む~む~@紅葉国さんからのご依頼品


 季節感というものが麻痺しそうな春めいた日差しの中で、二人の男女が差し向かいに座っていた。
周囲では同じように、正確にはもう少し寄り添い合っている男女が座っている。
注文を聞きに来た店員が全く反応を見せない程度には、周囲の男女、いわゆるカップルは珍しくもないものだった。

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 新聞を開いて視界を隠す。
記憶した位置にあるコーヒーカップを手に取り、中の液体を飲む。
その繰り越しを続けていた日向の動きが、僅かに強張った。
数秒前まではシフォンケーキに向いていたはずのむ~む~の視線が自分に向き始めたことに気付いたためである。
新聞越しでもはっきりと感じられる視線に、日向は居心地が悪そうに咳払いをした。

「……舌に合わないなら、他のを頼むといい。」
「いえ、おいしいです。……おいしいですけど、」
「そうか。」

 言葉の続きをあえて避けるように返答してコーヒーを啜る。
啜りながら、日向はやりづらいと考えていた。
これが例えば、知り合いの男連中であれば話は簡単だ。
気に入らないことがあれば態度ですぐに分かるし、それに気付かなければ行動に移してくる。
気に入らないことがあるようではあるが、それが何なのかはっきりしないむ~む~の言動は、

 ──いや。

 何なのかは分かっているが、それに気付くことを拒否している日向にとって、む~む~の言動は意味不明なものだった。

 これが古い友人であれば。
そう考えて、ケーキを食べて笑顔で「おいしいです。」と告げる古い友人を想像した日向は、新聞紙の影で笑った。

「あのっ、」

 新聞を挟んだ向こう側で笑みの洩れた気配に、フォークを持ったままむ~む~が声を掛ける。

「?」
「どうしたんですか?」
「あぁ、古い友人のことを、」

 考えていた。

 言おうとした台詞を、日向は少し後悔した。
新聞をずらした隙間から見えるむ~む~の気配が、明らかにざわめいている。

「…考えていた。どうかしたか?」
「……いえ、何でもないです。」
「そうか、ならよかった。」

 嘘をつけ、と突っ込もうとして、要らないものまで引きずり出しそうな予感に日向は新聞を引き上げる。
女はペースを乱されるからやりにくいと痛感しながら、コーヒーを飲む。
ブラックの苦味に混ざって、向かいの席から漂うケーキの甘い匂いが鼻を抜けた。
静かな喫茶店に、フォークが皿に当たる音と古いメロディが流れていく。
突き刺さるような視線が緩み、日向は息を吐きながら新聞をめくった。

「……顔、見えないのさみしいですよ。」

 突然の直球に動揺こそしなかったものの、本当に意味が分からない、と日向は思った。
視線の攻撃が止んだかと思えば、何だってこんなにもいきなり話題が変わるのか。
 新聞の影で店内を伺って、日向は目を閉じる。
む~む~のことは嫌いではないが、この空気は駄目だ、と思った。
嫌いなわけでなくとも、そこかしこでカップルが一つのケーキを分け合ったり延々と見つめ合っている空気の中で顔を直接見るのは、さすがにキツいものがあった。

「俺にも照れはある。」
「……それでも、顔、見ていたいです。」

 震える声で呟くむ~む~に、周囲の視線が集まる。
少しずつ大きくなるざわめきに、溜息をついて日向は新聞紙を畳んだ。

「すみません、でもこの方がうれしいです。」

 新聞紙を下ろして見たむ~む~の顔は、本当に嬉しそうな笑顔だった。

「……負けた気になる。」
「? 負けたって?」

 直球を投げたかと思えば、惚けて見せる。
いや、もしかしたら本当に分かっていないだけなのかも知れないが。
えへへと嬉しそうに笑っている顔が見えて、頬を引いてやりたい衝動に駆られた。
いたたまれなくなって目を逸らせば、簡単に顔が歪む。
少し楽しくなりそうになった自分ごと訳が分からないと結論づけて、不意に覚えのある感覚が繋がった。
 男と同じようにするから意味が分からないのか、と、今更のように考えて、日向は溜息をつく。
 それは分かりにくいし気付きたくはない、何よりもつい忘れていたことではあったが。

「……そうか。お前さんは、女か。」
「へっ?」

 少し間の抜けた顔で間の抜けた声を上げるむ~む~に帽子の下で微笑んで、日向が席を立つ。
白いソーサーに小銭を数枚乗せる日向を見てむ~む~も立ち上がった。

「なら車道側くらいは歩こう。距離は5mでいいか?」
「わっ、私は隣がいいです!」

 顔を真っ赤にして叫ぶむ~む~に、喫茶店中の客の視線が集まる。
咄嗟に叫んでいたむ~む~がしまったという顔になる前に、む~む~の視界は影に隠されていた。

「分かった分かった。」

 帽子の無くなった日向が、サイズのかなり大きい帽子を乗せられたむ~む~の腕を引いて喫茶店を離れる。
幸い周囲には同じような男女ばかりで、喫茶店の客たちはすぐにむ~む~への興味を失った。
ようやく状況を把握したむ~む~が、真っ赤な顔を地面に向ける。

「あの…、ごめんなさい。」
「何がだ?」

 なおも何か言おうとするむ~む~の頭を軽く2度叩いて、人の波をゆっくりと抜けて行く。
一緒に歩く女がはぐれない程度の歩幅とペースで歩きながら、忘れていたはずの女との接し方がそれほど嫌ではないと感じている自分に、日向は溜息をついた。



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最終更新:2008年05月04日 22:41