久珂あゆみ@FEG様からのご依頼品


 FEGという国がある。光の国と呼ばれるその国の一角、住宅街の更に離れに一軒だけ周囲とは距離を取った家があった。ぽつんと孤立しているようにも見えるが、それには理由があった。
 近代国家FEGとしてはファンタジーな話ではあるが、そこは竜の住まう家であった。その話を聞いて嘘だと笑う人間は数分後に突風で吹き飛ばされてその真実を知るというのがこの国のお約束である。
 そんな訳もあって隣家とは離れていたものの心は離れていないと、周辺の住人が皆口を揃えるのもまたお約束であった。
 その家の住人は二人と一匹。今は一人と一匹だけがそこにいた。
 その一匹が件の竜である。家の中に居られるのは大きさをある程度変化させることができるからだというが、その……なんとというか、外見はまるで鳥……というか、もふもふした生き物……ともまた違うものであった。まぁ、どれでもないから竜なのだ。たぶん。
 その横には優しい笑みをたたえた青年がいた。といっても歴とした既婚者である。
 竜は名を竜太郎、青年は名を晋太郎と言った。姓はどちらも久珂。種族は違えど二人は親子である。
 父親と息子がいて、後一つ残っているのは母親、妻。一人と一匹はその帰りを待っていた。

「かーちゃんおそいなー」
 羽毛の固まりになりながら竜太郎がぼそっという。今日は両親がおいしいものを作ってくれるというので楽しみにしていたのだ。二人とも揃わないとそれが始まらないというので待ってはいるものの、もうお昼すぎである。昼食はとーちゃんの手作りでおいしかったが、そろそろ楽しみと我慢のバランスが崩れつつあった。
「仕事だから仕方ないよ。でももうすぐ帰ってくるって」
 一方晋太郎は落ち着いたものだった。やることがあったというのもあるだろう。すぐに作れるように台所を片づけ、材料を量り、使う道具を揃えていた。
 それでもー、と竜太郎は思った。竜とは言えどもまだまだ子供である。むくーっとむくれることもある。ただ、彼の場合それが物理的に膨れる事に繋がっていた。流石は竜族といったところであろう。それも頬だけでなく、全身が。
 直径2mくらいの毛の固まりになった辺りで、竜太郎?と優しく諫める声が聞こえた。ぶむーと鼻息を出しながらしぼんでゆく竜太郎。風船みたいだなと思って晋太郎はくすっと微笑んだ。

 そんなやりとりを二回ほど繰り返した頃だろうか、竜太郎がその耳ともなんとも言えない毛の固まりをピンっと立てた。
「かーちゃんの足音がするっ」
 それを聞いてなおのこと微笑む晋太郎。まぁ、竜太郎が聞こえたということは500mは先だろう。もう一度卵と牛乳の数を確に―――――
「竜太郎?飛んでいったらお母さんも飛ばしちゃうよ」
 窓をカラカラ開けていた竜太郎を見つけて優しく注意する。本当はここから飛ばれたら爆風で準備が台無しになるからという意味もあったが、まぁどちらも大事である。
 彼の中に優先順位のピラミッドがあるとしたらその頂点は竜太郎であり、その遙か彼方天の極星くらいの位置に彼の妻は存在していたのだ。少しでも危険は避けたい。というか、注意して避けられるならそれに越したことはない。
 それは竜太郎についても同じ事だった。違うとすれば両親とも一緒の位置にいることくらいか。その大事なとーちゃんの言うことである。大人しくその羽でカラカラと窓を閉めた。えらいえらいとその頭をなでながら晋太郎は息子を抱えあげた。
 周りに家がないためか、その姿は程なく見えてきた。まだ小指の先くらいの大きさでしかなかったが、竜太郎はぴぃぴぃ鳴くように精一杯翼を羽ばたかせ、晋太郎は軽く手を振った。
 その姿が見えたのか、一瞬立ち止まって笑うような素振りを見せて、待ち人は手を振り返した。駆け足で家に近づいてくる。
 先に動いたのは竜太郎である。バサバサっと羽ばたいて床に降りるとダッシュで玄関まで走っていった。その方が母が喜ぶのを彼は知っていた。
 晋太郎はその後をゆっくりと歩いていった。その視界に玄関が見えるか見えないか、丁度その瞬間にガチャっと扉が開く音がした。 
 竜太郎が跳ぶ。晋太郎が微笑む。
「おかえり、かーちゃん!」
「おかえり、あゆみ」
 見事な一人と一匹の唱和に、満面の笑みを浮かべて妻であり母である久珂あゆみは答えた。
「ただいま!竜太郎、晋太郎さんっ!」


