巨大な針が自分の頭を狙っている。
針の先が開いた。
そして閉じた。
頭に針が突き刺さるまで、三秒だった。
――アシタスナオは、その三秒で死を覚悟することはなかった。
単純に、死という物を、それが目の前に迫っていると言うことを連想できなかった。
Fに成る。それは自ら望んだことだった。
その思いが、願いが。
この死に直面しているはずの状況から思考を曖昧な物にする。
ただ、ぼんやりと漠然と、不明瞭に、不鮮明に、模糊たる方向へと意識を滑らせていく。
(外交――出来なくなるかな)
藩国に残した面々の顔。
息苦しい...呼吸が出来ない。
(あれ、俺サイボーグだったっけ。じゃあ苦しくないか)
すぐ傍にいるはずの玄霧の顔。「アシタクンガンバレ」とたぶん言っている。ハルとソート、サイボーグになりたいと呟いたときにいた。
(どうなるんだ、Fに成れるのか。成って、成ってどうするんだっけ。外交――)
今までに出会った、藩王と摂政の顔。猫もいれば――犬も。
これが走馬燈だと気づくのは三秒よりあとで、
ああ、俺って死にかけてるんだな...
その事実を肌に感じたのは、もう少し後。
死に。たくないよなあ、やっぱり。
/*/
でもこれは...死んだかな。
/*/
スーツ姿の男が、止めた。針は刺さってない。
息が出来ない。
良く分からないなにかに包まれている状態は解けていたはずだった。
地面に転がり落ちていた。
口に砂利の味がした。葉っぱが湿って腐った様な臭いもする。
サイボーグなのだから息は必要ないと数瞬前の玄霧の声がした。
それでも苦しい。
皮膚という皮膚から汗を噴きだしていた。
喉と舌が、活きのいいナメクジみたいに意思と関係なくひくひくとしている。
口からだらしなく涎がたれて、喉を伝っている。
「ご協力感謝。」
どこからか、声が反響している。物凄く近くか遠いところからの声だった。
耳の裏側がうわんうわんとやかましい。
涎みたいな汁が耳の底に溜まっていると思った。
眩暈がする。迷宮の中だというのに、太陽を直視したように空が明るい。
吐き気がする。手足が痺れて動く様子もない...喉も痙攣して、声が出ない。
土は冷たかったが、湿っていたので服が濡れて不快だ。
いやだ、叫びたい、暴れたい、逃げ出したい。
心にゆとりが全くない。
たった数秒で精神を根こそぎ持って行かれた。
自分は、あのとき、死にかけていたのかもしれない。
「そもそもFがいっていることが本当とは思えない」
遠く/近くから声が聞こえているのに...その言葉の意味が理解できない。
本当――嘘、F、人間、端末、分解――針、死、Fになる、本当ではない。
Fに――なれない。
えー! と声を出したはずだった。
耳鳴りがうるさくて自分の声が聞こえない。
声だけを聞こうとすると、今度は心臓の音がうるさい。心臓が直接殴られているんじゃないかという程だった。サイボーグの自分に心臓などあったのだろうか...
けれど、
「機械になりたかったのかい?」
その声だけは聞こえた。
声の意味も。
(そうだった)
機械に――なるんだった。
別に死ぬわけじゃない。
怯える必要なんて無い。
けど、死にかけた。
「うーむ、なんというか。彼の希望ですので」
誰かの声。
そうだ、それが希望。Fになる。
自分が機械になる。
それが目的。
なら、だから――
――この手が震える理由なんて無いはずないのに。
握ろうとして、汗で指が滑る。
自分の声だけが、まだ聞こえない。
死に直面した。
喉に固まりが詰っているかのようだ。
心が脅迫されて、その恐怖がいまだに拭えない。
それでも、なにかを言ったはずだった。
強がるようなことを言ったはずだった。
けど、その人は自分の震える手を見ていた。
瞼に溜まった汗と涙を見ていた。
「...それがいい。きっと、生身の君に抱きしめてもらいたい人もいる」
その人の顔は、印象には残らない。
だけど、自分はその声を、声に込められた感情を一生忘れないだろう。
そう思えた。
「...わかりました。一度退いておきます」
自分は――まだ迷うべきだ。
じゃないと、きっと後悔してしまう。
死ぬことなんて、今更、怖くはない。
けれど、
今日俺は、覚悟もできないままに死にかけた。
別離れの言葉を、心の中でさえ呟けはしなかった。
ただぼんやりと、状況に流されて、そのまま機械へと...
それがどういうことなのか、受け入れる心構えは自分にあったのだろうか。
覚悟も、迷いもないままに自分を終わらせようとしていた。
それは、とても恐ろしいことなのだ...ろう。たぶん。
その実感すらないことが、今は怖い。
俺は、
――次にこの人に会えたときまでに、答えを出せるのだろうか。
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引渡し日:2007/
最終更新:2007年10月29日 22:44