ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

ゼロと奇妙な隠者-57

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 日蝕の日、朝日が地平線から抜け出ようとしている頃。
 昨夜から一睡もしていないオスマンは自室の中、式に出席する準備にまだ追われていた。
 日程の関係上、一週間は学院を留守にしなければならないのだが、学院長であるオスマンが一週間不在になるということは、それなりに前もって片付けておかなければならない用事が多いのである。
 ロングビルがいたなら多少の用事なら彼女に任せても良かったのだが、未だに彼女の後任に相応しい秘書も雇えていない現状では、仕事の全てを自分でこなさなければならないのであった。
「ふうむ、帰ってきたら本格的に秘書の募集を掛けなければならんな。当然有能で美人でちょっとくらいの悪戯は笑って許してくれて……あと、盗賊じゃないのは優先事項にせんと」
 ぶつくさと独り言を漏らしつつ、残りの仕事は帰ってきてから終わらせることに決めて荷造りに取り掛かろうとした時、激しい勢いで扉が叩かれた。
「誰じゃね?」
 この忙しい時に何事じゃ、と眉を顰めたその時、一人の男が飛び込んできた。
 飛び込んできた男の服装で王宮の使者であることを理解する間もなく、大声で口上が述べられていく。
「王宮からです! 申し上げます! アルビオンがトリステンに宣戦布告! 姫殿下の式は無期延期になりました! アンリエッタ殿下率いる王軍は、現在ラ・ロシェールに展開中! 従って学院に置かれましては、安全の為、生徒及び職員の禁足令を願います!」
 使者の口上に、オスマンは一瞬言葉を失った。
「……宣戦布告とな? 戦争かね」
 皺と白髭に覆われた顔により深い皺が刻まれたが、使者の告げる言葉はなおもオスマンの表情に心痛な色を加えていく。
 アルビオン軍は巨艦レキシントン号を筆頭に、戦列艦が十数隻。上陸した総兵力は三千。
 それに対するトリステイン軍は艦隊主力は既に全滅、慌ててかき集められた兵は二千。
 完全な不意打ちの形を取られたトリステインが集められる兵力はそれで限界であり、しかも制空権は完全に掌握されて取り返せる見込みは皆無。十数隻の戦艦からの砲撃で、士気も精度も劣る二千の兵は容易く蹴散らされるのは火を見るよりも明らか。
 タルブの村は竜騎兵によって炎で焼かれ、領主も既に討ち死に。昨日の午後、姫殿下自ら御出陣。深夜のうちにラ・ロシェールに陣を張り、同盟に基づきゲルマニアに援軍を要請したが、先陣が到着するのは三週間後になるであろう……。
 息せき切って懸け付けた使者の言葉を疑う余地は何処にもない。
 オスマンは深々と溜息をついて、天井を見上げた。
「……昨今条約や同盟というものはインクの染み以外の何物でもないのう。トリステインは見捨てられたな。三週間もあればトリスタニアにアルビオンの旗が上がるじゃろうて」
 アルビオンの末路を聞いているオスマンは、トリステインだけは例外だと考えるような夢想主義者ではなかった。滅亡する国がどのように蹂躙されるかなど、考えるまでもない。
(……どうする)
 現状で打てる手などない。
 必然とも言える流れを覆せるような魔法など、人より長い年月を生きてきたオスマンにも心当たりはない。
 となれば、今考えるべきは如何に学院に居る職員や子弟達を、安全に避難させるか。
 思考を巡らせるオスマンの脳裏に、二人の男の姿が走った。
 もしやすれば、という可能性が浮かび上がる。この話を教えれば、二人とも一も二もなく戦いに赴くことは疑うべくもない。
 だが、だが……ウェールズ皇太子はともかく、ジョセフ・ジョースターを巻き込んでいいものか。異世界から無理矢理召喚されただけの老人をこちら側の世界の戦争に巻き込めるのか否か。
 ましてジョセフは今日の日蝕で元の世界に帰るのだ、とコルベールから伝え聞いている。
 良心と打算が両極に乗る天秤の揺らぎに、知らず呻き声めいた吐息が漏れた。
「ミスタ・オスマン?」
 使者の訝しげな呼び掛けにも、視線を向けようとはしない。
「……仔細了解した。今から学院に居る皆に事情を説明する。貴殿も任務に戻るといい」
「はっ」
 敬礼して慌しく部屋を辞する使者を見送り、それからまた僅かに逡巡した後、やっとオスマンは立ち上がった。
 その足の向かう先は、風の塔。ウェールズが隠れ住む一室である。
 黒い琥珀に記憶されているオスマンが階段を登り、ウェールズのいる部屋の扉をノックする。
