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NO.22 伏見さんからの依頼


波の音が聞こえる。
瑞々しい緑の匂いと、潮の匂いに伏見藩国藩王、伏見は鼻をひくつかせた。南国のような陽光に目を細めて、眼鏡を押し上げる。冬の京と言われる俺の国とはえらい違いだな…。
すでに額は汗ばみ、伏見は掌でそれを拭った。
「暑いですね。流石は小笠原」
まぶしい日差しを片手で遮って、になし藩国藩王、になしは率直な感想を述べた。赤い髪を揺らして、高く青い空を見上げる。可憐な美少女に見えるが、残念ながら男であった。

2人が小笠原の様子を観察している内に、ぽち王女は坂道を一人で先に行ってしまった。その背中は寂しそうで、2人は胸が締め付けられた。
「お姉様っ」
になしは殊更元気に声を掛けて、隣に駆け寄った。伏見も彼に続いてぽち王女に追いつく。
「お一人とは、また。一声かけてくださいよ」
「そうです、水臭いです」
伏見の言葉に力一杯頷くになし。ぽち王女はチラリと伏見を見たものの、すぐに視線を落として歩き出してしまう。元気がなく、尻尾は力なく垂れ下がっていた。
「朝から、ひっでぇブルーだなぁ…」
ぼそりと呟いた伏見に、になしが咎めるような目を向ける。伏見の腕を掴んで、王女から離れると、小声で抗議した。
(ふ、伏見兄様、それはどーかと)
(ああいや、ごめん。つい、感想が……にしても、これはヒドい)
気をつかってぽち王女の方を伺うものの反応は無い。伏見は思案気に難しい顔をし、ふしみはおろおろと姫の様子を心配した。
「ぬゥ。どうよ、妹弟殿。なにか、思い当たりないかね?」
「思い当たりって。…それは、佐藤の事だと思いますけれど」
になしはうーん、と考えてから小声で言う。
そんな2人の様子など知らず、ぽちはしおれたまま、やっと聞き取れるくらいの声で「気分が悪いから帰ります」と呟いた。その言葉に、になしは慌てて、彼女を追う。ぽちはそんな彼にに気付いて走り出した。
「お姉さま、待ってください!」
「ちょ、待って、待ちなさい、待ってください」
制止の声を上げる伏見に、ぽちはいよいよ走り出してしまった。になしは夢中で彼女の前に回りこむ。ぽちの動きが鈍いのに何だか不安を感じながら。
「お姉さま、折角出てきたんです。学校に行きましょうっ」
学校へ行けば、ぽちもきっと楽しんで元気になってくれる…。になしはぽち王女に笑顔を取り戻したかった。伏見も動きの鈍いぽちを心配そうに見守りながら駆け寄っていく。
「ああもう、ほら。バテてるバテてる。暑いんだから倒れ――…」
―ドンッ
待ち構えていたになしにぶつかり、ぽちは倒れてしまった。
「…―た」
事態が予想できたのか、伏見はあちゃーと目を覆った。
「って、うわわ」
になしは、倒れてしまった彼女に驚き、慌てて彼女の傍にしゃがみ込んだ。まさかぶつかるなんて。そんなに衰弱しているのだろうか。心配で涙目になりながら、彼女の顔を覗き込む。


