草は枯れ、花は散る(1)


朝の光が、血と憎悪に濡れた大地を照らす。
それはどこか神秘的であり、血生臭い殺し合いが行われているとは思えない光景だった。
憎たらしくなるほど美しいその朝焼けの中を、二体の巨人が並んで飛んでいく。
ディス・アストラナガンと、マジンカイザー。
今や、殺し合いを止めるための鍵とも言える二機の姿は、禍々しさを感じさせる。
満身創痍の悪魔と魔神、それらと朝の光とのコラボレーションは、
絶望に抗う彼らへの嫌味か当てつけかのように、ミスマッチ極まりなかった。

四度目の放送が流れてから、ミオとヴィンデルは一言も口を開いていない。
もっともミオのほうは、盗聴の可能性を考えて、会話は控えているのだが。
しかし、彼女の表情には普段の明るさはなかった。
突きつけられた現実から考えれば、それも当然である。
22人――放送で読み上げられた死者の数は、これまでとは比較にならないものだった。
三度目の放送の段階で、生存者は31人。この12時間で、そこから実に3分の2の命が失われたこととなる。
異常な進行速度だ。デビルガンダムの暴走を考慮に入れたとしても、である。
いくら彼女と言えど、この非情な現実を前に、冗談を言う気分になどとてもなれなかった。

二人がしばらく進んでいると、眼下に大破した機動兵器を発見した。
白いMSらしき機体だった。それを見て、ミオは機体を止める。
(殺し合いは……続いてるんだ)
わかっていたことだった。
デビルガンダムのコアとなっていた間、ミオは数多くの断末魔の思念をその身に受けていた。
どれだけの殺し合いがこの世界の中で行われていたか、わかっていたはずだった。
それを証明するものが、今しがた流れた放送だ。
だが、全てをクールに受け入れられるほど、彼女は老成しているわけでもない。
いっそ思い切り叫び出したくなる衝動を、ぐっと堪える。操縦桿を握る手に、自然と力が込められた。
「……行くぞ。ここで、足を止めている時間はない」
ヴィンデルがミオに声をかける。
「マシュマー達から託された遺志を継ぐためにも……
 我々は、ここで立ち止まっている暇はない。……わかるな」
昇進の少女に対して多少厳しいことを言っているのは、ヴィンデルも承知の上だった。
(……ヴィンデルさん)
だがミオはヴィンデルの意図を察し、無言でアストラナガンを頷かせた。
彼女は比較的精神年齢は高かった。何より、彼女自身もわかっていた。
ゲッターの世界で出会った、死んでいった人達の遺志を無駄にしないためにも、
そして自分を救ってくれたマシュマー達のためにも、決して絶望に屈するわけにはいかないのだ。
だから、ミオは再び進みだす。

(……強い子だ)
再び進み始めたアストラナガンを見ながら、ヴィンデルは素直にそう思った。
(あの年代の子には不釣合いなほどに、な)
この絶望的状況においてなお折れない心。
デビルガンダムやゲッター線との接触が、彼女をそうさせるのか。
あるいは、この世界に召還される前からか――
ヴィンデルの彼女に対する感想は、奇しくもアクセルが彼女に抱いたものと同じだった。
(だが、今となっては……彼女の強い心こそが、ユーゼスに立ち向かうための希望になる)
希望――かつてチーフがリュウセイに対し、それを見出したように。
ヴィンデルもまた同じものを、ミオに見出していた。
(ならば……私は、あの子を守り抜いて見せよう。
 アクセル、マシュマー……お前達が命を賭けて守った、この少女を)
そう決意して、ヴィンデルは微笑する。そして、気付いた。
普段の自分からは考えられないほど、穏やかな表情を浮かべていることに。
(……まだ、こんな風に笑えたのか。私は)


ヴィンデルはもう一度、眼下の破壊されたMSを一瞥する。
(……今なら、お前達のような者の気持ちが、わかるような気がする)
ヴィンデルは以前にもこのMS、そしてそのパイロットと遭遇したことがある。
彼らといた時間は短かった。会話もほとんどなかったし、顔合わせもモニター越しでしか行っていない。
だがそれでも、彼――いや、彼らがどんな人間だったか、その短時間である程度想像はついた。
このMSに乗っていた頼りなさそうな青年と、彼に付き従っていた銀髪のツインテールの少女。
(ホシノ・ルリを見殺しにしたこと……この場で、詫びておく。テンカワ・アキト……)
マジンカイザーはその惨状を暫し見届けて、アストラナガンを追いかけた。


