霰矢蝶子@レンジャー連邦様からのご依頼品


麗らかな昼下がり。長閑な公園。
平穏に包まれて、蝶子とヤガミはベンチに並んで腰掛けていた。
辺りは今迄関わっていた嵐のような出来事が夢だったかのような静けさで、そのギャップにちょっとした虚脱感を二人は覚えていた。むしろ、余りに色々と有りすぎた為に、本当に夢だったような気さえしていた。

「今日は暑いな」
「ですね。寒いところから帰ってきたからそう思うのかもしれないですが。」

ぽつり、ヤガミが呟いた、日常の挨拶のような言葉。少し異国の言葉のように聞こえるのは、まだ日常と非日常の狭間で揺れ動いているからか。
蝶子は、辺りを見回しながら、其れに答えた。公園は爆発した、と聞いたような気がする。それにしては、この公園は長閑過ぎる。きっと別の公園のことだったのだろうか。

「29度だそうだ」

日常の会話は、途切れずに続いた。

「うわあ。じゃあ暑いですね。それは暑い。」

その温度を聞いただけで、暑さが増したように蝶子は感じて、顔を僅かにしかめた。
すると、その様子を見たヤガミが、何故か、ベンチから腰を浮かせた。其の侭、その動作を怪訝そうな顔で見る蝶子から離れ、少し隅の方へ移動し、座りなおす。

「悪かった」

そして、口を開いて出た言葉は何故か謝罪だった。唐突な事に動転する蝶子。目をぐるぐるさせた。

「何がですか。ていうかなんで離れるんですか。」

別に今回の事は私が望んで巻き込まれたわけで、ヤガミが謝る事はないし、しかもその点について謝るなら何故離れるのだろうか。鉄拳が飛んでくるとでも思ったのだろうか。

「いや、体温が。暑いといわれるんだ。俺は」

その言葉に、無言で腰を上げる蝶子。其の侭、キッとヤガミの方を見ると、つかつかと歩み寄り、そして、豪快に――ということはなく、ちょこん、とその隣に腰掛けた。二人の間の距離は30cm。それ以上は近づけなかった。

「そんなのはいいです。ヤガミのせいで暑いなら大丈夫。全然嫌じゃないです。」

そして、その顔を見上げて、せつせつと訴える。ヤガミはその勢いに気圧されて少し仰け反った。
ヤガミの行為を優しさととるか、遠慮ととるか、微妙なところだ。もしかしたらそれらは同一のものなのかもしれない。しかし、どちらにせよ、自分から離れるという優しさも遠慮も、蝶子は求めていなかった。

「そうか」

ヤガミは、その言葉に表情を変えず、頷いた。其の侭、姿勢を戻すと、背もたれに寄りかかって空を見上げた。其の侭、ぼうっとしだす。蝶子もまた、乗り出していた身を戻して、一緒に空を見上げた。
風が流れる。少しばかり火照った頬を、緩やかに撫でて冷ましていく。気持ちが落ち着くとともに、少しずつ、二人の中の日常と非日常が邂逅していく。非日常が、現実味を帯びていった。蝶子は、閉じていた目を開くと、ヤガミの首を見た。

「首は、もう大丈夫ですか?」

蝶子の位置からでは傷口は見えない。自分達の知る日向ではない、別の日向に噛まれた傷。
あの時、日向が説得に応じてくれていなければ――考えるだけで、その恐ろしさに胸が締め付けられる。

「自己再生力がある。問題ない」

蝶子から見えないほうの首を、傾けて見せるヤガミ。確かにその首筋には傷はなく、そして傷跡さえもなく。冒険劇の証拠がひとつ、消えたようで。あれは、やはり夢だったのかと、また思えなくもない。

「そうですか。それはよかった。」

蝶子は腕を伸ばす。その指先は、傷があったはずの場所へ。そっとその輪郭をイメージして、なぞる。少しだけ高鳴る胸は、先程の恐怖の余韻のせいにした。
首すじに触れたとき、ヤガミが少し固まったような気がして、蝶子はヤガミの顔を見やる。すると、彼は驚いて、目を丸くしていた。普段の仏頂面が嘘のような、レアな表情に蝶子までもが驚いて、思わず、手を引っ込める。

