霧賀火澄@FEG様からのご依頼品



/*果たし続けることを*/


     1

 白い平原が広がっている。なだらかな斜面は石灰でもぶちまけたように一面が白く塗りつぶされ、雑草の一本どころか、茶色い地面すら見あたらない。
 乾いた風をうけて、何かが、泣いた。
 否。それは文字通り風の音である。泣いたという錯覚は、単なる想像に過ぎない。

 ――だが、この光景を見れば、その音は『泣いて』いるようにしか聞こえなかっただろう。

 がさりと、靴が地を削る。延々と続く白骨の丘を、一人の女が立ち尽くしていた。
 背は低い。フレームの細い眼鏡をかけた、学生風の人物である。灰色の髪を風に揺らし、彼女は小さく息を呑む。その目は遠く、嘆きの平原の彼方に見える高い山を見つめている。
「――ふぅ」
 小さく息を吐く。先ほどから妙に動悸が激しい。熱くもないのに喉が渇く。
 それは。白骨の丘を抜ける時、死者がすすり泣くような音を風が作るせいだろうか。
「…………」
 息を呑んでから、もう一度歩く。ざり、ざりと。一歩進むごとに、骨の大地が嫌な音を立てる。ぺきりと、足裏越しに伝わってくる感触は背筋を冷たくするには充分すぎた。加えて、常にすすり泣くような音に包まれているとなれば、神経がすり減って当然である。
 間違っても、望んでくるような場所ではない。
 けれど、他に、あてがなかった。
 霧賀火澄、というのが彼女の名前である。彼女は一人の男を捜していた。その人物の名前は霧賀小助と、いう。
 骨を踏む度に、折られた事への恨みをしめすかのように風の音がこだまする。
「小助さん……どこ……」
 やや掠れた声は、それよりも遙かに大きなすすり泣きに潰されていった。


     2

 最初は待つつもりだった。小助が生きているのは聞いていたし、それならすぐに会えるだろうと思っていたのも事実。だから、FEGの小助の家で、火澄は一人待っていた。
 暇を見てやってきては、掃除をして、猫の世話をして、時々、気まぐれに食事を作って待ってみたり。
 けれど思い描いたように帰ってくる事は一度もなかった。
「あれに負けたのが悔しかったんだろうな……」
 うなだれながら火澄はつぶやいた。小助の家の縁側である。もうすっかり夜は更け、空に見えていた白い月もすっかり姿を消している。彼女は両腕で猫を抱きながら、ため息をついた。猫もため息を――ではなく、あくびをした。食後で満腹なのだった。
 ある一件があった。それを境に、小助は姿を消してしまった。
 いや、むしろ生きていただけでも幸いだったかもしれない。本来なら死んでいるどころの話ではない。聞いた話では、影しか残っていなかったという恐ろしい話である。
 けど。彼にとって問題はそれではなく、たぶん――一緒にいた自分を守れなかったことなんだろう。
「わかった。守ってやる。心配するな」
 そう言ったのは、少し前、この縁側でのこと。
 けれどその約束は守られず、そのことに最も腹を立てているのは、間違いなく、彼自身である。
 だからそう。いつまで待っても、帰ってこないのはむしろ当然なのだろう。
「小助さんどこー」
 うなだれながらつぶやく。猫が、にゃあ、と鳴いた。
 火澄は猫を見て、そっと脇に置いた。猫が不思議そうな顔でこちらを見上げてくる。それにほほえみかける。
 ふと、思いだしてポケットに手を入れた。そこから取り出したのは、猫の根付けだ。
 これを渡すつもりだった。お守りと言って。
 会えないと渡せない。
「探しに行きます」

