乃亜I型@ナニワアームズ商藩国様からのご依頼品
小笠原のお昼休み
乃亜Ⅰ型は恋をしている。
お相手はハリー・オコーネル。
第6世界人。
外見年齢40代。
元太陽系総軍大尉。
夜明けの船RBパイロット。
長身に銅貨の色の髪と鍛え上げられた肉体を持つ偉丈夫であり、年輪を魅力に変えられる希有な男であり、騎士の魂を持つ戦士であった。
*
今わたしが追っているのはこの書き出しで始まるハリーさんことオコーネル氏とお姉様こと乃亜Ⅰ型嬢の物語だ。
わたしがナニワアームズに入国する前のこと、昨今ナニワを賑わせている『破廉恥』の3文字には予兆があったのだという。
それはオコーネル氏とお姉様が初めて対面した場だともいう。
それが一体どうして、思い人を追いかけるお姉様が破廉恥なるものに関わる羽目になったのか、今回はその辺について調べてみようと思う。
めでたしためでたしで終わる、この物語を綴るために。
ナニワアームズ商藩国文族 久遠寺 那由他の手記より抜粋
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後になって聞いた話である。
ある日の小笠原分校の昼休み。
さほど広くもない教室は小笠原を訪れた各藩国民や有名人達で溢れている。
それぞれに談笑したり連れだって出掛けていくところだったりグループでお昼を食べたり有名人に教えを請うていたり。
ざわざわとした昼休みの音。差し込む傾きつつある日差し。カーテンを揺らして吹き込む風の匂い。
それはある意味ではどこでも見られるような、実に普通の学校という空間の、実にありふれた光景だった。
そんな平和な雰囲気の教室にナニワアームズ商藩国よりはるばるやってきた3人の男女がいる。
「ハリーさん発見。ほらほら、乃亜さんっ!」
教室の窓際にめざとく標的を発見した猫妖精の少年、守上に背中を押されてこの頃猫妖精に着替えた乃亜はバスケットを抱えたまま2、3歩よろけ出るようにしてハリーの前に立った。
窓際の席に腰掛けたハリーには学生用のパイプ製の椅子と机は小さすぎる。どうしても生徒の悩みを聞いてくれる進路指導の先生か校長先生に見えてしまうのだった。
それは今日の彼が、彼のトレードマークのような総軍の青い制服を着ているせいかもしれない。これがラフな格好ならまた違って見えるのかも知れないが。
椅子にかけ腕組みして前を見据えているハリー・オコーネルは泣いているように見える。
目が、細いのだった。
「その、なにか、…あったのか?」
はき慣れていないスカートの裾と感情に正直な尻尾の挙動を気にしながら乃亜はバスケットを抱えておずおずと切り出した。
ハリーが漸く乃亜に気付いたように視線を上げる。
「失礼だが、どなたか?」
「し、失礼。はじめまして、私は…私はノアシリーズ3号。今はⅠ型だ。
ハリー・オコーネル氏。貴殿のことは、何と呼べばよろしいか?ミスター。」
突然若い女性に声をかけられて怪訝そうに眉を上げたハリー。
性急すぎた自分に狼狽して乃亜はぎゅっとバスケットを抱き締めるとぺこりと頭と耳を下げた。長い陣八が髪と一緒に揺れる。
言葉につまりそうになりながらも改めて何とか自己紹介を済ませた。
かなり『ぐるぐる』な様子だが無理もない、今目の前にいる彼に会うためにはるばるここまでやってきたのだから。
そんな二人を余所に、ナニワアームズ商藩国の賓客であり、今回のナニワ主催小笠原旅行のゲストである大阪万博は濡れた己の髪を少し持ち上げ、とりあえず服を脱ぎだした。
いつの間にか泳いできたのだろうか。
「…暑いからって脱ぐなああぁぁぁぁ!!!!
