ヤガミ・ユマ@鍋の国様からのご依頼品


/*ある決心*/

「ところでひとつ、聞いてもいいだろうか。いや、聞いてもいいでしょうか」
 ひどくぎこちない口調で、その少女は聞いた。いや一応設定上年齢は私よりずーっと上なんだよなぁ、と身も蓋もないことを考える鍋ヒサ子。
 ヒサ子が黙っていると、エステルは徐々に顔を赤くしていった。緊張、というよりは、恥ずかしがっている感じ。
 可愛いなぁー、と思うヒサ子。
「例えば」
 ごくり。
「男の人がその気の時に、ど、どんな風にすればいいだろう。うまく眼鏡を外したいのだが」
 ……。
 …………。
 えーと、眼鏡は突っ込むべきなのかなぁ。
 ……。
 いやいやいや。いやそうじゃなくて。
 落ち着こう。ヒサ子はごろんとベッドに倒れ込んだ。
 その瞬間、病室の向こうから盛大に音が響いてきた。大きなベルの音。火災報知機だ。二人は驚いたように目を丸くした。思わず起き上がるヒサ子。
「何が?」
 少し慌てた感じのエステル。夜明けの船とかには火災報知機とかないのかなぁ。
「火災報知器が……、どうしたんだろう」
 首をかしげてから数秒。あれ、私避難した方がいいのかな、と考えていると、廊下の向こうから声が響いてきた。誤報です-、誤報ですー。看護士が必死に宥めている様子が伝わってくる。
「誤報って」
(なんてタイミング)
 ヒサ子は二秒ほど悩んでから、うん、これはあいつのせいだ、と決めてかかることにした。

/*/

 ある昼下がり。
 退院間近の日々を過ごしていたヒサ子の一日は、こうして、始まった。

/*/

 車に吹っ飛ばされて以後すったもんだのすえ骨折もそろそろ治りそう、リハビリ大変うっがーもうああでもジム(?)でよく遭遇するあの患者の女の子はかわいいのーとかいう日々を送っている鍋ヒサ子。近日中にもギプスをとれそうということでわーいとなっていた彼女の元を訪ねてきたのは、エステルだった。お見舞いなのだった。
 いや、お見舞いというか。それがいつの間にか相談になって、そして先の会話である。
 もうなんでこんないい子をたぶらかして……ヤガミめーっ!
 ヒサ子は内心で悶えつつも、しかし自分の事を考えるとこれは嫉妬するというか、なんというか。複雑な心境だった。
「そう言えば……」
「? なあに?」
 エステルの言葉に、ヒサ子は面を上げた。エステルはヒサ子を見たあと、何故か拗ねたように顔を背けた。
「やっぱり、やめておきます。貴方に聞いたら、負けのような気がするから」エステルは素早く席を立った。「お元気で、またあいましょう」
「えー。あれ、もう行くの?」
「ええ。では」
「うん。ありがとー」
 よくわからず手を振るヒサ子に、エステルは怒ったような顔をして外に出て行った。きっと彼女も、ヤガミに対して怒っているんだろう。なんか親近感。
 とか思いつつ、どうしたものかなーと考えていると、すぐに病室にヤガミがやってきた。