 ――つまりは、それが、この旅路の始まりだった。

     *

 ほとんど勘だが、行き先は決めていた。レムーリアだ。あの場所には、小助が消滅することになった原因があると聞く。もしも彼がそれを知ったなら、きっと、追いかけるに違いない。
 問題は、FEGにはレムーリアに行く方法がないことで。
 ただまあ。国内に限らなければ、レムーリアに行くに方法も、心当たりがあった。よんた藩国の長距離輸送システム。あれは確かレムーリア行きだったはずで、犬の国のだが、もし乗車が出来たら移動次第は簡単に済むはずである。
 猫の自分が行っても大丈夫かな……と、心配になったものの、結局、心配するだけで、行くこと自体は変わりなかった。
 かくしてやってきたよんた藩国。乗車切符はわりあいあっさりと買えた。入国も問題なく出来たし、至って順調にここまでやってきてしまった。今は長距離輸送システム、犬の頭をもした列車がやってくるのを、大勢の人々と共に駅のプラットホームで待っている。
 火澄の装備は軽いモノだった。背中にはリュックが一つ。片手には、先ほど売店で購入した烏龍茶。紙パックなのは、行き先がレムーリアであるため、つまり物理域の問題なのだろう。ストローのかわりについてきたのは細い竹を切ったモノだった。
 ちょっと飲みにくい。
 柱に設置されたスピーカから、乗車案内のメッセージが流れていく。あと五分ほどで目的の列車がやってくる。それに乗って、レムーリアに行って、そこで小助を探すのだ。
 問題は、レムーリアのどこを探すか、である。
 一つの土地をノーヒントで探し回るのには限界がある。最低でも、もっと情報を限定していかないといけない。
 まずは、そう、街か――そうでなければ、川などの水源があるところだろう。常識として生物が暮らせる場所のはず。
 あとは……きっと、修行か何かしているはずだから、街と言うよりは、むしろもっと人気のないところ。そして少し危険なところ、なんじゃないだろうか。
 他にヒントは無いかしら……そうやって考え込んでいると、すぐに列車がやってきた。噂に聞いたとおりの犬型のフォルム。白を基調としたなめらかな造形に、赤と青のラインが爪痕のように後部を飾っているそれは、ゆっくりとプラットフォームに侵入した。
 大勢の降車客を見送ってから、チケットを片手に列車に乗った。指定席の番号に移動する。シートは意外と柔らかく、眠るのには最適だ。
 積み荷の交換をするためだろう、しばしの間、列車は止まっていた。出発の案内が聞こえてきたのは二〇分後。二人がけのシートの隣には誰もいない。周りから聞こえてくる旅行や調査の話。それを聞き流しながしていると、列車がようやく走り始めた。
 流れる景色。人の姿はすぐになくなり、駅から飛び出して走り始める。めまぐるしく過ぎ去っていく建物の姿を、つまらなさそうに、火澄は見送った。

