ゼロの奇妙な使い魔 まとめ

ゼロと奇妙な隠者-51

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匿名ユーザー

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「うん。こりゃ無理じゃな」
 昼下がりの厨房の片隅でシチューを飲み干して、ジョセフは二秒で言い切った。
 ウェールズに言った通り、奇跡が二つか三つは用意できない限りトリステインはアルビオンの脅威を払拭できない。
 孟子曰く、天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず。
 つまり天のもたらす幸運は地勢の有利さには敵わず、地勢の有利さは人心の団結に敵わないという事である。
 今のトリステインには天の幸運も地勢の有利さも人心の団結もない。天地人三つで惨敗している以上、結構な数の都合のいい奇跡を用意しなければならないが、いくらジョセフでもそんな都合よく奇跡を用意できるわけではない。
 それでも一応、大言壮語を吐いてしまった以上は何かしら奇跡が用意できないか、と情報を集めてみることにした。
 アルビオンの地理的条件やレコン・キスタ戦の顛末をウェールズに聞き、オスマンにトリステインや近隣諸国の情報を聞いてみた結果の答えが、冒頭の言葉に繋がる。
「そもそも敵の国が空の上に浮かんでるって時点で反則じゃよなあ。制空権取られて勝てる戦争なんてあるワケないじゃろーよ」
 空に浮かぶアルビオンはハルケギニア一の隻数を誇る飛行艦隊に加え、ハルケギニア最強とうたわれる竜騎士団を擁し、空軍戦力で言えば他の国の追随を許さない。しかもこっちからはただ渡航するだけでも日時を選ばなければならない。
「攻守共にパーペキ、じゃな。戦艦と戦闘機は性能も数も申し分なし。これで不意打ちなんか食らった日にゃ手も足も出ずにお手上げじゃ」
 第二次世界大戦もベトナム戦争も、左手が義手のおかげで高見の見物を決め込んだジョセフである。太平洋戦争で日本を叩きのめした圧倒的な戦力差が、今になって自分の身に押しかかってくるとなると、流石のジョセフと言えども暗澹たる思いは否めない。
 正直な所、異邦人丸出しのジョセフとしては黙って逃げても構わないとは思っている。しかしトリステインを襲うレコン・キスタに紳士的態度を期待できるほど盲目でもない。
「ふうむ。かくなる上は多少無茶な手を取るしかないかもな……じゃがそれってわしのキャラじゃないよーな気がするわい」
 空になったシチューの皿をスプーンでこつこつやっていると、後ろから声を掛けられる。
「ジョセフさん、お替りいかがですか?」
「ああ、じゃあもう一杯」
 シエスタに皿を差し出すと、花の咲くような笑顔が返って来た。
「はい、少々お待ち下さいね」
 ぱたぱたと鍋に向かって走るシエスタの後姿を眺め、ヤレヤレと頭をかいた。
「……キャラじゃなくてもやらなきゃならんかもなァ」
 独り言はジョセフだけにしか聞こえることはなく、それから少しばかり時間を置いて戻ってきたシエスタの手には、並々とシチューの注がれた皿と、ポットと二つのカップの乗ったお盆があった。
「お待たせしましたジョセフさん。とても珍しい品が手に入ったので……その、お御馳走しようと」
「珍しい品?」
 シチューを見るが、さっき食べたシチューと変わりがないように思える。
「いえ、そっちではなくて。ロバ・アル・カリイエから運ばれた珍しいお茶なんです」
「茶?」
 テーブルの上にお盆を置くと、ポットから二つのカップに緑色のお茶が注がれる。
 日本でホリィが煎れた緑茶によく似た香りに、ジョセフの目が細まった。
「はい、どうぞ」
