アポロ・M・シバムラ@玄霧藩国様からのご依頼品


深い霧に包まれた森の国、玄霧藩国。
その中心地、政庁のお膝元とも言える公園の近くの一戸建ての家の玄関に、一人の青年が佇んでいた。
藩国民の大部分を占める、長い耳の森国人ではない。
鮮やかな金髪の、端正な顔立ちの青年である。
長身の割りに痩せぎすな体躯が不健康にも見えるが、常に背筋を伸ばした姿勢がそれを補って余りあった。
しかし、この青年はその美貌ではなく、その才覚によって名を知られている。
彼の名は英吏・M・シバムラ。
このNWを守る組織、ISSの指揮官である。
そして彼は、一人この玄関の前で悩んでいた。
といっても、この家が犯罪組織の隠れ家であるからだとかそういう理由ではない。
ここは玄霧藩国の医師、アポロ・M・シバムラの家である。
英吏は、彼女から食事をご馳走したいという誘いを受けてここにやってきたのだ。
「……」
そういう訳で家の前までやってきた所で、英吏は悩んでいた。
苗字からわかるように、二人は浅からぬ仲である。控えめに言っても恋人同士だ。
鈍感を通り越して曲解の天才とまで呼ばれた(周囲の評なので自覚はないが)、英吏の目から見てもそれは疑いようがない。
そんな相手の家で食事をご馳走になるという事に何も感じないほど、彼はまだ達観していなかった。
アポロの家を訪れるのは初めてではなかったが、やはり気恥ずかしい。ついでに緊張する。
そもそも、前回は調子を崩した彼女を心配して訪れたのだ。
いわば緊急時の非常措置、(自分でもこういう言い方はどうかと思うが)衛生兵の真似事のようなものである。
向こうから誘われた今回とは話が違う。
その緊張たるや、芝村の家名を与えられた時ですらここまでではなかった。
とにかく、こうしていても始まらない。
待ち合わせの時間までもう一分もないのだ。
初めて雷電に触れた時の勇気を思い出しながら、意を決して呼び鈴に指を伸ばした瞬間。
「いらっしゃいー、英吏さんー!」
煉瓦色の髪を翻したアポロが、玄関の扉を開けた。
その表情は森から差し込む陽光を思わせる笑顔だったが、英吏にはあいにく見とれる余裕はなかった。
「そろそろかと思って、出ちゃった」
少し恥ずかしそうに、少しだけ体を縮めてアポロが言う。
「なるほど」
冷静に考えれば説明になっていないのだが、その様子が却っていつもの彼女らしい。
それにあわせて、英吏もいつもの調子を取り戻す。
「調子は、いかがですか?」
「あー……」
すでに元気になっているのは今の様子を見ればわかったが、会話のきっかけとして英吏はあえてその話題を選んだ。
それに万が一という事もある、変にこじらせて医者の不養生になってしまっては笑い話にもならない。
「もう、大丈夫、あの時は心配かけてごめんね…」
照れているような、落ち込んでいるようなそんな顔をする。
出会った頃こそ戸惑ったものだが、今の英吏はアポロのその豊かな表情が気に入っていた。
「英吏さんこそ、大丈夫?」
そんな事を考えて気が緩んだ瞬間、思わぬ反撃が返ってきた。
「また痩せましたが、これはまあ」
少しばつが悪い思いをしながら、英吏は答えた。
実際、最近の健康状態は良いとはいえないだろう。
ISSの食糧事情はだいぶましになったが、多忙から食事は抜くことも多いし睡眠時間も不規則だ。
自分では太る必要もないと思っているので、あまり気にしていないのだが……
「だめだよ…あんまり痩せると心配なんだから」
アポロはひどく心配そうだった。
以前同僚に自分でも言った事なのだが、どうも痩せていれば女に好かれるというわけではないらしい。
「と、とりあえずあがってくださいなー」
不思議なものだと思いながら、英吏は促されるままにアポロの部屋に上がった。