あ、はい失礼しました。守上藤丸と申します」
思わず尻尾の毛を逆立てて大阪に突っ込んだ守上は一瞬で自分の立場を思い出し、ハリーに対して外交官風に折り目正しく会釈した。
立ちあがって乃亜と守上に会釈を返すハリー。
そうすると女性としては長身の乃亜より頭一つ分くらいは高い。
「失礼した。ハリー・オコーネル。誰かに呼ばれたと聞いている」
「たぶん、それは私だと思う。あなたに、会いたいと思って此処に来た」
そんな彼と何とかコミュニケーションを持とうとする乃亜には当然大阪の奇行など見えていないし聞こえてもいない。
大阪万博が突っ込む守上を見て微笑み、おもむろにその裸身をさらしたときもハリーの悲しそうな表情と、その理由の方が気になって仕方なかった。
大阪による肉体的テロの当然の帰結として、周囲は大騒ぎ、エロリスト、エロリストよーという声が聞こえる。
乃亜以外には。
「ううう、予想はついてたけど初っ端からかっ!!」
周囲の騒ぎに思わず頭を抱えてしゃがみ込む守上。
どうやら今回は大阪のお守りとツッコミ役を一人でこなさねばならないらしい。
「なるほど、なぜ呼ばれたのだろうか。教えていただけると、嬉しいが」
「突然にお呼びたてして、申し訳なかった。
だから、その……昼食を、一緒に、如何かと」
「ここで、か」
「ええ。 お嫌、であろうか?」
ハリーは周囲の騒ぎと大阪万博を見ている。まぁ、状況を鑑みるになにをかいわんやである。
衆人環視の中ですっかり着替えを終えて、ガウン姿になった大阪もハリーを見返して何か思ったようだった。
「……?」
ハリーの視線を感じて漸く大阪の方に向いた乃亜。場違いなガウン姿でありながらも堂々としている大阪はにやにやと二人の方を眺めている。
乃亜は微かに首を傾げた。やはりまだ状況が飲み込めていない様子だ。
「すみません…ごめんなさい」
「ああ、いや、学校も随分自由になった」
平謝りに謝る守上に引きずられて教室から出て行く大阪を見送って、ハリーは溜息をついて小さくかぶりを振った。
気を取り直すように乃亜に向かって軽く頷いた。
「食事か、承知した」
「あ、ありがとう!その、お弁当を持ってきたのだ。みなで、食べないか?」
ぱっと顔を輝かせてそう言った乃亜が下げていたバスケットを嬉しそうに顔の前に掲げた。
その中身は…コンソメ味の夏野菜サラダゼリー、卵とキャベツのピクルス、きのことチェダーチーズのパイ、プチトマト付きブロッコリーと魚介炒め物、携帯容器に入れられた大粒のぶどう…である。
これにアールグレイのアイスティーとホットコーヒーがつく。
ちなみにゲストである万博と守上の分もあって4人前。
実に素晴らしい破壊力である。実物をご覧頂けないのが誠に残念だ。
ちょうどそこへがっくりと肩を落として顔を赤らめた守上が戻ってきた。
見れば何だかとても大切ものを無くした表情をしている。万博は戻ってこなかった。
「藤丸摂政………ええと……だいじょうぶ……なのか……?」
「……僕の事は気にしないで…」
そう言って守上は何かを悟った顔で力無く笑った。
ちら、乃亜が差し出したバスケットの中身を見てハリーは眉をひそめた。
「随分本格的な気がするが」
「そのお弁当は乃亜さんの力作です!」
「あなたに、食べて頂きたかったからな。できる限りを尽くした。」
「自分は、貴方に何かをした覚えがない。せっかくだが……」
ハリーは二人の言葉を黙って聞いてから何かを押しとどめるように掌を前に出してかぶりを振った。
鉄の朴念仁とまで言われた彼のこと、初対面の相手にそこまでしてもらう理由がない、そう考えたようだった。
弁当という言葉の予想以上に本格的な内容はハリーにとっては逆効果だったらしい。
彼にとっては弁当というカテゴリーに入るのはCレーションか野戦用パウチ、もしくは日の丸弁当程度の物なのかも知れない。
「覚えが無ければ、いけないのか?であれば、購買で何かを買ってくるのもいいのではないか?」
「自分は、臆病者だ。好意を示されると、いつもとまどう」
「あなたにちょっと一息ついて欲しいだけですよ。深くは考えないで」
「失礼する」
必死に言い募る二人の言葉も虚しく、ハリーは会釈して挨拶すると、どこかに行ってしまった。
「乃亜さん追いかけて!! 」