     *

 そうして、レムーリアに到着した。
 一見して、ずいぶん寂れた駅だな、と思った。しっかりとしたプラットホームのあったよんた藩国の建物と比べれば、まるで骨組みに張りぼてを重ねたような貧しい姿だ。使っている材料も良くないのか、建物自体がどこか危うげに見える。もしもし地震に襲われたら、簡単に崩れてしまうのではないかと思わせた。
 もっとも。それでもこの建物がずいぶんマシな方なのだということは、あとで知ったことだ。火澄のやってきたレムーリアは、時代が古く、技術的に自由に加工できる資源が限られている。勿論、獲得できる資源の種類も、それ自体の獲得量も決して充分な量とは言えない。
 故に、寂れて見えこそすれど、この建物はずいぶん『立派』な部類であった。
 火澄が降りていくと、視界の端で、大量の資源が運ばれる光景があった。列車の後部車両から次々に木製のコンテナを取り出し、人足達が無言で荷物を積み替えていく。
 人足とは力仕事に従事する労働者であり、有り体に言ってしまうと、奴隷である。彼らは雇い主の指示を受けて、大荷物を運ばされる。あるいは、大規模な開拓にかり出され、大木を切り倒すなどの過酷な労働を強いられる。故に、服と言えるほどのまっとうな服も着ておらず、総じて汚らしい姿であり、人相も悪かった。
 彼らがたくましい腕で荷物を抱え、運ぶ姿から視線をそらす。それよりも、と周囲を見渡した。
 ちょうど、列車から車掌らしき人物が降りてきたところだった。これからしばらく休憩なのか、両手を天に伸ばしてのびをしている。壮年の男性で、穏やかそうな表情をしていた。
「ありがとうございました」
 車掌に近づいていって、火澄は言った。車掌は一瞬驚いたように目を大きくしたが、すぐに表情を取り戻した後、ゆっくりと頭を下げた。それこそが正しい応対だと心から信じているかのように、澱みのない丁寧な礼だった。
「ところで……あ」
 質問を使用としたときにはもう遅く、車掌は姿を消していた。せっかくの休憩をじゃまされたらかなわん、という事だったのかもしれない。
 さて……。それなら、地図か、あるいは人足の雇い主を捜そうか。気を取り直して、火澄は駅を歩き始めた。
 人足の雇い主らしき人物はすぐに見つけられた。人足達が荷物を運んでいる姿を、少し遠くから見物している。服装からして明らかに異なっており、上下をきちんと着込んでいる。男性で、ずいぶんと髪の豊かな人物だ。
 火澄はすこし緊張を覚えながらその人物に近づいていった。
「すみません。少々おうかがいしたいのですが」
「はい?」
 雇い主が振り向いた。火澄の全身をざっと眺めて、観光か何かかと考える。
「背の小さくて眼鏡かけた男の人を見掛けませんでしたか。あと、ハネラへの行き方をお尋ねしたいのですが」
「そういう人はみてないね。ハネラか……そりゃ未来の場所だね。ここでは無理だよ」
「え……」
「ここは古代レムーリアなんですよ」
 ――古代だったとは。てっきり、もっと未来の時代だと思っていただけに驚いた。
 だんだん不安になってくる。ここに小助は本当にいるのだろうか?
「ありがとうございました」
 お礼を言って、火澄はそこから離れていった。
「うーん……」
 少し考える。
 多分、レムーリア一部で良狼と修行していたところにいると考えていた。で、その頃の良狼が来れるところだと、怪我の関係もあって、ハネラ近郊だと推理したのだけれど。
 少し悩んでから、再びホームに戻る。寂れたホールの片隅には電話ボックスがあり、火澄はそこに入った。番号を押して、宰相府に連絡する。
「あ、私はFEGの霧賀火澄と申しますが」
 簡単に事情を話して、良狼と連絡をつけてほしいと頼む。が、
「申し訳ありません。山梨良狼様は現在休暇中で、少々連絡を取るのはむずかしいかと」
「では、奈緒さんか岩手さんは?」
「それが……」
 両方ともどこかに行ったらしいと、意味不明な返事を返されてしまった。呆然とする火澄。
「その……ありがとうございました」
「はい。それでは」
 電話を切る。こういう手段が駄目なら、もう自分に頼るしかない。駅のホームから、ざっと辺りを見回してみる。広大な平原は静かに広がっており、戦火の跡は見られない。――そういった物があれば、そこにいるかと思ったのだけど。
 もう一度立ち止まり頭を悩ませていると、先ほどの人足の雇い主の姿を見かけた。そうだ、と思って、もう一度だけ話しかけてみる。
「あの。この近くで戦闘があったという話はありませんか?」
「戦闘は終わったよ。嘆きの平原近くだ」
「嘆きの平原……ありがとうございました」
「そこに行くのかい?」怪訝そうな表情をされる。
「ええ……たぶん」
 もう一度お礼を言ってから、今度は駅を出て行く。そして少し歩いていったところに、乗り馬車の駅がある。ざっとルートを見てみれば、嘆きの平原に行く馬車は――ちゃんとあった。
 時間を待って、それに乗る。乗合馬車だが、ほとんど乗る人はいなかった。
 また、退屈な風景の繰り返し。
 違うとしたら、ただ一つ。
 ――不安に、胸が重たくなった事だけだった。


     3

 そして、この場所に、たどり着いた。
 嘆きの平原。
 不毛の砂漠。
 人為的に作られた枯れた大地。
 かつては緑豊かな沃野だったと聞く。しかし浮遊島の一部を質量兵器として使用した際に発生した爆発や、広域の精霊汚染がこの地を変えた。
 それはおそらくは活性化しつつあった「彼のもの」に対して使用したと言われている。
 あるいは、時代が違うからまた少し話が違うのかもしれないが――少なくとも、嘆きの平原と言えば、その話で有名である。
 そこを、火澄は一人で歩いていた。乾いた風。骨の隙間を縫って抜けるそれは死者のすすり泣く声にも似ている。遙か彼方まで続く白い平原は、全て白骨で満たされている事の証左である。すでに数時間歩き続けている。喉は渇き、汗がじっとりと服に染みて気持ち悪い。慣れない不整地を歩き続けたためか、ずきずきと足の裏が痛んだ。立ち止まって休もうにも、とてもこの地に腰を下ろす気にはなれず、結局のところ、歩き続けた方がずっとマシだと思わせた。
「――ふぅ」
 何度目のため息になるのか。だんだんと重たくなっていくそれは、何も肉体的な疲労だけが理由ではない。
 むしろ。
 この、一歩進む度に折れる白骨の感触の方が、ずっとずっと、いやだった。
 長年放置されていたためか、白骨は体重をかけるだけで簡単にへし折れた。折れる音は、ぺきりという小気味の良いそれではない。むしろ、ざりっと、崩れ落ちる音によく似ていた。
 それは折るというよりも崩れるという表現の方が的確だったかもしれない。
 白骨で築かれた大地。すすり泣くような風の音と、気味の悪い足の裏の感触。それが、体力よりも精神を、ヤスリで削るように摩耗させる。
 どれだけ歩けばいいのかと思う。
 面を上げれば、正面に山が見える。遠目には川も見えた。――一応、条件とは合致している。けれど。
 本当にいるのか、疑わしくなる。
 否、そうではない。
 これ以上ここに居たくないという気持ちか、強くなる。
 せかされるように歩き続けた。とにかく早く抜けたい一心で歩き続けて、ようやく、夕方頃に山の麓へたどり着いた。
「はぁ、はぁっ―――はぁ」
 気付けば、息が切れていた。もしかしたら走っていたのかもしれない。途中のことはよく覚えていないので、わからない。
「小助さんどこー」
 ほとんど泣きながら火澄は言った。勿論答える声は――
 あった。
 ただしそれは、遠くから響く獣の鳴き声である。
 そして一つの鳴き声は連鎖して響いていく。右から、左から、後ろから、前から。反響するように、しかし実際にはそれは無数の獣が声を上げていることを意味していた。
 その事実に気付いくと同時に、