本当に、また痩せてる。
英吏を部屋に案内しながら、アポロは彼の言葉を実感していた。
ちらちらと横目で見るだけでも、それは明らかだった。
とはいえ、見たところ怪我の跡などはない。
動乱真っ只中というFVBに行っていたという話も聞いていたので、少しだけ安心できた。
好きな人が怪我もなく生きていてくれる、ただそれだけで。
「なにか?」
そうやっていると、視線に気づいたらしく聞き返された。
「うん…FVBにいたって聞いたあとから、英吏さんの様子がわからなかったから、心配で」
リビングに案内しながら、素直に気持ちを白状する。
「ああ、幸い、無事治療を受けられました」
すると、ちゃんと答えが返ってくる。
治療を受けたということは怪我はしていたのだろうが、それをごまかさずにちゃんと教えてくれたのは嬉しかった。
「そか、それならよかった…」
それで本当に安心できて、アポロはいつの間にか彼を抱きしめていた。
日の光が差し込む明るいリビングの中で、どこか骨ばった英吏の体の感触が伝わってくる。
「え、ええとなにか」
しばらくそうしていると、英吏が照れた様子で呟いた。
それを聞いて、やっと自分のしている事に気づく。
「あ、ええとそれでですね」
それで今度はこっちまで照れてしまった。
確かにこれは恥ずかしい、かもしれない。
「はい」
「今日は英吏さんにご飯ごちそうしたくって」
恥ずかしさをごまかすように、えへへと笑う。
「一生懸命作ったんだー、食べていってくれる?」
「……」
少しだけ、考えた後。
「わかった」
英吏は頷いてくれた。
「ありがとー!」
それが素直に嬉しくて、アポロは無邪気に笑った。
もう一度抱きしめなおしてから、体を離す。
よく考えると旅行社を通じて連絡していた気もするが、それはそれ。
うきうきとした気分で、アポロは早足に台所へ向かった。

「土産でもかってくればよかった」
リビングの椅子に座って、英吏はぽつりと呟いた。
目の前ではアポロがテーブルに、温野菜らしいもののサラダを並べている。
どうにもする事がないというのは、落ち着かない。
「気をつかわなくていいのに」
そんな英吏の内心を知ってか知らずか、アポロは嬉しそうに笑いながら台所と居間を行ったり来たりしている。
その度に、煉瓦色のポニーテールが揺れるのが目に入った。
「うまそうだな」
目の前に置かれた海鮮とブロッコリーの炒めものを見ながら、英吏は素直に感想を述べた。
すると、アポロはなぜか照れたように笑う。
「そ、そうかな?私あんまり料理得意じゃないからそんなに凝ったものじゃなくてごめんね・・・」
男の目から見ればこの並んだ料理、例えばレトルトではない麻婆茄子など十分以上に手が込んだ料理に思えたが。
それを口にするより先に、今度は不安そうな顔でこちらを覗き込まれた。
「嫌いなものとか、無い?」
「いや、特には」
まあ、もしあったとしても、答えは変わらなかっただろうが。
「実は、好き嫌いがない」
「そうなんだ、よかったー!」
単に戦場暮らしが長いとそうならざるを得なかっただけなのだが、それで喜んでくれるのなら何よりだった。
お手紙かなにかで聞いておけばよかった、と言いながら今度は炊飯ジャーごとご飯を持ってきた。
「えへへ、それならどうぞー召し上がれー!」
よそったご飯を箸と共に英吏の前に差し出して、アポロがにっこり笑う。
食事もそうだったが、この笑顔を見れるだけでもここに来た甲斐はあった。
「いただきます」
行儀よく手を合わせてから、英吏は箸を手に取る。
口にした料理の味は、その見た目と匂いを裏切らないものだった。