 あゆみが帰ってきてから家には笑顔があふれた。毎日のようにあるいつものことではあったが、晋太郎はただ嬉しかった。嬉しくて嬉しくて、本来関係ないはずのプリンの量を増やそうかな、とか考え出した。下準備形無しであるが、何かで喜びを表現したかったのである。あまり大きすぎてもいけないという理性も働いた結果、バケツプリンで我慢しようと落ち着いた。落着の点が高すぎるのはご愛敬である。
 竜太郎はといえば、その全身で喜びを表していた。じっとしていられないのだった。とてとてと母の前を行ったり来たりしながら尻尾をふりふりしていた。犬だか竜だか猫だか分からないなぁと夫婦揃って思っていたのを、彼自身は知らない。
 あゆみはあゆみで数時間しか離れていな……いや、本人に言わせれば数時間『も』離れていたになるのだろう。その時間分の幸せを噛みしめているようで、にこにことそんな二人を眺めていた。しっぽは竜太郎と揃いでふりふりである。
「あゆみ、そろそろ始めようか」
「うんっ!晋太郎さん」
 材料の再計量を終えた晋太郎が声をかける。始めようかと言っている割にすでに卵を割り始めている辺りは主夫の習性だろうか。
 しかし、それも頷けるだけの量の卵がその横に鎮座していた。2パック分はあるだろう。どこのパティシエやねんとどこぞの蛇神様ならツッコんでいるところだ。というかその前に絶対最初からバケツプリンの予定やったんちゃうんかとツッコみが入るのも間違いない。
 その辺一切は意にも介さず、介したとしても竜太郎の分だろうと考えて私もやるぞーっと愛のエプロンを着用するあゆみ。おいしいプリンを作るからねと竜太郎をなでなでする。
「うん。俺、プリン食べる」
 目を爛々と輝かせながら答える竜太郎。わはーかわいいー!とちょうど腕に収まるサイズの竜太郎を抱え、軽くおでこにちゅーっとするあゆみ。嬉しそうにパタパタ羽ばたく息子をおいて、キッチンへと向かった。
 その様子を手を休めることなく見ていた晋太郎。あゆみのエプロンの紐が縦に結ばれていたのを見ると微笑んでそれをを直してやった。
「わー、ありがとう晋太郎さんっ」
「どういたしまして。さ、かき混ぜていこう」
「うんっ!」
 ホイッパーを晋太郎から受け取りかしゃかしゃ混ぜ始めるあゆみ。その邪魔にならないように晋太郎は次々に卵を加えてゆく。さすが夫婦というべきか、タイミングはばっちりだ。かちゃかちゃと混ぜてはポチャンと卵、かちゃかちゃポチャン、かちゃかちゃポチャンと二人の手が一定のリズムを刻んでゆく。
 そのリズムを追っていたあゆみの尻尾がティンと立った。えへへーと竜太郎にこっそり耳打ちをする。ぼえーと鳴く竜太郎。何をするんだろうと少し不思議そうな晋太郎に向かって一人と一匹そろって胸を張る。あゆみはその手を止めることなく、歌い始めた。


プリンープリン あーまくてー
ぷるぷるおいしい プープリンー(ぼえー)

黄色い体と茶色の頭 二色が交わるハーモニー
一色だけでもおいしいぞー(ぼえー)

卵をカチャカチャかき混ぜてー
牛乳とくとく入れましてー
愛情たっぷりしっかり混ぜよっ!(ぼえー)

砂糖で甘みをつけましてー
バニラでにおいをつけましてー
焼くか冷やすかお楽しみっ!(ぼえー)

プリンープリンー あーまくてー
とってもおいしい! うープリーン!(ぼえー!)