「うむ、ではいただくとするかな」
 一口飲むと、少し渋い味が口の中に広がる。
「……ふむ。まさかこっちで緑茶を飲めるとは思わんかったな」
 ふう、と吐息と一緒に漏れた言葉に、シエスタがきょとんと目を大きくした。
「ジョセフさん、このお茶を飲んだことがあるんですか?」
「ああ、わしの娘が嫁いだ国の茶じゃ。娘がよく煎れてくれた」
「ジョセフさんの娘さんは、東方におられるんですか……」
 驚くシエスタを眺めつつ、ジョセフはカップに注がれた茶をぐっと飲み干した。
「うむ、美味い。ほら、シエスタも冷めんうちに飲んじまわんとな」
「え、あ、そうですね。それじゃ、頂きます」
 シエスタも一口緑茶を飲んで、ちょっとだけ眉を顰めた。
「うーん……ちょっと、苦いような気がします。香りはいいんですけれど……」
「これはあれじゃよ、何か甘ぁ~い菓子と一緒に食べるとバランスがよくなるんじゃ。クッキーみたいな焼き菓子なんかいいんじゃないか」
「あ、今ジョセフさんいいこと言いました! 三時のおやつにはちょっと早いですけど、固焼きのクッキーがあったはずですから持ってきますね」
 そう言ってまたぱたぱたと立ち上がったシエスタが持ってきた皿一杯のクッキーがテーブルに置かれ、しばらく二人で緑茶とクッキーの相性の良さに舌鼓を打つ。
「美味しい! クッキーの甘さがお茶の渋みを和らげて、お茶の渋みがクッキーの甘さを引き立ててるような!」
「ふむ、もうちょっと砂糖を多めに焼いてもいいかもしれんな」
 二人の口の中にクッキーが早いペースで飛び込み、シチューの皿も再び空になったところでジョセフは満ち足りたお腹を撫でた。
「ふー、食った食った。いやいやシエスタ、ご馳走さん」
 ジョセフの満面の笑顔に、シエスタはぼっと顔を赤くした。
「いえ、そんな……」
「今日は珍しいモンもご馳走になったから、なんかお礼をせにゃならんのォ。シエスタ、何か欲しい物があるならわしに用意できる範囲で用意するぞ」
 ジョセフが若くて可愛らしい娘にいい顔するのは今に始まったことではない。シエスタはルイズやキュルケ、アンリエッタの洗練された薔薇のような美しさとはまた趣の異なる、野に咲く花の様な素朴な魅力がある。
 黒髪黒目でちょっと鼻が低い面立ちは、日本の少女を思い起こさせる。
「えっと、じゃあ……ジョセフさんが住んでた国の事を聞かせてほしいです」
「わしの国か? そんくらいなら暇な時にいくらでも聞かせてもいいんじゃぞ」
「うふふ、お茶のお礼にジョセフさんのお話を独り占めさせて下さい」
 にっこりと無邪気な笑みを見せられては、悪い気がするはずもない。
「よしよし、んじゃたっぷり話すとするか。そうじゃなあ、わしの国でバーベキューに誘われたら要注意という話を……」
 その他に激辛の菓子を取引先の店主に渡した時の話や東方の牛肉がスゲエ話をし、厨房の片隅でメイドを思う存分爆笑させて満足した。
 笑い過ぎてまなじりに浮かんだ涙を拭うと、シエスタはぺこりと頭を下げた。
「ありがとうございました、とても楽しかったです。ジョセフさんのお話、また聞かせてもらえますか?」
「そりゃあもう。わしの笑い話のストックは108くらいじゃすまんぞ?」
「もし宜しければ、今度は私がお料理作りますから、あの、その……」
 もじもじと両手の指を絡ませて顔を赤らめながら、上目遣いでジョセフを見た。
「私と二人で食べてもらえたら、なんて……」
「わしでいいなら喜んで」
 今日も今日とてシエスタの好感度を順調に積み上げて、ジョセフは厨房を後にした。


 *


「うーんうーん……火……火……」
 早々とネグリジェに着替え終わったルイズは、今夜もベッドの上で悩んでいた。
 しかし今夜の悩みは使い魔のことではなく、アンリエッタの結婚式で詠み上げる詔を考える為の悩みだった。