「あ、あの。びっくりしましたか。すみません。」

だが、しかしヤガミの反応は意外なもので。

「そこはいやらしくないぞ」

そう、言って微笑んだのだった。

「な、なんですかそれ!」

いやらしいって・・・いやらしいってなんですか、いやらしいってなんですか、イヤラシイッテナンデスカ!
突然の言葉に目をぐるぐるさせて、耳まで赤くなる蝶子。『私、いやらしい子だって思われてたのかしら』、と瞬時に落ち込んだり、『ヤガミが微笑んだわ!ヤガミの癖に!』と怒ってるのか感激してるのか良く分からない心理状態になったり、と思考が頭の中を忙しく駆け巡る。転げまわるといった方が、正しいかもしれない。

「いや、あまりこう、手を繋いだこともあまりなかったから」

「そ、そうですね。」

返された言葉に、すぐさま沈静化していく蝶子。しかしながら、手を繋ぐっていやらしい行為なのだろうか、とまだ落ち着かない頭の中で思わなくもない。

「すみません。人よりなんか、照れやすい方みたいで。」

「手をつないだりとか、そういうの、したくないわけじゃないというか、むしろしたいんですけど。こう、どきどきしてしまって。」

手を繋ぐって、もっと、そう、ぴゅあ、な事じゃないのかしら。
勿論、自分がぴゅあだとかそういうことを言うわけではなくて、もちろんいやらしいわけでもなくて、・・・いやらしくないわよね、私は単に照れ屋だというだけであって・・・。そんな事を考えているうちに、言葉が口から飛び出していき、それに気がついて、もじもじと、頬を朱色に染めた。

「気にするな」

そういって、ヤガミは前を向く。その口から次に紡がれた言葉は。

「お前のペースで、いいじゃないか。時々もどかしいが、そこに惚れた部分もある」

「あ、あう。」

一瞬にして、蝶子を思考停止状態にさせた。
ぼんっと音をたてて赤面する蝶子。ぱくぱくと、口を動かして、なにか言おうとするも言葉が出てこない。恥ずかしさの余り、ヤガミの横顔を見ていられなくて、さっと、前を向いた。
外気の暑さなんて、とっくに何処かに行ってしまった。
さっきから、顔から火が出そうなほど、頬が熱い。もう、感覚が麻痺してしまったのではないだろうか。
心臓がどきどきして、その音で耳が痛い。ヤガミにまで聞こえてしまうんじゃないかと思える程の大音量だ。
これは夢なのか?現実なのか?
先程までの冒険劇の続きに、自分たちは何時の間にか舞い戻ってきたのだろうか?
いや、冒険の時よりも、心臓がドキドキいっている。確かに、それを感じる。
これは、夢じゃないんだ。

「あ、ありがとうございます。私も好きです。」

ようやく、言葉が口からこぼれ出たのは、そんな言葉。
そう言ってまた、顔を赤くさせる蝶子。勿論、ヤガミの顔色を伺う余裕なんてなくて。
現実感が、まるでない。夢ならば覚めないでほしいとひたすら願う。

その時、風が二人を撫ぜて行った。
そっと、そっと頬の熱を冷ましていく。
そして、その風の冷たさが、これは現実なのだと、蝶子に囁きかける。
そう、これは現実なのだ。

30cmの距離を隔てて、二人は、前を見ていた。

蝶子はゆっくりと、口を開く。

「あの、ゆっくりで恐縮ですけど、これからもよろしくお願いします。」

言葉を選んで、慎重に。

「あなたとずっと、一緒にいたいです。」

それでも、思いの丈を思うがままに。想いの丈を想うがままに。

「こうやって、同じ景色をみていたい。ずっと。できれば、いつも。」

ヤガミの顔を、見つめた。

「分かった」

頬を人差し指で、かくヤガミ。

「今度、二人で星でも見るか」

「はい。ぜひ。」

蝶子はにっこりと、満面の笑みでほほ笑む。
気がつけば、ヤガミも照れていた。お互いに照れて、頬を朱色に染めている。
そんな、想いが通じ合った瞬間だった。
ヤガミは突如、蝶子を引き寄せ―――膝の上に、乗せた。
二人の距離は、0になる。