「上手上手。竜太郎もちゃんと歌えたね」
 歌に合わせて牛乳2本を入れていた晋太郎が拍手をする。えへへーと微笑むあゆみ。竜太郎もうれしそうにぼえーと一鳴き。釣られて笑顔になる晋太郎に、それを見て更に笑顔になるあゆみ。幸せだなぁとプリンープリンーと再び歌い始める。
「ふふ、じゃあ歌の通りにいこうか。お砂糖入れて、においつけー」
「うんっ!あ、バニラはエッセンスとビーンズどっちがいいかな?」
「エッセンスでいいと思うよ」
「うん、わかったー」
 シノワも回収しつつ、あゆみはバニラエッセンスを棚から取り出す。すでに砂糖は晋太郎が投入済みであったため、そのままぴっぴと入れる。刹那、ふわっとバニラの香りがキッチンを包んだ。
「んーいいにおいだねー竜太郎ー」
 うん、と返事をしながらにおいをたくさん吸い込みたくてくんかくんかにおいを嗅ぐ竜太郎。プリンの素よりもあゆみがおいた瓶からすごい甘いにおいがしていることに気づいた。そしていつもアイスを食べるとこのにおいがしていたことを思い出す。首を傾げて母を見る。
「これなに?アイスのもと?」
「あははは。同じにおいがするもんねー」
 よしよしと子供の頃の自分を懐かしみながら竜太郎をなでるあゆみ。自分も同じ事を考えて聞いたものだっけ。
「これを入れると甘いのにおいになるんだよ。アイスにも入ってるの」
「ふーん」
「あ、なめると苦いからね。小さいころ、甘いものだと思ってなめたことがあります」
 晋太郎に向かってうんうんと頷きながら言う。あれは衝撃だった。生まれて初めてにおいと味が結びつかないものを口にした瞬間であり、同時にこんな苦いものが入っていても甘いお菓子というものの偉大さを覚えた貴重な体験であった。
 その横で甘くないの?甘くないんだーとちょっと残念そうな竜太郎。これだけいいにおいがするんだから、一滴だけでもしやわせな気持ちになれるのではと密かに期待していたのだった。
 そんな二人を見てああそういえばと晋太郎が何かを思い出した。
「光太郎がバターにかけて冷やしてたべてたなぁ……」
「えーーーー!」
 味の想像がつかないが、すごいなぁと思うあゆみに、いまいちすごいとも思えない竜太郎。むーと自分だけ仲間外れかーと思っているのを母は見逃さなかった。にやりと笑う。
「竜太郎、ちょっとなめてみる?」
「いいの?じゃあ俺n」
「光太郎は熱出して寝込んだけどね」
 『なめるー』のnくらいまで音を出しかけて竜太郎は首を左右にふるふると振った。熱を出すくらいなら仲間外れでいいやと思ったのである。
 竜太郎のしぐさにあゆみはくすっと笑う。竜太郎はいいこだねーと抱え上げ、すりすり頬ずりをする。
「ほらほら晋太郎さんも」
「はいはい、いい子だね」
 あゆみに抱えられたままの竜太郎を、あゆみごと抱えてすりすりとしてやる。両親に挟まれた竜太郎はしっぽをぶんぶん振って喜びを表現した。
 チンという音がその場に響いた。そうしている間にも作業は終盤にさしかかっていたのだった。話しながらも晋太郎は味を確かめてからシノワに液を通し、手早くゼラチンを加え、さらにカラメルソースを敷いておいたカップにそれを流し込んでいた。二つは同じ大きさのカップで、もう一つは竜太郎用に用意したバケツである。
 俺の大きいっ!と羽ばたこうとした竜太郎を羽根が入るからと止めて、お湯を張ったオーブンに時間差で入れた。先ほどの音はそれが焼きあがった音である。耐熱性のバケツはしっかりと役目を果たし、中にはプルップルのプリンが仕上がっていた。
 先ほど怒られたからと代わりにパタパタと足下を歩き回ることにした竜太郎。こらっ、と言いながらも、注意する晋太郎の顔は笑顔であった。
「さ、冷やして固めようね」
「うん、楽しみだね」
 竜太郎もうん、と頷き二人を率先するように冷蔵庫の扉を開けた。あゆみにえらいえらいとなでられてくるくる回る竜太郎。
 その様をみてあーもうかわいいー!とぎゅーっとするあゆみ。晋太郎も微笑みながらぴっとタイマーをセット。後は待つのみである。