 物陰に、光る目を、見た気が、した。

「っ――」
 気付けば走り出していた。獣たちはもう姿を隠す必要もないとばかりに一斉に地を駆け飛び跳ね、追い立ててくる。
 それは猫のような化け物だった。声はなく。後ろ足で強烈に大地を蹴っ飛ばしながら迫り来る。それが一頭ではない。先ほど一瞬見た時でさえ、すでに十は超えていた。加えてこの足音。地を蹴る強烈な後ろ足は、土を掘り起こすプロペラのようだ。体を上下に揺らしながら、化け物は一瞬の躊躇いもなく追撃する。
 それを前に、ただ逃げるしか思いつかなかった。とにかく山に入り、道を走る。川沿いに走り回っていたはずだが、いつの間にか、山のただ中に入ってしまっていた。気付けばそこら中真っ暗だ。すっかり日が暮れてしまっているのに、それでも足音は増えるのみ。
「はっ、はっ、はっ、――っ」
 振り返る余裕はない。道を探す余裕もない。どこを走っているのかすらわからずに、ただただ走り続けた。
 足の痛みなど忘れた。息が切れていることなんか気付かない。両目は限界まで見開かれ、暗い山の中をかき分けるようにして走っていく。木の根を踏み越え、枯れ葉に足を取られつつ、転ぶ暇など無いと歯を食いしばって走り続けた。
 視界の端に、黒い影がうつった。とっさに倒れ込んだのは上出来だったかもしれない。
 直後、背中を何かがかすっていった。それは砲弾が駆け抜けていくかのような感触で、刹那の間を置いて吹いた風は暴風のようにさえ感じられた。
 そして響くのは、何かがぶつかる強烈な音。おそらくは飛びかかってきた化け物が木の幹にそのまま突っ込んでいったのだろう。案の定、ぎしぎしと、巨木の軋む音がした。風が吹いたかのように、木々がざわめき始める。
 再び、化け物が鳴いた。夕方に聞いたそれとは違う。怒りに猛った声だった。
 すぐに立ち上がり、再び走る。先ほど避けられたのはただのまぐれだ。きっと、二度はない。もう一度襲いかかられたら、今度こそ体ごと吹き飛ばされることだろう。そうしたらどうなるのだろうか。腕を、足を食いちぎられるのだろうか。動物の腹部に食らいつく、肉食動物を思い浮かべる。
「はっ、はっ――、う――げほっ、げほっ」
 口の中に入った土を飲み込みそうになる。それをはき出して、斜面を登った。
「げほっ、げほっ――えっ?」
 すると――どうだろう。あれだけ大きかった足音が、何故か小さくなって行くではないか。
 何故、と思いながら振り返った。すると、斜面の下では猫のような化け物が、四つん這いで体を後ろに傾けていた。前足をわずかに折って、警戒――というよりも、怯えている風である。
 それはつまり、
「よりデンジャラスな奴がいるんですか」
 それで充分だった。火澄は小さく笑ってから、面を上げた。そして化け物と反対の方に行こうとして――
「あ、れ……」
 がくんと、膝が地に落ちる。そのままどさりと斜面に倒れた。
「――――」
 うまく声が出ない。いや、息が苦しい。酸素を吸い込もうと必死で、声なんて余分なモノを出す余裕がない。体は熱くなりすぎて、逆に冷たいくらいだ。
 じぃんと、頭が痛みを覚える。
 これは、まずい。
「あ――」
 まずいけど、何も抵抗出来ない。
 そのままなすすべもなく、火澄は気絶した。


