やひろ@宰相府藩国様からのご依頼品


 誰かに言われたわけではなかった。明確にそうだと、雷でも落ちてくるような衝撃で悟ったわけでもなかった。
 ただ、生まれてから今まで生きてきた日々の中で、日ごと夜ごと、ぼんやりとではあるけれど決して消えることのない思いが、いつの間にか心の底に降り積もっていったのかもしれない。ぼんやりとしたその思いはだからこそうまく掴み取れぬまま、ある日その存在を意識したときにはもう、自分の魂の奥深くまで根を張ってしまっていた。
 自分は生涯、誰かと結ばれることはないんだろう。運命なんて大げさな言葉を使う気はない。けれど、過ぎる時間の流れの中で、いつしかそれは緩やかな実感となっていた。
 どうしてそうなのか、は考えても答えは出なかった。あまりまじめに考える気にもなれなかった、といったほうが正しいかもしれない。理由はわからない。けれど自分には、運命の女は用意されていないのだ。
 無為の日々から戦いの日々へと生きる道を変え、訳もなかった実感に一つの意味が生まれた気がした。それもまた何者かの采配なのではないかと、漠然とだが思うようになっていた。
 いつしか戦いに斃れたとき、悲しむ人のないように。砂の城が風に崩れて後に何の痕跡も残さないように、この世に自分の痕跡を何一つ残さずいられるように。
 そうであるのなら、意味があると思った。自分ならば、なにかの礎になることも誰かの身代わりになることも出来る。その為にこそ、誰かを残していくことのないこの身が、あるのだろうと。
 自分の生死の意味くらいは、自分で定めたかった。だからこそ、行き着いたその結論はなかなか悪くないように思えたのだ。この肉体すら光となって消えるのだ。そんな死であれば、後に何一つ残さなくとも、笑って逝ける気がしたから。

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 添え状付きのその手紙を受け取ったとき、正直動揺した。まさかという思いが拭えなかったからだ。誰かの悪質な冗談なのかとも思ったが、添え状の主であるヒルデガルドはそんなことをする人物ではない。
 それでも一抹の疑念がぬぐい去れないまま、大阪は宰相府へと向かった。こちらでお待ち下さいと通された先は中庭にほど近い一室で、大阪は出されたお茶に手もつけずに、開いたドアから入ってくる風に揺れるカーテンのドレープをじっと見つめていた。一秒一秒がひどく引き延ばされたものに感じてしまうのは、おそらく自分自身に原因がある。
 どうせここで自分がなにを考えようとも、時が来れば真実は朝日のように顔を出して、その前には自分の浅はかな思考全てが淡雪のように溶けて消えるに違いない。
 だから、考えても仕方ない事だと思っているのに。
 グラスの底から立ち上ってくる気泡のように、途切れることなく浮かぶ思考を止めることが出来ない、どうしても。
 膝の上に置いた拳に力を込めて何度目かの深呼吸をした瞬間、耳に届いた軽やかなベルの音に吸い込みかけた息が詰まる。もう一度深呼吸をやり直して、大阪は立ち上がった。あえてゆっくりとした足取りで、中庭に通じるポーチの階段を下り、そちらへと向かう。
 四阿に設えられた小振りのダイニングテーブルのセットは、宰相府に相応しい瀟洒なアンティークだ。そこに座る二人の人物に目を止めて、大阪は無造作にパンツのポケットに突っ込んでいた手を密かに握りしめる。
 見間違いようもない。見忘れるはずもない。だが、しかし。 
 大きなクマのぬいぐるみを抱きしめた少女は、まっすぐに自分の姿を捉え、顔全体をくしゃくしゃにするような笑みを浮かべた。そのまま、椅子からずり落ちそうな勢いで身を乗り出し、テーブルセットの傍らに辿り着いた大阪を見上げてくる。