「……!!」
あっというまに教室から出て見えなくなってしまったハリーを追おうする乃亜の猫耳にエロリストよー!という黄色い声が聞こえた。
悪夢の再来。
素晴らしく悪いタイミングで現れた万博は駆け出そうとした乃亜を抱きとめると笑顔になった。一応ちゃんとガウンから制服に着替えてはいる。
「いよう、なんという偶然。お、うまそうなパイ」
「離せ。私は忙しい。」
「あ」
短く言い放って乃亜が蹴りを放つのとそれはハリーさんに、と守上が声を上げるのが同時だった。乃亜は根源力27万を超える猛者だ。
本気で蹴れば男の一人くらいは軽くのせるが、万博の個人戦力は更に上を行って図抜けている。
乃亜を抱きとめた姿勢のまま軽く避けられた。そのままバスケットを勝手に開けて乃亜と一緒に食事をしようとする。
「一寸待て!!1番に食べるのはハリーさんっ!!」
守上が取り上げようとするがひょいひょい、とこれも軽くかわされる。
乃亜と守上、両手の花をからかってエラい上機嫌だ。
「欲しいなら、食べていろ。私は走る。離せ!!」
「理由は分からないが、そいつはきけない相談だな」
「ええい、わずらわしい!!」
片手でパイを食べつつ余裕で乃亜を押さえつける大阪を何とか引っぺがそうとする。
目の前で展開される如何ともし難い情景に頭を抱えそうになりながらも、守上は必死に援護射撃の態勢に入った。
「…大阪。1つ質問。堅物の人を落とす場合はどうしたらいいと思う?」
「駄目だな。不可能だ」
「…なんで?」
「親切だ。受け取れ」
「へ?」
「そんなことは如何でもよろしい!」
落とす、の一言に真っ赤になりながらぐいぐいと大阪の顔を押しやる乃亜。だが大阪は平然と首を固定して会話と食事を続けている。
「堅物ってのは男同士の時点でダメだ。だから俺が残り物をおいしく食べてやるよ。
俺って、親切だろ?」
「いや、乃亜さん女だし!!」
「え?」
「落とすとかいうな!元気づけたかっただけだ。は、な、せ~~!!」
尚もぐいぐい万博を押しやって何とか魔手から脱出しようとする乃亜の胸を大阪はごく自然に触っている。
乃亜の顔にさっと朱が差した。尻尾の毛が一瞬にして総毛立つ。無言で大阪の顔を殴った。
「愛こそ全ての頂天なんでしょ?協力して。せめて二人がゆっくり話できるように!!」
今度は黙って殴られた万博は手を離した。脱兎の如くハリーを追って駆け出す乃亜。
黙って殴られたのは自分の勘違いに気付いたから、手を離したのは守上の言葉に打たれたからだ。
何かを酷く後悔する表情だ。多分彼にとってはミノタウロスのパンチよりきつい一撃だったのだろう。
二人を教室に残して乃亜はひた走る。廊下から階段、1階ロビーにある購買。ハリーの姿はない。
「はりー、さん!」
中庭、引き返して屋上。乃亜のハリーを呼ぶ声が教室にまで届いた。
「ほらみろ」
「ほらと言われてもー!!学校出てったりはして無いよね…」
「やめとけやめとけ、やつなら今頃」
「ハリーさん、私が悪かった!」
殴られた頬をさすりながら面白そうに窓からハリーを捜し求める乃亜を見下ろす。
乃亜を追ってハリー探しを手伝うべきか、それとも残って万博を監視すべきか、とにかく乃亜の残していった弁当だけは確保した守上が言葉を重ねた。
「今頃?」
「そうだな、まあ、港だろう」
「乃亜さーんっ!!港っ!!」
窓から身を乗り出して叫んだ守上の言葉に乃亜は全力で走る。
3桁ナンバーの国道を北へ、市街地へ、西の海に面した港へ。
連絡船が発着する港、その待合室で乃亜は漸くハリーを見つけた。
どうやらもう帰るつもりだったようだ。
「すまなかった!」
息を切らせたまま待合室に駆け込んだ乃亜はハリーに勢いよく頭を下げた。
続いて乃亜を追ってきた守上が待合室に入って一緒に謝ろうとする、がいつの間にか背後に迫っていた万博にひょいと足下をすくわれて派手に転んでしまった。
どうにか乃亜のお弁当だけは死守した守上はそのまま待合室の窓際に移動させられる。
「…行かない方がいいって事ね…」
にやにやしている万博と並んで窓から二人の様子を観察することにした。
どうでも良いが二人揃って立派な覗きスタイルだ。
待合室ではハリーが立ち止まって乃亜と会話しているところだった。何とか引き留めることには成功したらしい。