「開いているよ」
 朝早くから椅子に腰掛けて読書していたウェールズは、開いた扉の向こうに立っていたオスマンの姿に少し目を見開いた。
「どうされたのですか、ミスタ・オスマン」
 読みかけの本を机に置いたウェールズに、オスマンは静かに口を開いた。
「――レコン・キスタめがトリステインに宣戦布告しました」
 アルビオンではなく、レコン・キスタ、と言い換えたのは、当然のことであった。
 思わず立ち上がったウェールズの足に押され、椅子がけたたましい音を立てて転がる。
「何と言う事だ……!」
 く、と唇を噛み締めたウェールズは、次の瞬間には毅然と顔を上げてオスマンを見た。
「……戦況をお教え頂けますか、ミスタ・オスマン」
 オスマンは眉一つ動かさず、使者から伝え聞いた言葉を紡ぐ。
 ウェールズは現状を全て聞くと、コート掛けに掛かっていたマントを手に取り、大きく風を靡かせて背に羽織った。
「では、アルビオン王国の生き残りである私は、これより援軍としてタルブ村へ向かわねばなりません。今まで私を匿ってくださり、感謝の言葉もありません」
 至極当然に言い切る王子に、オスマンは僅かな瞬間だけ躊躇ったが、意を決して言葉を紡いだ。
「――生憎、学院には幻獣はおりません。馬の足では、今から向かった所で戦に間に合わぬのは明らか。ジョセフ・ジョースターに協力を願う以外、殿下が戦場に辿り着く術はないと愚考します」
「確かにそうですが、彼は此度の戦に何ら関係ないではないですか」
「しかし、貴方が唯一戦場に辿り着く方法を使うことが出来るのは彼しかおりませぬ」
 白く長い眉の下から覗く目を、ウェールズは声もなく見据えた。
「……貴方は、無関係の異邦人を戦に駆り立てようと。そう仰るのですか」
 腹の中から搾り出したような声にも、オスマンは毛の先程も表情を変えはしない。
「戦場に立てとは言いませぬ。あの飛行機械で、皇太子を戦場へ送り届けてくれと頼むだけです」
 瞬きもせず、二人の男が睨み合う。
 視線を背けたのは、ウェールズが先であった。
「……私は無様だ。これより家族の元へ帰ろうとする老人に、なおも助けを請う。何と言う……何と言う、恥知らずの男だろうか……」
 ぎり、と歯が軋む音が響く。
 オスマンはそっと彼に背を向け、己のエゴを憎憎しく思う内心を億尾にも出さず、次の言葉を放った。
「さあ、彼を呼びに行きましょう。我々に残された時間は、限りがあるのですからな」
 そして二人は、ジョセフが暢気に寝こけているであろうルイズの部屋へ向かった。
 早朝の突然な来訪に、ジョセフは寝ぼけ眼で応じ……タルブの村が燃えたと聞いた時点でゴーグルを手に駆け出そうとしていた。
 燃えるような怒りを目に灯し、自分の横を駆け抜けようとするジョセフの肩をつかんだウェールズは、彼の動きを留めるのに必死に力を込めなければならなかった。
「待ってくれ、ミスタ・ジョースター! まさか貴方も戦うなどと言わないでくれ!」
「こんな話聞いて黙って帰ったり出来んだろ!」
「ジョースター君、我々に強要出来る筋合いはないがせめてウェールズ殿下を送り届けてくれれば、それ以上は……」
 オスマンとて、ジョセフを戦場に送りたくないのが本心である。
 ウェールズが死地に赴くのを止める理由はない。それが彼の望みだからだ。
 しかしジョセフは違う。何の関わりもない。
 だと言うのに、今のジョセフは輝ける意思を抱いている。決してただ王子を戦場に送り届ける為の勇気ではない。
 それは紛れもない闘志、だった。
 ニューカッスル城まで付き従った三百のメイジ達と同じ輝きを、この老人もまた抱いていた。
「すまんがこのジョセフ・ジョースター、困ってる友人を見捨てられるほど人でなしじゃあないんでなッ! あのゼロ戦は爆弾はないが機関銃はバッチリ動く! あんだけありゃあ、フネの一隻や二隻くらいは落としてみせるッ!」
 気迫と力強さばかりで構成される言葉。手や足に震えはない。
 亡国の王子と学院長は、おおよそ同じタイミングで同じ答えに辿り着いた。
『これ以上何を言っても時間の無駄』であった。
 死にに行くだけなら止め様がある。戦いに恐れを抱いていればそこから崩す事も出来る。
 だが、ジョセフ・ジョースターに一切の揺らぎはない。
 レコン・キスタに立ち向かい、勝利を得に行こうとしている。
「……一つだけ聞かせてくれ、ミスタ・ジョースター」
 ジョセフの肩に食い込むほど力の篭っていた手を離し、ウェールズは問うた。
