玄霧弦耶さんからのご依頼品


少女は街を歩いていた。
ここしばらく、一人で出歩くことが多くなったな、と思う。
以前はどこに行くにも大きくて白い、親兼友達兼ライバルと一緒だった。
けれど最近、彼はあまり付いてこない。出かけるからと名を呼んでも知らんフリで暖かい日差しの中で昼寝していた。
気持ち良さそうな寝顔を見ると起こすのも悪いかな、と結局彼女は一人で出かけることになる。
少し前まではそんなことなかったのにな、と少女は笑う。寝てようが食事中であろうが、ヤツの横っ腹を蹴り飛ばして「行くよ!」と言うか、いわなくても彼女より先に出かける準備をしてドアの前で“遅せぇなぁ”という顔をしていた。二人はいつも一緒だった。
でもここの所、少女も彼を蹴り起こすことをしなかったし、彼も戸口に先回りすることはなかった。
それでも、寂しくはなかった。
彼が付いてこないのは、自分の外出がある目的に関連した時だけだとわかってるから――。


ショウウィンドウに並ぶ、様々な季節の服を、少女はゆっくりとした歩調で眺める。
宰相府藩国に季節はない。いや、ないのではなく、四季が全てあるのだ。だからブティックは全ての季節に対応した衣服を扱う必要があった。なので店舗の数も半端ないのだが、逆にどの季節の服もいつでもこのショッピングモールで買えるというメリットもあり、他所からの買い物客も多い。
その長いモールを、彼女は飽きることなく歩き続ける。
以前は面倒だとしか思えなかったことが、目的さえあれば苦痛にはならない。彼女はウィンドウに飾られた多くの服を見ることが、森に潜んで敵を待つよりワクワクしている自分に気づかずにいた。

ふと彼女は足を止めた。ショウケースの中のスカートの色に何かひかれるものがあったのだ。
そこは普通のファッションブティックではなく、オーガニック製品を扱う店だった。開けたガラス窓の奥は原色の排除された大人しい色彩で覆われている。
木製の人形にコットンのカーディガンとコーディネートされたそのアンバーのスカートは、複雑な織目で陽にかすかに光る生地で出来ていおり、膝を隠すくらいの丈がある。
彼女が今まで着用していたものよりかなり長い。

彼女はそのスカートを着た自分と、ある人が並んで立つイメージを思い浮かべた。
少しくすんだラベンダー色の長い髪と、真直ぐに自分だけを見つめる瞳を思い出し、きゅんと胸が疼く。


そう。
あの人は一国の藩王だ。
たぶん年も自分よりずっと上。

だからね、もう短いキュロットは履かないの。

太腿を出すことを恥ずかしく思う日が来るなんて想像してなかった。
動きやすいことより優先することがあるなんて、思いもしなかった。

私はもう少しあの人に似合う女になるの。
もうコガを怒鳴ったり蹴ったりしない。
青龍刀も振り回さない。
だから、膝より長いスカートをはいても大丈夫。
あの人はそんなこと望んでないかもしれない。
でも
私がそうしたい。
あの人のために。


彼女は木の枠で作られた店のドアを、勇気を出して押し開いた。
「いらっしゃいませ」
草木の香りと、柔らかい店員の笑顔が彼女を迎える。
普段ブティックなど入らない彼女は少し気後れしたが、よく教育された店員は会釈した後は視線を逸らしその場を動かなかったので、ゆっくり店内を見渡すことが出来た。
ナチュラルで微妙に色合いの違う衣類が、陳列棚にハンガーに無数に展示されている。見ればどれも素敵な気がして、彼女はしばし悩んだあと、店員に声を掛けた。
「あのっ!表に飾ってあるスカート…それとカーディガン…」
「ご試着なされますか?」
店員は彼女の言葉が途切れた間を察知して、続けた。こくりとうなずく彼女。
「サイズは…」店員は彼女の全身をさっと見、「9号でよろしいみたいですね」
棚から同じデザインのスカートとカーディガンを探し出すと、ゆっくりと彼女を試着室の前に案内した。
「サイズがあわないようでしたら、お声を掛けて下さいね」
そういってカーテンが閉められる。鏡を見た彼女はうっ!と詰まった。
「すみません、ぶ、ブラウスもお願い!」
着てきた原色のカットソーはどうみてもこのスカートに似合わない。
「かしこまりました」
店員はまるで用意していたかの様に、すぐにカーテンの隙間からブラウスを差し出した。


