榊遊@愛鳴之藩国様からのご依頼品


 尻尾がパタパタ揺れている。

 おでんを頬張るだけでこれほど幸せそうな人というのも珍しい。
 いろいろ考えて、とりあえず切り分けた大根に小さく噛みつく。
 思った以上に柔らかくて、だし汁が口の中であふれた。ちょっと熱い。
 おでんの熱が体にやわらかく染みてくる。
 温度そのものが甘い味のように体を満たして、背中の寒さを忘れさせてくれるのだ。

 次は何を食べようかな。

 玄乃丈さんは目を閉じて震えている、尻尾も震えていた。
 しばらくそれを見つめてしまう。
 次はタコの足にしよう。

 犬の国のいうこともあるのだろうけど、玄乃丈さんは思った以上に無防備だ。
 指摘すれば拗ねるくせに、尻尾をパタパタかわいく振っているのである。

「ところで寒くなかったのですか?」
「懐ほどではないさ」
「トレンチコートとかは持っていらっしゃらないので?」
「コートか」 ごぼ天に噛みつき、「まあ、探偵と言えばトレンチコートだな」
「黒服とのコーディネートの結果でしょうか?」
 まあ、そもそもそのスーツ、夏服なのでは――とは聞かないことにする。
「いや、買う金がなかった」
「そうでしたか...」予想通りの回答だった。
「寒いのは苦手ではないのですか」

「ああ、まあ...いや、確かに苦手ではあるが」 言いよどんでいる。

 尻尾の振りが少し遅くなった。
そのふわふわの尻尾を見て,

「ああ――」
「なにが、ああだ?」
「いえ...なんでもありません」

 犬(?)に戻れば毛皮で寒さも凌げるのだと気づいて、思わず声を上げてしまった。
 もしかして、お家では犬に戻ってるのかも
 こっちのそぶりで言いたいことを察知した様子の玄乃丈さんが、少し拗ねている。

――なるほど。

(玄乃丈さん、こちらの視線に気づいていらっしゃるのでしょうか。ということは)

...まあ、あまり深く考えないことにしよう。
 本気でとことん拗ねてしまうかもしれない。

 しかし、本当に寒そう。
 待ち合わせしていたときの玄乃丈さんは特に。捨て犬みたいと思ってしまった。
 今度コートプレゼントしようかなと考えてしまう。彼はどうやったら受け取ってくれるだろう。

 正攻法ではまだまだ無理そう。
 探偵と依頼者、スタッフとクライアント、金を貰う方と渡す方。
 いきなりコートをプレゼントするような間柄ではないかも。

 経費でいいので買ってくださいというのはどうだろう。
 クライアントの命令、理由は「見ていて寒い」

――拗ねそう。

 それより、犬に戻って寒さを凌げるのならコートより食べ物や食事券の方がいいかな。

「どうした。」 彼は箸が進んでないのを気にしている様子だった。「考え事か?」
「はぁ、貧乏が敵になるのかもしれません」

 それは私が貧乏になると言うのではなくて、今後の私にとっての敵になるのではという意味で。
 貧乏じゃなければ、貧乏じゃない玄乃丈さんって想像難しいけれど。

「貧乏は探偵の相棒だ」 どこまで理解しているのか、玄乃丈さんはちくわに噛みつきながら。
「日常で薄笑う理不尽こそが、正義を為すための力になる」

「はぁ、」 それはなんというか、「我慢強いのですね」

「まあ、腹は減るけどな。親父、はんぺんをくれ」
「あいよ」

 玄乃丈さんは一呼吸置いてから、口の端だけで笑った。

「我慢じゃないタフさ。タフでなければ生きていけない」

「やさしくなければ生きていく資格がない――かい? へい、はんぺん一丁」

「...なんだか車のCMみたいですね」
「ははは、そうだな」
 親父さんが快活に笑った。

 玄乃丈さんは無言でハンペンを噛んでいた。
 尻尾がちょっと、垂れている。
 ちょっといいこと言おうと思ったのに、見事に邪魔されたという感じである。

――よくわからなかったけれど。

 ハードボイルドって以外と大変なのかもしれない。
 今度はおでんを作ってこようかなあ。

「次はどちらでお会いします?」
「そうだな――遭難しなけりゃどこでもいい」
「判りやすくて暑いところにしますね...」

 暑ければ暑いで、黒スーツは大変そうだなあと思いつつ。
 とりあえず、おでんを作るのはやめておくことにした。

「卵とすじ肉」
「大根とタコお願いします」
「へいよ」


(つづく)



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引渡し日:2009/06/09


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最終更新:2009年06月09日 21:06