彼女を休ませる為に、2人は強力して彼女を木陰まで運んだ。そしてその体の軽さに驚き、胸を痛める。元々痩せていたが、これほどとは。豊かな袖とスカートのドレスはこれを隠す為のものなのか。
(また痩せたンかなぁ。ちょいふっくらしてるぐらいが、かわいいと思うんだけどなぁ……)
伏見は、瞼を軽く伏せて唇をへの字に曲げた。横でになしも心配そうに姫の顔を覗き込む。
(お姉さま、これはいくらなんでも軽すぎます……)
になしは、水で湿らせたハンカチをぽちの額に当てた。どうやら意識はあるようだ。目を開けるぽちに、になしは少し安心したように吐息を漏らした。
伏見はぽち王女の頬に触れようと手を伸ばして止めた。隣にいるになしをはじめ、彼女を好いている人を知っていたからだ。抜け駆けは良く無いと思い、手を引っ込めた。それに気付いたになしが、苦笑を漏らす。気にしませんよ、と小声で言われて、伏見は少し頬を赤くし、咳払いをした。
「殿下、学校はお嫌い?」
「お姉さま……」
伏見が尋ねると、ぽちは黙ったまま顔を背けてしまった。になしも心配そうだ。
「そうかぁ」
苦笑して伏見は姫の横に座り込む。ぽち王女は警戒したのか距離をとった。がるる、と唸り声でも聞こえそうな様子だ。伏見は緊張を解す意図か、のんびりと構えたまま海へと視線をやった。
「じゃあ、サボタージュ、しますか? それもいい思い出ですよ」
「無理はしなくても良いですよ。」
になしも心配そうに言った。
「学校って」
口を開いたぽち王女に2人はん?と見つめて、続きを促す。
「……学校って、なによそれ。そんなのいったことないのに、好きも嫌いもないわ」
ぽちはそれきり、また押し黙ってしまった。そうか、ぽちは学校を知らないのだ。
「それもそうだなぁ。学校、学校か―…」
伏見は立ち上がると、学び舎の方へと視線をやる。上手く説明する言葉を捜しているようにも見えた。
「そうですね、それなら、試しに行って見るのもいいんじゃないでしょうか?好きか、嫌いかは分かりますよ」
前向きに提案するになしに、ぽちは気が進まないと言う風に視線を落とした。
「それがなんで今日でなければいけないの?」
「明日、いけるかどうかわからないからさ。…知らないところは怖いですか、殿下」
伏見が距離を保ったまま優しく言うも、ぽちはしおれたままだ。
「怖くはないわ。ただ、あつかましいのが嫌いなだけ」
伏見はぽちの言葉に目に見えて困った顔をした。ぽちの気持ちはわかる。わかるが…
「ご心中はお察し…できるように、努力はします。俺にも、経験がありますので」
「ほんとうかしら。その割にはひどくあつかましいようだけど」
伏見は言葉を選ぶようにして、ぽちを見つめた。
「それは重々承知しています。ただ、その、まあ……いや、笑わないでくださいね?」
そこまで言って、伏見は言いよどみ頭を掻いた。顔が赤い。ぽちはそんな彼を見ている。もともと目が大きいが、痩せたせいかいっそうそう見えた。
「個人的な勝手で、貴女が学生をしているのが、見てみたいというのがありまして。…きっと、可憐だと思うので」
になしは目を輝かせて同意した。
「私はお姉さまと一緒に学校に行ってみたいです。お姉さまは、制服とか着てみたくは思いませんか?」
「可憐なのは嫌い…。私、もっと強いのが着たい。鎧とか」
「鎧ですか……。なら、もっと鍛えないといけませんな」
伏見は吐息じみた笑みを漏らして目を細めた。彼にとっては文句なく可憐に見えるのだが、言ったら彼女が傷つきそうだと思って止めた。
「私にとっては、お姉さまは凛々しいです。」
ぽちにも学校を楽しんで欲しいと、になしは精一杯アピールする。剣道部なら鎧みたいなが着れたはずだ。
「じゃあ、運動部にでも入ってみませんか?剣道部なら鎧も着れますよ」
「なんだ、体操着でも着せるつもりか。いろんな意味で強い服だな」
伏見の合いの手に、になしはジトと半目で伏見を見た。見た目が美少女だけに、視線が痛い。
「いや、何ですかその親父発想は」
「え、ちょ、ま。ち、違うんだ」
慌てて言いつくろう伏見。ぽちは2人のやり取りに興味が無いのか視線を落としたままだ。
「誰もが私を可愛いとか可憐だとかいう。言うのは勝手よ。でも私が反発するのだって勝手なはずだわ」
「もちろん。…ならば、反発してみますか? 可愛くない貴女も、きっとそれはそれで、いい」
伏見は微笑んで頷いた。になしも反発できる気力があるのだと安心した様子だ。
「反発するかと言われるのにも反発したい」
続くぽちの言葉に伏見は困ったように言いよどんだ。彼女のしたい事は応援してやりたい。だが、彼女が反発したいのは何もかもなのだろうか…。
「ああ、もういいわ。どうせ私のことなんか、誰もわかってくれないんだから」