 トリステイン王室の伝統として、王族の結婚式では貴族から選ばれた巫女がトリステインの国宝である『始祖の祈祷書』を手に式の詔を詠み上げる慣わしとなっている。
 アンリエッタは式の巫女にルイズを指名し、オスマンを通じて始祖の祈祷書をルイズに授けた。だが指名された巫女は、詠み上げる詔を考えなければならないと聞いたルイズは、内心役目を辞退したい気持ちで一杯になった。
 ルイズは頭の出来は良好ではあったが、如何せん芸術的センスや文才に関しては残念なことに不自由と言わざるを得なかった。
 四大系統の火、水、風、土に対する感謝の辞を詩的な言葉で韻を踏まなければならないという高いハードルの前に、ルイズは早速膝を屈しかけていた。
 ノートには線を上書きされた文章のなり損ないが何ページも連なっており、ルイズの悪戦苦闘っぷりを雄弁に物語る。
「……うう、そんな事言われても……」
 詩を読んであそこがダメだここがダメだとしたり顔で評論するのは簡単だが、こうやって作る立場になってみて初めて、詩人と言うのは偉大だと痛感していた。
 しかし敬愛するアンリエッタが直々に自分を指名してくれた光栄を考えると逃げ出す訳にも行かず、頭から煙を出しかねない様子でウンウン唸る以外ないのだった。
「それにしても……国宝なのよね、コレ」
 ルイズはもう一度『祈祷書』を最初から最後までめくってみる。古ぼけた革の装丁の表紙からして今にも破れそうで、羊皮紙のページも色あせて茶色く変色している。一枚めくる度に破いてしまわないように細心の注意を払わなければならない。
 しかしそれにしても、三百ページあるその本は最初から最後まで全部白紙。六千年前に始祖ブリミルが神に祈りを捧げた時に唱えた呪文を記したものが『始祖の祈祷書』だという伝承が残っているが、それにしたって全部白紙と言うのはいかがなものか。
 始祖ブリミルの伝説所縁の品物は、『伝説』の常として各地に何冊も存在している。伝説が本当だとすれば本物は一冊だけのはずだが、所持者は全員自分の祈祷書こそが本物だと声高らかに主張している。
 アルビオン王室にも当然『始祖の祈祷書』が存在していた。ウェールズに中身はどんなものか聞いた所、ルーン文字でびっしりと埋め尽くされていたらしい。
 それを考えたら、全部白紙だと言うのに祈祷書でございと言い切るトリステイン王室は大した度胸だと感心してしまった。
「……まあそれはさておいて。早いトコ考えなきゃならないのが巫女の辛いところだわ……」
 再びノートに向けてペンを構えたその時。
「帰ったぞー」
 風呂上りの能天気な使い魔の声に、慌てて祈祷書でノートを隠した。
「ん? なんじゃそれ」
「な、なんでもないわよ」
 こそこそと祈祷書の下に隠したノートを枕の下に移そうとするのは意に介さず、ジョセフはルイズの頭を指差した。
「いや、なんでわしの帽子かぶっとるんじゃ」
 帽子がトレードマークのジョセフでも、風呂に行く時は帽子を脱いで行く。部屋に置いたままの帽子がいつの間にかルイズの頭の上にあった。
 しかし身長195cmのジョセフと153サントのルイズでは頭のサイズも二回りほど違う為、ジョセフなら眉毛の上辺りまでしか収まらない帽子が、ルイズがかぶると両目を覆い隠すくらいになっていた。
「……そこにあったから、なんとなく」
 それだけ言って、両手で帽子のつばをつかんでぎゅっと下に引き下げた。
「じゃが部屋の中でかぶっても意味ないじゃろ?」
「……いいの」
 そう言うと、帽子を取ろうともせずベッドに寝転んだ。
 ジョセフもそのままベッドに歩み寄ると、遠慮なくベッドに寝転ぶ。
「……何勝手にご主人様のベッドに寝てるのよ」
「昨日ベッドで寝ていいって言われたからな」
