八守時緒@鍋の国様からのご依頼品


 砂の上に描かれた文様は、波風に晒されながらわずかに崩れることもなく、ただそこに在った。傍目には粘土の固まりにしか見えないだろう爆弾に信管を取り付けて砂に埋め、創一朗は防波堤の上に立っている時緒の元まで戻る。
「爆弾どうするの?」
 潮風に乱される髪を手で押さえながら、時緒は創一朗を見上げてきた。頑是無い子供のようなさまに口元がほころびそうになるのを、とりあえず押さえる。まずは、仕事をしてしまわなければ。
「離れて爆発させる。これで魔方陣が消えればいいんだが」
 もっとも、心中ではそれは難しいだろうなとも思っている。魔術方面にはあまり造詣深くない自分だが、こういったものがこんな乱暴な方法で破壊できるとは思えない。
 ただ、結果というのは行為についてくるものだ。やってもみないことをあれこれ論じてみても始まらない。特にこういった分野であれば、答えを出すのは簡単だ。やってみればいい。
「そっか」
「まあ、駄目なときは、考えよう」
「うん」
 シンプルな結論に、時緒は素直にうなずく。おそらく本人にさえ読み解きがたい複雑さを持った彼女は、一面こういうことにはあっけないくらいのシンプルさを発揮する。つい微笑んでしまったことになんとなく負けを感じて、創一朗は顔を背けるようにさらに魔方陣から歩いて距離を置いた。
「うーん、これで駄目なら魔法詳しい人に相談かなぁ?」
 顎に指を当てるようにして考え込む素振りを見せながら、彼女は創一朗の後をついてくる。安全だろうと目した位置から念のため更に15メートルほど距離をとり、創一朗は考え込みながら歩く彼女が横を通過するのを待ってから、爆破ボタンを押した。目映い閃光が人気のない海岸を一瞬染めかえ、土砂が柱のように立ち上って辺りに粉塵をまき散らす。
 爆発に生まれた砂柱が消え、あたりの空気が収まるのを待ってから、創一朗は防波堤を飛び降りて小走りに魔方陣のあった場所に向かった。一目見て、落胆が顔にかげりを落とす。
 大量の砂を巻き上げたにも関わらず、魔方陣は依然としてそこにあった。予想していたとはいえ、やはり残念なことには変わらない。
「ダメか」
「魔法かあー・・・」
 自分の後ろからその場をのぞき込むようにした時緒が、同じくため息をついてゆらりと首を振る。落胆の具合は伝わってきて、わずかに胸をきしませた。時緒には、いつでも笑顔でいてほしい。そう出来ないのなら、自分がその原因を取り除く、そうと決めている。だが、そうはいかないことは往々にしてあるのだ、今のように。そういう時、この胸はきしむ。
 それでも、自分が万能ではないことを、彼は冷静な視点で重々認識していた。
「まあ、詳しいのに相談するしかないな」
「そうだね。んー・・・」
 ぎゅっと眉根を寄せて、時緒は魔方陣を、次いで辺りを見回した。おそらくはなにが出来るのか、それを考えているのだろう。そういうところは、自分と彼女はよく似ていると思う。出来ないことを悲嘆しても、足は止めない。自分なりに出来ることを、模索しようと努めるのだ。
 三度目の微笑みを口元にのぼせながら、創一朗は時緒に背を向けて携帯を取り出す。繋がった先に簡潔に状況を説明すると、相手は素っ気なく了解した、とだけ答えた。
 とはいえこの男が了解したというのなら、もうこの件に関して心配はなくなったといっていい。魔術師を派遣して相殺するか、もたらされたデータから解析して無効化するか、あるいはまったく違う手を使ってくるか、いずれにせよこの件は片づいたも同然ということだ。
「役目終わりだ、遊びに行くか?」
 携帯をしまいつつそう水を向けたが、時緒の眉間の皺ははれない。彼について防波堤の方に向かいながらも、名残惜しげに砂浜を振り返っている。
「うん。でもちょっと心配・・・」