「何故、貴方は戦いに赴くのだ? この戦いで名誉を得られる訳でもなく、報酬を与えられる訳でもない。それなのに……どうして貴方は、命を賭した戦いに怯まないのだ?」
 判り切った事を何故聞かれたのか判らない、と言いたげな顔で、ジョセフは答えた。
「そりゃアンタ、困ってる友達を見て助けないなんて薄情な真似はわしにゃ出来んというだけだ。王女殿下は、この部屋でわしを友人だと言った。わしをジョジョと呼んだ。だからわしは助けに行くだけのことだ」
 単純明快にして、唯一無二の答え。
 ウェールズは、静かに息を一つ吸い、そして大きく吐き。そして深々と頭を下げた。
「……そうだな、ミスタ・ジョースター。愚問だった、非礼を許して頂きたい」
「気にせんで結構。さあ行こう、調子コイとるバカどもをぶちのめしになッ」
 ウェールズの肩を掌で軽く叩いてから、改めてオスマンに向き直った。
「最後まで世話になりました、センセ。わしの可愛い孫と友人達を、どうか宜しくお願いします」
 ウィンク混じりの笑みの別れの挨拶に、オスマンは口髭に隠れた口の端をニヤリと吊り上げた。
「安心しなさい、例えどんな結果になったとしてもわしの生徒達の安全は保証しよう。――存分に、戦ってきなさい」
 そして差し出された手を、ジョセフは力強く握った。
「その言葉があれば、安心して戦えるというもの。お世話になりました」
 皺だらけの顔を、笑みで更に皺を増やし。二人の老人は笑みを交し合った。
「よし、ジョースター君。ミスタ・コルベールの所にはわしが行こう。あの飛行機械の燃料は彼が錬金したと聞いている。君は、ミス・ヴァリエールに別れの手紙を書いてやりなさい」
「何から何まで、すいませんな」
「ほっほっほ、なぁに。わしらの世界の不始末を異世界からの友人に任せなきゃならん不義理の代わりにゃなりゃせんて」
 手を離し、ウェールズとオスマンは階段へ向かい、ジョセフは部屋へ戻る。
 数分後、机に置かれた便箋の上には、ペーパーウェイト代わりに帽子が置かれていた。
「……さらばじゃ、ルイズ」
 今は居ない主に向かい、ほんの少し寂しさを滲ませた笑顔で別れの挨拶を告げた。


 ジョセフ・ジョースターはこの時を限りに、二度とこの部屋へ帰る事はなかった。


 *


 タルブの村はジョセフ達が訪れた時の面影を完全に失っていた。
 レコン・キスタの強襲の際に出撃した竜騎士隊が、村だけでは飽き足らず周囲の森や草原まで面白半分に火のブレスを吐きかけた結果だった。
 村人達は辛うじて逃げた者も多いものの、命を失った者も数人いた。
 美しい光景を失った草原にはレコン・キスタの大部隊が集結し、港町ラ・ロシェールを陣地として立てこもるトリステイン軍との決戦に備えていた。
 その上空では、空からの攻撃に立ち向かう任務を負っている竜騎士隊が引っ切り無しに飛び回っている。歴史あるトリステインの誇りを担うのが魔法衛士隊ならば、大空に浮くアルビオンの誇りを担うのは竜騎士隊であった。
 アルビオンが擁する竜騎士の数は火竜や風竜合わせて百を超える。今回の進軍では二十騎もの竜騎士が率いられていた。対するトリステインの竜騎士は、質でも量でも遠く及ばない。
 元より奇襲を掛けられ混乱状態にある上、乏しい地力で散発的な攻撃しか行えなかったトリステインは、アルビオンの竜騎士を一騎たりとも討つ事が出来なかったのである。
 翻って圧倒的な勝利を挙げたアルビオン竜騎士隊は、戦闘の趨勢が決まった後もタルブを蹂躙したのだった。
 戦艦や竜騎士を失ったトリステインの空は、事ここに至りアルビオンが完全制圧した。
 後はラ・ロシェールに立てこもるトリステイン王軍に空中からの艦砲射撃を行い、立てこもる都市を無力化してからゆっくりと勝ちの決まった決戦を仕掛けるのみであった。
 敗北の可能性どころか死ぬ危険さえないと、アルビオンの兵士達は高を括っていた。反乱からここに至るまで敗北はなく、被害と言えばニューカッスル戦くらいのもの。砲撃の準備に掛かるアルビオン艦隊には、弛緩した雰囲気さえ漂う始末だった。
 タルブの村上空での警戒に当たっていた竜騎士隊も、命の危険のない気楽な任務とばかりに各々好き勝手に空を飛んでいた。
 そんな時、一人の竜騎士が上空からこちらに接近してくる竜を発見した。
 昨日の交戦でトリステインの竜騎士隊の錬度を把握していた彼は、舌なめずりした。昨日は二機撃墜したが、どうにも物足りないスコアである。
 およそ二千五百メイルの高度を飛んでいる敵を見据えながら、火竜を鳴かせて敵の接近を同僚達に知らせようと手綱を引いたその時――竜の頭が突然吹き飛び、彼の胴体は半分以上抉られていた。
(え?)