「きてくれて、ありがとう。またあえて、よかった」
 大きな瞳を見下ろして、大阪は自らの直感に蓋をした。
 この子がクローンでないという保証はない。あるいは宰相府自慢のテクノロジーが産み出した新たな創造体の可能性だってある。ヒルデガルドがいるからといって、宰相がそうしたトラップをしかけないという保証にはならない。
 問題は、そんなことをこの自分に仕掛けてなんの意味があるのかということだが。
 もっとも娘への偏愛ぶりがつとに知られる宰相は、偏愛と言うだけあって男には多分に容赦ないところがある。千尋の谷へ突き落とすがごとき愛情と言えば聞こえはいいが、あれやこれや考えると意味のない悪辣な冗談という可能性だって否めない。
 示された椅子へと用心深く腰を下ろし、大阪はにこにこ笑いながら自分の方へと身を乗り出す少女を無視して、ヒルデガルドへと向き直った。
「この子は?」
 簡潔な問いに、ティーカップを持ち上げたヒルデガルドは優雅な微笑みを口元に刷く。
「覚えてないかしら」
 聡明な瞳に浮かぶ柔らかな光の奥にこの建物の主と同じ峻険さをちらりと感じて、大阪は口元を引き結んだ。
「・・・・・・」
 テーブルに両肘をぺたりとついた少女の不安げな上目遣いを、視界の端で感じ取る。けっしてこちらに迫ってくる空気ではないのに、それでもじりじりといろいろなものを削られていく感覚に、大阪はややあって目を伏せた。伏せざるをえなかった。
 再び上げた視線の先で、ヒルデガルドは今までの一幕などなかったかのように同じ優雅な笑みを浮かべていた。
「覚えていてよかったわ」
 彼女を前にしては、どんな言葉を口にしても己の力量の程を知らされる羽目に陥らざるをえない、そうと判っていても、口を開かずにはいられない。
「いや、まさか。あの頃から何年たったと」
 とはいえやはり自覚はさせられる。奥歯に物が挟まったような物言いは我ながらみっともないと思わされるものだったのだが、傍らの少女はそれに気づいた様子もなく花開くような満面の笑みを浮かべた。がたがたと音を立てて身体ごと自分の方へと向き直り、少女は不意に申し訳なさ気な素振りを見せる。
「ごめん。えっと、たおれちゃった」
 倒れた、という言葉に、反射的に眉が震えた。上目遣いに小首を傾げ、少女は……やひろは、恐る恐るといった様子で口を開く。
「……しんぱい、した?」
 なにをだろう。途方に暮れるほどに強情を張っていたくせに突然姿を見せなくなったことか。まるで最初からいなかったかのように消息を途絶えさせたことか。
「いや、別に」
 そらした視線をどこへ持っていけばいいか思いつかないまま、それだけ答える。視界の端でヒルデガルドが額に手を押し当てて吐息をつくのが見えたが、あえてそれも見なかったことにする。
「そっか」
 笑顔のまま、目を伏せた瞬間だけ歳に似合わない憂愁を感じさせ、やひろはヒルデガルドの様子に気づいてか賢女に向かって身を伸び上がらせる。
「お、おばーちゃんだいじょぶ!?」
 慌てたような呼びかけに応えるように、ヒルデガルドはすっと背筋を伸ばし直してやひろに微笑みかけた。
「ええ。まあ、素直でないのも大変ね」
 揶揄の潜んだ言葉に、大阪は肩をすくめて応える。意味が判っていないような曖昧な表情で二人をきょろきょろと眺めたやひろは、話が一段落したと理解してか、再び大阪の方へと身を乗り出した。
「それでね、えっとね、またなかよくしてくれると、うれしいんだけど……」
 こぼれ落ちそうに大きな瞳が、不安の色を映して揺れている。見慣れたそれから視線をそらして、大阪は椅子の背に深く寄りかかったままヒルデガルドに向き直った。
「子供のお守りか、頼みたい仕事は」
 大阪の視線をまっすぐに受け止めた賢女は、少女のごとき無邪気な笑みを浮かべる。