ぽちは理解されない、と思ってか不貞腐れて体育すわりをしてしまう。
「お姉さま、ふてくされないで下さいよぅ……それじゃ、可愛いお姉さまのままですよ」
拗ねるようなぽちの様子に、になしが困った顔で宥めるように言うと、ぽちはバタリとそのまま倒れて、胎児のように動かなくなってしまった。
2人は心中で悲鳴を上げた。ムンクの叫び状態である。ぽちはこうなると、数日はこのままで、ご飯も食べないらしい。
「さあ、困った。我らが殿下はたいそうご機嫌斜めだ」
伏見は困った顔でになしに意見を求めた。になしは思案気な顔をしていたものの、覚悟を決めたように唇を引き結んだ。
「お姉さま、ごめんなさいっ」
と言いながらぽちの頬に軽くビンタを入れた。ショック療法のつもりだろう。このままではいけないと思った。だが、どんな理由であれ愛するぽちを殴れるはずもなく、ビンタはペち、と音がするだけのものだった。思い切った行動に瞠目する伏見。
「ちょ」
「あああ、ごめんないさい大丈夫ですかっ!?」
になしは自分でやった事ながら、慌ててぽちの顔を覗き込んだ。だが、反応は無い。になしは心配で目に涙を溜めた。何もかも思い通りにならない、最高権力者の精一杯の反抗だった。しかし、その姿は痛ましく、2人は彼女の姿に胸が痛んだ。
ぽちは今心を閉ざしていた。心臓が止まればいいのに、とでも考えている風に見えて、になしは顔をゆがめる。
伏見は難しそうな顔で少し考えた後、口を開いた。
「……ねえ、殿下。いや、聞こえてなくてもいいので、勝手に喋りますが」
ぽちは動かない。伏見は苦笑して地面に視線を落とした。
「ごめんなさいね。本当は、色々と辛いだろうから、せめてもの気晴らしを考えてたんですけど……失敗したかな?」
彼女を楽しませたい。笑顔を取り戻したいのは本当だった。
「言いたいことを言って、なりたいようにならない。それは俺達もよくわかる。だって、小さいながらも国の王だから。最高ではないけど、上に立つってのはそういうことだもの。だからね、ぽち。もっと、我侭言って、困らせてくれていいんだよ」
ぽちに言い聞かせるように、言葉を選んで優しく言った。どうしたら、彼女は笑ってくれるだろうか。
「行きたいところがあれば、俺達は連れて行ってあげるし、やりたいことがあるなら、こっそり言って欲しい……宰相に怒られない範囲で、がんばりますよ」
伏見の言葉に、になしは大いに頷いた。そして…というかほんと何で女性の格好をしなければいけないんだろう、私は…と心の中で呟いたが、今はぽち王女が大事!とブンブンと頭を振ってそれを追い出した。
「お姉さま、私たちは皆、お姉さまの事が好きなんです。お姉さまとお姉さまがやりたい事を、お手伝いしたいんです。だからお姉さま、さっきはやりたい事をいってくれて、ありがとうございます。」
ぽち王女を元気付けようと、になしも自分の思いを精一杯言葉にした。ぽち王女は…、まだ動かない。になしは、心配で表情を曇らせる。
伏見もどうしたものか、思案気に視線を巡らせた所、大きな蜘蛛が歩いているのを見つけた。5cmはあろうかという大きさだ。
「おや、蜘蛛だ」
どこかに離してやろうと、掴み上げて悪戯を思いつく。
「ん、蜘蛛ですか、大きいですね…って、ちょっ、伏見兄様何を!?」
蜘蛛を持って近づいてくる伏見に、になしは怯えてちょっと後ろに下がる。どうやら、蜘蛛で驚かしてぽちの気を確かにさせようという作戦らしい。
「……そんなところで寝てると、風邪引きますから、とりあえず、起きましょうよ」
「ああ、確かにこのまま冷えてしまうと良くないです」
になしは不安そうに蜘蛛とぽち王女を交互に見た。
ぽちから汗がだらだら流れ始めた。目を開けたまま、蜘蛛がわしゃわしゃ脚を動かすと、ぽちは小さく震え始めた。
「お姉さま?どうかされました?」
「どうしました。どう考えても、理由が二つ三つしかないんですが。あ、コレっすか。やっぱコレすかね、になしの。」
ぽちの様子にもう少し大丈夫か、と少々不安になりながらも、伏見はふざけた態を装い、ぽちに蜘蛛を近づけたり遠ざけたりした。
「お、お姉さま!?…って、そんな近くに蜘蛛寄せないで下さいっ!?」
になしは蜘蛛に我慢できずに逃げ出した。木の陰に隠れて怯えながらも、姫に逃げてー!と叫ぶ。
ぽち王女は……、とうとう気絶してしまった。
「あ」
口をあ、の形にしたまま、固まる伏見。
「ああああ!?」
になしはぽち王女の様子に、蜘蛛への恐怖を押しやって慌てて駆け寄った。涙目で、不安そうに彼女を覗き込む。
「…えーと」
伏見は一人でぽつん、と佇み。やりすぎた事を後悔した。
手にした蜘蛛を、そっと草むらに放してやるその背中には哀愁が漂っている。
「……達者でなー」
「伏見兄様……」