 * * * * * * * * * * *


クォヴレー・ゴードン。
彼には、このバトル・ロワイアルに参加する以前の記憶がない。
だから、彼にとってはこの二日間の出来事が全てだった。
その中で生まれた仲間との絆は、彼という人格を構成する要素の大部分を占めていた。
クォヴレーの人格は、いつしか仲間に依存するという形で初めて、成立するようになっていた。
そんな彼に突きつけられた、トウマ・カノウの死。
相棒的な存在にもなっていた身近な人物の死は、それまでどこか漠然としていた
殺し合いの恐ろしさを、リアルな認識へと昇華させた。
トウマの死により、彼はバトル・ロワイアルという殺し合いの現実を改めて痛感することとなる。
彼はやがて仲間を失うということに対し過剰なまでの恐れを抱くようになった。
過去を失った彼にとって、この世界で出会った仲間の死は、自らの半身を失うことと同じ意味を持つのだから。

それを嘲笑うかのように、四度目の放送はクォヴレーの心に容赦なくナイフを突き立ててきた。

リュウセイが死んだ。ジョシュアが死んだ。
セレーナも、リョウトも。おそらく、セレーナと共にいたエルマもそうだろう。
E-1の島で別れた仲間達は、いなくなっていた。クォヴレーの与り知らぬ所で。

悪夢にはそれだけに留まらなかった。

今、クォヴレーはシロッコと共に、レイズナーのコックピットの中にいる。
きな臭さと血の匂い漂うそこで二人が目にしたのは、散らばった首輪の破片と、
シートに紅い色を撒き散らして倒れている、巨漢の男。
それは紛れもなく、今しがた放送で呼ばれたガルド・ゴア・ボーマンの成れの果てだった。
だが、クォヴレーはそれを見てから『ガルドの死』という現実を受け入れるまで、数秒を要した。
死体の首から上は、ガルドの、いや人としての形を完全に失っていた。
彼がありのままの現実を受け入れるには、その死に様はあまりにも悲惨すぎたのだ。

「木原マサキ、か……こちらの想像以上に危険な人間のようだな」
「そんなことは……わかっている」
すぐ隣で呟いたシロッコに、クォヴレーは苛立たしげに吐き捨てた。
その苛立ちを向ける対象は、ガルドを殺したマサキでも、不愉快なほど冷静さを保つシロッコでもない。
(わかりきっていた……こんな事態が起きる可能性は、十分に考えられたはずなのに)
彼は自分の迂闊さを呪った。木原マサキに付け入る隙を与えた、自分自身を憤った。
(あの男を放置しなければ、目を離したりなどしなければ……!
 あいつが、トウマが死んだ時誓ったはずなのに……なんてザマだ……!)
次第に彼は、ガルドの死を背負い込んでいく。
無意識のうちに、何もかもを自分ひとりで背負い込んでしまうのは、悪い癖だった。
(俺が、もっとしっかりしていれば……死なずにすんだかもしれない。
 ガルドも、トウマも。いや、リュウセイやジョシュア達だって……!)
ガルドだけではない。他の仲間の死までも取り込んでゆく。
しかし、ただでさえトウマの死、さらに記憶喪失による不安やストレスが蓄積し、
精神的に疲弊していた彼が、この上、仲間の死の全てを背負い込むには、それはあまりにも重過ぎた。

その重みで、糸が切れ始めた。
『彼』と『クォヴレー・ゴードン』を繋ぐ糸が、一本、また一本と……。
そして――彼の中で、何かが狂い始めた。

(人間の所業じゃない……)
ガルドの亡骸を見て、クォヴレーは握った拳を震わせた。
惨たらしい。あまりにも惨すぎる。
どれほどの猟奇的趣味の持ち主でも、ここまで酷い殺し方などできないと思えるほどに。
(こんな真似を平然と行える奴が、人間であってたまるものか……!)
心の奥底から、怒りと憎しみが湧き上がる。それを止められる者は、この場には存在しなかった。
(こんなことが、許されるはずがない……こんなことをできる悪魔が、許されていいはずがない!!)