 やっとここで帽子を脱ぐと、大の字になるジョセフの顔へ帽子を乗せた。
 乗せられた帽子を枕元に置くジョセフの腕に頭を乗せて、ルイズは赤く染まる顔で憎まれ口を叩く。
「……いいわ、忠誠には報いるところがなければならないもの」
 そう言いながらランプに杖を振り、明かりを消した。
 それからちょっとの間、ルイズはまだ落ち着かなさげに寝返りを打ったりするが、やがて呼吸が静かになっていき、すとん、と意識を手放した。
 規則正しい寝息を立て始めたルイズの寝顔を見ながら、ジョセフは小さく溜息をついた。
「――キャラじゃなくてもやらなくちゃならんか、な」
 口の端に薄い苦笑を浮かべ、桃色がかったブロンドの髪を優しく撫でてから、ジョセフも主人の後を追う様に眠った。


 *


 ルイズ達がアルビオンから帰還して十日ほど過ぎた昼下がり。昼食を終えたジョセフは部屋に戻り、ベッドの上で昼寝を楽しんでいた。
 ルイズの部屋にはさして物はなく、年頃の少女が住む部屋にしては少々殺風景だった。
 この部屋の中で目を引く家具と言えば、天蓋付きの豪奢なベッド、一人分の衣装を収めるにはやや巨大なクローゼット、分厚い本で埋め尽くされた本棚。
 他にあるものと言えば、クローゼットの横に引き出しの付いた小机があり、部屋の中央に丸い小さな木のテーブルと二脚の椅子、そして部屋の片隅に無造作に置かれたボロ毛布。
 寮の一室にしてはかなり広い空間にそれくらいしか家具がないルイズの部屋は、まあ言ってみれば合理的で機能的と言うことも出来た。
 掃除もハーミットパープルがあるし、洗濯も波紋式全自動洗濯ですぐに終わる。しかし主人が授業に行っている間の暇潰しに不自由することはない。
 学院の探索は大体終わっているが、厨房に行けばマルトーやシエスタなどの使用人達と無駄話が出来るし、中庭に行けば日向ぼっこしている使い魔達と交流を深められる。ウェールズの部屋に行けば、かつてのアルビオンの情勢を事細かに聞くことが出来る。
 しかし暇潰しの手段に事欠かないとは言え、腹も満足した上に初夏間近の陽気にやられて睡魔に襲われるのは致し方ない。
 暢気にいびきをかいているジョセフを起こしたのは、扉をノックする音だった。
「……んぁ?」
 気持ちよいまどろみから抜け出さないまま、寝ぼけ声で返事する。
「主人なら授業中じゃよ……」
 そのまま再び眠りに戻ろうとしたジョセフに、少女の声が届いた。
「あ、あのジョセフさん! 私ですシエスタです!」
「ん? えー、あー……開いとるぞ」
 寝ぼけたままのジョセフの声を聞いて、料理が大量に並んだ銀のお盆を持ったシエスタが部屋に入ってくる。
「んむ……どうしたんじゃ、何か用かな」
 身を起こしながら目を擦りつつ帽子を被るジョセフに、シエスタはそばかすの浮いた頬を僅かに赤らめながら言葉を掛けた。
「あ、あの……実はですね、最近、マルトーさんにお料理の手ほどきをしてもらってるんですけど、その……もし良かったら、ジョセフさんに食べてもらいたいなって……」
 所々言葉をつっかえたり視線をそこかしこに彷徨わせたりしながらも、お盆を持つシエスタの手は揺らがなかった。
「ふーむ。なかなか旨そうじゃがちょっとわし一人で食うには量が多すぎるかなァ」
 最近は三食不自由しないジョセフである。厨房に行くのもちょっと小腹が空いた時に行くくらいで、本格的に食事を分けてもらう事も最近では少なくなっていた。
「あ……そうですね、ミス・ヴァリエールやお友達の皆さんと塔でお食事なされてますし……やだ、言われてみたらちょっと作りすぎちゃったかも……」
 ウェールズが隠れ住む塔まで五人分の食事を運ぶのは使用人達の仕事の一つであり、シエスタもちょくちょく塔の入り口まで食事を運ぶこともある。しかし黒い琥珀に選ばれていないシエスタは入り口より上に入ることはないのだった。