 気持ちは、理解できる。ここは彼女にとって大事な国だ。このような意味不明で怪しげなトラップを仕掛けられれば、気分が悪いではすまないだろう。
「まあ、そりゃそうだが、専門外だ」
「でも専門外だから、いても役に立たないか」
 慰めるように口にした言葉が、彼女のつぶやきとかぶる。ぱっと顔を上げて、彼女は驚いたというようにぱちぱちと瞬きをした。
「さわるほうが、悪いだろう」
 重ねてそう言うと、彼女はぱあっと笑顔になった。もっともそれは、今の言葉だけに反応してのものではないようだったが。
「そうだね」
 頷きに笑い返して、手を差し出す。いつもいつも、もう長いつきあいになった今でも、この瞬間は緊張する。とらえがたい複雑さをもつ彼女のバイオリズムは、彼女自身の思惑を超越したところで受け入れるか受け入れないかの判定を下す。その判定を前に、いつだって祈るような気持ちにならずにはいられない。
 幸いにして、今日の彼女はこちらを受け入れるのになんの問題もないようだった。預けられた小さな手を力を入れすぎないように加減しつつ握る。
「どこいくの?」
「考えてない」
「そう言うと思った」
 笑い声は朗らかで、緊張の名残を溶かしていく。先に立って市街地の方へと足を向け、創一朗は彼女が喜んでくれそうな案をいくつか頭の中に思い浮かばせた。
「映画でも見るか」
「うん、最近映画見てなかったな」
 嬉しげな同意に頷いて、二人は鍋底地方の繁華街へと向かった。

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「そういえば、鍋の国に戻ってからどう?」
 さすがに繁華街ともなれば人の数も活気も段違いで、二人は喧噪をぬうようにして映画館への道を歩いていた。握った手をゆらゆらと揺らされて、創一朗は辺りに配っていた視線を一瞬だけ横に投げた。
「どうって? ・・まぁ、今のもいいんじゃないか?」
 過去、何度となく戦火に飲み込まれたこの国は、そのたびに逞しく蘇っている。言ってしまえば共和国帝国問わずNW全域がそういった案配ではあるのだが、他の国に比べてより顕著なのは、この国の中核にいるPLたちの健気な努力とそれを放っておけないACEたちの奮戦だった。この国はACEとPL双方がしっかりと手を携えあっており、その強固な結びつきによって今までも、そしてこれからも続いていくだろう。
 その上に、基本的には過ぎたことを思い煩わない南国気質の国民だ。人々はひとしなみに前を向いており、それが今の活気を呼び覚ましているといえる。
 大通りを行き交う新型のバイクをなんとはなしに眺めながらそんな答を返すと、時緒は少し首を傾げてからにこっと笑った。
「そうだね。なんかすごいなぁ」
 そんな感嘆を漏らしつつも何か言い足りていないようなそぶりに、創一朗は改めて時緒の顔を見返した。促す視線を受け止めて、時緒は眉尻を下げる。
「んー。偵察のためって聞いたから。変わった事あった?」
 こちらを案じる言葉に、どう答えようかと一瞬考えた。だが、心配するなとだけ口にしたところで意味はない、特に彼女には。
「まあ、偵察というか、国がうさんくさくなりだしてな」
「うさんくさく・・・?」
 考えつつ正直に口に出すと、彼女は不明瞭な表情になって首を傾げた。
「未来予知者がやばいことを言い始めている」
 笑顔の消えた顔は不安げで、話し始めたことをやはり多少後悔した。しかし、中途半端で止めるわけにもいかない。案の定、眉をひそめつつも彼女は身を乗り出してきた。
「そうなんだ・・・。どんなこと言ってるの?」
 答える前に一拍置いたのは、もったいをつけたわけではない。彼女を襲うかもしれない衝撃を、受け止める心づもりをしたまでのことだ。
「クーリンガンが来て、俺たちを殺す」
 はっきりと顔をこわばらせ、彼女は握る手に力を込めてきた。堅い手は冷たくて、彼女の動揺の具合が伝わってくる。判っていたことではあるのだろうが、こうして形にしてしまえば、やはり衝撃は免れないだろう。