 晋太郎は主夫としては本当に有能であった。プリンを作りながらもその片づけを平行して行っていたのである。冷蔵庫に容器を入れ終わった時点で洗い物は0であった。
 つまりは、暇になったのである。
 さてどうしようかと誰が言うでもなく、二人と一匹はリビングに移動していた。竜太郎はここでならゴロゴロと床を大いに転がれるし、あゆみは晋太郎にゴロゴロできるという按配だ。
 どちらをなでようか、と一瞬の逡巡の後、晋太郎は妻を選んだ。にゃーと嬉しそうなその顔を見て正解だったと思う。頬に軽く唇が触れるのを感じ、お返しと頭に軽くキスをする。互いに見つめ合って、どちらともなく微笑んだ。
 竜太郎はその邪魔をしないようにちょっと離れてゴロゴロする。子供でも分別はついているのだ。しかし、とーちゃん、後でかーちゃんにもふられるのは俺だぞーと心の中で言っている分まだ子供かもしれない。
 しばらくそんなやり取りをしていた時、あ、とあゆみが小さく声を上げる。
「どうしたの?」
「せっかくだから、このこの名前決めませんか?」
 自らの下腹部をさするあゆみにああ、と晋太郎も頷いた。確かにそのような考え事をするにはこの区切られた時間は丁度いいかもしれない。ならばとあゆみと少しだけ離れる。こういう話をするには顔を見ながらがいいし、今の姿勢は顔を見るには少し窮屈だった。 会話の流れを仕切りなおし、じゃあと晋太郎が口を開いた。
「どんなのがいいかな」
「えっとね、かんがえてるのがあるの」
「竜子っ!」
「そう、りゅうこ……って竜太郎?」
 竜太郎がいつの間にかあゆみのひざの間にちょこんと立っていた。あゆみは精一杯羽根を広げてアピールするそのかわいらしさに、晋太郎は鼻息荒くドヤ顔をするその姿に、それぞれ苦笑を浮かべた。
 それもいいけど、とあゆみが竜太郎を降ろしながら口を開く。
「あさひってどうかな?」
 晋太郎は二人の顔を忙しそうに見渡している竜太郎をなでながら、んーとうなった。
「竜子は強い名前で、あさひは綺麗そうだね」
「うん、なんか色々かんがえてたんだけど、思いついたとき、あーこれだなーって」
 両親からなでられながらも、竜太郎は涙目だった。あさひを二人ともほめていて、竜子は少し違うかなと思われてると自分でもわかった。もしかして、
「鱗ないと竜子だめ?」
「そういうわけじゃないけど……」
 うるうるとした目で見つめられて少しうっとくるあゆみ。引き続きんーとうなっている晋太郎がぽんっと手をたたいた。自分は天才じゃないかと思いながら放った名前は、
「ドラゴン朝日で」
「それはだめー!」
 見事なドヤ顔だった晋太郎がえーという表情になる。竜太郎もそれに合わせてえーとなる。晋太郎はたまに天才としかいいようのないことを言う。言うが、まぁ、何とかと何とかは紙一重というやつの悪い方に傾いちゃったと、この時のあゆみには感じられた。
 何より、ドラゴン朝日てどこのプロレスラーやねん。猪木にも勝てそうやんか、とあゆみの中の蛇神様は言っていた。だからだめだ。せっかくの女の子である。家族にはじめて女の子が増えるのである。だから、
「だめじゃないけど、竜太郎が竜でつよいこだから、妹がきれいなこでもよくない?」