/*/

「でー。なんでそれが出禁になるわけ?」
「いや、それはだな」
 すさまじいあきれ顔をつくる堀口ゆかり。その向かいの席で、喫茶店自慢のコーヒーを飲んでいたヤガミは苦い顔をした。病院の出入り禁止をくらったのである。
 病院前の喫茶店は静かだ。時々、顔を覚えてしまったらしい看護士が不満そうにヤガミを睨みつけていく。堀口ゆかりは自腹でないのをいいことに大量のケーキに囲まれて全部を少しずつ食べるという私腹、違う、至福にぬくぬくと包まれながらも、何をやらかしたんだこいつはと内心で思っていた。
 まあ。ヤガミだから何をやらかしてもおかしくないか。
 自分の事を遙か彼方天上の向こうにおいて堀口ゆかりはそう思った。どころか、これが噂に聞くヤガミか、などと感慨にふけっていたりする。
 対してヤガミは、なんでこんなに奢ってやってるんだ俺はと思いながらつらつらと説明をした。
「それがだな。退院のお祝いを言いにいったんだが、だんだん腹が立ってきてだな」
「腹がねぇ」
 どうせやがみがわるいんじゃねーの? という声が透けて聞こえてきそうな口調だった。ヤガミの額にびきりと青筋が立つ。
「おまえな」
「で、どしたの?」
「あー、いや、それがだな。こっちの我慢をいろいろ無にするようなことを言われて頭を叩いたんだが、いやそれはどうでもよく」
「乙女に何やってんのよこのすっとこどっこい」
「だからだな、俺は」
 ヤガミはいかに自分が正しいか語り始めた。適当に相槌をうちつつゆかりはぱくぱくとケーキを食べた。さすがに全部食べたら太りそうだなぁと考える。けどもったいない気もするし……うーむ。幸せな悩み。おほほ。
「聞いているのか?」
「うんうん。え、なんだっけ? それでヒサ子ちゃんが出て行こうとするあなたを止めようとして?」
「ああ。それで手を伸ばしてぶつかって――ぽきりと」
「ぽきり?」
「腕が」
「……」
「……」
「…………」
「…………」
 あ、無理。我慢できない。
「うはははははっ!」
 爆笑。何そのコント! 病院で何やってるんだこいつら! 腹を抱えて思い切りのけぞってひーひー言いながら悪い堀口ゆかりに、店内の客達が何事かと目を向けてくる。ヤガミはひどく苦い顔。なんで正直に説明してしまったんだと今更ながら自分の浅はかさを呪った。
 ゆかりの爆笑は五分ほども続き、いい加減喉が渇いてきたというところで、ようやく、とまった。あーおなか痛い。
「ひー。莫迦だ、莫迦がいる。莫迦だ莫迦だとは思っていたけどやっぱり莫迦だったんだー!」
「いい加減にしろ。俺は莫迦じゃないぞ!」
「うわぁ、莫迦な返事が返ってきたー」
「おまえなぁっ」
「あ、店員さーん、モンブラン追加で」
「ふさげるなっ。これ以上買えるかっ。だいたいどれも少しずつしか食べてないだろう!」
「食べる?」
「食べかけなんかいるかっ」
「お手」
「犬扱いかっ」
「犬でも噛みつくだけで骨折ったりはしないわよねー」
 けらけらと笑うゆかり。ヤガミは何か言おうとして、口を閉ざした。反論はしないらしい。
 む。つまらない反応。しおらしいヤガミなんか面白くない。
 それとも反省はしている……のではなさそうだ。そっか、心配してるのか。
 やれやれ。ゆかりはモンブランを一口食べて考えると、すたっと席を立った。それからすたすたとヤガミに近づくと、素早く手を伸ばした。
「おい、何するんだ!」
「いいからよこせっ」
 ずぼっ。ポケットから引っこ抜く携帯電話、もといPHS。にまーと笑うとゆかりは中身のデータを全部消去。ヤガミが止める暇もない早業。そして最後にアドレスに一件だけ登録すると、じゃあごちそうさまーと言って出て行った。

/*/

 鍋ヒサ子はPHSのアドレス帳を見てなんとも言えない表情を浮かべていた。
 ヤガミ(ハート)とある。
「………………」
 どういうセンスですか。びしりと突っ込んでやりたいけれど、これを置いていったクラーラと名乗る人物も、ヤガミ(ハート)もこの病室には姿はない。ヤガミは昨日の件で謹慎中、もとい出禁を喰らっている。謹慎は自分である。ちゃんと体鍛え直さないと、と思うヒサ子。
「むぅ」
 なんかいろいろ気にくわないけど、でもせっかくだし……。
 ヒサ子はヤガミ(ハート)に電話をかけた。
 ベルが鳴、
「俺だ。無事か? 腕はどうなった、いいから慌てず詳細に説明しろ、おい」
 った次の瞬間にはこれだった。
 なんか和む。ヒサ子はふうとため息をついた。
「……てっきり、クラーラさんと間違えたセリフでも聞けるかと思ったんですが。大丈夫です、多分。こんにちは」
「猫先生?」
「猫先生は猫先生って呼びます。私のコイン持っていった人です」
「ああ。あいつか」
「もー。そらっとぼけてるのか本気で記憶障害起こしてるのか知りませんが、このPHSから電話かかってきた状況で一体全体どういう情報処理を施してるんですかヤガミは」
「まあまて、あいつと猫先生をあわせて考えるなんておかしいだろ」
 クラーラですクラーラ。クララではないのです。いや猫先生可愛いですけど。ってそんなことはどうでも良くっ!
 とにかくどうにもかみ合わない会話を切り上げようとヤガミが言った。
「まて。いやまあまて、シンプルに話をしよう。まず俺があやまる。いいな。腕が折れたのはすまなかった。以上だ。他にどんな問題があるんだ。記憶って何だ」
「あーもう。腕折れたのはわたしのせいです。そんなことで怒ったりしませんっ。でですねっ。ヤガミ。わたしに、コインくれましたよね? 私はそれを友情のコインだと勘違いして投げ捨てました。で、それを拾った女性がいます。クラーラさんです。最初はヒサって名乗って、シコウさんのヤガミを誘拐したりしてたはずですけど。ここまでは先週話しましたよね」
「……クラーラははじめてだな。堀口ゆかりじゃなくて、そういってたんだな。それで?」
「掘口ゆかりて…………ま、まあそこはおいときます。なんかややこいことになってる気もしますが。――で、先週です。わたしのお見舞いの最中、公園に行く前に一回。公園から私を送り届けてくれた後で一回。計二回、ヤガミはわたしの目の前から消えてますが。そこは記憶がありますか」
「ああ。ゆかりに呼び出されて一緒に編み物したり、掃除したりしてた。まったく酷い話だった」
 一度は置き手紙だった。 ”片付けよろしくー” とか書かれていた。
「…………編み物とか掃除で顔にキスマークとかつけるんですね。へー」
「キスマーク?」
 沈黙。
 その直後、
「わはははは。妬いてるのかい? お嬢さん?」
 ひどく勝ち気な声が聞こえてきた。すごい嬉しそう。
「お嬢さん言うな。まあ、キスかそれ以上のことはされてきたなコイツと思って一回目の直後にキスしたんですが」
「そう言う理由でキスしたのかお前は!」
 あ、怒った。
 ヒサ子はいろいろ言いたい気持ちを抑えて怒鳴りつけた。
「やきもちです。ちょーやきもちです! もうこれで嫌われても仕方が無いって覚悟決めてやりました!」
「それを最初にやっていれば面倒はなにもなかったんだが……」
 まあ、いいかとヤガミは言った。なんだかいろいろ疲れたらしかった。

