夜國涼華@海法よけ藩国様からのご依頼品


言霊の裏・想いの色



/*/
 熱帯の植物が昼間貯め込んだ熱気を吐き出すような小笠原の夜。
 島は、暑気を忘れてとろりとした微睡みに落ちつつある。
「…でさ、隣の席のやつが言うわけ」
 その日の玖珂家の夕食は光太郎の好きなカレーであった。
 実に美味しそうに、嬉しそうにスプーンを口元に運びながら今日一日の出来事を兄に報告している光太郎を前にして晋太郎は物思いに沈んでいた。
 ここしばらく彼の思考の一部分を常に占めているもの。思いはあの日の放課後に遡っている。
 どうしてあのような態度をとったのだろう。世間から隔絶していると自覚している自分には、目の前の弟以外に煩うことなど無いはずなのに。
「…っていうんだから笑っちゃうよな。おーい、兄貴?」
「えっ…ああ。カレー、辛くないか?」
 スプーンを口元まで上げかけたままの姿勢で静止している兄にやっと気付いた光太郎の声に、晋太郎は彼にしてはやや的はずれな、取り繕うような言葉で答えた。
「うん。今日もすげー美味いよ。兄貴はさ、今日なんかあった?」
「なにもないよ。いつも通り。ごちそうさま」
 そういって非の打ち所の無い微笑を浮かべ、さほど手をつけていない皿を手に立ち上がった晋太郎の背中を、弟は何か言いたげな視線で見送った。
/*/
 翌日、小笠原分校の朝。
 その日の光太郎は彼にしては珍しく、始業時間まで大分余裕をもって登校していた。
 自分の椅子を窓際まで引っ張っていって窓枠に顎を乗せた姿勢で、何を見るでもなく窓の外の景色に視線を投げている。
(この所の兄貴、なんていうか挙動不審だよなあ)
 そうして考えるのは兄のこと。
 昨夜とみに様子がおかしかった兄に気付いた光太郎は、それとなく晋太郎の行動に注意してみた。結果、兄に随伴するような形になってこの時間の登校というわけである。
 晋太郎が自分の教室に入っていくのを見届け、というか教室の前で普通に別れて終了。だったが、普段学生が通らないような脇道に登校経路を変えていたりやっぱり引っかかる。
 だいたい、いつでも超然として見える兄貴がそこまでして避けたい相手って何だ。光太郎は明確に言葉にするでもなく、兄に対するそんな違和感を抱えていた。
 クラスメイト達が三々五々教室に入ってきて騒がしくなってくる刻限。光太郎は背後に立つ気配に気付いた。
「光太郎さん、おはようございます」
/*/
 同時刻。
 光太郎が妙な引っかかりを覚えて窓の外をつまらなさそうに見ていた頃。
 当の晋太郎は屋上に一人座り、弟と同じものに視線を投げている。
 狭い校庭、植え込みの南国の植物、天文台。つまりは見慣れたつまらない景色。
 屋上を吹き抜けていく風が、さらさらと髪を靡かせて彼の耳に囁きを残す。
 風も大地も植物も。あまねくものを満たしているリューンの声に、彼は耳を傾ける。
 そうしているときでも彼の目は視線の先にあるものを捉えてはいない。卓越した魔術師である彼の感知する世界を言葉にするのは難しい。
 たとえるならばそれは様々な彩りを持つ燐光というのが一番近いだろうか。それと意識しなくても感じられるのは階下、黄金色に眩く輝き立ち昇る光。
 彼の弟はその名の通り彼にとって光である。その傍らにあって光太郎の持つ輝きからは遙かに幽く不安と畏れの色を滲ませて頼りなく揺れるもの。
 晋太郎の眉が微かに上がる。それこそが世界に対して確固として在る彼の存在を振れさせる対象なのだった。
 晋太郎は意識して現実の景色を目に映すと再び沈思を始めた。
 何故、と。
/*/
 光太郎は立ち上がると目の前に立つ少女を見つめた。
 この頃晋太郎の様子がおかしかった理由は彼女の話を聞いてよく解った。他ならぬ彼女が晋太郎の機嫌を損ねたのだという。そして彼女はそれを悔い、謝りたいと切実に願っていることも。
 だが、それでもまだ疑問は残る。嫌い、遠ざけるだけなら何故彼女を避けるような真似をするのか。
 本当に晋太郎にその気があるなら、あの極上の微笑みのままで繰り出される言葉だけでなで斬るように関係を断ち切ることが出来るはずなのだ。
 事実、光太郎は兄に言い寄って手酷くあしらわれた女性を(時には男性も)多く見てきた。
 それが今回はどうだ。実に兄らしくない。
 改めて涼華と名乗った少女を観察してみる。顔立ちは整った方だが、目立つほどではない。憔悴しているせいか、言葉に力はなく伏し目がちで時折顔を赤らめたりしている。