 張り切って作った料理に視線を落とし、肩も落としたシエスタにジョセフはニカリと笑って言葉を続けた。
「こーゆー時は逆に考える。わし一人で食うには量が多いなら、シエスタも一緒に食べりゃいいんじゃよ。な?」
 落ち込んでいた顔へ、花開くように笑みが広がった。
「あ、それはいい考えです! それじゃ今からフォークとナイフ取ってきますね!」
「シエスタ、行く前に料理はテーブルに並べて行った方がええと思うぞ」
 それから数分後、ジョセフとシエスタはフォークとナイフを手にし、小さなテーブルの上に所狭しと並べられた料理を向かい合わせになる形で挟んでいた。もうそろそろおやつの時間ではあるが、おやつというには本格的なボリュームのある食事である。
 ジョセフがまず最初に目を向けたのは血の滴るようなTボーンステーキ。それもサーロインの方からナイフを入れていく。
 大きく切り取った肉をこれまた大きく開いた口に入れ、数度噛み締めてから飲み込んだ。
「うむ、旨い! 焼き具合も肉の下ごしらえもバッチリじゃ!」
「わぁ、よかった! ジョセフさんの好物がTボーンステーキだって聞いてましたから、ちょっと頑張ってみたんです!」
「いやいや、これはマルトーの親父が焼いたって言われても疑ったり出来んぞ? どれ、他のも頂くとするか。シエスタもわしに遠慮せず食べてくれ」
 そう言っている間にも、ジョセフは他の料理に取り掛かり、かなりのスピードで皿の上を片付けていく。
「うふふ……私が作った料理をそんなに美味しそうに食べてくれるのを見るだけで、満足しちゃいそうです。でも普段だとこんな立派な食事なんて食べれないですから、お言葉に甘えて食べちゃいます」
 フライドチキンはフォークやナイフなんか使わずに直接手で持ってかぶりつく。油の付いた指まで舐めるジョセフの様子を、シエスタはスパゲティを取り分けながら嬉しそうに見つめていた。
「はいジョセフさん、このパスタは自信作なんですよ」
「お、こいつも旨そうじゃな。……ふむ、旨い!」
 二人で食べようと言いながらも、結局テーブルの上の料理は八割ほどがジョセフが平らげてしまい、最後にデザートのクックベリーパイを残すのみとなった。
「ふー、いやホント旨かった。満足満足」
 ワインを飲みながら、パイを切り分けるシエスタへ笑みを向けた。シエスタもジョセフの笑みにはにかみながら、パイをジョセフと自分の皿の上に乗せた。
「あんなに美味しそうに食べて貰えるなら作って良かったなあって思いました。で、その……もし、よかったら、でいいんですけど……」
「ん? またなんか愉快な話を聞きたいんならいくらでも話すぞ」
「あ、いえ……お話もいいんですけど、その……」
 膝の上でもじもじと指を絡ませながら、落ち着かなさげに視線を彷徨わせるシエスタ。切り分けられた最初のピースをジョセフが飲み込んだ辺りで、シエスタは意を決して自分の分のパイが乗った皿をジョセフに指し示した。
「も……もし、よかったら……その、あーんってしてもらえたらなーって……。あ! お、お嫌だったらいいんです! ごめんなさい、変な事頼んじゃって私ったら……」
「おお、構わんぞ」
 たっぷりと逡巡を繰り返したシエスタの葛藤が馬鹿らしくなるほど、あっさりとジョセフはシエスタの頼みを快諾した。
「そんなんでいいんならお安い御用じゃ。どれ」
 あまりにスムーズに進んでいく話に一瞬呆気に取られてしまったシエスタの前から、ジョセフの手が皿を引き寄せる。
 そしてフォークで小さく切り分けたパイを刺し、ニカリと笑ってシエスタへ差し出した。
「ほら、あーん」
