緋乃江戌人@るしにゃん王国さんからのご依頼品


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 轟音。次いで、轟音。
 まるで爆撃でも受けているかのような音の連鎖の中を、朝比奈あやめは駆け抜けていた。
 進行方向、姿の無い敵の攻撃で粉砕された枝が、疾駆するあやめの速度に比例し、その破壊力を、切れ味を増していく。頬を掠めただけで、彼女の柔肌は閃熱が赤い線となって裂けた。
 まずいな、とあやめは心のうちで僅かに後悔する。流石、現状最大の危険地帯。国土の大半が木々に覆われているおかげで数的不利はむしろ有利に働くかと思えば、そんなことは無かった。
 障害物など関係ない、迫撃砲じみた攻撃。加えて、伝聞が確かならば光学迷彩。むしろこの森は相手に有利に働いているといっても過言ではないだろう。
 再び、轟音が頭上を掠めていく。あやめは衝撃を殺すように前のめりに地面を転がりながら、素早く木の幹の間に身を潜めた。
 敵はどれだけの数で、どこにいて、どれだけのものなのかを測らなければ話にならない。相手が光学迷彩を使っているとしても、だ。あやめは幹の間から耳を澄ませ、目を凝らし、敵の姿を探す。
 静寂に息を呑む。深い森の中にいるというのに、まるで気分は高層ビルの屋上、それも落ちるか落ちないかの境にいる気分だ。

 見つけた。

 そよぐ風、木々のざわめき、鳥の囀り、川のせせらぎ。耳に入ってくる様々な自然の音を次々にシャットアウトしていったあやめの聴覚に、地面の沈む鈍い音だけが捉えられた。
 大きい。一歩一歩を踏み出すたびに上げられる地面の悲鳴は、人のそれよりもはるかに大きい。5倍、いや、8倍近くはあるかもしれない。
 単純計算で全長10m前後。それを前提に折込、あやめは木々の向こうへ視線を投げる。自分よりも遥かに高い位置で、不自然に揺さぶられて舞い散る葉が、ゆっくりと近づいてきているのが見えた。
 目を凝らせば、ほんの僅かながら、周囲の空間が歪んで見える。間違いない。あそこに何かがいる。そしてそれは、味方ではない。
 さて、どうするべきか。
 聖紫号でも持って繰ればよかったが、生憎こちらは生身。打てる手はそう多くない。ましてや、相手が巨大ならばさらにその範囲は狭められる。
 ……逃げるか?
 しかし、その判断は一瞬遅かった。
 戦車のような行進音が、その速度を上げて隠れている木へと突進してくる。木々の葉が、まるで波のように大きく舞い上がりながら近づいてくるのが、あやめの視界に入った。
 回避が間に合わない――? 頭がそう思うよりも早く、本能であやめは幹から飛び出し、全速力で森の中へ再び飛び込む。飛び出した直後、すぐ後ろで激しい音とともに木が根元から粉砕されて飛び散った。
 身を低くし、破片の雨を避けながらただ走る。
 どうする? 逃げたところで何も状況は変わらない。むしろ相手のほうが巨大で速度も上である以上、この逃走は単なる時間稼ぎにしかならない。その稼いだ時間をどう使う、朝日奈あやめ――?
 身体をただ脚を動かすことにさせながら、あやめは思考を巡らせる。極限状態で自然と研ぎ澄まされた感覚が、揺れる木々の音を捉えた。敵のものでも、自分のものでもない。ほんの僅か、身を潜めているかのように小さな音。

 戌人――?

 いやいやいや。いくら増援の心当たりが無いからって、なんでその名前が出てくるんだ朝日奈あやめ。
 軽く思考が錯綜したと同時に、背後から迫る足音がその速度を落とす。
 何かあったのか? そう思い、間合いを開きながら振り返ってみれば、相手の位置を示す大量の葉の舞が、一箇所に留まっているようだ。何かを探すように、右へ左へ、上半身を振り乱している。
 状況がまったく飲み込むことができない。誰かが何かをやったのかもしれないが、何をやったのかをあやめが理解できない以上、感謝すべきかどうかも悩ましい。
 ……チャンスなのか?
 あまりに予想外で、突拍子も無い相手のアクションの意図を確かめようと、あやめはじっと観察する。
 上半身……頭を動かし、何かを探している? それが見つけられていない……そして、諦めた――ッ!
 電光が走ったように、あやめはハッとして我に返り、腰を低く落とす。
 目の前には唐突にまた彼女をターゲッティングした見えない巨体。右への回避も、左への回避も間に合わない。相手のほうが速い上に大きい以上、後ろも上もありえない。つまり、存在する生還ルートはただ一点。

 正面のみ――ッ!

 あやめが姿勢を前に屈める。逃げるためとは思えない、肉食獣が獲物に飛び掛るかのような戦意をむき出しにした構え。全身の体重がかけられた軸足の先は、深く地面を抉る。あとはタイミング。
 見計らうあやめ。突撃してくる不可視の敵。そこに、一陣の風切り音が乱入した。
 タン、という小気味のいい音とともに、一発目の矢が敵の足元に突き立つ。当然、10mはある巨体の皮膚が、一本の矢で貫けるはずも無い。歪んだ空間を纏った敵は、何も無かったかのように突撃を――という刹那、立て続けに二本の矢が一本目の影を縫う様にして三度足元へ突き立った。
 足元への連続した衝撃。小さな波であったそれらは互いに重なることでその大きさを増し、一瞬だけその片足の動きを止めた。
 相手の大きさを考えれば、その一瞬は致命的なバランスの崩壊に繋がる。敵の持っていた巨大な運動エネルギーは急な停止に対応できるはずも無く、物理法則に従い、殴り飛ばされたように地面へと倒れていく。その様子、いや、一連の流れを、あやめはただわけもわからずに見惚れていた。
 そして、ぼんやりとしているあやめに、4本目の矢が突き刺さる。

「逃げるよ! こっちへ!」

 突き刺さった矢はそう叫ぶと、あやめの手を引いて駆け出す。

 ――ああ、そうか。

 その声に、手の温もりに、張り詰めていた緊張の糸が一瞬で解きほぐされるのをあやめは感じ、自分がぼんやりとしていた理由に気がついた。

 朝日奈あやめは――今、安心していたんだ。

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最終更新:2009年09月18日 21:47