 自分に何が起こったのか理解する機会も与えられない。火竜の喉には、炎の息を吐く為の燃焼性の高い油の詰まった袋が仕込まれていた。音速で飛来する弾丸で吹き飛ばされると同時に着火した油の飛沫は、人一人を燃やし尽くすには十分すぎた。
(なんだ? 何が起こったんだ? あれ、俺……)
 彼の生涯最後の幸運は、事態を理解する前に意識が炎に飲み込まれたことであった。
 どのような原因によってどのような結果が起こったのか、例え理由がわかったとしても受け入れ難い事実ではあったろう。
 超音速で飛来する直径二十ミリほどもある鉛の弾丸が、竜の頭部を風船のように破裂させただけでは飽き足らず、その後ろに座っていた自分もついでに吹き飛ばしたなどとは。

「よし、撃墜一」
 今しがた一匹と一人の命を奪った張本人は涼しい顔で嘯いた。
「……なんだ、何が起こったんだ」
 今しがた焼け野原へと落ちていく竜騎士が、命の間際に思った言葉と同じ思いを口にしたのはウェールズだった。元々一人乗りのコクピットから無線機を取り外した空間に無理矢理乗り込んでいる故に狭苦しいが、お互いの行動が阻害されるほどでもない。
 雲を隔てた下方に竜騎士が見えたその時、鈍い爆発音が機体を震わせたかと思うと、一条の白い光が走り、竜の頭と騎士を一緒くたに吹き飛ばしていた。
「ああ、さっき説明した銃の威力じゃよ。ああ、口径が二十ミリだから砲になるんかな」
「銃!? あれが!? まさか今の音が発射音だったのか!」
 ハルケギニアには砲が存在するし、それより口径の小さい銃も存在する。しかしハルケギニアで銃と言えばマスケット銃どまりである。致命傷を与えるどころか、せいぜい手傷を与えるくらいの……治癒手段を持つメイジにとっては玩具程度の認識でしかない。
「わしらの世界じゃ有り触れたモンだ。ま、それにちょいとばかり上乗せしとるがね」
 そう言うジョセフの手からはハーミットパープルが伸び、機関銃に絡み付いている。
 えてして弾丸は直進しない。特に超高速と長射程が加わる場合、その弾道は直線とは大きくかけ離れた大きな弧を描く。大気や風速を始めとした空気抵抗を始めとし、重力、果ては気温すら弾道に大きな影響を及ぼすのである。
 ゼロ戦を兵器と認識したガンダールヴの力は、一度も発射していない機関銃の弾道をジョセフに認識させていた。目標地点に存在する標的をどの位置から撃てば数秒後に命中するのか、未来予測の計算すら可能にした。
 それに加え、ジョセフと機関銃はハーミットパープルで直結されている。
 ガンダールヴが弾き出した命中の方程式を、脳から身体、身体からガントリガー、トリガーから砲身……という一つ一つのプロセス毎にかかる僅かなタイムラグを除去し、寸分違わないタイミングで実現していたのだった。
 そして何より、搭載している弾薬を無駄遣いするわけにも行かない。
 竜騎士隊はジョセフには肩慣らし程度の認識しかなく、本命はレコン・キスタ艦隊。20mm機銃2挺の携行弾数は各125発、7.7mm機銃2挺の携行弾数は各700発。一切の補給が許されない以上、一発たりとも無駄弾を撃つつもりはなかった。
 十何隻も居並ぶ戦艦達に立ち向かうには、可能な限り万全を期さなければならない。
「さて、殿下を送り届ける前にあのトカゲどもをチャチャッと片付けてしまわんとな」
 かつての母国の誉れとも言うべき竜騎士隊をトカゲどもの一言で片付けられるのにも、今は苦笑しか浮かべられないウェールズだった。
 なるほど、このゼロ戦を相手にしてはアルビオン自慢の竜騎士など地を這うトカゲとなんら変わる所はない。
 速度は風竜を上回り、搭載する銃は威力も射程も火竜のブレスを遥かに凌駕する。負ける道理を見つける方が難しいとさえ言えた。
「おう相棒、右下から三騎来るぜ」
 デルフリンガーが普段と変わらない口振りで敵機の襲来を告げる。
「あいよ、んじゃあちょっくらエースになりに行くとするかッ!」


 *


 ルイズは結局学院に帰る事もなく、レコン・キスタを迎え撃つ為出陣したアンリエッタの後を追って自分もまた戦場に向かっていた。
 高く昇っていく太陽に二つの月が重なろうとする中、ラ・ロシェールに立てこもったトリステイン軍へ向けて進軍してくる敵の姿が見えた。三色の旗をなびかせ、徐々に近付いてくる。
 既に前日の攻撃と焼け野原と化していたタルブの草原を、正に蹂躙し尽くした張本人であるレコン・キスタを目の当たりにし、ユニコーンに跨ったアンリエッタは、着慣れない甲冑の下で恐れに身を震わせた。
 王女の側に控えるルイズも、ヴァリエール家三女の誇りを重石にしなければ恐ろしくて逃げ出してしまいかねなかった。
 アンリエッタやルイズが生まれてから現在に至るまで、ゲルマニアやガリアとの戦争があるにはあったが、せいぜい国境付近に領土がある貴族同士の小競り合い程度だった。
 国と国同士の総力を挙げた戦争は久しく行われておらず、急拵えで集めた二千の軍勢の中でこの規模の戦争経験がある将兵は過半に達していなかった。
 知らず起こる震えを誤魔化そうと、アンリエッタは始祖に祈りを捧げた。
 だが、それ以上の恐怖はすぐさま訪れる。
 敵軍の上空には、傲然とした様さえ伺わせる大艦隊が控えていた。たった一日でトリステイン艦隊と竜騎士隊を壊滅させたアルビオン艦隊である。雲のように空に浮遊する艦の周囲を飛び回る竜騎士の姿すら見えている。