「クォヴレー!?どこへ行く!?」
シロッコが叫んだ時には、クォヴレーは既にレイズナーのコックピットを飛び出していた。
地面に降り立つと、そのまま駆け出す。向かう先はもちろん、ブライガーのコックピット。
それに乗ってどうするかは、決まっている。
(イキマを追わなければ……でなければ、あの悪魔にイキマが殺される――!!)

ブライガーの操縦席へと戻ったクォヴレーは、すぐさま機体の起動作業に取り掛かった。
黙々と、しかし焦りを顕にしながら、システムを立ち上げる。
(あいつは……イキマは、こんな所で死んでいい奴じゃない。
 過去を乗り越え、新たな道を見出しつつある、あの男は……!!)
イキマがグルンガストに乗り込む前に見せた、確かな覚悟を秘めた表情が脳裏に蘇った。
(絶対に、イキマを死なせるわけにはいかない……ましてや、あんな悪魔に……!!
 木原マサキ……ガルドを殺したあの男は、何としても止める。
 奴がイキマを殺そうとする前に、何としても……殺す!)
仲間を守りたいという想い、そして仲間の仇を討つという復讐心が、憎悪を加速させる。
やがて彼の中に殺意という名の刃が生まれ、その刃先は明確に、倒すべき敵へと向けられた。
だが憎悪から生み出されたその刃には、憎悪に囚われた彼には制御する術がなかった。
(いや、マサキだけじゃない。あのラミア・ラヴレスも信用が置けるものか。
 あのユーゼスの犬が、素直にイキマと共闘などするはずがない)
刃を向ける対象が、暴走とも取れる勢いで、次第に広がっていく。
(そして、トウマやリュウセイ達を殺した奴らも……!
 敵は倒す……全て、一人残らず倒す……!もう二度と、躊躇わない……!)
その決意は、彼がバトル・ロワイアルの理に取り込まれつつあることを意味していた。
そうなったきっかけが仲間との絆だというならば、皮肉な話ではある。
(マサキを、ラミアを……そして皆を殺した奴らを……!
 何よりも、ユーゼス・ゴッツォ……この殺し合いを仕組んだあの男だけは……!
 俺の大切なものを奪い尽くした、あの男だけは!)
修羅でも乗り移ったかのような形相で、彼はユーゼスと殺人者達を、心の底から憎悪した。
その表情には、もはや記憶を失う前のクォヴレー・ゴードンの面影など見当たらなかった。
彼の憎悪に呼応するかのように、ブライガーの瞳に光が灯る。
同時に、コックピット内のモニターにも、外の光景が映し出された――


「な――!?」

モニターに映し出された光景を見て、クォヴレーは自分の目を疑った。
ちょうど、ブライガーの真正面。
先程までグランゾンが停められていた所に、それは転がっていた。
(あれ……は……!?)
何故、今の今まで気付かなかったのか。
いや、それ以前に、何故あれがここにあるのか。
だって、あれを持っていたのは――
視線を移す。レイズナーに……いや、その中に残ったままの、パプテマス・シロッコに。
(シロッコ……まさか、お前は……!?)

クォヴレーの頭に、一つの疑惑が生まれた。
その瞬間、まだ心の一部で収まっていたはずの復讐心が、急激に肥大化した。
それは憎悪と共に、彼の心の全てを黒く染め上げる。
同時に彼は、今本当に為すべきことを見失い、目の前の疑惑の元凶に思考の全てを注ぐようになった。