になしの非難の視線が痛い。




* *




伏見が保健室の窓を開けると、清潔そうなカーテンが風になびいた。
ぽち王女は今、保健室のベッドに寝かされている。傍ではになしが、心配そうに彼女の顔を覗きこんでいた。
気絶したぽちを2人は学校の保健室まで運んできたのだった。
「よし、介抱しよう、そうしよう。…でも、ここで問題だ、になしの」
伏見は真面目な顔で唸った。何事かと目を瞬かせるになし。
「なんでしょう」
「俺も君も男なので、服に触れると、問題が発生しそうじゃないか?」
冷静に問題点を指摘する伏見に、心配で頭が一杯だったになしは言われるまで気付かなかったようで、ボッと顔を真っ赤にした。
「今は緊急事態なので、やましい心がなければ平気ですっ」
気の毒な程顔を真っ赤にして言うになしに、伏見は吐息じみた笑みを漏らすとゆっくりとカーテンの向こうへと歩いていった。
「では、すまないが、任せた。ビジュアル的にも、その。俺がやると、色々と問題が」
そういい残して、しゃっ、とカーテンを閉める。
になしは出来るだけ見ないように気を付けながら、ぽちの襟と、締め付けられたウエストを楽に緩めると、服を着せたまま、清潔なタオルを濡らして顔や首を拭いてやった。途中、何かの拍子にぽちの痩せすぎた胴を見てしまい、心が痛んだ。
「うっ、かわいそう。……って、いやいや見えない見えない」
自分に言い聞かせるようにしながらでぎゅっと固く目を閉じて、ぶんぶんと頭を振る。
「終わりましたよ」
介抱を終えて、カーテン越しに伏見に呼びかけた。
水さしでそっと唇を湿らす程度に水を口に含ませてやると、ぽちは目を覚ました。
余程恐かったのか、目はまだ蜘蛛を探している。伏見はそんなぽちに罪悪感を感じながら、少し離れた位置で安心させようと両手を開いて見せた。
「もういないから、いないから」
「お姉さま、アレはもういないですよっ」
になしはぽちが可哀想で、ジトと伏見に非難の目を向けた。
「はいはいはいはい、悪かった悪かった悪かった悪かった」
伏見は非難の視線に肩を落とすと、両手を上げて降参のポーズで謝る。ぽちはと言うと、浅く目を瞑って安心したような溜息をついた。溜息を聞きとがめて、になしが心配そうにぽちの顔を覗きこむ。姫はジト目でになしを見た。
「お姉さま、どうなさいました?」
「私。なんでいじめられるんだろう。…やっぱり、反抗したいとかいったから? 鎧きたいといったから?」
「そんな事はないです」
必死にフォローしようとするになしの横で、伏見はすまなそうな顔でポチを見た。
「もういいわ」
「伏見兄様には、絶対にいじめるつもりはなかったはずですよ」
「お人形ごっこでしょ?」
「あたらずとも、とおからず、になるのかもしれません」
責任を感じた伏見が沈痛な面持ちで言った。になしは目に涙を溜めてぽちと伏見を交互に見る。
「わたしは、お姉さまの言葉が聞きたいんです。お人形なんて嫌です。だから、さっき、反抗したい、鎧を着たいと言ってくれて、嬉しかったですよ。もっと、色んな事を聞かせて下さい」
必死に言いつのるになしに、ぽちは俯いて押し黙ってしまう。保健室の白いカーテンが揺れた。
「……一人にさせて」
「……手首、切らないでくださいよ」
沈痛な空気に伏見は傷ついた顔をしてそう告げると、先に保健室を後にした。パタン、と乾いた音を立てて扉を閉めると、辛そうに瞼を伏せる。
になしは、ぽちを一人にしたら死んでしまうのでは無いかと心配で、押し黙ってしまった彼女の傍にいたかったが、のろのろと重い腰を上げた。泣きそうな顔でぽちを一度振り返る。
「分かりました。でも、後で、やりたい事を、聞かせて下さいますか?」
になしの言葉を聞いてか聞かずか、ぽちは泣き出してしまった。になしは心を傷つけたと悟って、堪えていた涙があふれてきそうなのを知り、俯いて足早に保健室を出た。心配で心配で、変な気を起さないようにと刃物だけは持ち出した。
保健室を出たとたん、になしの目からじわりと涙が溢れる。
「うううー…」
保健室の外では、廊下で尻尾を悲しげにしおしおとさせた伏見が待っていた。
「なあ、になしの。たまにさぁ、分かってるから、いわないでくれーっていう状況って、ない?」
「あります」
になしは鼻を啜って頷く。伏見は寂しそうに微笑んで、床に視線を落とした。
「可憐になれ、可愛い君であれ、反骨精神を見せてみろ、がんばれ、がんばれー」
伏見は溜息を吐いて瞼を固く閉じる。よかれと思ってした事がかえって傷つけてしまった。酷く自責の念にかられた。
「ポジティブなままでいるって、辛いよなぁ」
「そうですね……。駄目だなあ、わたしは」
になしの肩が震えた。伏見の手前、一生懸命こらえていた嗚咽が漏れそうになる。伏見は、同じ男として敢えてそんな彼を見ないようにしながら、わしわしと大きな手でになしの頭を撫でた。
「馬鹿、俺もだよ。元気でいて欲しいのは、家族の我侭だけど、それぐらいは思ってもいいだろうよ」
「ううう…」
になしは堪えに堪えていたものが一気に溢れ出したように泣き出した。涙が次から次に溢れて干からびてしまいそうなくらいだった。伏見は優しい苦笑を漏らして、になしの頭を撫でた。抱き寄せなかったのは男だと知っていたからだ。ちょっと信じられないが。
「ああもう、あっちもこっちも。俺の妹…、妹?はどれもこれも手のかかる」
になしを慰めながら、背伸びして保健室の中を伺うと、ポチの痛ましい姿が見えて、伏見は瞼を浅く伏せた。