 逃げ出したくなる臆病の気を辛うじて唾と一緒に飲み込んだのは、アンリエッタかルイズか、それとも兵士達だったか。これから始まる戦いに絶望しか抱けなかったトリステイン軍に、聞き慣れない物音が聞こえたのはそんな時であった。
 まるで口を閉じたまま唸る音が鼻から抜けているような奇妙な音。それが断続的に聞こえてくる。すわ、アルビオンの攻撃かと身構え、空を見上げたトリステイン軍は、更に奇妙なモノを目撃した。
 それは空を飛んでいた。フネのように浮いているのではなく、飛んでいた。
 竜のようにも見えたが、胴体から生えた二枚の翼をはためかせることもなく、ただまっすぐに広げられている。
 その奇妙な竜に向かっていくアルビオンの竜騎士達は、竜の翼や頭から発せられる白い光に貫かれた。ある竜は空中で爆発を起こし散華し、またある竜は減速することもなく地面へ向かって墜落していった。
 昨日の戦いを辛くも生き残った兵達は、自分の正気を疑った。
 トリステインの竜騎士達に圧勝した竜騎士隊が、たった一騎の竜に立ち向かうことも出来ず、ただ止まっている標的であるかのように撃ち抜かれて行く。
 奇妙な竜は天高く空へ向かって上昇したかと思えば、すぐさま急降下して竜騎士の背後を取る。背後を取られた竜騎士は間髪置かず白い光の洗礼を浴び、空から脱落する。
 トリステイン軍の中で、あの奇妙な竜が何であるかを知る人間は、一人しかいなかった。
 ルイズである。
 つい一週間前、タルブの村に置いてあった飛行機。
 とても空を飛ぶとは思えなかった代物が、今、現実に空を飛んでいるばかりか、天下無双と謳われるアルビオンの竜騎士隊を歯牙にもかけていない。
「……ジョセフ、ジョセフ、なの?」
 あの飛行機を操れるのは、この世界には一人しかいない。
 だがルイズの中に、この絶望的な戦況を覆せるかもしれない手段を引っ下げて来た使い魔を誇る気も、主人のピンチに駆け付けて来た忠義を喜ぶ気も、一切なかった。
「……あの、バカ犬ッ!」
 思わず漏れた声に、空を呆然と見上げていたアンリエッタが思わずルイズを見た。
「どうかしたの、ルイズ」
 アンリエッタが掛けた声で、自分の中で膨らむ感情が思わず口に出ていたのが判ったルイズは、慌てて首を横に振った。
「い、いえ、なんでもありません、王女殿下」
 そしてまた、二人の少女は空を見上げた。
 アンリエッタは、謎の竜が繰り広げる空中戦に目を見開き。ルイズは、コクピットの中にいるだろう使い魔への心配に満ちた目を眇めた。
(……ジョセフのことだもの。きっと、戦争やってるって聞いて……居ても立ってもいられず飛行機に乗って来たんだわ)
 使い魔として召喚してからそれほど長い時間を過ごした訳でもないが、使い魔の気性は十分に理解していた。普段は怠け者でお調子者だが、戦うべき場面に恐れず歩み出すのがジョセフ・ジョースターなのだと。
(……でもジョセフ、アンタ……今、そんな事してる場合じゃないでしょう!? ちょっと我慢してたら元の世界に帰れるんじゃない! どうして来なくてもいい戦争なんかやってるのよ、なんで、どうして……!)
 使い魔を元の世界に帰す決意をしたのに、当の使い魔は必要のない戦いに首を突っ込んできている。こんな事なら、いっそ別れの時まで一緒にいればよかったかもしれない。
 自分の言葉で使い魔が自分の意志を曲げるとは毛ほども思っていないが、それでも、戦いに行くなと言えたかもしれない。しかし今、使い魔はたった一人レコン・キスタと戦っている。
 メイジでも貴族でもない、異世界の奇妙な老人が戦っていると知っているのは、ルイズただ一人。今、あの奇妙な竜を操っているのは自分の使い魔なのです、と言う気にはなれない。言った所でアンリエッタすら信じてくれないだろう。
 だが、事実である。
 ルイズは飛行機から視線を背けないまま、胸の前で両手を組んだ。
(――始祖ブリミル。ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール一生のお願いです。どうか、どうか……ジョセフ・ジョースターをお守り下さい。彼を無事に家族の元へ帰して下さい……)
 切なる祈りを捧げるルイズをよそに、ただ空を見上げていたトリステインの軍勢の中から、誰とも知れず声が聞こえてきた。
「……奇跡だ……」
「いや、あれこそ、始祖ブリミルが我々に大いなる力を振るって下さっているのだ……」
 都合のいい言葉だが、それを否定する言葉を誰も持っておらず、ましてや絶望に垂らされた一筋の希望を否定する気などあるはずもない。
 ルイズと同じくアンリエッタの側に控えていたマザリーニは、兵士達から上がる希望に縋る声にただ追従したりはしない。感情の揺らがない目で竜が空を舞う様を見つめていた。
 熱狂に侵食されつつある二千の中で一人、どこまでも静かに戦況を見ていたのはマザリーニ枢機卿だけであった。鳥の骨と貶められいらぬ誤解を受けながらも、前王の崩御以来トリステイン王国を担ったのは紛れもなく彼なのだから。
 この戦いに勝算など欠片ほどもなく、ただ名誉を拾いに行くために死にに来たようなものだと考えていた彼は、かの奇妙な竜を目の当たりにしてもトリステインの勝利を描いていない。
(我々が勝てるとすれば、かの艦隊を空から引き摺り落とさなければならない。果たしてあの竜は、ただ一騎で艦隊と立ち向かえるのか?)
