No.243 沢邑勝海@キノウツン藩国様からのご依頼品



 シンプルではあるが可愛らしくまとめられた小さな花束を高原鋼一郎から受け取って、彼の愛妻、高原アララは微笑んだ。

「いつもありがとう。これくらいしかできないけれど、受け取ってもらえますか?」
「ありがとう。嬉しいわ。……あら、怪我してるじゃない。」

 寒さで少し白くなった掌の、ほんの少し赤くなった部分を見てアララが眉を寄せる。
指で包み込むように触れたそれをまじまじと眺めた。

「あぁ、さっき鋏で少し。不器用なもので。」

 顔のすぐ近くまで引き寄せた手をじっと見るアララに、高原が恥ずかしそうな顔で笑いかける。
冷えていたせいで痛みの伝わらなかったそれは、薔薇の剪定の途中に鋏で掌を挟んだ怪我であった。
白い掌のすぐ近くで、チロリ、と赤い舌が揺れる。
内出血を起こした薄い肌の上を、アララが舌先でなぞっていく。
 冷えた手に温い体温を感じて、高原の背中が跳ねた。
ゆるやかに上がる体温が、じんわりとした痛みを伝える。

「……消毒しなくちゃ、ね?」

 いつの間にそんな空気になったのか。
伏し目がちに高原を見上げるアララの雰囲気は、妖艶であった。
 心臓の鼓動が激しくなるのに合わせて、高原の顔が赤くなっていく。

「ありがとう。」
「どういたしまして、旦那様。」

 にっこりと満足げに目を細めて、アララは掌にキスを落とした。

/*/

「………。」
「………。」

 そんな夫婦のやりとりを見ていたものが居る。
見ていたと言っても覗いていたわけではない。
彼らは最初からずっと夫婦の側に居たが、夫婦の方が彼らを無視していちゃつきはじめたのである。

「……わぁ。」

 うっとりと頬を紅潮させて、その場に居合わせてしまった不幸な二人の片割れ、女の方が呟いた。
もう片方、男の方は、目のやり場に困っているようでしきりに視線をさまよわせながら、胃の辺りを押さえている。

「……悪いですから、行きましょう。」
「あっ、はい。」

 片方の腕に6分咲きの薔薇を抱えたまま男が促す。
歩き出した二人の背中に、長いキスの最中のアララが手を振った。


 迷路のように複雑な道を二人は並んで歩いていく。
前に人は居ないようで、まっさらな雪に足跡を残し、男よりも背の高い薔薇の壁を見上げながら歩いていた女が、少し震えた。
降ってくる雪に顔をしかめて男が上着を脱ぐ。

「自分が着ていたもので悪いですが、どうぞ。」

 差し出された上着を見て女が目を丸くする。
男の褐色の肌は、灰色の空に並ぶとひどく寒々しげに見えた。

「え、いいんですか? 谷口さん、寒いでしょう?」
「いえ。まぁ、青森に比べれば。」

 僅かに垂れた谷口の瞳に唇の青くなった自分の姿が見え、谷口の言葉に頷いて女は上着を受け取った。
袖を通し、袖と肩幅の随分あまるハーフコートにおかしそうに笑う。袖を曲げて掌を外に出した。

「大きいですね。」
「……。」

 表情こそ戻ったものの、谷口は答えない。女の眉が垂れる。

「谷口さん?」
「ああ、いや、すみません。……細いものだなと、思って。」

 もごもごと歯切れ悪く話す谷口を見て、女が笑った。
アーチをくぐって、二人はもうとっくに見えなくなった夫婦から更に離れていく。
薔薇や雪を見ては表情を変える女を見て谷口が笑う。それに気付いて、女が少し照れた。

「ウチは砂漠の多い国で、」
「西国ですから。」
「えぇ。だから、薔薇はともかく、雪なんて全然…、」

 不意に明るくなった視界に女が顔を上げる。
少し前まで両脇に高く伸びていた薔薇の壁が、曲線を描いて広がっていた。
開けた場所に出て、谷口が近くのテーブルセットに薔薇の束を乗せる。

