影法師@ながみ藩国様からのご依頼品


 秋の園には涼やかな風が吹いていた。外の季節は初夏と言える季節。
 そのギャップに、影法師は戸惑いを覚えながら、待ち人を探して辺りを見渡した。
 彼女は元気になったのだろうか。まだ引き摺っていたりはしないだろうか。
 そんな杞憂をよそに、待ち人――アララ・クランその人は、何時ものようなマイペースで、辺りを見回していた。服装は勿論、最後に見た病人服ではなくて、黒を基調としたゴシックロリータ。何時もどおりの彼女、のように見える。何処にあっても惑わされないようなそんな調子の。
 内心、ほっと胸を撫で下ろしながら、しかし、まだ幾ばくかの不安を抱えて、側に寄っていって声をかける。

「こんにちはー。お久しぶりです」
「あら、誰だっけ?」

 途端、つれない返事が返ってきた。忘れられたのか。そんな嫌な思いが頭を過ぎる。
 しかし、よく見れば彼女の顔は笑っていた。彼女の、冗談だ。どちらにしろ、彼の胸には何かが刺さった。

「…影法師です。いつもすぐにこれなくてすいません…」

 気がつけば彼は土下座していた。自分の情けなさやらなにやらにへこたれながら、謝る。

「ううん。いいわ」

 其処で、顔を上げてしまったのは失敗だった。

「期待してないから」

 物凄く、いい笑顔でさらっとそんな事をいわれる。

「次は今回よりももっと早くこれるようにします…」

 上げた顔が、一層地面と仲良しになった。

「ううん?無理しなくていいわよ?私は怪我したりで大変だったけど、タカハラに助けてもらったし」

「う……、すいません……。でも無事なんですよね?」

 声色が若干違う事に気がつかず、其の侭無事を確かめるべく、恐る恐る顔を上げて聞いてみる。
 彼女は笑顔だ。その笑顔は、笑顔ではあるが、見るものの心が凍りつきそうになる、そんな笑顔だった。後ろに得体の知れないオーラが見えてしまう。反射的に、頭が地面にめり込むぐらいまで下がった。

「すいませんでした! 次は俺が行きます。絶対」

そう、必死になって影法師が言う一方。

「だから、期待してないから」

 アララは実にそっけない。突き放したような物言いが、心に刺さる。

「今日言いたかったのは、それだけ」

「むぐ…。期待してくれなくてもいいです。それでも勝手にがんばりますから」

 一瞬、言葉に詰る。それでも、此処で自分は諦めるわけにはいかない。ようやくまた貴女の側にいられるのだから。ただそれだけのことがどんなに幸せな事か。その幸せを守る、その為にはなんだってしよう。そんな思いを他所に、アララは顔さえ他所を向いて口笛を吹いていた。

「うー…。でも歩いて大丈夫なんですよね?」

 早くも、めげそうになったが、こんな事でへこんでばかりもいられない。
 そう思って声をかけた矢先、彼女は影法師に背を向け、スキップで山を登り始めた。大丈夫だというアピールなのだ、そう思えるほどにはまだ影法師は前向きではなく。しかし、僅かに安堵を覚えて。

「ってちょっとまってー。俺も行きますよー!」

 突っ込みをいれて、彼も後を追ったのだった。

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「アララさんは秋の園って来たことあるんですか?」

 呼吸も整って暫くしたところで、影法師はなんとか状況を打開するべく、そう切り出した。

「ないけど」

 あ、良かった、返答があった、と内心で胸を撫で下ろす。少しは、お怒りも和らいだのか。
 ともあれ、彼女が初めてだというのは好都合だ。同じ景色を見て、同じ思いを、同じ感動を、共有できるかもしれないから。

「俺もです。だからちょっと歩くのが楽しみなんです」

 落ち葉を踏みしめながら、歩く。辺りは一面、言葉で形容するだけ野暮になりそうな、ただ一言、万感の思いをこめて、見事、というしかないような、そんな色彩鮮やかな紅葉。 
 上を見上げれば、その木々の隙間から抜けるような青い空が覗く。時折吹く風は涼やかで、山登りで火照る体を適度に冷やしてくれる。来訪時は戸惑いさえ覚えたこの庭園――そう呼ぶには、広すぎはするがそれは兎も角、二人の落ち葉を踏む音が響くこの空間は彼にとって非常に心地よかった。その心地よさは、なにより。

「…だからこう、置いていくのは勘弁してください」

 隣に、貴女がいるからなのだから。
 もう、何処かへ行かれるのは嫌だ。
 そんな影法師の願いを知ってか知らずか、彼女は答えずに、口笛を吹くのみだった。

「うー。やだって言われても勝手について行きますからね?」

 そう、つれない彼女に宣言した途端、彼女の姿が視界から消えた。気配を頼りに、視線を上にあげれば宙に舞う彼女の姿が。彼らの行く道の横手に存在していた坂。ちょっとした崖に近いそれをジグザグに上る歩道を一息で飛び越え、彼女はその頂に、ひらり、と舞い降りる。