 プロレスラーみたいだからとは言わないのは愛です。その代わりにもう一つの理由を言う。
「というかですね、晋太郎さんと竜太郎が太郎どうしでおそろいなのに、わたしだけなかまはずれなんだもんーー!わたしもおそろいがいいですっ」
 涙目になりながらのその発言に、晋太郎はと竜太郎はんーっとそろえて首をかしげた。腕を組んでいるしぐさまで同じである。違うとすれば晋太郎はちゃんと理解していて次を考えていて、竜太郎はそこまで思いが及ばなかったくらいだろうか。
「あゆみにおそろいなの?」
「ひらがなみっつで『あ』がついてる」
 そこまで聞いてあーと竜太郎も納得する。納得した上でんーと思う。晋太郎は深く考えていて、竜太郎は何となくではあるが、その結論は同じだったようである。
「あゆなとかあゆことかは?」
「あゆむとか」
 むぅと今度はあゆみがうなった。いや、そういう共通点があるのはいいけど、でもやっぱりあさひがよかった。よーく考えてこれしかないと思ったにはもう一つ理由があった。「あさひだと、おとーさんともおそろいだよ」
「ははは。それはないかな。女の子は、太陽になれないんだよ。なったら、世界が滅んじゃう」
「そうなの?」
 とっておきだった理由をとんでもなく大きな理由で返されて、少しショックなあゆみ。間髪居れずに晋太郎がうん、と頷いたものだからその威力はちょっと大きかった。竜太郎もそうなんだと一言も言わなかったから、なんとなく気づいてはいたらしい。さらにショックなあゆみ、息子に負けるとわ……ということは、
「うんと というか あさひ反対?」
 晋太郎は苦笑した。それが肯定の意味であることはあゆみにはすぐにわかった。その瞬間、背景に大きくかわいーく書かれた『あさひ』の三文字がガラガラと音を立てて崩れ落ちた。あゆみ、痛恨のショックであった。
「あとは……あとは……ゆうき……とか、とか……」
 そこまで言ってわーんとゴロゴロ床に転がっていじける。頑張ってかんがえたのにー、いっしょうけんめいかんがえたのにー。
 そんなにショックだったかなぁと思いながら晋太郎がゴロゴロしているあゆみの頭をなでて止めた。
「まあ、ゆっくり考えればいいんじゃないかな」
「かーちゃんふぁいと」
 竜太郎も一緒になってあゆみの頭をなでていた。うう、嬉しいけど、嬉しいけど、とあゆみは恐る恐るもう一つの可能性を聞いてみた。
「ゆうきもはんたいですか……?」
「ゆうきは、男の子の名前かな?それでよければ」
「おんなのこでも使うけど そうなっちゃうの?」
「たぶん」
 多分、といいつつも大分反対な気分なのだろうとあゆみには分かった。むむむーと再びゴロゴロするあゆみ。こ、こんなに反対されるとはーとはーとはー……(エコー)
「ううう」
 泣いているわけではないが悲しくて少し涙目である。そんなあゆみを夫と息子は優しくなでてくれた。
「かーちゃんふぁいと」
「あゆみふぁいと」
 嬉しいけど、嬉しいけど、なんか違うような気がするけど、けど……
「が、がんばる……」
 あゆみがそう返したのとタイマーがプリンの完成を告げたのは、まったく同じタイミングであった。

