瀬戸口まつり@ヲチ藩国様からのご依頼品


/*時は移ろい色は変わり*/



 あと五分で昼休みの鐘が鳴る、というところで、その男は目を覚ました。
 それまでの授業時間全てを机に頬杖をついたまま熟睡して過ごすという、怒るべきかそれとも顔が落ちなかった器用さを褒めるべきかいささか評価に困る真似をしてのけたその音は、どこか不機嫌そうに目を細めた。
 窓ガラスに自分の顔がうつる。不機嫌そうな顔。しかし無駄な肉付きはなく、さして工夫もしていないのに整っているように見える髪や、それなりに形のいいラインを描いたそれは、美形と表するにふさわしい造形をしていた。
 彼の名前を瀬戸口といい、学生なんぞをしていたりする。が、その一方で、本来高校生くらいに見えるべきこの人物、時折、外見年齢とかけ離れた雰囲気を醸し出すことがある。特に、この人物が遠くを見て何かを思っている様は、まるで数百年の昔を見つめる老人のようですらあった。
 もっとも。今彼が不機嫌そうな顔をしているのは、特に立派な理由があるわけではない。はっきり言えば、夢の内容が問題だった。
 夢の内容には、昨日の会話が浮かんでいた。会話相手は髪にリボンをつけた幼い少女で、名前をののみと言う。舌足らずな話し方をするが、まっすぐで、今時珍しいくらいに良い性格をしていて、それよりもなによりもまず、瀬戸口は、ののみを溺愛していた。
 そのののみが誘拐された。
 違う。連れていったやつは問題だったが、別に誘拐というわけではない。ただ、芝村の姫様に連れて行かれただけだ。おかげで今日はまだ顔も見ていない。一言も話していない。たかちゃんと言われてない。自然とつまらなさそうな顔になっていく瀬戸口。
 俺は拗ねてるのか? はたと冷静になる瀬戸口であったが、夢の中、実際には昨日唐突に告げられた一言を思い出して、即座にそんな冷静さは追い払われた。
「えっとねー。いじめちゃめーなのよ?」
 何の脈絡もなく、ののみは唐突にそんなことを言ったのだ。その後は何のことか尋ねても教えてくれなかったし、大体、すぐさま芝村に連れて行かれてしまった。そのあまり愉快でない記憶を、ついさっきも、夢の中でリピートしてしまった。不機嫌になるのも致し方あるまい。そして未だ昨日の現実と先ほどの夢に心の中で不満をこぼしている彼の人物は、すでに昼休みの鐘が鳴っていることに、気付いて、いない。
 ついでに言えば、さっきから妙につまらなさそうにしているこの人物に話しかける勇気のある者も、また、いなかった。
(だいたいいじめるって何の話だ? 誰を? だいたい俺はそんなこと最近はしてな――あ)
 一つ心当たりを思い出して、瀬戸口は一瞬表情を消した。いやまて。しかし……。
「…こんにちは」
 うわっ、と言わないようにするにはなけなしの精神力の九割を消耗する必要があった。苦労して表情を固定し、そっぽを向いたまま黙っている。一秒、二秒。移動する気配は無し。
「どうした?」
 こちらの心臓も落ち着いてきたところで振り返る。そうすれば、そこには一人の女子学生が立っている。細い体つきに、すっきりとした顔立ち。たぶん、セミロングくらいの髪は、うなじのあたりで一つにまとめており、今はその顔にちょっと不安そうな、あるいは緊張しているような表情を浮かべている。
 この頃はまだ「つきやままつり」という名前の、女性である。
「あ、いえ 元気がなさそうに見えたので…」
 遠慮がちな声でそういうつきやまに、瀬戸口は内心で小さくため息をつく。それから、至極どうでもいいという感じで、言った。
「別に」
「そうですか…」つきやまはちょっと苦笑して、小首をかしげる。「今日はののみさんはいらっしゃらないんですね」
「帰ってこない」
「え」
「芝村にとられた。最悪だ」
 驚くつきやまのとなりで、瀬戸口はげんなりと言った。そう、最悪だ。愚痴ってしまうくらいに最悪だ。何でよりにもよって芝村なんだ。そして連鎖反応的にあの夢の最後を思い出して、瀬戸口は一瞬苦い表情を作った。