 ジョセフにとっては何気ないお遊び……というか、軽いおふざけレベルの所作だが、シエスタにとっては一世一代の決心とも言える出来事だった。
 決闘騒ぎから後のジョセフは、学院で働く平民達にとっては貴族達に一泡吹かせて見せた英雄であり、特に貴族の暴虐から救われた張本人であるシエスタが特別な感情を抱くのは当然とも言える。
 そんな相手が、にっこり笑って、あーん。
「え、えええええええあ、あの、心の準備が……!」
 予想を上回った展開に慌てはするものの、シエスタとしても願ったり叶ったりのシチュエーションであることは間違いない。
 真っ赤になった頬を両手で包み、すー、はー、と深呼吸をしてから、意を決する。
「……優しく、優しくお願いしますね、ジョセフさん」
 まるで唇でも捧げるような面持ちで固く目をつぶると、あーん、と大きく口を開けた。
「そんなに身構えんでも大丈夫じゃぞ?」
 ちょっと苦笑を浮かべながらも、フォークをシエスタの口へと運ぶ。
「はい口閉じてー」
「ん、む」
 口を閉じて、フォークが抜かれて、口の中に残ったパイを、噛んで、噛んで、噛んで、よく噛んで、ゆっくり噛んで、飲み込む。
「…………」
「お味はいかがかな?」
「…………え、ええと」
 顔を真っ赤にしたまま、上目遣いでジョセフを見た。
「……もう、一回、お願いします……」
「よしよし」
 再びパイが刺さったフォークを、シエスタが口にくわえた瞬間――授業を終えて帰ってきた部屋の主がドアを開けた。
「おうルイズ、お帰り」
 暢気に声を出せたのはジョセフだけだった。
 ルイズは部屋に戻ってくるなり見えてしまった光景に、無意識に目を見開いていた。
 シエスタは、扉の開いた音にふと向けた視線が捕らえたルイズの姿に、少女の直感が閃いていた。これは、まずい、と。
 何をどうしなければならないか考えるよりも早く、シエスタは首を静かに後ろに動かして口にくわえられたままのフォークを抜き、必要最低限の咀嚼でパイを飲み込んだ。
 パイが喉を通過するのを感じながら、シエスタは自分にクイズを出した。
(問題です! 今にも大爆発しそうなミス・ヴァリエールに御納得していただく方法は? 3択――ひとつだけ選びなさい。
 答え1 キュートなシエスタは突如見事な弁明のアイデアがひらめく。
 答え2 ジョセフさんが言いくるめてくれる。
 答え3 ごまかせない。現実は非常である。
 ……私が○をつけたいのは答え2ですが期待はできません……。
 ここに来てのほほんとしているジョセフさんがあと数秒の間に都合よく今の危機的状況を把握して『バタフライ伯爵夫人の優雅な一日』の騎士様のように不貞の現場を目撃されたのに間一髪見事な弁舌で言いくるめてくれるってわけにはいきません……。
 逆にジョセフさんが何を言っても火に油を注ぐ結果になるかもしれません)
 おなかにパイが落ちるまでの僅かな時間でそこまで判断を下したシエスタは、今にも滝のように流れ落ちそうな汗を必死のパッチで押し留めつつ、たおやかな微笑みを浮かべて口を開いた。
「――ジョセフさん、今日は本当に有難うございました。ちょっと余っちゃったからっていきなりこんなに料理を持ってきましたのに、全部食べて下さって……」
「ああいやいや、わざわざわしのために作ってくれたんじゃからな。ありがたく食べないとバチが当たるわい」
 空気を読んでくれないジョセフの返事に、シエスタの全身からだくだくと汗が流れた。
 せっかく『自分がジョセフのために頑張った手作り料理』という点をはぐらかし、『作り過ぎて余ったから食べてくれそうな人に持ってきましたよ』という流れに持っていったのに、当のジョセフがこれ以上ないくらいにぶっちゃけてしまった。
 しかも、それだけでは飽き足らず。
『シエスタの口に入ったフォークで』『自分の分のパイを切り分けて』『食べた』。
