和子@リワマヒ国様からのご依頼品


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「ああ。そうだ……」
「はい?」

 背中を向けて歩き出す男の思い出したような呟きに、その後ろをとことこと、子犬のようについて歩く女は小首を傾げてみせる。
 立ち止まり、その姿が見えるように向き直りながら、男は目深に被っていた帽子を女の頭に預けた。

「誕生日プレゼントだ」

 男の言葉に、女は瞬間的に茹で上がった。真っ赤に染まった顔で彼を見上げながら、言葉にもならないような早口で『ありがとう』を繰り返す。
 もっとちゃんとしたものを、とも思うが、その帽子は男の所持品の中ではどんな宝石や花束よりも意味のある物だ。幾度の世界を共に見送り、幾度の戦場を共に越えて来た最高級の品物だろう。

「ここで、じっとしてろ。できるか?」
「ついてっちゃだめ……?」

 笑顔の見送りとはいかないが、男という人間からしてみればこれもまた悪くはない。戦士としては困るところなのだが。
 頭に預けた帽子ごと、その小麦色をした髪を撫でながら、男は微笑んで答えた。

「ああ」

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 静寂に落ちたビル群の間を、縫うようにクリサリスは歩く。巧妙に身を隠しながら進んでいるが、恐らく見つかっているだろう。むしろその方が都合がいい。
 クリサリスはビル影に身を潜めながら街並みに視線を向ける。
 まるで墓場だ。いや、手向けの花がある分まだあちらのほうがマシな印象すらある。クリサリスは帽子を直して気を引き締めようとして、伸ばした手が空を切る感触に思わず苦笑を浮かべた。
 帽子はさっき和子へ渡したばかりではないか。変わりに両の拳を胸の前で打ち合わし、準備運動のようにぐるぐると回す。帽子ひとつというのに、随分と肉体の感覚が違う気がした。
 さて、まず狙撃手というものはその対処が非常に手間な兵科だ。本来ならば航空機で爆撃でも出来ればいいのだが、街ごと焼き払う理由は到底見つからず、代わりに人海戦術で圧すにも、そんな時間的余裕もない。
 ならば手はないのか? と聞かれれば『ない』とは言えない。
 カウンタースナイプという手段がある。
 標的の位置、距離、遮蔽、風向、風量、気圧、湿度、光……狙撃に必要な全ての条件を踏まえたうえで相手の位置を予測し、射撃の瞬間に先制攻撃を加える技術だ。
 当然、狙撃手の潜む一箇所を割り出すというのは容易なことではない。
 だが、相手が複数いるであろう可能性を踏まえればそうでもなくなる。当たりクジをわざわざ相手が増やしてくれているのだから。

(4箇所、か)

 クリサリスは遮蔽の影から、自分を狙えるであろうポイントに目星をつける。
 4箇所。相手の数次第では博打になる数だが……。どうする、仕掛けるか?
 砂を含む乾いた風が吹き抜ける中で一瞬だけ思考すると、彼は迷うことなく行動を起こした。
 白い煙だけが彼の居た場所に巻き上がり、その筋肉質な巨体が消える。
 ――そもそも、カウンタースナイプという技術はその名の通り、狙撃銃を使用した技術だ。
 狙撃銃など当然持っておらず、機関銃はおろか拳銃の類すら持っていない。そんな彼が使える武器はただひとつ。
 クリサリス・ミルヒは、自らの身体を弾丸としてカウンタースナイプを決行した。
 第一加速。形のないバレルの中、空気のライフリングを、螺旋を描きながら突き進む。
 スコープ越しにクリサリスを視る男に動揺が見えた。素早く照準を、飛翔する彼に向ける。
 第二加速。空を蹴る衝撃が、マズルフラッシュのように弾けてクリサリスを更なる高みへと迎え入れた。
 同時に銃声が響く。放たれた銃弾は螺旋を描き、空気に小さな穴を穿ちながら真っ直ぐにクリサリスへと吸い込まれていく。
 第三加速。彼は目の前を掠めていく弾丸の描く軌跡と、自分の身体が直線になるように体勢を入れ替えて再び空を蹴る。

「捉えた――」
「――ッ!」

 飛翔の先。ライフルのボルトを起こす仮面の男の直ぐ脇を掠め、火花を散らしながらクリサリスは屋上へ着地を決めた。

「ハッ……ハハハハハハ!」

 ゆっくりと立ち上がるクリサリスの様子を視界に納めながら、仮面の男は狂ったような笑いを漏らす。
 柄も何もない、ただ視界を確保するための薄い切込みがあるだけの陶器製の仮面が不気味な無表情を映す。まるで怪人。そう、マントとシルクハットでもあれば、かのオペラ座に現れた怪人のような男だ。