「いや、謝る必要はない」
「もう少し、話をさせてはくれまいか?」
「……分かった」
「弁当が嫌なら、それはいいんだ。
…だから、私は、あなたに元気になって欲しかっただけなんだ。
悲しそうに見えたから。
あなたのことは、何も知らないけれど」
「失礼だが。その意見は、おかしい」
ハリーの声は一段と固い。はっとして見上げた表情はこの日一番厳しい物だった。
それも当然だ。乃亜の言葉には嘘がある。
彼女はハリーに関することならかなり些細なことまで知っている。それらは軍の機密に触れる方法で摂取したものすらあるのだ。
ハリーは乃亜の嘘を嗅ぎ取った。この時点でハリーの乃亜に対する見方はかなり危険なものになっている。
「私に元気がないと、どうやって知っていたんだ?」
「私が、勝手にそう思っただけやもな…。だが、あの、以前、とても、あなたに似た人に、会ったことがある」
そこまで言って言葉につまってしまう乃亜にハリーは目を細めた。
泣いているように、ではなく、今から殺すのを嘆いているように、見える。
自らを知りすぎているくらい知っているらしい者、乃亜を、殺さなくてはならないと思い始めている。
それが幾多の死線を生き抜いてきた彼の結論らしかった。
「どうする?」
「どうするって?」
待合室の窓に張り付いて覗きを続行する守上に楽しそうに万博が言った。
中では乃亜の告白が続いている。
「男は常に強くて立派で勇敢で清廉で高潔で、どんな無理をしてでも弱音を吐いてはいけない、とか、 そんな風に思ってそうな人だった。
…そんな風に、私には見えた。だから、言いに来た。
あなたは、あなたが思っている以上に素敵な人だと、ただそれだけ、言いに来た。
わからないけど、でも。
私は、あなたが好きだ」
乃亜は折れそうになる心と震えだしそうな膝を懸命に支えて、ハリーをみつめて思いの丈を伝えた。
しかしハリーの表情はやはり厳しいままだった。
自分に向けられた好意を素直に受け取れない鉄の朴念仁はいよいよ危険な勘違いをしようとしている。
最早警戒心を隠そうとせず、乃亜に対して半身になった。それとなく、自然に。
「キスの10回くらいでサービスしてもいいが」
緊張の度合いを増す二人に守上が拳を握りしめた。万博はそんな守上を見て続ける。
「…好転する?」
「まあ、半分くらいの確率かな」
「半分…?少ない!」
守上が抗議の声を上げている間にも緊張と危険の度合いは加速度的に増している。猶予はない。
「ありがとう」
ハリーはそう言いながら半歩下がった。入り口からは遠く、連絡船の着く埠頭へ続く改札口は自分が塞いでいる。
せめて苦しまないように一撃で。
必殺の間合い。
「ごめん…ただ、おかえりなさい、と言いたかっただけなんだ」
それだけを言って乃亜はうなだれた。尻尾と耳が力無く垂れ下がる。
絶死の告白も、遂に彼の鉄の心臓を溶かすには至らなかった。
もはやこれまで。
「うわわわ」
「時間切れで悲惨なことになるぜ?みんな守上のせいだ。あーあ」
「…リョウカイシマシタ…」
未だに面白そうに言う万博に慌てて声を上げた守上は遂に折れた。
キス10回分。実に重い取引。
万博はにやりと笑うと、手近な石を宙に蹴りあげた。
「うっさい!!絶対好転させてよ」
ふふん、という顔で眼を細めた万博は一度宙に蹴り上げた石を無造作に蹴り込んだ。
甲高い音を立てて割れる待合室の窓。飛び散るガラス片。
そして飛来する凶弾。
ハリーは一度開けた距離を一瞬で縮め、無意識の内に乃亜を抱え込んで床に転がった。
万博は笑って2発目を放つ。
「!?」
今度の石はあからさまに乃亜を狙った。
「……って!!」
今度は身を翻してハリーを庇った乃亜の背中を石礫が掠める。制服のシャツが破れた。
露わになる乃亜の背中。
「いい背中♪」
「なにすんだー!!女の子にーーーーっ!!」
抗議する守上を無視して万博は笑いながら3発目。これもまた乃亜を狙った。
「な、な、なにをするかー!」
(ごめん。でも止めれない…)
3発目の弾道から窓の外に目を走らせた乃亜は襲撃者が万博と知って思わず声を上げた。窓の下にしゃがみ込みながら内心で平身低頭する守上。
よりによってハリーさんを危険にさらすとは何事か!