「ちょー! えーっとえーっと」

 呆気に取られ、あたふたとする影法師。はっと思いついて、歩道の手すりを踏み台に、坂を跳ぶように駆け上がろうとするも、それは流石に人並み以上には身体能力を備える彼でも、無理難題が過ぎた。手すりから、次の手すりまでの高低が急すぎたのだ。最初のトライでは、何とか手が手すりに届いたからいいものの、それ以降はどうやら坂を歩道沿いにジグザグに駆け上がるしか無さそうだった。
 そんな影法師を見下ろして、アララはため息をつく。そして其の侭、彼に背を向けて歩いていってしまった。

「うー。もう少し敏捷出せるアイドレス選択して貰うように頼もう。そうしよう…」

 一人ごちる、影法師。此処で置いてかれてなるものか、と息を切らせながら必死で坂を駆け上っていく。
 彼が死ぬ思いで坂を上りきった時には既にアララの姿は見当たらず、ともかく道なりに彼女の名を呼びながら駆けていき、ようやく宙を舞う紅葉の中にアララの後姿を捉えるまでには、10分程の時を要した。其の侭、なんとか彼女の隣まで辿り着く。

「言ってる傍から置いてかないでください…」

 落ち着かない呼吸の所為で、言葉が切れ切れになる。

「おいつけないほうがいけないんじゃないの?」

 そんな影法師にかけるアララの言葉は冷たい。

「そりゃそうなんですが…」

 膝に手をついて、荒い息を整える。アララはそんな影法師の様子を見ていたが、影法師が視線を上げたときにはもう、深く一つため息をついて、そっぽを向いてしまった。そのため息に、心が抉られる影法師。

「うー。もう一回置いてけぼりを食らうんでしょうか?」

「多分、何度でも」

 そう、アララはつまらなさそうに言う。

「私たち、つりあってないのね」

 その言葉は、影法師の胸に刺さる。血が出る。しかし、彼はそこで歯を食いしばった。その痛みを受け止めたのだ。

「ええ。だから努力します」

 そして、現状を肯定し、未来を語った。

「どうぞ。次は追いつきます、たぶん」

 それは、多少は自信なさげではあったものの、決してそんな現状なんかには負けるものかという宣戦布告だった。
 アララは、その言葉に少しだけ満足したかのように口笛を吹いた。そうして、容赦なく再び影法師の視界から消える。行く先は、やはり空だ。何故ジャンプなんですかアララさん、見えちゃうじゃないですかなどと突っ込む余裕もなく、影法師は追いかけ出す。

「ってそっちはちょっと危ないですよー!」

 見れば先は滝だ。彼女は滝の上に降りるつもりらしい。と、いうことは、追いつくために滝の上に登らなければいけないようだが、周囲に道が見当たらない。探していては、彼女を見失ってしまうだろう。
 迷ってる暇はなかった。すぐさま覚悟を決めると、岩肌まで駆け寄り、きっと挑むように、頂上を見上げる。聳え立つ崖に、押し潰されそうな圧迫感を受けて、パイロットグローブをはめた手に汗が滲む。その手を一度、ぐっと握り締めて拳を突き合わせ、自分を奮い立たせると近くの出っ張った岩に手を伸ばす。其の侭身体を引っ張りあげて次の出っ張りへと手を伸ばしていく。どんなGの中でも操縦桿を離さないパイロットの握力と、その訓練で鍛え上げた身体感覚、更に特筆すべきは、猫妖精の身軽さ、それらの特性を生かし、着実に崖を登り始めた。


 どれだけ登っただろうか。空が、段々と近くなってくるのが分かる。アララの姿は見えない。だが、しかしきっと其処で自分を試して待っている事だろう。そう、信じるしかない。段々と手の感覚が無くなってきた。やはり、操縦桿とロッククライミングとでは違うか。だが、諦めるわけには行かない。そう思って手を伸ばした矢先――

「―――っ!!」

 掴んだ岩が崩れ、片腕が落ちる。予め心構えていたのならばいざ知らず、不意に片腕にかかる全体重は、弱った握力では支えきれなかった。其の侭、岩から手が離れ、落ちていく身体。景色がスローモーションで流れていく。

「うわ、これは死んだ」

 どこか、現実感なく、そう呟いた。その声に反応してか、アララが崖側まで寄ってくるのが見える。その表情は、どこか悲しそうで。その口元が動くのが分かった。

「次なんてないじゃない」

 そんな言葉が耳に届いた気がする。影法師は、御免なさい、と思うことしか出来なかった。
 そうして、気の遠くなるような長い一瞬の後、全身がバラバラになるような強い衝撃が影法師を襲い、彼の意識は其処で一旦途切れた。



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引渡し日:2008/12/17


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最終更新:2008年12月17日 18:14