久珂あゆみ@FEG様からのご依頼品

   ただ一人のためのひだまり
                  for Ayumi and Shintaro Kuga

 宰相府藩国、春の園。犬士総出での造園作業がようやく終わったこの区画は、花とカップルに溢れていた。とはいえ、彼が待ち合わせに指定したこのたんぽぽ畑は特に見るものがないせいか人気がなく、のんびりした空気が流れている。

 そんな辺りを見渡す余裕もなく、わたしは駆けていた。
 近頃発売停止されていたリゾートチケットが、急遽手に入ったのはつい先刻。
 最近、なんだか落ち込むようなことばっかりで。逢いたくて。優しくしてもらいたくて。でも勉強の邪魔はしたくないし、心配させたくないし。元気になろうとは思うけれど、そう強く思うほどかえって落ち込む。考えれば考えるほど訳が分からなくなってきて、気がつくと待ち合わせの電話をかけていた。
 それが、数時間前の話。

「ここ、だよね……?」
 湖を見下ろすように広がるたんぽぽとクローバーの草原。草花と空と湖以外何も無いような空間で、目印のように数本立った木の下にベンチがあった。
 そして。
 ――彼が、いた。

 そこから先のわたしの記憶は曖昧だった。ただ、白い服が草の緑に映えるなとか、そんなことをぼんやりと考えていた気がする。
 気がつくと彼に抱きしめられていた。「よしよし」と優しくあやすような声と、髪に触れてくるその指の柔らかな感触を感じると、もう我慢できなくて。ぎゅっと、胸に顔を沈める。
 きっとすごくぶさいくな顔をしてるだろうから、微笑んでくれてるだろう彼を見上げることも出来なくて、しがみついた。
 そうしているうちに、頬を撫でていたはずの彼の指がすっとわたし顎の下に滑っていって、上を向かされる。
「何が君を泣かせているか知らないけれど、キスでなおるかな」
 瞳を覗き込んでくる彼に、どうしていいか分からなくなって。瞳を閉じて、一際強く抱きしめる。
 少し湿った、優しい感触がした。

「会いたかったよ」
「わたしも会いたかった……」
 うんという優しい声とキス。キスの度、少しずつ心の靄が晴れる気がする。
「何はなそうかってずっと考えてたけど 全部忘れちゃった…」
 笑おうと思ったけど、その笑顔はきっとどこかぎこちなかったんだろう。
「会うだけじゃ、だめ?」
 問いかけてくる彼は、どこまでも優しくて。
「だめじゃないです」
 首をぶんぶん振った後、ぎゅっと抱きしめた。

 ぽつぽつと言葉を交わす。
 ちょっと情けなくなるくらい弱いわたしだったけれど、そっと聞いてくれる彼の微笑みと相槌代わりに交わすキスに、少しずつ落ち着きを取り戻した。

「少しは落ち着いた?」
「うん…」「おかえりなさい。まだいってなかった」
「ただいま」
 そして、何度目かの口付け。

「やつれてるよ? これは毎日あわないとね」
 そう言ってくれた彼の言葉は自然だったけれど。
「学校あるのに?」
 微笑み返すのはちょっと難しかった。
「どうせ手につかないよ」
 穏やかに言う彼を見ていると、たくさんの嬉しさと少しの申し訳なさで泣きたくなった。
「晋太郎さんがよければ…側にいてほしいです」
「うん。――好きだよ」
 二ヶ月前。その言葉を言ってもらいたくてぐるぐるしていた自分を思い出すと、嘘みたい。そんなことを考えて、そう思い出せるだけの余裕が出てきたことに気づいた。そうして、ようやく自然に笑えた気がする。
「ありがとう。嬉しい。」
「うん」
 抱きついていると、そっとマントで包まれた。何かから隠すような、全てから守るような、そんな仕草。
「君を誰にも見せたくないよ」
 答えは、はじめから決まっていた。
「晋太郎さんのものですよ」
「僕は心が狭いんだ。泣き顔なんて誰にも見せたくない」
 どうして、わたしを喜ばすのがそんなに上手いんだろう。
「うん……」

「だいすき」
 身を任せたまま、そっと囁く。
 春の心地よい風の中で、おひさまのような匂いと暖かなぬくもりを感じた。
 上目遣いで見上げたわたしに彼はにっこり笑うと、そっとキスをした。

 湿った唇に吸い付くようなそれは、魔法のキスだった。
 心を解きほぐすような優しくなだめるような口付けは、きっとわたし専用の魔法。


written by Akari Kazano at 23rd March

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最終更新:2008年03月23日 21:14