自分のことを顧みずに憤然とする乃亜をハリーが抱き寄せると、入り口から待合室の外へと脱出した。
それを見て取った万博が入り口の方へと前進する。
「ちぃ、まさか守る騎士がいようとはな」
「え、あ、う…あ、あの、あの…」
「さ、そこのおっさん、その娘を渡して貰おうか」
「断る」
(ごめんよー…)
守上は入り口近くの藪の中からはらはらして事態を見守りつつ内心で平謝りに謝った。
万博に任せた以上、事態はこれ以上悪くはなるまい。しかし、何というか手段が…。
そんな守上を余所に万博は思い切り悪そうな顔と声でびしっ、とハリーを指した。
カンペキに悪役が板についている。
「あんた避けようとしてたじゃん」
「お、おっさんだとー!!!!」
守上と万博が交わした密約を把握していない乃亜はハリーの腕の中で思わず激怒した。
多分に怒るところが間違っているのだが。
「そ、それは……。
事情を知らなかっただけだ。自分の助力が必要だったのなら、話は別だ」
「あー、やだやだ。なにかにつけて理由探すおっさんは。
そんなことじゃ、俺には勝てない」
対峙する二人のエース。びりびりと物理的圧力すら感じさせる緊張感が張り詰めていく。
が、乃亜は怖じ気づく様子もなく憤然として万博の前に立ちはだかった。
そのままハリーの腕の中に留まっていればいいのに。
「ハリーさんに怪我させるなら、私が相手だ!ぶん殴ってくる!!!」
「乃亜さん、ちょっと待って…はい、これ」
こっそり乃亜の背後に回った守上がお弁当の入ったバスケットを手渡した。
「ふ、藤丸摂政・・?」
漸く守上の存在を思い出した乃亜は我に返った。その隙にハリーと睨み合っていた万博が瞬間移動、乃亜を脱がしにかかった。
かなり本気で。
ハリーは目を見開いて万博の行動を事前に阻止する。乃亜と万博が交差するポイントに割り込んで拳を放ったのだ。
切れ味鋭い拳に万博の頬が浅く切れた。
「サイボーグで予知能力者か」
「え?」
「そいつは分が悪いな。じゃ、そういうことで」
襲撃に失敗した悪役そのままに、代わりというわけでもないだろうが守上をさらって万博は去っていった。
「は、はりーさん!怪我は?大丈夫か?どこか…」
「無事だ」
おろおろとしてハリーを気遣う乃亜だが、まず自分の格好を顧みた方がよい。
一方のハリーも軽く混乱していた。自分を標的にしていると思っていた乃亜が実は謎の破廉恥漢に付け狙われていたとは?