「適任はそうそういないのよ。あなたなら完璧だわ」
 先ほどと同じだ。圧力などどこにもない。それでも、その眼差しと長いこと視線を合わせ続けることは、相当の豪傑でなければ不可能だろう。あるいは無垢な存在か。
「・・・・・・まあ、いいがね」
 どちらでもないと己を自覚している自身としては、そう応えざるをえなかった。渋々とであるという意だけは、それでも込められるようにたっぷりと間を取って。ただしその意図は、異なる意味でどちらの女性にも拾われることはないだろう、そうとも、判っていた。所詮はただの、悪あがきだ。
 案の定判った様子の露程もない笑顔で、やひろはきらきらと眼を輝かせ更に身を乗り出してくる。そのまま乗り上げかねない姿勢で、デーブル上の皿を引き寄せようと手を伸ばす。
「あのね、きょうもね、おちゃとおかしはまたこんど、って。むかしにいったから」
 片手で踏ん張りきれずにゆらゆら揺れる身体になんとはなしに身を起こしかけて、面白がっているようなヒルデガルドの視線に大阪は動きを止める。その間になんとか皿を引き寄せきったやひろは、ぽすんと椅子に腰を落として大阪を見上げてきた。
「おばーちゃんにてつだってもらって、つくったんだ」
 いかにもハンドメイドのスコーンとクッキーに視線を向けて、大阪はさりげなく椅子に浅く腰掛けなおし、頭を掻いた。
「ふうん」
 気のない答えと映ったのだろう。またしても椅子から転がり落ちかねない勢いで身を乗り出したやひろの目に、ちらちらと不安の色がかすめ出す。
「あの、えっと。おいしいと、うれしいんだけど。……どうかな?」
 上目遣いのたどたどしい言葉に、大阪は手を伸ばしてクッキーを掴んだ。口の中でほろりと崩れたクッキーからは、仄かなジンジャーの香りと甘さが広がっていく。
「まあまあだな」
 片腕を背もたれの後ろに投げ出した不躾な態度で、大阪はやひろを見返した。
「うー」
 むうっと唇を突き出したかと思うと、不意にまた顔いっぱいに笑みを広げる。今にも鼻歌でも歌い出しそうな笑顔でまたクマに抱き着いたやひろを見下ろし、大阪は足を組み替えてからもう一枚クッキーを手に取った。
「変な感じだな」
 ぽつりとこぼれ落ちた言葉に、半ばクマに埋もれるように首にしがみついているやひろが、ぱちぱちと大きな目を瞬く。
「ふえ?」
「何が?」
 カップをソーサーに戻すヒルデガルドの優雅な手の動きをなんとなく目で追いかけながら、その実ぽたりぽたりと胸に落ちてくる感慨に心は奪われたままだ。濃いめのミルクティを一口すすって、大阪はまた一つ落ちてくる胸中の雫をすくい取った。
「なんとなく。俺は年をとったが、この子はそうじゃない」
 呟く言葉は当然通じるはずもなく。またきょろきょろと自分とヒルデガルドの間に視線を往復させはじめたやひろの、緩やかなウェーブを描いた後頭部に視線を注ぐ。
「あら、そうなの?」
 そういうヒルデガルドの声は、その実こちらの感慨をすっぱりと切って捨てる響きを持っていた。女性というのはまったくもって、さんざん自分のセンチメンタルを見せつけるくせして、男のセンチメンタルは歯牙にもかけない残酷な生き物だと思う。
 まぁおそらくその差は、どれだけ自分のセンチメンタルにたいして真摯なのかということだろう。酔っても酔いつぶれることがない。女性の方がリアリストだというのは、間違いなく本当だ。
「比喩表現だ」
 とはいえ、その容赦ない絶ち切り方で目を醒まされることも、確かにありはするから。
「まあいい」
「いいの?」
 苦笑と共に吐き出した言葉に、敏感に反応したのはやひろの方だった。危なっかしく伸ばされた手が、ぎゅっと大阪の服の袖口を握ってくる。
「おれ、あたまわるいけど、おおさかのことなら、ちゃんとかんがえるよ。がんばる」