狂った歯車が、動き始めた――


 * * * * * * * * * * *


(依存の対象を失って、精神の均衡が崩れたか。
 今は矛先を向ける明確な存在がいる分、崩壊までには至っていないが……)
レイズナーのコックピットに一人取り残されたシロッコは、飛び出していったクォヴレーの姿を
見ながら、その精神状態に危険を抱き始めていた。
コックピットを飛び出す直前に一瞬見えたクォヴレーの目には、以前にも見覚えがあった。
つがいを失い精神を崩壊させた少女――ゼオラ・シュバイツァーの目とよく似ているのだ。
(これであのイキマとやらが死ねば、決定打となるな。ゼオラと同じ道を進み始めるのも時間の問題かもしれん。
 暴走して、見境がつかなくなれば面倒なことになるが……)
目の前の死体を一瞥する。表面上平静を保っているシロッコでも、その惨い死に様には吐き気を催していた。
(……こんなものを見せられれば、錯乱も致し方なし、か)
思えばキラ・ヤマトの崩壊も、きっかけはこれと似たものだった気がする。
他人の精神崩壊にやけに縁がある。あまり歓迎したくない縁に、シロッコは溜息を一つついた。
(それにしても、何たる失態だ……ここに来てグランゾンを奪われるとはな。
 それも、これだけの残虐性を持つ男の手に渡ったとなると……
 ……ん?)
何気なくシートに目が行く。そこには、見たことのない丸い物体が置かれていた。
手にとって見定めてみる。何かの機械のようだ。
「これは……もしや」
マサキが去り際に言い残していった言葉が思い出される――

そこまで来て、シロッコの思考は中断された。
(!! 敵意……いや、この鋭さ……殺意か!)
自分に向けられたプレッシャーに、シロッコは振り返る。
こちらを向いて立つブライガーが、目に飛び込んできた。プレッシャーの出所は、彼だ。
前に突き出された右手には銃が握られている。
その銃口は、レイズナーに――今シロッコがいる、コックピットに向けられていた。


事態の急変を悟ったシロッコはすぐさまシートに座り、ブライガーとの通信回線を開いた。
レイズナーの元の操縦者であるマサキはグランゾンに乗り換えたのだから、躊躇う必要はない。
マサキが機体を起動させたままにしていたのは幸いだった。行動は迅速に進められた。
「クォヴレー……一体どういうつもりだ」
通信機越しに、シロッコはブライガーの中のクォヴレーへと問いかける。
「お前が、殺したのか」
返ってきた声は、先程の姿からは考えられないほど、冷たかった。
「お前が、リュウセイやジョシュア達を殺したのか」
それも爆発寸前の怒りを無理矢理抑え込むかのような、どこか危うさを感じさせる冷たさだ。
「……何を言っている。いや、何故そういう結論に辿り着いたか、説明してもらいたい所だが」
余計な刺激を与えないように言葉を選びつつ、シロッコは再度問い返した。
それと同時進行で、機体のサポートAIに指示を与える。
(AIは生きているか。よし……機体のマニュアル、及び現在の機体状況をモニターに映し出せ)
「READY」
そんなシロッコの行動など気付くことなく、クォヴレーは返答する。
「お前は嘘をついている。お前は、俺の仲間達と出会っているはずだ」
「……どういう意味か、わからんが」
さらに出方を伺うべく、シロッコは肯定でも否定でもない返事を返す。
「白を切るな。根拠は……あれだ」

ブライガーの左手が指し示した先。
そこには、人型機動兵器の動力部が放置されていた。
シロッコがE-1で拾い、グランゾンに隠し持たせていた高エネルギー体。
――トロニウムエンジン。