「楽しいなあ! クリサリス・ミルヒ!」

 男は片手で自らの仮面を抑えながら、芝居がかったような口調で叫び、ケタケタと、壊れたオルゴールのように笑い続ける。笑い続けながらも、クリサリスから間合いを取るように後ずさった。それをクリサリスがジリジリと詰めていく。
 無言のまま、間合いの取り合いが静かに、静かに行われる。
 仮面の男の脚が屋上の端へと到達する……と同時に、クリサリスが動いた。
 迅雷の如き速さで振りぬかれた拳は、仮面の男が引き金を引くよりも速くその顔面を確かに捉える。瞬間、仮面の男は大きく後ろへと自ら飛んだ。
 衝撃の殺された拳は決定打になりえない。ヒビを入れるに留まった一撃をその身に受けながら、男はビルの屋上から吹き飛んでいく。大きく遅れて引かれた引き金が、明後日の方向に弾丸を吐き出しながら銃声を鳴らした。

「アハッアハハハハハハハハハ! 僕の勝ちだ!」

 落ちながら男が叫ぶ。
 その叫び声でクリサリスは自らの体温が一気に引いていくのを感じた。
 あの方向は、和子の隠れているビルではないか。

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「出て来い……クリサリス・ミルヒ」

 仮面の男の後を追い、即座に屋上から飛び降りたクリサリスが最初に聞いた言葉は、案の定奴の言葉だった。可能なら和子であって欲しかったところだが、最初からこれを狙われていた以上、この結果は必然が齎した産物だ。
 クリサリスは息を潜めながら思考する。どうする。出て行くべきか、機を伺うべきか。

「クリサリス、わたしいま物陰に隠れてるから、すぐ撃たれない。大丈夫!」

 待っていた声ではあるが、銃声が響くと、その声は一瞬で苦悶に変わる。
 それほど身体が強くない奴だ。長くはもたないかも知れないが……。

「クリサリス!」

 彼の迷いを読んだかのように、仮面の男は大きく叫びながらライフルのボルトを起こして引き金を引く。
 再びその一撃が和子を捉える……というところで、弾丸は僅かに彼女の隠れる壁を穿った。

「ははははは!」

 仮面の男は再びボルトを起こし、ライフルに空気を送り込みながら、ビルの陰から現れたクリサリスへ向かって満足そうに笑いかける。
 仮面で表情は見えないが、さぞ下種な笑みを浮かべていることだろう。
 その男が、笑い疲れたようにぴたりと静かになる。ほぼ同時に、耳を劈く銃声とともにクリサリスに熱が走った。

 肩口から鮮血が散り、激しい痛みが意識を刈り取っていく。
 ――まだだ。まだ足りない。
 揺らぐ視界の中を、ゆっくりと、しかし確かな足取りでクリサリスは前進する。

「やめろ!この卑怯者!」
「大丈夫だ。直ぐ助ける」

 クリサリスが言葉を終えると、待っていたかのように左脚を吹き飛ばすような衝撃が襲った。
 ――まだ、足りない。
 空っぽになった肺が酸素を求めて暴走し、激しく乱れた呼吸を整えながら、クリサリスはとまることなく前進する。

「うざいよ、お前」

 その姿勢がよっぽど気に入らなかったのか。これまでの2発を、遊ぶように急所を外してきた仮面の男が携えた狙撃銃の銃口をクリサリスの眉間へ向ける。向けると、これ見よがしにゆっくりとボルトを起こし

 ――ここだ。

 引き金に指をかけた。

「クリサリスー、避けてください!」

 その必要はない。
 銃声と同時に、クリサリスの右腕が消える。否、神速で振り抜かれる。
 パラパラと舞い散るフルメタルジャケット。日光を受けてキラキラと輝くその薄いヴェールを破り、彼は一足で仮面の男との間合いを詰めた。
 仮面の切れ目から伸びる視界と、クリサリスのそれが交差する。
 クリサリスが切れ目の奥に確かな狂気を見出した次の瞬間には、彼のボディブローが仮面の男の胴体を捉え、その身体をボールのように吹き飛ばした。
 刀についた血を払うように、クリサリスは右腕を払う。青い輝きが、飛沫となって世界へ溶けた。

「……終わった」

 呼吸を整えながら、何故かメスを構えて飛び出してきていた和子をクリサリスは抱き寄せる。いや、抱き寄せると言うよりは抱えると言ったほうが正しいような大雑把なものだ。

「う、うわあああんクリサリス!! ばか大好き! 生きててよかったわーん!」

 腕の中で彼女が泣き叫ぶ。
 胸板に当たる彼女の頭の重みと、強くしがみ付かれるおかげで生まれた、刺すような肩と脚の痛み。包み込む甘さと、燃え滾る灼熱の辛さが、疲労した身体と生命をこの世界に繋ぎとめる。
 クリサリスは生を実感するかのように、帽子の上から彼女の頭に腕を回して抱き寄せた。
 どうやらこの帽子を返してもらうのは、まだまだ早いらしい。

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作品への一言コメント

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  • 素敵なSSをありがとうございました。影法師さんに依頼できてよかったです! -- 和子@リワマヒ国 (2009-02-17 15:10:08)
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引渡し日:2009/02/15


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最終更新:2009年02月17日 15:10