     4

 そこに彼が現れたのは『偶然』ではなく『当然』だったのだろう。
 ざっ、ざっと斜面を降りてくるのは一人の小柄な男だ。眼鏡の奥の目をやや細めて、不機嫌そうな表情を隠すこともなく闇を切り払うように胸を張って歩いてくる。
 そして現れたのは、霧賀小助という名の人物だった。
 彼は立ち止まる。眼下の斜面には、百頭近い猫のような化け物が居座っている。そのいずれもが毛を逆立て、低い声で唸っている。闇の中で光るように白い二百の目が、吸い付けられるように、小助へと向けられていた。
 それを一瞥し、小助はわずかに口の端をつり上げた。ふんと鼻で笑い、全ての視線を無視して、一人の元へと近づいていく。
「…………」
 歩みが止まる。気絶した火澄の前で、小助は無言だった。いや、もしも彼女が目覚めていたなら、その両目を見ただけで充分にその思いを連想することが出来ただろう。
 つまり、なんでここにいるんだと。
 もっとも。その胸中は複雑な小助である。
 ある意味で、火澄がここにいるのは当然のような気もした。探しに来たのだ。もしかしたら心配させたのかもしれない。
 そう思うと、腹が立った。自分が居るのにそういう思いをさせてしまうというのは、最高に不愉快だ。
 一方で、久しぶりに会えたことが嬉しくも、ある。もっとも、絶対顔には表さないし、この人物の場合それを言葉にすることも決して無いだろうが。
「まあ、いい」
 目が覚めていたら絶対にそんな風には扱わないだろうと思えるくらい丁寧に火澄を抱きかかえる。そして木の幹に寄りかからせるようにしておろすと、化け物達を見下した。
「なんだ。逃げないのか?」
 言いながら、彼は再び笑みを取り戻す。
 正確には――彼の言はいささか一方的と言えるだろう。よくよく目を懲らせば、すでにダース単位で姿の消えている一団も存在している。闇の中に点々と開いた穴こそはその証拠。
 彼らとて知っているのだ。敵わぬモノがそこにいるということを。
 その恐怖を振り払うために、
「―――!」
 化け物が吠えながら飛びかかってきた。
 最初に襲いかかってきたのは十頭の化け物。そしてその後は雪崩うって全員が躍りかかってきた。
 すでに一頭一頭は恐怖のただ中であり、集団は恐慌の様相を示している。彼らはただただ恐怖を忘れるために声を張り上げ、必死に己を奮い立たせていた。そうでもしなければ――最早身動き一つままならなかったのだろう。
 斜面を駆け上がり、あるいは木の幹を蹴って跳躍し、図体を揺すりながら森の中をしなやかに駆ける。その姿は闇に溶け、常人ならば闇そのものが形を持って動いたと思ったかもしれない。
 襲いかかる五十以上の化け物。それを前に、常人に何が出来ようか。
「ふん」
 それを。
 この男は、くだらんと、鼻で笑った。
 足が跳ね上がる。何もない空を蹴るかと思いきや、跳ね上げられた右足は強烈な重みを伝えてきた。化け物が、顎を蹴られて吹き飛ばされる。空中で回転し、砕けた歯をまき散らしながらそれは後ろから飛びかかってきた味方をたたき落とした。
 小助はすぐに足をおろして後ろを向く。左手を伸ばし、飛びかかる化け物の後頭部を掴み、そのまま振り回すようにして投げ飛ばした。
「―――、―――!」
 響くのはただ化け物の悲鳴のみ。小助は数メートルと動くことなく化け物達を蹂躙する。
 それはある種の竜巻であった。その場に居座り、ただ周囲だけを暴風でなぎ払う。これだけの暴力を前に、どうして烏合の衆ごときが対抗できようか。
 数など関係ないとばかりに、それは一方的な暴力の権化として君臨する。
 一度投げ飛ばされたモノの半分は再起不能となった。残る半分のそのまた半分は逃げ出した。戦いですらない一方的な殲滅戦。
 しかし、それでもまだ逃げ出さぬモノもいた。
 これだけの数。これだけの暴力を揃えたのだ。いかに相手が化け物以上に化け物じみているとは言えど、所詮は一人。決して太刀打ちできないはずはない。
「ははは」
 笑う小助。機嫌良さそうに、根性のある化け物達を投げ飛ばした。
「いいだろう。来い。調教してやる」
 だが、彼らは知らなかった。
 世の中には冷酷でも、無情でもなく――
 鬼畜と呼ばれる人種が居ると言うことを。