「…芝村って。何か治療ですか? それとも舞さん…?」
 つきやまは心配そうに聞いてきたが、瀬戸口はそれには気付いていない。今や頭の中はあの夢とののみがいないことと芝村に連れていったことでいっぱい満席空きの余裕は来春までお待ちくださいの状態であった。
「お姫様のほうだ」
「あ、そうですか。びっくりしました」
 そこでようやく、瀬戸口はつきやまの様子を確認した。ほころんだような微笑。胸に手を当てているのは、安心した、というジェスチャだろうか。
「嬉しそうだな」
「え」つきやまは少し目を大きくする。「嬉しいというか、びっくりして心配したんですよ」
「そうかい」
「ええ。じきにお戻りじゃないのですか?」
 瀬戸口は小さくため息をついた。まだ不満そうな表情であることを、窓を見て確認する。どうにも子供みたいだな、俺は、と内心でつぶやいた。
「当たり前だ。戻らなかったら誘拐だ」
「そうですね。――それで退屈してらしたんですか?」
「寝ようとしてたんだ」
 勿論、これまでさんざん寝ていたので眠気はない。が、言い当てられたのを認めるのは癪だったので誤魔化した。
 再びそっぽを向く瀬戸口に、つきやまはやや焦った。たぶん嘘を言ったんだろうなーということには気付いたけれど、なんとも言い難い。そもそも、どういう風に話したらいいのかというか、距離感というものだって、掴みきれないのだ。
 やっぱり相手にされてないのかな、と思い、そう考えた自分にちょっとへこみながらつきやまは口を開いた。
「ああ……お邪魔なら、黙りますけど」
 瀬戸口は沈黙。ああそうしろと言いそうになる口に対して、頭の中で「いじめちゃめーなのよ?」という記憶が反乱する。結局瀬戸口はフリーズした。戦闘結果は引き分け。
「少しおしゃべりしてもいいですか?」
「別に」
 躊躇いがちな声に、適当に相槌を返す。追い払わないあたり、記憶側がやや優勢かもしれない。それに、はい、と言われてにっこり笑われるのは、それほど、悪い気のするものではない。
「よかった、あっち行けって言われなくて」
 心底ほっとした声で言っていることに、つきやまは気付いていない。この娘、本当に勘定がはっきり出てくるなぁ、と瀬戸口は少し感心した。変に猫かぶったり有能そうに見せたりしなければ、けっこうもてるんじゃないか、と思う。
 そんなことを思われているとは気付かないつきやまは、顎に指を当てて少し考えてから、少し笑って話し始めた。それはこの間の縁日のことで、たまたまののみと一緒に行ったときに彼女とも会ったのだ。最初は追い払ったのだが、そのときちょうどはぐれていたののみを見つけてくれて、その後は、何とはなしに一緒にいることになってしまった。
 そのときに、ちょっとした気まぐれからやった金魚掬いでもらった金魚の話を彼女はした。あのときは、赤と白の金魚を四匹のうち、二匹をののみが、二匹をつきやまがもらったのだった。
「……ああ。あれか。忘れてた」
 覚えていたが、瀬戸口はとぼけることにした。何となく、気恥ずかしくなったのだった。
「ののみさんの金魚は? ご存じないですか?」
「知ってる。元気にしてる」
 そう言うと、自分のことのようにつきやまは喜んだ。別に関係ないだろうという気もするけれど、そんなことを言うのは、彼自身の品性が許さなかった。だから代わりに、別のことを言った。
「そうだな。ののみが毎日餌をやってた。俺が世話しないでも、大丈夫だ」
 言ってから、瀬戸口はちょっと目をそらす。つきやまが黙っていたので、慌てて付け加えた。
「ほんとだって」
「嘘だなんて言ってませんよ」
 そうは言うが、つきやまは小さき吹き出していた。口に手を当てて笑う彼女に、瀬戸口は不満そうにした。おもしろくないとばかりにそっぽを向き、それじゃあさっきと変わらんかと思って机に伏せる。このまま眠ってしまおうか。