英吏さん、美味しそうに食べてくれてる。
しばらくの間アポロは箸をつけずに、彼の食事する様子を眺めていた。
誰かの為に料理を作るのは初めての経験だったけれど、こうして美味しそうに食べてもらえるとやっぱり嬉しい。
その気持ちだけで、自分まで何だか満たされるみたいだった。
「そなたは?」
そうやっていると、やっぱり気になったみたいで英吏さんに聞かれた。
「うん、私も食べるけど。英吏さんが食べてくれるのが嬉しくて、見ちゃってた」
素直に答えると、英吏さんは何故か黙り込んでしまった。
「あまり面白くはないと思うが」
しばらくしてから、本当に不思議そうに英吏さんが言った。
それが自分ではわがままだとわかっていても、何だか寂しくて、自然と拗ねたような言い返してしまう。
「…だって英吏さん最近痩せちゃってるから…たくさん食べて元気になってくれたら嬉しいもん…」
英吏さんはまた不思議そうな顔をする。
「……太ってる方が健康なのか?」
言われてみればそうかもしれない。
「うーん」
最近、メタボリックとか問題になってるし。
だけど…
「でも、英吏さん健康的にダイエットしてやせたんじゃないじゃないー」
痩せるにしたってちゃんとしたやり方とそうでないやり方があると思う。
実際、今の英吏さんはスマートっていうより針金みたいだ。
「……色々あったから」
自分の声が、風船みたいにしぼんでいくのがわかる。
「心配だったの……」
「ユーリンチーがうまい」
話を逸らそうとしたのか、英吏さんが料理を褒めてくれる。
それから英吏さんはお箸を置いて、言葉を続けた。
「……おわったことだ」
ユーリンチーを褒められた事と、英吏さんがそう言ってくれたことが嬉しくて、気持ちが明るくなった。
「……うん」
「きにするな」
英吏さんは今までの全部を思ってか、優しくそう言った。
「……ありがと、うん、食べてね」
きっと自分は、笑っているだろう。

アポロの言葉に促されるように、英吏は食事を再開した。
しかし、先ほどまでは夢中になって食べていたから意識することはなかったが……
「人と話しながら食べることがあまりない」
今更ながら、何というか。恥ずかしいというか、そんな気分になった。
我ながら言い訳がましいと思うが……
「最近、普段は一人で食べているの?」
「健司と食べるときは競争だな。会話はない」
そういえば広島にいた頃から、一人の時もそうでない時も、食事は大抵そんな感じだった。
「ふふふ、そうなんだ。それも楽しそうー」
……男同士で競争しながら食べるというのが楽しく見えるのだろうか。
まあ、とにかく。
「だが、こういうのもいいな」
そういうと、アポロは顔を赤くした。
「あ、ありがとう……」
何とはなしに、箸を動かす手が止まる。
「英吏さんさえよければ、ずっと作りたいな」
箸を動かす所ではなくなった。
「……」
……さすがにこの意味がわからないほど、鈍感ではない
「色々な意味にとれるが、ああ」
本当に、色々な意味だろうが。
「イエスだ」
大事なことなのでというわけではないが、二度肯定した。
顔に熱が集まるのが、自分でもわかる。
「え、ええと、どんな意味かって言うと」
手をばたつかせながら、アポロがいったんそこで言葉を切る。
そして。
「一緒に暮らしたいとかそういう意味なんだけど、それでもイエス…?」
覚悟を決めたように、顔を近づけながらそう言った。
「あらゆる意味で」
「あらゆる……」
お互いの言葉の意味を考えながら、二人は会話を続ける。
「お、お嫁さんにもらってって言ってもイエスなんですかっ」
最後に確認するように、アポロが少し大きな声で迫ってくる。
「まあ、さすがに内縁の妻とかにはしたくないな。俺でよければ」
言われるまでもなく、というかそもそも結婚しないという選択肢がなかった。
「あ、ありがとうございます」
アポロがなぜかお辞儀をしてくる。
「お嫁さんにしてください」
「俺からも頼む」
それにあわせるように、英吏も頭を下げた。
言ってしまってから自分達が大変恥ずかしいやり取りをしていることに気づき、英吏は盛大に照れた。
家の中とはいえ、何ということを言ってしまったのか……
そんなことを考え始めた瞬間、体に優しい重さを感じた。
表情を覗き込むと、アポロは泣きそうな顔をしている。
「食事中だぞ」
言葉とは裏腹に、出来るだけ優しさを込めて。
英吏は、「お嫁さん」を抱きしめた。


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製作:アキラ・フィーリ・シグレ艦氏族@FVB
http://cgi.members.interq.or.jp/emerald/ugen/ssc-board38/c-board.cgi?cmd=one;no=1804;id=UP_ita

引渡し日:2009/1/21


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最終更新:2009年01月21日 14:01