ブラウス、スカート、カーディガン…どれも今まで着ていた類いのデザインとは違う。
彼女の胸はどきどきしていた。似合わなかったらどうしよう。デザインはきっとあの人に似合うのに。
少しウエストの緩いスカートのホックを留め、柔らかなカーディガンを羽織り、そしてゆっくりと鏡に振り向く。
鏡に映った自分の姿は――決しておかしくはない。
けど、どこか自分の想像とは違っていた。
なんだろう。
彼女はカーテンすれすれまで下がって、もう一度鏡の自分を見つめ直して――そして気がついた。

彼女は自分の髪に触れた。高く結んだサイドのポニーテールを結わえたヘアゴムをはらりとほどく。
もうこの服には似合わない。
振りほどいた髪に、すっと指を通す。ふわりと広がる深紅の絹糸。
ふと思いついて、緩やかな三つに編んでみた。毛先をもとのヘアゴムで止める。
ああ。
鏡の中に立つ自分に、微笑んだ。
うん、合格。
あの頃の私もきっと惚れる美少女、完成。

この格好を見て、あの人はどんな顔をするだろう。
そう。
何も卑下することなんかないじゃない。
私は私、
中野区生まれのスーパァガール。
コスチュームチェンジするだけで、
ヒーローの隣に立つに相応しい女に変身できるのよ。

いつもの笑顔を浮かべた彼女は、もう一度鏡の中の自分を見つめ直した。


勢い良く試着室のカーテンを開くと、すぐさま店員が声を掛ける。
「いかがでした?」
「これ、全部頂戴」
「ありがとうございます」
店員が衣服を受け取りゆっくりとレジへ歩いて行く。
その背中を見送って靴を履いていると、正面の低いガラスケースの上に並べられたキャンドルやソープの類いに目がいった。
ふとその中の、コバルトブルーの遮光ガラスでできた浅い小さな小瓶が目に留まる。照明にきらめくガラス瓶の中には乳白色をしたクリーム状のものが入っているようだった。
側に寄りよく見ると、添えられた手書きの値札にセピア色のペンで“リップクリーム”と書かれていた。
手に取ってそっとふたを開ける。香料を使ってないのか、飾り気のない、ワックスのような匂いがした。
傍らにいた年かさの店員が一歩だけ側に寄り、声を掛ける。
「こちらはビーワックスを使ってあって、寝る前にたっぷり塗っておけば、翌朝にはどんな荒れた唇もふっくらしますよ」
「え、と…私の唇、荒れてる?」彼女は店員の言葉で、あわてて唇に手を当てた。
「いえ?失礼しました、たとえでこざいます。お綺麗でいらっしゃいます」店員は小さく頭を下げた後、柔らかく微笑む。
「もし色付きのグロスのほうがよければこちらのホホバオイルの入った…」
「色は…いいの」
彼女は青い瓶のふたを閉めると、店員に渡した。
「これも、服と一緒に」
そういって、何だか急に照れくさくなり、彼女はレジに背を向けた。店員が商品を包むがさがさと紙袋を扱う音だけが聞こえる。
ふと気がつくと、ショウウィンドウ越しに良く晴れた青い空が広がっていた。


大事そうに荷物を抱えて、夕暮れの中、彼女は自室へと帰り着いた。
紙袋から薄紙に包まれた衣類を取り出し、丁寧にタグを外し、しわができないようハンガーに掛ける。
袋の底からことん、とこれも薄紙で包まれた青い小瓶が転がり落ちた。
彼女はあわてて床から拾い上げ、薄紙を破いて割れていないことを確認する。

それは彼女が初めて自分で買った化粧品。

あの人のために?
ううん、違う。私のため、よ。

お風呂上がりの鏡の前で、中指ですくった蜜蝋のリップクリームを唇に塗る。
何度も何度も塗り重ねて、最後に上下の唇を閉じてすり合わせる。

明日にはほら、いつもよりずっと柔らかい唇。
これでキスをするのよ。
私が。
あの人に。
あのスカートをはいて。

そう思ったら、少し楽しくなった。
楽しくなって、ホントにくすりと笑って、我に返る。
明かり消えた部屋の隅、ハンガーに掛かった買ってきたばかりの服の向こうに、薄ぼんやりと白く大きな背中が見えた。

「や……」

「………、ばか」

彼女は布団を被り直す。
早く寝よう。うん。

明日は約束の日。
寝不足の顔なんか絶対あの人に見せないんだから。
…見せたくないんだから。


作品への一言コメント

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  • あなたは おれを ころすきですか  死因は恥ずか死でお願いします。 -- 玄霧弦耶 (2008-02-18 03:48:47)
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引渡し日:2008/02/18


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最終更新:2008年02月18日 03:48