* *




「……ところで、になしの」
「なんでしょう」
になしは落ち着きを取り戻し、ぐずぐずと鼻を鳴らしている。伏見に話し掛けられると、先ほどまで大泣きしていたのが恥かしくなったのかぐいと乱暴に涙の痕を拭った。瞼はすっかり腫れて目が赤い。
「独りってのは、悪いことだと思うかい」
見た目が可憐な美少女だけに、伏見は乱暴なになしの仕種に苦笑を漏らした。
「悪い、ですか。思いませんよ」
ぐす、とまだ鼻を鳴らしてになしは首を少し傾げる。
「だよなあ。でも、俺達は口をそろえて、独りっきりなんてダメだよと、手を差し伸べちまうよな」
「そうですね、それは、私達の我が侭でもあります」
「そうだな。俺達は、我侭だ。ついでにいえば傲慢だ。人一人、簡単に救えるつもりでいる」
伏見はやれやれ、とすりガラス越しに少女を見―……いない。
目を見開いた伏見に、になしが何事かと保健室の扉を勢いよく開けた。
やはりいない。
「……あーあ。ま、こんなこったろうと思ったよ」
「お姉さま、まさかまた!?」
予想していたのか苦笑する伏見に、になしは慌てて開いている窓から飛び出した。幸い、保健室は一階にあり、落ちて死ぬ事は無い。
「俺は、昔親と揉めて、意味もなく走った記憶がある。ああ、になしの。あせるな、どうせ落ちても死にゃあしない」
「え、いやそういうわけには!」
窓から飛び出して、になしは髪を振り乱し、姫の姿を探した。焦燥に胸が押しつぶされそうだった。
―いた…!
ぽち王女はずっと向こうをよろよろと歩いていた。力の無さが目に見えてわかり、風にさえ揺らされそうだ。
「俺達は、彼女のなんだい、になしの」
「……部下で、そして義理の兄弟です」
伏見は、今にも叫びそうなになしの肩に手を置いた。
「Yes。彼女が言ったんだぞ。一人にして欲しいって。なんもかんも自由にならない妹殿のお願いぐらい、聞いてやらんとな」
「……分かりました。お姉さま」
寂しそうに笑って言う伏見に、一度は頷いたになしだったが、はっと弾かれたように顔を上げた。
―向こうは崖だ…!
「やっぱり駄目です!向こう、崖があるんです!」
になしの言葉にサッ、と伏見の顔が青ざめた。2人は示し合わせるでもなく同時に駆け出す。
全力で疾走する伏見が彼女の背中をとらえた。
あと少し…!
手を伸ばした所で、急に彼女の姿が消える。ぐっと奥歯を噛み締める。
―死なせるものか!
伏見は無我夢中で飛んだ。空中で、目を瞑りすっかり覚悟したぽちの腕を掴んだ。必死にそのか細い体を抱きしめる。
絶対に守ってみせる。こんな状況だと言うのに、目だけは冷静に衝撃を和らげてくれる木枝を探した。―無い。彼女だけは絶対に守る、そう思いぽちの体を抱きしめる腕に力を篭めた。どうにか届いた足で崖の壁面を一度蹴り、背中を丸める。自分がクッションになるつもりだった。

―落ちる!