 話ながらも、つきやまは少しばかしほっとしていた。
 というのも、初めて会ったときはいきなり追い払われてしまったし、この間縁日であったときも、最初は相手にしてもらうどころか、追い払われて、そのときの口調で、嫌われてしまったとすら思ったのだ。
 今日は珍しくうまくいっている気がする……そんなことを内心で思うつきやまだったが、ちょっと前まではそんなことを考えられないくらい余裕がなかったはずである。それを思えば、今はずいぶん落ち着いていた。
 あるいは、ゆるんでいたのかもしれない。だからか、少し、不用意な質問をしてしまった。
「…ののみさんは、体調は」
 瀬戸口はむくりと面を上げた。
「大丈夫、ですか?」
 あ、まずいかも。そう思ったときにはもう遅くて、瀬戸口は少し顔をこわばらせていた。声も、少し低くなる。
「普通だが、なにかあったのか」
「いえ」つきやまは慌てているのがわからないようにと祈りながら首を振った。「体が弱いのかなと思っていたので」
「大丈夫だ。毎日見ている。毎日」一言一言、はっきりと、彼は言った。
「はい。――お元気ならいいんです。皆さんが」つきやまは少し笑顔を浮かべて言った。ぎこちない笑み。
「驚かせるな」
 しかし心底驚いていたらしい瀬戸口は、そんな彼女の様子に気付かなかった。そのまま再び机に突っ伏す。一方で、「ごめんなさい」と言いつつも、内心で、本当にののみさんが大事なんだなー、と文字にはできるがうまく形容できない気持ちを抱くつきやま。
「腹減った」
「…お弁当食べます?」
「お前、もってたのか? 何で食べないんだ?」
 再起動瀬戸口。怪訝そうに聞いてくる彼に、つきやまはにこりと笑って答えた。
「ダイエットです。後で食べようかなと」
「そうか」言って、瀬戸口は倒れた。「後で食べる時はさぞうまかろうよ」
 なんかいじけてるなー、と、ちょっと子供っぽい態度に少しだけ苦笑するつきやま。そのまま手を伸ばして、弁当箱を取り出した。それをテーブルに置く。
「私は後で何か食べますから。自分用で色気のないお弁当だけどよかったら」
 つきやまは行った後で、少々早口だったことに気付いた。いけない。緊張している。耳の奥でうるさく響く鼓動よ止まれ。いや、止まっちゃ駄目。
「いい」言うと、瀬戸口は立ち上がった。「自分で買いにいく」
「じゃあ私も牛乳買ってこようかな」
 言って、つきやまもそれとなく立ち上がった。ちょっとだけ声が小さい。瀬戸口はそれを見たが、何も言わずに歩き出した。つきやまはその隣について歩いていく。珍しく、嫌がられていない気がした。
「みんなでピクニック行けるといいですねえ。そしたら張り切ってお弁当作ります」つきやまはのんびりと言った。「先輩は特にお好きなものとかありますか?」
「別に」瀬戸口は首を振る。「俺は、何でも食べるさ」
「そうですか。じゃあののみさんはどうですか」
「甘いものは好きだが、食べさせるなよ。虫歯になる」
「あら。えと、でも先輩も割とお好きですよね 多分。それと……きちんと歯磨きしたらいいんじゃないかしら」
「何が、誰が、何を好きだって?」瀬戸口はつきやまを見た。「歯磨きは毎日させている。間食は……」
 いいかけて瀬戸口は黙った。つきやまは少し笑いながら、とぼけるように言った。
「先輩はののみさんの前では食べないようにしてるのかなーって 思っただけです」それからぷっと吹き出しそうになるのをこらえつつ、誤魔化すように続ける。「お弁当には 果物にしておきます」
「俺は、和菓子好きだ。ケーキが好きなんじゃない。覚えておけ」
「はい」
 瀬戸口はびしいと言った後、恥ずかしくなったか、早足でどこかにいこうとした。両手をポケットにっこんですたこらさっさと歩き出す。
「あ、お昼ご飯。食べましょうよ先輩」
「子供じゃないんだ。一人でたべれるだろ?」
「えー それは、そうですけど…」
「どうした?」くるりと振り返る瀬戸口。
「ご一緒したいです」つきやまはじっと彼を見ていった。
 二秒黙った後、瀬戸口はにこっと笑った。
「俺は一人が好きなんだ。悪いな」
「あ、じゃあ もう一つだけ。って、せんぱーい!」
 声は遠く、すでに彼は遠くに行ってしまった。一体どんな歩き方をしていると言うんだろう。少しむくれた後、あら、移ったかしら、と思って表情を整え直す。
「ピクニックの約束をつけたかったのに……」
 やや不満は残ったけれど。しかし不思議と、何か、すっきりした気がする。それにあれ、あんまり追いかけても、しつこいと思われるかもしれない。
 もう。
 つきやまはは少し下を向いたが、すぐにターン。さあ、昼休みはまだ残ってる。どうしようかな、と思いながら歩き出した。



 そして数日後。待ち合わせの花壇の側で、つきやまはピクニック用の大きな荷物を抱えて待っていた。
 ややあって、瀬戸口が現れた。簡素だがセンスのいい、町歩きの服。まるでデートに出かけるような格好に、つきやまは少し顔を赤くする。
 一方で瀬戸口は、つきやまの山歩き用の格好を見て、やや躊躇ったようだった。
「…ピクニックにいくつもりだったので…」声が小さくなるつきやま。
「あー」瀬戸口は顎を掻いて目をそらした。
「スカートはいてくればよかった…」
「すまん、勘違いした」
「き、着替えてきてもいいですか!」
「ん……ああ」
「す、すぐ戻ってきます」

 そんな微笑ましいやりとりが行われたのは、あの日より、しばらく後のことである。






作品への一言コメント

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  • ありがとうございました! 瀬戸口さん側から書いてあって思い出したり考えたりしながら読みました。面白かったです! -- 瀬戸口まつり@ヲチ藩国 (2008-02-24 06:07:07)
  • ご感想、ありがとうございます。おもしろく思っていただけたようで、何よりです。 -- 黒霧@無所属 (2008-02-24 09:50:42)
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最終更新:2008年02月24日 09:50