「何故セレーナが……俺の仲間が持っていたあのエンジンを、お前が持っていた?」

(抜かった――)
なんと迂闊な!シロッコは内心で舌を打った。
別にエンジンのことを忘れていたわけではない。クォヴレー達にも、追々経緯は説明するつもりだった。
だが、そこに至る前に、マサキの手でグランゾンを強奪され、段取りは有耶無耶となった。
しかも、マサキは逃亡の際、トロニウムエンジンを回収し忘れていってしまったらしい。
エンジンの存在は、クォヴレーのシロッコに対する疑念を一気に膨らませることになる。
グランゾン強奪に、放送のタイミング――あらゆる偶然が重なり合った結果、
シロッコにとって最悪のシナリオが作り出された。
(フン……どうやらティータイムで緊張を解しすぎたらしいな)
追い詰められたこの状況に自らを皮肉りつつも、シロッコはこの場を切り抜けるべく思考回路を稼動させる。
「どうした、答えてみろ」
そう問い詰めるクォヴレーの声色には、震えが僅かに感じられた。まさしく怒り心頭といったところか。
面倒を避けるためについた嘘が、ここに来て裏目に出た形となってしまった。
(ラミア・ラヴレスはこういった展開も見越して、私に嘘をつかせたのかもしれんな)
そんなことを考えながら、シロッコは口を開く。
「そのエンジンは拾い物だ。とある戦闘の跡で発見した」
「拾った……だと?そんな言い訳じみた言葉を信用できると思っているのか」
「真実だ。信じてくれ、としか言いようがないな」
無理な話だとは思うが。シロッコは内心でそう付け加えた。
この状況では何を言っても言い訳臭くなる。相手が感情を先走らせているとなれば、尚更だ。
シロッコは嘘は言っていない。リュウセイと遭遇したことを隠している以外は、確かに全て事実である。
だが潔白を証明できる決定的な証拠がない以上、クォヴレーを納得させることは極めて困難だった。
「君の仲間のことはわからんが、その場には生存者はいなかった」
「お前が殺したから、か……!」
「誤解だ。君の仲間については、先程伝えた情報以外には……」
クォヴレーの言葉、そして必要以上に向けてくる敵意に、説得は期待できそうにないとシロッコは改めて判断した。
受け答えと並行して、シロッコはモニターに映し出された機体状況を確認する。
(左腕損失に、背面部装甲に損傷……現状で使用できる武装は、脚部のカーフミサイル程度か。
 だが、戦闘などできる状態ではない。逃げるにしても、背面部スラスターが完全に破損していてはな……)
想像以上の機体の損傷に、シロッコは顔を顰める。
状況は絶望的――それに追い討ちをかけるように、クォヴレーは問い詰めてくる。
「お前はこれを拾ったんじゃない……奪ったんじゃないのか。セレーナや、リュウセイ達を殺して――!」
一言一言から怒りが滲み出ている。堪忍袋を縛る緒の限界が近いらしい。
「……随分な言いがかりだな」
「あのエンジンに限ったことじゃない。ユーゼスのスパイと行動を共にしていたこともそうだ。
 いや、マサキにグランゾンを奪われたことすらも……」
まさしく言いがかりも甚だしいクォヴレーの言動に、シロッコは閉口した。
疑心暗鬼に陥ったクォヴレーの思考は暴走しつつある。
シロッコの予感は、あまりにも早い段階で現実のものとなっていた。
このまま酷くなれば、彼は――いや、この調子ではその先へと至る前に、シロッコは命を落とすことになるだろう。
「お前には不審な点が多すぎる」
そう言って、ブライガーは銃を構え直す。
いつ銃声が轟いてもおかしくないほどの緊張感が、周囲に張り詰めた。
逃げ場はない。まさしく絶体絶命と言ったところか。
しかし、それでも彼は取り乱すことなく、口を開いた。
「私を撃つか。だが、それは君のためにはならんぞ。クォヴレー・ゴードン」
「何……?」
クォヴレーの返答を待たず、シロッコはコックピット内の映像をブライガーへと送信した。
「!! それは……!!」
クォヴレーの発する声が、明確に焦りを含んだものへと変わった。
彼からも見えているはずである。シロッコが、丸い機械を抱えているところが。
「私に当てれば、この機械……首輪の解析装置も、失われることになる」
首輪の解析装置。木原マサキが残していった、脱出の鍵の一つ。そして今は、シロッコの唯一の生命線でもある。
「き……貴様!!」
「破廉恥だと笑ってくれて構わんよ。とにかく、まずはその銃を下ろしてもらいたい」
これでは三流の悪党だと、シロッコは内心で苦笑した。
(こういった手段は避けたかったが……今の状況ではやむを得んか)
後々の面倒を考えると頭が痛くなる手口ではあるが、現状でこの窮地を打開するための唯一の手段だ。
だがこの手段も、絶対であるとは言い切れない。
解析装置すら無視するほど彼が感情に呑まれていれば、それで終わりだ。
(さて、どう出る……クォヴレー・ゴードン)
クォヴレーの取る次の行動に対処すべく、シロッコは操縦桿に手をかける。
平静を装っているものの、彼の額には汗が滲んでいた。