 俗に言う間接キス。
 ラブコメの必勝形である。
 これがほんの一分前に起こっていたら、シエスタの胸は甘いときめきで満ち溢れていたのは間違いない。
 だがこの状況に置いてジョセフのこの行動は、破滅への道を突き進むスイッチでしかなかった。
 あと数秒で大爆発するであろうルイズには目もくれず、普段から培われたメイドの技術を完全解放してテーブルの上の皿を目にも留まらぬ早業で盆の上に乗せてしまうと、わなわなと肩を震わせ始めたルイズに一礼して駆け足に限りなく近い早足で部屋を脱出した。
「おーいシエスタ、そんなに慌ててどうしたんじゃ?」
 事ここに至ってもまだ、ジョセフは事態の重大さにこれっぽっちも気付いていない。
 テーブルの上は綺麗に片付けられ、ジョセフが持っているフォークだけが残っていた。
 入り口で立ち尽くしたままのルイズの肩が少しずつ震え始め、段々と大きくなっていく。
 やっとここに至って何かおかしいということに気付いたジョセフが、フォークをテーブルに置いてルイズへと歩み寄っていく。
「どーしたんじゃルイズや」
 ジョセフが声を掛けても、ルイズは答えない。
 俯いたまま、肩を震わせているだけだった。
「おい、ルイズ――」
 訝しげな声と共にルイズの肩に伸ばした手を、ルイズは勢い良く振り払った。
「触らないでッ!!」
「なっ……お前、いきなり何を――」
 唐突な反応に声を荒立てようとしたジョセフの言葉が不意に途切れた。
 俯いたルイズの頬を伝った涙の粒が、床に落ちたのを見たからだ。
「……出てってよ! あ、あんたなんかっ、あんたなんかっ……もうクビよッ!! どこにでもっ……どこにでも、勝手に、行っちゃえばいいんだわ!!」
 そう言う間にも、涙の粒は次々と床に落ちて弾けていく。
 しゃくり上げながらもただ拒絶の言葉だけを告げるルイズに、ジョセフは小さく溜息をついた。
「……ご主人様がそう言うんなら、しゃーないな」
 部屋の隅に立てかけていたデルフリンガーを腰にぶら下げると、泣いているルイズの横を通り過ぎて部屋を出て行き、後ろ手にドアを閉めた。
 閉じられたドアを涙で滲む目で睨みつけていたルイズは、遠ざかって行く足音が聞こえなくなってから、テーブルへとキッと視線を走らせた。
 そこにあるのは、今しがたまでジョセフが持っていたフォーク。
 荒々しい足音を立てながらテーブルに近付いたルイズはフォークをつかむと、叩きつけるように床へフォークを投げ捨てる。
 それだけでは飽き足らず、澄んだ音を立てて床をはねるフォークへ力任せに杖を振り上げ、爆破した。
 フォークが跡形もなく爆破されたのを確認しようともせずに早足でベッドに向かうと、枕に顔を埋めて、更に泣いた。
 ただ悲しかった。ただ泣きたかった。
 自分でもどうしてこんなに感情が昂ぶっているのか、少しも理解できない。
 ただ、ジョセフがメイドと仲良さそうにしていて、メイドにあーんとしたフォークでパイを食べたのを目撃しただけだ。たったそれだけのことなのに、ルイズの中からは止め処なく悲しさばかりが溢れ続けていた。
 何故こんなに悲しいのか理解できない。けれど、どうしようもなく悲しかった。
 泣けば泣くほど泣くのは止まらなくなり、涙が出なくなっても嗚咽が止まろうともしない。
 涙で湿った枕に顔を突っ伏したまま、泣き疲れたルイズはいつしか気を失うように眠ってしまっていた。
 二つの月が鮮やかに輝く頃になった頃、ルイズはやっと目を覚ました。
 眠気でぼやけた目で、広いベッドを見渡し――この部屋に一人きりであることをもう一度確認して……再び泣いた。


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