 あえて軽い調子で、創一朗は彼女の顔をのぞき込む。
「まあ、というわけで、さすがにやばいと戻ったわけだ」
「・・・うん」
 血の気の失せた顔で、どこに向けていいのか迷っているように、視線がふらりと揺れている。いまだ柔らかさを取り戻せない手を、創一朗はぎゅっと握った。彼の元に戻ってきた視線に、微笑みかける。
「なんとかするさ」
 そう言うと、わずかではあったが、表情がほぐれた。とはいえまだまだ緊張の残る顔つきのまま、時緒はこくりと頷く。
「うん、私に出来ることがあったら言ってね」
 彼女の優しさと責任感を感じて、自然と微笑みが深くなる。その言葉だけで十分だ、といったら、また彼女は気にするだろうが。
 手をつないだまま、ごく自然に寄り添って歩く。なにを思っていたのか沈黙を続けていた彼女は、映画館の看板が見えてきたところで、ぽつりと呟いた。
「クーリンガンかぁ・・・、なんか複雑な気持ち・・・」
 掲げられた看板から一番娯楽色の強そうなものをチョイスして、窓口に向かう。
「お前は嫌いじゃないだろうからな」
 大人二枚、と窓口の係に声をかけながら、自分の思考に沈み込んでいるような彼女にそう声をかける。視線をまた遠くに向けたまま、時緒はどこかさまよっているような心細げな声で答えた。
「うん・・・。嫌いではないんだけど、何とも言いがたい気持ち・・・あ、ごめん」
 切符を差し出すと、ようやく思考の森から抜け出してきというように、時緒は瞬きののち申し訳なさげな顔になる。この程度なんという事のない金額ではあるが。
「あとで昼飯でもおごれ」
 そう言うと、彼女はようやくまた笑顔を見せた。

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 その映画を選んだ理由は単純で、難しいことをなにも考えずに笑えるんじゃないかと思ったからだ。いろいろ不穏な現状だが、かといって眉間に皺を寄せて考え込んでいたところで、解決するとは限らない。
 スクリーンでは、どこかで見たことのあるディテールのロボットの群が、これまたどこかで見たことのあるディテールの合体変身ロボットにわらわらと群がっては吹き飛ばされたりしている。その動きがいちいちコミカルで、場内には何度となく笑い声が起こっていた。
「退屈か?」
「ううん。何かこういうの久しぶり」
 そんな中でもやはり気になってしまうのは彼女の反応で。肘掛けに乗った彼女の手を包むように上から手を被せ、そっと問いかけると返ってきたのは笑顔を交えたそんな答だ。
「難しい映画じゃなくてよかった」
「デート中に寝たら、怒られそうだからな」
 叩いた軽口に、彼女はスクリーンから目を離し、創一朗に向かって首を傾げてみせた。掌の中で小さな手がくるりと返され、ぎゅっと握りしめられる。
「寝てないの?」
 スクリーンから聞こえる爆発音に紛れた心配そうな声に、創一朗は真面目な顔を作って重々しい素振りで答える。
「いや。趣味の問題だ。これ以上は機密だな。たぶん」
 光に照らされた白い顔に、笑みが浮かぶ。
「機密って何」
 にぎにぎと手を撫でるように握られ、装った生真面目な表情はすぐにかき消された。
「ははは」
 つい漏らした笑い声に、軽やかな声が重なる。広い映画館で、二人だけが共有する笑いだ。
 スクリーンではロボット将校たちがコントさながらの言い合いを見せて、一挙一動に笑いの波が劇場を揺らす。シュールな情景に遠慮なく笑いながらちらりと横を見ると、時緒も小さく手を叩きながら笑っていた。
「なかなか面白いじゃないか」
 そっと体を傾けて耳元で囁く。振り向いた笑顔は屈託を置き去ったそれで、そんな反応に軽くなった気持ちが、更に軽口を叩かせる。
「こういうのもいいな。キスできないのが残念だが」