 必死の訴えに、どうしたって苦笑は深くなる。少し椅子をやひろの方へとずらして座り直し、さっきよりは安定した状態で不思議そうにこちらを見上げるやひろから、大阪はヒルデガルドへと視線を移す。
「んじゃ、子守はまかされた」
「お願いね」
 賢女の優美な微笑みに、大阪は肩をすくめてひらひらと手を振る。
「へいへい」
 そのやりとりにまたきょろきょろと忙しく視線を動かしていたやひろが、再び袖口をぎゅっと握ってくる。
「じゃあ、ずっといっしょ?」
 僅かに首を傾げた大きな瞳が、また僅かに不安の色を刷いて彼を見上げた。
「なかよし?」
 その鼻先に、大阪は立てた指を近づける。
「ずっと一緒ではないな」
 その言葉に僅かに悲しみの色を滲ませたやひろの、彼の袖口を握ったままだった手をそっとほどかせる。
「子守の間な」
 それから鼻先に突きつけたままの指先でそっと額に振れ、視線を上に向かせ、目と目を合わせる。恐る恐るといった様子だったやひろの目が、ぱちぱちと瞬いて大きく見開かれる。
「仲良くするかは、別の話だ」
 自分の耳に届いた自分の声は、かつてと同じ柔らかな響きだった。彼女の瞳に映った笑顔も、いつかその瞳に映したそれと、よく似通っている。
「うん、わかった! なかよくなれるようにがんばるね!」
 はしゃいだ声でそう宣言したやひろは、嬉しそうな笑い声を上げて大阪の腕にしがみついた。


 改めて(今度はセンチメンタリズムではなく)思う。
 NWの時の経過をものともせず、以前とまったく変わらぬ姿で現れた彼女は、このような幼いなりでもやはり第七世界人たちの一人なのだ。
 第七世界人たちとは、いったいなんなのだろう。気まぐれとしか思えない形でこの世界に現れては、消えていく。数年、数十年と同じ姿を保ったかと思えば、ある日まったく別人になって現れる。国を統治し、世界の危機を救い、かと思えばまたカオスを撒き散らすこともあり……思想的に統制が取れているかといえばそうでもなく、強力な力を持ちながらにして、恐ろしいほどに天衣無縫でもあり。
「おおさか、て、だして」
 ふと、すぐ間近から聞こえてきた言葉に我に返る。いつの間にか、やひろは彼の膝の上に乗っていた。妙に生真面目な表情で、ぎゅっと握った拳を胸に押し当てている。
「ああ、うん」
 出した掌の上にころりと転がったのは、シルバーのイヤーカフだった。埋め込まれた小さなダイアモンドが、光を反射してきらりと輝く。
「ほんとは、もっともっとはやく、わたすつもりだったんだけど」
 ふふっとその時だけ妙に大人びた苦笑を浮かべ、やひろは大阪の手の中のカフを指先でつついた。その動きでまた転がったシルバーのカフを見つめ、大阪はふと息を吐く。
「ありがとう。こりゃまた」
「4月のたんじょーせきは、だいあもんど。たんじょーせきは、まもってくれるっていうから」
 するりと言葉が抜け去って無言に落ち着いてしまった大阪に代わるように、やひろは歌うように唱えるように言葉を紡ぎ、大阪の顔を覗き込んでにっこりと笑った。
「いっぱいおいのりしたんだ。だから、きっといいことあるよ!」
 掌に転がったそれを見た瞬間の思いは、うまく言葉にならないまま自分の元を飛び去ってしまった。もう一度息を吐いて、大阪はその言葉を追いかけることもせず思いついたことを唇に乗せる。
「高価そうだな」
「おおさか、たくさんうごくでしょ? だから、て、とか、あし、とか。くびかざりもあんまりかなぁっておもって」
 指を折りながら一生懸命口にしていた言葉を途中で止めて、やひろは首を傾げる。
「そうなの? よくわかんない」
 あどけなく告げられた言葉に、苦笑する。己に向けてのそれは、なおさらに苦い。
「おおさかに、いちばんにあうかなあっておもったんだ」
