松井@FEG様からのご依頼品


 入口にかけたプレートは、こちらに営業中の文字が向いている。その僅かな傾きに眉を潜めつつ、総一郎は手と口を使いながら腕に包帯を巻いていた。
 怪我の原因は……今となってはまぁ、わりとどうでもよかった。元々総一郎は、自分の興味の趣く先でなければ、けっこう無頓着なところがある。ものであれ人であれ、その範疇から外れた対象に対してはぞんざいになることがままあった。
 そもそもこの喫茶店だとて、けして訪れる人の笑顔が見たいなどと言ったサービス精神から生じたものではなく、原型は己が美味しいコーヒーを飲みたいが為に行った研鑽が、いつの間にか発展してこうした形になっただけの話だ。もっとも始まりはどうあれ、今のこの状態は彼にとって満足のいくものだったが。
 そしてこの形になったもう一つの要因は……その対象に思いを馳せるときにいつもそうなるように、総一郎は無意識のうちに微笑とも苦笑ともしかめ面ともつかない不思議な表情を浮かべていた。微笑としかめ面を同時に表現するなどアクロバティックもいいところだが、事実彼の中での相手の存在位置がそうしたものであるのだから、これはもう仕方のない話なのだ。もっとも浮かべている当の本人に、しかめ面はともかく微笑の自覚は露程もなかったが。
「私が巻きますよ」
 背後から近づいてきたのは、まさに思い浮かべていた人物そのものだった。星見の塔を兼ねたこの喫茶店の設計者でありオーナーでもある、彼の妻だ。普段は二階の居住区から、ほとんど下りてくることはないのだが。
 失敗したな、と心に苦い思いが広がる。彼女自身がやってくる前に済ませてしまうつもりだったのだ。第一に怪我の原因も含めて、心配させるようなことではない。だが、そんな言葉は彼女にとって意味をなさないだろう。そして第二には。
「たいした傷じゃない」
 腕を彼女の方向から隠すようにしながら、総一郎は首を振る。気持ちは大変ありがたい。ありがたいのだが。
「傷の程度は関係ありません。他人が巻いた方が効率よくできるはずです」
 いつかは生真面目な表情を崩すことなく、総一郎の方に更に身を乗り出してくる。眼差しに煌めくのは紛れもない心配の色で、総一郎はやむなく手を止める。こうなったら、いつかに断念をさせることは自分には不可能だ。
「痛くするなよ。あと、巻きすぎるな」
「はい」
 それでもせめてもの予防線に、そう釘を刺すことだけは忘れない。神妙な表情で包帯を受け取り、いつかは隣の席に腰を下ろした。くるくると、思ったよりは器用に白い包帯が腕に巻かれていく。
「で、どうしたんですかこれ」
「たいしたことじゃない」
 気遣わせないようにと言うよりは、半分以上本気の言葉だったのだが、推測通りいつかはそうは取らなかったようだった。ぴこりと耳が震え、腕に向けられていた視線が上がる。同時にいささか強過ぎる勢いで包帯を引かれ、歪んだ傷口から痛みが火花となって半身に伝わり、総一郎は思わず声を上げていた。
「たいしたことじゃない、ですか」
 唇を尖らせるようにしたいつかに返す言葉も咄嗟には見つけられず、総一郎は痛みの波が引くのをただ待った。
「……今、な。傷は昨日の時点で……もういい、貸せ」
 いつかの手から、包帯を奪い返す。まぁこんなオチが来ることは、はなから予想できていたわけだが。
「ごめんなさい」
 止めた息を吐き出すような空気が、謝罪の言葉となって耳に届く。悄然となった空気は十分に伝わってきてはいたが、今はそちらに視線を向ける気にはなれなかった。
「気にするな。分かってたことだ」
 横合いから向けられる窺うような気配を知りつつ、総一郎は振り向かず包帯を巻き付けていく。
「いつもの楽しいイベントってやつだろう」
 彼女は、思いつきやひらめきで行動するときがある。それに自分が振り回されることも、昔からままある。そうしたことについて思うことがないわけではないが、そんな部分も含めて彼女を愛しく思っているのは否定しようのない話なのだ。
 包帯を巻き終わってもまだ続く沈黙に、総一郎はようやく彼女の方に向き直った。硬いというより強張った感じの無表情を唯一代弁するのは、しおしおと折れた耳だろう。
「怒っていますね」
 まっすぐにこちらを見つめる瞳の色は冷たく澄んだようで、こちらの表情からなにもかもを感じ取ろうとしているように、張り詰めた空気が感じられる。
「お前は怒ったり悲しんだりで大変そうだな」
 それを躱そうとしたわけではない。そもそも、魔術師は無駄な言葉は口にしないものだ。己の言葉が持つ力を知っていればこそ、魔術的に有用である言葉を言い回すことを重視する、それは当然の振る舞いなのだ。それ故言葉がきついと言われたり人を傷つけると言われたりはするが、無駄に飾り立てたり歪んだりした文言を紡ぐことで相手に与える害は、計り知れないのだから。
 だが、彼女の瞳に刻まれた透明な亀裂に、彼はまたしても自身の失策を悟らされる。未だ、言葉の持つ両面のバランスをうまく取る術を会得してはいない、そういうことなのだろう。