しかし、予想した壮絶な衝撃はやって来なかった。代わりに少年の痛みに呻く声が聞こえた。伏見が目を開くと、安心した表情のになしと目があった。どうにか崖の下に回りこんで受け止めてくれたようだ。
「二人とも大丈夫ですか!?」
「……よ、妹弟殿。ファインプレー」
本当は死をも覚悟したのだが、いまだ目が赤いになしに、伏見は安心させるようにふざけて見せた。
「よ、良かった……」
へた、とへたりこむになし。になしが受け止めてくれたとは言え、衝撃は相当なものだった。伏見は見た目は可憐だが、になしは正真正銘男で、漢である事に心から感謝した。
「くそ、次からは高いところから飛ぶなとでも注意しとくか。うわ、くそ、背中いてえ」
咳き込んで、腕の中の姫の無事を確かめるも、彼女の表情は力なく何か諦めているようだった。
彼女に回していた腕を解くと、ポチは自分の足で立った。暗い目をしている。
「……ん」
伏見はポチを正面から見つめた。になしは、はらはらしながらその様子を見守る。
「何処かに、行きたかったので?それこそ、飛んででも」
ぽちの目から、ぽろぽろと涙が流れ落ちた。綺麗と言うには痛々し過ぎる涙だった。
伏見は辛そうに瞼を薄く伏せて、彼女の頭に手を置き、今度こそ触れるのを躊躇わずに抱き寄せた。ぽちは伏見の胸にすがり付いて、細い肩を震わせる。
「貴女が―…」
抱き寄せた体の細さに、胸を痛ませながら大切なものを扱うように抱きしめる腕に力を篭めた。
「貴女が、飛びたいと思う場所、行きたいと思う場所、そこに…」
瞼を伏せて、彼女の髪に鼻先を埋める。せめて泣き止むまででも、こうしていたかった。
「俺が、連れて行くから。なにがあっても、必ず。…どんな手も、惜しまずに」
になしは、気を遣って邪魔にならないように、それでも伏見の言葉に同意して精一杯頷いた。
「俺を、貴女は自由にしてくれ。それが、俺の――望みです、王女。我が妹殿」
伏見は泣きそうな顔をして、そう言葉を紡いだ。嘘偽りなど一つもなかった。彼の正直な気持ちだ。
「うそ、うそ……うそつき、全部うそ」
ぽちは豊かな髪を振り乱して首を振った。信じられないようだった。
「じゃあなんで私にいじわるするの?」
「それ、は…」
伏見は、先ほどまでの大胆不敵な行動とはうって変わり、顔を赤くして俯いた。
言えと言うのか、ここで…。
「君が…」
もはや伏見は腹を括った。
「す、すきだから」
言った後で、えらい事をしたと顔を青くした。王女に告白をしてしまった。臣下の分際で。
「またうそをついた」
しかしぽちは、半目で唇を尖らせた。どうしたら信じてもらえるのか。慌てて言葉を捜すものの、適当な言葉が思いつかなかった。本当にそう思っているのだが。
「いや、嘘じゃないっ。嘘じゃないけど、そのっ!!」
「すきなら優しくするのよ。私を世間知らずだと思わないで」
伏見は呆けた顔をして、になし助け舟を求めた。
「なんですか」
になしは複雑な気分だ。愛するぽちに良かれと思って、邪魔しないでいたが、恋敵に助け舟を出すことになるとは。しかし、になしは微妙な顔をしただけで頷いた。
「簡単に言うと、伏見兄様はひねくれているんです。」
になしの言葉は的を得ていたものの、ポチのかんに障ったらしく、彼女は顔を隠して声をあげて泣き出した。
「みんなで馬鹿にして!」
「あわわ」
「ちがっ、ちがうっ!! 本当だっ、好きだっ!! なんなら証拠を見せてもいいっ!!」
目をぐるぐるにして慌てるになしと伏見。になしは自分の言ったことが不味かったのかと心配でまた目に涙を溜めた。どうやらぽちは、相当無垢に育てられたようだ。愛情も恋も知らないのかもしれない。
しょうがないなあ…という顔で、伏見は彼女の傍に歩み寄った。そして身を屈めて彼女の顔を覗きこむ。
「好きじゃないなら、できないことってなんですか?」
ぽち王女は涙でまだ頬を濡らしたまま、棒切れを拾って投げた。
「あれ取って来て」
「わん」
伏見が王女の機嫌が直るのなら、と苦笑してそれを拾いに言った。おどけてその場で片足で立ち、三回転して見せる。ぽち王女はそれを見て傷ついた顔をした。伏見は何だか致命的な失敗をしたような気分で、じっとぽち王女を見返した。
こういうこと、させたい訳じゃないでしょうに…、―いや、まさかそうなのか?