 この場に居る誰一人として、竜騎士を七面鳥の如くあしらう竜の能力全てを知らない。
 絶望的な状況の中、一筋の希望を見せている。だが、縋るにしてはその希望はか細い。
 もしこの希望さえ潰えたのなら、その時こそトリステイン軍はラ・ロシェールと共に壊滅するしかない。しかし、もしこの希望が縋るに相応しい代物であったのならば、二千の兵を奮い立たせる何よりの要因となる。
(……内から沸き上る衝動すら口に出せないとは。全く難儀な道を選んだものだ)
 手綱が湿るほど汗をかいていた掌を裾で拭う様など、アンリエッタですら見ていない。
 ――やがて、時間にしておよそ十分強。アルビオン艦隊の周囲を飛行していた竜騎士隊二十騎全てが全滅する。
 竜騎士が一騎撃墜される度に大音声の歓声を上げていたトリステイン軍は、今しがた竜騎士隊を全滅させた竜がラ・ロシェールに向かって飛んでくるのを見ていた。
 竜が近付いてくればくるほど、唸り声のような音は大きく響いて聞こえてくる。
 つい先程までアルビオンの竜騎士隊と戦っていた竜が何故こちらに近付いてくるのか、理由を計りかねるトリステイン軍は一様に竜を見上げる以外に対処の仕様がなかった。
 接近するにつれて少しずつ高度を落としていた竜は、自分を見上げている四千の眼の上を誰も見たことのない猛スピードで通り過ぎたかと思うと、街に聳える巨大な樹を回り込む軌道で戻ってきた。
 竜は再び艦隊へ向かう進路を取りつつ、トリステイン軍の頭上を悠々と渡っていく。
 そして竜がアンリエッタ達の頭上を飛び越えていったその時、竜から何者が飛び出した。
 反射的に銃や杖が向けられるが、しかし今の今まで竜騎士隊と交戦していた竜から現れた人影へ問答無用に攻撃を仕掛ける者は居ない。
 トリステイン軍の前方、アンリエッタの付近へ向けて落ちてくる最中にフライの魔法を唱えた影は、マントを風にはためかせながら声も限りに叫びを上げた。
「アンリエッタ!」
 風に乗せられて届いた声に、アンリエッタの目がこれ以上はないほど開かれた。
「ウェールズ様!? ウェールズ様なのですか!?」
 王女の口が紡いだ名は、呼ばれるはずのない名前だった。
 トリステインの王女が様を付けて呼ぶ「ウェールズ」はレコン・キスタとの戦いで華々しい戦死を遂げ、既にこの世の者ではないと言う事になっているからだ。
 返事をする間も惜しいとばかりに、ウェールズは一直線にアンリエッタの側へと降り立った。
 突然の事に周囲のメイジ達が一斉に杖を向けるが、マザリーニは彼をアルビオン王国皇太子であるとすぐさま判別をつけた。
「各々方待たれよ! この方はアルビオン王国が皇太子、ウェールズ・テューダー様なるぞ! 今すぐその杖を下ろされい!」
 その声に杖は幾許かの躊躇いの後で下ろされるが、アンリエッタとウェールズは杖の行方など最初から一瞥もくれていなかった。
 アンリエッタはこれまで辛うじて続けてきた王女としての振る舞いを今ばかりは完全に忘れ、ただの恋する少女に戻ってしまっていた。
「ああ、ウェールズ様! この様な時に来て下さるだなんて……!」
 それでも人目も憚らず抱擁を求めてしまうほど自分を見失ってはいなかったが、右手までは気持ちを抑えることも出来ず、ウェールズを求めるように伸ばされていた。
 ウェールズは恋人に向けて差し出された手を、王子としての手で取ると、自然な動作で甲に唇を落とした。
「話は後だ、アンリエッタ・ド・トリステイン。僕はアルビオン王国の生き残りとしてトリステインへの援軍に来ているんだ。もうすぐ艦隊からの砲撃が始まる、すぐに部隊を集めて――」
 ウェールズの言葉が終わるのを待つこともなく、竜騎士隊を全滅させられた艦隊は多少の被害に構わず、当初の予定通りラ・ロシェールへの艦砲射撃を開始した。
 何百発もの砲弾が空から轟音を伴って降り注ぎ、岩や馬は言うに及ばず、兵士達を吹き飛ばす。これまで目の当たりにした奇跡で高揚した士気を持ってしても、兵達の動揺を留めることはできなかった。
「きゃあ!」
 思わず目を固く閉じて身を竦めたアンリエッタを庇うように立ったウェールズは杖を一振りし、風の障壁を周囲に張り巡らせる。
「マザリーニ枢機卿!」
「承知しております!」
 王女から少女に戻ったアンリエッタをウェールズに任せ、マザリーニは素早く周囲の将軍達と即席の軍議を終えた。マザリーニの号令に合わせ、メイジ達は一斉に杖を掲げて岩山の隙間を塞ぐ形で風の障壁が張り巡らされる。