 * * * * * * * * * * *


(あの男、よくもぬけぬけと……!)
レイズナーから送られてきたシロッコの映像を見て、クォヴレーは唇を噛んだ。
シロッコが抱える機械は間違いなく、マサキが首輪を外していた時に使用していた物である。
解析装置を失えば、ようやく見つけた首輪の解除手段を失うこととなってしまう。
それは、脱出の手段、そしてユーゼスに牙をむくための一歩をふいにすることと同義。
クォヴレーに選択肢は残されていないはずだった――
しかし。
(奴の言う通りにするしかないのか。みんなを殺したかもしれない奴の……!)
クォヴレーは迷った。
首輪の解除を盾に自らの延命を図る――シロッコの取ったその行動は、同じなのだ。
あの憎き悪魔のような男、木原マサキの取った行動と。
『マサキと同じ行動を取った』という事実は、クォヴレーのシロッコに向ける敵対心をさらに煽ることになった。
(マサキと同じように、みすみす殺人鬼を野放しにしろというのか。
 そして……また、過ちを繰り返すのか。ガルドの時と同じように……)
ガルドの死に様が、再び脳裏に浮かび上がる。『マサキを見逃したばかりに』殺された、ガルドの姿が。

――殺せ。過ちが繰り返される前に。

心の奥底にある何かが、クォヴレーに囁きかけてきた。

――殺せ。この男は皆の仇だ。この男はマサキと同類だ。
――殺せ。そして仇を討て。もう二度と、悲劇を繰り返さないために。
――たとえ、脱出の手段を失うことになっても――

(!! 俺は何を考えて……!?)
おかしくなり始めている。
それを自覚し、クォヴレーは自分の思考に恐怖した。
だが、囁きは疑念に囚われた彼の心を徐々に蝕み、その感覚すら消し去っていく。

――何を躊躇う?甘さは捨てろ。トウマが死んだ時、決意したのではないのか?
――お前の甘い考えのせいで、トウマもガルドも死んでしまったのではなかったのか?
(……そうだ。もう、あの二人の過ちを繰り返すわけには……)
――殺せ。取り返しかつかなくなる前に。
――それが、取り返しのつかない事態を引き起こすとしても――

思考が、破綻を起こしていく。
麻痺した感覚は、明らかに狂ったその思考を、自然に受け入れていく。
クォヴレーの手が、トリガーに添えられる――

「―――――ッ!?」

突然、頭の中に電気が――いや、稲妻でも落ちたかのような感覚が走り抜けた。
それはクォヴレーの思考を中断させ、同時に彼を我に返らせた。
(な、何だ今のは――ぐぅっ!?)
続いて、激痛がクォヴレーの頭を襲った。
今まで感じたことのない、得体の知れない痛みが脳全体に広がっていく。
(く……この感覚は何だ!?何かが……何かが近づいてくる?)
激痛の中で、クォヴレーはこの場所に接近してくる何者かの存在を感じ取った。
額に脂汗が滲む。痛みは徐々に強くなっていく。
クォヴレーの直感に呼応するかのように、コックピットに警告音が鳴り響いた。
その音と共に、レーダーに新たな機体の反応が表示される。
「……クォヴレー」
「動くな!!」
声をかけたシロッコを、クォヴレーが怒声を発し制した。
同時に、銃口から光が走り、レイズナーのすぐ横を掠めていった。
「お前は黙っていろ……!!」
苛立ちも顕にシロッコを一蹴し、クォヴレーはレーダーに注目した。
北側から反応が2つ、自分達のいる場所に近づいてきている。
「シロッコ……そこから動くな。少しでも動けば、次はコックピットを狙う……!」
半ば取り乱しつつシロッコに釘を刺すと、クォヴレーは痛む頭を抑え、反応のある方角へと目を向けた。
2つの機影が、肉眼でも見えた。
(間違いない……俺が感じたのは、あの片方……!)
2機が接近してくると共に、頭痛は激しさを増していく。
その痛みとは別に、何か言いようのないもどかしさがクォヴレーを包み込んでいく。
それは、クォヴレーにさらなる苛立ちを提供することになった。
(ぐっ……一体どうしたというんだ!?こんなことをしている場合ではないというのに……!)
2機の影はだんだん大きくなり、やがて姿がはっきりと見えてくる。
片方は赤い翼を持った、黒い魔神。
そして――
「あれは……!?」
もう片方の黒い機体を見た時、クォヴレーの両目が大きく見開かれた。
彼にはその機体に見覚えがあった。手足を失い、ボロボロだが……間違いはなかった。
「あの……黒い奴は……!!」




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最終更新:2008年06月02日 18:57