 それでも真摯な気持ちと、晋太郎を思う想いの強さは光太郎にも良く感じられた。
「あたし、何か変な事言いました?なら、ごめんなさい…」
 視線を上げて意思の光を宿した目を向けてくる涼華に光太郎は少し表情を和ませて答えた。
「想いと祈りは少し違う。結構難しいな。
 前者なら兄貴は何かやるつもりだ。後者なら出来ることはもう、終わったあとだ」
「うーん。難しいですね。ずぅっと想っているんですけど。祈りじゃ遅いのかな…。
 お話してくれてありがとうございます。光太郎さん」
「やることないから、神さまに祈る。それまでは人の領域だ」
「なるほど。なら、あたしはまだ想いがあります。祈るまでいっていないのです」
「あんまり役に立たなくてごめん。でもまあ」
 光太郎は一度言葉を切って笑うと懐からタリスマンを取り出した。
 それは、とタリスマンを指す涼華に答えず、魔力を指先に集める。
「兄貴を想うなら。逢えるよ」
 手向ける言葉と共に涼華の額に触れる。短い驚きの声だけを残して涼華の姿がかき消すように転移すると、教室の喧噪が耳に戻り始めた。
 光太郎はもう一度微笑むと視線を上げ、不定の未来へ向けて枝を伸ばしていく運命を思った。
 がんばれ。
 くちびるで刻んだ言葉を風がさらっていく。
/*/
(光太郎のやつ…)
 晋太郎は心中で苦くつぶやいた。
 光太郎の光輝から一瞬の魔力の奔流が感じられ、傍らに在ったはずの幽かな光が消えた。そして。
「きゃっ!?」
 小さな悲鳴と共に背後に再出現した。
 教室から突然陽光に満ちた屋上へ転移して戸惑いながら辺りを見回す涼華。
 その目が物憂げに下界を見ている晋太郎を捉えた。
「晋太郎さん…」
 意を決してその背中に声をかけてみるが晋太郎は答えない。
 涼華は逡巡の末、晋太郎の横に回り込んできた。視界の端にその姿を捉えても、晋太郎は動かない。
 晋太郎の反応がないことを確認すると涼華は深呼吸して胸を押さえた。そこから溢れて暴走しようとするものを抑えようとするように。
「晋太郎さん、あたしの想いを少しだけ見てください。
あたしは、あなたに伝えないといけない事があるのです」
 ぽつり、ぽつりと、涼華は胸の内を吐露し始める。彼女はきっと大きなエネルギーを消費してその言葉の一つずつを絞り出しているのだろう。
 それでも光太郎がいみじく述べていたように晋太郎には言の葉の意味、言の葉に含まれる言霊の力は及ばない。
 晋太郎は黙ったまま耳元を風と共に吹き抜けていくリューンの囁きと涼華の言の葉に乗せられた想いの色だけを感じている。
 それはまるで雨に打たれて母を捜す子猫の鳴き声のような哀切を含んで彼に届いた。
(うん。もういいよ。解っていたから)
 晋太郎は、背筋を伸ばした。示された運命と向き合うように。
 涼華の方へ向き直るとあの微笑みを浮かべこう言った。
「気にしてないよ。いこう。鐘が鳴る」
「はい」
 心から安堵した涼華の声。頷きざまに素早く目元を拭うのが解った。晋太郎は微笑みを浮かべたまま、涼華の隣に立って屋上から階下へと下りる階段へ歩いていく。
 涼華の歩調に合わせて、ゆっくりと。
 そうしながら晋太郎は、運命は無数に枝分かれして未来へ伸びる大樹であることを思い出していた。
 ならば彼女は。
 自分の運命を位置づける革袋の中で掴んだルーンの一片。
 安堵の余りかぽうっとして頬を染めて歩く涼華の横顔を眺めて晋太郎は再び微笑んだ。
 長い付き合いになる予感が、あった。
/*/


拙文:ナニワアームズ商藩国 久遠寺 那由他


作品への一言コメント

感想などをお寄せ下さい。(名前の入力は無しでも可能です)

  • 素敵なSSをありがとうございます!玖珂兄弟を、などわがままなリクエストに答えていただき、ありがとうございました!あたしの見えていなかった部分のシーンを丁寧に書いていただき嬉しかったです。 -- 夜國涼華@海法よけ藩国 (2009-02-27 23:02:37)
名前:
コメント:



製作:久遠寺 那由他@ナニワアームズ商藩国
http://cgi.members.interq.or.jp/emerald/ugen/ssc-board38/c-board.cgi?cmd=one;no=1798;id=UP_ita

引渡し日:2009/1/19


counter: -
yesterday: -
最終更新:2009年02月27日 23:02