 砲弾は障壁に阻まれてあらぬ方向へ飛ばされるか空中で砕け散ったが、それでも全てを防げる訳ではない。障壁の隙間を潜り抜けて砲弾が着弾する度に土煙と血飛沫が撒き散らされた。
「この砲撃が終わり次第、敵の突撃が開始されるでしょう。それに立ち向かう準備を整えねばなりませぬ」
「勝ち目は……あるのですか?」
 怯えを隠せなくなってきたアンリエッタの声に、マザリーニは心の中で首を振った。
 勇気を振り絞って出撃したものの、彼我の戦力差は比するまでもない。砲撃は兵の命だけでなく人の勇気を打ち砕き続けている。
 しかし、今でこそただの少女に戻ってはいるが、昨日の会議室で威厳ある王女としての振る舞いを見せてくれたアンリエッタに現実を突きつける気にはなれなかった。
 五分五分だ、と精一杯のおためごかしを言おうとしたその時、ウェールズの静かな声がアンリエッタに投げられた。
「――ある。十分だ」
 ウェールズはアンリエッタではなく、艦隊を遠巻きに旋回しているゼロ戦を見上げながら呟いていた。
「砲撃が終われば、その時が反撃開始の時間だ。それまで、持ち堪える」
 着弾の度に揺るぐ地面の感触を感じつつ、愛する少女を守る為に青年は杖を掲げた。


 *


 竜騎士隊を全滅させた後、ジョセフは本来の目的であるウェールズの送迎を済ませた。
 ラ・ロシェールに進行する艦隊をゼロ戦一機で殲滅できるとは思っていない。竜騎士の七面鳥撃ちは出来るにしても、爆弾の一つも搭載していない戦闘機が戦艦に立ち向かおうとするのは無謀としか言い様がない。
「救いは二十ミリを結構温存出来たっつーことだが……それにしたってハンデデカいぞ」
 二千メイルの上空を維持したまま、艦隊の射程外を遠巻きに旋回する。闇雲に攻められるのは竜騎士に対してのように、圧倒的な戦力差があってこそである。
 今はジョセフが圧倒的に攻められる番のはずだが、艦隊はこちらにさして構う様子すら見せずトリステイン軍に艦砲射撃を開始していた。何門かの砲門がこちらに向いているが、あくまで無闇な接近を阻む威嚇射撃らしき散発的な砲撃である。
 それだけ戦力差が絶望的に開いている、という証左であった。
「相棒、それはいいんだがガソリンは足りるのかね。日蝕までもうすぐだが、今のでかなり吹かしたんじゃねえのか? 俺っち怒んないから正直に言ってみな」
「しょーじき、厳しい」
 燃料を満載にしていれば三千kmは優に飛行できるゼロ戦だが、日蝕に飛び込むまでどれだけ上昇するのかはコルベールすら把握していない。無事に元の世界へ帰還できたとしても、どこに出るか判らない以上、ある程度は燃料に余裕を持たせねばならなかった。
「あいつらの弱点は見えとる。空の上から攻め込む戦艦は、砲を真上に向けるようには作っちゃおらん。撃てたとしても自分で撃った砲弾を頭に食らう覚悟はないだろうがなッ」
 一番手堅いのは、敵艦の頭上を取って急降下掃射を浴びせ反転急上昇、再び急降下掃射、という手を取る事であるが、そんな機動を繰り返せば燃料も弾薬もすぐ尽きる。
 しかしジョセフは躊躇わない。
「ここで引いたら男がすたるッてな!」
 口の端をにやりと吊り上げ、機体を急上昇させていく。
 雲を突き抜けた先で双月に隠れようとしている太陽を横目で見た後、そのまま間髪入れず宙返りして艦隊へと急降下していく。
「行くぞッ!!」
 艦隊の中央に陣取る、周囲の戦艦と比べても一際大きなレキシントン号。
 遥か眼下、照準器に刻まれた十字にレキシントン号を捕らえると、ハーミットパープルではなくガントリガーを力の限り引いて両翼の機関砲に火を噴かせる。
「これでも食らえッッ!!」
 出し惜しみすることをやめた二十ミリ砲弾と七.七ミリ銃弾が空を引き裂き、レキシントン号へと吸い込まれていく。
 元からの火力に急降下の速度と重力、そしてガンダールヴの能力の助けを受けた砲弾は一発一発が必殺の威力を手に入れている。直撃を受けたレキシントン号のメインマストは中程から折れ下がり、甲板を貫いた弾丸は直撃を受けた不幸な水兵を物言わぬミンチに変えた。
 だが、そこまでだった。
「……チッ、ビクともしとらんな」
 アルビオン艦隊の射程から逃れるべく四千メイルの上空で再び急上昇を掛けながら、なおもふてぶてしく空に聳えるレキシントン号を睨み付けて舌打ちをする。
 渾身の斉射は少なからずの被害を与えていたが、レキシントン号ほどの巨艦を大破轟沈させるにはどうしようもないくらいに役者不足だった。