「うん。何かデートっぽい」
 笑顔のまま口にされた『ぽい』の一言に、思わず眉が動いた。ぽいもなにも、デートのつもりだったのだが。あれ、という引っかかりをうまく処理する前に、時緒は思い出したというように自分の方からも顔を寄せてきた。
「そういえば、シリアルちゃん来た?」
「毎日きてはいるな」
 唐突に変わった話題に、なんとか体勢を立て直す時間をひねり出しつつとりあえず答える。
「よくわからんところが、お前に似ている」
 例えばこのシチュエーションで『デートっぽい』という回答をしてくるところとか。いや、別に恨みに思ったりはしてない、本当に。
 多分、デートと認識してしまえば、彼女の心には余計な負担がかかることになる。そんな無理を強いる気は毛頭ない。彼女が喜んでくれれば、笑ってくれれば、それだけでいい。それだけが、自分の望み。それだけが、自分の存在意義だから。
「そっかあ。…って、私ってよくわからないの?」
 予想よりもずっと派手に驚かれて、微妙にしょんぼりとした風情に思わず口元がほころんだ。
「なんでも分かる範囲のやつよりは、ドキドキしたほうがいいと思うが。違うか?」
「そうかも。よくわかんない」
 暗に匂わせたメッセージはあっさりとスルーされ、時緒はむーと眉をしかめて考え込む素振りを見せた。ぱちっと目を瞬かせて、まっすぐに創一朗の目を見返してくる。
「シリアルちゃんって、ラブラブな所に来るんだと思ってたんだ。私ずっと来ないかなあ、って思ってたんだよね」
 え。
「俺たちはラブラブだと・・・思ってた」
「思ってたけど、来なかったよねー」
 時緒はちょっと照れたように顔を赤らめてふふっと笑い……目があった途端に不思議そうな表情を見せる。どうしたのと言いたげな視線を前に、彼女に気遣わせまいとするその気持ちだけで、かろうじて体勢を立て直して。
「いや・・・まあ、次からがんばる」
「ん?」
 当然ながら意味の判っていなさそうな問い返しに、創一朗は根源力の底から浚いつくす勢いで気力を振り絞り、にこりと微笑んだ。
「まあ、気にするな」
 数倍の評価値の相手とやり合うよりも、正直疲れた。

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 自室に戻り、すり寄ってきたくーにねだられてエサの容器をかりかりで満たしつつ、今日一日のことを反芻する。
 思い返してみれば、別に時緒は自分たちの仲を否定したわけではない。客観的に見ればそれこそ、シリアルの存在で仲の良さを保証されたようなものだ。主観的にも客観的にも、なんのズレもない、大丈夫だ。
「そうとも」
 ようやく冷静な判断というものを取り戻して、一人力強く頷く。自分たちの仲は鉄壁だ。なんの問題もない。
 我関せずとばかりに一心不乱に食事をするくーを見ているうちに、色々気負った部分までもがようやく薄れていく。その場に腰を下ろして、創一朗はゆっくりと深呼吸した。
 今日は、出来事からしたら仕方ない事かもしれないけれど、少し彼女の笑顔分が少なかった。次に会うときには、本当にただ一緒にいる事だけに集中しよう。よほど緊急性の高い用件以外は、なんとか断る方向で。
 勿論、この世界に続く危機を回避あるいは解決するための努力は惜しまないつもりだが、その為に彼女の笑顔が失われてしまうのなら本末転倒というものだ。
 時緒にはいつも笑っていて欲しい。出来るだけ多くの喜びと楽しみを、手渡せたらいい。自分にとってはそれが、なにより一番大切なことだから。


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引渡し日:2010/01/02


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最終更新:2010年01月02日 17:38