 皮肉なものだ。一番傷つけたくない相手を、傷つける頻度が一番高い。それはすぐ傍らにいつでも、どんな時でもいて欲しいと、望む故だ。
「悪かった、怒るな、悲しむな」
 一息に口にした謝罪に、いつかはむしろ驚いた様子でぱちぱちと目を瞬かせた。
「いや、そうじゃないです。私は怒ってません。ただ久しぶりに会ったところ怪我をしていたのでびっくりしただけで」
 同じように駆け足で口にされた言葉は、やはり硬い。爪の立てようのない強固さを感じて、総一郎は僅かに身を乗り出し、いつかの顔に視線を注いだ。
「怒ってる」
 断定する言葉に戸惑ったようにいつかはもぞもぞと身を竦め、ややあって視線を落とした。細い声は、紡がれるほどに淡く薄れていく。
「心配するなと言われたので心配しないように…」
 怖い、と時折思う。自分の持つ力が彼女に与える影響を思うと、些細な一言を口にのぼせることさえ躊躇いたくなる。
 だが、それではなにも生み出さないことも、この身は知っているのだ。
 手を伸ばして、細い体を抱き寄せる。崩れた体を抱く腕に、かたく力を込めて。
「俺の言うことを一々全部真に受けなくていいんだ」
 耳元に、静かに囁きかける。僅かの間を置いて、腕の中で彼女の体が柔らかく解けた。
「はい」
 同じ温度の囁きを返したいつかは、回された腕を抱きしめるようにしてくすりと笑う。すり寄るような動きに柔らかな体を抱き直し、総一郎も応えて笑った。互いの温もりを確かめ合うように暫くそうして、呼吸さえも緩やかに。
「家は、どうですか?」
 ふと、腕の中から自分を見上げる紫の瞳に、総一郎は首を傾げる。
「家?」
 総一郎の腕に掴まるようにして、いつかは店内に首を巡らせる。同じように視線を向けて、総一郎は短い間にすっかりなじんだ場所を、改めて見回した。
「なんだかいつのまにかもりだくさんになってしまいましたが」
「ああ。そうだな」
 店内部分は中央に置かれたレプリカの天球儀がアクセントとなっている、全体的にシンプルでいて居心地のいい空間だ。
 その表の顔に隠されているのは、重要度では勝るとも劣らない星見のための空間。二階の居住区も併せて、世界に二つとない、自分たちだけの場所だ。
「まあ、変な家だが、気に入ってる。たまに投石とかされるがな」
 淡々と事実を口にすると、彼女は思った通りに顔をしかめ、ぽつりと呟きを落とす。
「やっぱり…」
「何が?」
 聞きとがめると、いつかは困ったように腕の中で身じろいだ。
「いや、その、最近魔法使いとか星見司の人が世間の風当たり強いからそういうの、あるのかなって思いました」
 ……ちょっと待て。
「俺は魔術師だ。魔法使いじゃない」
「じゃ、なんで投石なんてされるんですか」
 そこは問題じゃない。いや問題は問題だが、その前に訂正するべきところがあるだろう。
「……」
 じーーーーっと見下ろしてもこちらの眼差しに動じた様子もないいつかは、恐らくなにも判っていない。そこへ座れとでも言ってきっちり分からせたいところではあったが……まぁ無駄だろう。下手をすればこちらのダメージが倍増しそうだ。
 溜息一つでその考えを放棄し、総一郎は一つ咳払いをして気持ちを切り替えた。いつものことではある。
「まあ、誤解や偏見はどこにでもあるな」
 どこの世界でも、それは変わらない。悲しいことではあるが。
 いつかは悲しげに眉を潜め、身をちぢこませるようにしてから総一郎を見上げる。
「あの、犬妖精の子は…大丈夫?」
 ここがにゃんにゃん共和国であるからには、当然の心配だろう。特に第七世界人、そしてACE達にはそういう意識はもはや希薄なものとなっているが、犬と猫はもともとは敵同士の間柄だ。
「いじわるされたりしてない?」
 心配げな色を乗せて瞬く瞳に、総一郎は微笑みかける。
「俺よりは随分もてているな。理不尽な話だ」
 誇り高きFEGの民達は、彼らの敬愛する王の薫陶もあってか、心中どうあれそういった態度をあらわにすることは滅多になかった。むしろ(自分たちは足を踏み入れられない喫茶店ということもあってか)、特に子供達は、たまに外へと出てくるモカのことを楽しみにしている節さえある。
「俺が守る。安心しろ」
 そう付け加えてやると、いつかはようやく安心したようにほっと息を吐き出した。再び総一郎の胸に身を預け直して、小さく頷く。
「がんばりますから、こういうの、なくなるように」
 体に回された総一郎の腕を、いつかはうつむき加減でじっと見つめていた。真剣すぎる横顔に、腕に改めて力を込める。
「なくなるさ。すぐに」
 なんのために自分が、ここにいると思っている。忘れているなら何度でも、思い出させてやるだけだ。
『他の人にはしませんが、貴方は別です。あなたは、私の一部みたいな物ですから、できることならなんでもしてもらいます』
 そう言ったのは、お前だろう?