 自分の目を覗き込んでくる邪気の欠片もない瞳に、一瞬だけ目を伏せる。その刹那で気持ちを切り替えて、大阪は改めてやひろの目を覗き返した。
「そりゃどうも」
 えへへと笑うやひろに努めて明るい笑みを返し、ややおどけた口調でイヤーカフを握る。
「ありがたく貰っておこう」
 目の前で大輪の花火が花開いたようだった。パチンと叩いた両手を高らかに挙げて歓声を上げたやひろが、膝に乗り上げた身体を更に近づけてくる。
「おれが、おおさかにつけていい?」
「ん」
 握った手を開いて差し出すと、今にも歌い出しそうなほど上機嫌のやひろが、小さな手で銀のカフを取り上げる。動かないでねと告げた唇から、小さな祈りの言葉がそのまま漏れはじめる。
 耳元がくすぐったい。ぱちりとはめ込まれる瞬間は少しだけ痛みが走って、そして冷たい感触が耳に広がる。言われた通りじっとしたまま、大阪は目の前の真剣な顔をただ見つめた。
 いつしか厳粛な表情になって、やひろはふと両手を下ろし、少し後ろに身体をずらして大阪の顔をじっと見つめた。バランスを見ているのだろう、大きな瞳に自分の姿が映っている。両耳の一部に縁取りのように光る銀の印。さっきまでの冷たさは、自分の体温と解け合って消えている。
「似合うじゃないか」
 その言葉に、やひろはまた笑顔の花を咲かせた。
「うん! すっごくにあう!」
 そう言いながらまたぐぐっと身体を寄せて、小さな手が方にしがみつくように触れてくる。
「あのねあのね、ぜったいこれがいいとおもったんだ! おおさか、にぎやかなのもにあうけど、でも、ぜったいこれ、って!」
 それだけ言って、やひろはふっと眼を細めた。先ほどまでの明るく弾けるような笑顔とは違う、静かで、それでいてより豊かな笑みが幼い顔を大人びた表情で彩った。そのままふと、胸元にもたれかかってくる。
「なんだもう疲れたのか」
 目を閉じるまでの一瞬に浮かんだその表情に胸を突かれ、大阪は即座にその感情に蓋をした。殊更に優しい声で、問いかける。目を閉じたまま、やひろは幼い顔に相応しいあどけない微笑みを浮かべた。
「こーしてると、しあわせでうれしいんだ」
 内緒事を告げるような小さな声に、大阪はそっと手を伸ばしてやひろの髪に触れた。梳き分けるようにして、柔らかい髪を撫でていく。満足げな吐息は次第に深くゆっくりとなり、身体にかかる重みに大阪は彼女が寝入ったことに気づいた。その眠りを妨げないようにそっと抱き直し、また髪を撫でる。そうして、彼女がこの場から消えるまであとどれくらいかを考える。手に触れる柔らかな感触が、もたれかかる温かな温もりが、消え失せるまで。
 たゆたう思いに、唇を噛む。こうして再会するまでの間に、自分たちになにがあったのか。自分がなにを思ってあんな行動を取ったのか。思い出せばその記憶が深く胸を穿つ。運命の相手などいない、その認識は、今も変わっていないのに。
 砂の城が波に洗われて跡形もなく消えるように、自分という存在は後になにも残さず消えるのだと思っていた。ならばせめて、その死自体が有意であるようにとずっと思ってきた。そうすれば、その生もまた有意なものとなる。後になにも残さずとも、意味があったと笑えると思ったから。
「……確かに、麻薬だ」
 解けた唇が歪んだ嗤いを刻み込む。
 それを一度知ってしまえば、手放すことは出来なくなる。餓え、目をくらませ、際限もなく追い続け、足を踏み外す。蝕まれ、道理も見失い、身を、心を削ってでもと求めてやまず、断ち切るにはきっと、自らの死以外に術はない。

 強烈なまでに心身を焼き焦がす、その名を、希望という----------------。


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最終更新:2011年01月05日 06:27