「あ、あの。ええと。お、重くないですか!」

予想もしなかった出来事に蝶子は動転し、目を真ん円くしてヤガミを見つめ、頬だけでなく、耳まで朱色から紅色へと染め上げた。
恥ずかしさの余り、自然と大きくなり、上擦る声。

「最近この重さがないと駄目な事に気がついた」

しれっというヤガミ。だが、彼の頬も染まったままだ。
その言葉に、すっかりと、何かの糸をぷつんと切られて、身体の力がへなへなと抜けていく。

「そ、それは、えーと。また。なんと言ったらいいか。」

蝶子は思い切って、ヤガミの胸にぺたっとくっつき、

「う、嬉しいです。」

そう、か細い声で、ヤガミの胸元に囁いた。
そんな蝶子を優しく受け止め、ヤガミはそっと抱きしめた。
最初の暑さはどこへやら、心地よい温もりが蝶子を包み、そっと蝶子は抱きしめ返した。

「ううう、どきどきします。ど、どうしよう。」

いまだに胸は高鳴る。泣きたいくらいに嬉しくて、恥ずかしくて。
こんなに近いのだから、きっとこのどきどきは伝わってるはず。それが恥ずかしくて、またどきどきする。


「離してやりたいが」

「や、やだ!」
ヤガミの言葉に、反射的にすぐさま胸から顔をあげて慌てて訴える蝶子。
思わず言葉使いが、駄々を捏ねるようになる。
それに気づいて、ちょっと頬を赤らめてから、離れまいとするように再びヤガミをぎゅっと抱きしめ、その胸に顔を埋めた。

「すみませんこのままでお願いします。すみません恥ずかしいけどぎゅってするの好きです・・・!」

顔は見えないけれど、ヤガミが照れたような気がした。

「いや、離したくないといいたかった」

その言葉が、嬉しくて照れながらさらに蝶子はヤガミにしがみつく。

「・・・あなたと、無事に帰ってこれて、本当によかったです。」

安らぎを感じながら、蝶子はそう呟いた。
今更ながらに、あの冒険劇が本当のものだったのだと、実感できる。

「墓参りもしなくちゃな。迷宮に行く準備もしよう」

「はい。。。助けてくれた方にご恩返ししないと。」

「ああ」

「迷宮は。私を連れてってくれます?」

「抱きしめてていいなら」

ヤガミの言葉に、若干意地悪そうな響きが混じった気がした。

「だ、駄目なわけないじゃないですか・・・!」

「よかった」

ヤガミは、嬉しそうに笑った。

「行く時は黙って行っちゃ駄目ですよ。絶対ですよ。」

「いつも一緒」「それでいいか?」

「はい。いつも一緒。」

蝶子はうれしそうに頷いて、その言葉を噛みしめるように繰り返した。
そして、ふと、顔を少しあげて上目遣いにおずおずと問うた。

「ヤガミは、いいですか?」

「なにが?」

なにがって、少しくらい分かってほしい。
確認するのが、恥ずかしいし、それに怖いのだから。

「私と、いつも一緒で。いいですか?」

「わ、私照れ屋の上に、結構心狭いですけど。」

ヤガミは、何を馬鹿な事を、というようにふっと笑って答える。

「俺のほうが狭い」

「わ、私のほうが!」

思わず、変なところで張り合う蝶子。

「て、張り合うところじゃないですね。すみません。」

「ああ」
ヤガミは微笑しながら頷いた。
蝶子は恥ずかしくなって、顔を隠すように、頬をヤガミの胸元にすりよせる。

「汗、かいてないか」

しばらくそのままでいると、ヤガミが唐突に口を開いた。

「汗。かいてるかもです。」

突然の問いに、頭に疑問符を浮かべながら答える蝶子。
そしてすぐさま、もしかしたら汗臭いのじゃないかと思い、恥ずかしくなってどぎまぎする。
すんすんと、自分の襟元を嗅いでみる。少し、汗の臭いがするかもしれない。だんだん汗臭いような気がしてきた。
もし汗臭いのだったならばどうしよう、と悲しくなりさえして、蝶子は目をぐるぐるさせだした。
だがそんな蝶子の様子に関係なく、ヤガミは顔を覗き込んできた。