軽くかぶりを振って短く答える。
「がんばってねー!」
「ふ、藤丸摂政~!???」
遠くから藤丸の声が聞こえた。
何がどうなっているのか未だに解っていない乃亜の背中に、ハリーが自分の上着を脱いで被せた。
彼のトレードマーク。総軍の青いジャケット。
彼の偉丈夫を鎧うにふさわしいジャケットは乃亜を暖かく包み込んだ。
「すまない。自分の猜疑心が、貴方を傷つけた」
「・・・あ、ありがとう・・いや、私のことはどうでも良いんだ」
「責任をもって、あの悪漢は倒す」
「では」
それだけ言い残すとハリーはさっときびすを返して埠頭へと歩き出した。
決意を秘めた男の背中にぽっと頬を染めてうっとりしかけた乃亜は何とか現実復帰判定に成功してはっとなった。
「嬉しい……って、ちょっと待たれよ!!」
慌ててハリーを呼び止める。エロリストでも賓客は賓客。万博を倒されてしまってはナニワアームズ藩国民として色々と困るのだ。
ハリーは立ち止まった。振り返ったその顔はやはり決意と悔恨を秘めた良い男の顔だ。
「心細いのは解る。しかし済まないが、私は行かねば。貴方の友人がさらわれている」
「あれは、その、悪漢、ではないと思う。我が藩国の、賓客だ…」
「賓客がなぜ、貴方を傷つける?」
万博の傍若無人な行いの数々を思い起こして恥ずかしそうに付け加えた乃亜に、ハリーは得心がいかなそうに片眉を上げて腕組みした。
「怪我はしていない。ほら。私は頑丈に出来ている」
「だが女性だ」
「賓客だが、まぁ…直接会うのは、初めてだった気は、するが…。まあ、確かに女ではある。
そんなことより、あなたが、無事でよかった」
「ありがとう」
とりあえず乃亜の言葉に納得しようと思ったのかハリーは大きく頷いて礼を言った。
これは先程のありがとうとは違う。表情が随分和らいで、口元に微かに笑みが見て取れた。
乃亜でなければ解らないような、小さな微笑み。
「その…今度また、会いに来ても、よいだろうか…。ハリーさん」
「承知した。いつでも、お守りする」
自分が間違っていた。
このお嬢さんは自分や夜明けの船のクルーを害するために送られた刺客などではない。
あの万博とかいう破廉恥漢に付け狙われ、自分の庇護を求めて小笠原まではるばるやってきたのだ。
自分の事をあれこれ知っていたのも、妙に見えた言動もそれなら納得がいく。
そうに違いない。
ハリーは大いなる誤謬を是正し小さな勘違いをそのままに、彼の行動原理であるところの弱者の守護を芽吹かせた。
ハリーは再び大きく頷くと、乃亜に対して深々と礼をしてその場を後にした。
これが、乃亜Ⅰ型という姫君とハリー・オコーネルという姫の騎士の、長い物語の始まりであった。
*
一方その頃。
埠頭に面した倉庫区画ではもう一つ別な物語が始まろうとしていた。
「俺の演技って、うまいよねー。俳優にでもなるかなあ」
「うん、こうなると思った。明乃ちゃんの時と一緒じゃんか…。でも、ありがとう」
大阪に小脇に抱えられ拉致された守上は人気のない倉庫の前で万博ににっこりとそう言った。ちなみにまだ小脇に抱えられたままだ。
キス10回はともかく、万博なら絶対的に拙いあの状況を何とかしてくれると信じていた。
何故ならナニワアームズ商藩国で最も万博のことをよく知り、彼の招聘に一番に賛成したのは誰あろう摂政たる守上自身なのだから。
ちなみに彼の受け入れ準備も守上がほぼ一人でこなしている。
「惚れた?」
「残念でした。既に好きな人が居ます。」
「あら、そう」
万博は笑った。屈託無く。
それは今日の小笠原で見せた彼の一番素直な笑顔だったのだが。
「広い世界のどこかには、俺を好いてくれる人がいると思ったが」
「それは当然、居るでしょう?嫌いなら一緒に小笠原に呼ばないもの」
万博はもう何も答えなかった。守上を離してやって、笑ってどこかの世界にいった。
彼もまた自分の行動原理に従って為すべき事がある。
二人が再会するのはもう少し後、万博が迷宮と呼ばれる場所に行っていると判明してからのこと。それについてはいずれ語る機会もあるかも知れない。
「わー!一寸待ってー!!どこ行くのっ!!」
賓客に姿を消されて守上が慌てる。
ああ、それにしてもここにも朴念仁が一人・・・。
この小笠原小旅行の間、万博はハリーと真逆の思考をした。
つまりこうである。
ナニワアームズ商藩国という彼の好みに割と合っている国に、彼の招聘を積極的に支援した、彼のことを彼が言った過去の言葉まで知っていて、彼の好みに合致する可愛い猫耳美少年。
おまけにいぢめ甲斐もある。
ど真ん中直球スリーストライクでバッターアウト、である。
これで惚れるなと言われても難しい。
そして惚れてみて相手はどうかと思ったら数秒で振られた。
しかも相手は終止無自覚と来ている。
万博の心中、慮って余りある。
この一事からしても守上摂政のラブコメブラッドなる称号は不当表記に当たらないと思われる。断言しても良い。
傷心の大阪万博よ何処へ行く。
他人の恋には積極的なエロリストとラブコメブラッド摂政の物語もまた、ここに始まったのであった。
拙文:ナニワアームズ商藩国文族 久遠寺那由他
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最終更新:2008年01月04日 01:31