「なるほど。……雪ダルマでも、作りますか?」

 それはひどく脈絡のない発言であった。
女の頭に積もった雪を払い落としながら、谷口が手袋を差し出す。
面白いなぁこの人とこっそり考えて、女は頷いた。


 ごろごろと、遠くの方で谷口が雪玉を転がす。
慣れない雪を踏む感触にふらつきながら女が雪を固める。
ヒールの高い靴をはいてこなくてよかった、と息を吐いて雪を集める。
スコップもなく手だけで雪を集めるのは、結構難しかった。

「これくらいですか?」

 すっかり雪まみれになった手袋を口の横に当てて女は谷口を呼ぶ。
隣には女の腰程度の高さの雪玉が転がっていた。

「はい。」

 遠くから谷口が叫ぶ。
女のそれより二回りほど大きな雪玉を、比較的雪の残っているところを選んで転がした。
谷口の腰程度の高さの雪玉が近付いてくる。

「谷口さんの、大きいですね。」
「つい、作りすぎました。自分のが下で構いませんか。」
「えぇ。」

 大きい方の雪玉をしっかりと地面に固定して谷口がもう一方を持ち上げる。
軽々と上げられた雪玉に、少し悩んで女も手を寄せた。
触れ合った部分からじわりと雪が溶けて、据わりの悪かった雪玉が手を放しても落ちない程度に張り付き合う。
 重ねられて自分より背の高くなった雪ダルマを見上げて女が大きく口を開く。
平らな顔に器用に雪の鼻と目をつけていく谷口を見て、ふと浮かんだ疑問を口にした。

「……こんなところに作って、怒られませんか?」

 薔薇の壁から1メートルほど離れて立つ巨大な雪ダルマは、邪魔にこそならないだろうが場所をとった。
谷口の手が止まる。

「……まぁ、壊されはしないでしょう。そんなことをするような不埒者は、この薔薇に触れると眠ってしまうので。」
「えっ、そうなんですか?」
「あ、いや。なんというか、そういう童話です。」

 なるほど、と女が頷く。声を上げて笑いながら、谷口は作業を再開した。

「もしそうなら、自分はとっくに眠ってしまっていますよ。」
「そんなこと!」

 あなたは不埒者などではない、と。咄嗟に反論して、女は慌てて自分の口をふさぐ。
声に目を見開いて振り返った谷口が笑った。

「ありがとうございます。……そういう風に言ってもらうのは、嬉しいものですね。」
「……ど、どういたしまして。」

 お互いに顔を見合わせて微笑む二人の上に、静かに雪が降り積もる。
それを見ていたのは、雪ダルマだけ、――

/*/

 ……ではなかった。

「まどろっこしいわね。」
「アララ、あまり近付くと気付かれますから。」

 茨の隙間から一組の夫婦が顛末を見守っている。
彼らの場合居合わせたのは偶然ではなく、覗きにきたためでった。
 少し艶のよくなった肌のアララが高原に擦り寄る。

「ね、上手くいったでしょう?」
「えぇ。さすがアララ。」

 高原に誉められてアララが目を細める。
細い腕を高原の首に回して、甘えた。鼻を押さえる高原。足元の雪がまだらに赤く染まる。

「あそこまでやらなくとも、谷口は追い払えたと思いますが。」
「あそこって、あの子達が居なくなる前にしたこと? それとも、後のこと?」
「……居なくなった、タイミングのことで。」

 指先を顎に当てて、んー、と考え込むアララ。

「あぁ、……本当はあそこまでやるつもりじゃ、なかったんだけど。」

 鋼一郎を見てたら、つい、ね。と囁いて、アララは悪戯っぽく唇を舐めた。
白の中の赤色の比率が上がる。

「……続き、する?」
「……風邪をひきますから、家に帰ってからにしましょう。」

 高原の答えに微笑んで、アララは腕を絡めた首を引き寄せた。




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最終更新:2008年03月16日 13:34