 60キロでなくとも30キロ爆弾があれば、木造のフネなどあっと言う間に炎上させられていただろうし、一機だけでなく複数の僚機がいれば多大な被害を与えられていたはずだ。
 しかし今、ハルケギニアの空を飛ぶ戦闘機はジョセフのゼロ戦一機だけだった。
 二十騎もの竜騎士を容易く屠れはしても、巨大戦艦群を相手取れる性能はない。
「弾切れになるまではブチ込んでやらにゃあなるまい……これ以上好き勝手させてたまるかッ!」
 ジョセフ本人もこれ以上は徒労になるとは理解している。
 しかしジョセフの気性に加え、「敵の手の届かない所から撃てる」というある意味気楽な立場は、もう一度攻撃を行う踏ん切りをつけるには十分だった。
「撃ち尽くしたら逃げるッ!」
 力強い宣言をした後、二度目の宙返りからの急降下斉射にかかる。
 再び機首と両翼から撃ち続けられる弾丸がレキシントン号とは別の艦船に叩き込まれる。
 しかし結果はレキシントン号と似たり寄ったりの結果でしかなかった。
 メインマストを破壊し、ひとまずの被害を与えたもののせいぜいが小破止まり。
「相棒、これ以上は無理だ。逃げな」
 戦況を冷静に把握しているデルフリンガーが呟く言葉に、ジョセフはまた舌打ちして操縦桿を握り直す。
「チ、これが限界じゃな。ところでお前はどうするんじゃ」
「ここから放り投げるなり連れてくなり好きにしてくれよ。でも六千年も見てきた世界より、相棒の来た世界とやらを見てみたい気もするな。良かったら連れてってくれるかい」
「了解了解、じゃあ行くとするか……」
 そう言いながらペダルを踏み込み、スロットルレバーを動かす。
「……む?」
「どうしたよ相棒」
 デルフリンガーに返事する前に、再びハーミットパープルを這わせる。
 茨から伝わってきた情報に、ジョセフの全身から汗が噴き出した。
「……まずいな、エンジンが焼け付いてきとる」
「なんだって? 今の今まで普通に飛んでたじゃねーか」
「この前試験飛行しただろ。本当は一回飛ぶ度にエンジンバラして全部の部品を調整せにゃならんのだが、そんな時間もないし大丈夫だろうと思ってたんだが……固定化の魔法ってそんなに信用できんかったんじゃなあ」
「じゃなあ、じゃねえよ! 固定化は物の劣化を防ぐだけで損傷まではカバーしねえんだよ!」
「だったら最初から言ってくれよ! つい調子乗って試験飛行やっちゃったじゃないか!」
「うるせえ! いい年して調子こくから本番で困るんだろが!」
 不毛な言い争いをしながら、ひとまず滑空状態のまま空域から離れる。
 現状、まだ飛行は維持できるが急上昇急降下急旋回などの機動をすれば、場合によっては更なるエンジントラブルを引き起こし、最悪の場合は空中でエンジンが破壊される可能性も有り得るという見立てだった。
「ふぅーむ。こいつぁ参ったな……掻い摘んで言うと、帰れんくなったっつーこった」
「気楽に言ってんじゃねえよ! しゃあねえ、じゃあどっかに着陸して……」
「いや、このままあいつらをほったらかすとろくなことにゃならん」
「おいおい、もう何も出来ないだろ。これ以上何かするってったら……」
 そこまで言って、デルフリンガーはある可能性に行き当たった。
 まさかとは思ったが、そんな常識が通用しないのが今の相棒である。
「このゼロ戦のパイロットには伝統的な戦法があってな」
「おい。ちょっと待て。もしかして、この飛行機をあのデカブツにぶつけようとか、そんな無謀なことを考えてるわけじゃないよな?」
「よくわかったな」
「……無茶苦茶だ、幾ら何でもそりゃねえよ」
 六千年、使い手含めて様々な人間に握られてきたが、こんな無謀な手を考え付き、あまつさえ実行に移そうとする人間は見たことがなかった。
「なぁに、わしは手近なフネに飛び移ってハイジャックするつもりじゃ。死にはせん」
「おい、考え直そうぜ。それはあんまりにもあんまりだ」
 言葉だけ見ればジョセフの翻意を促しているが、その言葉の響きはいかにも楽しげであった。
「まぁ、相棒がどーしてもって言うなら付き合ってやらんでもないがな!」
「よし来た! んじゃちょっくら行くとするかッ!」
 艦隊の射程外を飛んでいたゼロ戦を上昇させ始め――
『待ちなさい! そんな勝手なこと、主人の許しもなしにやらせないわ!』
 不意に聞こえたルイズの声に、思わず上昇を抑えた。
「ルイズ!? ルイズなのかッ!?」



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