 プリーン!俺のばけつー!としゅたたた走ってゆく竜太郎を目で追っていたあゆみはふわっとその視界が動いたのを感じた。というより体がふっと浮いた気がして、止まったと思ったら目の前には晋太郎の顔が一面に広がっていた。晋太郎が自分の体を持ち上げたのだとそこでようやく理解した。
「さ、いい名前を考えるにも糖分が必要だよ」
「……うん」
「ゆっくり、産まれてくるまで一緒に考えよう」
「……うん!」
 ようやくあゆみの顔に微笑みが浮かんだ。声には出さずほっと安心する晋太郎。本当に、こんなに落ち込んだりするところもかわいいから、
「大好きだよ、あy」

「とーちゃん!かーちゃん!俺バケツ取れないっ!」

 マジでキスする0.5秒前くらいで竜太郎が叫んだ。取ろうとしても羽根がつるっつるしている様をみて苦笑する母。おのれーと思う父……が、すぐに気持ちを切り替えて咳払いを一つ。
「じゃあ、まずはプリンだね」
「うん!竜太郎、ちょっと待っててねー」
 夫の腕から離れ、ぱたたーと息子のところに向かうあゆみ。切り替えはしたものの、おしかったなぁと未練の残る晋太郎。十分しまくってると言ってはいけない。そういうものなのだ。
 と、ぽてぽて歩き始めた晋太郎の前に、あゆみがぱたたーと戻ってきた。
「どうしたの?何か忘れも」
 の、と続けようとしたその口は、あゆみの唇でふさがれていた。
「うん、これをわすれてたっ」
 えへへーと笑うあゆみ。泣いたカラスが、とはよく言ったものだなと晋太郎は思った。それを言えば今の自分もか、嬉しくて微笑が浮かんでしまうのだから。
「ありがとう。大好きだよ、あゆみ」
「わたしも、大好き!」
「かーちゃーん!はやくー!」
 竜太郎の泣きそうな声に、二人で顔を見合わせて苦笑する。
 はいはいと同時に応えると、二人はしっかりと手を握って息子の元へと歩き出した。





/*/ここから下はおまけです/*/

 本編にて、久珂家が隣家と離れているのは竜の発着のためと述べたが、実はもう一つ、もう一つだけ理由があるのだ。

 あすこは二人ともいいひとだけど、あれだけはなぁ。
 あれがなければもう少し近くてもなぁ。
 たまにだけど、まぁ、あれに巻き込まれるかと思うとねぇ。
 あの度にお金がかかると思うと、ねぇ。
 大変だけど、うーん、いい人だけど、うーん……やっぱ大変だなぁ。

 等々、以上がご近所さんの意見の抜粋である。その他多数の意見もあったが、おおむねこんな感じであった。
 つまりは、この一言に尽きるということである。

『あれだけは嫌だ』


    おまけ  ~復活のメチャゲ~


 プリンができてから数分後、あゆみはむーっと唸っていた。むむむとも唸っていた。むむむむむーとも唸っていた。
 さすがに唸りすぎだなぁと晋太郎がその頭を撫でながら問いかける。
「どうしたの?プリンの味でも変だった?」
「んー、いやそうじゃないのー。プリンはすっごくおいしいっ!」
「ならよかった」
 晋太郎がほっと一息つく。竜太郎は既にバケツを噛み砕かん勢いでうーまーいーぜー!とがっついていたが、彼の妻はずっと唸りながら黙々とプリンを食べているのだ。そりゃ竜太郎の羽でも入ったかと心配になって少しはお仕置き用に絶技詠唱を始めるというものだ。
「すっごくおいしい……でも」
「でも?」
 解散させかけたリューンを再び集める晋太郎。誰だ、何がそんなにプリンを食べる楽しみを阻害するんだとその対象に絶技を放つ気マンマンである。なんやねんこの夫婦ーとリューン達が思ったかどうかはまぁ、本人(?)達のみの知るところである。
「名前がなぁー」
 ごろごろごろーと喉を鳴らしてぺたんと机に突っ伏すあゆみ。
 その瞬間晋太郎の脳裏に稲妻走る。

 ここで流れを切るかもしれないが、いっこだけ解説を入れさせてもらう。料理を作るものにとって、食べてもらう人が笑顔になってくれることは何よりの幸せであり、なってくれないことは何よりの不幸である。それが愛するものであるならば尚更であり、その原因が自分であったならば天岩戸に篭って出てこなくなるレベルであるのは間違いない(実感がこもっているのは気のせいです)

 以上を踏まえた上で、再び晋太郎の反応を見てもらおう。プリンが出来上がる前はあんなにすらっと反対していたのにこの反応である。彼としてはここまで後を引くとは思っていなかったのだ。すっきり考え直し、さてプリンはおいしいなぁという感じだっただろう。
 それがおいしいはずのプリンを食べていながらこれである。しかも自分のせいで。そ、そこまで自分が追い詰めて(?)いたなんて……と、自傷用の絶技ってあったかなと一瞬考えるくらいのショックが晋太郎をも襲っていた。
「や、晋太郎さんはわるくないのっ」
 あゆみの追撃が地面にバウンドして浮いている晋太郎のメンタルにクリーンヒット!地面に再びたたきつけられてもう一度浮くっ
「わるくないけど、反対させるような名前考えちゃったなぁって」
あゆみがぁ!捕まえてぇ!あゆみがぁ!画面端ぃ!!
「あ、ごめんね、せっかく一緒に作ったのに……ふぅ」
あゆみがぁ!決めたぁぁーっ!