 戦いは間もなく終了する。体だけでなく心まで完膚無きまでにへし折って、全ての化け物が沈黙した時。当然ながら、その場に立っていたのはただ一人だけだった。


     5

 ――目が覚めたら、上半身裸の小助がこっちを見ていた。
「小助さん!?」
「…………」小助は眼を細めて火澄を見る。「帰れ。いいな」
「会いたかった……」
 ぱっと体を起こし、そのまま抱きつく火澄。小助は表情を変えぬまま、いや、むしろ不機嫌そうにした。
 もっとも。本当に嫌がっているときはそもそも抱きつかせてなどくれないことを、彼女はすでに知っている。
「帰って来ないから探しに来ました」囁くように火澄は言った。「心配してたんですよ」
「探さないでいい」小助は火澄の背を腕で支えようかと思って、やめた。「心配もだ」
「うう……無事で良かったです」
 ぽろぽろと、火澄は涙をこぼし始めた。
 心配しないはずがない。
 一人で、知らないところで何か危ないことをしているのかと思うと、いつだって泣きたくなる。
 確かに嘆きの平原を歩いていたり、化け物に追いかけられたのも怖かったが――だが、考えてみれば、いや考えるまでもなく、やっぱりそれが、一番怖かった。
「……泣くな」
 ややあって、小助は言った。その声音はわずかに柔らかくなっている。
「強くなって帰る」
「ずっと会えないの不安で……はい」
 こくりと、小助の肩に額を当てるようにして火澄は頷いた。そのまましばらくの間抱きついている。
 森の中はいたって静かだ。風すらも、今は沈黙しているように森の中は深閑としている。
 その代わりに聞こえるのは、互いの呼吸の音だけだ。
 火澄はゆっくりと息を吸って、面を上げた。相変わらずの小助の顔を見て、微笑む。
「お前を守れないほうが問題だ」
 淡々と小助は言った。少し、照れる。なんでこういう事だけは照れずに言うことが出来るのだろうと、少し不思議に思った。
「あ、そうだ。これ……」
 ふと思いだして、ポケットを探った。そこから猫の根付けを取り出す。小助は視線を落として、聞いた。
「これは?」
「お守りです。手作りですけど……」
 それを聞いた直後、小助は無言で根付けをとって、遠くに投げ捨てた。
 そして何を思われるよりも早く、言った。
「そんなものはいらん」
 小助は火澄を見る。まっすぐと向けられた眼差しには、なんの澱みもない。
 一方で、火澄も何の勘違いもしていなかった。
「ありがとうございます。大事に思ってくれて」
 小助はかすかに笑う。
「俺が、お前を守るんだ。逆じゃない」
「はい」
「……帰れ。良狼に送らせる」
「帰りを、待ってます。」
 頷いて、もう一度小助に抱きついた。その体温も、心音も全てを感じ取れるほどに触れる。
「待ってます。小助さんの家で、小助さんの帰りを」
 小助は何か言おうとして、一度口を閉ざす。それからただ、言うべき事だけを、口にすることにした。
「お前を守る。もう二度とまけることはない」
「はい」
 また、ぽろぽろと涙がこぼれてくる。
 うれし涙だった。


     6

 そして、数日後。
 いつものように火澄は小助の家にやってきた。掃除をして、猫の世話をして、縁側に出てお茶を飲む。
 そうして時間が過ぎて、夜になった。月が沈んだ頃に、そろそろ帰ろうかと家の明かりを消していた。
 すると、玄関のドアが開く音が聞こえてきた。
 はっと目を大きくする火澄。小走りにかけて、玄関に向かった。
「おかえりなさい、小助さん」
「ああ」
「……ご飯、出来てますよ?」
「食べる」
 こくんと頷く小助。火澄はにこりとわらった。
「はい」



作品への一言コメント

感想などをお寄せ下さい。(名前の入力は無しでも可能です)

名前:
コメント:





counter: -
yesterday: -

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2008年04月20日 21:10