「どこに?」
「ど、どこって。え、え?」

何処、との問いに、汗臭いんじゃなかったのか、と質問の意図が分からずさらに蝶子は動転する。
さらにはヤガミの顔がすぐ傍にあるという事実に、傍から見れば何を今更といった感じであるが、おたおたしだした。

「あ、あの。」

思わず眼鏡を直す、蝶子。
ヤガミはそんな蝶子をじっと見つめながら、どこに、と口の動きだけで、また問うた。
なんとなく、ヤガミの言わんとすることが、理解できたような気がした。

「あ、あの、あのう。それはそれは。顔とか、腕とか。色々。」

それでもまだ真意を測りかねて、蝶子はただ問いに答えた。
が、すぐさま、ええいままよと思い直して、背伸びをしてその頬にキスをする。
くくっと笑うヤガミ。

「あ、あんまりいじわるしないであげてください・・・。」

蝶子は、真っ赤になって俯いた。
ほっぺたとはいえ、初めてのキスだった。

「いかんな。頬にキスされただけで喜んでる」
「まあ、それでいいか」

そう、幸せそうに、ヤガミはつぶやいた。
幸せとは、きっとそんなものだろう、と。こんなものだろう、と。
こんな些細な、それでいて、途轍もなく満たされるもの、かけがえのないもの、大切なものなのだと。

「う、嬉しいですか。ヤガミが嬉しいのは嬉しいです・・・!」

そういって、はにかむ蝶子。そしてちょっと考えるようにしてから、問うた。

「ど、どうしたらもっと嬉しいですか?」

それは裏返せば自分が、どうしたらもっと嬉しいか、でもあって。
ヤガミはそんな蝶子の問いに、何かを言おうとして、口をつぐみ。
そして、すぐさままた口を開いた。

「一緒に昼飯をたべる」

その答えに蝶子は思わずくすっと吹き出した。
そして嬉しそうな笑顔を浮かべて、うなずく。

「はい。喜んで。」

ヤガミは、その笑顔にほっとしたように微笑んだ。そして少し後ろめたそうだ。
もしかして、と蝶子はその顔を見てふと思った。
ヤガミのことを長年見て来た乙女の勘というやつである。
たぶん、ヤガミが考えてたのは、後ろめたいことは後ろめたいことでも、きっとそんな悪いことじゃない。
どこかへ行くとか、そういうのはこの人はもっと分かりにくくするはずだ。
だから、たぶん、この場合は…………さっきの会話からすると、いやらしいことでも考えたんじゃなかろうか、と。
そこまで思い到ってから、蝶子は、ヤガミがいやらしいことを考えてたことに驚いた。
ならば、自分は?

「どうした?」

自分を見ながらなにやら物思いに耽っているような蝶子に、ヤガミは声をかける。
蝶子は、どうしよう、と少しばかり逡巡する。

(え、ええと。頑張れ私。頑張れ。 )

自分を、叱咤して奮い立たせる。
意を決して、口を開いた。

「すみません。お昼の公園で、すごい、はれんちなんですけど。」
きょろきょろと、あたりを見回して、そっとヤガミの耳元に口を寄せた。そして小声でささやく。

「あ、あの、その。きすしていいですか。」

さっき頬っぺたにはしたけれど、そういう意味ではなくて。
きっと自分のほっぺたはすでに真っ赤なのだろうな、と蝶子は自覚した。

「あ、いや」

ヤガミはそう呟いて、天を仰ぎ―――蝶子の頬に、そっとキスをした。
初めてのことに驚いて、ヤガミの顔を見る、蝶子。
ヤガミの表情は、照れているのが一目瞭然で、蝶子も一緒になって、盛大に照れた。
ヤガミが、蝶子が照れているのを見て嬉しそうに笑うと、蝶子もそれを見て笑う。
そのやり取りは、まさにありふれた恋人同士そのもので。

こうして、心の距離すら、0となったのだった。



作品への一言コメント

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  • 依頼を引き受けてくださり、ありがとうございました。お忙しい所恐縮です。 照れ悶えて何度も倒れたので、読み進めるのにすごく時間がかかりました・・・でも何度も読み返しました!(笑  とっても嬉しかったです。ありがとうございました! -- 霰矢蝶子 (2009-01-30 14:31:38)
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最終更新:2009年01月30日 14:31