 KO!

 溜息に実際に重さがあるといった人間は正しい。正しくあゆみの溜息は晋太郎に大打撃を与えた。その前の無抵抗なメンタルへの連続攻撃は某有名格闘ゲーマーを髣髴とさせる滑らかさであった。
 音もなくパタリと倒れる晋太郎。カラーンとスプーンが飛んでいったのを見送って、彼はその意識を手放した。

 久珂晋太郎、死亡。

 その止めを刺したのが自分とは知らず、何故死んでいるのだろうとあたふたするあゆみ。竜太郎もその異常に気づいてパタターと飛んでくる。毛というか羽根のそこら中にプリンがくっついているのはご愛嬌。
「とーちゃん、かーちゃん大丈夫?」
「あ、竜太郎!どうしよう、晋太郎さん死んじゃった!」
「ホント?おれ火を噴いてたしか……あ、手あがった」
「……じゃあ生きてるね」
 何をされるか分かったものではないという危機感からか、伝統的な死んでませんよーアピールをする晋太郎。アピールをしながらも、彼は起き上がることができなかった。
 重ねて言うが、作ったものをおいしく食べてもらえないのは作り手にとって最大の不幸である。何度でも重ねてもいいが本当にこれは不幸である(実感がこもっているのは気のせいですってば)
 それだけにいくらギャグパートとはいえども、本当に晋太郎の傷は深かった。現実に起きたかどうか不明な事だけが一応とはいえ幸いであると記しておこう。

 死んでいない&ギャグパートであることを確認したあゆみは、とりあえず晋太郎は放っておいてもよいだろうと結論付けてあることを考えていた。
「ここまで最強弱まりきった晋太郎さんなら……ある程度だろうけど、名前に関して反対する精度が下がるかもしれないっ」
 きらーんと光るあゆみの目。竜太郎が得体の知れない寒気を感じて丸まった。
 そうと決まれば(決まってはいないが)善は急げとばかりにばたばたとチラシの裏紙とペンを用意する。そしてむっふーと鼻息を荒く吹いて、その右手に人生で初めてかもしれないほどの速度でひらがなを羅列させ続けた。


10分後


 ぼえー、と、時を告げるでもなく鳴いた竜太郎の声であゆみの手が止まった。
「うーむ、むむむむむむむむむ」
 というよりも、必然的に止まった、という方が正しいかもしれない。
 ペンを鼻の下に挟んで唸るあゆみの眼前にはいくつものひらがなの羅列。名前を考えるためひたすら3文字のひらがなを書き続けるという苦行を自らに科した成果である。が、意外とその量は少なかった。
 書いて書いて書いて書いて、そして辞書や文献やインターネットを駆使して魔術的にあかんわーというものを省いてゆく。さらにその中からいいものを選出してゆくという作業の繰り返しをするのだが、これが意外と、意外と難しい。
 久珂、という姓の下についてもよい、と思える名前を考えるのがまず大変で、それがひらがな3文字という縛りも大変で、あゆみ、の韻を踏んでいないと自分がいけないというところも大変という何?この三重苦、であった。
 いつくかよさげなものは見つかったものの、問題はこれが最強弱まっているとはいえ編集のチェックを通るかどうかだ。残念ながら男性名かどうかという所の判断は難しかったし、その部分を突かれるとアウトだ。というか誰だ人名図鑑にDQNネーム入れたの。探すの大変で苦労したじゃないかっ。
 あらし、あおい、いさみ、ふゆみ……結局少なくなってしまったが、このどれかが通るなら無問題だ。よし、突撃ー!