/*/

「だいたいおまえ、電話口だと元気いいな」
 あまりに賑やかすぎたので喫茶店から出て、病院を見上げながらヤガミは言った。ヒサ子の部屋は……あのあたりか。
「普段はキスするにも顔赤くしたりじたばたしたりしてたくせに」
「今キスしてないもん」
「キスできないのが残念だ」
 優しい声でヤガミは言った。が、
「………………」
 むっとした雰囲気。しかしヤガミは何も間違えたとは思わなかった。肝心な所では間違えない。
 ややあって、ヒサ子は諦めた用に口を開いた。
「決めました。さいあくです。人のことは後回しにします。自分のことだけ一挙解決できる方法を狙ってみます。ストレートに」
 そして一瞬言葉を切って、
「微笑青空ください」
 そう、言った。
 ヤガミは何も言わない。微笑青空か。まあ、しかし。
「無理だ」
「言うと思った!」
「なんだそれは。いいか。コインを持ってる以上は青空もな」
「持ってないです。もしもし?」
「いや、だから。いまゆかりが持ってるから、無理だ」
「それ。取り返せないんですか。もしくは取り返す方法」
「勘違いしてないだろうな。コインだぞ、コインだからな。お前の名前がかいたやつだ。誤解したら怒らないが途方に暮れる」
「愛人のコインとかゆーやつですよね。私の名前が書いてあるのに、なんで他の人が使えるんですか?」
「……棄てるなんて誰も考えてなかったせいだ。バグだな」
 まあ。ちゃんと説明しなかったこっちも確かに少しは悪かった。ヤガミはややうなだれた。
「…………こんど恋人つれてくるいいながら渡されたら、友情コインだと勘違いもします!」怒鳴るヒサ子。そしてすぐに旬とした声で続けた。「でも、ごめんなさい」
 ヤガミは笑った。どこか嬉しそうな声で。
「いや。いいんだ。昔は一瞬だけ絶望もしたが、なんだろうな」
 その直後に、呼び出された相手にばっさりあっさりいろいろ言われるとは思いもしなかった。だがそのおかげか、
「あのバカ見てると、絶望するのもバカらしいし、そのあと直ぐに誤解もとけた。気にするな」
「…………誰の話ですか。そろそろこっちの恋心を疑わないでくれますかね。こっちが絶望しそうです」
「してないしてない。大丈夫だ」
 ヤガミは笑った。
「電話いいな。素直になれる気がする」
「ん。……でも、会いたいです」
「あまえんぼうめ」
 そう言ったあたりで、ゆかりが喫茶店から出てきた。支払いしろーと請求書を突きつけてくる。ところでなんで宅配便の伝票? 喫茶店の支払いではなく?
「いかん。ゆかりが呼んでる。退院したらあいにいくよ」
 ヤガミは電話を切った。ゆかりは不機嫌そうに近づいてくる。
「さ、はやく支払いを済ませる」
「わかったわかった」
「ちゃんと話はできた?」
「当たり前だ」
「ふーん」
「信じてないな」
「信じる余地が塵ほどもあったと本気で考えてるならひっぱたくわよ?」
「何を怒ってるんだ? おまえは」
「いいから早く支払いを済ませるっ!」
「わかったわかった」
 何故か不満そうに喫茶店に戻っていくゆかりを見送り、ヤガミはもう一度病棟に目を向けた。
 ま。まずは健康になってもらってからだ。ヤガミは少し遅れて、喫茶店に入っていった。




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最終更新:2008年12月06日 07:34