思考をぐるぐると巡らせる伏見を尻目に、になしは、彼女が箱入りすぎているのを思い出した。
「伏見兄様、お姉さまはずっと船の中から出た事もなかったんです」
「うん、知ってる。知ってる。知ってるけど―…」
伏見がその場でぐだっと肩を落とした。そこまで箱入りだとは思わなかったのだ。
「ここまで度がヒドいとはなぁああ~~~……!!」
思わず出た叫びだったが、ぽち王女は傷ついた顔をして俯いた。
「なにも知らないほうが幸せなのよ」
そう呟いて走り出す。
「あああああ、ごめん、ごめんなさい。違うから、違うから」
「そんな事はないですっ!」
駆け出したになしは、すぐにぽち王女に追いついた。彼女はすでに息を切らしている。
「お姉さま、大丈夫ですか?」
心配そうに、そんな王女の顔を覗きこむ。
「何も知らない方が幸せなんて、そんな事はないですよ」
「宰相はそう言うわ。どうせ16で死ぬんだから、なにも知らないほうがいいし。私、ほんとうにそうだって今日分かった」
「何も知らないのは、楽なだけです。しかもその時は楽でも、あとでもっともっと辛いんです」
になしは、必死に言い募った。どうにか彼女に笑顔を取り戻してやりたかった。ぽち王女はそんなになしの目を見た。しかし、その瞳に信じる心は無かった。になしは、悲しい気持ちでぽち王女の肩を揺らす。笑顔を取り戻したい。
「16で死ぬだなんて事はもうないんですよ。そんな事はさせません。」
ぽち王女は悲しい目を伏せた。
「どうせ、あと2ターンなんだから」
彼女の言葉に2人は心の中で悲鳴をあげる。
「でも、まだ2ターンありますっ。」
「ターン? なんのことですか、殿下。「それは、天領での暦の数え方で?」
伏見が何か疑問を持ってそう尋ねると、ぽちは不思議そうに見た。
「ターンはターンよ」
「いったりきたり、の? 僕のターン、貴女のターン」
身振り手振りを交えて、ぽちに確認する伏見に、彼女は目を瞬かせた。
「何の話?」
「ターンは、シロ摂政が教えてくださるのですか?」
「アイドレスはターンで動いているのよ。一ターンが一巡り。今はこっちにきてから8ターン目よ」
「ああ、でしたな。失礼失礼。そろそろ、整備やなにかの時期ですかな?」
「法で決められた定期整備よ」
問答の末、ぽちは不安そうに伏見を見た。
ぽちは不安そうな顔で伏見を見ている。合点がいったのか、伏見は慌てて王女をの顔を見た。
「あれ、もしかしてお姉さまは、いつも私たちを見ていたのですか?このターンも、我が藩はI=Dを多く作りますよ、殿下」
「王女だし…。ええ。知ってるわ。ケント。大きくなったけど」
王女が我々を見守ってて下さる。伏見とになしは胸に熱いものが込み上げてきた。
「うわ、ちょっと恥ずかしいですね」
「ああ、ありがとうございます。トモエリバーも、人気ですよ」
嬉しそうに笑うになし。伏見は何か違和感を感じながらも話を続けた。
「フェイクね」
「あれには驚かされました。シロ宰相が、買取してくれるとは」
「地下組織に流れたら、困るでしょ」
―地下組織?何が起こっているのだろうか。
「フェイクは、私もこの前のりました。あれがなかったら大変だったので、助かりましたよ」
表面上平静を装って伏見は答えた。
「市場に流れた兵器が、犯罪をおかしはじめている。取締りしないといけない」
「ほう。地下組織?…それはいったい」
「そんな事が!?」
驚きの声をあげるになし。伏見は己の心臓が早鐘をうつのを感じた。とんでもない事を聞いているのだろうか。
「組織犯罪をするものは多い。第32ターンで市場に流れたI=Dはいけないことをたくさんしたの」
「32ターンですか? わたしは、知らない頃の話でしょうか」
「こちらに換算すると3ターンよ」
「3ターン……」
絡まる謎に必死に考えを巡らせる2人。
「こちら……えと、という事は、天領で数えると第32ターンという事ですか?」
「そうか、ごめんなさい。になしはオリオンアームの人よね」
「え、ええ?」
伏見は混乱した頭で、になしを肘で小突いた。
「は、はてない国人は馬鹿だからその辺りは良く分からないのですっ」
ぽちは優しく笑って、お姉さん風に言った。
「テラは歴法が違うものね。年、だっけ。宰相が教えてくれたの。下々とは、それでしゃべりなさいって」
「そうですか、宰相が……」
伏見がなるほど、と頷く。