「晋太郎さん晋太郎さんっ!」
「……どうしたの?」
 10分で口がきけるくらいにまでは回復したようだが、相変わらず弱っている。チャンスだ。
「名前をまた考えたから聞いてほしいのっ」
「うん……わかった……」
 ごろりと横たわったまま力なく微笑む晋太郎。本気で死にそうに見えるが後でキスしてあげれば一発で回復することをあゆみは知っていた。なので放置である。
 ひどいというなかれ。自分の意見を通すのにこれくらいはしても問題ないと、どこかの外国人のダーリンをもった漫画家の先生も言っていた気がしなくはない(注:言っていません)。
 とにもかくにも、第2ラウンド、スタートである。

「あらし、ってどう?」
「いい名前だけど……騒乱の元になりそうな名前だね」
 いや、それは語感だけで言ってるでしょと喉まででかかったが、まぁそこは抑える。ゲームがメインの世界である。ゲームセンターを荒らされては困ると今更だが思い直した。
「あおい、ってどう?」
「いい名前だけど……男の人の名前でもあるね……後もし葵さんと結婚したらあおいあおい……そうか、この子も結婚して巣立っていくのか……ぐす」
 遥か未来のことを思ってむーむーと泣く晋太郎。嫁かせたくないなぁとかまだ生まれても居ないのに考えているその様を見て、これはいやな思い出が残るだろうと却下するあゆみ。次だ次っ。

「い、いさみ、ってどう?」
「いい名前だけど……なんか飛べっとか言われて変身しそうだね……僕はそんな破廉恥な格好は……」
 許しませんよーとか言おうとしてるのを思考の外に追いやって、どこでそんなふるいアニメを……MHKか、MHKを光太郎と一緒に見ていたのか。
 なんか色々と前提が間違っていた気もするが、後には引けないラストワンッ

「ふ……ふゆみ、ってどう、かな?」
「いい名前だけど……冬を意味する名前か……悪くはないかな……でも季節として……」
 とりあえず反対っぽいことは分かったのでもうイイデスと強制終了。

 以上4つだけぶつけてみたところであゆみは気づいた。気づくのが遅かったことにも同時に気づいた。
 そもそもこーんなネガティブ状態の晋太郎に何を言ってもネガティブになるだけだということに。そりゃ何を言ってもムダである。もし今未来の決定案を言ったとしてもなんだかんだと反対されるのは目に見えている。
 無駄な労力を使ったなーと思いつつも、まぁこんな晋太郎さん相手に決めても、と思い直す。こんなにヘタレている珍しいところも見られたし、いい加減回復させてあげようと思った。
「晋太郎さーん、プリンおいしかったからおきてー」
 ごろにゃーんとじゃれつきつつ長いキスを一つ。あゆみが目を開けるのと同期したかのように晋太郎の目も開いた。
「……うん、わかった」
「えへへー、よかったー」
 よいしょっとあゆみを抱えて起き上がる晋太郎。プリンがおいしかった、という部分が予想以上に効いたらしい。あゆみもこれだけ元気になってくれたーと満足気である。お互いに幸せそうに微笑みあう。泣いたカラスが……これ以上は薮蛇だろう。
 そうだ、と明らかに上機嫌な晋太郎が口を開く。
「名前は他にないの?」
 その発言にびっくりするあゆみ。晋太郎から言われるとは思っていなかったのである。これは、もうあきらめていたがチャンスか?一応もいっこ名前を取っておいてよかったー、心底そう思いながらあのねーと口を開く。
「あかりってどうかな?」
 ふむぅと唸る晋太郎。しっかり考えて、しっかり考えて……

「うん、いい名前だけど……」
「結局反対ですかー!!」


ちゅどーん


 一つ書き忘れたというかもう周知の事実だから省いていたが、あゆみは究極大規模破壊魔法メチャゲドンの使い手であった。周囲一帯を破壊しつくすその魔法が発動した今、久珂家というものは存在していなかった。
 その中心で立ち尽くす人影二つと丸っこい影が一つ。

 当然、みんなアフロだ。

「晋太郎さん……」
「何?」
「……名前はゆっくりかんがえます」
「……そうしようね」

 崩れ去った我が家を前に二人が誓う中、がらーんと木材が崩れる音だけがむなしく響いていた。


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引渡し日:2010/04/19


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最終更新:2010年04月19日 09:52