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「結婚指輪のお返しなのですが」
 彼女を腕に抱いて、ややウェーブのかかった髪を撫でつつ彼女の話を聞く。訥々とした語り口がややぎこちないのは、ほんのりと上がった体温と同じところに原因があるのだろう。
 紡ぎ出されたその言葉に、総一郎は手を止めた。
「自転車とかの方がよくないか。いやいいが」
「じ、自転車ですか」
 戯れの言葉に、いつかは見開いた目をぱちぱちと瞬いた。真面目に驚くリアクションを取られてしまっては、もう苦笑するしかないだろう。
 ぴんと立った耳につつくように触れて、それからまた柔らかな髪を撫でる。
「結婚指輪のお返しを兵器にするというのは、俺を守る意味では適切だが、どこか悲しい」
 静かな言葉を受け止めるようにへにゃりと耳を寝かせて、いつかは総一郎の胸元に視線を落とした。気むずかしげな顔で、なにを思っているのかまでは分からないけれど。
「指輪を作ってもよかったんですけど、総一郎の趣味はよくわかりませんし」
 まだ迷いの影を貼り付けたような答に、総一郎は低く笑う。それは豊かな響きだった。
「そもそも俺は現実主義者だ。ファンタジーじゃない。他とは違う。俺の趣味は・・・」
 どんな言葉が適切か、再び手を止めて総一郎は宙に視線を飛ばす。目に止まったのは、精巧に形作られた天球儀のレプリカだ。
「地味、堅実、常識的だ」
 一言一言区切るように告げたあとすぐに彼女の顔を見下ろしてしまったのは、彼女のリアクションがある程度予想できたからだ。しかし。
「そうですか…」
 そう、呟くようにして、それからいつかは総一郎に身を預けたままにこっと笑った。
「なんか、安心しますね」
 想像とかなり違った反応に、今度瞬きさせられたのは総一郎の方だった。
「そうなのか?」
 正直、予想外だ。
「俺はずっと、お前が面白くないというと思った」
 なにをいうんです、そう言いたげな表情で、いつかは一度総一郎から身を離すようにしてから、改めて彼の顔を覗き込んできた。
「普通なものがあるから、面白い物が面白く感じられるんですよ。基準が変だったらみんな変になってしまう」
 噛んで含めるような優しい語り口に、釣り込まれるように笑みがこぼれてしまう。それは胸の内に花が咲きほころんでいくような、そんな感覚。
「お前が俺のことを思っているのは、良く分かった」
 総一郎は顔を赤くして抱きしめた後、腕の痛みに顔をゆがめた。足早に遠ざかっていく気配に、目を閉じて心の中で一言謝罪する。忙しい中、自分の腕の調子を気にしてきてくれたのだろう、それなのに気を使わせてしまったわけだからして。
 次にサーラが訪れたときには必ず彼女に合わせた美味しいコーヒーを振る舞うことを誓って、総一郎はもう一度しっかりと、腕の中の愛しい存在を抱き直した。


作品への一言コメント

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  • 元のログが仲がいいんだか悪いんだかな微妙な感じだったのにもかかわらず丁寧な描写でやさしい物語にしていただきありがとうございました。読みながら少々照れてしまいましたが、幸せな気持ちで読ませていただきました。 -- 松井 (2009-08-03 23:38:39)
  • 楽しんで頂けたようで、ほっとしております。総一郎さんを書くにあたって色々と考えさせられることもあり、よい体験となりました。ご指名頂き、本当にありがとうございました。お二人がこれからも幸せであるように、心よりお祈りいたします。 -- ちひろ@リワマヒ国 (2009-08-04 07:46:02)
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最終更新:2009年08月04日 07:46