允殿館 (じょうどのたて) | |
所在地 | 会津若松市館馬町 |
別称 | 尉殿館 |
築城年 | 宝徳三年(1451) |
築城者 | 松本通輔 |
城主変遷 | 蘆名氏[松本氏]… |
廃城年 | 不明 |
現状 | 館薬師堂 |
允殿館は福島県会津若松市に所在した城館跡であり、中世に会津領主であった蘆名氏の有力家臣松本氏の居館の一である。
宝徳三年(1451)蘆名氏家臣松本右馬允通輔が築いたとされる居館。
松本氏は信濃国を発祥とし、室町時代中期に蘆名氏に従い会津へ土着、蘆名氏の勢力伸張に貢献して四天宿老筆頭とされ、大沼郡船岡館を本拠に一族は会津各所に大いに勢力を拡大した。しかし主家蘆名氏に対する叛乱の記録も多く、この右馬允も宝徳三年(1451)御山館主多々良伊賀を襲撃し、享徳二年(1453)蘆名盛詮の命を受けた松本筑前に襲撃を受け日光に逃れている。なお右馬允は同年猪苗代氏、河原田氏の後援を受けて河沼郡浜崎城へと入城するが、蘆名氏によって攻撃を受け自刃している。
また明徳七年(1498)には蘆名盛高によって松本備前がこの館で討たれ、館主右馬允(上記とは別人であろう)も誅殺されている。
現在は会津五薬師の一、館薬師堂が建っており、また敷地内には現在の会津若松市の基礎を築いた蒲生氏郷の子、秀行の廟所がある。
允殿館としてより蒲生秀行廟がある場所として有名、ってな訳でもなく、興味のない方には全く知られない館跡、廟所です。まあ史跡なんてどこもそんなもんですがね。初めて行った時には、館馬町、館脇町、対馬館という地名に惹かれて行っただけなので、蒲生秀行廟には驚かされました。今は観光地図に載ってますが、わたしが会津に来た頃には載ってなかったんですよー。
でも会津の方って、氏郷にはそれなりの敬意をはらっているようですが、秀行以降は余りにないがしろにしているような…。確かに事績も振るわないかもしれないけど、宇都宮から返り咲いた会津60万石の太守なのに…。氏郷→上杉景勝→保科正之で片付けられているような気がします。