど、ソウイチローさんと、過ごす時間がいちばん好きですよ」
黒崎が微笑みながらそう言うと、ソウイチローは少し顔を赤らめ、眉間に皺を寄せて逡巡し、何か気の利いたことを言うべきか考えた後。
結局、いつものように景気よく黒崎の背中を叩くに留まった。
「照れなくてもいいのに~」
「えー」
ちょっと不満そうに声を上げる黒崎。なんでだ、とでも言いたそうなソウイチロー。今度は黒崎の方が恥ずかしくなってくる。
照れてじゃれ合う二人に和やかに微笑んで会釈を送ると、塔の女主人は演奏を終えて音もなく姿を消した。
最近天領で囁かれる噂に曰く。
春の園、そこにある4つの望楼の最上階には稀に天女が現れ、行き逢った者に妙なる調べを聞かせてくれるという。
そうと意識しないうちに僥倖に巡り会った二人は、浮き世を忘れて花の香を乗せた春風の中に戯れるのだった。
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最終更新:2008年09月12日 07:41