「だぞ、になしの。覚えておくと、いい」
「わ、分かりました。覚えておきますっ。お姉さまありがとうございますっ」
そんな2人をぽちは不思議そうに見つめた。
「…?…どうかしましたかお姉さま?」
「いや。なんというか。そういうことも知らないのねって」
ぽち王女は何やらハトが豆鉄砲を食らったような顔で一人言のように言った。
「今度、教育係をおくってあげるね」
「教育係ですか、お姉さまと一緒に勉強してみたいな……」
「いいけど」
になしの言葉に、ぽちは快く頷いた。その返事に無邪気に喜ぶになしに目を細めてから、伏見は質問を口にした。
「はは、良かったな。ああ、王女、ところで――第一ターンと、第二ターンは、なにがありましたかな? いや、申し訳ない、最近、忙しすぎて」
「こちらに来たのが第0ターン。第1ターンは国づくりね。ジェントルラットがもう…」
そこでぽち王女は溜息をついた。先程よりも顔色が良く、元気になったように見える。2人はその様子に安心した。
「お姉さま、お仕事はお好きなのですね」
「?」
になしの言葉に、ぽち王女は不思議そうに小首を傾げた。その様子に、になしはぽち王女は仕事以外知らないのだろうか、と心配になったが、元気そうな顔を見て、自然と笑みが漏れた。
「わたしは、お仕事に関してまだまだです。お姉さまを見習わないと。」
「うん。そうしてくれると、民も喜ぶ」
ぽち王女の言葉に、になしは大いに頷いて見せた。
「はい。そして、お姉さまが16で死ぬような事にならないように、します」
「いやまったく。俺も、がんばりますよ」
力強く決意を新たにするになしと伏見に、ポチは目をまたたかかせる。
「死ななかったら、みんな困らない?」
「いやいやいや“第3ターン”のようなことは、困りますよ」
「お姉さまが死んでしまったら、もっと困りますっ」
不思議そうな顔のぽちに、伏見とになしは力説した。
「あそこで私が生きていたとして、それでどうやって帝國を守るの?」
「ほら、王女が……ええと、打たれて。覚えてませんか?」
「あの時は……」
2人はそこまで言って言いよどんだ。ぽち王女の瞳に力が戻る。ぽちは背筋をそびやかしてて、になしと伏見を見た。
「冷静になりなさい。になし、伏見」
「は……」
「はい」
ぽち王女はすっかり調子が戻ったように見える。いつもの王女の言葉だった。
「我々は必要ならいつでも身を投げ出す。それゆえの貴族」
「……その通りです」
「然様です、殿下」
伏見は違和感に開きかけた口を閉じた。言いかけた言葉を飲み込む。今それを言えば、また彼女が落ち込みかねないと思ったからだった。しかし、ぽち王女のこの変わりぶりはどうした事だろう。王女は、まるで何かのスイッチが変わったように、必要以上に冷静になっている。その凛々しさは好ましい、しかし。
―おそらく条件付きの何かだ。薬物か、機械的制御か
2人は頭を礼儀的に下げたまま、何かに感ずいて表情を曇らせた。
伏見はギリ、と歯を噛んだ。だが、自分の立場上、それを糾弾できるはずもない。誰がやったのか、憶測はつくが。頼りになる友の顔を思い出して、激情を堪えると、伏見は顔を上げた。
「殿下、では、最後にお聞きしたいのですが」
「なあに?」
「俺が、帝國のために立派に散れば―…」
そこまで言って言い淀んだ。
「勲章なら安心しなさい」
「……殿下が、お喜びになられるなら、恐悦至極」
伏見は、表情を隠して軍隊式の敬礼をした。内心は嵐の海のように激情が渦巻いていた。
「喜ぶ?」
「俺が、俺の国民たちが、帝國の為に立派に戦えば、あなたは喜んでくれるでしょうか?」
噛み砕くように言葉を紡いで、伏見はまっすぐにぽち王女を見つめた。
ぽち王女は、不思議そうな顔で佇んでいた。感情を感じさせない顔だった。

その顔を機械的に、優しく緩めて頷いて見せる、ぽち王女。

その様子が、酷く作りものめいて見えて、伏見は表情を殺しきれず悲しみに顔を歪めた。



涙が、出そうになった。



end


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引き渡し日:2007/8/17


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